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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
183/281

これまでのあらすじ+α

突貫になってしまったので、かなり雑かもしれないです。少しずつ直します。

こんなん読んでられねぇという方は、最後の+αだけお読みください。


今日の8時ごろから新編開始します。

「あー、退屈だ」


今日も男は天井に向かってそんな言葉を吐き出していた。

四方を灰色のコンクリートに囲まれた小さな部屋。ただ無作為に体を動かし、同じ思考を繰り返す日々。

鬱屈と苛立ちと狂気だけが募る、小さな世界。


「いやあああああああああああ!!!」


そんな小さな、しかし頑なに堅固なはずだった世界を、その悲鳴が壊した事から物語は始まる。


「……ユキネ。私の名前だ」

「ハルユキ。志貴野春雪だ」


一人の青年と一人の少女。

一緒に過ごしたのは10日と少し。

名前を交わし、互いの孤独もあってか不思議なほどにすぐに打ち解け、しかし物語が動き出すのはまたそこから4年が経った後。


少女は、王女だった。正しい意味で王女"だった"。

四年の月日は、王女を国家に逆賊した王家の嫡子という立場に貶め、あの時の二週間の逢瀬を思い出に変えていた。


王家が税を着服し、様々な違法な行いに浸っている。


歯痒くは、それが着せる側が用意した汚名だった事。

親しい人間が処分されていく中、力もない少女に出来る事は膝を抱えるか虚しさを原動に剣を振るか、唯一の同居人である少女と言葉を交わすことだけ。


一方青年は狂い始めていた。

少女の来訪のせいで留めていた思いが噴き出したのか。暴れ喚く激情を抑えつけながら拳を振ってそれを吐き出す。

四年。

体を動かすことと、地面に倒れ伏すことと、息を吸う事と、気を失う一瞬に天井を眺める事。

思考する事すらせずに過ごしたその時間の最後に、青年はその言葉を聞く。



『お前をあの部屋から出してやろうかと思ってな』



  


 ◆




ハルユキはおおよそ一億年ぶりに外に出た。


「……ああ、」


一億年ぶりに外気を吸った。


「ああああああああ……」


一億年ぶりに緑を見た。


「あああああああああああああああああああ、」


一億年ぶりに夜空を仰いだ。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


一億年ぶりに生を実感した。

歓喜の雄叫びは森を揺らし、世界中に轟くかのよう。


しかし喜びも束の間。ハルユキは年月と共に変わった世界を目にする。

知っている形の大陸はなくなり、文明は衰退し、魔法が世界を支え、魔物が跋扈する。


「フェン、私の名前。そう呼んで」


四年ぶりの人との出会いは、ドラゴンの襲来によって邪魔される。

相手は古の龍。この世界の頂点に立つ血族。


剣の腕に覚えがあったが、それはもう使わないと決めた身。

ろくな武器も持たず肉体一つでドラゴンと戦う中、ハルユキは己の体に現れた三つの変化に気付く。


一つは、異常なまでの身体能力。

一つは、兄に体の中に植え付けられたナノマシン。

そして一つは、頭の中から響く九十九と自称した不快な声。


何とかドラゴンを撃破したはいいが、疑問は一つも解消しない。

今の世界がどんな形をしているかもわからず途方にくれる中、ハルユキに手が伸びた。


「……助けたい人がいる」


それは導き手ではなく、助けを求め伸ばされた手だったが、久方振りの出会いを無碍にも出来ず、ハルユキは少女の助けになることを約束する。

その手に引かれるにハルユキは近くの町に足を運ぶ。


そこにあったのは、魔法の利便性のせいか技術が退行し、しかしまた魔法によって様々な色が加わった世界。

心の中に浮足立つ物を感じながら、フェンとハルユキは一旦宿に居を構えフェンの話を聞く事になる。


曰く、もう数日後にその助けたい人物が処刑されてしまうという事。

曰く、フェン自身も秘密裏に処理されようとしたという事。

曰く、その人物はこの国の元王女で、フェンの友達だという事。


そして曰く。国を相手取れと言っているらしいと言う事。


ドラゴンを肉体一つで圧倒したハルユキを見たからなのだろう。

それがどれ程の異常なのかもハルユキにははっきりしないが、約束は約束だと余計な思考をこそぎ落とした。


「なら、今日行くぞ」

「……どうやって?」

「無論、正面からだ」




   ◆




「上手く行ったか……」


阿鼻叫喚の図を示す城内を眺めながらハルユキは呟いた。

取った手段はそう凝ったものではない。

まず言った通りにハルユキが正面から暴れ、次にそれを囮にして四方から城壁を破壊して攻め立て、そしてまたそれも囮にして時間を稼いでいる間、フェンが王女を浚って逃げる。

