後を濁さず
クイーンは真っ暗で何も聞こえない世界にいた。
目を瞑って、耳を塞げば、まるで自分が誰にも干渉されない存在になったかのようだが、そうではない。
殴られれば痛いし、殺されれば多分気付く前に死ぬ。
ならば、こんな無防備な状態でこうしているのは、後ろの部屋で戦っている二人を信頼しているからなのか。
──違う。ただ自分は逃げる事を許されて、そしてそれに甘えているだけだ。何より、この状況ではそれが"正解"だと言うのが、性質が悪い。
しかしふと、クイーンはある事に気付いて噛みしめていた唇から歯を離した。
(静か、に……)
揺れがない。
床に座り込んでいたせいか、壁に背を付けていたせいか、小刻みな揺れを感じていた。しかし、今それを感じないのだ。
戦いは終わった。勝敗がどうなったのかは定かではないが、どちらにしろ終わった。
耳に痛いほどの沈黙がそれを示す。
「……っ」
一瞬だけ合間を開けて、クイーンは自分の耳から手の平を引き剥がして目を開けた。予想以上に力が入っていのか、耳と腕が甘く痺れている。
どくりどくりと、戦いの終わりを実感させる心臓を、思い切り拳を作る事でごまかして、クイーンは顔を上げて。
そして、それを見つけた。
「クイーン」
「あ……」
そちらを向くのを待っていたかのように、声が聞こえた。
見れば、見知ったエースの顔が扉から首だけ出して、こちらを向いている。
しかし、クイーンの口から洩れた声は喜びの意味を含んでいはいない。"それ"を見て、クイーンの全身は怒りで総毛立った。
エースの顔の上に、一人の男が顔を出す。
「……よ、くもォ!」
「あれ? 何か期待していた反応と違うんだけど」
クイーンを呼んだのはエースの声ではない。
顔を見せているのは、エースの意思ではない。
エースの顔は力なく目を瞑り、ほとんどが血で赤く染まっている。怒りを露わにしながらも、あまりに蒼白なその表情にクイーンはその顔から目を離せない。
すると、エースの上から同じように首を出している柔和な顔が、つまらなそうに引っ込んだ。
「クイーン? ほら、僕だよー? えーっと……ビィトだよ?」
「──貴様ぁッ!!」
かくんかくんと、エースの頭は子供をあやす人形のように振り回される。その体に一切の抵抗は感じない。
それを見て、クイーンは立ち上がり怒りにまかせて更にきつく拳を握り込んだ。
届かない? 構うものか、あの男に痛みを与えない事には気が済まない。
男がこちらの様子を見ようと顔を出すと同時、クイーンは足を踏み出した。その顔に目がけて顔を振り上げた瞬間、男はつまらなそうに鼻を鳴らした。
そして同時に、クイーンはふと、違和感に気づく。
「何だ、結構早熟なのね。じゃあそんな賢いクイーンに問題ね」
軽々と、男はエースの首を持ち上げた。
首から下は、隠れて見えない。いや、その下に続いているはずの物を感じない。
"まるでボールでも持っているかのように軽々と、エースの頭が上下に動いている"。
『このくびのしたはどこまでついているでしょうか?』
男が満面の笑みで言ったその言葉の意味を理解した瞬間、大きく心臓が跳ねる。
既にクイーンを突き動かした感情は、一度にそぎ落とされた。
「ぇ──?」
息が止まり、頭の中心の部分が握られたような圧迫感がクイーンの足元をおぼつかなく揺らす。
足が消えてしまったかのような感覚に、クイーンは胃の中を物を戻さないように口元を抑えるので精いっぱいだった。
最悪の想像が脳裏にこびりついて、どうしても離れてくれない。
「クイーン」
そして、ようやく満足したように男は笑う。
やめてくれ、知りたくない。勇ましく前進していた足は、もたつきながら後退する。絡まって、その場に尻もちを付いた。
男は扉から顔だけを出したまま一歩も動いてはいないのに、追い詰められたようにすら感じる。
「嘘だよぉっ」
だから、そんな言葉を瞬時に理解する事は出来なかったし。
「嘘でしたー! 付いてるよ。ほら、息してるって」
「あ……」
