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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
179/281

神如き




「ちょっと待ってろ」


 目を覚ますとユキネは誰かに抱えられていた。

 それがハルユキだという事にすぐに気付き、安堵が体中に広がったのが少しだけ悔しかった。

 口に二人。右手に二人。そして更に左手にユキネとジェミニを新たに抱えると、ハルユキは跳んだ。


「ひア」

「は、ハルユキさん……! 私、何も出来なくて……!」


 上手く発音できていない言葉でシアを呼ぶと、泣きそうな顔でシアが駆け寄ってくる。

 比較的頑丈な吸血女二人を吐き出して地面に転がすと、小さく呻いてその二人も目を覚ます。


「気にすんな。誰も死んじゃいない」


 どさりどさりと地面に下ろすと、皆が皆呻きながら薄く眼を開けていく。


「全員戻ってきた、だろ? まあ何かおまけも居るが」

「──はいっ」

「糞餓鬼が……。もう少し丁寧に扱わんか……」

「婆は死んでろ」

「ユキネ、大丈夫?」

「……ああ、フェンも、ハルもレイも、無事で良かった」

「じっとしてて。少しだけど回復を。ジェミニも、こっちに」

「……ハルユキ」


 おおよそ一番手酷い傷を負っているジェミニが体を起こしてハルユキを見ていた。

 左手は見るも無残な惨状で、表情にはいつもの余裕はない。そしてこちらに今までにない真面目な目で改めてハルユキを見据えた。


「イケメンは撲滅委員会名誉会長として、恥ずかしくない、働きをな……」

「……俺はそんな劣等感むき出し集団のトップに君臨した覚えはない。手前、俺は真面目なコメントを期待したぞ……」


 小さく笑うと、ジェミニは体から力を抜いて倒れこんだ。


「……任せた。殴り飛ばしてやってくれ」


 小さく鼻を鳴らして肯定を示すとハルユキは踵を返して背中を向ける。


「ユキネ!」


 名前を呼ばれると、ユキネは驚きに肩を揺らした。


「お前なんてまだまだだ」

「……分かってるよ」


 悔しさ半分。そして呆れ半分で、返したユキネの声は苦笑混じり。


「見逃すなよ。本気出したら俺がどれだけ凄いか教えてやる」

「それは、自分で言っては駄目だろ……」


 馬鹿らしい言葉に笑ってみせるが、ハルユキはこちらを見ない。

 見えているのは笑っている口元だけ。ハルユキも小さく顎を引いて頷きを返すと地面を蹴った。 


 まるで飛び石を踏んでいくような気軽さでハルユキは物凄い距離を移動する。


 そもそも漠然とした物言いだったが、何を見てればいいのかは明白だった。

 辿り着く場所を。この手の届く範囲の全てを守れる力を。

 網膜に刻み込む。将来、きっと隣で歩む為に。




   ◆




「──体調はすこぶる良好だ」

「それは何より」


 律儀に待っていたのは、金髪の美丈夫。口を開いた。


「少し話がある。待っていたのもそのせいだ」

「……話?」

「一応言っておこうとな。この体は私の本当の体ではない。そしてもう必要でもない。ここで私を殺したところで、あまり影響はないのだ」

「へえ」


 ごきりと首を鳴らし、ハルユキは己の体の調子を確かめる。


「俺がお前を信じてない以上、お前をここで逃がすメリットがない訳だが。まだ何かあるか?」

「──いや、無粋だった」


 愉しげに口角を上げ、その目とハルユキの視線が合うと共に辺り一体が緊張感で満たされた。



 張り詰めて膨れ上がって空気を圧迫する。



 何かに罅が入るような音を錯覚し、一瞬後に死んでいる自分を想像ししかし二人は動かない。


 ──結果。

 最初に根負けしたのは、二人ではなかった。


 オフィウクスの背後から轟風が巻き起こる。その中心にいるのは先程までは微動だにせず控えていた鋼鐵の女騎士。

 手に槍を、確かに殺意を漲らせて彼女はハルユキに頭から突進した。

『三聖骸』と言われる国の守護の為の特別な精霊獣。大きさは無い代わりに、速さと凝縮されたその魔力を持って、槍と大きな円形の盾を掲げ。



 ──しかし、いつの間にか槍が手の中から消えた事に、彼女は次の行動を見失った。



「──邪魔」



 そしてすぐさま帰ってきた槍は、自分の頭から股までを貫通しはや贄のように地面に突き刺さる。


 そして、無造作に伸ばされたハルユキの右手に豪奢な兜を被った頭はもぎ取られ、後ろ手に捨てられた。



 ──ォ ォ ォ ォ オ ォ オ オ オ オ。


 風鳴りのような叫び声の源は、オフィウクスの後ろで大山の様に鎮座する巨人の兵。

 その手に持った巨大な鉄の棍棒を、迷いなく振り下ろす。


「────」


 頭上から襲い来る理外の一撃を一瞥すると、ハルユキはそれに向かって手を翳す。

 

 ──"裏当て"


