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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第二部
190/281

居候、牙を剥く



「よう。いきなり楽しげだな、そちらさん」

「あんたも中々奇怪で面白いよ」


 驚くほどに男は脅威ではない。


 リィラではないが、この場にいるハルユキ以外の人間の数だけ生首を用意するのに十秒と要らない。

 ただまあ、そんな事は出来ればしたくなく。居候している身分でそこまで迷惑をかけるわけにはいかないのだ。


 男が愉快だと言っているのは、おそらくナノマシンで浮いている荷物の事だろう。

 出来れば面倒は避けたい。そんな思いで返した一言に、その男はニィと口を細長い三日月にねじ曲げて応えた。


「――はっはっ。小気味いい男だな。今日の出会いを神に感謝しとこうか」

「……それで、そんな敬虔なあんた等が休日の邪魔をするのか?」

「いや! いやいやいやいや。その通りだ全くな。おいコラァッ! テメエらの事だよ!! 解ってんのかアアっ!?」


 ドゴ、と鈍い音が響いて近くにいた男に拳がめり込んだ。

 ひっとハルユキの腕の中で小さい悲鳴。壁に叩き付けられた傭兵の一人は、ボタボタと鼻から血を垂らしながら悶絶する。


「悪いな、可愛いお嬢さん連れのあんたに嫉妬したのさこいつらは。今回の事はこれで流してくれよ。ほら、道は空けさせる」

「……ああ、それなら当然、気にしないとも」


 道が空いた。

 狭い路地の、その両壁に体を擦りつけるようにそいつ等は道を空けた。

 僅かなプライドも見せないまま、鷲目の男はじっとりとした笑みを保ったまま。


「行くぞ、シータ」

「は、はい。でも……」

「大丈夫だ、怖かったら目つむってろ」


 異様な光景ではあった。

 両脇に並んだ傭兵達は未だ無表情ながらに激情を目に込めてこちらを見据えているのだ。

 シータはハルユキの言葉にうなずくと固く両の瞼を閉じた。


「――――」

「――――」


 すれ違う一瞬。

 頭の男の鷲目とハルユキのつり上がった目が交錯する。

 笑うと、あちらも笑った。


 そして、通り過ぎる。

 何事もなく、直に男達の垣を抜け、シータにもう目を開けて良いぞと呟いた。


 瞬間。



「ああ、そう言えば」



 鷲目が細く細く細められた。

 先程の笑みとは違う。それはどちらかと言えば。


「本当に偶然なんだけれどな、俺もそちらさんに用事が一つ」


 何かを狙い見定めた、そんな、やはり猛禽類の飢えた両眼。


「いや,本当に偶然だけれど。昨日も迷惑をかけちまったんだって? いや本当に心が痛んだ。何しろ敬虔で、――おい!」


 やはり、と言った方が良いだろう。

 呼び止められたハルユキは、溜息を飲み込みゆっくりと振り向いた。


「この街はな、女、金、酒、権力、面子。色んなモンが腐って濁ってふき溜まってる。小さな火種もそれに燃え移って直ぐ大惨事だ。だから特に火消しは念入りにしないといけない」

