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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
162/281

鉛弾と奴隷兵

「……あれ」



 現れてすぐ言葉を発して、場の空気が凍りついた所でそのまま状況は膠着した。


 その事に──、つまり俺が飛び掛ってこない事に子供が首を傾げた。



「てっきり出会い頭に殺されかけると思ったんだけど」

「そう思ってると思ってるんだよ」

「あはっ。ま、そりゃそだね」



 わざわざ憤る真似をしても良いかも知れないが、余り意味は無い。


 演技は要らなかった。その顔を見ているだけで、脳の底の辺りに冷たいか熱いかも判らない何かが着実に溜まっていく。



「どこに居る」

「ここに居るじゃない」



 答える気は無いと、言外に言われハルユキは一歩歩を進める。


 子供は薄ら笑いを保ったまま。確信する。間違いなく目の前のこれは本体ではない。


 手を伸ばして、首根っこを捕まえる。その瞬間、案の定その小さな体が雲散霧消した。



「残念」



 そこからもう一歩だけ前に進んだ場所に、子供の姿があった。


 こう飄々としてはいるが、今この子供の頭の中ではどう自然に自分を殺させるかを考えているはずだ。


 引っ掛かってもそう問題は無いが、得も無い。


 この子供を追う建て前を失うのはまずい。思考の余地が出る。


 どこでどうアドバンテージになるかは判らないが、こちらがフェンの生存知っている事は隠しておきたい。



 ──だから、頬に嫌な汗が滲んでいた。


 焦点も合わせず視界の端で捕らえているだけだが、『フェニア』がまだ暢気に茶を啜っている。お姉様方連中に撫でられながら淡々と。



 後ろでは消える刀の男が緊張感を増しているが、フェニアを隠すという所まで察してはくれないだろう。



 クッキー美味そうだな。指を舐めるな。ちょっと待て鳥に意識を持ってかれ過ぎだ零れる。あーあ、べちゃべちゃ。おかわり要求してんじゃない。


 などと、焦りに押されて頭の中が錯綜する。


 ──非常にまずい。あの不安要素は何だちくしょう。



「? どうかした?」



 返事の代わりに目の前の子供の頭から足元まで押し潰す。しかし砕けたのは地面のみ。


 砕けた地面を横から覗いて口笛を吹く姿も多分幻覚だろう。


 フェニアが見つかれば、全て悟られまず間違いなくフェンを連れて逃げられる。それは避けたい。


 ならば誤魔化し続けることが必要だが、それは難しくはなかった。顔を見ただけで殺意が沸くなど、もう一種の才能といっても良いだろう。



「そう言えば、あの金髪の娘は来てないの? ほら、僕等の命の恩人」

「さあな」

「まあ来てるよねぇ。何処の誰かは知らないけど正直あの娘が一番掻き回してくれた。蝶よ花よで守ってきた結界をあっさり壊しちゃうし、と思ったら君を止めてくれるし」

「……」

「ね? 来てるでしょ? あの娘が居たら殺されないで済むから是非いて欲しいなあ」



 子供の軽口を無視して、辺りに視線を巡らせる。


 いない。


 俺の対抗策が全くの勘違いだったとすれば、ただ見えないだけかもしれないが、おそらくそうじゃない。


 ならばどうやってこちらの状況を知っているのかといえば、それも判らないが、魔法の時代でなら──、そう例えば使い魔だとか。


 クローンを作れるこいつならカメラを持っていても不思議ではない。



「ああ、今オフィウクスの所に行ったみたいだ。やっぱり居るじゃない」

「なに……?」



 あの馬鹿。いきなり頭取りに行きやがった。


 小さく舌打ちをして、城を睨み付ける。だが、それが判ったという事は、やはりこの子供は別の場所に視点を持てるらしい。



(まずいな……)



