国食み
再開します
広大な土地だけが自慢の国、エルゼンのとある平日。
皆が程よく疲れた笑みや、乾き始めた汗を顔に浮かべながら帰路に就くような、黄昏の時間帯。
そこは、街の真ん中でも隅でもない中途半端な場所の、やたら広い土地の端っこに建った教会。
その中の一部屋で車椅子の老女と、俯きがちな子供が一人、難しい顔をして向かい合っていた。
「リィラ、お祈りはしたかい」
「……うん」
「ちゃんと百数えたかい?」
「数えた」
「よし。なら、お使いだよ。リィラ」
老女は言う。すると、途端に子供の表情が曇った。
「……ぅ、ん」
「一人でだよ。行っておいで」
聖堂の、清貧と寛容と破邪を司っているという女神の像の下。車椅子に座った老婆と子供──、リィラはまた難しい顔のまま押し黙った。
老婆の言葉に歯切れ悪く頷くリィラは、誰かの姿を探しながら視線を彷徨わせている。
「こら」
リィラの不注意な脳天に、ゴツンと安い煙管の先がぶつけられた。
「い、痛いよ、ギド……」
びくりと肩を揺らし涙を浮かべた目で、リィラは車椅子に座った老婆──ギドを怯えた目で見つめる。
「八つにもなってお使い一つ行けなくてどうするんだい」
「……こ、この間、もう一人で行け、た」
たどたどしくリィラは言葉を返す。これでも慣れている方で、ギドとハリア以外と話す時の声はこれの十分の一程の声量だ。
「ハリアが手ェ出してただろう。ばれてないとでも思ったのかね。別に試験って訳でもない。生活だよ、毎日やるのさ」
「ぅ……」
図星だ。まだ器用に嘘をついたり隠したりできるような歳でもない。ぎろりとギドが睨みを利かせると、面白いようにリィラの体は縮こまった。
「リィラ。自分の面倒も見れない奴は要らないからね」
「…………う、ん。行く、けど、だから」
そう言って上目遣いで見上げてくるリィラに、ギドは苦笑した。
「じゃあ、少しだけ。ほら、いっぱい頑張ってきな」
言うと、ギドは持っていた小袋をリィラの手の上に放り、小さなメモも押し付けるように一緒に手に握らせた。
三人分の食事の、足りない野菜を一種類だけ。どこの店で買えばいいか、その場所まで丁寧に書かれている。
足が不自由なギドでさえ、毎日町に繰り出て何事かの作業をこなしているのだ。難しい事では決してない。
「いいかい? 助けてあげたのは自分で言った分、前より頑張ったからだよ。次はもっと頑張りな」
「うん……」
「そしたら、また少しだけ助けてやるからね」
ごしごしと細く枯れた手で頭を撫でられ、リィラは頷いた。
しかし、リィラはそれでも動かない。もう一度、往生際悪くリィラは辺りを見渡して。
そして、良くも悪くもその願いは聞き入れられた。ばたん、と食堂の扉が開け放たれる。
「あーーーーー! ギド! リィラに何してるのっ!」
「ち、五月蠅いのが来たね。そら、さっさと行きな」
シッシッとギドはリィラを行かせようとするが、リィラはチラチラと部屋に入って来た少女──ハリアを伺うばかりでその場を動こうともしない。
滑り込むようにギドとリィラの間に入ったハリアを見て、ギドは大きくため息をついた。
「出たね、まぁた、泣かされたいのかい小娘が」
「あれはギドが煙を吹きかけるから涙が出ただけよ!」
言っている途中で、ギドは笑いながらハリアに煙草の煙を吹きかけた。
ぎゃあぎゃあと騒ぎながらそれを払うハリアの後ろに、リィラはほっとした顔で収まっている。
「全く、お前もお前だよハリア。守るばかりで」呆れたようにギドは言う。「守られ方も知らないと、いい女になれないよ」
ハリアはそんな事は聞き飽きたとばかりに、強情に胸を張る。
「ふふん、それらしい事を言ったって聞かないんだから。ギドはすぐ嘘を吐くんだもの!」
びしりと、人差し指を突き付けたハリアにキョトンとギドは呆けると、少し遅れて、にひ、と悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「おや、野菜食ってれば背が伸びるって嘘を見抜いたのかい」