言わば二重の囮である。

これでいこうと決めた理由にナノマシンの機能がある。


一つ。記憶域に埋め込まれた物を時間制限付きながら再現できるという事。

二つ。疑似神経として様々な物を意のままに操れるという事。

二つ目は時間制限などないが、生物には作用しない。

しかし、イメージの操作だけで土を水に変えられるほどのオーバーテクノロジーを誇っている。


その出鱈目さに呆れながらも、使わない手はない。

今は銃を手にした鉄の兵達が四方から強化ゴムの弾を連発しているという訳だ。


「さて、」


本来ならこのままフェンの連絡を待つ手筈だが、思ったよりもナノマシンの使い勝手は良く、見ていなくても自動で動いてくれている。

ならば自分も城に潜るかと手近な窓に飛び込んだ。

そこで。


「うおっ……!」


両側から魔法の槍がハルユキを襲った。

待ち伏せされたのか。

──いや、偶々争っていた所に割り込んでしまったらしい。

ハルユキを挟んで呆気にとられる二人の内の一人に、拳銃の弾を撃ち放つ。出来る限り不殺と言う事なのでゴム弾が額にめり込み、その男は地に伏した。


「ちょ、ちょっと!」

「ん? ああ、ちょっと待ってろよ」


もう一人に視線を移すが、当然知らない顔。

聞けば金目の物を探しているとか。

そして、何やらただ事ではない格好の人間達を見かけたと。


「ふへへ」


場所を教えて貰った代わりに渡した拳銃を手に気色悪い笑いをこぼす少女を残して、ハルユキは廊下を進み、それを見つけた。


成金趣味の鎧を纏った恰幅の良い男。それに付き従う兵士。そして、兵士に抱えられたその少女を見つけた。

長い金髪は埃で霞み、顔は泥で汚れている。


「────……」


しかし、ハルユキの思考は何かに引っ掛かったまま停止していた。

見覚えがある。

見慣れてこそいないが、いや、見慣れていた物と少し違うのか。

いつか巡り合う日を楽しみにして居ようと思った少女の顔。退屈な一億の時の中でほんの僅かな、しかし自分にとってはありがたい二週間をくれた少女。

その少女に、四年間の月日を足せばどうなっているのかと、想像した顔がそこにあった。


「■、■■■■■、■■■■」


恰幅の良い男が何かを喋る。

意味は分からない。必要がないと頭が勝手に掃き捨てた。

必要なのはそれが敵だと知る事と、そしてそれを破壊するための拳だけ。


「──死ね」


先に戦った龍と比べれば羽虫に等しいそれを蹂躙する。

少女──ユキネを引き剥がし、そのままの勢いで腕を脚を体を破壊し、そして最後にその鉤鼻に目がけて拳を振り下ろす。


しかしそれを、フェンの叫び声とユキネの身動ぎが邪魔をする。


「早く、治療しないと」

「……ああ、そうだな」


当初の目的を思い出し、痙攣している男をその場に残し城を出る。

出たのは中庭。このまま逃げれば成功。しかしユキネの状態が思ったよりも悪い事を知る。


ならば、とフェンがその場にユキネを寝かせ、この場で治療を試みる。


「任せた」

「任せろ」


当然、ぐるりと周りを取り囲むように兵士が沸いてくる。

それをゆっくりと一瞥して、ハルユキは拳を固めて首を鳴らした。



  ◆



ガタガタと揺れる馬車には四人の男女が乗っていた。


一人はハルユキ。

フェン。

ユキネ。

そして、フェンが牢獄から出して協力を仰いだという何とも胡散臭いエセ関西弁の男。


「ジェミニ言います。よろしゅうな」


ユキネの奪還は成功した。

いや、そのままこれを好機とした反乱軍達が城になだれ込み、現王政を叩き潰した事を考えればユキネが追われる事もなくなり、大成功と言っても良いのかもしれない。

しかし、問題が一つ。

もう、ユキネ達に政治を任せる気はなく、ほぼ全員が皆で国を支えていきたいと言う。

そして、それを通すためにもユキネは国から出て行って欲しいと、そう新しい国が通達したのだ。


「まあ、しょうがないよな」

「……」


そう言って笑うユキネは、今もフェンと楽しそうに談笑している。

普通だった。慣れた表情だった。ただ、あの二週間の時と比べると、どこかが違う笑みだった。


「次は、ドンバ村言う所やね」

「しかし、今日はここまでだな」


暗がりが広がって来る西の空を眺めながら、ハルユキは野営の準備をするべく馬車から飛び降りた。




「……魔法文字?」

「そう」


曰く。

魔法を使うには、魔力とそれを制御する魔装具なる物と、そしてその魔法文字がいると言う。

普通の人間には『火』『水』『風』『土』の四文字が体のどこかに刻まれる。

そして、2%程の確率で『異文字』と呼ばれる文字を持った人間が生まれるのだと言う。


その例としてフェンの文字は『混』。ジェミニの文字は『流』。

そしてユキネは、


「ああ、私はな、魔法が使えないんだ」


魔法はこの時代の重要なファクターだ。

聞けばユキネの両親は両親ともに卓越した魔法使いだと言う。


「まあ、今はあまり気にしていないよ」


そう言って、ユキネはまた笑った。


──魔法、ではないのだろうが、ハルユキの体にもまた一つ変化があった。

肉体の強化が進んでいる。


きっかけはあの時。

兵士を次々と打ち倒しながら、その意気を挫くために放った拳の一振り。

しかし何気ない一振りとは何もかもが違った。


