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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
169/281

根性一つ

「出やがったな……」


 化物め。と、どこぞの妖怪のような格好をした男がそう吐き棄てた。

 それでもどこかその表情が楽しげなのは、何か変な物でも食べたのか。あまり興味はわかない。


 ぐるりと部屋を見渡すと、部屋に居る敵の数は三人。

 目の前の男を除けば、残りの二人は知っている顔だ。どうにも特徴的で慣れる事のなさそうな顔ぶれだった。


「っは、腕折られたのなんざ何年ぶりだ? 何やら新鮮だなぁ」


 しかし、続けて話しかけて来たのは、面識がない方の男。

 どこかで会ったかととりあえず記憶を探ってみるが、この男の外見も相当特徴的で忘れているわけでは無い。


「さて、何で出てきたか、──いや、むしろ何で今までお山の大将決め込んでたかは知らないが」


 いつの間にか煙管を咥えた男は、何の気なしに右腕を曲げ伸ばしを繰り返す。先程折ったはずの右腕をこともなく。


「とりあえず、一手願ってもよろしいかな?」


 男は大きく煙を吐き出して、もう一度煙管を口に咥えた。

 その煙と一緒に何かが抜けたかのように、煙管を咥えた男の表情が変わっていく。

 殺意と、狂った喜悦が浮き彫りに。


 ──蹴り足で城をずらそうかとでも言わんばかりに、地面を蹴ってハルユキに接近した。


「……」


 蛇のように地を這う姿は鋭く速く、一切の無駄がない。

 動きでいえばこの世界の中でもトップクラスのものなのだろう。表情の中に自信と余裕も伺える。


 しかしそれは所詮、ハルユキにとっては暢気に眺めて批評できる速さの内。


 ハルユキは自分の体があまりに常軌を逸しすぎた事を改めて認識する。

 特に感覚器系。集中した時とそうでない時の高低差がありすぎる。視覚などはまるで時間を圧縮したかのようにすら感じてしまう。


 結果ハルユキの目には、幾重にも工夫を凝らして接近する男の動きが滑稽な物にしか映らない。


 牽制のつもりで、進行方向に手を伸ばせばそれだけで男の歩みが止まってしまった。


「ちぃっ……!」


 自身最高の動きだったのだろう。

 あっさりと機先を制された男は驚き、元来た方向に跳ね戻った。

 その表情には先程から目障りだった遊びの感情が薄れ、警戒心が露になっている。


 酷く脆い。今のやり取りの中で、男の脊髄を粉砕するのに苦労は要らなかった。

 九十九のせいではないと言う。まさか体のナノマシンが何かをしてくれている訳でもなし。ならば、一億年の鍛錬が何か人知を超えた実でも結んでくれたかとも思ったが、それも違うらしい。