「何の話だよ」

「俺達の、今後の話さ」


 男の声に応じて、傭兵達の後ろから何かが姿を現した。

 肌色の、ハゲ頭で、大きな痣をいくつも作り、手と首を鎖に繋がれた男。


「特に教会は役人側だ。平に争いは避けたくてね。だからこんな物で申し訳ないんだが礼を用意した。受け取ってくれ」

「礼……?」


 ハルユキは連れられてきた男を一瞥。ゆっくりと鷲目の男に視線を戻す。

 連れられた男は昨日ハルユキに因縁をつけてきた男で間違いはないだろう。


――そして、一層男の鷲目が楽しげに細まった。


「やれ」


 すらりと、横にいた男の腰からそれが引き抜かれた。

 僅かに届いている太陽光を弾いて銀色に輝く鉄の刃。

 同時に手慣れた仕草で、鎖に繋がれた男の膝の裏を蹴り付けその場に跪かせる。


 間を置かずにサーベルが振りかぶられる。

 シータが小さく悲鳴を上げた。



「――やめろ」



 ばきん、とその鉄の剣が半ばからへし折られた。

 折られたサーベルは明後日の方向に飛んでいき、壁に突き刺さる。


 折ったのは握られてもいないハルユキの手の甲。刃を真っ向からへし折ったにもかかわらず、手には傷一つ付いていない。


 離れた場所から一瞬で接近してのその芸当に傭兵達がざわめく中、鷲目の男とハルユキだけが視線を外さず緊張感を保っている。



「おいおい、一体何のつもりだ?」



 鷲目の男に既に笑みは残っていない。

 ああ、わざわざこれ見よがしに開けられていた大口わなにわざわざ入り込んだのか、と同時に悟る。


「俺は精一杯の謝意を示した。争いを収めたかったからだ。それなのにそれをそんな無碍に返すのか、付いた火種を消す事もさせないのかよ」


 ボリボリと頭を掻きながら、鷲目の男が再びハルユキの前に立ち塞がる。

 その顔は、"まるで本当に困ったように"俯いている。が、その口元は楽しげにひくひくと痙攣していた。


「それなら、しょうがねえなあ。俺は精一杯頑張ったけど、奴さんが受け入れてくれねえってんならしょうがねえ! ああ、しょうがねえ!!」


 ばん、と男は両手を打った。

 ざわついていた傭兵達はぴたりと口を閉じ、静かになった空間で鷲目の男は顔を上げた。


「――家族を守るために、敵は殺さねえと」


 しゃらん、と幾重にも重なるは刃が鞘の縁を擦る音。

 統制された動きでこの場にある刃のすべての切っ先がハルユキに向けられた。


「悲しいよなあ、この街は!」


 鷲目の男は大きく手を広げてそう言った。

 その目は虚空を見つめ、両手の指は何か決して掴めない物を強請るように不規則に動いている。


「暴力、金、豪華な服に靴、宝石。そんな物が命の価値を上回る。多すぎる人間はお互いを擦り合って火花が絶えない」

「けど、嫌いじゃない?」


 芝居じみた身振り手振りにハルユキが言葉を割り込ませると、狭い空を見上げた顔がゆっくりとハルユキに向き直った。

 その顔は今や隠す事もなく笑っている。


「……ヤクザ者か」

「自警団さ」


 言葉はない。

 しかし粗暴な傭兵集団も、この男が居れば統率を得るらしい。サーベルを構えたまま、囲った包囲網が規則正しく縮まっていく。

 正に獣と調教師だ。


 不意に、愉悦に染まった目がハルユキを捕らえた。


"良い獣だ。芸を覚えさせよう!"

"いや、こいつは珍味だ。焼いて食おう!"

"馬鹿な馬鹿な。こんな立派な牙だ。人を殺す術を身に付けさせよう!"


 三人の鷲目が、何やら論議をしている。

 鷲目は、目の前に檻がある事に安心していた。中に入っているのがどちらかも気付いていない。


 それが酷く滑稽で、面白くて、笑えた。



――むくり、とそれは上に向かってもたげる。


 それは、鞭の先か。獣の首か。


 ハルユキは見渡す。

 ハゲ頭が一つ二つ三つ。面倒だったので数えるのを途中でやめた。

 つい昨日、やり過ぎたと感じた事が、少しなりとも反省した事が、価値を失って些事に成り下がっている事が分かった。


 反省した。その理由に納得もした。しかし、今はそんな事をしたのが理解できない。もはやそんな事をした自分が片腹痛い。

 まるで自分が記憶だけ引き継いだ別の人間になったかのよう。


 そんな記憶が、この感情よりも優先されるとは信じがたい。元々、人を思いやるような性格でもない。いや、変わってすらいない。ただこの頃はそんな気にならなかっただけ。

 まあ、この頃と言っても一万年ほど昔の話になるが。

 