〈──見せてやるよ〉


始まりは頭の中に響いたその一声。

体の中の何かが暴れ、抑えきれなくなったそれが腕から黒色の角として顔を出し、それでも抑えきれない何かが腕を膨張させる。

それは頭の中も侵し、破壊衝動がのたうち、笑う。


危険だった。

それは。

本能的に人に向ける事を忌避しその拳の向け先を城に向けた結果、城ごと無くなってしまうほどには。




  ◆




「ギルドね」


ドンバ村にはギルドと呼ばれる国境を跨いだ職業斡旋所があり、ほぼ文無しのハルユキ達は村に付いたその足でそこへ仕事の受注に向かった。


「どうも、ウェスリアと申します」


妙な調子の受付嬢に促されるまま、ハルユキ達はギルドに登録し現時点での実力に合わせた指輪を渡された。

しかし、魔法が支配する時代だ。

魔力すら持たないハルユキと、魔法を使えないユキネは最低ランクの橙色。

そして、フェンは最高ランクの白銀色の指輪を渡される。


仕事をこなしながら、ハルユキ達はこの村で祭りが開かれる事を知る。

このままこの村に永住する気はなかったので、その祭りが終わったらこの村を出ようと決める。


しかし、その祭りの最中。

災厄が村を襲う。


──それは、龍の形をした災い。

鉄の鱗どころか、鉄の鎧を纏った鋼の龍。


フェンとハルユキで何とかそれを撃退するも、無力感に駆られて駆けつけたユキネを連れ去られてしまう。


「お手伝いしましょうか? お坊ちゃん方?」


即座にその後を追おうとするハルユキ達の前に現れたのは、場違いな燕尾服を身に纏った壮齢の男。

龍の居場所を知っているという男に不審な物を感じながらも、方向しか分からない現状では仕方なしと手を組む事を決意する。


村を出て、道を進み、山を登って。

辿り着いたのは、奇妙な岩宿。


岩が盛り上がった小山のようになっていて、その造りは人工的な物を感じさせるが、その巨大さがそれを消して神々しさを醸し出す。

そして、中にいたのは、その神々しさの源泉。


「──"星屑龍"……」


呆然とフェンの口から洩れたのはその名前。

千年を生きた古龍の更に上。千年を十度越えた龍の霊長、──霊龍。


半ば伝説の中の生き物に身を固まらせるも、その霊龍の傍らに先程の鋼龍と、そしてぐったりとしたユキネの姿を見つける。


あなたに重要な物だとすれば、見過ごせませんね」

「なら、全員敵だ。叩き潰す」

「すみませんが、こちらも急ぎです。ベイル、ここは頼みますよ」


三者三様の思惑が渦巻く中。


──明後日の方向から、何の脈絡も無しに、突然現れたその闖入者が場を変える。


その姿は襤褸を身に纏っただけの白髪の男。

ふらりと寄ったついでに。

その姿からはその程度の思惑しか感じなかったが、その希薄な表情がこの場に残った古龍と燕尾服とハルユキを見て途端に豹変した。


血色の瞳が見開かれ、口は楽しげに三日月を形作る。

ハルユキでも可視化出来る程暴力的な魔力が、見る見るうちに噴き出し凝縮する。


「え……?」


その男が加わり四つ巴の戦いは始まり、そして瞬く間に一人が脱落する。

死んだのは燕尾服の男。不敵で謎に満ちていた男が、すれ違いざまに五体を四散され殺された。


殺したのは白髪の男。

それに留まらず、血に濡れたその手を拳に変え、次はハルユキに向かって振りかぶる。


動きは神速。その拳は巨鎚。その在り様は悪鬼、羅刹の如く。


受け止めたハルユキの手が甘く痺れていた。


「──……いいなあ、おまえェ!!」


狂気を振り撒きながら、男は嗤う。



   ◆



そこは、白いだけの空間。

人の形もなさず、二つの意思がそこに浮かんでいた。


「母さんの……」

「ええ友人です。貴女の魔法を預かっています」

「私、の……?」

「ええ、貴女の魔法は少し特殊ですから。貴女には不自由をさせましたが……」

「……どうして、」

「え?」

「どうして、そんな事を……!!」


死んだ。

親戚が死んだ。執事が死んだ。執政が死んだ。メイドが死んだ。

皆が皆、戦えもしない自分をかばって、殺されていった。


もし自分に戦える力があれば、その特殊な力があれば自分も戦えたかもしれないのにと。


「……ごめんなさい。貴女には関係がない事だ」

「いいのです。ただ彼女が、貴女の母親が、泣きながらこの決断をした事だけは忘れないでいて上げて?」

「……はい」

「それに自分を卑下するのもやめて下さい。貴女を助けに来てくれた方が不憫です」

「助け……?」

「黒髪の青年と、空色の髪の少女が。行ってあげて下さい。ウィーネによろしく言っておいて」



瞬間、視界が開け景色が切り替わる。

ユキネが立っていたのは、小さなドーム状の洞穴の中。すい、とそんなユキネの横を燕尾服の男が通り過ぎた。


「……死んだか。解かっていたでしょうに、愚かな獣だ」

「お前は……?」

「これは失礼。私ゾディアックのサジタリウスと申します。貴女を誘拐してもよろしいですか?」

「駄目に決まっているだろう。馬鹿か貴様は」


返事の代わりに、何やら魔力がこもった鉄紐がユキネに向かう。

そんな時、風を切ってユキネの力が現れる。


それは、一振りの剣。

右肩に刻まれた"白"の文字に、左の掌に刻まれた"破"の二文字。


そして、空気を割って姿を現した魔術の最高峰であるはずの"精霊獣"。