 最初の村でラストを撃退して疑問。

 レイとイサンが居た森で妙な化物を殺して困惑。

 そして、今度は妄想から捻出したような神を殺して、確信した。


 昔から普通ではなかったが、それがどうも活発に働いているらしい。


 魔法の目覚めの予兆だったら嬉しいが、魔力と言うものを感じた事もないので恐らく違う。

 それはつまり、自分で得た力でもないのだ。それなら、振りかざすのも詰まらないだけ。


「おいおい、やっぱりとんでもねぇな。俺ってば良い出会いばっかり。幸せだね」

「絶対に単独で行動するな。出来ればまだ人が集まるまで時間を稼ぎたい」

「……大将に助力は? こんままじゃ二秒で死ぬぞ」

「不可能だ。今はお忙しい」


 男は視線はこちらに向けたまま、いつの間にか隣に並んだアリエスと言葉を交換しだした。

 漏れてくる話の内容からするとあちらからは仕掛けてこないらしい。


 ふと、頬に視線を感じた。

 自然と視線があったのは、数段高い場所にある玉座から見下ろしている金髪の男。赤と白で装飾された派手な玉座が尻込みするほどに、男は尊大な印象を振りまいている。


「さて、何日ぶりになるのか。鬼の仔殿。何しろ此処の所睡魔が無闇に張り切っていてな。時間の感覚が曖昧だ」

「さあな。俺も一週間ばかり寝てたから数えちゃいない」


 殺意を込めて強い視線を送ってみるが、その飄々とした態度はこの組織の流行なのか。

 柳に風といった風に、男は微笑みすら崩さない。


「ここまでしてやられたのは初めてだった」

「光栄の至り。まあ、ただの偶然の重なりだったがね」

「ジェミニは」

「先に彼女と約束している。おいそれと話すわけにもいかん」

「ほう」


 ハルユキは感情にまかせ一歩踏み出そうとする。するとそれを察してか、両者の間に影が割り込んだ。

 アリエス。どれほどの献身を誓っているのかは知らないが、なるほど行き過ぎた番犬は、猛犬で狂犬の臭いを放っている。

 しかし、あちらから仕掛ける事はないらしく、ただ無言でこちらを威嚇するだけ。


「……ああ、いい。俺もお前等に用があるわけじゃない」


 それならば、こちらにもやる事があった。いやむしろ、避けていただけで優先的にやらなければならない事が。

 背中を向けた途端、相手の気配が僅かに変わる。それに合わせるように振り向くと、襲い掛かろうとしていた足を止めた。

 今更、敵を見ていない事に大した意味はなかった。


 そして、今度こそ振り向く為に準備を始めた。

 長く深く息を吸い、肺の中の空気を入れ替え、表情が崩れないように、唇を結ぶ。

 ゆっくりと、振り向いた。


「……なあ、ユキネ」


 生きている。

 最初にその事を確認してしまうほどに、一時間ぶりに見るユキネはボロボロだった。


 何とか壁を使って上体を起こしてはいるが、呼びかけた言葉に返答もない。


「わ、た……しは……!」


 荒い息のまま吐き出すのは、何かにとり憑かれたような言葉だけ。

 硬く剣を握ったまま、右手を地面に押し付けているのは立ち上がろうとしているのか。

 比べて、左手は不自然なほど動こうとしていない。


 ただ、その目が。その奥の奥で、濁ったように光る目がどうしても無視できなかった。


「……っ」


 だから、勝手に出ようとしていた言葉を飲み込む。勝手に伸びていた手も引っ込める。

 そして、表情を維持していた唇を解き、言葉を送った。


「立てよ、ユキネ」


 びくり、と肩が震えて頭が僅かに揺れた。

 それを確認して、立て、ともう一度項垂れたその頭に言葉を投げかける。


「時間も無い。立てないなら俺がやるから、そう言え」


 ユキネの反応は無い。気絶してしまったのか、項垂れたままその表情も陰っている。


「……お前は俺の代わりをやるんだろう」


 いつの間にか右手の抵抗も止まって、硬く握られていた剣もいまや手の平の上に乗っているだけ。


「立てよ」


 ぎり、と奥歯が軋んだ。鳴ったのはハルユキの口の奥。いや。しかし、ユキネの唇も固く結ばれている。


「お前はッ! 俺より強くなるんだろうがァ!」


 見栄もメッキも最初の一言二言だけ。結局、入れ替えた空気も吐き出しきり、表情なんて気にもせずに叫び散らした。




  ◆ 




 朦朧とした意識を引き上げたのが何だったのかは分からない。

 びくり、と肩を揺らしたのが最初の記憶で、左手の濡れた冷たさと右手の熱い硬さがそれに続く。


 今自分はどういう状態なのか、視線は自分の血で濡れた地面に縫い付けられたまま動かなかった。

 痛い。暗い。寒い。苦しい。眠い。頭を占めているのは大抵がこの五つの感覚で、あと残った大部分を一つの感情が埋めている。

 悔しい。

 口惜しい。歯痒い。

 どうしようもないほどの悔恨が体中を駆け昇って、口から嗚咽となり目から滴となって零れ落ちそうになる。


 助けたかった。

 自分がハルユキを止めたせいで連れ去られたのだから。

 ハルユキの為にやった訳じゃない。皆で皆のまま帰りたかっただけなんだ、と言い訳もしていなかったから。


 だから、自分で助ける必要があったのに。


 勝てなかった。


 何度も敗北の味は知った。

 国と権力に負けた。寂しさに負けた。皆が涼しい顔で勝った場所で無様に膝を屈した。憧れそうになるほど強く綺麗な女の子に負けた。

 その度に強くなろうと次は勝とうと剣を振って、そしてやはり敗北した。


「お前はッ! 俺より強くなるんだろうがァ!」


 だから、その声はそんな事実を浮き彫りにしてよく心に刺さった。

 なぜ立てないのか。なぜ身体が動かないのかと、先程から追い打ちのように忙しなく脳が体に命令を送り、失血など気にせずにどくりどくりと心臓が脈打つ。


(うるさいうるさいうるさい……!)