 それがどれだけの労力になるかは判らないが、その視点が頭の場所だけだというのも考え辛い。


 ユキネは強くなった。


 何だか急に戦いのいろはも覚えたように思えたが、それはそれ才能と言うやつなのだろう。どちらにしても、成す術も無く殺されるということも無いだろう。



 だがシアがまずい。


 どうするか。


 この状態で対応策がうまく噛み合って捕まえられれば良かったのだが、そう上手くもいかないらしい。


 見つからないように祈るしかないと、そう思ったその時。



 地面が大きく揺れた。





 ◆ ◆ ◆





 小さく息を切らしながらシアは廊下を駆けていた。


 速く速くと何かが急かす。その何かはきっと本能とかいう奴で、多分間違った事は言っていない。



 先ほどピスケスに撃ち込んだのは麻酔銃。


 当たれば少なくとも丸一日は目を覚まさないほど強力な物だそうだが、決して安心は出来ない。



 渡された銃は三つ。あとは刺激的なパイナップルを各種三つほど。


 どれも違う用途を持った銃で、一つは鉛弾。一つは麻酔薬。もう一つには麻酔を解く為の気付け薬が入っている。


 鉛弾はかなりの数がポケットに入っているが、あとの二つはそう多くなかった。



「見えた……!」



 角の窓から大分近付いた塔が視界に入る。


 大きい。


 城の後ろに隠れるように建っていたので気付かれにくいだろうが、高さだけなら城の最上階とそう変わらない位置まで高さがある。


 恐らく国のお偉方を呼んだ時に、連れてきた護衛共々泊める為のものだろう。


 円形の塔の直径もその高さを支える為に、なかなか大きなものだ。



(お陰で見失わない)



 まだもう少しあるが、この先はほとんど一本道で迷う事はまずない。その勢いのまま角を曲がる。


 その角を曲がれば、塔へと続く渡り廊下が見えるはず。


 出来るだけ速度を保ったまま最後の角を曲がる。視界は良好。ネズミ一匹見当たらない。

 

 止まる事無く、そのまま渡り廊下に躍り出ようとして。



「あ……」



 ──その先の渡り廊下に、それがいた。


 がしゃり、と体を軋ませるそれ。


 無理矢理言葉にするなら、それは鉄の兵。


 軍用刀の四肢。剣や盾、時には矛を滅茶苦茶に重ねたその体。思考など必要としないのか、首から上には兜が乗っている。


 シアより少し背の高いそれが、何体も佇んでいた。



 それは何か前衛的な彫像なのかとも思ったが、ヒシヒシと伝わる危機感からシアの足が止まる。


 いきなり襲い掛かってくるという事はない。それを悟るとシアはゆっくりと後ずさり、角に体を隠した。


 頭だけを出して、その様子を探る。


 渡り廊下だけではない。渡り廊下を支える柱にも、そして下の裏庭にも同じような鉄の兵がうろついている。



「──メイドオォッ!!」



 突然、怒気に満ちた声が空気を揺らした。


 思わず肩を跳ねさせ、同時に、殺意に濡れたその声にぞわりと全身の肌が粟立つ。


 本能のままに壁に身を隠し、ゆっくりと声が聞こえた下の裏庭を除き見る。



 ──ピスケス。



「どうして……!」



 確かに眠らせたはず。しかしあの豪奢な格好を見間違いはしない。


 そして何より、足を引き摺ったまま怒りに充血させているその目がシアに確信を与えた。



 その周りには大勢の鉄の兵と、そして一際大きい鉄の騎士。四本足のケンタウロスを模した鉄の兵が近衛騎士のように傍に付き従っている。


 鉄の兵に習うように、ピスケスはその怒気とは裏腹に恐ろしく冷たい声を出す。



「出て来いとは言わん。何も要求は無い。ただ、貴様も俺に何も期待するな。慈悲も許しもだ」



 足を引き摺りながらも、その目に声に殺意は溢れている。



「楽しみだな。お前は怯えるのか? 泣くか吠えるか喚くかそれとも。すぐ死ぬか?」

「っ……!」


 

 いつの間にか息が上がっている自分にシアは気付いた。

 

 じとりと背中に汗をかいていて、気を緩めれば歯がカチカチと音を鳴らす。


 知らなかった。


 敵意と悪意と殺意が混ざれば、これ程に圧力を増すのかと。これ程逃げ出したくなるのかと。



 少し精神的に幼い所が見えるとは言え、歴戦の戦士。


 その足取りにも口振りにも、威厳と落ち着きが顕れている。



「──しかし先ずは」



 更に野太く、殺意に満ちた声。それが、僅かに嗜虐的な色を覗かせる。


 声の主であるピスケスは移動していた。塔の壁に手をついて、寄りかかりながら立っている。


 ──いや。

 寄りかかっているのではない。



「絶望を知っておけ」



 ずぶりと、ピスケスの腕が壁に沈んだ。薄ぼんやりとその意味を示すは"隷"の文字。

 

