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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第二部
189/281

居候、買い物に行く


「居候?」

「はい。少し手伝って頂きたい事がありまして。その間はこの部屋を貸します」


 子供を部屋から出した後、リィラはハルユキにそう切り出した。

 ハルユキが困惑に眉をひそめていると、リィラはそれを予想していたのか言葉を続ける。

 因みに、正直死ぬほど腹が減っていたので、出された食事はすべて平らげてしまった。食器は、何故か競い合うようにガキ共がどこぞに持ち去っていった。


「大した事はありません。僕が留守の間ここを頼みたいだけです。泊まる所、無いんでしょう?」

「……まあな」

「それとも、」


 リィラは背後を振り返る。

 その視線の先には、またわざとらしく扉に隠れてこちらを覗く視線があった。


「子供は嫌いですか?」

「……嫌いではないが、好きでもない」


 ここに住む事に不安などはない。しかし、ハルユキには疑問が一つ。

 昨日出会ったばかりの人間に、こんな事を任せるものだろうか。いや、ありえない。


「何企んでんだ?」

「……? ああ、別に何も企んではいませんよ。ここがそういう所なだけです」

「ここ? 何かあるのか?」

「来て下さい」


 リィラはそう言って寄りかかっていた壁から背中を離すと、扉に近付いた。ハルユキもベッドから出てそれに続く。

 同時に、扉の向こうの気配が一斉に散らばって行ったのは言わずもがな。


 何の変哲もない木の廊下。

 そこを通り過ぎると階段があり、階段を下りると広い空間に出た。


「……なるほど」


 その部屋を見て、ハルユキはリィラの行動に納得した。


 古びた木の作り。

 吹きぬけになった高い天井からは所々隙間が空き、そこから陽光が差し込んでいる。


 とても年季が入っているようだが、掃除は行き届いているようで黴や埃は見当たらない。

 一番の光源は大きなステンドガラスから入り込んでくる様々な色の光だ。


 その光はその目の前に飾られた、台座と台座に乗った女性の彫像を照らしていた。

 女性像の向かいには、平椅子が規則正しく備え付けられている。


「教会か」

「はい。困っている人を見捨てないって言う、あの教会です」


 冷たいようなそれでいて柔らかい雰囲気だった。

 足を踏み出すとぎしりと床が軋む。不安定な訳ではなく、むしろ足からは力強さを伝わってくる。


「よろしくお願いしてもよろしいですか」

「まあ、ずっとって訳にはいかないが。この国は寝床一つ見つけられんから、ありがたい話ではある」

「構いません。あと数週間の間だけです」


 面倒な事にならなければいいがと、何も読み取れないリィラから視線を外すと、柔和な笑顔の女性像と目が合った。

 そして直ぐに、扉に隠れた少年と、二階から睨み付けてくる青年と、抱き抱えられた少女と抱えた青年と、次々に視線が合う。


「では、自己紹介をお願いします、"神様"」


 ただ、求められるハードルは高そうだ。




  ◆



 自己紹介を終えた後、ハルユキは教会の椅子に座り込んで天井を見上げていた。

 首が痛い訳でもなく、天井の木目に何かを見た訳でもなく、ただ参ったという心情を表す為に天井を仰いでいた。


「多い……」


 エース。

 ビィト。

 シータ。

 ディルムッド。

 イースレイ。

 エフリム。

 ジーア。

 エイチル。

 アイ。

 ジャック。

 ケールク。

 エルトリア。

 エムリィ。

 エヌール。

 オーム。

 ピリカ。

 最後にクイーン。


 リィラも合わせて合計18人。


 最初はハルユキも覚えきれんと努力を放棄しようとしたが、驚く事無かれ。簡単に覚える方法が直ぐに見つかった。

 何と名前に判りやすくアルファベットが入っているのだ。

 何かとてつもなく大きな意思を感じるが、まあ気にしては駄目だと本能が告げている。


「うあー……」

 