 その棍棒が手の平についた瞬間、叩き込まれた衝撃にハルユキの足元が小さく罅が走る。

 たったそれだけの代償に、鉄の棍棒は砕け散った。


 バランスを崩して膝を突いた巨人の顔に、ハルユキは砕け散った棍棒の欠片を投げ付けた。


 どういう訳か磨耗しないその鉄の巨片は家の一軒ほどもあり、纏った衝撃波も相まって巨人の顔を吹き飛ばすのに不足はなかった。



 ずん、と全身から力を無くした巨兵がオフィウクスとハルユキの上に崩れ落ちる。



「──邪魔だ、木偶」



 その巨大な胴体を斬り飛ばしたのは、オフィウクスの手に持つ槍。

 まるで原初の槍だとでも言いたげに無骨で無駄がないその槍は、容易く巨体を二分する。



「おいおい、味方だろ」



 そしてこちらに向けたオフィウクスの顔には、しとどに濡れた興奮がただただ克明に刻まれていた。



「────」



 祝詞も無しに、オフィウクスの背後の空が捻れて歪む。頭を出したのは、手に持ったそれよりふた周りほど大きな黒鉄の槍。


 その数、およそ数百。



「──"流星群アルマゲドン"」



 あまりの速さのせいか、殺到するその一本一本が漆黒の線となり、まるで檻のようにハルユキを囲む。

 掠めただけで地面が抉れ、全く勢いを殺さないままに地平に消えていく槍の中をハルユキは流れに逆らって歩いていく。


 それも、体に当たる分だけを手で叩き落し、時に踏み潰しながら。


 はた、と槍の雨が止んだのは、ハルユキが槍を両手に二本ずつ捕まえた事で、その攻撃の意味の無さをオフィウクスが悟ったから。



 ハルユキがその四本を投擲すると同時。


 オフィウクスの手に新たな槍が握られる。


 それはやはり漆黒の、そして先程の槍が五本ほど捻られ重ねられたその一本は、人が扱うにはあまりに長く鋭すぎる。


 しかし、容易くそれは振るわれる。衝撃波を伴って牙を剥く自らの槍を一振りで屠り、そのまま、遂に手の届く範囲に接近したハルユキに矛先が向かう。



 そして、やはりそれも捕まえられ握り潰されて空気に溶ける。



「約束してきた」

「……何を?」


 腕を捕まえられ、ハルユキは悠長に言葉を発する。

 今の間に槍を出そうと星を巡らせようとその前に拳が身を貫くと悟り、オフィウクスも溜息交じりの言葉を返す。



「──横っ面殴り飛ばせ、だと」



 ぎちり、と何かに飢えるかのように鳴る拳が、オフィウクスの顔面に叩き付けられた。

 そして手に伝わってきた予想とは違う感触に、ハルユキは目を見開いた。


 オフィウクスの体は人ではない。

 可能性こそあったが、嘘だとは考えづらかったので殺す気で放った一撃だった。


 それがオフィウクスの1cm手前で完全に止められていた。



「──"黒天"」



 そして、まるでそれを見越していたかのようにオフィウクスの右手に何かが生まれる。

 ぞわり、とハルユキの背筋が久しぶりに寒気を覚えた。



「さて」



 一跳びで後ろに下がったハルユキに向かってオフィウクスが口を開いた。既にその手に黒い塊は無い。



「今度は戦いになりそうだ」