 負けたくなかったに決まってる。

 動きたいに決まってる。

 勝ちたいに決まってる。

 強くなりたいに決まってる。


 しかし、負けたのだ。動けないのだ。勝てないのだ。弱いのだ。


 だから、耳に障る。

 自身の情けなさが相まって、理不尽と分かっていてもハルユキの声に反発を覚えずには居られない。


 うるさい、と頭の中で声が聞こえた。

 口が動いたわけではない。喉も震えず感覚的には舌の先がその形になぞっただけ。


 勝ちたい。だから強くなりたい。だから戦わなければならない。だから、立たなければならない。

 ただ立つために、何かが足りない。


 前にもあった。

 確かあの時はそう、立つために。必要なのは二本の足と、根性一つ。


 ――ふと、右手に握っていた剣が今にも指の先から離れ、地面に零れ落ちそうになっている事に気付いた。

 後から考えれば、それはたぶん分水嶺。剣が床に転がってしまえば、もう拾う事は出来なかっただろう。


 しかし、気付いた時には既に指を曲げていた。無意識に、剣を掴もうと。

 まるで寄り添うように優しく、剣が手の平の中に転がる。主、と久しぶりに感じる声が内側から鼓膜を打った。


 立て立て立て、と頭の中に響いているのはきっとハルユキの声の残響ではない。


「ありゃ嘘か、口だけかよ!」


 だからきっと、ここからの自分はしがらみも悩みも全て忘れたただの強がりな小娘だったと思う。


「……そ、……ない」


 ハルユキがいる方向から、小さく息を呑む声が聞こえた。

 そこから無遠慮に一歩近付く気配と、中途半端に漏れた声、再び奥歯を噛んだ音まで、手に取れる。


「……聞こえねぇ」

「う、そ……じゃ、ない」

「聞こえねぇよ」

「嘘じゃ、ない……!」

「聞こえねぇんだよ!」

「──嘘じゃないって、言ってるだろォッ!」


 体の悲鳴を無視して顔を上げる。思ったよりもずっと、体は素直に従ってくれた。


 見上げてようやくハルユキの顔を見つける。

 酷い事を言う割りに、その顔はいつも通りにかたどられている。それなのに、どこか酷く苦しそうな表情にも見えた。


 怪我人に無理をさせるなとか、大声で喚くなだとか、お前に何が分かるのかだとか、そんな子供じみた台詞が薄らいで消える。


「だったら、」


 わけも分からず一回り膨れ上がった口惜しさを原動力に、先ずは地面に剣を突き刺した。

 剣にのしかかりながら、壁で背中を支えながら、それでも少しずつ視線が上がる。


「さっさと立てや、アホンダラぁ!」

「上、等だ、馬鹿タレぇ!」


 身体が浮くように軽くなる。背中が壁から離れ、剣は地面から離れた。

 待ちかねたように、頭の上に柔らかい手の感触が乗っかる。


「……根性だけは一人前だよ、お前は」


 いつもの、十五センチ上からこちらを見下ろす顔が、苦笑いでそんな事を言った。



  ◆



 立ち上がってハルユキに一睨み利かせたのもそのまま、ユキネの身体がふらついた。

 支えたのはハルユキの腕。不機嫌そうなユキネがハルユキの顔にまた睨みを利かせる。


「拗ねんなよ。止血しないと死ぬぞ」


 とは言ってもハルユキは魔法が使えるわけでは無いので、目の前に厚手の包帯を生成して見せびらかす。

 すると、僅かな力で抵抗していた腕から力が抜けた。


「よし立ったままじゃ無理だ。一旦座れ」

「立てって、言った、くせに……」

「また立てばいいだろう」

「簡単に言うな……」


 ハルユキはユキネの腕に軽く触れると包帯を的確に巻きつけていく。

 その手つきは手馴れたもので、腕を持ち上げる時に時々甘い痛みが走るだけ。


「すまない」

「何が?」

「……ありがとう」

「ああ」


 ユキネが失血した量は少なくない。事実、立ち上がった瞬間、目の前が暗くなるほど。


「俺はこれからフェンを助けに行く。だからお前を助けには来れない」

「……それだけを、言いに来たのか?」

「ああ」


 嘘つきめ、と小さく零した。

 ハルユキの耳に届いたかどうかは定かではないが、ハルユキは何も言わない。

 多分ハルユキが言ったのは、自分ユキネを助けに来る為の口実。そういう人間だという事は嫌になるくらい知っている。


