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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
174/281

透明な青は、清らかな

 こちらの魔装具は指に嵌っていた指輪が一つ。

 あちらの魔装具は大袈裟なしかし立派な鉄の杖が一振り。


 魔装具とは言わば蛇口だ。

 無ければ水の入った桶後と一度にひっくり返す他にないし、小さければ小さいほど一度に出る量は少ない。


 しかし蛇口が大きくとも、出る量は調節できる。つまり大は小を兼ねる。

 基本的に放出する力の多寡を0から100までを全て調節できれば、魔装具として何の不足もないといえる。

 その考え方でいくと、フェンの指輪とフェニアの指輪を比べても大した差は無い。


 しかし、ものによっては桶から減る量は変わらずに、出る水の量を増加させる物もある。

 そして残念ながら、目の前の少女が使っているのはそういう類の名器だった。


 正面からでは勝ち目がない。



『──"一樹当千ユグドラシル"』


 

 同時に唱えた祝詞は、土と水を混ぜ合わせ二本の巨木を誕生させた。

 直ぐに天井に限界を感じた木はまるで鏡合わせのように似た動きを繰り返しながら、その槍のような枝の先を横へ下へと伸ばし始める。


 当然逆方向から伸びた枝はぶつかり合い絡み合い、時には相手の枝を引き千切る。

 まるで巨大な木の腕が力比べをするかのように、更に絡みつく枝が増えて行き、ついに天井が木の枝で一杯になった時、二本の木は同時に動きを止めた。



『──"氷戒 "』



 その祝詞を皮切りに、今度はその気が根元から氷を纏いだす。

 フェンが走る速さよりはるかに速く氷が木の枝を凍らせながら敵の少女に迫っていく。


 しかし、やはり反対側でも同じく氷が迫ってきていた。また、天井の中心で氷がぶつかって轟音を響かせる。



「────」

「────」



 パラパラと氷の欠片が降り注ぐ中、二人の視線があった。

 言葉は無い。ただ杖を、ただ腕を掲げて相手に力を叩き付ける。



「──"氷岳アイスロック"」

「──"四連クァトロ"」



 フェンは、相手の移動に合わせて最小限の移動を行う。

 

 それはフェンの身体能力の低さゆえ。つまり積極的に移動は行わず、魔力だけを振るう。

 よって、相手も全く同じタイプ──いや、同じ人間だった場合、移動するということはよほどの事がない限り有り得ない。


 またしても同時に唱えた呪文は、八つの巨大な氷山を生み出した。


 両者とも一歩も動く事無く、しかし部屋中に闘争が巻き起こる。 


 忙しなく口を動かしながら、二人は各四つの氷山を時には武器に時には盾にと駆使して戦場を彩っていく。



『──"氷晶霧ダイヤモンドダスト"』



 この技は一連の技に繋げる布石であり、当然それを使う相手も分かっている。

 敵の姿がみぞれに似た細かい氷の欠片で隠れていく。


 ここで初めてフェンは足を動かした。

 弧を描くように部屋を迂回し、先程いた場所から離れて詠唱を続ける。



 魔装具の差がある。正面からでは分が悪い。


 そんな事を考えていた、その時。



 どん、と何かにぶつかって"二人"はよろめいた。



「────ッ!?」



 どれだけ、頭の構造が似ているのか。それともフェンの記憶から来た経験がそうさせたのか。

 目の前の同じ顔に一瞬、状況を忘れた。


 しかし、それも一瞬。


 フェンは無表情に、そして少女は空虚な笑みを取り戻した。


 最後の祝詞を紡ぎながら、同時に後ろへ跳ぶ。



『──"招致万雷"』



 そして、先程から睨みを利かせていた二匹の紫電の龍が、顎を開いた。



『──"神鳴の鉄槌(エルトール)"』



 その声は、不協和音になって廃墟染みた部屋に虚しく響く。

 埃と土煙と氷の破片が発した僅かな静電気が、魔力を注ぎ込まれ擬似的な命を得る。


 杖の先と指輪を嵌めた手の中から発生した紫電の龍は、お互いの体に牙を立てた。


 しかし数秒と持たず片方の龍は、その小さな体躯を向かいの大顎から飲み込まれて消えた。



「……っ」



 消えたのは指輪から生まれた方。つまりはフェンの魔法だった。

 しかし、それはもう分かっていた事。僅かに勢いが弱った龍の顎を、今度は部屋を丸ごと遮るような鉄の壁が受け止める。



「綺麗……」


 

