揺れる
ずん、とまた城が大きく揺れる。
何かの災害にでも巻き込まれたようだ、とヴァーゴは一人心中で悪態を吐いた。
今度の揺れは上からか。先程の耳を劈く大放送から今まで、上から下から振動と轟音が続いていた。
「化物共め……」
付き合っていられない。
あんな戦いに自分が巻き込まれれば数秒の内に肉の塊に変わってしまう自信がある。
精霊獣は先に使ってしまったし、あれは相応の準備の果てにしか効果を発揮できない。
ならば力も中途半端な自分は、あちらこちらの影から移動しながら出来るだけ自分の利益のために動いた方が良い。
それはこの組織から抜ける事を意味していたが、それも仕方ない。
今戦える人員は、スコーピオ、レオ、オフィウクスの三人だけ。
この組織の中でも、数えて変人で残酷で異様なほどの力を持った三人だけなのだ。その三人の中に自分が入るなど、考えるだけで胃が痛い。
事実顔を顰めながら、ヴァーゴはとある倉庫の前で影から顔を出した。
一応宝物庫の体を取っているので、それなりの防護魔法が用意してある。
破壊するのがさして難しい訳ではないのだが、それも時間が掛かってしまうのだ。
予想通り、この国の兵士が四人ほど警備している事を確認した上で、ヴァーゴは完全に姿を現した。
操られている兵士とは言え、敵には反応するらしい。
兵士達は持っていた槍を掲げ、しかし同時に鎧の隙間から伸びた黒い刃に切断された首を足元に転がした。
そして事前に、──具体的にはこの城に来てから三時間後に確保しておいた宝物庫の鍵を取り出し、錠を落とした。
古い金属製の扉。
そのさび付いた扉にヴァーゴが触れる事はない。
既に二体の人影がその扉を押し開けている。正しく人影が、だ。
思わず目を擦りたくなるほどこの世に馴染んでいない影の大男は、そのまま限界まで扉を押し開けて、役目を終えると石の床の隙間に消えた。
「ま、こんな物か」
別段落ち込む風でもなく、ヴァーゴは門構えの割りに控えめな宝の山にそう言った。
金貨銀貨は当然。
歴史の深そうな壷や宝石も伝統に則った杖や剣も。ヴァーゴがおもむろに手を振って、従った影が部屋を舐め上げた後には何も残らない。
いや、よく見れば足元に銅貨が一枚落ちていて、初めて自分の手でそれを拾い上げた。
これで、事実上この城に何の未練も無くなった。後は、今すぐにでも逃げるだけ。
また今度は地下が大きく揺れる。
上は間違いなくオフィウクスだろう。なら地下はスコーピオか、いや先程の大騒音を考えるとレオの可能性が高い。
あの二人が負ける所など想像がつかない。特に意地汚く生き残る事にかけて、レオはその名に似合わず長けているはずだ。
どんな手段でも使うし、どちらかと言えば城に攻めて来ている化物以上に敵には回したくない人間だ。
しかし、やはり相手が相手。
やはり自分は蚊帳の外だと、自嘲気味にヴァーゴは笑う。
手に持った銅貨を汚い物でも見るように睨めつけて、無造作に背後の影に放った。
◆
「──ッが……ぁ!」
矢の如く一直線に壁に叩き付けられた子供が、言葉にならない声と共に大量の血を吐き出した。
そのまま地面に墜落すると、びくりと痙攣を残して動かなくなる。
しかし、レオがまだ死んでいない事は拳に残る感触が教えてくれる。
「ここにいろ」
背後に居たフェンから離れて、瓦礫の山を下りていく。
壁と床の狭間に這いつくばっていたレオがそれに気付いて、体を起こす。
しかし、その口からゴボリと血が噴き出した。
立とうとしたその小さい体が尻餅を付き、力なく壁に寄りかかる。
未だ握りっ放しの拳を更に握り締めると、みしりと骨がなる。小さく咳き込みながらレオは憎々しげにそれを見ていた。