 そうだ。

 自分は元々、何かに気兼ねするような人間ではないじゃないか。


 歯を食いしばった。きっと漏れる笑いをこらえる為だ。


「……お前、名前は?」

「ルグル。しがない男だ」


 そうか、とハルユキは続ける。淡々と、淀みも躊躇いもない。


「じゃあルグル。お前は勘違いしてる。俺は別にお前の礼を無碍にしたかった訳じゃない」

「そうじゃない。そうじゃないさ。問題はお前が俺の礼を受け取らなかった事だ。俺なりの和解を否定した事実に意味がある。お前がそのお嬢ちゃんに血を見せたくなかったとしても、関係はない」

「……なら、どうするんだ?」

「なに、ここではどうにもならないさ。ただ少し、焼けぼっくいに火が残るだけ」


 ルグルが指示を出した訳でもあるまいに、包囲網は刻一刻と狭くなる。腕に抱えたシータも、そろそろ不安で気を失いそうだ。

 そのシータの顔と迫るサーベルの切っ先をゆっくりと見比べた後、ハルユキは大きく溜息をついた。

 ぴくりと、人知れず鷲目の眉が揺れる。


「だから、お前は勘違いしてるって言うんだ、ルグル」


 優しく優しく言ったその言葉に、しかしルグルの表情は厳しくなった。

 同じく変わった空気を感じ取ったのか、周りの傭兵連中の手にも力が入りそうになる。

 それを長い手で制したのはルグル。その目が小さく動き、ハルユキに次を促した。


「お前達は悪くないさ。悪いのは単純な暴力に走った俺の方だ。なら謝るのは俺の方で礼を用意するのも俺の方だ、お前等じゃない。そうだろ?」

「……俺は一応事のあらましを聞いてるが」

「口頭でな。俺はその場にいたし何より当事者だ。その男が罪悪感に囚われて何を言ったか知らないが、あれは俺が悪かった、間違いない」


 しばしの沈黙。その鷲目が腹の中まで探ろうと鈍く光る。


「……本気で言ってるのか?」

「当然だ。逆ならまだしも、"俺が悪い"なんて事は善意が表す物しかない。そうだよな? お前もそうだったんだよな、ルグル?」


 俺には解るよ、とそう言ってハルユキは笑った。

 だから当然、俺の礼の意志を無碍にはしないよな、とハルユキは言外にそう伝える。


「……そうだな。そういう事ならそうなんだろうな、兄弟」

「そうとも。そいつを離してやってくれよ。あまりに不条理だ」

「ああ、離してやれ。悪かったな」

「い、いや……」


 鎖を解く前に、鎖を持った男は逡巡するが、鷲目の目に急かされた挙げ句、焦ったように鎖を解いた。

 周りの人間達も、鉄のようだった連帯感に歪みが入ったのか、剣先から意識を離し、視線を彷徨わせる。


「それで、何をくれるって言うんだ? 俺は心苦しくも家族の命を差し出したんだ。その木の皿を渡されても釣り合いはとれないが」


 白々しい。

 しかし、鷲目はそんな物は隠しもしない。あくまで譲ったのはあちらなのだ。血の代わりに何かを差し出すから許してくれと。

 それだけの事。

 敵の頭が少し回ろうと、こちらの優位は変わっていないし。タダで貰える事には変わりはない。


「ああ、そうか。困ったな」

「大丈夫。目処はある。当然あんた等の命を脅かしたりはしない」


 黙ったハルユキを傍目に鷲目は言葉を続ける。

 主導権の在処を鷲目は捕らえている。舌先は回り猛禽類の目は最大限の利益を逃さない。


「俺はな、人に罪は無く力に罪があると思ってる。暴力を取り除けば人は本来まっとうな生き物なのさ。それこそ囀るだけが喜びの小鳥のような」

「へえ」

「だからよ、丁度良いだろう? 今回の事の元凶であり、諸刃の刃となるそれを――」


 鷲目は続ける。

 ハルユキが思わず唸ったのは、もう書物など残っていないこの時代に一介のヤクザが曲がり形の性善説を唱えたからだったがそんな事は関係がない。

 僅かに興奮で濡れた言葉を、鷲目は最もらしい正論に載せて吐き出した。


「こいつ等を一人で無力化したって言う黒い鉄の筒。それを俺に寄こせ」


 しん、とその言葉を最後に場は静まり返った。