 技とも呼べぬ鉄の壁。

 無理矢理引き伸ばしたその壁は、まるで花のように鉄の花弁を開き、その向こうの少女の感嘆に一役買ったようだ。



「――"黒鉄槌バウンドラッシュ"」



 しかし、フェンが一つ魔法を使う暇があったと言う事は、相手にとっても同じ暇があった事を意味している。

 それを誇示するように、鉄の花の一部が形を変えた。



「ああ、」



 ぼこりぼこりと轟音が部屋に反響するたびに、鉄の花が花弁を散らして形をなくしていく。



「綺麗な物を壊すと言うのは、堪らなく興奮します」



 壁と鉄の花の間に、指が生えていた。

 そして、それもまた鉄で出来ていてその指から続く手が、手から続く腕が。彼女の杖に繋がっている事に気づいた瞬間。


 鉄の腕が鉄の花を横に押し遣った。

 ぐしゃり、と縦に花を拉げさせ、ただでさえ罅が入った壁を破片に変えながら。



 ──凄惨な笑みが、こちらを覗く。



「──"原初をここに"」

「──"原初をここに"」



 響いた声は不協和音にはならなかった。

 どちらが先か、どちらがのろまか。同じ声ではそれも分からない。



「──我混沌を希う(カオスオーダー)