 隷。特別、その文字に恐怖を感じずにはいられない。



 そして変化が始まった。

 

 まず、石でできているはずの塔が粘土のように形を変える。


 次に足が生えた。腕が生えた。縦方向に背が縮み、安定感を増す為にか横幅が広がっていく。


 それは、人の形に近付き、程無くして。



 忠実な石巨人ゴーレムとして、この世に誕生した。



「──あ」



 見上げる。


 そして何かが挫けた。


 いとも容易く、シアの戦意が絶望に塗り替えられた。


 シアの恐怖を受け取ったかのように、しきりに地面が揺れていた。




   ◆



「シアって幾つだっけ?」



 食事の最中の一風景。

 

 ユキネとフェン以外はとても上品とは言えない食卓で、いきなりシアに水が向けられた。



(え……?)



 声は出ないが、口の形だけで大方の心情は伝わったようだ。ハルユキが意図を再び口にする。



「いやな、こいつらがあまりに長幼の序が守れてないから」



 幾つだっただろうか。


 確か酒を飲める歳だとか言われていたので十八は越えていると思うが、詳しいところは良く判らない。


 と言う旨をホワイトボードに書いて伝えると、フェンとユキネが目を丸くした。



「と、年上?」

「驚いた」



 理由が分からない申し訳なさを感じて、何となく苦笑を返した。



「よし。良い機会だ。俺が長幼の序というありがたい言葉の由来を教えてやろう先ずはてめぇだモスキート娘コラ」

「なんじゃ。こんな婆はいいからそちらの若い奴らとよろしくやっておれ」

「その婆がボケて俺の皿に箸を伸ばしてなければな?」

「そもそも貴様の取り分が多すぎるんじゃ」

「全員必要量買ってきてるんだよ! そして俺のは自腹だ!」



 折角露店が出てるから、とシア達の夕飯は大体各々が仕事帰りに買ってきたものを摘む感じになっていて、そのせいか自然と皆で食卓を囲むことも多い。


 といっても、シアは酒場の残り物を貰ってくるだけだが。



「まあそれはそれとしてだ」

「その酒くれ」

「……ああもう。ほら。それで最後だぞ」

「なに。儂もそろそろ外に出るさ。やりたい事もあるしの」

「ほどほどにな。それでだが……」

「なるほど。コンパニオンさん呼ぼうってことやな。分かるでハルユキ」

「……またお前は脈絡が無い事を」

「馬鹿やなハルユキは。コンパニオンさんやぞ? ちょっとエッチで開放的で優しいお姉さんやで? そんなモンが何の脈絡も無しに出てきたら幸せやないか」

「幸せなのはお前の頭だ」



 三度話を遮られて、ハルユキが溜息をつく。それを見て笑って、ユキネ達は苦笑して。



「まあもういいや。敬意とかとは俺も無縁だ」

「私はそういうのは人一倍厳しく教えられたがな。城では礼節通りの言葉を使っていたんだぞ?」

「……? 何でわざわざ口調変えてるんだ?」

「それは、だって敬語は……。何か、遠い気がして……」



 敬語。


 なるほど、確かにそれは嫌だろうとシアは思う。


 この人達の関係に敬語なんて物は似合うとは思わなかったし、こちらに敬語を使われても多分困ってしまう。



「ハルユキー。コンパニオンー」

「小僧ー。酒ー」

「……何がお前らをそんなに駄目にするんだ? なあ本当に」



 これで自然なのだ。


 変わらない物などない。しかしきっとこの人達は、自然なまま。ふわふわと漂うように形を変えていくのだろう。



「シアに敬語か。なんかジェミニやハルユキやレイに使うよりは自然な気がする」

「俺は傍から見たらこいつらと同じなの……?」

「いや別にハルユキ達がどうこうと言うよりシアが……、んん? 何でだろう……?」



 それは、仕方の無いことだとシアは思った。


 距離が遠いのだ。


 自分は社交的な方ではない。性格も暗い方だ。この人たちと一緒にいる事が申し訳なくなる時も珍しくはない。


 一人だけ明らかに異分子だ。だから、それは贅沢なのだ。


 てんやわんやと騒ぐ皆を遠くから眺める時、遠くで笑っている自分を少しだけ寂しく思う時がある。でも、それは贅沢なのだ。