「いやぁ、いいね。首だけに見えてたでしょ? オレ得意なのよ」
大きすぎる安堵に紛れて、怒りはどこかへ消えてしまっていた。
エースは気を失っているし、顔色は蒼白だし、手足は力なく宙に浮いているが、それでも。生きている。体から、力が抜けていくのがわかった。
「ほら、おいで」
男は片方の手で乱暴にエースの頭を掴んだまま、子供の様な言葉遣いの男はクイーンの髪を掴んだ。
当然蝶よ花よと扱われる事はなく、クイーンが体のあちこちを擦り剥くのを構わず、部屋の中に引き摺って行く。
「居たよ。クイーン」
「ほう。何だ逃げてなかったのか。立派じゃないか」
「……っ」
部屋に入る直前に聞こえた男の言葉に少し救われた気がして、嫌気が差す。ろくに抵抗も出来ず若い声の男に続き、クイーンは引き摺られて部屋に入った。
「あ……」
まず、倒れ伏したビィトが眼に入った。
驚いた事にまだ気を失ってさえいなかったが、背を踏みつけられそれを払う事も出来ずに、屈辱を孕んだ荒い息を床に吐き付けている。
「ビィト……!」
怒りはどこか遠くで沸いていた。
そんな自分が情けなくもあったが、もうそれは挫かれている。
ただ、理解出来なくて、悲しい。この二人は自分を助けに来ただけなのに、こんなに優しい人なのに、こんな仕打ちはあまりにも理不尽だ。
この二人がどれだけの可能性を持っているのか。どんなに強いのか。どんなに優しくて、有難いのか。
どうして。
そう口にしそうになるのを唇をきつく結んで耐える。ああ、知っているとも。どうせ理由なんてないのだろう、貴様等には。
「……もう、許して」
ぽつりと漏れた言葉は、もう擦り切れて、疲れて、弱り切っていた。
「お願いだから、殺さないで……!」
「うん、そうだね」
それを、楽しげに肯定した男は、クイーンの首を掴んで持ち上げた。
「でも、駄目」
「──っ!」
びくん、と体を揺らしてしまったのは、その言葉を聞きたくなかったからだ。
だけど。
本当はあれほど大きな怒りも、恐怖に飲み込まれて縮こまっていたけど。歯の根は合っていなかったけれど。上手に立てるかもわからなかったけれど。
怒らなければならなかった。この男達を倒す必要があった。
だから。
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
クイーンは拳を振った。しかし握り拳は届かない。腕が短いからだ。
出鱈目に蹴りを放った。しかし蹴り足は屈強な体に跳ね返される。貧弱だからだ。
怒りは、どこにも届かない。それは、自分に力がないからだ。
ぶん、ぶんと、男達の嘲笑の中、感情が空回る音がむなしく響く。
自然と視界が滲んで、怒りが悔しさに変って、そしてそれが頬を流れて落ちる。
「くそォ! くそぉ……! お前等なんか、お前等なんかぁ!」
「そう。俺等なんかに、壊れない物が壊され、汚れない物が汚される。素晴らしきかな、現実だ」
しかしだ、と。容易くビィトを抑えつけたまま、乱暴な口調の男は告げる。
「他ならぬクイーンの頼みだ。助けようかァ、どちらか一人」
「……っ」
「お前も好きだな」
その言葉にまたしても背筋が寒くなったのは、その言葉の意味をいち早く理解した訳ではなく、その表情に滲み出た残酷なものに怯んだからだ。
「さあ、選べ」
「──クイーン!!!」
響いたビィトの声にクイーンの肩がびくりと震える。その声は酷く落ち着いていて、頬を床に擦りながら、ゆっくりとビィトの視線がクイーンを見据えた。
「選ぶなよ。選ばなくていい」
「おっとこまえぇ!」
言葉と同時、男の足がビィトの背中にめり込んだ。
背中がひしゃげ、食いしばったビィトの歯の間から血が飛び散る。
「いやぁ、格好良いねビィト君。ほら、クイーンどうするの? 三十秒だ。時間切れで二人とも殺すからね」
「っ……」
三十。と幼い話し方の男が楽しげに告げた。
二十九。二十八。と躊躇なく数は減っていく。
コロコロと表情と態度を変えるクイーンは滑稽だった。
あまりの気軽さのせいでそれが二人の命に繋がっているとはとても想像できず、クイーンは、おどおどと周りを見渡す。