 灰色の魔力が、二人の間で膨れ上がった。




  ◆




「……さっさと立つ」

「スパルタが過ぎやしませんか……」

「お前がいきなり入ってきたんだろう」



 ユキネがそう言うと、ハルユキは不機嫌そうな顔で起き上がった。



「お前等考え無しにポンポン魔法使いやがって。使えない人間の気持ちを考えた事があるのか、お?」

「……面倒くさい」

「だから、お前が勝手に割り込んできたんだろう」

「ああ、もうやだ。なんなのもう。半日力んでても出ないし。酒場の連中には馬鹿にされるし、ギルドランク上がらないし」

「ほら、拗ねるな」

「無理もない」


 宿の裏手にある空き地。

 決して広くは無いが、それでも三人が自由に動き回れるぐらいのスペースはある。


 夏に向けて生えてきた草が中心だけ禿げてしまっているのは、ユキネとフェンがいつもここで鍛錬をしているせいなのだろう。


 日当たりも良ければ風当たりも良好。

 それなのになぜ空き地のままなのかは知らない。


 あまりの過ごし易さのせいで、鍛錬でなくとも脇を流れる水路に足を入れて、ただ漠然と喧騒を楽しむ時もあった。


 昼間の一番暑い時間を、四時間ほど過ぎたこの時間。

 風の温度が変わり始め、同時に西の空が茜色に染まりだす黄昏の時間。


 昼食の後から始めて、途中でハルユキが入ってきて魔法を教えてくれと言ってきたので、基本である魔力を感じるという課題を言い与えて、やはり四時間ほど。


 実際には半日とは程遠いが、四時間何の進展も無ければそういう風に感じてしまうだろう。



「ハルユキは、多分才能がない」

「ぬぉあ……!」

「諦めて」

「ひでぇよ、あんまりだ……」

「事実」

「嘘だろぉ……」



 地面に横たわって、完全に沈黙したハルユキにユキネが溜息をついた。


 胸に手を当てているのは、心に刺さったというアピールなのだろう。



「似たような事が出来るだろう、お前は」

「違うんだよ。俺が欲しているのは浪漫なんだ……」

「何だそれは……。大体浪漫なんて子供じゃないんだから──……」

「あながち、間違ってもない」

「え……?」



 二つの顔がこちらを向き、一人はバツが悪そうにもう一人は我が意を得たりと表情を変えた。



「おやおや浪漫が何だってユキネさんよ。大体考えてみればお前魔法使えるようになってからまだ数ヶ月じゃねえか。何知ったかぶってんだ、え、おい?」

「く……」



 分が悪いと判断したのか、ユキネの視線が逃げるようにこちらを向いた。

 長い付き合い。何を言いたいのかは分かったので、説明を続けた。


「浪漫と言う訳じゃないけれど。理想を持つ事も無駄を持つ事も大切」

「と言うと?」

「魔法は想像力が大切。効率を考えるより、自分の理想像を目指す方が結果的に完成度は高い。例えば強かったり大きかったり綺麗だったり」

「ああ、それは俺も分かるな」

「な、なに……?」


 ユキネが気付いて慌てて口に手を当てるが、ハルユキは耳聡くその声を拾ったのか、勝ち誇った顔で鼻を鳴らした。


 びきり、とユキネの額に青筋が浮く。



「フェンの魔法は見てて綺麗だけどな。ユキネ、お前のは何か力任せだ」

「……そう言われればそうだが、そもそも使えない奴にそんな事を言われたくはない」

「お前は性格が悪いな、ユキネ」

「お前は性格も悪いな、ハル」

「も!?」

「喧嘩しない」



 ぴしりと言うと、すごすごと二人で顔を逸らした。


 フェンがいない所では喧嘩ばかりだろう。と言う事はつまり放っておいても良いところに落ち着くと言う事なのだが、こういう時は焦るように声をかけてしまう。



「しかし成程。浪漫が足りなかったのか」

「……ハルユキは諦めと頭も悪いかもしれない」

「ええ!?」



 この日の鍛錬は、辺りが闇に染まってレイが面倒そうに呼びに来るまで続いた。




   ◆




 汚い魔法だ。


 自分の手の平から出た魔法を、フェンはそう感想付けた。

 自分の魔法の特性に一番適した魔法の一つ。適しすぎて、ありのままの削り出しの魔法がこれ程に強い。


 進行方向にある土も水も風も火も人も命も全て取り込んで形を消す魔法。その魔法を嫌悪している事に、フェンは今始めて気が付いた。