 リィラは既にいない。

 外出するそうなので、準備に行っているのだろう。その直前に言い残した言葉を思い起こす。


『とりあえず、夜に教会にいて下されば結構です。出来れば、昼も彼らの相手をしてあげて下さい』

『用心棒って事で良いのか?』

『それでも良いですが、別に無理はしないで良いですよ。危なかったら逃げて下さい』

『了解ー』


 じゃあとりあえずもう一眠り。と先程のベッドの場所に向かおうとしたハルユキの背中をリィラが無表情で掴んだ。


『ああ、あと今日はシータが買い物に行くようなので、手伝ってあげて下さい』

『よ、よろしくお願いします』


 そう言って、少し緊張気味の少女──シータも一緒に準備に向かったのが十分前。


「お待たせしましたっ」


 肩で息をして目の前まで走ってきたシータに、ハルユキは驚きながら視線を下ろした。腰まである茶色の髪が乱れている。そんなに慌てる必要はないのだが。


「そこまで急がなくてもいいよ」

「あ、はい。えへへ、ごめんなさい」

「いや、謝らんでもいいよ」

「あはは、そうですね。じゃあすいません、も少しだけ」


 凝った肩を解しながら立ち上がると、シータがぱたぱたと扉まで歩き出した。

 それに続いて扉の前まで来ると、くるりとシータが振り向いた。こちらに視線は向いていない。


「さ、買い物行って来るわよぉ。何か欲しい物あるみんなー!」

「神様ぁ、お肉食べたいー」

「肉!? 俺も!」

「肉! オレも肉食べたい!!」

「オーム、ピリカ、それにエフリムまで。我儘言わないの。必要な物で、でしょ」


 部屋の中に響いた声は、一瞬だけ静寂を呼んだ後、騒がしい返事も呼び寄せた。

 因みに言うと言った順にシータ、ピリカ、オーム、エフリム、アイだったが、顔が見えないのでとてもどれが誰かは分からない。

 そのうち覚えるか、とハルユキは先に扉に向き直った。


「ぬ……」


 後頭部に警戒心丸出しの視線が突き刺さったのはそんな時。

 いや、何とか気配を消そうと言う気配があるので気配は消えていなくもないのだが。


 ばっとその視線の元にハルユキは振り向いた。

 扉から半分だけ出した顔がびくりと震える。


 流石に印象深い子供の一人。

 最初に奇声を上げて逃げ出した癖髪の少年。年の頃は6才ぐらいだろうか。確か名前は――そう、ジャック。

 騎士を連想する名前だが、残念ながら誇りと勇敢さにはかけ離れた子供だ。


 一瞬の沈黙。

 さりげなく。気付かれないように、じり、とスリ足で僅かに距離を詰めると、ピクリと奴さんの瞼が反応する。


「ああああああああああああああああああああああああっ!!!」

「ぎゃああああああああああああああああああああああっ!!!」


 ふと奇声を上げてダッシュしてみると、同じく奇声を上げて逃げ出した。


「逃がすかっ──速ぁっ!?」


 ぎゅん、と物凄い速さで加速した子供──ジャックは、ハルユキが扉を出た時には既に路地裏の路地の彼方。


 ここは教会。

 詳しくは知らないが、ここは小さいながらも庭まである。その周りを腰ほどの高さの鉄柵で囲んでいる訳だが、それを一瞬で乗り越えて。


「……マジか」

「何やってるんですか、貴方は」


 ごつん、と後頭部に衝撃。

 患部をさすりながら振り向けば、うんざりした顔で剣の柄をハルユキの額に擦り付けるリィラが居た。


「いや、ちょっとからかっただけだ。愛ゆえにだ。お父さんスイッチだ」

「父性を履き違えていますね間違ってますよそれ」

「父性が不正ってか。更に親父ギャグとかけている訳だなるほど、その才能に寒気がする。神様ポイント進呈しよう」

「刎ねますよ」

「ごめんなさい。もう言いません」


 リィラはこれ見よがしに溜息をつくと、鞘に入った刀を腰に差し戻した。

 そのまま、すいとハルユキを追い抜くと、リィラは首だけでこちらに振り返り言った。


「じゃあ約束通り留守を頼みますね」

「どこ行くのお前」

「お仕事です」

「昨日のやつか?」

「そうですね」


 すたすたと前庭を横切り、リィラは寂びた鉄柵の扉を開けた。ぎぃ、と苦しげな音がする。


「俺も行くか? 剣折れてるだろ?」

「"ピストル"は龍には効かないと思いますよ。それに、また食べられても助けられないので」


