拳が猛る
更新分三分の一終了。
残りは学校から帰ってきたら上げます。
「──っがぁッ!」
人の頭大の球体がジェミニの腹部に減り込んで、骨が嫌な音を立てた。
急いで衝撃を空気中に逃がすも、幾つかの骨に罅が入る音がする。加えて勢いは殺しきれず宙を飛んで、地面に転がった。
「やんなるわ、ほんまに……っ」
しかし倒れ伏す余裕はなく、転がる勢いをそのままに立ち上がる。
先に吹き飛ばされたユキネはどこまで行ったのか、剣で防御していたので無事だとは思うが。
既にオフィウクスの周りを回る衛星の数は十倍ほどに増え、近付くのもままならない。近付いたとしても、肌のすぐ上に何だかよく分からない壁が攻撃を阻む。
そして。
「──ああ、こうか」
今まさに、オフィウクスは己の力を読み解いて加速度的に力を増していく。今でさえ手に負えないのに、あれはどこまで強大になっていくのか。
今度作り出したのは、黒鉄の巨槍。
槍といっても人が持つ柄もなく、ただ両端に削りだしたような切っ先があるだけの石の棒。
しかしそれは明らかな畏怖が付随し、血管が凍ったかのように全身が総毛立つ。
見ればその周りにも細かい星の屑が舞っている。どういう理屈かは知らないがあれでどれだけ破壊が広がるのか。
「──"極光"」
そして、そんなとんでもない代物をオフィウクスは事も無げにこちらに投げつけた。
全力で時間を引き延ばせば、何とかそれは視認出来た。
頬に、いや前髪にすら触らせる事はできない。結果、命からがらにそれを避けたジェミニは倒れこみ、また一転して立ち上がる。
そして、背後から閃光と轟音と爆風が巻き起こった。
髪を後ろからはためかせ、鼓膜をびりびりと刺激し、閃光で長く影が伸びる。
怖い物見たさの虫が騒いだが、悠長に後ろを確認する暇は無い。なに、せいぜい横に並んでいた山の頂上が吹き飛んだぐらいだろう。
「これは、元は我等の念願だった物だが。手に入れてみれば思ったよりも感動はないな」
オフィウクスは感触を確かめるように何度か手を握り返して、自嘲気味に笑った。
瞬間、オフィウクスの周りが消し飛んだ。いや、まるで巨大な剣で薙いだように上と横から同時に破壊の跡が走る。
「これはもう見たぞ」
しかし、そこだけ時間が止まっているかのようにオフィウクスの周りには破壊が及ばない。
一転して愉快気に笑うオフィウクスの視線の先には、吹き飛ばされたその場所からオフィウクスを攻撃したユキネの悔しげな顔。
その姿を認め、フィウクスが先程の槍を二本。手を翳す訳でもなく容易く作り出す。
そして、その足元に影が差す。
ゆっくりと、本当にゆっくりとオフィウクスは振り向いた。
その速さでは間にはずもないほどの悠長さだったが、何故かそれが掲げた剣を振り下ろす前にそれと視線が合うことに成功する。
振り下ろされたのはユキネのそれよりふた周りほど大きな純白の剣。シアを運び終えたメサイアが、それぞれ両手に持った剣を叩き付けた。
「なるほど」
しかし、鉄の城壁すら容易く砕くであろうその剣戟は神との壁には他と何の違いもなかったらしい。
弾く訳でも触れた者を滅ぼすわけでもなく、ただここから先は触れてはならぬとその壁は主を害する一切を拒絶する。
まるで意志を持つかのように先程の二本の槍が空中でメサイアに切っ先を向け変え、下からその体を突き上げた。
そこは精霊獣。器用に剣を回してそれを受け止める。が、勢いは止められずその人外の体が宙に持ち上げられる。
「ならば、私も趣向を凝らしてみようか」
どこからともなく取り出したのは、拳大の赤い宝石。
オフィウクスの力が流れ込むと、まるで命から魂から燃やしているかのように宝石が燃え上がった。
『"オベリスク"』
突如、空中から滲み出た拳がメサイアの体を打ちのめした。
それは、ともすれば家を四つ並べたほどの大きさで、あの場に居たならば壁のように感じただろう。