 ──魔法とは、芸術と似ている点が多い。

 いや、その組み立て方は数式とも似ているだろうか。


 フェンの中で培ったイメージは、詠唱は数式で完成する魔法は彫刻だ。


 先ずは、周りくどくも自分のイメージに合うように詠唱を組み立てる。

 それだけで一応の魔法は完成する。しかし、それだけでは詠唱は長ったらしいし、魔法自体に無駄が多く魔力効率も悪い。


 それを削って無駄を省いて、完成するのだ。

 必要な物だけで簡潔に正しい答えを出すのは数式に似ていたし、出来上がった粗雑な魔法を削りだして研磨するのは彫刻に。


 直感的に魔法が生まれるという事は、ままある。

 時にはそういうことも必要だが、それは勿体ない。一度しか読めない小説を、結末だけを読むような物だ。もっともそこから更に改良する事も可能だが。


 アプローチの方法は様々で、積み上げるほどの紙に書き連ねる者もいれば只管に己の感覚で勝負する人間もいる。



 要は、分析と実験の繰り返しで構成された結晶こそ、魔法なのだ。

 だからこんな物は、こんな自分の体内の毒をそのまま吐き出したような吐瀉物は。

 どうしても好きになれない。


 それでも、その魔法が押し負けた事は思ったよりずっとショックだったけれど。


 どうやら、魔力の内蔵量に致命的な差があるらしい。それがどのような方法で得た物なのかは想像するまでもない。



「くっ……」



 嫌悪する。

 しかし、強いからと言う理由だけで繰り出した魔法が、押し負けた。

 ならば事態はあまり芳しくない。このままではジリ貧で、およそ正面から勝つだてが見当たらない。


 左足の感覚がなかった。見れば脹脛から先が無くなっている。

 君が悪い事に痛みが無かった。失血もそう多くはない。逸らしたあの魔法が左足だけを齧って行ったらしい。

 喪失感は、不思議な事に感じなかった。


 考えるのは、より不利になったこの状況でどうあの敵を打ち倒すか。



「……っ」



 力を込める。震える足に鞭を打つ。意識を削って魔力を搾り出す。その気力にだけは事欠かない。


 壁に寄り掛かりながらも立ち上がって周りを見渡せば、ただでさえ半壊していた部屋が更に進行し、大きい柱が倒れ足の踏み場もないほど瓦礫が溢れかえっている。

 と言うより、瓦礫の山が視界と頭の上を覆っていて、フェンの体は瓦礫の檻の中だった。


 冗談のようにうず高く積み上がった瓦礫を見上げると、息が大分荒くなっている事に気付いた。

 状況が完全に掴めているとは言えないが、何にしろ魔法を使うのは出来る限り避けたい。


 しかし、そうやって無難な選択を続けたところで光明は見えない。


 戦闘において基礎能力と装備だけが勝敗を決めるとは言わない。

 それでも、裏をかく為の罠を仕掛けるといった搦め手は彼女には通じない予感があった。もとは同じ人間だ。その予感はほとんど予知に近い。


 しかし、真っ向から攻める想像をしてみても、無様に死体に成り下がった自分が目に浮かぶだけ。


 ならば、どうするか。

 とりあえず思考とは別にこの瓦礫の檻を探っていたフェンの目が、ふとありえない物を見つけた。



 無造作に転がったそれは、見覚えがありすぎるもの。



「私の、杖……?」



 瓦礫の向こう。


 全容を見る事は出来ないが、ずっと一緒に旅をしてきた相棒だ。見違うはずもない。あれは自分の杖に間違いない。



 何故こんな所にあるかは知らないが、これを利用しない手は無い。


 距離は5mほどだろうか。しかし瓦礫が邪魔で、どう考えても一直線上に駆けつける事はできない。


 結果その場所に辿り着いたのは、それから五分ほど経った後。


 瓦礫を潜り、乗り越え、時には慎重に退かして少しずつ近付いていった。

 そしてようやくその場所に辿り着き、その杖が間違いなく自分の物だと確信できるその場所で、フェンは杖に目をくれる事もしなかった。



「え……?」



 フェンの視線を独占していたのは、自分と同じ顔で自分と同じ服装で自分と同じ表情を持った少女。


 下半身を瓦礫の山に飲み込まれながら、その少女はこちらに無機質な瞳を向けていた。






  ◆

 