彷徨わせた視線の先で、クイーンは悪意に満ち満ちた表情を浮かべた五つの同じ顔を見て、それに縋り付けば何とか見逃してもらえないかとそんな事さえ考えた。
「クイーン」
眩んだ思考の中で、何を選択しようとしていたのか、クイーンはその声で我に戻る。
声は、目の前の武装の男の足元。打ち捨てられるように放られた床の上から。
「え、エー、ス……」
「……クイーン」
その目は眠たげで、今にも眠ってしまいそうなほど穏やかな空気が漂っている。
しかし、現状を見失ったりはしていないのか、何時ものように苦笑しながら、またクイーンと視線を合わせている。
「大丈夫だから、ちょっとだけ目、瞑って、耳塞いでな」
「っ……何でっ!」
忙しなく震える唇で、そうクイーンは叫ぶ。その声に少しだけエースは驚いて目を見開いて、そしてそれはもう嬉しそうに微笑んだ。
同時に、気を取り直した男の残り十秒を告げる声が無情に響く。
「おいで、クイーン」
心臓がせり上がって来るような感覚は、焦りの表れなのか。
次第に速くなっていく呼吸に構いもせずにクイーンは凄い勢いで辺りを見渡す。
何かないか、どうにか出来るはずだと部屋の至る所に目を凝らすが、結果、自分の無力に歯を軋ませるだけが、精一杯。
表情が歪み、今となってはボロボロと涙が零れ、荒い呼吸が嗚咽に変わる。
「おいで」
「エース……ぅ」
残り十秒。
ふらふらとエースの元に膝を付いて、その手を取った。嬉しそうにエースの顔が笑みを作る。
「ごめ、私の……!」
瞬間、手の中からエースの体温が消えた。
反射的に顔を上げ、男の悪意で形作ったかのような表情を見て、エースが蹴り飛ばされた事を知る。
「────ァあっ!!!」
感情が暴発した。
声にならない声が喉から発せられ、不格好な拳を男に振り上げる。
が、届く事もなく、振るう事も許されず、足をすくわれて、顔面から地面を転がった。
起き上がろうとはしたのだ。ただ、鼻の奥がツンと痛み余計に涙が出て、もうそれだけで、駄目だった。
残り3秒。もう間に合わない。
エースもビィトは、恨むだろうか。いや、恨まないのだ。
ああ知っている。お前達は私に馬鹿みたいに優しくしてくれるから。
「──、あ」
完全に思考も止まった頭でただ反射的に、最後に二人の顔を求めて顔を上げて。
そこで丁度残り2秒を男が告げる。
そしてその時間は丁度。ジャックが出て行って六分後。
「おい」
──ふらりと、新たな人影が一つ。
「神、さま……?」
思わず零したクイーンの声は、天に向けた祈りの声ではない。
◆
ハルユキが、教会を出て行った後。
ぎぃ、と静かに扉が開く音がした。
体ごと締め付けるような服装は男の物。しかしその顔は女の様で男装している女に見えると言うのが最も近い。
入って来た人間は、倒れ込むように教会の椅子に腰を下ろす。
割れたスタンドガラスからは月は見えない。
(いや……)
"月"は見える。
開けっぴろげになった風景は、臭い物にしていた蓋を暴かれたような錯覚を起させた。
その清涼な風が、肌に痛い。冴え冴えとした夜の闇が恐ろしい。しん、と人気を無くした教会が──、と。
そこまで考えた所で思考を止めた。
どう行動しても、正義を騙っている格好にしか思えず、だからどうして良いか分からず。
とりあえず、目の前に転がっていたステンドガラスの破片を拾い上げてみる。
前に進む為の足は、単純でどうしようもない理由のせいで動いてくれない。
「よぉ、リィラ。久しぶりだなァ」
びくり、と肩がひとりでに揺れた。懐かしい感覚が背中を舐める。冷たいような、熱いような、焦りと後ろめたさが混じり合ったその感覚。
「……ルグル」
しかし、いざ振り返ってみると、そこにあった顔は想像とは違っている。
鷲目の、以前はこの場所に入り浸っていた男の顔をリィラは見た。
「あの禿げ共をどうにかしてくれれば、ここに自由に出入りしていいですよ」
「善処してるじゃねぇか。あいつ等相当お前にお熱なんだよ」
