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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第二部
204/281

殺意

多すぎたので分けました。

次話はすぐ投稿します。




「駄目だ……」


 薄らと、それこそ自分の手足を何とか視認できるというレベルの暗闇の中、リィラは一人そう呟いた。

 内側から開く為の仕掛けがあるかと思ったが、そんな物は知らない。この暗闇の中で見つけられるとも思えない。


「っ……」


 また、地面が大きく震えた。

 それに従って、リィラの小さな体もびくりと跳ねる。


 敵だ。"国食み"が攻めてきたのだ。


『ここで待ってて』


 ハリアの──妹の声が鼓膜にこびり付いていた。

 は、は、と浅く速い自分の息遣いが悲鳴よりも大きく聞こえてくる。


『良かったな。どうやらお前は天才だ』


 続いて思い返されたのは最近珍しく、──いや初めて仲良くなれた男の声。


「────……!」


 ぐ、と下唇を噛んで、リィラは壁から手を離した。

 入って来た入口を諦め、リィラは背後の暗闇を振り向く。同時、靴の踵に何か硬い感触。

 拾い上げると、それが太い木の棒だという事がわかった。武器の代わりにそれを握り締め、リィラは暗闇の方へ歩き出した。 


 暗い。

 一メートル先もよく見えないその通路を、徐々に速く、最終的にはその暗闇の中をリィラは走りながら通り抜けていく。

 蔦や蜘蛛の巣を取り払い。

 長く長く続くその暗闇の中を真っ直ぐに走り抜けていく。


 腰まで浸水していた場所があったため、ぐしょぐしょに濡れながら。

 突如襲ってきた蛇や蝙蝠を撃退しながら、顔と服を埃まみれにしながら、進んだ。


「あ、──……」


 そんな暗闇の中、光は唐突に現れた。

 最初は針の穴のような、しかし徐々にそれは大きくなり、リィラの足も速くなる。


 出口には瑞々しい色の蔦が上からぶら下がっていた。かき分けるとさらに光が広がる。


「あ……」


 風が目の前で別れて背後に吹き抜けて行った。

 誘われるように一歩踏み出すと、草を踏んだ音がした。

 町の中どころかエルゼンの周りには基本的に草木はない。多分ここは、町から南に行ったところにある水源地だ。


「小屋……?」


 振り返ってみれば、自分が出てきた穴は暖炉になっていて、見上げれば屋根もあった。

 しかし所々が朽ち、根や蔦に浸食され穴が開いた場所から風と陽光が差している。


 小鳥が鳴き、木々が生い茂る。

 しかし、そんな心地良い空間に浮き出るように映えていたその存在が、リィラの表情を無くさせた。


「──ッ!」


 咄嗟に手に持っていた木の棒を構えられたのは成長だろう。

 しかし、それは意味がない。小屋の出口の横の壁に背中を預けている男はすでに息絶えているからだ。


「……し、死んで、っ」


 死体を見るのは、初めてではない。

 白い軍服に外套。恐らく騎士だ。

 一度尻餅をつきはしたものの、リィラは震えながらも立ち上がり、そしてそれを見つけた。


 腰に差された、一本の剣。

 長いが細く、魔法を工夫すればリィラでも扱えそうだ。

 一度死体を見て、目を瞑って唾を飲み込んで、心を決める。意外に、決めてから迷う事はなかった。


「ごめんなさい」


 墓を作ってやれない事と物を奪う事に謝って、リィラはその騎士の腰から剣を取った。

 咎める事はないとばかりにその剣はするりと戦士から離れ、リィラの手によく馴染んだ。


「……よし」


 剣を腰に差す。少し鞘を引きずるが仕方がない。背中に差しては取り出せない。