「……それは、洒落にならなそうだ」



 ブラックホール。いや、そんな物を作り出せばこの星が危ないので暗黒物質の類か。

 重力を生み出せる物をハルユキはその二つ程しか知らないが、どちらにしても当たれば中々に痛そうだった。



 加えて、あの壁。

 一度出会った事があるもので、その時は確かかなり苦労したはずの物だ。



「……」



 確かあの時はなんとか破ったが今とは状況が違う。同じ手法は使えない。

 オウズガルの時と、そして桜の森では暴走している状態とも戦ったが、その時に壁はなかった。


 ならば暴走させるかとも思い付くが、残念ながら具体的な方法は思いつかない。



「……あー……」



 今回は相手の攻撃手段もこちらに通用する可能性がある。


 ならば、時間をかけて攻撃の手数を増やし突破口を見出していくのが常套だとは言える。


 しかし、それは実に面倒だった。



「どうした。まさか諦めたとは言わないだろう」

「悪いがな、ここ一億年ほどで諦めたと言う経験をした事がない」



 だから、体の中にあの感覚を探す。

 まるで待っていたかのようにそれは待ち構えていて、



〈せいぜい、派手に飾れ〉



 そんな事を言っていた。



「……なあ、その壁。触れるな」



 それはつまり、幽霊だとか亡霊だとか。そういう類の物ではない訳で。

 物理的に触れると言う事は、少なからず物理的な法則に従っているという事だ。



「それ」



 指したのはオフィウクスの足元。

 先程殴った場所の反対側の足の下。恐らく踏み止まった際に広がった薄い地面の罅。


 ハルユキの発言を受けて、不可解そうに眉を顰めるオフィウクスを傍目に、ハルユキの体に変化が現れた。

 それを見て、顰めていた顔をオフィウクスは再び興奮に浸す。



「なら当然限界もあるわけだ。まあそれが人と神の差って言うんなら途方もないほど硬いんだろうな。そこで質問なんだが」



 額に、みしりと音を立てて木の幹のような黒い角が顔を出す。



「神と人間の壁は腕力一つで壊せると思うか?」



 どろり、と確かに底冷えする何かがハルユキの周りに淀んで溜まり始める。


 その目が更に明度を失い灰色に近付いていくことに、気付く者はいなかった。

 バキン、バキン、とガラスを踏み割っているような音と共に、ハルユキは外れていく。



「もったい付けて出し惜しむなよ。もう時間を掛けるつもりもお前とまともに戦う気すら俺にはないぞ」



 体に生えたその角は都合三本ほど。額から肘から背中から突き出たそれは、触る事もおぞましくて忌避される。

 その声は不思議な響き方でオフィウクスに届き、危機感を、別の何かと勘違いするほどに濃く強くしていく。



「俺達は、」



 それなのに、聞こえる声は冷静で。



「さっさと帰って、飯食って喋って風呂入って寝る」



 平淡で当然で快活で普通で身勝手で矮小で人間臭くて、しかも庶民染みていた。



「だから、覚悟しとけ」



 がりがりがりがりと、引っ掻き音に似た何かがオフィウクスの脳裏を刺激する。

 

