神様です
────かちゃん、とさじを皿に置く音が水を打ったように静かな店内に響いた。
見ればリィラの皿は綺麗に空になっていて、匙にさえ一滴のスープも残ってはいない。
目の前の皿には興味がなくなったのだろう。阿鼻叫喚の5秒間を終えた店内をリィラは淡々と眺めて言った。
「荒れていますね」
「……俺の生まれた国では3回我慢したら4回目からは神でも怒って良いんだ」
だから俺は悪くない、とは店内の惨状を見てからは流石に続けられなかったが。
「僕も、貴方が悪いとは言えませんがこれでは多分恨みを買いますよ」
この町に定住する気はない。
と、反論するのは簡単だったが、だからと言って後を濁す理由にはならない。それこそ、向こう見ずではねっかえりの子供がやる事だ。
大人げない、と言われれば。
──いや、頭が冷えてみればそれだけで、ベターですらない行動をした事は分かった。
「……そうだな」
ゴム弾を体中に撃ちこまれて完全にのびている傭兵達を見る。
机をひっくり返し、樽に頭を突っ込み、壁に叩きつけられている様は大勢同士が盛大に喧嘩をしていたかのようだ。しかし、言ってしまえば所詮その程度。
中途半端なのだ。
徹底的にやるか、そもそもやらないか。そうしなければ遺恨が残る。
そして、今からそうしようという気も起きない。八つ当たりの感情が落ち着いた、いや白けた。まったく無責任な話。
こいつ等とリィラは顔見知り。もし毎日でも顔を突き合わせなければならない関係なら全く迷惑な話でもある。
「……まあ、ここまで事が及んだのは僕がいたからだと言う事実もあるんですが」
「……考えてみればそうじゃねえか。何だてめえ畜生め」
「貴方も大概理不尽ですね」
そう言って辺りを見渡すと、リィラは懐から先程神父から受け取った小袋を取り出した。
掌に入るほどのその大きさ。
袋をひっくり返すと、その中身がリィラの掌に零れ落ちた。
「……は?」
銀貨が一枚、二枚。そして銅貨が六枚。
それだけ。それだけを吐き出すと、放られた布袋は机に着地しへたりと力なく萎みきった。
そして、手に残ったそれの中から銅貨を全て机に置くと、立ち上がった。
「では、遅ればせながら色々と助かりました」
「……良かったのか。馬鹿にならないだろう、こんな料理でも」
この言い方も何やら失礼だなとは思ったが、それを口にする前にリィラは自然に笑みを作った。
「構いませんよ。僕も久しぶりに食べたかったので」
「……そうか」
「それより神様はどうするんですか? これから。良ければ案内しますが」
「いやいい。こいつらが起きたらそれなりに話つけて、それからの事は終わってから考える」
「そうですか。それでは良い一日を」
最後にニコリと笑顔を向けてリィラは外への扉を押し開いた。ガランガランと寂びた鐘が鳴って、再び店内に静寂が戻る。
逃げ出した店の人間はいつ戻って来るのか。
ちびちびと薄くて温いお茶を啜りながら待っている事にした。
(それにしても……)
思い出すのはリィラが取り出した金の事だ。
銀貨が二枚に銅貨が六枚。あれは少なすぎるのではないだろうか。
この町の物価のせいかとも思ったが、この程度の料理に二人分で銅貨六枚。この前まで生きていた時代の相場とそう変わりはない。
貨幣価値も分からないので一概には言えないが、ほぼ間違いなくあれはそう高い金額ではない。
以前のギルドでの仕事なら、龍を5体も殺していれば金貨を両手で持ち切れない程もらっても不思議ではないはずだ。
――と。
ガランガラン。
そんな事を考えていると、背後で来客を知らせる鐘が鳴った。
「あらあらまあまあ」
現れたのは、妙齢の女性。
頭に三角巾。肌色のエプロンを付け柔和な表情を浮かべているが、少し困ったように眉根も寄っている。
「……また逢いましたね」
そして、その手に引かれて店に入って来たリィラを見つけた。
「悪い。直ぐ片づける」
「いいんですよ。またこの人達が暴れたんでしょう? この人達に片づけさせますので」
やってきた女性はやれやれと困ったようにその糸のように細い目で室内を見渡して溜息をついた。
「ヤライさんが居てくれれば、この人達もそれなりに大人しいんですけどね」
「私だっていつも店に引き籠ってる訳にはいかないもの。それよりリィラ、この方は?」
リィラの声に受け答えながら、その視線がこちらに向く。