「まだ、死ぬ訳にはいかないんだよねぇ……」
「安心しろ。手足が動かなくなるだけだ」
「それも勘弁」
一歩、歩を進める。
すると、辺り一体の岩が大小様々な龍の顎に変わった。
焼け爛れたようなそれが実物か幻なのかは分からない。どちらにしても拳を当てればそれは全て空気に還った
一歩。更に進む。
足元が腰ほどまである剣山に変わる。
レオから視線を離さないままに、刃先からそれを踏み抜き地面ごと叩き割った。
一歩進む。
左右から巨大な柱が、押し潰さんと迫ってくる。
蹴り飛ばすと、それは部屋の片隅に消えた。
一歩。
岩が龍に、地面が剣に、天井がすり鉢となって、一斉に襲い掛かる。
その尽くを破壊して踏み潰して叩き潰して蹂躙して。
そしてまた一歩歩を進めた。
しかし、その歩みがふと止まり、驚きに目が見開かれる。
そこはあと、レオまで三メートルほどの距離。
◆
「──"流駆"」
ジェミニの身体がオフィウクスの視界で曖昧に滲んだ。
普通の人間ならばパニックになるか、少なくとも額に汗でも浮かべるだろうが、オフィウクスにとってそれは既知の物。懐かしさだけが心に訪れていた。
空気の密度。流れ。時の流れ。
その他諸々を出鱈目に乱して錯乱を誘発する。オフィウクスの目にもその姿が大きく、時に小さく。果てには何人にも分裂して見えている。
するり、と一段とその姿が大きくなったかと思えば、遅れてそれが接近されただけだと気付いた。
「──"星の唄"」
それは、ジェミニも知っている魔法。
原理がどうのと考えた事はないが、魔力で身を固め爆発的に耐久と機動力を上げるもの。
しかし、ジェミニの心情に訪れたのは懐かしさなどではなく、明らかな驚きだった。
ひゅん。
耳元でだけ存在を感じえたそれが、ジェミニの背筋を凍えさせる。
反射的に自分の体感時間を引き上げ、そしてようやくそれを視認した。
銀の星。
いや、それは白銀に燃える星の欠片だ。
オフィウクスを衛るように体の回りを周回するそれは小さく、しかし一つや二つでは無い。
顔面に迫るそれを皮一枚でかわし、距離をとる。
そして、ジェミニが距離をとった時間でオフィウクスは既に攻撃の姿勢をとっていた。
「──"彗星"」
ジェミニを退けて、揺蕩うようにオフィウクスの周りを周回していた銀星が突如動きを止めた。
その圧力に、まるでジェミニの方に顔を向けたかのように錯覚した。
オフィウクスの魔力を喰らってそれは一瞬で拳大の屑星からジェミニの身の丈を越える巨星に変わる。いや、そこから流線に尖り殺意が形になっていく
攻撃を命じてここまで一秒の五分の一。
そして、動き出してジェミニに達するまでの時間は更にその半分。
拳大の大きさで、星は地表を削る。
今の大きさならば城一つは消せるであろうそれが、小手技として飛んでいく。唸り、疾く、目の前の空気を貫きながら。
その進行方向に、ジェミニの手の平があった。
「──"止まれ"」
ぴたり、と手の平に触れた瞬間それはただの岩に成り下がった。
慣性すらもなく、一瞬で全ての行動を封じられた岩は、最後にびくりと痙攣した。
次の瞬間には、ざらりと星が凍えて崩れる。
まるで息の根を止められたように、正しく小手技として無意味に消えた。
「……平行線だな」
互いに多少の変化はあれど、手の内は知り尽くしている。それでも楽しくて堪らないようにオフィウクスが言った言葉は間違っていない。
その上ずった声が、癇に障る。
「……余裕はいいが、急がないと死ぬのはお前だ。それは俺も面白くはない」
「ああ、彼か」
思い出したように、オフィウクスは言った。