「あ」



 ユキネが何かに気付いたのか、顔を上げた。



「シアが私達に敬語使うからじゃないか?」



 ああ、と一同が得心したように頷いた。


 いつもは足並みなど揃えないはずなのに、こんな時に限って呼吸すら合わせている。



 本人のシアが一人だけ浮いたのは当然。


 しかし、感じたのは思わず半身引いてしまうほどの危機感だった。



「はい。じゃあチキチキ~。第一回シアから罵って貰おう大会改め。第二回常語(ためぐち)で話してもらおう大会を開催しますっ」



 そして、五分後。


 実に妙な事になった。


 積み上げられた座布団の上に座らされたシアは、ハルユキの発声機械をつけてどこか遠くそんな事を思っていた。





  ◆





 ぱら、と崩れた壁の一部が落下する音でシアは意識を取り戻した。


 数秒間、酩酊した意識に思考が乱れる。そしていきなり我に返って息を呑んだ。



「なん、て……」



 無くなった廊下を見て、シアは掠れた声を出した。


 あのゴーレムは立ち上がってすぐ、渡り廊下を挟んだ城の一部分を殴り付けた。


 そこにはもちろんシアが居て、何とか直撃は避けることが出来たものの、余波だけで吹き飛ばされ気を失ったらしい。


 足場は崩れ落ち、先程よりも僅かに空が遠いようだ。



 視界の先にはその巨人がゆっくりと拳を引き上げていた。


 どうやら気を失ったのは一瞬だったらしい。メイドの服が汚れたのと所々が赤く腫れてしまった事以外被害も無かった。



「逃、げ……」



 立ち上がった足は、恐怖からか痛みからか小刻みに震えている。


 かくんと膝が笑ったところで、喉元に鉄の刃が当てられた。



「さて、呆気なかったな」



 一つではない。何体かの鉄の兵がその腕をシアの喉元に添えていた。



「あ、く……」



 首をぐるりと囲うように添えられていて、喉が上下するたびに刃が食い込む。


 シアの呼吸は浅く速い。酸素が足りていないのか、思考も鈍い。ただ喉もとの刃の感触が恐怖だけを浮き彫りにしていく。



 ピスケスの姿は崩れ落ちた瓦礫の上。やれと腰を下ろしている。


 何メートルも離れていないのに、余りにも違う二人の空気の温度差がシアに絶望をもたらしていた。



 そして、その後ろに巨大な石の巨人。


 今はただ、彫像のように佇み、その巨大さは遠近感を狂わせ背景の一部になっている。



「……良く判らない目をしているな」



 ぽつりとピスケスは漏らした。



「貴様があの時期に俺の脚を撃ち抜いたのは、打算からではない」



 断定する言葉。


 あまりに核心を突きすぎていて、皮肉を返すことも出来ない。



「俺が人質──つまりは貴様の身内を害する事を示唆する事を言ったからだ」



 また断定。


 ピスケスは続ける。



「その証拠に、貴様の目は明らかに俺への敵意と悪意に満ちている」



 それを、お前が言うのか。


 目は血走り、瞳孔は開きかけ、伝わってくる殺意はそれだけで膝を突いてしまいそうなほど。



「しかし貴様は俺を生かしたな。情けか、何かの意図かは知らないが」



 その目に映っているのはあまりに幼稚な殺意。


 しかし、そんな物がここまで純度を増すのかと、その怒気は親を目の前で殺された子をも凌ぐのではないかというほど。



 ピスケスの足元に血が付着した手拭が放られた。


 間違いなくそれはシアが止血に使ったもので、地面に付くと同時に踏みつけられた。


 二度三度と踏み付けられた手ぬぐいは泥で真っ黒に染まる。


 それを踏むピスケスの足は信じ難いことにほとんど塞がっているらしい。



「三回だ」



 ピスケスは座ったまま、じとりとシアを見つめた。



「両足の止血。そしてこのふざけた手加減。同じ物を撃てば死ぬと言うのにまさか中身が毒という訳でもないだろう」



 取り出したのは、中に麻酔薬が入っているはずの弾丸。


 ピスケスが少し力を入れると、その弾丸は粉々に砕けた。