そしてその細目が帰来の物でなく、笑い皺と似たようなものだと分かった。
この町で笑い続けるのは中々に骨だろうにと、その柔和な笑顔にハルユキは過酷な日常を感じた。
そんな事を考えている間に、顎に手を当ててどう紹介すべきか悩んでいたリィラが面倒そうに鼻を鳴らした。
「……神様かな」
「説明を省きたがるな」
「あらあら、それはそれは。本当、よく見れば神々しいわ」
「そうでしょう? 言えばきっと石鹸と塩を出してくれますよ。じゃあ僕はこれで」
「待ちなさい。片づけるのは貴方もです」
「どうして僕が」
「だってあなたがこうなるように仕向けたんでしょう? 滅多にここには来ないのに今日だけ用もないのに来たのが証拠だわ」
ピシリ、と場の空気が凍った。
いや、凍ったのは少年剣士とやさぐれ男の表情だけで、あいかわらずこの店の主であろう女性は柔和な顔を崩してはいなかったが。
空気を作るのが人間である以上、その場の過半数が固まれば、空気も固まるのだ。
「……さて、罪状を読み上げるか、小僧。しかし神は寛大だ。弁明の余地をくれてやる」
「ありがとうございます。しかし安心してください。既に悪は他ならぬ貴方の手によって滅びました。残っているのは無垢な羊だけ」
「そうか。しかし最近の神は資本主義でな。等価交換と利益関係が好みでただ働きはしない。そして都合がいい事に、ヒツジは毛から骨まで使い道に満ちてる」
「あんな事言ってますよ、羊さん。貴女の体を骨まで味わいたいと」
「あらあらいやだわ。年甲斐もなくドキドキしてしまうわ」
押してみても引いてみても手応えがないやりとりに、苛々が募る。
そしてこの女男にまったく悪い事をしたという実感がない事も何となく伝わって来て、ハルユキは溜息に乗せてその苛立ちを宙にとかした。
「なんですか、小さい事をいつまでも」
「小さい言うな。物言わぬ彼らが可哀そうだ」
壁に引っ掛かったり、机の上に転がったりして文句も言えない彼らの言葉を代弁する。
「ただちょっと、煩わしい奴等が他に目移りしてくれないかなと思っただけですよ」
「それは弁解か? 懺悔か?」
「冗談です」
「嘘つけ!!」
さてどうしてやろうかとも思ったが、既にそこまでの気力は存在しなかったらしく、叫んだ事を最後に、ガス欠を示すように溜息が出た
「……まあいい。じゃあ、俺はもう行っていいんだな」
「はい。あとは私とリィラでやっておきます。あと、これを」
実はあの料理にはこれも付くんですよ、と小さなパンを手に平に乗せられた。
柄にもなく、どうもと腰を低く返したハルユキは、まだ温かいパンを口に運びながら店を出た。
◆
かちゃかちゃと皿同士がぶつかる音だけが、しばらく店の中で響いていた。
「それで」
その中途半端な沈黙は、やはり中途半端な言葉で破られた。
ヤライと呼ばれる女は先程の柔和な表情を潜め、極めて冷えた声色で続ける。
「どうしてあんな人を連れて来たの? まさか本当に彼らの相手をさせる為ではないでしょう?」
「偶々ですよ。貴女も言っていたでしょう? 最近この人達の"勧誘"が鬱陶しかったので。それに──」
気絶した傭兵達を乱雑に床に放りだし、机を起き上らせながらリィラは一旦言葉を切った。
「それに?」
自分の役割を終えたのか、もう言葉を交わさず帰ろうとしたリィラの心の内を悟ったのか、ヤライはすかさず先を促す。
それにリィラは溜息一つ。
「あなた達に悪魔は手を貸せないから、神様でも紹介しようかと思ったんじゃないですか」
「あなたね……」
「聖戦なんでしょう? いいじゃないですか」
そう言って、リィラは馬鹿な事に固執する子供を見たかのように、せせら笑った。
「そう言う事、街中で言ってると殺されるわよ」
「無理ですよ。悪魔を殺すのは、神でないと」
"まあ、神を殺すのは人間ですけど"、とヤライの耳には届かないように小さく呟く。
「神を殺すのは、不信心でしょう」
「おや」
聞こえてましたか、とまたリィラはけらけらと笑う。
それをみて、少しだけ青ざめたような顔でヤライは顔を顰めると逃げるようにリィラから顔をそらした。
「事実、この町の人間は巫女様のお陰で龍達から守られています。あなたがやっているのは無用の殺生」
「そうですね。そう言ってるじゃないですか。僕がやらなくても誰も死なないんです」
「なら、どうして……」