 その武器は留守番と、自己防衛が本懐でしょう。とリィラは言った。

 いや全くその通り。


「そう言えば、お前怪我どうした?」

「我だ」

「誰だお前は」

「クイーンだ。よろしくしてやる」

「いや結構」


 ふん、と背後から今度は偉そうに鼻を鳴らす声が聞こえた。振り向くと、予想通り踏ん反り返っている子供が一人。

 今度はイメージ通り。女王クイーンの名を持つにふさわしい傲慢さだ。

 おもむろに、ひょい、とそれを持ち上げる。


「おい、くびねっこを持つな。もちあげるな。失敬だぞ」

「……目下この五歳児が一番キャラが濃い訳だが、なに? まだ何か詰め込むの?」

「さいのうとは集まるべくして集まるということだな」


 自慢げに袖を捲ってクイーンはハルユキに二の腕を見せつけた。

 詳しい暦は判らんが、気温的にはまだ春の初めなのでぶるりと体を震わせながら、ぷにぷにとした肌を見せつける。


「どうだ」

「ああ、魔法ね」

「もっとおどろかんか」


 一万年で魔法の機構は変わっていないようで、クイーンの腕には魔法の文字が光っている。

 その文字は『癒』。


 確か、『水』か『風』か何かで治療が可能だったはずだが、まあさしずめその特化版と言ったところだろうか。

『怪我は治せるが一部の病気は治せない』。そんな魔法の欠点も補えるのかもしれない。


「我の将来はすでに決まっているというわけだ。女医小町だ」

「意外と小さく纏まったな」

「はっ、民によりそうのが才能を持つもののつねなのだ。ぐどんなきさまには分からんだろうがな!」

「世界の広さを知らんなガキめが。まあ、妙な一人称使って個性出そうとしてる奴には分からんだろうな」

「か、関係ないだろっ。わたっ……、我は我だ!」

「可哀相に。世の中の常識を少なからず知った十年後のお前は、今の自分を思い出して赤面しているだろうよ」

「な、何を馬鹿な事を……」

「やめて下さい」


 ごすん、と再びハルユキの後頭部にリィラの剣の柄がめり込むと同時。

 地面に落ちたクイーンがふぎゅ、と声を出して黙った。


「まだ居たのか」

「もう行きますよ」

「行け行け、いってらっしゃい」

「……行ってきます」


 何やら複雑な顔をしてそう返したリィラを見送る。

 ゆっくりとその小さい背中が路地の奥に消えていくのを見届けた後、腰に手を当ててゆっくりと仰け反って空を仰ぐ。

 やはりこの町の空は狭い。


 などと、感傷に浸っていると、横に誰かが立った。


「何でも出来るんだけどねリィラは。それでも一人じゃ限界だったのかな」

「あー……、そう。エース、だったよな」


 リィラを除いた中での年長者であり、反抗期を早めに抜けた顔は他の面々にはない落ち着きが宿っている。

 横に並んだその男にそんな感想を抱いていると、エースは小さく笑った。


「まあ、もうすぐ俺も役に立たなくちゃいけないんだけど。俺とビィトはもう十五だから」

「ん? どういうことだ?」

「ここは自立できる奴から抜けていくんだ、準備もしてる。そしてまた新しい子供を受け入れる。それと街の外の警邏がリィラの仕事だよ。国直々のね」

「龍殺しは?」

「それも。警邏の内」

「……成程ね」


 つまり、その間に何を殺そうが幾たび街を救おうが、それは警邏の仕事の内。だからこそのあの低賃金なのだろう。

 ふと、とたとたともたつく足音に視線を背後に向ければ、お金とメモを持ったシータが危なげながら走って来ていた。


「じゃあまあ、買い物行ってくるわ。荷物持ちだけどな」

「頼むよ神様。俺は雨漏り直さないと」

「ああ。クイーンこれもっとけ。変な奴が現れたら引っ張れ」

「なんだこれは」

「防犯ブザーだ。いいか、いざという時以外絶対引っ張るなよ。絶対だぞ」

「……ひ、引っ張ったらどうなる?」


 プラスチックな感触に、知らずの恐怖を覚えたのかクイーンがブザーを指先で摘まんだまま、恐る恐る聞いてくる。


「神の怒りによりこの町が地図から消える」

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

「うあああ!?」


 聞こえた悲鳴はクイーンのはるか後ろから。その余りの大きさにクイーンにまで恐怖が伝染する。