 傭兵達は変わる状況について行けないのか、当事者の二人を交互に眺めるだけ。シータも不安げにハルユキの顔をちらちらと見上げるのが精一杯だ。


「あれは、銃って言うんだ」

「じゅう。なるほど、シンプルな良い響きだ」

「しかしあれだ。とりあえず俺はお前等の仕事を手伝うってのが一番だと思ったんだが。それじゃあ駄目なのか」

「いやあ、おいおい。それじゃ駄目さ。むしろこの国は仕事をしたい奴で溢れてるんだ。それじゃあ逆だ。俺が与える事になっちまう」


 そう言うと、ハルユキは"まるで本当にその言葉で初めて気がついたのかのように"。

 キョトンと表情を固まらせた。そしてゆっくりと、ハルユキは隠す事もなく愉快げに口の端をつり上げた。


「ああ、ルグル。そうじゃない。やっぱりお前は勘違いをしてる」

「ああ?」

「そうだな。ちゃんとセールスしよう。――まずお前が欲しいのは、これだったな」


 音もなく、ハルユキの十の指の間に合計八丁の拳銃が現れる。

 波が広がるようにどよめきが、そして言葉通りにハルユキを取り囲んでいた男達が一斉に身を引いた。


 それはそうだろう。

 ここにいる人間の半分はハルユキにその銃一丁で打ち倒された人間なのだ。それが瞬く間に八丁も姿を現せば、動揺は広がる。


「……驚いた。あんた奇術師か何かか?」

「いや。シータ。俺が誰だか知ってるか?」

「え、あ、神、さま……?」

「はっは、笑える」

「だな」


 一番素直に笑みを作っているのは、ハルユキだった。

 そもそもかろうじて笑っているのがハルユキを除いて鷲目一人だけ。


「さて、しかしお前は言ったよな。この国では暴力こんなものだけでなく、金も、宝石も、服や靴でさえ、命の代わりになると」


 ぼとぼと。

 ぼとぼとと。

 金貨が、宝石が、高価な服や靴が、空気中から現れて汚い地面に捨てられ汚れていく。

 強欲ゆえか、ルグルの表情が明らかに変わる。


「聞くぞ、ルグル。速やかに答えてくれ」


 惜しげもなく価値を落としていく高価な品々に目を奪われていたルグルが、その声に驚き肩を跳ねさせる。


「お前が欲しいのは、この金の塊か? 銀の骨董品か? 宝石の彫像か?」


 それぞれ言葉に合わせるように、金の塊が銀の品々がハルユキの手に溢れ、そしてやはり地面に零されていく。

 ああ、全くこれだけでお前の命のいくつ分なのだろうな、とそんな意志が視線に乗ってルグルに届き、そして初めてルグルから笑みが消えた。


 そして、少し遅れてハルユキの空間が纏めて歪む。ハルユキの口元と同様に。

──そして、現れたのは、黒光りする暴力の塊。

 十や二十では桁が違う。

 千差万別の、見渡す限りを黒一色に変えるほど膨大な数の力の形。


「それとも、本当にこの冷たい鉄の塊なのか?」


 顎から力を抜く。

 固く結ばれていた歯の根が解ければ、やはりハルユキの口元は笑っていた。





     ◆





 エルゼンの街の真ん中より少し西側。

 四六時中崖の影に隠れているそんな場所。

 そこに、街で一番大きい建物が建っていた。その建物は他と少し作りが違い、比較的しっかりとした骨組みで出来ている。

 とは言っても、壁は黴と苔で覆われているところは変わらなかった。


 一階は受付と応接、二階は娼館、三階は街の殆どを仕切る問屋で、最後の四階にある一番奥の部屋。

 その部屋の扉が勢いよく開かれた。


「ボス。あんたがリリィかあの銃を手に入れてやるって言うから俺は――!」

「おいよせ」


 やれやれと鷲目の男――ルグルは"巣"の割には豪奢な椅子に座ると、顔を顰めながら背もたれに体重を預けた。


「お前ありゃあ駄目だ。ボスじゃなくても解る。お前もあれ程解りやすく説明されて解らなきゃあ、この先生きていけないぞ」

「でも――」

「引くときゃ引け。俺もボスもお前等を極力殺さないが、例外はある」

「俺はボスの為なら死ねる」

「テメエみてえなハゲにそんな事言われても嬉しくねえよ、ハゲ」

「そうだハゲ」