「でも、ここで俺があいつ等を倒して行ってもいい」

「殺すのか?」

「……殺さないための努力をする気にはなれんな」

「なら、私が言う事は変わらない」


 言いながらハルユキはきつめに包帯を結び、テープで硬く固定する。


「なあ、ハル」

「どうした?」


 ハルユキは既に左腕の治療を終えて、足に包帯を巻いている。

 その後頭部に話しかけると、間髪入れずに答えが返ってきた。


「私はハルの戦う場所を奪う。だから、お前よりもいい結末にしなきゃ筋が通らない」


 ハルユキが包帯を巻き終えた。

 戻ってきた視線は、ユキネの瞳を覗き込む。


「私があいつ等を倒す。そして、レイとジェミニとフェンを助ける。誰も死なずに、殺さずに。それが私の最高だ。私のこれはお前の理想に劣っているか?」

「いや。敵を殺さないって言うんなら、お前は俺より強欲だよ」


 その言葉に少し意表をつかれて、でも、すぐに頷いた。

 言葉にすれば一行足らずのこの結末が、すさまじく難業である事は理解していた。

 そしてきっと、ハルユキが誰も殺さずにこの場を収める事が容易だという事も、知っていた。なぜわざわざ回りくどい事をするのかはユキネにも想像がつかない。

 しかし、何にしろここは譲って貰わなければならない。


「なら、もう一度だけ、私を信じて欲しい」

「疑ってねぇよ」


 即答にユキネが目を丸くすれば、突然ハルユキが翻り背後に右足を振り抜いた。

 いつの間にか、それぞれ対極の形相で迫ってきていたキャンサーとアリエスが、吸い込まれるようにそれに叩かれ弾き飛ばされる。

 何事も無かったかのようにこちらに向き直るハルユキに呆気にとられ、そして目指している場所の遠さを知った。


「負けるな」


 突き出された拳は大きく硬く、そして優しくこちらに向いている。

 一つ頷いて頷いて剣を握っていた右手を、そこに合わせた。心地良い硬い感触と音を刻む。


 そして、ハルユキとすれ違うように歩を進めた。

 ハルユキは出口に向かって、そしてユキネはリベンジの相手に向かって。


 壁に叩きつけられた二人は口元に付いた血を拭いながら、それでも既に立ち上がっていた。


 刹那、その姿がぶれて一瞬後にはユキネの頭の上を飛び越えようとする。


「――どこに行く」


 しかし、ユキネの体は今は羽衣。片足では支えきれないがために、重力を限りなく殺している。


 だから、当然動けないと思っている人間は、それも畏怖からかこちらに少しも注意を向けてない人間の頭に拳を叩き込むのは至極簡単だった。

 それも空中に出てしまえば、そこはユキネの独壇場だ。

 天を踏み付け、地を振り払いながら、今度は同じく頭を飛び越えようとしたアリエスに接近する。


 しかし、先にキャンサーを相手にした分、アリエスは既にこちらに向き直っている。

 軍服の袖から顔を出すのは、細い鉄の杭。しかし小ささゆえに細さゆえにそれは速く的確にユキネの額の中心に。


 その先に、剣の刃を合わせた。

 瞬く間に白い魔力に触れて針が魔力に戻り、空中に溶けていく。


 空を蹴り、アリエスの頭上に。

 交差された腕に鉄の衣が張り付く。そこに魔力も何も纏わない剣を叩き付けた。


 ほぼ無効化されていた重力を最大限に、軽さで加速し瞬間的に重量を増した剣と体は爆発的な衝撃を生む。

 アリエスの顔が不快そうに歪み、地面へと墜落した。


 一度宙を蹴り、ふわりと片足で地面に着地する。


「まだ私は負けてないつもりだが」


 ハルユキの気配は背後から消えていた。

 きっと、振り返りもせずに行ってしまった。それがこそばゆくも寂しくもあった。


「……随分、はっちゃけるなぁ嬢ちゃん。あーあ、行っちまったよ」


 固い大理石の床。

 そこに叩きつけられたはずのキャンサーは、首を鳴らしながら立ち上がる。

 その足取りにダメージは感じられず、その強靭な肉体はハルユキの攻撃を食らっても未だ主を守っているらしい。


「あれが、嬢ちゃんが助かる唯一だったと思うがな。あんたらがやってる事は非効率的だ」


 まあ、俺は嫌いじゃないがな、とキャンサーは肩を竦めながら笑った。

 