「……ジャック。お前はどうしてそう神出鬼没なんだ」

「ジャアアアアアアアアアアアアック!! うるせえええあああああああああああ!!!」

「ビィトの方がうるせーよ。て言うかわざわざ窓から叫ぶまでもないじゃんか」

「はああっ。ああああああっ。エースっ、エース! これ、これ何か大きくなってきてないか!」

「なってないよ、クイーン」


 パニックに陥る二人をエースが抱えて室内に運んでいく。

 入れ替わりに近づいてきたシータから籠を受け取って、ハルユキも喉の奥で笑いながら路地の奥に向かった。




  ◆




 やはり、この町の空は狭い。

 不注意にも歩きながら空を仰いで、ハルユキはそんな朴訥とした感想を抱いた。


 しかしそれも仕方がないという物だ。

 何しろ、壁は迫って来ているかのように不安定な、石か腐った木の作り。

 土地がないので無理矢理上に積み重ねた家は、造りの甘さもあいまって風が吹くだけで揺れているのだ。


 がやがやがやがや。

 ハルユキとシータはそんな街並みの中を器用に、路地で近道をしながら、歩いていた。

 それでも二秒に一回は人とすれ違うという混雑具合で、熱気と喧騒は飽和寸前。既に額にはうっすらと汗が滲んでいる。


「だからもう駄目ですからね神様。ジャックは怖がりなんだから。クイーンも」

「あーはいはい。悪かったよ」


 横で小言を言い続けるシータに遂にハルユキは折れてそう言うと、シータは満足気にうなずいた。

 この国の人間達はほとんどが同じような人種なのか、茶がかった黒の髪。以前は黒髪が珍しかったが、今ではハルユキの灰がかった黒髪も目立ってはいない。

 教会の子供達もまさか本当に血が繋がっているのではないかと言うほど同じ肌と髪の色だ。


「でも、本当に神様の分は良いんですか? お腹空きませんか?」


 シータがその人懐っこそうな顔でそんな事を言った。

 こんな街で、何故こんな子供が育てたのかと漠然と感じながら、ハルユキは言葉を返す。


「子供の食い扶持なんか貰えるか。お前らこそな、こんな得体のしれない奴簡単に住まわせんなよ」

「それは、でも。クイーンもジャックも懐いていますし。リィラが連れてきたし。それに、」


 少し考えて、シータはこちらを向き、笑った。


「皆、自分が教会に来た時の事を覚えていますから」


 その意味は言葉だけでは判然としなかったが、そのまぶしいぐらいの笑顔を見れば嫌でも分かる。

 新入りは歓迎の事、と。まあそういう事なのだろう。


「賑やかですよ、うちは。だから、あんまり怒らないで上げてくださいね」

「……善処しよう」


 三メートル先も見えない人の波を上手くかいくぐりながら、シータはそう言う。

 しかしあれを懐いているというのはどうなのか。

 クイーンは百歩譲っていいとして、ジャックなど視線が合うだけで逃げられる訳だが。


 考えている顔が丸わかりだったのか、シータが複雑な表情をしているハルユキを見てくすくすと笑っていた


 溜息一つ。

 背中からずり落ちそうだった荷物を、体を揺すって持ち直した。


 全部で18人分の食事。

 冷蔵庫もないこの世界では毎日買い出しに行かねばならず、それでも大量になる食材を持つのに五人ほどの人出が必要になるらしい。


「それにしても本当に力持ちなんですね、神様は。助かりました」

「……まあ、神様だから」


 シータのその言葉に偽りなく、他人に関心が薄いこの町でも思わず振り返ってしまうほどハルユキの体の上には荷物が積み上がっている。


「しかし、よく金がもつな。これだけ買って」

「教会には別途ににお金が入るんです。ここは一応宗教の国ですから」


 安い食材を求めて広い崖下の街を練り歩く事数時間。

 もう完全に太陽が昇ってしまったが、それでも買い物を終える時間としてはいつもよりだいぶ早いらしい。

 今は先日の中流層──"街"に近い広場に向かっている訳だが。その道の先が人の波から人の壁に変わっている事にはもう気付いている。


 季節が春の始めと言う事もあって、この時間帯でも大して気温は上がっていない。しかし、波打つ人の波が湿度を上げ陽炎を作り、小さい小さい魔天楼に迷い込んだかのような気にさせられていた。