「死ねハゲ」

「テメエ等も残らずハゲだろうが!!」


 ぎゃはははは、と品のない笑い声が響き、部屋中の緊張感は緩んでいった。


「しかし、神さまか」

「嘘に決まってんだろ」

「まあしかし、正直死ぬかと思ったね」


 鉄の銃口が路地の向こう側が見えないほどに重ねられたときは、知らずルグル以外は全員膝を付いていた。

 しかしまあ、最終的にはこちらも最善となる形をとれた訳だが。


「あの時、さっさと殺しちまえばよかったんですよ」

「ばあか。奴さん、俺達をいつでも殺せたんじゃねえか。ねえボス」


 未だ口を尖らせているのは、縄で繋がれ首を落とされかけた男だ。

 あの落とし所では不満はあるだろうが、説得したもう一人が言ったようにあれはそういう類の人間だった。

 男の意見はおおむね正しいが、自分達が生き残れたのはささやかな幸運があったからこそだ。


 ルグルは騒ぐ配下の人間達を眺めて、大きく目の前に溜息を吐き出した。

 確かに、その通りだ。

 こいつ等の恐怖心は間違ってはいない。しかし、その規模で言えばまるで見当違いだ。


 こいつ等のは高々、少しばかり不利な敵に追い詰められた程度の認識だ。

 そうではない。

 まるで、そうではなかったのだ。


「この不感症共がっ! その粗末な物削ぎ落とすぞ!!」

「どわ! 何だいきなり!」

「うっせえ!! おかげで死ぬとこだ!!」


 何が銃さえ奪えば一捻りだ。

 銃を使って貰った事が幸運なレベルだ。その慈悲に感謝するべきだ。


 大きく、これ見よがしにルグルは舌打ちを一つ。


「二度目だな、畜生め……」


 早くも馬鹿騒ぎしている脳天気共はそんな呟きも拾えない。頭を抱えて、そのまま窓の外に視線を投げる。

 "巣"の中では一番高い建物といえど、流石に"それ"が居る"月"までは見通せない。


「ああ、怖え怖え」


 見ているのさえ、苦痛で恐怖だった。

 まるでこちらが意識した時、同時に覗き込まれるような気がするのだ。

 怪物だ。

 深淵だ。

 関わる物じゃない。

 悪魔も、神も。そんな物は物語の中に引きこもって出てくるな。


 しかしもし。そんなものが出てきているのなら。あれが、再び目の前に現れるのならば。


「……喰い殺す」


 爪で引き裂き、嘴で抉り、粗末な死骸は荒野に捨てる。神も悪魔も浮き世の塵としてしまうまで。


「ボス?」

「あ? 何の話だ?」

「いや、なんであの兄ちゃんは俺達をいつでも殺せたのに、あんな小芝居にまで付き合ってくれたのかなって」

「……何でってお前、そりゃ簡単だろ」


 あの男がお人好しだったから。まあそうだろう。

 荒事にしたくなかったから。それもあるだろう。


 しかし、それは次点に過ぎない。それは"落とし所"を考えれば簡単に想像が付く。

 神にあるまじく、あれ程の恐怖にあるまじく。

 きっとその思惑は恐ろしくくだらなく、庶民的だ。


「神さまも、就職難なんだろうよ」


 

 



  ◆



 ハルユキは、凝った肩を解しながら狭い路地を歩いていた。

 手に持っていた荷物は全てナノマシンに任せ、最後に一つ増えた一番大きな荷物を背中に抱えて。


「シータ、起きろー……」


 安心からか、鷲目達から離れた後直ぐに目を擦り始めたシータは、今は深い眠りに落ちていた。

 それこそ、そんなハルユキの言葉ぐらいでは瞼一つ動かさないほどに。


 溜息を一つ。

 しかしどちらにしろあと一つか二つ角を曲がれば教会が見えてくるはずだ。

 一つ曲がる。浮浪者の男と目が合い、直ぐに視線は逸らされた。それを最後に教会まで人の気配はなさそうだった。


 教会。

 この窮屈な街であれほど広い土地なら、誰かに狙われそうな物。事実先ほどのヤクザもそれを奪うための火種を求めてきたのだろう。

 それを考えると、人が近づく事も恐れるあの土地は少々不自然だ。

 それ程にこの街で宗教の力は強いのか、いや、それとも――。


「あれ、神様。こんにちは」

 