それは万全の体ではないらしいサジタリウスを容易く撃退する。


助けに来たフェンを驚かせ、ユキネは自分の元に一つの力が戻ってきた事を確認する。





変わって、その手前の大空間。


拳と拳が激突して地面を抉り、空気を震わせていた。

古龍は既に倒れ、立っているのは──争っているのはハルユキとラストと名乗る男の二人。


そして、拳をぶつけ合って押されたのはハルユキ。そのまま体に拳がめり込み吹き飛ばされる。


その拍子に体に空いた大穴から大量の血が更に零れ落ちる。

古龍が最期に捨て身で放った一撃は、ラストを圧倒していたハルユキに致命的なハンデを与えていた。


「出来る事なら、死んでくれるな」


そう言いつつ。殺意と悪意をふんだんに押し込めてラストは拳を固める。


しかし。

そこで。


ハルユキの中から、あの角が顔を出した。

ばきん、とガラスを踏み砕いたような音と共に額から角が付き出し、ラストの決死の一撃を眠たげに払いのけた。


「……じゃあな」


城を吹き飛ばした一撃に勝らずとも劣らない一撃がラストの体に減り込む。

その体をゴムまりのように吹き飛ばし、洞窟を半壊させラストが消えた後、ハルユキは疲れたように溜息をつく。




  ◆



「じゃあ、世界一周した後に」


祭りが終わり、数日の休暇を過ごしたハルユキ達一行はドンバ村を後にした。

またも馬車を揺らして数日。

枯れたような森の前でハルユキ達は夜を越そうとしていた。


昼間に寝ていたハルユキが一人、星の位置まで変わってしまった空を眺めながら酒をやっている時。

その闖入者が現れる。


「いきなりじゃが、少し血を貰うぞ、人間」

「今度は吸血鬼か……」


その姿は人間と変わりない。

藍色の着物に足元まで伸びた三つ編みの黒髪はこれまで見てきた中で一番日本人に近い。


しかしその体はあくまで吸血鬼。

更に肉体の強化が進んでいたハルユキをあしらうと、森の中に消えた。


吸血鬼を追って辿り着いたのは、枯れ木の森の中、小さな丘の中心にそそり立つ一際大きな大木の根元の小さな家。


「おや、お客さまでしょうか」


吸血鬼を捕まえて、さあどう退治するかと悩んでいた所に、その女性が現れた。

初老の柔和な女性。

名前はイサン。

しかしその笑顔に薄ら寒い物を感じたハルユキは、その女性が記憶の障害を持っている事を知る。

それこそ、二時間合わなければ家族の顔すら忘れてしまうほどの。


「知ったからには、協力してもらうぞ」


曰く。

ハルユキの血にはそれはそれは濃厚な力が流れているとの事。

吸血鬼は生きた時間で力を変えるので、一億年の月日が作用したのだろう。それを使ってやりたい事があると、そう言う事らしい。


「桜……?」


この枯れ木の森を、もう一度だけ桜の海に戻したいと。

そうすれば、記憶を取り戻すきっかけになるやもしれないと。


どう見ても人情厚そうな性格に見えないこの女がなぜこんな事をとも思いながら、ハルユキは協力の要請を受け入れる。


「レイじゃ、そう呼べ」

「ハルユキだ」


一方。

ユキネ達は桜の枯れ木に囲まれた、干乾びた村で。


「……どうか。どうかその力をこの村にお貸しください……!!」


そこでドンバ村での評判を聞き付けたのか、その村の村長に深々と頭を下げられていた。


曰く。桜の魔力が枯れ、それ以来この地では芋一つ育たないと。

曰く。この地には吸血鬼が住み着いていると。

曰く。その吸血鬼が桜を枯れさせただけでは飽き足らず、幸い死人こそ出ていないが村の人間を襲い始めたと。


そして、曰く。


その吸血鬼を始末して欲しいと。



「まあ待て。そりゃ多分誤解だ」

「血は奪ったがの。まあ村も困っているなら協力して貰う。なに、あと数週間もすれば文句も残らん」



数日遅れで追いついたユキネ達と一緒に、地質からレイの魔術で活性化させていく。

ハルユキの血は思っていたよりも濃かったらしく、数日で森は新芽で覆い尽くされる。


「乾杯!」


せっかくの桜だ。

飲めや騒げやと肴を作り酒を持ち込み、騒いで歌う。


聞けば、この桜は季節を問わず咲き続ける魔性の桜だとか。この桜が枯れたのはそもそもその膨大な魔力を人間達がこぞって漁ったからだそうだ。

結局イサンの記憶が戻る事はなかったが、それでも無駄ではなかったかと思える程に、夜の闇と桜の花弁は得難い空気を作ってくれた。


そして、宴もたけなわ。

その酔った空気が、空に立ち上った一筋の光の柱と揺れる地面に叩き壊された。


震源は地の底。

宴に水を差した輩を懲らしめようとレイとハルユキ達は井戸の下に隠されていた地下空間に向かう。


「遅かったですね、吸血鬼。それと、ああ、君達生きていたんですか」


そこには小さな遺跡と、村長張りぼての神がいた。




  ◆




地を揺るがし、空気を繰る。

体の周りには触れてはならぬとばかりに見えない壁がハルユキの拳でさえ拒んでしまう。


体中を動きまわりながらケタケタと笑うように揺れる『神』の文字。


其は万能。万物の元にして世界の起源。しかし、小さな小さな嘘が一つ。

神は無頼。

しかしその張りぼては桜の魔力で出来ている。

つまり、桜の魔力を敵とみなして防ぐ事は出来なかった。


──"荒羽根"