「死んでは、いないでしょうね」


 うず高く積み上がった瓦礫の山を見て、ポツリとフェニアは呟いた。

 その声は不安げながらも、心内では確信に満ちている。


 感じるのだ。

 魔力でも気配でもなく、ただふつふつと予感染みたものを感じている。きっとそれは双子のシンパシーと似ている。

 その感覚に従えば、彼女は今も自分に狙いを定めているはずだ。


 いや、そうであってなくては困るのだ。


 何故男を遠ざけて出しゃばって来たのか、なぜ勝ち目の薄い戦いにわざわざ出向くのか。

 現時点でも違う所は数あれど、出来ればもっと見せて欲しい。


 知らない事を。瓦礫になってしまった自分のこの故郷以外で見てきたものを。それによって得た物を、どうか奪わせて欲しい。



「うふふふふふふ」



 ぎこちない笑みが浮かんだ。

 あの娘はこれが苦手らしい。目と口の端を上下するだけなのに。

 出来損ないなのだ。



「うふふふふふふ」



 出来損ないから出来た私もまた、出来損ない。



「うふふふふふふ」



 だから私達は戦って、だから私達は無い物や知らない物を求めるのだ。



 ふわり、と少女の髪が揺れた。


 地上から隔離されたこの場所で、あるはずがない清涼な風が積み上がった瓦礫の隙間を流れて少女の頬を掠めていく。

 もう一度、少女の口からぎこちない音が漏れた。



「さすがお姉様」



 ──音がない。

 音らしい音と言えば、空気の流れが耳の傍を通る音ぐらい。


 しかし、少女の目の前では目まぐるしいほどの速さで景色が変わっていた。


 砂利も埃も壁の一部も柱の一部も。

 大きさも形も一切無視し──、いや全てを従えるように。


 瓦礫が退かされていく。

 塵と塵がぶつかり合う音も無く、ひたすらに無音で少女の視界全てが蠢いて、運ばれて、ついでに整頓されて隅に追いやられていく。



「なんだ、あれは……?」



 まるで亡霊でも見たかのように呟くのは、傷をなんとか癒し少女の後ろに立った御父様の声。



(なんだ、って……)


 おかしな事を聞く。

 私はこれ程手に取るように分かるのに、彼には悲しくも判らないらしい。


 ざり、と初めて砂利の音がなる。

 しかしそれは、小さな小さな魔法使いが一歩を踏み出した音で、地面を確かに踏みしめた音だった。


 埃まみれの格好で、幼い手を塗料のような赤で染めて、その手のまま持つそれは、どこか懐かしさを誘う身の丈を越える古風な木の杖。



 ああ、御父様。

 判らないなどと仰ってはなりません。


 彼女は、あなたの娘です。私と同じ。

 彼女は貴方が言ったように憐れで滑稽な生き物で。泥と嘘でかたどられた人形で。もしかしたら化物で。


 そしてなにより彼女は、いたいけでただの小さな女の子です。




  ◆ 





 青い髪。青い目。

 知らないはずがないその貌。先程の少女か、いや明らかに何かが違う。

 どこが、とは上手く言えないが、フェンよりそして先程の少女より、何かが薄い。


 印象も感じる気配も、まるで誘蛾灯に飛び交う蜻蛉のような儚さと危うさが滲み出ているように感じた。


 時間の余裕など一切ない今この時に、無機質な視線に縫い付けられて身体が動かない。


 ざり、と少女の指が地面を掻いた。

 それを皮切りに、フェンの目を覗き込んでいたゆっくりと下がって顔ごと地面に落ちる。



「っ……しっかり」


 