けらけらけらけら。
うふふふふふふふ。
「……神様の条件を知っていますかヤライさん」
最後に傭兵の一人を床に転がして、リィラは笑った顔のまま扉の鐘を鳴らした。
体は半分店に、もう半分はその外側に。
顔だけがヤライを向いていた。
「……人々を導く──」
「はずれ」
くすくすと、言葉を話しながらだからか控えめにリィラは笑っている。
しかしその目は真剣で、しかしどこを見ている訳でもない。
そんな真意を欠片も覗かせはしないその顔で、リィラは口を開いた。
「石をパンに変えられる事ですよ」
ぱたん、と扉が閉まり、ガラガラと扉の鐘が鳴った。
◆
「……いかんな、これは」
喧騒の中を歩きながら、ハルユキは顔を顰めながらひとり呟いた。
陽は先程容易く重力に敗れ地の下に沈み、風と水が届かないこの町を闇で満たし始めた。
比較的人が多い道はまだ喧騒が残っている、いやむしろ増えてさえいるのだが、反して裏路地の不穏さときたら筆舌にしがたい。
その一つ一つの先に面倒事が口をあけているのは間違いないだろう。
「腹減った……」
食事をとったのはつい五時間ほど前。
しかし、燃費が悪いハルユキの体は最後に渡されたパンなど既に消化を終えている。加えて、今日泊まる宿にもまだ当てがなかった。
他にもいくつかの問題があったが、それらはすべて同じ原因に根差している。金だ。
あるにははあるのだ。飯処も。多少質が悪く、その割に割高でも。
しかし、ハルユキには現在仕事がなく、そしてつまり金がない。そんな物でさえ、金がない人間には上等すぎると世は言う。
ぽん、と適当にナノマシンでパンを作ってみる。
しかし口に運ぶのは躊躇われて、そのまま手の中で握りつぶした。
所詮直ぐに空気に戻るものだ。長持ちさせれば腹もちにはなるが、元に戻った時に炭水化物がある場所にいきなり空気が現れれば妙な事になりかねない。
「役に立たねえな……」
溜息をさらに重くしながら、ハルユキは立ち止まってちらりと路地裏に続く暗闇を見た。
こんな経験をしたのも初めてではない。よって、解決策もいくつか持っていた。
あの吸血鬼も言っていたが、困っている人間を無理矢理助けて恩を押し売ってしまえ作戦だ。
勘違いしないで欲しいのは、これがチンピラのたかりではないと言う事だ。
相互扶助。そう、相互扶助だ。
要求するのは一宿一飯。一宿一飯の恩は忘れるなと言う。それならばその逆もまた然りだ。
相互扶助。皆幸せ。いい言葉。
──そんな事を考えて、路地裏に足を踏み入れたのが二時間前。
今、ハルユキは幽鬼の様な貌でふらふらと表通りとも裏路地とも言えない妙な場所を歩いていた。
結果として、そんな都合の良い展開になかなか巡り合う事はない。
治安が悪そうな、いや実際に相当なものなのだろうが、あまりに悪過ぎて夜に路地裏を出歩く者がいないのだろう。
事実、ハルユキも何度か剣呑な視線を背中に受けている。
襲ってきたら叩きのめして授業料を貰おうと思っていたが、見慣れない顔にいきなり襲いかかる事もないらしい。純度の高い悪党どもだ。
結果。
更に人がいなさそうな方向にふらふらとハルユキは歩いていたのだ。
ふらりとバランスを崩して、ハルユキはその場に倒れ込んだ。
「あー……、もう」
抵抗するのも面倒で、そのまま地面にねっ転がる。
どうも九十九が食事を怠っていたらしく、久しぶりの活動における精神的な疲労も相まって、もう体を動かしたくもなかった。
「────……」
暗いせいか、見上げる夜空に星は多い。
しかし人間と貧しさで一杯一杯なこの町の空は酷く狭い。
ええい、眠ってしまえ。
ほとんど自棄になってそう思って目を瞑る直前、ふと思う。
このまま目を瞑れば、そのまままた一万年近く眠りこけてしまうのではないかと。
「ふん」
しかし生憎そんなに感傷的ではないのだと、半ば意地になって目を瞑る。
まだ周りでハルユキを狙う視線はあったが、近付かれても気付けない程耄碌もしていない。
そう決めると、ハルユキは急勾配を転がるように意識の底に落ちて行った。
◆
「リィラ。また死人だ」
青年は地面にうつ伏せに倒れたままピクリとも動かない人間を見つけて、背後を歩いてくる人物にそれを伝えた。
その人物が歩くのが遅いのは、手と背中に一つずつ荷物を持っているからだ。
