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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
158/281

塗り重ねるは

 泥の匂い。

 魂魄にまで染み付いたのではないかと言うほど嗅いだ、その匂い。


 今度は誰の記憶か、誰の目か。言うほどに興味はない。どうせ出てくる役者も結末も全て一緒。


 誰かは手を伸ばす。


 生き汚いと判っていても、生を喜んだ事もないけれど。ただ萎んでいく自分の命に縋り付く。手を伸ばして伸ばして、そして現れるのは青い髪の少女。



 手を握られる。いや、握ったのか。

 謝られる。いや、謝ったのだったか。



 そこで唐突に、幕は下ろされ視界は黒い帳に包まれる。



 次。



 始まるのは何時も泥の匂い。


 美しさが試されたのか、私の顔は剥ぎ取られている。その他も全て嘘っぱち。 


 しかし、諦めないのだ。何処までも生き汚くどこかに救いが無いかと土を掴みながら泥に塗れて私は前進する。


 誰かがその手を握る。いや、握ったのだ。


 謝られる。謝る。


 幕が下りた。



 次。



 泥の匂いがあった。


 足りなかったのは強さか。私の腹は獣の牙と角が蹂躙した後でもう肌の色はない。


 手が温もりを求める。求められる。


 謝る。謝られる。


 幕が下りた。



 次。



 泥の匂い。


 足りなかったのは心。表情を浮かべられた唯一の私。ただそれが嘘でできていただけ。


 手が繋がる。何か言った。



 幕が下りた。



 次。



 泥。


 体がほとんど無い。嘘を拒否したから。


 重なる。



 幕が下りた。



 次。



 泥。


 当の昔に息はない。何も無い。手が重なる。



 幕が下りる。



 次。

 ツギ

 次。

 次次次。

 次次次次次次次次ツ次次次次次次次次次々次次次次次次次次次次次次──……。



 ──泥の中。


 終焉は、幕引き役の幕引きは、記憶が薄い。ただ覚えているのは、奇麗な奇麗な金色の髪。





  ◆ ◆ ◆





「やあ、起きたね」

「え……」



 目を開けて、柔らかなベッドの感触に驚いた。そして、どうにも眠りから覚めた感覚ではない。


 先程までオウズガルの町の路地でハルユキの前にいたのに、瞬きをした瞬間にこのベッドの上に移動させられたような感覚。


 しかしそれでも不思議と、時間経過の感覚は体の中に残っている。


 あたりに視線を巡らせると、妙に格式ばった装飾が施された壁や床が目に入った。


 しかしそれに意識をやったのも一瞬、その部屋にはとても似合わない機器が、道具が、臭いが、既視感をくすぐった。



「これは……」



 最初に見つけたのは巨大な透明の筒。その材質はガラスにしてはしなやかで、しかしガラス以外にあの透明さを持つ物を知らない。


 しかし、既視感が無いわけではない。恐らく"この目で見た記憶でこそないが"、記憶の中に該当する風景があるのだろう。



「ここはビッグフット、その城の地下の迎賓室でね。一番広かったから間借りさせて貰ってるんだ」



 その声の主を見つける。なにやら世話しなく机の上の何かを指で叩いている子供の姿。


 確かにかなりの広さを誇るこの部屋にその姿は紛れ込んでいるように感じる。