 反射的に駆け寄って声をかけた。

 少女に圧し掛かっている瓦礫は重く大きく、フェンの細腕では動かす事もできなかった。

 魔法を使って退かすにも、まず間違いなく回りが崩れるので出来ない。一人ならばまとめて吹き飛ばす事もできるが、それもこの弱った少女が一緒ならば心許ない。


 ざり、ともう一度爪が地面を掻く音が聞こえた。その手が、木の杖を握る。



「──っ!」



 弾かれるように距離をとるが、ここは狭い瓦礫の折の中。


 二メートルほど離れたところで、背中に壁の感触が伝わって、杖ごと蹴飛すべきだったと教えられた。


 ずり、ずり、とゆっくり杖がこちらを向く。少女の顔も地面に擦られながら、もう一度フェンの顔を覗き込んだ。



「貴女の」



 それだけ言って、杖を掴んでいたその手はゆっくりと引かれた。

 少女に敵意が無かったのは最初から。固まったのは一秒と少し。少女がまたじっとこちらを見つめている。


 その顔が何かを伝えたそうにしているように思えて、フェンはゆっくりと近寄って、少女の前に膝を突いた。



「貴女は、誰……?」



 何者なのか、と言葉を繋げると少女の口がゆっくりと開く。



「フェニア・ミストガルナ」



 小さな口が小さな声を紡ぎ出してその小さな手がまた動いた。

 地面から離れる事さえ億劫そうな震える手が、フェンの手を覆う。



「会えて良かった」

「え……?」



 驚いたのは、その後ろめたい言葉にではなく、繋がれた手から伝わった奇妙な感触のせい。

 まるで、何かが流れ込んでくるような。いや、溶けているような。

 違う。

 これは、何かが混ざっていく(、、、、、、)感覚。



「──何をっ!」



 反射的に手を振り払った。語調は強く言ったはいいものの、その感触に記憶が怯え手は細かく震える。



「貴女は、勝つ必要があるはず。私にもその理由は理解できる」

「それはっ……」

「風で、流れてきた話を聞いた。私を取り込めば良い。私は比較的優良な出来だったから、それなりに力は増すはず」

「最初から、そのつもりで……?」



 この少女があまりに感情を見せないからか、フェンには自分の声が冷静を欠いているように感じられた。


 あの嫌な感触に。眠っていただけの嫌悪感が呼び覚まされ、小さく手が震えだす。



「違う。当初は杖を届けるだけが目的だった。しかし、私はもう助からない。それならば──……」

「そんな簡単に──……!」

「簡単ではない」



 強い口調が、フェンの言葉を遮った。

 その言葉は真の意味で強かったのか、フェンの鼓膜を強く叩く。



「決して、簡単に決めた事ではない」



 追い詰められる。

 淡々と紡がれたその言葉に、息が止まりそうになる程の圧力を覚えた。


 それに抵抗するように、頭を小さく振ってフェンは瞳の奥に力を入れた。



「……大丈夫。私と貴女で治療に専念すれば、この程度の傷は……」



 そのフェンの判断は、この時代の一般的な医療概念から見れば正しかったと言える。


 失血量が少なければ大抵は助けられるのだ。そして、事実彼女の失血量は大した物ではなかった。だから、その言葉は決して的外れではない。



「貴女は、勘違いをしている」

「あ……」



 しかし、それが怪我をしていないはずの出血ではなく、怪我をしているのに傷口から流れる血すらない状態ならば、当然話は変わってしまう。



「私は、この怪我で自分の限界に気付いた。だから、決めた」

「ああああ……!」



 彼女の傷からはもう血が流れ落ちる事はない。


 今流れ落ちているのは、乾いた赤黒い砂。それは傷の周りの体を崩しながら、ボロボロとこそげ落ちていく。



「私は助からない。ここが、限界」



 いつの間にか尻餅を付いていたと、脳の遠いところで誰かが言った。


 それは目の前のそれを直視したくない自我の表れなのか、フェンはただ首を横に振りながら後ずさる。



「お願い」

「いや……、出来ない……。もう、いや……!」



 いや、正確には後ずさろうとしていた。しかし、最後の力なのか、指が白くなるほどに強く握られた手がどうしても振り解けなかった。

 しかし、嫌だと言った途端、嘘のように簡単にその手が解かれた。


 解かれた手には少女が僅かに流したのであろう血が付いていた。逃げるように手から目を逸らし、少女の顔に顔を戻す。



「え……」



 驚いた事に、少女は驚いていた。

 いや、単に目を瞬いただけで、本当は驚いてもいないのかも知れない。


 しかしまた驚いた事に。そんな事は次の瞬間にはフェンの頭の中に残っていられなかった。


 その少女の、優しく微笑む顔がフェンの頭の中を驚きで塗り潰したからだ。