「ええ!? 嘘だったの!?」
「馬鹿だね、嘘だよ」
「ん? え? あれ? ど、どっちなのよ!」
「さてねぇ。金がないのは本当だが。ま、今のうちに野菜だけはたらふく食えるようになっといた方が良いだろうね、忠告だ」
「えぇ? な、なに企んでるのよ、今度は」
にひひ、とギドは歳を感じさせない表情で笑う。
その顔には深く皺が刻まれてはいるが、それは年月より、むしろ歴戦の戦士の古傷のように自慢げにそこにある。
「もう! どうしてそんなに私達に意地悪するのよ!」
「どうして? 野暮な事きくね、愛してるからじゃないか」
捲し立てようとしていたハリアの言葉が止まって、もにょもにょと中途半端に表情を変えて。
最後に観念したようにハリアは頬を膨らませた。
「……ギドはズルいわ」
「そうかい、ほらリィラ。早くしないと陽が落ちちまうよ」
「う、ん……」
リィラは躊躇いがちに頷き、一度ハリアの方をちらりと見て。
そしてやはりおずおずと、あからさまに止めてほしそうに時折振り返りながら、出て行った。
「お前は、どこ行くんだい!」
リィラの背中を見届けて、そろりとギドの傍を離れたハリアにギドの鋭い声が飛んだ。ついでにクナイのように煙管も飛ぶ。
すこん、とものすごい勢いでハリアの後頭部にぶつかり、ハリアは前につんのめった。
「いたぁい! 何するのよ馬鹿ぁ!」
「この間リィラに一人でお使いに行かせた時、"使うな"って言ったのに、使ったね。ハリア」
「う」
その一言で、一度に劣勢になったようだ。
ハリアは言葉を詰まらせ、後頭部を撫でながらギドから目を逸らした。
「誤魔化してんじゃないよ!」
「ごめんなさいっ」
かつんかつんと煙管で頭を小突かれながら、しかしハリアは反撃を試みる。
「いいじゃないっ。心配なんだもの! 部屋で使っていればばれないわ!」
「"未来予知"なんて能力は楽すぎるんだ。人間、楽覚えたら終わりだよ」
「ええー……」
「人の事を見てばっかりってのも気に入らないね。貰った分はきちんと返しな」
「そんな事言われても……」
肩甲骨の所に刻まれた文字を思い出す。
出来ない事はないだろうが、人と直接魔法で関わる事が難しいのはハリアの魔法も同じだ。
"見る"のは一人で出来るが、"話す"のは相手がいないと成立しない。
「それに私の能力は未来予知じゃないわ。ただ周りの魔力の動きを測り取って予想しているだけ。占いよ、いわば」
「知らないねそんな事は。大体ね、魔法は応用力だっていつも言ってるだろう。一辺倒じゃ駄目さ、何事も」
「……だって、楽しいし、簡単なんだもん」
「へえ、リィラと一緒にいるのもそのせいかい?」
「違う!」
「……そうだね、今のは悪かった」
ギドはそう言ってガリガリと頭を掻くと、真剣な視線をハリアに向けた。う、とまたハリアはたじろいだ。
「でもね、あんた達は姉妹だけど、ずっと一緒にいる訳でもないんだから」
あれ、兄妹だったけとギドは茶化して見せる。
「そ、そんな事ないわっ」
「どうして? 成長して、結婚もするだろう」
「で、でも私はリィラが必要だし、リィラもきっとそう、だし……」
少しだけ不安げに、消え入りそうな語尾でそう言うとハリアは少しだけ俯いた。
その言い分は間違ってはいない。
だから頭の上に手を載せて『そうだね』とギドが言うと、それはもう嬉しそうな顔でハリアは顔を上げた。
そして、その顔に、『まあ』と、ギドは苦笑しながら言葉をつづける。
「一緒にいる理由なんて、本当はどうでもいいのが一番なんだけどね。必要不必要じゃなく」
そんな事を言うギドに、ハリアは若干不満げに首をかしげる。
「……どうでもいい事って?」
「なんとなく、ってやつさね」
「……よく分かんない」
「なら覚えときな。ほら、お祈りしてないだろう。きちんとやりな。そしたら忘れた頃に、ちょっとだけ助けてくれるから」
「ちょっとだけかぁ……」
ぎ、と車椅子を軋ませて、ギドは背もたれに体重を預けた。
「また吸ってる……。何がそんなに美味しいのよ」
「こう胸がきゅーっと温かくなるのがね、どうにも好きなんだ」