その背中の荷物は完全にその人物の背に体を預け小さく寝息を立て、手に持った荷物の方は眠そうに眼を擦りながらウトウトと歩いている。
「そうですね。ではエース。手伝ってください。ビィトはクイーンとジャックを。ほらジャック。起きて下さい」
そして、その人物──リィラは繋いでいた手を、更に後ろで退屈そうに歩くもう一人の青年に差しだした。
「まあ俺は構わんが。ところで死体は寝返り打たないと思うが、そこんとこどうよ。……クイーン、歩けないなら担ぐぞ」
「……ひつようないわ、バカめが」
手を引かれるままに、たどたどしく歩く荷物二つを受け取って青年がそう言うと、リィラは意外そうな顔で振り向いた。
「おや、生きていますか珍し──あれ」
「どうかした? リィラ」
ごろん、と無防備に寝返りを打って、仰向けになったその顔を覗き込んで、リィラが表情を変えた。
困ったような、呆れたような、そして一番は訳が判らないとばかりに。
「……嫌な人だ」
何故この国自慢の物取り共が命まで取っていかないのかとか、そもそもこんな場所で寝ているのかとか。
リィラの中には様々な疑問が浮かんだが、同じ速さでどうでもいいかと打ち消されていった。残ったのは──。
「エース。拾って帰りましょう」
その残った何かを自覚する前に、リィラは隣の青年に声をかける。
「はあ……? もう家には住めないだろう?」
「別に誰彼構わず保護する気はありませんが、知り合いなので」
「知り合い? こいつが?」
「ええ、まあ」
少年二人は顔を見合わせて溜息一つ。
両側から倒れ伏していた男を抱え上げた。
◆
そして目を覚ますと、ハルユキはベッドに寝ていた。
「……」
絶対に目を覚ますと思っていたが、どうやらしっかりと耄碌していたらしい。
自分に呆れていると、ふとハルユキはそれに気付いた。
「ん……?」
古びた木造りの部屋。
そこからどこに続くかもわからない扉に隠れるように、一対の小さな視線がハルユキの方を向いていた。
扉から顔だけを出し、まるで凝り固まった表情でその子供はこちらを覗いている。
「なあ、おい」
そう声をかけると、声をかけて十秒ほど経ってからゆっくりと少年の目が見開かれていく。
「ぎ、」
「ぎ?」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! 死ぬうううううううううううううううううううううううう!!!」
どたばたと扉の向こうの空間へ騒がしい音が遠ざかって行き、そしてその奥でその悲鳴が連鎖して大事になっていくのが判った。
「……死なねえよ」
その壁一枚隔てた大騒ぎにハルユキが固まっていると、ギぃと静かに扉が開いた。
扉の向こうの喧騒が大きくなり、パタンと扉が閉まると一気にそれが遠くなる。
「起きましたか」
喧騒と入れ替えに入ってきたのは、知った顔。癖のある茶髪に、男か女かもわからない風貌。
つい昨日知りあった、確かリィラとかいう名前の。
「あんな所で寝ない方が良いですよ。死にますから」
「あ、ああ。色々あってな」
「暴漢に襲われでもしましたか」
「まあ、そんなとこだ」
そこまで言うと、リィラが背後を振り返った。
耳を澄ますまでもなく扉の向こうの喧騒が近付いて来ているのにハルユキも気が付く。
「むう、起きたかいそうろう。よしエース、もってこい」
「どうしてクイーンはいつもそう偉そうなんだか」
現れたのは先程の子供よりまた一回り小さい女の子。
小さな腕を一杯に使って腕組みをしている様は、中々堂に入っていた。
「ああ水忘れた。ビィト、水を持ってきて」
「ああ? 何で俺が。クイーンそこで踏ん反り返ってんなら手前が持ってこい」
「ふん、おろかなげぼくめ。我のほそうでじゃそんな物はもてん」
「……相変わらず偉そうだな手前、なんちゃって5歳児がよ」
「駄目だよビィト。クイーンに手を上げたら」
がやがやと、次々に。
狭い部屋の中に増えていく顔を見て、ハルユキは呆気にとられる。
その数。またしても扉の影に隠れているヤツを数えて17人。
「ねえっ」
ベッドから身を起こしたハルユキの足にダイブしてきた女の子が、パッとこちらに明るい顔を向ける。
「神様ってホントなの?」
「は……?」
数秒考えてその原因に思い至ったハルユキはじとりとリィラに視線を向けた。
その視線を受け取って、悪びれる風もなくリィラは首をかしげていた。