振り抜かれた拳は、メサイアごと地面に減り込み地割れを伝染させ付近の地面を全て捲り上げ、余波だけで家を吹き飛ばすほどの轟風が吹きぬけた。
「メサイアっ!」
〈っなんの!〉
剣を二本背中に掲げて巨大な拳を弾こうとするが如何せん拳が大きすぎる。
しかしむしろ楽しげな様子でユキネの声に声を返すと剣の刃を立てて、一振りで拳の一端を切り取った。
ついでに幾度か斬り付けた後宙を舞ってユキネの傍に戻る。
「あいつはっ──!」
〈ええ、ますます手に負えなくなってきました〉
たん、と地面を叩く音にユキネが振り向けば、ジェミニが渋い顔で同じように精霊獣を見ていた。
「……あれはね。あの『神』の文字は少し特殊な力や。それ故に今までは偽物を作って色々試行錯誤をしてたんやけど、結局一番分かり易いやり方とったみたいや」
「やり方……?」
「人でも動物でも龍でも足りない。あれを入れるには最初からそう言う器として生まれなあかんってね。そうやないと、飲み込まれて暴走する。結構見たやろ?」
ジェミには矢次はやに説明をするが、突然言われてもユキネは眉を顰めることしかできない。
「……正直に言って何一つ理解できないけど……、少なくともあれを成功させるのが簡単な事には聞こえなかったが」
「うん。そういう事が出来る魔法を持ってる人がいたんや」
「……知り合いなのか?」
「まあね。あいつも実はよく知っとる」
あの男が顔見知りなのだろうとはユキネも大体察していた。
しかし、思ったよりも根深い因縁があるようで少しの間ジェミニを観察しそして言った。
「その話は終わった後に聞かせてくれ。出来れば全員に。信用はしていいんだろう?」
「ワイより男前やね、ユキネちゃん」
改めて信頼を確認したところで、しかし相手は強大すぎる。
「……あのデカ物は、触れられれば何とか出来るかもしれへん」
「本当かっ」
「……ざっと目算で40%くらいの成功率やけど」
〈十分でしょう〉
「来るぞっ!!」
突然の戦端は、オフィウクスが放った三本の槍。
目視する訳でもなくとにかく動き回ってそれをかわしながら、二人は散開した。
打ち合わせをしたわけでは無いが、メサイアとユキネはオフィウクスに、そしてジェミニはオベリスクへ向かって走る。
未だオフィウクスの衛星は数を増しながら規則正しく旋回している。
それ自体は軌跡通りなので避けるのは難しくない。
その一つにジェミニは足の裏を付けると、その勢いに乗って上空に躍り出た。
「おいおい……」
でかい。
改めて正面に来るとその大きさが身にしみる。三十メートルほど上空に上がったはずだが未だそこは向こう脛。
触るにしても、せめて体の中心。鳩尾かせめて丹田の辺りには辿り付きたい。
どう考えても個人レベルで戦う相手では無いが、背に腹は変えられない。
ここまで来るとオフィウクスの衛星は無い。この街自体が標高の高い山の上にあるので、見える地上は遥か下。同じ高さに雲が浮かんでいる。
ユキネならばこのまま進んでいけるのだろうが。と上昇する速度が落ちるのを感じながら、ジェミニは思考を回す。
このままなら膝にへばり付くしかないが、とそこまで考えた所で、オベリスク側が動いた。
それは御手。
肩と背中から生えた四本の巨大なそれとは別に、白く細長い手がこちらに殺到していた。
「────っ」
それはジェミニの体を掴み引き裂くのかそれとも取り込むのか。
そのどちらにしても、今このときにおいては行幸だった。
「アホめっ!」
伸びてきたその腕をこれ幸いと逆に引っ掴み、更に体を引き上げる。
この腕には見かけとは裏腹にかなりの力があるらしく、腕に乗って走り抜けていく。
近付けば近づくほど白い腕は増え、時にはなぎ払いながら先へ、上へ昇っていった。
時折振るわれる巨大な腕は、巻き込まれる風を受け流さなければそれだけで地面へ叩き落される。
「っく……!」