 少しだけ戦士の男に祈りを捧げて、リィラは小屋を出た。男はここを拠点にしていたのだろう。草を踏み締めた獣道ができている。

 空を見上げた。まだ日は高いので、日が落ちるまでに町に戻れるはずだ。

 リィラは、獣道を早歩きで歩き出し、そして。



 ──ずしゃり、と重々しい音を聞いた。



 要は、失念していたのだ。

 きっとこの男は国食みに殺されたのだ。だから、国食みが町にいるので今は警戒が要らないと、そう思っていた。


 リィラが、今エルゼンの正規軍が古龍の討伐に向かっている事を覚えていれば、少なくとも驚く事はなかった。


「え?」


 音を立てて地面に転がったのは、力ない騎士の体。

 その向こうに、樹の陰に、枝の上に、よく見れば同じような恰好をした騎士の体が幾つも転がっていて。


 その奥で、返り血と今も零れ落ちる自らの血で体を赤く染める龍がいた。

 羽は片方がもがれ、鱗は剥がされ、片方の目に刃を生やして、しかし未だ荒く獣臭い息を吐いている。

 そして、古の時を生きた証である紅い瞳を、ゆっくりとこちらに向け、リィラに焦点を合わせた。


 途端。


「あ──」


 森中に、怒号に似た雄叫びが響き渡る。





   ◆




「さて」


 ラカンはギドが座った車椅子を聖堂の女神の像の前にまで運んだ後、その近くの長椅子に腰を下ろした。


 外の音は消え入るように小さくなっていって、今はもう聞こえない。

 それが不吉で、いても立っても居られないが、ここから出してくれる訳はない。ラカンの隙だらけな背中が返って腹立たしく、ハリアは悔しげに唇を噛む。


「リィラなら、居ないわ……!」

「みたいだなぁ」

「この……!」


 ラカンは普通だった。語調も普通。纏う空気も普通。

 今もふんぞり返るわけでもなく、緊張感に前屈みになる訳でもなく、手持無沙汰な両手を組んで腿の辺りに置き、ゆったりと背もたれに体重を預けている。


「ハリア、大丈夫かい?」


 ギドの声にハリアはそちらを向き、見えるように頷いた。

 死後の残留した魔力を感じ取ってしまったのだろう。ハリアの息は整わないし、足元もふらついている。

 リィラを抱きしめたいな、と思うが、今はいない。それはむしろ幸運な事なのだ。


 ギドは顔に手を当てて深く息を吐いた。

 その目にはまだ緊張感が残っているが、やはり顔色は悪い。今も時々医者にかかる事もあるのだ、あまり無理はさせられない。


 それでもギドは私達に弱みを見せた事などなかった。それが今は──。


 当たり前だ。

 ギドは顔が広い。町の全員の名前と顔を覚えているし、面倒を見たがる人だ。

 "あんな物"を見せさせれるのがどれだけ苦痛だったのか、想像すらできない。


 それでも、取り乱さずに悲鳴も上げずにああしてられるのは、きっとハリアを何とか救おうとしているからだ。


 ぎり、と奥歯が軋んで音を立てた。

 心ここにあらずとばかりに座っているラカンが先程とは違って酷く琴線に触れた。


「何で──!」

「ん」強い感情にたかるように、ラカンがこちらを向く。「どうした」


 その暢気な顔に、ハリアは感情が分水嶺を超える感覚を知った。喉が痛いほどに声を張り上げる。


「どうしてッ、あんな事をしたのよッ!!」

「あんな事?」

「お前ぇ──!」

「暇だな」


 煮え滾りそうな怒りを、ラカンはかわした。いやそもそも気付いてすらいないかのように話が噛み合わない。


「リィラを待つ間、話でもしようぜ」


 一転して男は笑んだ。

 偶然その時、一層大きな恐怖の波が襲ってきて、ハリアは張り上げた声を嗚咽で遮ってしまう。

 咳き込みながら、それでもハリアは続けた。


「……リィラは逃げたわ。ここには来ない」

「あいつは来るよ。事実、お前だってそう思ってる」