 それを曲がれば教会に着くという、最後の角。それはY字路になっていて、ハルユキが通ってきた道と、教会に続く道と。

 そして、残るもう一つの道からひょっこりとその顔は出て来た。


「リィラ、早かったな」


 まだ陽は傾き始めたばかり。

 森に行ったのならば、本当に行って直ぐに帰ってきたのだろうという時間帯だ。


 そして、怪我もなければ泥を被った形跡もない。ただ足と腕の服の袖に僅かに血がこびりついているだけ。


「毎日龍が出るわけでもありませんから」


 知らず、狭い路地に並んで教会へ向かっていた。

 そんな道すがら。

 リィラが言うには、倒した龍の死体をバラバラにして森に撒いておけば、当分は龍避けになるのだとか。


「お前、そんな事してんの……?」


 どん引きしました。と表情で表すと、慣れですよと返ってきた。

 肩を竦めて、ついでに下にずれ始めていたシータを抱え直す。


「神様は何してたんですか」

「買い物だよ」

「浮いてますね」

「浮いてるな」


 正直、その浮いている荷物を抱え上げていた時の三倍変な視線を集めたが、もう知った事ではない。

 両手が空いていたリィラはすっと前に出ると、教会の敷地を仕切った鉄柵を開けた。


「しかし、それでシータがよくそこまで疲れましたね。いつもやってる事なのに」

「まあ、色々な」

「あまり離れないで下さいよ。留守を頼んでるんですから」

「大丈夫だ。副業もしっかり決めてきた」

「……馬鹿ですか、貴方は」


 開いた鉄柵の向こうに入った瞬間、ごすんと剣の柄が額にめり込んだ。


「痛えなこの野郎!」

「留守を頼んだでしょう、僕は。それで充分なんですよ。それだけで貴方の衣食住分の利益はあるんです。副業? 寝言ですか?」

「……おい、そこの。居候」

「ん?」

「ビィト? どうかしましたか?」


 いつの間にそこに立っていたのか、教会の扉の前に"ビィト"が背中をつけて立っていた。

 エースと並んで最年長の一人だ。拙いながらもその表情にも口調にも落ち着きは見られたが、少しだけ雰囲気が違う気がした。

 それを、長く一緒にいるリィラが感じられないはずもない。


 しかしリィラはハルユキの回りに浮いていた荷物に手をかけると、ハルユキの方に顔を向けた。


「荷物はここで良いです。シータも僕の部屋に運ぶつもりだったので、ここで」

「……何でお前の部屋に運ぶの?」

「いえ、寝顔が可愛くて。ちょっと」

「ん? え? 寝顔が可愛いから? お、おい、え?」

「行くぞ」


 意味深な言葉と共にシータを抱えて去っていくリィラを問い詰めようとするが、ぐい、とビィトに腕を引っ張られる。


「来い。話がある」

「ま、待て。あいつイカレてるぞ! おい!」

「ほっとけ。どうせ引っぱたかれて終わる」

「えー……」


 教会の中に消えていくリィラの背中に恐怖を感じながら、再びハルユキは教会の敷地から外に出た。


「どこ行くんだ。腹減ったぞ俺は」

「ここでいい」

「ああ? 何なんだよ」


 止まったのは、何でもない路地の一角。

 曲がり角のせいか、少しだけ広い空間に他の人間はいない。背中を向けたまま肩越しにこちらを見据えるビィトの視線。

 その、視線に。

 明確な害意が含まれている事に気が付いた。


 瞬間。


「――吹き飛べ」


 足下の地面が赤熱して膨れ上がり、爆音と共にハルユキの視界が真っ白に染まった。


「……あ?」


 爆発だった。

 ビィトの首の後ろで光るのは"爆"の文字。その魔法は意図的だった。しかし、攻撃した当の本人の思惑とは少し違ったのか。

 もうもうと立ち上る爆煙を見上げて、額に汗を浮かべていた。


「何で避けねえんだ――……!」