 そして波と壁の境界に辿り着く。

 そんな、人の体が過剰に詰め込まれた空間を、げんなりとした目でハルユキは首だけ伸ばして見渡した。


「あー……、またこりゃ」


 広場で買うのはガキ共が続けざまに壊す食器やガラスの類だそうだが、これ以上入るのならば人の波を押し分けながら進む事になりそうだ。


「シータ、一回荷物置きに戻ろう。これじゃ進めん」

「重いですか?」

「いや、重くはないんだが。体積的に無理だろ」

「ならもう少しだけ我慢しましょ。私も持ちますから。この混雑なら直ぐ無くなりますよ。あ、ほら丁度……」

「……ん?」


 ハルユキの視線が上がる。そして、シータが指さす先にそれがいた。

 群衆の頭を越え、露店の布張りの屋根を越え、広場のほぼ全員が押し合い圧し合いしながら何とか一目見ようと蠢いた。


 その瞬間。



「────」



 歓声が上がる。

 切り立った崖の中腹。くり抜かれたように出来た建物のそのバルコニーに少女が立っていた。

 質素だが、どこか気品を纏った格好。長い金髪はその清貧さに際立っている。


「おお、今日も来たのか! あの巫女さんは!」

「わざわざこんな所にまでよく来るもんだ」


 そこらの店に立ち寄っていた人間はその足元まで近寄り、店を開いていたい人間も一時手を止めて視線を送る。

 そんな瞬間だった。

 ふわり、とこの町には似つかわしくない清涼な風が吹き抜ける。

 淀んだ空気も匂いも全てを一瞬忘れてしまうほど、神聖な何かがハルユキにすら感じられた。


 しかしそれも一瞬。

 その風を受けて上機嫌になった住人達の声の中、ぺこりと深々と一礼すると少女はバルコニーの奥に消えていった。

 代わりに一人の男が現れる。

 見れば、先日リィラに金を支払った男だ。うって変った静寂の中、その神父が口を開く。


「今日もこの町に獣の害が及ぶ事はない! 信仰の元に生きよ! さすれば何事の害悪も身に降りかかる事はない!」


 それだけ言うと、神父はさっさと巫女の後を追った。散り散りと、集結していた住民たちも生活の中に戻っていく。


「巫女のハリア様です。ああやって、この町の邪を祓ってくれてるんですよ」


 シータが相変わらずにこにこと笑いながら、ハルユキに事の顛末を説明した。


「嘘じゃないのか? 俺には胡散臭いぞ」

「巫女様が見つかった時は皆半信半疑だったんですけどね。実際に凄いんですよ巫女様は」

「凄い? 今の風がか?」

「いえ、ドラゴンがですね」


 全く意味が判らないと視線を送ると、シータはうふふと笑って得意気に教鞭の如く人差し指を立てた。

 人に何かを教えるのが好きなんです。と顔に書いてあるようだ。本人が自覚しているかは知らないが。


「今、ドラゴンと人間は半戦争状態にあります」

「……ああ、そうらしいな」


 そもそも人が人以外と戦う時に戦争と言うのかどうかは謎だが、それはいい。

 その辺りの事はリィラに聞いていた。戦争がないというふざけた時代は、一万年前に終わったらしい。

 以前は龍と人である程度の棲み分けが出来ていたが、それも不安定な物だったのかもしれない。


「街や、国でさえも襲われて、滅ぼされてるんです。今はもう村以下の自治体は存続すらできない状態なんですけど」