 城にある大食堂ほどの大きさはあるだろう。しかし、先に述べた通り、半透明の筒と鉄製のパイプがそこら中に密集していて、開放感は皆無だ。



「まだ丸二日だ。疲れてたらまだ寝ててもいいし、何か飲むなら用意するよ」



 白い大理石の壁。


 それを伝った先にある大きな両開きの扉を指差さして、レオはそう言った。



「あの、オウズガルは……」

「うーん、壊滅させる気だったんだけどね。やっぱりあの黒髪君にやられたみたいだ。凄いね君の友人は」



 茶色の短い癖が入った髪をぼりぼりと少年は無造作に掻きながら溜息をつく。



「──そんなことよりも、だ! 君だよ! 凄いのは!」



 ぱん、と思い切り手を打ち鳴らして、満面の喜色を顔に浮かべた。


 その顔には好奇心と気体もちらほらと混じっていて、どこか胡散臭い表情すらも今はなりを潜めている。



「少し髪の毛を貰って調べてみたんだけど、成程ね、君のその自我形成はああやって行ったのか」



 ぶつぶつと独り言を続けたり、時々こちらに向かって感激の声を上げたりとレオは忙しく口を回す。



「ああ、そう言えば」



 その言葉を皮切りに、今までの表情と感情が一瞬で抜け落ち、いつもの胡散臭い表情をフェンに向ける。



「出歩いてもいいけど、地下からは出ないように。いつ鬼がここに来るか判らないからね」



 鬼。とはハルユキの事を言っているのだろうか。そう言えば、街中でハルユキがそう呼ばれているのを聞いた事がある。


 鬼。それを聞いて首を傾げた事を覚えている。彼は鬼ではない。あれ程我侭な人間臭さを持っている人間が何処にいるというのかと。



「ジェミニと吸血鬼を助けに。ああ、あと僕を殺しにかな」



 意図的にフェンの名前を外した事を、フェンは驚きも無く受け止めていた。



「多分、程無くして彼は来るだろうけど。それでも君を助けには来ない。何でだか分かるかい?」

「私が、裏切ったから……?」

「……いやいや、君は悲観的になりすぎだ。裏切ってなんかいないだろう。ただ少し自分の身を優先しただけ。最終的にはそれも怖くなって自分の身を放り出そうともしたけれど。多分そんな事は気にしない人種だろう彼は」」



 僕が言っているのはもっと実質的なことだ。とレオは口に手を当てて小さく笑う。



「君と同じ体を残してきた。話すとばれるだろうから、死体をね」



 ああ、とその一言だけで納得がいく。納得した事も分かっただろうに、レオはどこか自慢げに言葉を続ける。



「つまりは、彼は復讐に来たとしても君を探しには来ないんだ。そして、僕は上でどんな戦いが起ころうと一切関与しない。出て行かない」

「出て行かない……?」

「僕がこのゾディアックに居るのは、金と場所とそしてこの技術が欲しかったからだ。上で誰が死のうが誰が取り戻されようが今回は知らぬ存ぜぬだ」



 そう言って小さく肩を竦めて見せる。


 レオの言葉にさして驚きは無い。そんなものだ、協力できる時には協力するが、自分の損害の方が大きい時は姿を隠す。


 それはレオだけではなく、この組織がそうならざるを得ない体系になっているのだろう。



「僕がこの城に居るのを知っているのは、数人だけ。それに地下室の入り口も見つからないように隠す。と言うか、見つかるとすればまずは元の拠点が先だろうから心配しすぎなのかもしれないけど」