「避けたに決まってるだろ」

「……っ!」


 いつの間にか、中腰で、後ろから、同じ目線で、爆煙を眺めていたハルユキにビィトはようやく気が付いた。


「危ねえなあ、魔法ってのは。ガキが使えるってのが特に」

「……お前、強いのか」


 ハルユキは首をかしげる。


「そんなに雰囲気ねえか、俺」

「そうかよ――!!」


 ビィトの身長は大きい。

 ハルユキより頭一つ小さいほどの、十五才にしては大分大きい体である。

 そんな体が、独楽のように軽やかに回転し速さと勢いを得た。


「へえ……!」


 最初に一回転で、ハルユキの顔に鋭い踵が迫る。

 しかし、それは囮。避けて多少体勢が崩れたところで足下に回転鋸のように鋭利な足払い。


 予定調和のように、ハルユキは足を浮かせてそれを避ける。


 しかし、やはり魔法という手段がどうしてもハルユキの想像を上回る。


「ほお」


 どん、と再び魔力が爆ぜる音。

 それはとんでもない動きだったが、何はともあれ推進力を得たビィトの体は大きく弧を描き、未だ空中にいるハルユキの脳天に頭上からノーモーションで踵を叩き下ろす。


「な……っ!」


 しかし、死角から襲うはずのその一撃をハルユキはかわした。

 鼻の頭に掠るまであと一ミリ未満。ならば紙一重か――否、その顔は楽しげに歪んでいる。ならば、その一ミリは地平線より更に遠い。


 お互いに未だ地面に足は付いていない。

 ビィトは驚いて開いた口を締め直し、振り下ろした踵をそのまま地面に付こうとして、そして。

 自分の踵と地面の間に、ハルユキの足が挟まれる瞬間を目撃した。


「そら」

「──ッ!?」


 ぐるん、と視界が回る。

 "どうなった"

 "簡単だ、踵を押し上げられて回転しながら空中に押し戻された"

 "呼吸が出来ない"


 そんな思考がビィトの頭を巡りに巡る。


「は……?」


 回転が死に、回りの景色が元に戻る。

 と、同時にビィトの思考が真っ白に染まった。


 "ここはどこだ?"


 地面がないのは当たり前。しかし壁がない。家もない。あるのはただ、頬を押す強い風と遠くに見える崖の岩肌。あとは薄ら寒い浮遊感だけ。

 びょうびょうと強い風が耳を打つ。

 初めて見るその雄大な景色に、空気を読まずビィトの心はこっそりと感動する。


「あ……」


 雪崩れ込むようにビィトの頭の中に自分の現状の情報が入ってくる。

 "酷く体勢が悪い"

 "移動した"

 "今は上空”

 "つまり"


(あれだけで……!)


 "二十メートル近く上空に押し上げられた"


「よう」


 そして場所も景色も形勢も何もかもが変わった中で。

 何故、一番変わっていて欲しい敵の姿だけが依然として目の前に続いているのか。


「――――」


 思考は打ち切られ、ただ拳に魔力が集中する。

 空中で動けないのはあちらも同じ。ならば捨て身で、拳を握りありったけの魔力を込める。

 そして、その才能が暴威となってハルユキの胸の中心に叩き付けられた。

 同時、爆音がさらなる破壊を撒き散らす。


 その威力はもし地上で放っていたら家が倒壊するほど。

 そしてまた、空中で的確に攻撃を加えられたのもビィトの類い希な才能故だった。

 しかし、その才能は未熟で、加えて相手は規格外が過ぎていた。


「終わりだな?」

「……っざけんな」


 やっと当たった一撃が服を焦がす以外に意味がないのなら、もう打つ手はない。そんな諦観がビィトの頭を埋め尽くした時。

 ごつん、と拳骨がビィトの頭にめり込んだ。




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