 逃げろ、と己の本能が警鐘を鳴らしていた事に、ようやく気付いた。



「俺は今から、めちゃくちゃ本気出す」



 オフィウクスの目の前に拳があった。

 それはもう視界が突然塞がれたと言った方が近く、殴られた障壁すらも驚いたかのように金切り声染みた音を響かせる。


 結果、またしてもその拳は壁を破る事に失敗する。


 しかし代わりに、オフィウクスの足元がふわりと宙を離れた。

 オフィウクスの視界が急に霞み暗転し、地面と平行に吹き飛んでいく。



「────っ!」



 一度強く地面に叩きつけられ、暗転していた視界に色が戻る。


 それは、灰色。


 とても肌の色とは思えない、白みが強い拳の色。


 叩きつけられる。

 背中で壁越しに破壊を受けた地面が盛大に崩壊し、捲れ上がった大地が檻のように乱立する。


 まだ、壁は壊されない。

 "まだ"、だ。


 これでもまだ、まだ壊されたことがないという理由で悠長に構えているのは余りにも愚かが過ぎる。


 何故ならまた、オフィウクスの目の前の鬼は角を増やしている。


 再び拳が振り上げられる。

 オフィウクスの周りには先程の岩の檻が連なっていて、拳を避けるほどの余裕はない。


 だから、オフィウクスは背中に空間を移動する穴を造り、殴られたタイミングでそれに潜る。

 出てきたのはその十メートルほど上の空の中。


 花弁のように放射状に広がった破壊の跡の真ん中で、鬼の明度がない瞳が一瞬と要らずオフィウクスを捕らえた。


 その眼球を目掛けて。



「──"箒星ランス"」



 投げ付けはしない。


 数も要らない。


 それがどれだけ無意味かは身を以って学んでいる。



 だから一振り。

 強く長く大きく鋭く尊く。至高の一振りをその手に握り、その切っ先を振り下ろす。


 右の眼球に迫ったそれを、ハルユキは"必要が故に"皮一枚で回避した。


 頬にそれだけで体を毒しそうな殺意が掠り、そして避けられた先で槍が地面に達し、その後ろの地面を檻を岩の花弁を尽く破壊して塵にした。


 ばきん、とまたどこかで皮膚が裂け新たな角が顔を出したのが分かった。


 これで都合9本。その三分の一の物が意図してのことではない。

 止めようと思っても止められないかもしれない。しかし、止めるつもりなどさらさらなかった。


 敵の男の動きは魔力は、感じる危機感はこちらに迫るほどの速さで跳ね上がっていく。


 止まれば、背中を捕まえられそうだ。



 ──更に二本。

 太股と膝の先に角を誘う。


 思い切り地を蹴った。

 一瞬で遥か上空──、行き着く前に空を蹴って方向を変える。


 オフィウクスの斜め下。地面の上。


 また蹴る。斜め後ろ。呆けるユキネたちの真上。


 蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る。



 ──蹴って蹴って蹴り続けて丁度一秒。


 三回前のハルユキの残像に目をやっているオフィウクスに向けて拳を握る。


 狙うは横っ面。


 引っ張られた空気と踏み砕かれた大地が今更そこら中で破裂し、捲れ上がり場を混沌と成していく。


 オフィウクスが二つ前の残像に追い付いて視線を移動させたところを、反対側から殴りつけた。



 がちん、と頑なにこちらを拒絶する壁がこぶしの侵入を阻んで、しかし殺しきれず主の体を彼方まで吹き飛ばす。

 比喩ではなく弾丸のようにオフィウクスは吹き飛んでいく。


 ──しかし、その瞬間にハルユキの脳裏に浮かぶのは、殴り飛ばす一瞬前に一足飛びに此方を捕らえた金色の瞳。



 ハルユキが振り返ると同時。

 吹き飛んでいたオフィウクスの体が毒々しい青色の穴に吸い込まれた。


 同じ物がハルユキの背後──、今は目の前に現れ、その中から狂ったように笑うオフィウクスが顔を出す。



 そして、そのまま拳を握って振りかぶる。

 ハルユキも愉しげにその拳に拳を合わせる。


 オフィウクスの頬に刻まれた神がけらけらと笑って踊り。

 ハルユキの頭の中で退屈な鬼がげらげらと笑い転げている。


 触れるだけで侵されそうな狂気の中、二人はそれを笑いながら噛み砕いて飲み下す。


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