きひひ、とルグルは笑う。
そう。
そういえば、背は扉を潜らなければならないほど高いのに、悪賢い子供の様な笑い方が嫌いだった。
「何の用ですか?」
「いや? 線香あげにと、あとは、」
言って、ルグルは聖堂の中を見渡した。いない事を確認しているかのようなぞんざいさがあった。
そしてやはり一応、なのだろう。ルグルはまた口を開く。
「先生はいるか?」
「先生?」
「エセ神様」
「……ああ」
短くそう返した言葉は、ルグルに向けた物ではなく、ただ忌々しげに漏れた声のように聞こえた。
すい、と粉々に割れたステンドガラスにリィラは視線を向け、ルグルはそれで全て察したとばかりに肩をすくめた。
「……あの人、強いんですね」
「ああそうだな。俺等も諸共叩きのめされる所だった」
苦笑混じりでそう言ったルグルに、キョトンとリィラは表情を固まらせた。
「あの人、強いんですか?」
「おいおい、お前が今、言ったんだろうがよ」
え、とリィラはどこか抜けた声を出し、二人は数秒の沈黙の中ですれ違いがあった事を悟った。
「まあ、お前が何を言いたかったのかは知らないが、あの男は腕が立つよ。とんでもなくな」
「そう、なんですか?」
"何が強いと思ったのか"、と聞かれないかとリィラは少しばかり不安だった。
結局ルグルはその心境を知ってか知らずかその事を口にはしなかった。心が強いと思ったなどと恥ずかしくて言えはしない。
もしかしたら、心だけが強くても仕方がないと自分は思いたかったのかもしれないので、やっぱり言わない。
「……そう、なんですか」
もう一度、同じ言葉を繰り返して、揉み込ませるようにその事実を噛みしめた。
羨ましいのだろうか、分からない。
哀しいのか。分からない。
悔しいのか。分からない。
憎いのか。分からない。
もう一度手の中のステンドガラスを覗き込む。
赤、青、黄色。
色んな色の自分がこちらを覗いている。
◆
「あん?」
視線が一つ。ビィトを片足で抑え付けていた男が気付いて、人影に視線を向けた。
「退け」
それは、風のようだった。
爽やかではなく、軽やかでもなく。ただ嵐のように強く強く強く、強い。
圧倒的な暴力と力関係により停滞していた空気を、一掃する強い風。それは目で追えないし、吹きつけられれば為すすべもなく吹き飛ばされる。
「は……?」
現に吹き飛ばされた男は、背中を硬い壁に打ち付けられて初めてそれに気付いた。
「こ、の……」
男はふざけるなと半笑いのまま半壊した壁の中にめり込んだ体を無理矢理引き剥がし、しかし支えを失った体はそのまま前のめりに倒れ込んだ。
──彼等は破戒僧であり武僧である。絶対なのは、煩悩とそしてそれを実現する為の暴力。
「──構……っ!!」
よって、一人が瞬く間に倒された瞬間に臨戦態勢に入る事が出来たのは、欠かさぬ鍛錬の賜物。
しかし、その作り上げた暴力の壁を、容易く風は通り過ぎた。
それはまるで、顔に付きまとう羽虫を払うほどの気安さで。
ずん、とまた派手に壁の向こうまで吹き飛ばされたのは、クイーンとエースを抑えていた幼い口調の男。
「ぁ……!」
「頑張ったじゃねぇか」
そして、次の一瞬にはクイーンの目の前に。
既に肩にビィトを抱えて、クイーンとエースもその腕に抱える。
そして、またクイーンの視界がもう一度ぶれた。視界が戻るまでに一秒もなかったはずだ。
しかし自分はいつの間にかエースとビィトとジャックの三人と仲良く壁際に並べられていて。
そして、同じように目を白黒させたまま、不細工な格好で部屋の中心に折り重なるように重ねられ、そこに向かって拳を構える見知った顔が、次に見た光景で。
ずん、と"街"ごと揺らすようなその音と同時。男達と共に、床の一部さえもが視界から消えた。
「──……」
何度かその男は静かになった部屋を見渡して、こちらに振り向く。まるで人間の様に歩を進めて、仲良く座り込んだクイーン達を見て笑う。
格好良いじゃないか、お前等。と、嬉しそうにそうも言った。
その言葉に、表情も返す言葉もなくポカンと口を開けるエースと、ジャックと、クイーンに対して。