筋肉繊維一本一本が人智を越えたハルユキの体。

その全ての力が集約したハルユキの右拳の中には肩に付いていた桜の一片。


何もかもを拒絶していた壁を突き破り、張りぼても神との壁も何もかもを。一撃の元に粉砕した。



遺跡の中には、太古の時代に誰かが桜を利用として作ったのだろう。桜の魔力を吸い取る機構が存在した。

それをレイが封じると、神は張りぼてを無くし、ただの肉塊に堕ちた。


「結局、イサンは元には戻らなかったか」

「……ふん。まあ期待はしていなかったがの」


宴もたけなわ。

白けてしまった空気は戻らず、酒瓶の底を浚ったあと各々が片付けを開始する。

しかしまあ、五人も六人もいればそれも馬鹿騒ぎにつながり、わんやわんやと。


しかし、堕ちた神はただの肉塊にはならなかったのだ。

それは神の肉。神の血。神の鼓動。


ドクリドクリと人知れず脈動を繰り返した神の残滓は、地下から地面を焦がし地上へとせりあがる。


「────」


それが地面を突き破り、姿を現す。

人ではない。獣ではない。器物ではない。そして神であるわけではない。

陶器の様な無機質な色に覆われた、何か。


それは、その爪を擦らせながら、呆気にとられた周りの人間達になど眼もくれずに、イサンの心臓を抉り取った。


「──■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」


雄叫びか咆哮か歓喜の号令か。否、狂った呪詛を、それは撒き散らす。 



 ◆



「っぎ……!」


それは、巨大化した。

それは、数多の腕をこちらに延ばした。

それは、ドロドロと溶けていた。

それは、その狂気を破壊の形に変えていた。


水よりも氷よりもまだ冷たい。まるで宙の暗さを圧縮したような丸い黒。

それが線になるほど高速で打ち出される。


森を焼き木々をなぎ倒し地面を抉って、防いだハルユキの腕を難なく蒸発させた。


しかし、高々神の残滓。

ジェミニとフェンとユキネとレイとハルユキと。そんなちゃちな舞台に役者はお釣りが必要だ。


まず、その足を抉った。

倒れん込んだ体を氷で縛り付けた。

その体に巨大な衝撃を叩き付けた。

せわしなく動く目を刻んだ首を残して、その下をすべて吹き飛ばした。


ずしり、と音を立てて首が地面に転がる。

最後の一振り。レイがその首の真ん中で暴れる神の文字に刃を付きたてようとした瞬間、


──ドクリと神の文字が脈動した。


痙攣し。

膨張し。

増殖し。

嘲笑し。


それが刻まれた首を神の文字で覆っていく。漆黒で埋め尽くされるまで要したのは、刹那の時間すら。

自暴自棄な破壊が、未来に予想させられる。


「────っ!」


咄嗟にハルユキは剣を取った。

偶々傍の地面に突き刺さっていたユキネの剣。


握れば、それは吸い付くように手に馴染んだ。

懐かしい感覚に体中の細胞がやっとか、と歓喜の声を上げるのが脳の裏の裏の裏の裏で分かった。


滑るように首までの距離を踏み潰す。


一閃する。

するり(、、、)と刃が、何もかもを。あまりに容易く、切断して両断した。


「ハル……?」

「ああ、もう終わった、行くぞ」


背後から聞こえたユキネの声に振り向いて笑って見せる。

特に何もない。

自発的に自制していただけなのだ。代償がある訳でもなし、何か感慨にふける訳でもない。

ただ剣を握った指が離れる時に、僅かに名残惜しさを伴った。


大暴れしたせいで大分破壊された桜の森。

その木々の間をすり抜けながら、ハルユキは丘に戻った。


そこで。

神秘が天に坐してこちらを見下ろしていた。


──暇だな


それは、桜色の鱗。金色の目を持っている。

吐息一つで落ちかけた命を掬いあげ、夜の象徴たる吸血鬼を指先で弄ぶ。


──話でもしようか。


そして何より、あまりに俗世に塗れていた。




  ◆




それは、数えるのも面倒になる昔の話。

とある怪我をした龍が、とある村人に救われた話。言うなれば、友情と人情の話という奴だ。


龍はとある人間に助けられました。

その人はお人好しだった。

龍はその毒にやられてしまった。


言葉にすればそれだけの話。


龍は礼にこの地を守ることを約束し、人はその間龍の眠りを守ることを約束した。

しかし人の一生など、龍にとってのうたた寝程度の時間しかない。


しかし、いつまどろみ目を開けても、森を守っている人間の姿があった。

子孫だった。何か言った訳でもないのに、子孫達は森を離れなかった。


龍はもう構わない、という事も出来ないのは悔しかったが、ただ己が作った桜の森を目を細めて眺めている姿は嫌いではなかった。


──それは、幾度かあったまどろみの光景。


血塗れで、ふらふらと森を行く一人の女。

ああこれは似ているな、と既にこの時点で興味を抱いて少しだけ身を乗り出したのを覚えている。


それを、あの人間の子孫が救った事に驚いた。

なんやかんやで一緒に住む事になった展開に呆れた。

そして、似たような事を言った人間に、似たような反応を示すその人外に、声を上げて笑った。


違ったのは、その後。

引き裂かれた。悲鳴を上げた。しかし、直接守る事は出来なかった。

この地を守るだけで今の自分には精いっぱいだったし、それに知らぬ間に力を奪われていた。


この地を守る力すらなくなり、明滅する意識と散る桜の中。人外の慟哭がひどく響いた。


──そして、また時は流れた。

妙な化物が流れてこの地にやって来た。

人外と手を組んで、地に力を巡らせ始めた。龍が目を覚ましたのはそんな折。


数十年ぶりに桜が咲いた。

人外とその化物の力は凄まじく、あっという間に龍の力はそのほとんどを取り返していた。

あと一晩眠れば回復する。


そしてまた狙ったように悲劇がやって来た。

結末はご存知。

悲劇は打ち倒されるも、自分を救ってくれた人の子孫が死んだ。