そして、ギドはふかふかと気ままに煙をふかす。
◆
「……おいおいリリィ。一人で買い物してんのか」
ふらふらと道の端を、きょろきょろと不審なまでに辺りを見渡しながら進んでいたのに、リィラがあちらを見つけるより早くルグルに見つかった。
「り、リリィじゃ、ない……」
気軽に話せるほど慣れていない。
極端な人見知りが相まって、かろうじて話せるのは教会の二人ぐらいだ。
ひ、と小さな悲鳴がリィラの口から漏れ、ルグルは呆れて肩をすくめる。
「ぎゃははははははははははっ! ボス、可愛い子泣かしてんじゃねぇよ!」
「通報するぞ、ペド助が!」
「黙れ、殺すぞ」
ルグルがそう凄むと取り巻きの二人は押し黙って、しかし抑えきれぬ笑いをこぼしながら肩を震わせる。
「ビビり過ぎだろ、お前は」
「そ、れ……」
リィラは恐る恐るルグルの服に付いた赤い模様を指した。
血、それも返り血だ。
「ああ、少しお茶目やった馬鹿を撫でたんだよ。神の庭を荒らした奴をな。ほら、神の名において?」
言って、ヒヒヒとルグルは笑う。
リィラは苦手だった。
妙に威圧的に見えるこの長身の男が。特に大人のくせに自分より年下の人間が見せるような残酷な笑みが、一番嫌いだった。
「お使いねぇ……」
手を伸ばすだけで肩を震わせるので、ルグルは高い背でリィラを見下ろしたまま言った。
ルグルの視線がリィラの手元に落ちる。リィラの手の中にあるのは籠と、その中にメモと金が入った小袋。
ルグルはそれをリィラから掠め取った。
「あ……!」
「どれどれ。んだよ、近場で揃えられるじゃねぇか」
「か、返して……!」
「やァだね」
「ぎ……、ギドに、言う、から」
「お、おいおいリリィお前、や、止めとけよそれは。ほら小遣いやるから」
「それに、僕は、リリィじゃない……」
「はいはい」
ぽんと、メモを籠に投げ入れ、冗談じゃなくリィラの手の上に銀貨を一枚置いた。
「まあ頑張れや。ハリアもいつまでもお前の面倒見てられないだろうしな」
「あ……」
ぽんと、何の気なしに置かれた手に、リィラは珍しく怯えなかった。
リィラはしばらくポツンと道の真ん中に突っ立っていたが、やがて我に返って道の端に移動する。
広い道だ。
エルゼンは石の家がほとんどで、その間隔も大きい。
町の中も平坦で、唯一違うのは街の奥にある大きな台地ぐらい。
すれ違う人間も少なく、リィラに関心がある人間もいないのでそれは好都合。
それなのにリィラはふらふらと視線を周りにちらつかせ、不意に小走りになったり、立ち止まったり、振り向いたり。
教会に戻りたい、と。そんな思いばかりが、それもルグルの言葉のせいで一層強くなって頭の中で響いている。
でも、本当にこれがきっかけでハリアに愛想を尽かされる。そんな光景がいやに現実味を持って脳裏に映った。
「……っ」
そんな考えを首を振って追い出す。
早くハリアとギドによくやったと言ってもらいたくて、リィラは再びふらふらと歩きだした。
◆
教会の小さな寝室。
その端に寄せてある二つのベッドのうちの一つ、その上で魔力が流れていた。
その魔力は空気に馴染み、薄まり、風に流れて町中に広がっている。
波紋のように広がる細く長い糸の波の感覚。
夥しい量の糸の波が、人に草木に動物に水の一滴や空気まで捉えてその微細な魔力を感じ取る。
そしてやがて、その水のように柔らかく風のように大きい糸の流れが止まった。
「うーん……」
ハリアは目を開けた。
分からない。
ギドに内緒で魔法を使って町中を探ってみたが、リィラがオドオドとしている間に、4回ほど通りかかった人に助けられたという事ぐらいしか分からない。
「でも、何だろう……」
どことなくだが、このところ町の雰囲気がおかしい。
見える景色がどことなく。薄く薄く絵の具の膜が張っているかのようにどことなく違っている。
ギドに言った方が良いのだろうか。何か感じ取った時はすぐに言ってくれと言われてはいる。しかし、間違いなく怒られる。あまり言いたくない。
「うーん……」