ビィトだけが少しだけ得意気に言った。
「おせえよ師匠」
クイーンはそこで初めて、その男が生意気な新入りの居候だと言う事に気が付いた。
対してハルユキは、人知れず足元に転がっていた防犯ブザーの残骸を拾い上げた。
ぐしゃりとそれを握り潰し、まだ少し怯えを残したクイーンに近付いて、目線を合わせるようにしゃがみ込む。頭に手を乗せると、びくりとクイーンは震えた。
「悪かったな、色々あって、気付けなかった」
「え……?」
「もう大丈夫だ」
ぐりぐりと髪の毛をこねくり回してみるが、憎まれ口は飛んでこない。
ただ、少しだけ縮こまっていた心は解れてくれたのか、キョトンとした顔をハルユキに向けた。
「お、お前、何で……。い、いや、これ。え、え……?」
「いいから。二人を出来るだけ治療しとけ。ジャックも頼む」
驚きと言うより、今だ状況が理解できずに困惑するクイーンにハルユキは二人を顎で指してそう言った。
「あ……、エース、ビィト!」
言われて我に戻ったのか、隣に並べられたエースとビィトの顔をクイーンは覗きこんだ。
苦笑する二人にクイーンはまだ息を切らしながらも、安堵の笑顔を顔に浮かべていた。
「本当に、神様だったんだねぇ……」
「いや、違う違う」
ハルユキは鼻を鳴らしながら、並べられた三人を一度に治療するクイーンを眺めた。
何やら少しだけ膜を張ったような空間の中で、クイーンは忙しなく動いている。
恐らく、持続的に自己治癒を促す空間の中で、更にクイーンが部分的に治癒を加えるのだろう。なるほど。治療特化と言うのも伊達ではないらしい。
「ジャックも、頑張ったね」
「……ん」
エースは気を失っているジャックの頭を撫でた。
そんな合間にも見る見る間に治療は進み、三人ともが普通に会話できる程に回復していく。
実は一番重症だったビィトがようやく口を開けるようになったのを見越して、ハルユキは口を開いた。
「ビィト」
「あ?」
「何なんだ、あいつ等は」
ごとん、と重苦しい音が響いた。
それは瓦礫を押しのける音で、感じる気配は五つ。一つも欠けてはいない。こちらを警戒と悪意に満ちた目で見てくるが、脅威を感じる訳ではない。
「丈夫な奴らだ」
ハルユキがそう言うと同時に、無言で立ちあがろうとするビィトの足をハルユキは蹴り付ける。かくんとビィトはその場に尻もちを付いた。
「お前はそいつ等に、俺が本当は頼れるナイスガイだって事を伝える役だ」
「……そんな聞いた事もない奴を、紹介できるか」
定番通りに適当な冗談を言ったあと、ハルユキは振り向いた。
いつの間にか五人ともが一定の距離をとって、取り囲むようにしてこちらを警戒している。逃げるなら問答無用で捕まえる気だったが、それも察しているらしい。
ある一人は獣のように四肢で床に張り付き、また壁に張り付くようにしている男もいる。器用なものだ。
「さて」
ゆっくりとその顔を見渡す。ふと、その顔に違和感を覚えた。
全員が全員。完全ではないにしろ同じような顔をしている。体格は当然、目鼻耳の大きさまでが均されたように同じだ。気色が悪い。
「……"神様"、か」
ふと、同じ顔と背格好ながらも腕を千切られている一人が十メートルほど前に現れて、言った。
ハルユキはさっさと殴り飛ばしたい気持ちを抑えて、男達の格好をもう一度確認する。
禿げ上がった頭に袈裟。宗教体系としては教会と対立してそうだが、何かの体現者ではあるのだろう。
(……)
ハルユキが神様と呼ばれている事を知っている。
いや、その男以外は困惑しているので、知っているのは一部なのだろうが。
どちらにしろつまり、かなり短いスパンで教会周辺か、もしくは町中を監視していた事になる。そしてそうなれば、クイーンの不自然な養子縁談の話も無関係とは考えづらい。
少しの間考えをまとめていたハルユキを見て何を思ったのか、一人の武僧が口角を上げた。
「取引してもいいんだぜ?」
「……へえ」