──しかし。

甘く見てくれるな。この桜の龍が、春の権化がそのような無様を二度も晒すと思うなよ。

どれだけこの時を待ち望んだと思っていやがる。


そら。

奇跡をくれてやる。




  ◆




「ようやく、気が済んだ」


その龍の霊長、──桜龍は、満足気にそう言うと、ついでにハルユキを化物扱いして去っていった。

残ったのは、ついでとばかりに失った分の年月を与えられたイサンと、呆気に取られる面々と、そして依然咲き誇る桜の森。


「ではの」

「はい」


レイはイサンの家を後にする。

レイは狙われている。イサンが戻り、生活圏が広がればレイがこの場に居ることがばれてしまう。


それは、当人達が一番よく判っていて、さらりと別れを交わした。

いや、再会の約束を、片方は渋々ながらも結んだその約束を、信じ切っていたせいかもしれない。


別れがあった。

私の役目だとばかりに桜が舞って、その景色を彩っていた。





   ◆



「これを、担いでいくのか……?」

「売れそうな牙だけな。あとは喰う。猪は旨いぞ」

「えー……」


次の街への道すがら。国境や山を一つ越え二つ越え。

と言うのも、そろそろ大きな街に行きたいというハルユキの要望に応えての物だ。

巨大猪で腹を膨らませた後、馬車の御車台に座り、昼間に寝ていたハルユキは夜の間に進んでいた。

星の並びすら変わってしまった世界に息を吐きながら、しかし新たな地に心を馳せながら。


「おおおおおおお……!」

「すごいな。私の国よりずっと大きい」


見渡しの良さからか、それとも相当に不敵な領王がいるのか、門徒が開かれたその街は近付く前にその荘厳さを物語っていた。

石畳の道。家より大きな噴水。山より高く大きい西洋風の城。


「これこそ、これこそぉ……!」

「行くで」


何か祭りの途中らしく、人は多く賑やかで、しかも何やら昔とは毛色が違う屋台が並びに並んでいる。


「金がねぇ……」


しかし残念ながら、金がない者には暇もない。



  ◆



「チーム?」

「ああ、入っておくと、少しだけ割のいい仕事が受けられるらしいぞ」

「ふーん」

「ウェスリアでした」


ぺこり、と何故かドンバ村にもいたギルドの受付嬢から説明を受け、手続きの為に椅子に座っていた。

強い煙草の匂いが鼻に付いたのはそんな時。見ればこちらに煙草を差し出している男がいた。


「指輪は橙色か。まあ難しいだろうけど頑張れよ」


指輪は魔力の量を表しているらしく、そんな物を欠片も持っていないハルユキは当然最低ランクのオレンジだった。

失礼なオヤジに物申そうとして、しかし、突如ギルド館の中を賑わした存在にハルユキの注意は惹かれた。


「御機嫌よう」


ご機嫌、などと言っている割に一番機嫌が悪そうな女だった。

燃えるような赤い髪。しかしその目は纏う空気は対極に涼やかで、落ち着いている。

少し周りのざわめきに耳を傾ければ、その女の素性は知れた。


ノイン。

眠らない街オウズガルの、紅蓮の姫君。


「──貴方、武道大会に出場なさい」


さて、王座で踏ん反り返る紅蓮の姫にこんな事を言われる事になったのは、どんな紆余曲折があったのか。

まあそれは良い。

とにかくハルユキは、この町に来た初日にして、様々な因縁に恵まれたのだ。





──さて色んな事があった。

この町のギルドチームでトップの人間と因縁が出来たり。

最初に話しかけてきた煙草の親父の家庭問題に首を突っ込んだり。

例の赤髪の王女と、少しばかり仲を深めたりと。


それはもう色んな事が。


そしてまた、今度はしかし。因縁は別の所に生まれるようだ。


それは、深く静かな海の底を写したような蒼い髪。

それに惹かれたのは、馬鹿で軽薄なインチキ男だ。



「倒れてたんよ、君」


ジェミニのそんな言葉に、少女はびくりと肩を揺らしただけでそれだけだった。


その少女が手渡した食事を食べてくれるようになるのに三日。

声が出ない事を打ち明けてくれるのにまた三日が必要だった。


がりがりがりがりと。

その蒼い髪が、ジェミニの過去を刺激して頭蓋の裏に爪を立てる。



その少女は、綺麗な顔立ちをしていた。

その少女は、慣れてしまえば人懐こい少女だった。

その少女は、よく気が利いた。

そしてその少女は、よく笑った。


笑える訳はないのに、笑うのだ。それは、あまりに少女に似合っていなかった。


『わあ……』


ジェミニが一緒に行動している四人は、一人残らず変人だ。

その中で一際異彩を放っている変人が、またも妙な物を取り出した。何でも、声を出す装置だとか。

本来の声ではないのだろう。どこか無機質を思わせるその声にも、少女は喜んだ。


笑う。同じ顔だ。

嬉しいのだろう。しかし笑い方など他に知らないのだ。それは、よく分かった。


「無理して笑う事ないんやで?」


出来るだけ、柔らかく慎重に言ったつもりだった。

しかしもともと少女にも自覚はあったのだろう。そう言った途端、少女の笑顔は凍りついた。


告げられた。

なるほど、納得がいく。痩せ細った体も、下手な笑い方も、腕に捺された痛々しい『×』印も。それなら納得がいく。


少女はシアと言う。

シアは奴隷だった。


臭い事は嫌いだったのに、帰ってこないシアを探しに走ったのはきっと周りのそれが伝染したのだろう。


まあ、走って目を凝らして、何とか見つけて。

喚いて叫んで、青臭い展開に目を瞑って、まるでどこぞの騎士か何かの物語のように、女の子を敵の手から奪ってみたり。


そんな事を、ジェミニはやった。


まあ結局敵は逃がしたし、こちらも傷だらけだし、シアも怪我をしたし、わんわん泣かしてしまうしで、中々あの変人のように上手くは出来なかったが。

少しばかり爽快だった事は、否定できない。


「仕上げじゃの」


そんな出来損ないを主役に置いた話の締めくくりは、情けない事に他人任せ。