「その三回分を見逃してやる。そうだな、その度に六十秒待ってやろう。足掻け。もがけ。今のこれは数えないでいてやる」



 そのまま、シアから視線を外した。逸らせた事が信じられないほどに、その目はぬらぬらと殺意に濡れていた。


 そして秒読みが始まる。



 ──その感情をそれと意識する前に、自然と悔しさに奥歯が軋んだ。



 戦士の矜持など持っているわけがない。


 ただ、これでも自分は無様ながらに命を張っていたから。



「────ッ!」



 思考を通さずに勝手に腕が上がった。銃口がピスケスを捕らえる。


 怒りか恐怖か銃はカタカタと震えているが、それでもこの距離ならどこかには当たる。



 撃て。


 叫ぶでもなく口にするでもなく、心中で呟いたその一言で容易く人差し指は動いた。


 パシュンと気の抜けた音。


 しかし、今度は金属に打ち払われた音がそれに続いた。


 防いだのは横合いから飛び出してきた剣の体。



 既にカウントは十を通過した。


 それを耳で聞きながら更に銃弾を叩きつけるが、その尽くが傍にピスケスの控えた巨大な鉄兵に弾かれて地面に落ちる。


 二十を通過して、三十に迫る。



「くっ……」



 意地になる必要は無い。


 とりあえずここでピスケスを倒す事はできない。少し離れたところで静かに佇む塔の巨人を見る。


 もう一度歯軋りをして、シアはその場から全力で逃げ出した。



 まだ時間は三十秒ほど残っている。


 崩れ落ちた瓦礫だらけのこの場所。隠れる場所なら山ほどある。


 とりあえずカウントの声が聞こえない場所まで離れると、大きな瓦礫に身を隠した。



(どうする……!)



 頭を巡らせて直ぐ、シアは答えに行き着いた。


 簡単だ。呼べばいい。


 ハルユキなら、ピスケスもあの塔の巨人すらも一撃の下に下すだろう。


 ちょっと来て、直ぐに帰るだけ。今まさに誰かを助ける場面でないのなら、邪魔にすらならない。


 もしかすると、一分とかからないかもしれない。


 それをピスケスは知らない。だから愚かにもあのような余裕を持っていられるのだ。


 シアが声を出すだけで、自分が負けると知らないから。



 あまりの馬鹿馬鹿しさに思わず口元が上がる。



 もし同じ事を言っている自分がいれば、思いきり引っ叩いてしまうほどに。


 それはあまりに、ありえなかったから。



(……違う。それは違う)



 そうすれば終わる。だけど嫌だ。


 そうすれば助かる。だけど嫌だ。


 そうすれば助けられる。しかしどうしてもどうしようもなく嫌だった。



 命を賭けたい。


 命を賭けた上で、皆を取り戻したい。


 逃げ回って、膝小僧をすりむいて、首にあざを作って、それで終わりなどありえない。



 痛みを。傷を。苦しみを。共有して。


 私は彼らの仲間だと胸を胸を張れるように。少しだけわがままを。



 敵の言葉を丸呑みにするのはあまりに愚かかもしれない。


 しかしあの男は、そこだけは信用できる。弱者の為に己を偽る事を許さない類の人間だ。



 名前さえ叫べれば、必ず来てくれる。 


 だから、あと二回見つかって。そして名前を呼べる最後の一秒と半分まで。


 信頼と度胸の見せ所じゃないか。



 一度深く呼吸をすると、震えが止まる。

 

 もう一度同じ事をやると、視界が澄んだ。


 とりあえず、このまま塔まで走っていくのは難しい。


 途中で敵の大将が更なる兵を従えて待ち構えている上に、辿り着いたとしても太い二本足で立ち上がった塔に入るのは難しい。



(──考えろ) 



 足りない脳細胞を死に絶えるまでこき使って、貧弱な体の使い方を探せ。


 そうすると、まず音が消える。


 そして目から入ってくる情報も絞られた。耳鳴りがなる。呼吸が止まる。



 ピスケスの声が、六十秒を告げた。




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