「…………うん」

「ん? どうした」

「決めた」

「何を」

「……お前は優先順位を優先すると言ったな」


 戦いの途中にあるまじき事だが、剣の先を大理石の床におろし天井を仰ぐ。

 左右両側にいる二人が僅かに体を反応させるが、襲い掛かっては来ない。恐らくユキネが綺麗に攻撃を捌く光景が脳裏に浮かんだのだ。ユキネの脳裏に浮かんだものと同じ物が。


「私にも、優先順位はある。仲間の誰かが死ぬならお前等が死んだ方が良い。仲間の誰かが手を汚すなら私が手を汚す方が良い。だけどな、だからと言って私は誰かを殺そうとはやっぱり思えない」


 客観的に見たら、酷い自分語りだっただろう。

 しかし、そもそも回りは敵だらけ。そもそも誰に聞かせる訳でもない。ただ口に出して言葉にして、もう同じ事で悩まないように付箋を挿むだけ。


「理由は色々ある。人が死ぬのは辛い事だと教えられたし、事実辛かった。お前達が死んだ時失う物も、失ってしまう人も想像する」

「……そりゃ妄想って言うんだ」


 確かに妄想だ。そんな事を言っていては、路傍の石にさえ物語を感じて身動きも出来なくなる。

 ふと視線を下ろせば、興味が失せた目でこちらを見ていたキャンサーと目があった。


「ふざけんのも大概にしろよ。嬢ちゃん」

「……ふざける?」

「なあ俺はさ、必死に頑張る奴が好きなのよ。何かを捨ててでも欲しい物を手に入れようとする奴が好きだし、何が何でもって頑張る奴も好きだ。でもな、何かを失う覚悟もしないで妄想に耽る奴は好きじゃない」