 気付けば、じ、と男の目がこちらを覗き込んでいた。金色の病的なほど綺麗な瞳。

 出てくるはずの言葉が引っ込んで、頭の中からもそれが消えた。

 消える、消えていく。

 夜の闇を覗き込んでいるような、静かで底が見えない何かに頭痛も恐怖すらも薄らいで、それは最早心地よく──。


「ハリア。あまり正面から見るんじゃない」


 す、とギドの手の平がハリアの目を覆った。緊張した体が一度に弛緩する。


「あ……」

「……魔性の塊のような奴だね。初めて見るよ、アンタみたいなのは」

「はっは、アホか。そんな事言われた事こそ初めてだ」


 静かにギドは男を正面から見返した。

 あれだけの行為がどれだけ凄いかハリアには良く分かる。あの男は違う、おおよそ人から生まれた物とさえ思えない。


「リィラを、"次"にする気かい?」

「勘が良い。歳の功だ」


 カラカラと男は笑った。

 ギドは表情をさらに厳しくするが、ハリアには意味が解らない。二人の顔を見渡していると、ふとギドと目が合った。


「先刻の女、あれはアンタの身代わりだったんだろう。"国食み"の外見を誤魔化す為の」

「それはちょっと違う。別に身代わりが目的だったんじゃない。結果的にそうはなってるが」


 不自然なほど静かな空間は、いつもの教会の朝と変わらない。

 外で広がっている地獄が本当にあるのかさえ、夢だったのではないかとそう思えるほどに、男の声は静かに響く。


「あれは、前に俺を殺しに来たどこかの国の刺客だったかな」


 少し間を開けて、男は言った。

 その間が記憶を思い起こすための時間だったと気付き、愕然とする。憶えていないのだ、この男は。


「誇り高くて強かった。だから薬漬けにして家族を浚って、国を一つ潰す度にどちらかくれてやる、ってそういう遊びだったかな」


 ポツポツと、思い出しながら話す度、男の顔に生気が戻るようだった。


「尊厳を奪って、未来と才能を潰して、歴史を壊して、関係を弄って。そこまでやると、ほとんど人間じゃなくなってな」


 いつの間にか及び腰になり、その生々しい表情に背中が冷たくなる。


「まあ家族の目の間で薬に飛びつく光景が笑えて、そこまでは覚えてる。最近は薬絶って頑張ってたらしいが、さっき死んだな」

「その、家族はどうするつもりだい……」

「もう娼館と奴隷商に売ったよ。銀貨二枚だった」


 ギドでさえ、その話を聞いた後言葉を無くしていた。

 あわよくば説き伏せようだとか、改心させようだとか。そんな段階の話ではない。


 悪意の塊だ。

 なぜ人間の形をしているのか、不思議なくらいに。


「何で、」絞り出したその声は掠れている。「そんな事をするの……?」


 不思議だった。不思議で仕方がなかった。

 怒りよりも悔しさよりも、疑問が頭の中を占拠している。

 そして、相変わらずこちらを見もせずに答えたその言葉で、ハリアは一つ知る事になる。


「お前は、鳥や豚が憎いから殺して喰うのか?」


 ああ、こいつは人間ではない、と。


「まあ、要は。何だかんだ綺麗事を言ってはみたが、結局ただの、」


 自分が、虫を好んで食う鳥を理解できないように。

 体から力が抜けたのは、そんな存在がいる事に絶望したから。

 人間が、死体に集る蠅と相いれないように。

 言葉などない。意味がない。


「オナニーかな。気持ち良くなりたいんだ」


 こいつはただ、人の不幸と死を食物とする人外だ。

 そら、ハリアの表情を嗅ぎつけて、喉を鳴らして舌なめずり。


「ここに来たのはな、リィラに俺の事を教えておこうと思ったからだ」

「……俺は悪魔だって? そう言えばいいじゃない……」

「悪魔ねえ。どうかな」