いつの間にか色んな事が進んでいて。

古参の吸血鬼は×印を消す方法を知っていて、少女二人はそれを手伝い、男二人は締め出され。

何か、間の抜けたチームが出来ていて。


まあ要は。

仲間が一人増えたと、ただそれだけの小話だ。









──そこは街の端の、夜の闇に陰った屋根の上。


「あーあ、こりゃ酷いわね」

「相変わらずの不細工面だなァ、ラィブラ」

「タウロス、ヴァー、ゴ……? 何で……?」


家も家財も手持ちの奴隷も全て投げ捨てて奴隷商人が逃げた先は、影の中。

いや、それは引き摺りこまれたと言う方が正しいのだろう。


女の背後では影が蠢き、男は顎を鳴らしながら牙を剥く。奴隷商人もまた、この者達と同類だった。


「まあ、目的は多すぎるくらいにあるから。分担して当たるわよ」

「面倒だな。あの茶髪だけでも始末しとけや」


三人は取りとめもない言葉を交わしながら、街の全景を見やる。

街の中心では光が躍り、喧騒の気配が緩やか波のように三人がいる場所まで伝わって来る。


しかし、その口の端が醜く吊り上がっているのは、間違ってもその朗らかな雰囲気に酔ったからではない。


「さて、何人死ぬかねェ」


夜は少しだけ、しかし確実に、昨夜より深く暗く更けていく。







闘技大会"舞武"の開催日が近づいていた。

半ば無理やり参加を決められた成果、あまり乗り気ではなかったハルユキは、突如優勝を目指しだす。

その原因は、闘技大会優勝者に贈られることになった、その進呈品。


それは、何やらいつぞやの英雄が腰に差していたという豪奢な剣と、そしてそれを収めるにしては少しばかり質素な黒塗りの鞘。


"舞武"に出場するのは、集まりに集まった2000人強。

その中には、ユキネがジェミニがフェンが、黒衣の神父が義肢の隠居が狼の末裔が大国の懐刀が、そして紅蓮の王女が。

ハルユキを目的に参加していた。


ユキネの城で会ったエゼと名乗る、フードの少女と出会ったりもした。

その小さな体に覇王の風格と、地平線まで満たす寛大な心を内包した少女は──割愛。


ぽっかりと闘技場の上空に浮かんだ太陽のような光の球体は、この町を守護する精霊獣だとか。


その精霊獣が睥睨する元で、一人負け、二人負け、三人、四人と負けていく。

ユキネとノインがほぼ同士討ちで決着したのを最後に、残ったのは、ハルユキと名前も知らない男が一人。


しかし、その二人の決勝が行われる事はなかった。


──最初の異変は、決勝が行われるはずだった日の朝。

兵士の一人が、ノインがいなくなった事に気づいたことに、それは始まった。



ずるり、ずるりと町中に巣を張っていた魔の影に気づいた者はいない。

それは祭りを楽しみに回っていた、なんでもない親子が引き裂かれるまで続いた。


ずるり、とヘドロのような影を引きずりながら祭りに押し入ったのは、死体。

目は腐り、腕は爛れ、足りない体で黒く深い何かで補われ。

そして何より、唯一人間らしさが残った、妬みの恨みを押し固めて出来たような血の色の目が、殺されていく者の最後の風景として映るのだ。


ずるり、ずるりと、"それ"が影の中から這い出し数を増やす度、町は死臭にまみれ、きれいな街並みに血の模様が描かれる。


「戦争を始めましょう」


空は灰色に染まる。

白と黒の絵の具をぶちまけたような、毒々しいまだら模様。

町から出ることは許されない。なぜならもう、ここは祭りの場ではなく戦場だからだ。


「戦争を」


ハルユキは見る。嗅ぐ。聞く。

ピクリとも動かないノインを抱えながら。搦め手に捕まりノインの命と連動する魔の檻の中から。


「さあァ!! 戦争だッ!」


灰色の空を。

燃える街並みを。

死の匂いを。

昨日まで笑っていた人間の断末魔を。


町が、悪意に穢れていく。




「初めましてになるかな、御二方」




そんな中、誰もが膝をつき嗚咽を漏らす死に満ちた空気の中、場違いなほどに涼やかな声が聞こえた。

反射的にハルユキは顔を上げる。


精霊獣がいるという、光の太陽の中。


それは、光の中にいて、それでも尚隠し切れない存在感を放っていた。

金色の髪。金色の目。獅子の金より獰猛で、しかし金塊の金のように冷たく現実的。


魔力とやらを垂れ流しているのか、確かに男の周りの空気は変質し、目を覚ましたノインも目を見開き言葉を失っている。


「あはっ、かわいい子達っ! ねぇ、持って帰っていいかしらオフィウクス!」

「黙れスコーピオ。その二人には総統の御用がある」

「もー、アリエスは固いのよぉ」


そして、規格外がもう二人。

──いや。


「あらあら。意外と早かったねぇ」


もう一人。三人だ。

その子供の体も、その割には濁った眼、落ち着いた言葉遣い。寒気がするほどにそれは歪で狂っている。



  ◆



湧き出る死兵の数は十万を超えた。いまだにこの国の王女は見つからない。

死兵の塊が町を破壊し、津波のように押し寄せ、城壁の中に避難した人間たちを脅かす。


この国を守るはずの精霊獣は、上空で見守るのをやめ、風鳴りのような悲鳴を上げて徐々にその在り方を狂わせる。


そんな中、ハルユキは檻から出た。



潰した。

一切の抵抗も許さず、徹底して叩き潰した。手足をへし折り、頭を床ごと叩き割る。

それを止める力はない。武器はない。道具はない。


止めたのは、少女の心配と、そして不安げな表情。


「──ァああ!!」


金色の王の他。

乱入してきた野獣のような男が、一瞬固まったハルユキの体を打つ。


知っている顔。名前はラストと言ったか。あの星屑流の丘で出会った、白髪の狂人。

血の匂いに惹かれたか、それとも殺伐とした祭囃子につられてか。


軋む拳が、僅かだけハルユキの注意を惹き、金の王の隕鉄の槍が背中に突き刺さる。


薄皮一枚破れないながらも、ハルユキの体がわずかに宙に浮く。



──■■■■■■■■!!!!