 長々とした台詞を嫌ったのか一度言葉を切り、まあつまり、と話をレオは纏めに入った。



「僕も君も、次回の騒動は不参加。この地下で引き篭もりだ。如何せん小手先以外に取り得が無いんでね」



 小さく肩を竦めて見せると、レオは再び手元の台に視線を落とし、まるでピアノのキーボードを叩くように次々と指でそれを叩き始めた。



「少し手が離せないから、好きに歩き回って構わないよ。その扉から左に行けば地上にも繋がってる。内側からは簡単に出れるようになってるから」

「え……?」



 それはつまり、外に行けるという事か。


 言葉の意味を上手く噛み砕けないフェンに、その困惑した表情を予想していたのか笑っているレオを見つけた。


 その顔を見て、その意図が何となく理解できた。


「逃げないよね」その声に、ゆっくりと顔を上げた。「君は」


 その時自分はどんな表情をしていたのか分からない。


 不器用に笑って強がっていたのか、虚に核心を付かれて強張った顔をしていたのか、それともその穏やかな声に驚いていただけなのか。


 優しげに微笑むその顔が、余りに穏やかだったからだろうか。


 たん、と強くキーボードを強く叩いて、レオはこちらを向いた。ごぼごぼと、筒の中に半透明の青い液体が溜まっていく。



「人を好きになるって言うのは、怖いよね。彼等を知りたいけど怖い。彼等に知って欲しいけど怖い。近付きたいけど怖い。会いたいけど怖い」

「……?」



 何処か違和感を残す表情でレオは続けた。


 とてもこの人物が言うような言葉には聞こえず、字面だけ見るならばその内容は、実に滑稽で都合の良い自己弁護にしか聞こえず嘘くさい。



「時々、その怖さが好意を上回ってしまう事さえある。例えば、酷い自己嫌悪に陥った時とか、騙していた後ろめたさあった時とかね」

「……っ」



 しかし、間違いなくそれはフェンの心情を余す所無く表していた。



「僕は良く分かるよ。嘘じゃない」



 びくりとフェンは肩を震わせる。それも、予期していた事のようにレオの表情は変わらなかった。穏やかで大らかで、それは、まるで──……。



「君がここ居れば僕から彼らに危害を加える事は無い。言ってはなんだけど多分あの黒髪君にとって一番相性が悪いのは僕だ。取引になる」

「……取引?」

「君がここに居るなら、必然的に僕は彼らに用がない。付け狙う事もない。それは会わなくていい言い訳になるだろう? そういう事にしてしまえばいい」



 こんな所に居たくは無い。目の前の子供に、情や感慨があるわけでもない。しかし、ハルユキたちの元に帰りたいかと言えば、そうではなかった。


 元の鞘に収まる事はもう出来ないのだ。戻れば、今までの嘘を話すか、嘘を吐き続けるか。そのどちらかを迫られる。


 そのどちらも一握りの勇気が必要で、自分はそんな物も持ち得ていない。



 こんな事で嫌いになるはずがない。オウズガルの城でもハルユキはそう言ってくれた。


 それを、嘘ではないかと疑ってしまう。そんなはずはないと、思えたならどれだけ楽だっただろうか。



 結局、信頼すら出来ていないのだ。恩人にも、友達にも、仲間にも、自分にも。



 友達と称すれば、ぎこちない笑顔を向けられそうで怖い。

 仲間と呼べば、手を振り切られそうで怖い。

 家族だと驕れば、背中を向けられそうで怖い。



 どうしようもなく、皆の嫌悪の念が怖い。


 故に、思う。


 しかし、もし自分が既に死んでいるのならば、レッテルを貼った嘘塗れの自分を、それでも以前のまま記憶に残してくれるのならば。


 もう、死んだままでいいのだと。




   ◆ ◆ ◆




 子供が地下迎賓室を出ると、壁に寄りかかっていた女と目が合った。



「立ち聞きかいアリエス?」



 部屋の中での声とは一変した軽い口調に、女は憮然として腕を組んだまま言った。



「嘘八百を盗み聞きして何になる」小さく鼻を鳴らした。「それも、あんなモルモットに対しての」

「嫌だな、あの娘に嘘なんて付く訳無いじゃないか。それにちゃんと言ってあるよ、"君は要らない"って。もちろん正直にね」


 

 それを聞いて女は不愉快に眉を顰めたが、我関せずと意思を示すかのようにもう一度鼻を鳴らして、女は壁から背を離した。



「来い。引き篭もる前に閣下がお呼びだ」

「おや、閣下に呼び方を変えたのかい?」

「当然だ。彼の御方は今や王。遅すぎたぐらいだがな」



 へらへらと返事をしながら、子供は女の目の前を恐ろしいほどの無警戒で通り過ぎる。



「少し耳に挟んだが、あれは貴様の……」



 あれ、と言い表した時に女の視線は子供が潜ってきた扉に向いた。



「うん、そうだよ。僕の愛しい愛しい存在だ。愛しい愛しい踏み台で、愛しい愛しい未来だよ」



 女の視線など見てもいないだろうに、子供は変わらぬ声色で告げる。



「……本当に?」

「僕は嘘吐きだよ? なら、決まってるだろう?」

「矜持も忠義も度外視して殺したくて堪らない人間は貴様ぐらいだ。誇っていい」

「怖い怖い」



 そう言い残して、子供の姿は階段を上って消えた。それを女も追う。


 追いながら思う。



 あの男は生粋の嘘つきだ。


 しかし、嘘つきは嘘しかつかないから嘘つきなのか──否。嘘しかつかない人間ならば信じる部分も出来る。それはもう世界で一番愛らしい正直者だろう。


 正直な事も言うからこそ、嘘つきは信用出来ない。この組織の中では人間臭くて、とてもとても。



「この場所は、まだ隠さないのか」



 廊下に出る。あまりに開けっ広げな入り口に思わず疑問が口に出た。



「隠すよ。戻ってきたら直ぐね。誰にも分からないように、気付けないように」



 その反応が面白かったのか、子供は楽しげに腕を広げておどけてみせる。



「ま、街ごと吹き飛ばされるなんて事になれば、流石に見つかるだろうけどねぇ」




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