 吐く息は毒の霧。垂れ流す言葉は甘い麻薬。その端正であるのに歪な表情は菩薩に泥と糞を塗りつけたかのように無粋で汚らわしい。


「悪魔の存在は神の証明になるらしいが、生憎神は知らないな」


 まるで、遠く天の彼方に話しかけるように、ラカンは天井を仰いだ。


「そうすると、神は下種か畜生か。それとも俺が神に愛されているのか。……ああ、」


 神妙な顔で呟いていたラカンの目がぐるりとこちらを向いた。

 面白い事でも思いついたかのように、その目は爛々と光っている。


「それとも、俺が神かだ」


 魔性の目がこちらを見つめる。こちらを魅了する事はない。それは既に別の何かに意識を向けている。


「ああ良いことを思いついた。そうだ、広場に行こう。なにしろ広くていい」


 ぎりぎりと、ぎりぎりと。

 その悍ましさが、漂う瘴気が。

 まるでその背中が割れて、中から人ではない何かが生れ落ちてでもくるようで、体中に怖気が走る。


「なあ、何して遊ぶ?」


 確信する。


 ああ、私達は、この町は。

 この男には、パンでケーキで。そして、水で空気で、餌なのだと。



「この化物……! アンタが神なんかであるもんか!」

「おいおい。根拠はあるぜ。ほら」



 ラカンは小さく腕を振った。

 そして、その腕は傍にいたギドの胸を簡単に貫通した。



「ほら、いつ、誰を殺す事も、俺には自由が与えられてる。」



 それは酷く唐突で、一瞬遅れてギドの口から血が溢れて、その血の上にギドが倒れ込んでも。

 そしてその体がすぐに動かなくなっても、まだ何が起こったか分からない。



「え……?」



 ハリアはただ、世界の一部が簡単に握り潰される事を知った。







   ◆




「──ァあっ!」


 振り下ろされた竜の爪は当たってはいない。

 しかし膝までで既にリィラより大きいその足は衝撃だけでリィラを吹き飛ばした。

 硬い木の幹に当たらなかったの幸いか、草の茂みに頭から突っ込んで事なきを得る。


「──っ、はっ、ひ」


 今までに聞いた事がないほど荒い息が頭の中で木霊する。


(死ぬ、死んでしまう……!)


 脳に流れ込んで内側から破裂してしまいそうなほど、巨大な恐怖がリィラの思考を鈍らせる。

 体に毒になるほどの感情の波。

 呼吸の仕方すら忘れて、視界が暗く染まる。

 訳も分からず涙がぼろぼろと零れて、嗚咽も口からとめどなく流れ出る。


 だが、一握り。一握りの、記憶だけが、リィラを繋ぎとめていた。

 ギドとハリアを助けに行かなければいけないのだ。そして、怪我をして狂暴化しているとは言え古龍相手に逃げられるとも思えない。


 つまり、選択肢は二つ。


「はッ──ァあ──」


 どくり、と心臓が大きく跳ねた。

 それからギュッと心臓が収縮する。どくりどくりとその鼓動が遅くなり、そのせいか思考が鈍る。


「ぁあ、」


 反射的に、剣を取りだした。シャランと音がする。

 同時、繁みの向こうから龍が顔を出した。

 龍も何かを感じ取ったのだろう。リィラを見た瞬間、怒りの中に一瞬理性的な警戒が宿る。


「──ぁあああ」


 鈍った思考が、恐怖を感じれなくなった頃。


「ァアアぁああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 獣のような絶叫が、龍の雄叫びと競い合うように、森の葉を揺らす。

 そうだ。そう。

 当然だ、悪い事などない。死ぬ訳にはいかないのだ。戻って、助けなければならないのだ。

 だから。

 殺されるぐらいなら。


「──殺してやる」


 唯一残ったその感情は、恐怖よりも強くリィラに染み込んでいった。


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