もう一度唸りながら、ハリアは考える。
そして、五秒ほどそのまま思考をぐるぐると回すと、よし、と顔を上げた。そのまま座っていたやや固いベッドから飛び降りる。
「おっと」
ふらりと体が傾ぐ。
どうにもハリアの魔法は燃費が悪く、だいぶ慣れた今でも一日に一度が限度だった。
それも使って一時間ほどは眩暈やら何やらがひどいし、残りの一日はとても眠くなる。
双子である恩恵なのか、なぜかリィラを探す時だけはそう疲労しないのだが、少し他の事を調べ過ぎた。
ふらふらと頼りなくも、部屋を出て駆け足で聖堂に駆け込む。聖堂の長椅子に座って煙をふかしているギドに向かって叫んだ。
「ギド! 魔法使っちゃった! でも正直に言ったから許してね! 正直って美徳だって神様も言ってたもんね!」
「よぉし、こっちに来な。丁寧に引っ叩いてやろう」
「何でぇ!?」
そんな声が、教会中に響いた。
かつーん、と額に煙管がぶつかった音も一緒に響く。
ぎゃあぎゃあと半ば定番の言い争いを一通り繰り広げた後、二人ともが疲れて息を付いた。
憮然とした顔のまま、ハリアは先ほど感じた事を言う。すると目にみえてギドの表情が曇った。
「何かおかしい、ね」
ふい、とギドが空に煙を吐き出した。
「ルグル。あんたもそれで来たんだね?」
「──なっ、居たんなら言いなさいよ!」
「悪いねェ。なにせあまりにも楽しげに話してたもんで」
肩を竦めながら、ルグルが扉の横の壁から背中を離してこちらに来た。扉の影からぬっとその大きい体を現すのは、本当にそこから湧き出たように錯覚させる。
「……だからどうして貴方はそう陰気な演出をするの。陰険なの? 性悪なの根暗なの?」
「うるせェ、ハリア。黙れ殺すぞ」
むぅ、とハリアは頬を膨らませた。
「"国食み"が、この町に来てるらしい」
「国食みィ……? また素っ頓狂な名前が出てきたね」
「国食みって?」
不思議そうに首をかしげたハリアに、少し迷った後、ギドはその詳細を話した。
──この世界では個の力が大きい。
それは時に少数団で集落や村、時には町まで襲撃し掌握してしまう存在がある。
そして、その最たる者の一人が──"国食み"。
「そんな事が、出来るの……?」
ハリアの言葉も当然。
そんなものは眉唾物で、もしかしたら都市伝説や子供を怯えさせる為に語られるような話なのだ。
「ハリア。この世界が戦争──国家間での大規模戦闘を禁止している事は知ってるね」
「本で読んだ。おっきな国が大昔に決めたんでしょ。確か世界が二分するほどの戦争した時に──」
──と。そこまでハリアが言ったところで、ギドが止めた。
別に禁忌であったわけでもなく、本屋を探せば簡単に書いてあることだからだ。
「それが真実かどうかなんて誰も解らないけどね。ひどく安穏とした世界になった代わりに、歪な部分も多くなったのは確かだ」
「不自然なんだよ、動物の癖に」
「まあ、今はそれは良いよ。いいかい、良く聞いときな、ハリア」
そう建前を言った後、ハリアは少し考えてこくんと大きくうなずいた。
「それの悪いところがね、まず一つ。戦争がなければ世界の情勢が滞ってしまうという事。そうすると、国内で不満が溜まるばかりだろう?」
「うん」
「するとね。大抵どこの国の民も国を切り取って独立しようとするんだよ。"あの王は無能だが、俺ならば出来る"。そんな事を考える無能が必ずいる」
「……うん、解る。多分、大体」
よし、とギドは挑戦的に笑って、一度ハリアの頭を撫でると、続ける。
「すると、力が弱い小国が乱立する事になるね? するとだ。今度はそこを食い物にする人間が出てくる」
「それが国食み」
「まあ簡単に言うと、そうだね」
ぱくり、と手で口の形を作ってみるギドに、ハリアは頭を捻る。
「……でも、そんな都合があっても武力行使してはいけないの?」
「そうだね、そう言った場合は例外的に可能だよ。それに他国に公的に介入できる数少ない機会だから、他国は喜んで奪還しようとする」
「うん」
「でも悪党はね、そうなったら逃げる。金目の物だけ持って逃げるんだ。当然だろう?」
