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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
155/281

獅子、双子、水瓶。



 意識が覚醒して、目を開ける前にジェミニは辺りの気配を探った。

 時折水が何処からか滴る音以外は何も聞こえない、耳が痛いほどの沈黙。頬には僅かに光が当たる感覚。瞼の裏にも僅かに光が映る。


 自分は座らされ、右手は何かに繋がれているようで宙に浮いていた。

 この空気の湿り気はあの時、──ユキネの城の地下牢と同じ。恐らく地下。そして牢。

 跳ねる水滴の音からそう大きな部屋ではない。恐らくは独房。壁と床は石。唯一木の扉が左奥にあるようだ。そして恐らく、誰もいない。



 そのまま数秒。己の体の状態と辺りの気配を感じ取る。驚く事にその間ジェミニの体は身動ぎすることすらなかった。

 ゆっくりと目を開けた。


 広がった光景は想像にほとんど違っていない。

 光の元は机に置かれたランタンの光だったのか、と感想はそれぐらいだ。


 鎖に繋がった右手を見て、舌打ちを一つ。

 嵌められていた事にではない。この悪ふざけに対する舌打ちだった。

 指輪の魔装具は外されている。しかし、ジェミニは体の中に高精度な魔装具を埋め込まれている。


 だから、囮の魔装具をはずしたところで意味は無い。本来ならジェミニを無力化したと敵の油断を誘うのが目的だが、それは、奴も知っているはずだ。ならば、今回はそもそも無力化が目的ではないのだろう。