流石に腹部まで進むと、上から下からひっきりなしに腕が絡みついてくる。
しかし、オフィウクスの槍に比べれば愚鈍その物。
「──"流々舞"」
周囲一帯の腕の全てが弾け飛んだ。
その千切れた腕の先を掴み更に上へ行く為の力を得る。
──そして、へそを過ぎ、雲に隠れた鳩尾がようやく目の前に上がってきた。後は近付いて触れるだけ。
その時、何度目かになる腕が震われた。
巨腕にして豪腕。巻き込む風は衝撃波となり遥か下の地面をたやすく抉る。
しかし、それは初めてではなくまた同じように白い手を掴もうとして。
しかし。
突然手の平の中で白い手が消えた。
「……こら、あっかん」
こんな化物だが意外と脳みそはあるらしかった。筆舌しがたい音を立てて壁のような拳が目の前に迫る。
だからこそ、更に更に更に。冷静に観察。ただひたすらに観察を。
(────うん)
拳まであと三メートルと言うところで、拳が切り裂いた空気が上に向かって流れている事に気付いた。
今まで避けていた空気の流れに必要以上に潜り込む。
結果。それは手から逃げさる綿毛のように。
凄まじい力が巻き起こした乱気流が、ジェミニの体を遥か上空に吹き飛ばした。
それこそ、この木偶の坊を見下ろすほどに。
街を見下ろし、山を見下ろし、神を見下ろし、雲を見下ろす。
どことなく背徳的な快感が背筋を痺れさせる。
ォ ォ ォ ォ オ オ オ オ オ オ オ──……!
風鳴りのような音が響く。それがオベリスクの猛り声だと気付いて直ぐそれがただの化物だったと知る。
ならば畏怖も遠慮も不要だった。
振られる拳に引っ張られ、今度は胸元に移動し、そして丁度心臓の辺りにひたりと手を当てた。
「──"流転"」
それは、繋いでいる紐を千切る行為。
慣性と言う名のそれは、切る対象によって必要な労力は変わらなかった。
地球から切り離されて、その巨体に比例した加重がその巨体を押し曲げていく。
「──■■■■■■■■■!!!」
その声は叫び声と言うよりは、何か理解できない怨嗟の声に聞こえた。
そして、地平線のあたりまで吹き飛ぶはずの巨体は未だ持ちこたえる。どうやら、残りの60%を引き当てたらしい。
ならばと、紐ではなく鎖に手を伸ばす。労力が変わるのは、ちぎる物が変わるこの行為。
ぶちり、と今度は太陽の軌道からも切り取られる。角度が重なり、こちらはどう飛んでいくかわからないが、結果。
「ばいばい」
化物は目にも留まらぬ速さで群青の空に消えた。
よし、と声を上げると同時。
地上で奮闘するユキネに目を向ける。
そこで、
『"ミネルヴァ"』
見知らぬ鈍色の女騎士に、メサイアごと地面に叩きつけられたユキネを見つけた。
ゆっくりと、その騎士を従わせる男がこちらを向く。
見事だ、と嬉しげに呟いた後。
『"ヘラクレス"』
ジェミニの姿が影で黒ずんだ。
未だ、オベリスクの胸かその上に位置するその場所が、確かに影に包まれる。
振り向いた瞬間、目の前に壁。振り下ろされるは巨大な神殺しの鉄棍棒。
近い、いや速い。
風鳴り音がそのまま鼓膜を突き抜けそうなほど、とてつもない質量がとてつもない速度で近付いたせいでその表面は発火して赤熱している。
空気に乗って体を逃がす。しかしほんの少し回避が間に合わず、左腕が棍棒に掠った。
その瞬間、視界の全ての色が霞んで混ざって形を無くす。
「────っぎッ、ああああ!!!」
そして、それが吹き飛ばされたせいだと気付くと同時に、全身をばらばらにする様な衝撃がジェミニの体を襲った。
それは言わずもがな、地面に打ち落とされ叩き付けられた衝撃。
魔力で勢いを逃がしながらも、水面を跳ねる平石のように地面を掠らせながらジェミニは城の残骸に突っ込んだ。
「さて」
服に埃一つ付けていないオフィウクスの後ろに、鋼鐵の女騎士と百メートル近くあるクレーターを当たり前に跨ぐ巨人が、従属するかのように後ろに並ぶ。