「覚悟……」

「そうさ。捨てる覚悟に殺す覚悟。汚れる覚悟も必要だ。綺麗なままじゃ、美しくはないんだよ嬢ちゃん」

「……その、覚悟というのは――」


 キャンサーの言う事は成る程、確かに正しいだろう。

 譲れない物のために、覚悟を決める。なるほどそれは格好良いし、正しいし美しい。


 ただ。


「思考を止めた馬鹿共が、決まって口を揃えるあの妄言の事か?」

「なんだと……?」


 美しさなどいらないのだ。正しくもなくて良い。

 譲れない物があるのなら、もしそれが多いのなら、そんな物は真っ先に捨てる物だ。


「馬鹿か貴様は。そんな物に浸っている暇があったら、捨てなくて良いように死にものぐるいで頭を使って悩み抜け!」


 一つ諦めれば、さぞ楽だろう。

 二つ諦めれば、さらに楽になるだろう。


 しかし、それが出来ないから困っているのだ。

 敵とは言え、あまり失望させないで欲しい。覚悟を決めればいいなどと、そんな安易な結論を考えた事がないとでも思っているのか。


「私がお前等を倒す。そして、ハルがレイとジェミニとフェンを助ける。誰も死なずに、殺さずに。それが私の最高で、──最低限なんだ」


 きっとそれは、優しい博愛ではない。

 生きるために獣は殺すし、植物も刈り取れる。だから分類するならば、やっぱりただの我侭でしかないのだろうけれど。


「それしか私は納得できない。だから死なせない殺させない死なない。皆も、お前等も。一つとして諦めてなぞやるものか!」


 覚悟を決めないというのなら。

 覚悟を決めなくて良い展開以外を許容しなければ良い。


「ああ誰も居なくならなくて良かったと! そう言えれば、そう言える事だけが私の勝利だ!」


 だから、強く。

 手を伸ばしたら大切なもの全てに手が届くくらいに。地面から空の天辺まで行き届くほど。

 多分、それが出来る人を私は知っている。


「メサイア――!」

「此処に」


 今までが不思議に思える程、次々と自分のすべき事が頭に浮かんでくる。


 だから名前を呼んだ。

 先程までと、そう変わったつもりは無かった。しかし、メサイアは声だけではなく、今度こそ目の前で傅いてくれていた。

 キャンサーには既に知れているだろう。アリエスも僅かに目を見開くだけ。不思議と自分にもそう驚きがない。


「この剣はお前の能力ちからだな」

「はい。主の力である所の私の能力です」


 何となく気づいた事だが、メサイアは剣を強くイメージさせる。

 だからきっと、今から言う我侭はメサイアを酷く傷つけやしないかと、少しだけ心配になる。


「──なら、今すぐ刃を潰してくれ」

「仰せのままに。我が主」


 それなのに、淀みなく応えたメサイアの声は本当に嬉しそうで、背に抱えた九本の剣がただの鉄の棒に成り下がった瞬間にも口元の微笑を崩さなかった。

 目の前の、呆気にとられて大口を開けているキャンサーを見る。


「賭けないなどとは言っていない。私の視界の端で殺したいなら死にたいなら、私を殺してからだ」


 賭けられるのは残念ながら矮小な命を一つきり。

 しかし、勝ちを譲る訳にもいかない。きっと誰にも譲れない。

 だから言葉に。悩んだ割りに出たのは答えでもないけれど、ただの強情が浮き彫りになっただけだけど。でも、理想に繋がる道さえ見えているならば。


「だから覚悟しろ。──私は、貴様等を殺さないために命を賭けるぞ」


 嘗めるな。驕るな。侮るな。

 これだけの為に、身に余る強欲の為にどれだけ悩んだと思ってる。


「私の強欲を舐めるなよ」


      