「……驚いたな。そんなに酷いのか」

「はい。外の道を三時間歩けば龍の餌になると言われてます。森や山からの収穫は減り、人口も急激に減少しているようです」

「それで、それがさっきの女とどう関係するんだ」


 もう僅かばかり胸を反らすと、シータは続ける。


「巫女様の魔法のお陰で、ここには龍が攻めてきた事が一度もないんですよ?」

「……はあ、なるほどね」

「……む」


 じとり、とハルユキの素っ気ない反応にシータが粘っこい視線を向ける。


「……しょうがないだろ。俺には魔法も龍もよく判らん」

「そうなんですか?」

「ほら、神様だから」

「凄く罰当たりな言い訳です」


 こんなダレた会話で何が楽しいのか、シータは汗で髪を張り付かせながらにこにこと笑う。

 下らない下ネタ一つで笑い転げる年頃でもあるまいに、何とも逞しいことだ。


「あ、空きましたね。だいぶ」

「ああ」


 シータの言葉につられて視線を広場に移すと、あれほど詰め込まれていた人間達が疎らになり、僅かだが中層から流れ込む涼しい風さえ感じていた。


「何買うんだ?」

「お皿です。エフリムのが黴生えていたので。あと神様のも」

「俺のか? いや、俺のは要らんぞ。ほら、手出してみ」


 不思議そうに首をかしげるシータは、それでも素直に両の手の平をハルユキに見せた。

 その上に、銀色の豪華な平皿を出してみせる。


「わあ……!」

「以上、神様でした」


 気分は奇跡などではなく手品のそれだったが、シータは正に奇跡を目の当たりにしたかのように火照った頬をさらに紅潮させ皿を見つめる。


「こ、これ! これ……!」

「言っとくが、それだと大体三ヶ月ぐらいで消えるから。あんまり期待されても困るぞ」


 そう上手くはいかんな、とぼやくが、それでもシータの興味は尽きないらしい。


「じゃあ、消えないのは作れないんですか?」

「んー……、いや。皿ぐらいなら」


 使うのが"カタログ"の機能でなく"疑似神経"の方なら、消えはしないはずだ。

 つまり、全自動で作るのではなく粘土をこねるように一から作る。


「ちょっと待ってろ」


 今回は空気中の物質から、銀を作って皿の形にするだけ。

 何だかとんでもない事を簡単にいっているが、その仕組みから専門外だ。悪しからず。


「……こんな感じかな」

「これなら消えないんですか?」


 出来上がった皿を見比べて、シータは首を傾げた。

 まあ同じように作った上に何か凝った構造があったわけでもないので、違いは分からない程の出来だった。


「まあ、銀ってのはやり過ぎだよな」


 そのまま両方の皿の装飾を潰し、滑らかな木の器に作り替えた。あの年頃だと取り合いになりかねない。

 シータは少しだけ残念そうに二つの木の皿を見つめた後、しかし『流石です』と意味の分かりづらい事を言った。


 まあ何はともあれ買い物の手伝いは修了。残る問題は目下、ハルユキ自身の収入問題のみとなった訳だ。プータローのままでは、示しが付かない。

 しかしさて。ギルドがない今、何をしようか。


「よし、次はもうないな。これ運んだ後は何するんだ?」

「うーん、私はご飯の支度をしますけど」