そう切り出すと同時に、男の顔から恐怖が薄れた。つまり、取引をしよう、代わりに見逃してくれないか、と。殺すつもりはなかったが、ああなるほど。こいつらは殺されると怯えていたのか。
ハルユキは、自分の表情が冷たく無表情だった事に気が付いた。
「情けない話なんだがな」
ずん、と部屋が揺れると同時、またもや男が壁に減り込んだ。
「は……?」
助かる算段を付けた卑しい顔のまま、呆けた声を出しただけ。
それでも口からこぼれ出る血と、目の前のハルユキの顔に一瞬で状況を理解し。目を剥いた。
「こ、の……!」
崩れ落ちる寸前、目の前に接近したハルユキに手を添え、床を踏みしめ、武術の秘奥を叩きつける。
「死、ね──ぇ?」
しかし、途中からへし折れてぶら下がる己の腕を見て、男はポカンと口を空けた。
そしてハルユキは、ゆっくりと男の顔面を正面から握り込んだ。
間を置かず、その手に力が籠められ頭蓋に指がめり込んでいく。
「あ、ああああああああああああああああああああああああああああッ!!?」
耳に痛いほどの絶叫が響き渡る。
しかしそれも少しの間、口から泡をこぼしながら、ハルユキの持ち上げられた男の体から力が抜けた。
今度は意識を保つ事も出来ずに気絶した男を、表情を凍らせている男の足元に放り投げる。男は、無機質な人形のように床を転がった。
「さっきようやくいろいろ目が覚めてな、この国を出る事にした」
それは、吹っ切ったと言うよりはどこか呆れたような表情で。しかし、その顔は少しだけ傾きクイーンからは見えなくなった。
「で、後を濁さずって言うだろ」
瞬間、その灰色の髪と目が闇に溶け、どんな表情を作っていたのかは分からないが、男達の表情が一様に凍りついた。
「俺がここに来たのは、ゴミ掃除だ。ゴミは捨てる、口を開く必要はない」
一瞬、逃げる事をあきらめた男が左右からハルユキに迫った。
その動きは長年の鍛錬の賜物。床を踏み砕き、袈裟はその動きについてこれずにはためきながら、しかし、ハルユキの目はゆっくりとその動きを追っている。
二人目。
躊躇もなくハルユキの蹴り足が寸分違わず男の鳩尾に減り込み、吹き飛ぶ。
その一瞬ので更に一歩進んだもう一人の男は血反吐を残して視界から消えた男に目もくれず、渾身の拳を突き出し、──しかし、その拳は気だるげに振られたハルユキの腕に、肩の後ろまで弾き飛ばされる。
「あ……」
それだけではなく、ただ握り込んでいただけの左腕も同じように、ついでに両足も払われて、膝をつき万歳をしたような格好で、男はハルユキと目が合った。
ぎちりとハルユキの拳が鳴って、すぐに振るわれた。
「三人目」
残るは二人。
腕が片方ない男と、どこか幼い気配の男。確かに額に汗しながら、ゆっくりと歩いて近づいてくるハルユキを見て、同時に動き出した。
片方はハルユキに、そして腕が無い男の方は吹き飛んだ壁から屋敷の外へ飛び出した。
なるほど、報告に行くらしい。しかし、それはつまり、俺のことはそこまで知られてはいない。
「……っ」
迫って来た男が、ハルユキの視線から逃れられていない事を察し、足を止めた。
「時間稼ぎだけど。追うべきじゃないの?」
「その姿で気持ち悪い話し方してるんじゃねえよ」
その台詞はもしかすれば琴線に触れたのか、男の顔に少しだけ陰が混じる。しかし微動だにせずただ臨戦態勢を保ち続けるだけ。
「それに悪いが、」
勘違いをしている男に、ハルユキはぶっきらぼうに告げる。
「"俺達"が逃がさない時は、お前等は逃げられない」
ごとん、とハルユキと男の間に何かが落ちた。どろりとその何かから赤色の液体が流れ出て床に広がる。
「サヤ、そういうのは後でやれ。任せる」
「失礼いたしました」
続いてふわりと長いスカートの丈を膨らませて、"切断された腕"の横にサヤが降り立ち、身を引く子供を見て小さく頭を下げた。
一瞬遅れて、そのまた隣に両腕を失う事になった男が落ちてくる。ごろりと男は床に転がって動かない。
「……化物め」
「残念だが、ここでは神様で通ってる」
憎々しげに頬を歪めた男に、三度ハルユキは拳を握る。