   ◆



 しん、と部屋の中に静寂が広がった。

 言いたいことは言った。全て形にした。たぶん、もう忘れない。少しだけ顔が熱くなるのと気恥ずかしさが付きまとったが、後悔はしていない。


 そうして、おおよそ五秒ほどの沈黙を破ったのは、痙攣するような笑い声。


「──ッハ。はっはっは! い、いやいや、……ひはっ。ぎゃはははははははははははッ!」


 馬鹿な語りを聞いて、三者三様の反応が返ってくる。

 一人は目を輝かせ、一人は更に濃くなった殺意を滲ませ、一人は愉快気に目を瞑る。


「ああ、そういうのは嫌いじゃないね。……むしろ大好きだ!」


 中でも一番大げさな男は、まるで炎を覗き込んだときのように瞳を爛々と輝かせる。


「大将。やばいぜ、初恋だ」

「そうか」

「殺さないで嫁にしたい。いいだろ?」

「許可しなければ?」

「向こうに付く」

「許可せねばならんだろう。好きにしろ」

「あんたも愛してるぜぇ、大将」


 嬉々として表情を歪ませるキャンサーに、やはり背筋が寒くなる。

 状況が改めて変わっていない事を認識する。いや、五体不満足になった分だけ悪化していると言っても良い。

 しかし、不思議なほど不安はなかった。


 しゃん、と鉄が鳴る音がする。

 音の源は目の前の美麗な出で立ちの女騎士。その背には巨大な九本の剣を抱え、ユキネを守るように立ちはだかっている。

 そして、その女騎士、――メサイアの顔がこちらを向いている事が分かった。


「ごめんな、こんな主で」


 思わず口を付いた言葉に、少し後悔する。こんな場面で後ろめたい発言をしてしまう自分は、少し根暗なのかもしれない。

 そんな心情ももしくは伝わってしまったのか、小さくメサイアの口元が安らいだ。そしてその口がゆっくりと言葉を綴る。


〈私は、これまで多くの主の下で剣となりました〉

「え……?」


 思わず聞き返したが、どこかで納得している自分もいた。

 普通ではないのだ、明らかに。そして、自分ひとりにしてはあまりに分を超えた物だともやはり感じていた。


〈その中でも、主は一番幼く、煮え切らず、根暗です〉

〈う……〉

〈そして、私はそんなユキネ様にこれまでにないほど期待をしています〉


 メサイアの言葉に振り回され、返す言葉を失う。

 指摘に反論するのも、期待に謙遜するのも、何か無粋な気がして、結局いつも通り剣の柄を強く握って返答とした。

 また、ふわりとメサイアがほほえんだ。


〈だから、こんな物じゃ満足しません。もっと強く美しく。心ゆくまで〉

「……ああ」

〈勝つために強くなりましょう。強くなるために戦いましょう。――手始めに世界を変えるところから〉


 空気を伝わって、メサイアの気配が体に流れてくるのが分かった。それは指向性を持つ何かで、ユキネはその変化を許容する。


「……嬢ちゃんは」


 ふと、自分の中にのめり込んでいく感覚の中、キャンサーの言葉が割り込んできた。


「楽に生きるだとか、楽しく過ごすだとか、そう言うのが苦手みたいだな。俺とは正反対だ」

「……前者はそうかもしれないが、私の周りの日常は楽しすぎるくらいだと自負している」


 だからこそ。この剣の振り所に迷いはいらない。

 キャンサーとアリエスの表情が消えていく。

 同時に。

 ユキネも。


 自分の世界に潜った。



──"天を知らない。地を知らない"


 それは予め決められていた事のようにユキネの口から零れ出る。

 自分の意志か、勝手に動いているのかその境界線が曖昧な感覚。


──"世を唾棄し、私は破って棄てる"


 知らない言葉ではない。

 しかし、理解の範疇にある言葉でもない。

 またしかし、今の自分の言葉に他ならない。


──"強く強く強く強く。極めて強く"


 ほんの一週間と少し前に感じた感覚と同じ。ノインと戦ったときと同一。

 誰かが訴えかけるように、その願いを押し付けてくる。それを一語一語形にしていくほどに、見える世界が色と空気を変えていく。


──"我の天井を貴様が決めるな。我の道を神が決めるな。我が果てを世が決めるな"


 なけなしの魔力が盛大に周りに漏れ出し、髪をなびかせ鎧の音を響かせる。



 キャンサーとアリエスの表情が変わる。しかし、今更驚く事もなく、アリエスはより凄惨な表情に、そしてキャンサーの表情は喜悦に塗れていく。


「さあ、最後だ。魅せてくれやぁッ──!」


 刹那、二人が示し合わせたように飛び出した。

 一秒とかからず間を詰めたのは、とんでもない膂力を積んだ小さな小人。

 その膂力と勢いも相まって、その拳には巨岩をも砕くほどの力がユキネの体を吹き飛ばした。


 ユキネの体が吹き飛び、しかし表情を強張らせたのはキャンサーの方。

 空中に着地したユキネに影が差す。


 それが天井近くまで伸びた、黒い砂鉄の顎だと気付く。

 剣に魔力を。

 その異形の怪物を両断する。奥歯を噛みしめるアリエスの顔が見えた。



──"届かぬ場所も、至れぬ時も私は知らない"



 錯覚するのは、大きく厚い鉄の扉。周りに散らばった分厚い本の山。

 私は、扉に無造作に書き込んである文字をひたすらに読み上げる。

 きっと、ここも誰かが通った道。

 ノインの時の、叩き付けるような激情ではなく、不思議なほどに落ち着いて、淡々としたもの。

 やっと読めるようになったその文字を、たどたどしく口に出す。



"まだ、意地と矜持を覚えているか"



「──"はるか重絵かさねえ"」



 瞬間、世界が一枚の絵と化した。平面で切り取られた一枚の絵。


 その絵の中に距離は存在しない。

 あらゆる時間の可能性を書き足していける。

 血が滲む左腕で、右腕の手首を掴んだ。余裕はない。既に包帯の下から血が滲み、床を塗らしている。


 だから、一撃で渾身を叩き込もうと心に決める。


 身の内に生まれた力を朧気に理解しながら、ユキネは腕を引き絞る。


 ──剣を縦に振った。


 しかし、どこかに横に薙いだユキネも居た。

 斜めに振り下ろしたのも、下から突き上げたのも、上から振り下ろしたのも。

 その全てが一瞬に顕現する。


 それはその場剣を振るだけ。


 しかし、事この時において距離は埒外の更に外。

 平面な世界で、届かぬ場所などない。さんさんと輝く星ですら指で覆い隠す事が可能。


 大理石の床を放射状に削り、豪奢な窓を次々に叩き割り、天井をも打ち砕き、奥の壁に至っては欠片も残さぬ程に。


 逃れ得ぬ剣戟が、九本。

 見極めようと目を凝らしていたキャンサーも、捨て身でこちらに突進していたアリエスも巻き込んで何もかもを破壊していく。


 それは、まるで九本の地平まで続く巨大な剣が部屋を余す所なく蹂躙するかのように。



「──"九重"」



 時間と空間に罅を。

 せかいに、刻み込まれた。




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