その表情と声にジェミニは違和感を覚える。ジェミニと相対している今でも頭の隅に付き纏うはずなのだ。問答無用で死を叩き付ける存在の事を。
そして、事もあろうにオフィウクスは言う。
「──一つ質問なんだが、彼は本当にオウズガルにいた男なのか?」
ジェミニを煽っている訳ではない。
もちろん時間稼ぎをする理由もない。
ただそれは純粋に疑問に満ちていた。だからこそ、ジェミニの耳にもそれはよく聞こえた。
「なに……?」
「ああいや、お前もここで会ったのか」
正確に言えば、会ってはいない。
ジェミニは城から離れていくハルユキを遠目から見ていただけだ。しかし、あんな奇怪な生き物がそう何人もいるはずがなく、見間違うはずもない。
「いや、私は見たよ。確かに彼はあの彼だ。しかしな、まるで別人だった」
「……」
「お前は人外の化物だとでも思っているのかもしれないが、いや事実私もそう思っているがな。案外、彼も人間かもしれん」
「黙れ」
「彼にこれ以上戦わせるのは酷だろう。助けさせるのも、殺させるのも、もしかすれば、ただ立っている事すらも」
言葉を制そうとしたのは、オフィウクスの言葉が致命的なものに思えたからだ。
確固たる根拠など無いのだろう。
しかし、この男のこういう時の言葉は記憶を探っても外れた試しが見当たらない。
「──あんな、今にも死にそうな顔をして」
オフィウクスの言葉とほぼ同時。
「──ッ!」
何か不吉を表すように、地面が大きく揺れた。
◆
「ハルユキさんが、ここにいたんですか……?」
「あ、ああ」
お互い体を休めながら、自分のことを報告しあった。
シアがジェミニを助けた話を聞いた時は驚きに固まってしまったが、シアはそれすらも誇り高く思っているようだった。
しかしそんな表情も、ユキネの話を聞いた途端強張ってしまった。
「……ユキネさんを置いて出て行ったんですか?」
続く質問にユキネは戸惑いながら頷いた。
「何か、変わった所は?」
「分からない。私もその時は意識が朦朧としてて……」
「そう、ですか」
黙ってしまったシアに、ユキネは不安げに視線を彷徨わせた。
何かおかしいのかと質問したくもあったが、シアは口に手を当てて考え始めたので出て来そうになった言葉を引っ込めた。
崩壊しかけた壁の向こうでは激しく何かがぶつかり合う音が連続している。
時折近くで大きい音がするのは、メサイアが壁の向こうでユキネ達を守っているからなのだろう。
急に自分がこんな所で安穏としている事が、後ろめたく思えた。
しかし、無理をすればまた怒られるので、目に見えて分かるほどそわそわしていると、ようやくシアが顔を上げた。
「思えば、ハルユキさんは最初から変でした」
せつせつとシアは話し始めた。
ハルユキが、駆けつけたにもかかわらずユキネを戦わせた事。
あまりにも不自然に、町の中心から動こうとしなかった事。
戦ったのは、最初、示威的に町の連中を相手取っただけだという事。
そもそも、メリットがあるとは言えこの町に二人を連れてきた事。
そのどれもが、いつも通りのハルユキではない事を示している。
「し、しかしハルユキにそんな様子はなかったはずだ。いつも通りで……」
「そうですね。あの人はいつも、いつも通りですあれで、感情を隠すのが上手い人だと思います」
「それは、そうかもしれないが……」
『一体、何の為に?』。
同じ疑問で行き着いて、シアとユキネは黙り込んだ。
それは、その疑問に答えが見つからなかったからではない。
気付かなかっただけで、あまりにも分かりやすい答えが最初からあったからだ。
シアもユキネも、オウズガルでの一件は目にしている。疲れたように枯れてしまった髪の毛も見ている。