そして、上空の太陽が"神"に堕ちた瞬間とそれは重なった。

町の端まで弾かれて、しかしハルユキの体には傷がない。しかしどこかで確かに悲鳴を上げる何かを押し殺し、ハルユキは立ち上がる。


「……フェン?」


しかし、その努力を嘲笑うかのように、戦争は速やかに終結する。

腕の中には、目の前で"嘘吐き"に殺された小さい体。

青い髪。手に持った大きな杖。知っている顔。



「────、あ」



用済みとばかりに夜空から灰色の膜が剥がされれば、場違いに爽やかな朝日が指している。

そして、その中心にしたり顔で浮かぶ、呼ばれもしないのに出てきた神の道化が愚かな人間を睥睨していた。


溢れたのはどんな感情だったのか。

叫びとともに、ぶつり、とハルユキの視界が一色に染まる。




  ◆




あの神を象った化け物は、いともたやすく縊り殺された。

町が一丸となって対決を覚悟し、そしてあまりの力に絶望に染まりかけていた中、突如飛び出してきた怪物によって。


見上げるほどの大きさを誇る偽の神を、町の外まで殴り飛ばし、その拳の一槌の元に殺してのけたその存在。

救われた人間たちでさえ強張った表情で何かの前触れだと不安げに口にする。


「入るわよ」


事実を知っているのは、この部屋にいるユキネと今入ってきたノインとその部下の数名。

そして、当の本人で今は眠ったまま一週間目を覚まさないハルユキ自身だ。


「まだ、眠っているのね……」

「ああ」


ハルユキが倒れ、そしてフェンとジェミニとレイが行方不明だと分かった時の取り乱しようは酷かった。

今の様子は普通だが、決して落ち着いたわけではない。

寝ている者は目を覚ますし、どこかに行ってしまった者は帰ってくると半ば無理やり信じることで、半狂乱になりそうな心を押し退けているだけ。


実際に、ハルユキはそれからすぐに目を覚ました。

灰色に変わった瞳に続き、色が抜け落ちたかのように同じ灰色に変色した髪を摘まんで何かしらを思いながらも、いつも通り。


しかし、もう一方。──行方不明になっていたフェンの帰還は少し変わっていた。



「私、万屋と申しまして」



一つは、とある人間に付き添われていたこと。

大きなかごを背負っている以外には、あまりに特徴がないその男は、レイのちょっとした知り合いで、ハルユキも多少の面識があるのだとか。


そしてもう一つ。

今目の前にいるフェンはフェンではないということ。フェンは敵にさらわれ今は遠い地にいると、万売りと名乗る男はいう。


目の前にいるフェンではないというフェンを覗き込む。

そのきれいな顔も、無表情も、ユキネが知っているものだ。偽者というよりは生き別れの双子と言われたほうがまだ納得できる。


ただ、消えぬようにと刻んだはずのチームの刺青がない事だけが、その事実を示している。






   ◆





ビッグフット。

無頼国、覇国、武国、鉄国。鬼国。婆娑羅国。

そう揶揄され、貶され、そして畏れられた国があった。

国交などほとんど持たず、最初はたった二人のギルドチームからから始まった、ただひたすらに強い人間ばかりを集めた軍事国。


──それが、とある組織に牛耳られたのは、その頭目が突如囚われた事に因る。


フェンとジェミニとレイを奪還する為に襲撃したハルユキ達は、図らずもその相手をすることになる。


ユキネは岩の中をかき分けるような強引さで成長し、敵を屠る。

シアは僅かな武器を駆使して、強大な敵からジェミニを助けることに成功する。


──ハルユキが倒れてしまったのは、おそらくその他の全てを請け負ってしまったからだ。


世界で屈指と言われる戦闘集団を相手取り、町をひっくり返してフェンを助け、レイを取戻し、嘘の道化と血の鬼を退けて。

そして、三度現れた"神"の文字を叩き潰す。


「帰るぞ」


その灰色に変わった髪から更に色彩を無くしながら、化け物じみた力を押さえつけながら、奪還は成功する。

ただハルユキだけは、帰る事が叶わない。


それは、オウズガルの町まで、あと数歩。


「──ッく」


そこで、ハルユキは終わった。


「ギャッ、ハハっハハハハハハハハハハっハハハハハハァアアァアアアッ!!!!」


町の入口。

ハルユキと入れ替わるように目を覚ましたそいつは高らかに一億年ぶりの世界に歓喜する。

ハルユキの体で、ハルユキの声で、九十九は笑う。




   ◆



突如、空から敵が現れた。


それは、時代の変わり目だった。

不自然なほどに平和だった世界が、タガを外された竜達に蹂躙される。

これほどの数がいたのかと呆気にとられる程の竜の大群が空を覆い尽くしていく。


誰もが立て続けの絶望に膝を付きながら、悲鳴を上げて家の中に逃げ込み、不安と絶叫がオウズガルの町に渦巻いていく。


そんな中。

蠢く空など見もせずに、ユキネは九十九の前に立ちはだかった。


「あ……」


しかし、それは立ちはだかったといえるのか。

ただでさえ途方もない力量の差がある事に加えて、ユキネは刃を振る事もできない。


剣を折られ、膝を付かされ、たやすく九十九は去っていった。


「ユキネっ」

「フェン……」


駆け付けたフェンが見たのは、呆然と座っているユキネの姿。

暗雲立ち込める空を見上げて、フェンは慄きながら、何とかユキネを立たせようとその小さい肩でユキネを担ぐ。


「失礼を」


ふと、誰かが目の前に立っていた。

知った顔。

そうだ、確かウェスリアとかいう、たまたま二つの町で出会ったギルドの受付嬢。


暗い色のスカートを持ち上げて、ウェスリアは一礼する。


「王女。お迎えに上がりました。ウィーネ様がお待ちです」


立て続けに巡るめく状況に、ユキネもフェンも目を見開いて粗く息を吐くことしかできない。

頬に水滴が当たる。


長く、冷たい雨が降り始めた。









──ぱたん。


ユキネとフェンから聞いた話をまとめて、書き留めた本を閉じる。

表紙には"世界征服のすゝめ"と書かれた分厚い本だ。インクが滲むことがないという作りなのが、エゼは気に入っている。


また完成に近づいたそれを、むふふと満足げに眺めていると、ひょいとそれを取り上げられた。


「あああっ、ラスト! 血ぃ付いた手で触るんじゃないわよ!!」


言ったところでこの男は聞きはしない。

パラパラと手慣れた様子で、それを読み進めていく。滅多に口を開かないこの男が、あの連中に聞いたことを本にしろと言ったのだ。

元々、題材にするつもりだったのでそれは構わない。


と言うよりは、自分が書いた物をこの男が読むためだけに、自分は半ば無理やり連れまわされているのだ。


"お前、本を書くのか"。


たまたま馬車で一緒になって、突如山賊に襲われて、それをこの男が皆殺しにして、ほかの乗客も同じく衝動的に皆殺しにして。

そして最後にエゼに手をかけようとした時、転がった本をラストが拾い上げた。それが始まり。


あれは自伝だ。

当然ラストもそれに出てくる。割と重要人物で。それが多分、気になるのだと思う。


突っ立ったままページをめくるラストの背後を見やると、突如襲ってきた古龍が二、三体ほど無残に殺されて横たわっている。

こんな男の趣味がかなりの量の読書だとはだれも思わないだろう。


ぴくり、と文字を折っていたラストの視線が止まる。


ああ、あそこは確か、自分があの連中と再会した場面。

少し控えめな表現だったのがいけなかったのだろうか。


「……脚色が多い」

「ああっ」


言って、ラストはそのページを破り取って捨てた。

『その小さな体に覇王の風格と、地平線まで満たす寛大な心を内包した少女』がどこかに飛んでいく。


「死ねっ! この若白髪!」


がすりとラストの向う脛を蹴るが、龍の爪ですら弾き飛ばす体だ。

視線がこちらに移りもしない。


はあ、とため息をついて空を仰ぐ。あの日のように、龍が空を覆う事はないものの、世界は変わった。

まあ、書き手としては楽しみなばかりだ。




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