ざん、と地に剣を突き立てる音がオフィウクスの興味を引いた。
「っ…………!」
声は無い。ユキネはただ体を支えて立っただけ。
他にあるとすれば、常軌を逸するほどの闘志の塊だけ。
本当に愉快気に、もしかしたら僅かに尊敬の念すら見せてオフィウクスは手の平に殺意を固めて槍と成す。
そして、それをユキネに打ち出すその瞬間。
──火薬が爆発するような音と共に、オフィウクスの腹に軽い衝撃が走った。
目を向けると、青い長髪の少女がこちらに薄い煙を上げる黒筒の先を向けていた。
槍を向けさえしない。
軽く腕を振ると、漏れた魔力が巻き起こした風でシアは吹き飛ばされた。
瞬間、今度はその対岸で轟音が響いた。
クレーターの外で上がったその爆音が、オフィウクスの注意を引き付けた。
そこは、先程ジェミニが突っ込んだ瓦礫の山。血塗れのジェミニが、オフィウクスに殺意を向けて立っている。
「──おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
それは本当に怪我人の体なのか。
時間を引き延ばし、自転を利用し、地殻を利用し、これまでにない速度で駆け抜ける。
それはこれまでの動きで一番の速さだったが、一直線で読みやすく最後の力しか残っていない事をありありと感じさせた。
跳ぶ。
低い放射線状に飛んでくるジェミニに槍の切っ先を向ける。
──足元に妙な感触があった。
薄い壁越しながら、足を捕まれる感覚。
「横っ、面、張り飛ばせ……!!」
ばちり、と壁が悲鳴を上げた。足元のユキネから流れてくる純粋すぎる魔力が壁を飽和していく。
オフィウクスの表情が驚きに染まる。"魔法"では決して壊せないはずの壁が確かに悲鳴を上げている。
そこで。
オフィウクスは。
見つけた。
ユキネの左手と、そして何故か、右肩にも光が灯っている事を。
神に与えられる魔法の文字が、二つ存在している事を。
ジェミニの拳が迫る。鬼神の如き形相でオフィウクスに拳を叩きつける。
「しかし、如何せんまだ弱い」
ばちん、とジェミニのその拳をその他全てと変わらずに、無常にも拒んで殺した。
そのまま倒れこみそうなジェミニの体を三歩後退して避ける。
受け止める腕をオフィウクスは持たなかった。
ユキネの横にジェミニは墜落するが、もう言う事を聞かない体を無視して、まだ敵意の視線をオフィウクスにぶつける。
無言で、オフィウクスは槍を創る。
そして、更に数メートル。最大の敬意のつもりで警戒し、後ろに下がった。
ガン、ガンと鉛の弾がオフィウクスの壁にぶつかるが、それはオフィウクスの眉一つ動かせない。
──そして、何の猶予もなく槍はジェミニとユキネのいる場所に打ち出された。
いつの間にかジェミニはユキネの上に覆い被さっていて、槍の切っ先を自分の背中に向けさせる。
「──うぼああああっ!!」
その槍が、地中からいきなり飛び出してきた灰色の後頭部に突き刺さった。
口に二人、左手とその脇に一人ずつ抱えて、その男は地中から飛び出す。
「痛ってえ! って何だこりゃ!」
痛みを訴える後頭部に男は手を伸ばすと、薄皮に刺さっていた隕鉄の槍を抜き地面に放り捨てた。
後頭部をさすりながら、辺りを眺めてまた驚いた様子を見せる。
「────……」
しかし、目の前で転がる二人を見て空気が変わる。
凍てつくほど冷たい風が吹き抜けたのかと錯覚するほどに、空気が震えて固まっていく。
"それ"は数秒二人を見つめた後、一瞬でこちらを嗅ぎつけギョロリと灰色の瞳がオフィウクスを射抜いた。
しばし考えるようなしぐさを見せた後、よし、とそれは決心したように顔を上げた。
「──ああ、なるほど。つまり」
冷たいのか、白熱しているのかよく分からない、しかしオフィウクスの背筋に薄ら寒さを思い出させるその声。
「計算通りだ」
ギチリ、と拳が猛る。