「でも、それじゃあ……」
「ああ、普通はあり得ない。曲がりなりにも国を襲っておいて、やる事が物取りじゃあ釣り合わないからね」
「じ、じゃあ……」
ハリアは既に答えに辿り着いたようだ。驚く事ではない。単純で、しかしそれだけに恐ろしい。
「国って言うのは、軍隊と、そして大体一人は化け物染みた力を持った"個"を飼いならしてる」
それは時に一隊に、時には一軍に匹敵するほどの力。
「周辺の国家が大勢の軍隊を送る。化け物も一緒に手段を選ばず狙ってくる。だからね、"国食み"ってのがもし本当に居るのなら──」
ふ、と三度ギドは煙を吐いた。強く、何かを消し飛ばすかのように強い一息。しかし、それは少し強張っている。
「……そんな化け物達を、国の一軍を。遊び半分で食い散らかす存在でしか、ありえない」
それが、あのギドですら不穏と凶兆を感じている事なのだと、ハリアは気づいた。
◆
「……あ、ありがとう」
今日は人が多かった。
人の波に誘われて流れ着いた所で倒れていたところを、リィラは助け上げられたのだ。
一旦人の波を抜け出したところで、リィラはギドの教えを思い出して、ぺこりとぎこちなく頭を下げた。
「お、可愛いな嬢ちゃん。一人で買い物か?」
その質問にも、今度はハリアに言われた通りの言葉を返す。
「僕、男……」
「あ? そうなのか? すげぇな、女にしか見えんが」
「……男」
「分かった分かった。そら、買い物だろ? 何買うんだ?」
言うと、男はひょいとリィラの手を取った。
驚く暇もなく、そしてまたあまりにも容易く手を取られたので、リィラはそのまま付いていく。
「──ふぅん。じゃあつまり"ハーちゃん"に見限られたくないってことだろ?」
「え……」
リィラは、頼まれた食材を紙袋に詰めて、それを胸に抱いたまま、少し考えて頷いた。
手に持った氷菓子を一齧り。
ルグルの金で買った物だ。
先ほどのお礼に隣の男の手にもそれは握られていて、さも美味しそうに子供向けの菓子を夢中で食べている。
こんな会ったばかりの男に何を話しているのかという不安はなかった。それがない事に不思議すら感じれなかった。
それは、きっと男の話術が巧妙だったからで、また、リィラが体の良い弱音の吐き出しどころを探していたせいでもあるだろう。
「簡単だ。"ハーちゃん"が、お前がいないと駄目なようにすればいいんじゃないか?」
「え……?」
「そうだな、お前が強く格好良くなるってのがいいんじゃないか?」
「そ、そうは、言うけど……」
「駄目だぜ。そう言った欲に素直になれないとな」
市場の端にある低い石垣に並んで腰かけて、話し込んでいる姿は目立った。
しかし不思議なほどにこちらに気づく人間は少なく、皆がこちらに意識もむけず皆素通りしていく。
そのお蔭か、あまりリィラの人見知りは発動していなかったが、男の言葉に困ってリィラは何となく空を見上げた。
もう茜色の空は地平線の方に追い込まれ、夜の闇が辺りを覆い始めている事に気づく。
「じ、じゃ。もう……」
「そうだ。俺少しその辺自信あるからな。明日来れば稽古つけてやる」
少し、リィラはその提案に魅力を感じていた。
強くなりたいという願望はなかった。ただ、ハリアが、ギドが自分に頼って、そして、弱く縋ってくる光景を想像したのだ。
当然自分はそれを優しく救い、助ける。そんな子供じみた英雄願望。
「あ、でも、は、ハーちゃんが知らない人にはついていくな、って……」
「皆、最初は知らない奴だろう」
言って、男は氷菓子の最後の一かけらを見せつけてから口の中に放り込むと、言った。
「一緒に食い物を食らって、名前知っとけば。もう知らない奴じゃない。チビ、名前は」
「り、リィラ。リィラ・リーカー」
言うと、男は笑った。
にぃ、とその笑みはまるで言質を取った詐欺師のように不穏で不気味。
「俺はラカン。よろしくな」
しかし、そんな種類の表情など見た事もないリィラは。
背中にわずかに走った寒気が、冷えてきた空気のせいだと考えた。