しかし、あまりにいつも通りだったから、疑いすら自分の中にはなかっただけ。
「……どう、しますか?」
不安げなシアの声が、ユキネに裁断を預けた。
動けない事はない。剣もまだ握れる。しかし、ユキネは小さく笑って首を横に振った。
「……大丈夫だろう」
「ユキネさん……」
どんな理由があったにせよ、ハルユキは自分を信頼した。ならば、こちらも信じなければあまりにも無粋すぎる。
「大丈夫」
「……そうですね。ハルユキさんですもんね」
突然、何か不吉を示すように地面が大きく揺れた。
「……っ」
それは、隣の部屋からの物ではなく、遥か下、恐らくハルユキが居るであろう地下のどこかからの物。
ユキネは下唇を噛んで、胸に沸いた嫌な何かを打ち消すように強く剣を握った。
◆
「あ……?」
ぴくりと、ハルユキの拳が痙攣した。
ハルユキが一瞬怒りを忘れ、その拳を見やる。
そして、口の端から血の線が顎へ伝った。震える右手でそれを拭って、見る。
ごぼり、と血が噴き出した。
口から、鼻から、目から。ポタポタとボタボタと、終いにはベチャベチャと音を立ててハルユキの地面が真っ赤に染まる。
誰かの仕業ではない。
ハルユキも、その背後にいるフェンも、目の前で警戒を露にしていたレオも。
戸惑いで表情を固まらせている。
〈だぁから〉
ハルユキの頭の中だけに、その影が現れる。
呆れきった声を出しながら、その影は馴れ馴れしくハルユキの肩に肘を乗せて凭れ掛かる。
〈節約しろって言っただろうがよ〉
その重さに押し潰されるように、ハルユキは血溜りの中に沈んだ。べしゃりと音を立てながら、受身も取らずに。
尖った破片がハルユキの肌に食い込む。痙攣一つしない体は、瞬きも呼吸もする事はない。
地面に溜まった血が跳ねて、レオの頬に当たった。
「は……?」
それによって自我を取り戻したレオは、結局現状を飲み込みきれず呆れた声を出した。
見れば、呼吸も止まっていて胸が上下してもいない。ただ、じわりじわりと血の赤が床を侵食していく。
「死んじゃった──?」
その目が何かを探すように彷徨って、同じように固まるフェンに行き着いた。
そして、その口が禍々しく吊りあがる。
──がしゃり、と音がした。
「──訳じゃなさそうだ」
呼吸は止まったまま、目の中に砂利が入り込んだまま、ハルユキが身を起こす。
レオの視線を引き戻した音は、右手が地面を掴んだ音。それを基に、ゆっくりとその体が持ち上がっていき、体を揺らしながらハルユキは立ち上がった。
ぎちり、と拳が軋む。
「正直何が何だか分からないけど、君の身の不幸に感謝する」
しかし、距離をとるのも距離を詰めるのも待ってくれるはずはなく、レオの口が悪意を持って何かを呟く。
それは呪詛ではなく、また祝詞でもない。
フェニア、と。
まるで愛する人間に囁くように慈愛に満ちたその声は。
「はい、お父様」
ぬらり、と空気の層の向こうから姿を現した少女の名前を呼んでいた。
一刻も速く立ち上がらなければいけないこの時に、ハルユキは何をするべきなのかも忘れ去った。
青い髪。青い目。
しかし身に纏った服も、手に持った杖も、そして浮かべた表情も。全て異なっている。
状況のせいか、その少女がフェンとは別人だという事に気づくのに一瞬の遅れを来たした。
「──"原初を此処に"」
しゃん、と音を鳴らしながらハルユキの胸に当たったのは鉄の杖。
振り払おうと、いや、体ごと跳ね飛ばそうとして、しかしその体を傷付けるのに一瞬のためらいが必要な事に気づいた。
そして、そうなったらもう間に合わない事も遅れて悟る。
「"我混沌を希う"」
視界一杯に煤けた灰色が広がった。
感想お待ちしております