「……私は、それほど嫌じゃないよ」



 その顔に、フェンはなぜかどんな感情も差し置いて悔しさを感じていた。



「正直に言って、貴女にここで会えた事をとても幸運に思っている」

「どう、して……?」

「貴女は、私と似ているから」

「それは……!」



 貴女と私が同じ物を基に作られているからだ。

 しかし、その短い言葉は出てこない。そんな事を言っているのではないと、それだけは分かった。



「似ている。とても良く似ている。だから、貴女に」

「……っ」

「貴女が強くなって。貴女を強くした風景の端に私が居ればとても嬉しい」



 反論する言も見当たらず、黙って首を横に振る。

 それを見て、少女──もう一人のフェニアはまた柔らかく笑った。



「だから、私は生きていられる」



 どこで手に入れたのか、フェンはまだ見つけられないその表情。



「どうか私を、殺さないで欲しい」



 それが、決め手だった訳ではない。

 ただ、迫ってくるその手を跳ね除ける事も握り返す事もできずに、流されるままに相手に選択を預けてしまっただけ。



「……ごめん、なさい……っ」

「構わない。同意の上」



 でも、どうしても負けるわけにはいかないから。

 彼女を取り込んだところで、勝てるとは限らない。チャンスが一つ巡ってくるだけ。


 それだけの事で、彼女だけの物を奪ってしまうのは、どうしようもないほどの鈍い痛みが伴った。



「貴女は?」

「え……?」



 ぽつり、と少女が呟いた。

 その言葉を出すまでに、長い沈黙が居座っていた事に気が付く。


 そのせいで少女の声は酷く掠れていて、強く握られていた手は、今はフェンが支えていた



「貴女の名前を、教えて欲しい」



 息を呑む。

 もう一度眼球の奥に力を入れて必死に笑顔を作ってみせる。彼女の瞳には光が無く自分の表情は確認できなかったが、笑えているのだろうか。



「私は、フェン」

「そう。フェン。貴女に一つ、頼みがある」

「……なに?」

「ユキネと、シアと、ハルユキに、ありがとうと」

「伝える」

「それでは、フェン」

「……それじゃ、フェニア」



 だから私とフェニアは笑顔を交わす。



「さようなら、ありがとう」

「ありがとう、さようなら」



 小さく息を吸って、手を握り返した。

 最後に彼女の柔らかい表情を見て、口を動かした。



 ──混合リガント


 ぱさり、と残った服が乾いた音を立てた。




「────あ」




 入ってくる。

 安堵と、不安と、ほんの僅かばかりの恐怖と。そして、記憶が。


 彼女が生まれてから、何のために生まれたかぞんざいに口頭で説明され、完遂して。



 しかし、間違って生き残ってしまってからの記憶が、フェンに入ってきた記憶のほとんどだった。



 ユキネに、部屋で丁寧に話しかけてもらった。

 シアに、身の回りの世話をしてもらった。

 ハルユキに、付いて回った。


 そんな、ほんの数日の記憶。



「似ているって──……」



 そういう事か、と勝手に心のどこかが納得した。


 彼女が一番、いや、いつも目で追っているその姿。フェンの記憶とは少し違う灰色の髪の毛。



 ああ、思えば自分も一目惚れだった。外見が特別に格好良いというわけではないのに。どうにも、あまり趣味はよくない。

 

 やっぱり、ここでいなくなるには惜しいぐらいには。



「うあ……」



 繋いでいた手に、ぽたりと雫が落ちた。


 悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。

 安堵も不安も恐怖もあれど、比較にもならないほど大きく深いその感情。



 それはもう、フェンの物なのかどうかも分からなかった。


 

「……っ!」



 手を伸ばすと、まるで引き寄せられたかのように杖がその先にあった。


 その感触がいつもと違う。いつもより近く、まるであちらからも握り返してくれているかのように手に馴染む。



 まるで世界が広がったかのように。

 少しだけ、手を伸ばせる場所が広がったかのように。

 一つとして、不可能がないかのように。



 彼女を取り込んでしまった証として、それを自覚し顔を歪めて奥歯を噛み締める。


 戦えるように。証明できるように。

 彼女を武器に変えれるように。

 そしてどうか、忘れないように。



 でも、今だけ。他の全てを忘れて。


 たった数秒の間だけ、杖を額に当てて彼女を想った。 




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