「──シータ」

「はい?」


 それに気付いたのは、いや。

──それが、"そう"だと確信したのは、大通りから離れ更に空が遠くなったような狭く高い裏路地の道すがら。


 離れるな、ハルユキはシータに言いながら一歩近づかせ、いつの間にか周りを包囲していた傭兵達を視線だけで確認する。


――視界の端に見覚えがあるハゲ頭がちらつき始めたのは、巫女とやらの儀式が終わってからだ。


 こんな入り組んだ街。多すぎる人数の中だ。偶然だと思いたかったが、やはり意図的に集まって来ていたらしい。

 人通りが少ない道を進むと、人間の数が減り始めて、必然的にこちらに用のある人間だけが炙り出されていく。


 こちらが気付いた事にあちらも気付いたのだろう。

 ハルユキとシータを遠目に取り囲んでいた包囲網を縮め始めた。


「……神様」

「大丈夫だ、前だけ向いて歩け」


 しかし、どうも誘導されている節があるようで進む度に教会からは離れ始め、遂には行き止まりに行き着いて、ハルユキは足を止めた。


 三方を高い家の壁に囲まれ、そして今来た道にはいまさら隠す気もないのか大勢の傭兵がこちらを見ている。


 その中に満ちている空気は、緊張感――などというものでは言葉が足りない。

 無表情ながらも傭兵達のその怒りのほどは想像に難くない。静かに陰る目の彫りや、隆々と浮き出た血管が生々しい怒りを感じさせる。


 そんな傭兵達が、今入ってきた道に一五人ほど。

 背の高い、無理に積み上がった両脇の家の上に更に五人ずつ。そして、おそらくこの塀を越えた向こうにも同じくらいの数の人。


 ふと、不安げにハルユキの服の裾を掴んでいる小さな手に気がついた。

 大丈夫だ、言ってやるかわりに頭の上に軽く手を置こう、とするが荷物が邪魔。それを空中に投げ捨てるとナノマシンがすかさず受け止めてふわりと浮いた。

 空いた腕で、シータを抱え上げる。


「悪いな。たぶん狙いは俺だ」

「神様を……?」


 剣呑な空気を隠そうともしない傭兵達は、警戒してか一定以上近づこうとはしない。


(ん……?)


 違う。

 その顔に僅かに見え隠れするのは警戒ではない。

 いや当然警戒もあるのだが、それよりは悔しさが先に浮かんでいる。


 悔しさ? 報復に来た人間だ。不思議ではないが、何か違和感を感じる。

 それはさながら手に負えない獣を遠目に監視しながら、調教師の到着を待っているサーカスの下っ端のよう。


「おお、退けお前ら」


 そんな事を考えた折、その"調教師"が悠々と姿を現した。

 その顔に道化の化粧も手に鞭も持っていなかったが、その男こそが"調教師"で、傭兵の連中が待っていたのもこの男で間違いないだろう。


 でかい。

 ぬらりとその痩躯は高く伸び、また細長いその手に傭兵達はハゲ頭を掴んで退かされ、簡単に道を空ける。

 良い体格のはずのハゲ頭が、その男の胸ほどの高さしかない。

 どん、と乱暴にハゲ頭が退かされて、ハルユキに一番近かった男が壁に押し付けられた。


 そして、その猛禽類のような双眸がハルユキに焦点を合わせた。



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