 事実、魔法も使える。

 強化された右腕の力だけで鎖は容易く千切れた。そして牢の鉄格子も指先で曲がっていく。


 そして、ぽつんと部屋に置かれた机と、その上に乗る指輪と、そして指輪と机に挟まる一枚の羊皮紙を見つけた。



『上へ』



 ただ一言だけそう書かれた紙を一目見て放り出し、指輪を嵌めながら扉へ向かう。


 扉に付いているリング型の取っ手に手を掛けようとして、ふと、ジェミニの手が止まった。



 何かおかしい。

 部屋の様子ではなく、自分の行動に疑問が残った。──いや、それも少し違う。正しくは今の自分の行動と比べて以前の疑問が浮き彫りになった。



 どうして。自分は。あの時──。


 思考はそこまで。

 襲い掛かった頭痛にジェミニの思考は白く染まり、そして一瞬で通り過ぎた頭痛は、その頭痛の存在もそして疑問の記憶も無かった事にした。


 そして当然ジェミニは何の疑問を浮かべるでもなく、扉を開けて外へ出た。

 出た瞬間、扉の横に兵士がいる事に気付いて目を見張る。しかし兵士は持っている槍を向けるどころか、視線すら向けない。


 成程。

 オフィウクスお得意の洗脳兵士と言うわけだ。

 そう言えば、オフィウクス──いや、今はあの老獪な子供はレオと呼ばれていたか。

 思い出した事実に奥歯を噛み、速くなった歩調で一般房とその奥に続く昇り階段の上まで一息に移動した。


 出たのは丁寧に赤絨毯が敷かれた、大理石の廊下。

 後ろは地下牢だ。一階の、そしておそらく入り口から一番遠い場所だろう。

 そして見た限りそう小さくない建物だろう。ジェミニの立っている場所から続く廊下だけ見ても相当な長さ、高い天井。そして一定感覚でシャンデリアまで飾ってある。


 城。

 思いつくのはその単語で、そしてそこから更に連想するのは以前拠点としていた森の中の古城。


 しかし、その城の中にいると言う訳ではないようだ。あの城は日が中々当たらないせいで、もっとかび臭い。


 何より直ぐ横にある嵌めごろしの窓の向こうに町が広がっている。

 そして、驚く事にその向こうには地面が広がっていない。流石に宙を浮いている都市など聞いた事はないが、切り立った山の上にある断交的な国にならば聞き覚えがある。


 雲が近い。抜けるような青空が広がっていた。


『上へ』


 その誘いに乗るのならば、階段を探すべき。しかし、今のジェミニはそんな悠長な選択肢を選択しなかった。

 向き直ったのは窓。手を添えて、一瞬後。壁ごと吹き飛ばした。


 パラパラと欠片が舞う中で、視界に入ったのは綺麗に手入れされた庭。庭師の老人がこちらを見て驚いている。操られてはいないらしい。



「ごめんなおっちゃん。後で掃除しに来るわ」



 それだけ言って視線を上に。

 『上へ』。その言葉が指す場所は簡単に見つかった。


 庭を囲うように綺麗にシンメトリーを保った城。その中心の、三角錐状に伸びたその頂点。その存在を確かに感じた。

 助走無しの跳躍で二階の窓に足を掛け、そのまま更に跳ぶ。

 高い。元々山の上にあるせいで薄い空気が更に薄くなる。


 十四階の白いテラス。

 行き着いたその場所は、周りの山々のどの頂点よりも高く、町の全景はもちろん、余りに遠すぎて霞がかった地上までもが見て取れた。



「絶景だろう。初めて見た時は私も年甲斐無く目を奪われたよ」



 強い風が吹いた。振り返り、長い金髪を揺らすその男──"オフィウクス"を認め、目を細める。



「眺めはいいが、今日は少し風が強い。中に入るぞ」



 そう言って、肩に羽織っただけの白い外套を押さえながら、ガラス張りの扉を潜っていった。

 少しだけ逡巡して、ジェミニもその背中を追って中に入った。


 一度視線を右から左に往復させて、部屋の戦場をほぼ全て頭に入れる。

 出入り口は向かって左。右に王座。やり方が判らなくて、とりあえずマニュアルを沿った様な様式美がそこら中に。



「君の他に、二人ここに招待した。青髪と黒髪の令嬢だ」

「────!」



 ──時間を引き延ばす。

 床の反跳を利用し、踏み込むその速さは神速のそれ。

 しかし、別の時間軸に置いてきたはずのオフィウクスはジェミニと同じ速さを持ってジェミニの拳を受け止めた。


 重力特異点。

 オフィウクスの体の回りに張り巡らされた力の乱力場と時軸は、その中心にいるオフィウクスの意向以外の変化を認めない。



「ち……」



 一つ舌打ちをすると同時に、捕まれていた手を振り解き、一歩、二歩下がって警戒する。

 自分から手を離したオフィウクスは、そのまま王座に腰を下ろした。



「……王気取りか」

「馬鹿な。私はただの人間で、これはただの椅子だ」



 そう言うと、何がおかしいのか自嘲的に笑いながら、ゆったりと肘掛に頬杖を立て凭れ掛かる。



「そう、私などまだまだ人間だったよ。生き残れたのは偶然だった」

「逃げられると思ってんのか? あれから」

「とりあえず、町ごと消し飛ばす為の手段は講じたんだが、まあもしまだ生きているのなら、」



 言ってから、ジェミニはここに乗り込んでくるハルユキを想像した。

 容易に想像できる。困った事にあれは人一人のために動くのだ。自分一人ならいざ知らず、レイとフェンが居るのならそれこそ鬼の形相で攻め入るのではないか。



「無理だろうな。一応あの城を手放して、色々と策も講じたが、隠れていられるのも半月程だろう」

「……何を考えてる」

「簡単だ。卑小に成長を続けるだけだよ。何と言っても人間なのだから」

「……その、精霊獣の体と何か関係があるのか?」

「ほう、流石だよ」



 オフィウクスは肘掛から体重を持ち上げると、完全に体重を背凭れに預けた。



「"神依代ゲンガー"。レオに無理を言って作って貰った人工精霊獣だ。頑丈な筈なのだが昨晩徹底的に壊されてしまってな。泣きの二体目だよ」



 笑う、他に何か有る訳ではなく、ただ笑っている。そんな顔だった。しかし、それに反比例するようにジェミニの顔は強張っていた。



「それ、は、──」

「ああ、アクアにその責を果たして貰っている」



 その言葉が終わらない内に、ジェミニが立っていた大理石の地面が弾けた。

 一陣の風となり、玉座の間を一直線に風が走り抜ける。その速さたるや迅雷の如く。その体は一筋の線となり、その拳は矛の先となる。

 しかし、その拳は先程と同じ結果を繰り返した。ぱしん、と乾いた音を最後にジェミニの力はどこぞへと消えうせた。

 ただ、今度はジェミニは引かなかった。単純に筋力のみでぎりぎりとオフィウクスに肉薄する。


 激情に駆られ歯を剥き出しにするジェミニの表情。

 その表情とはやはり反比例するように、オフィウクスの表情は冷たく凍てついていた。



「何故、そこで貴様が怒る」

「お前が、殺したからだろうがぁッ!!」

「私が殺したのではない。彼女が私に殺されたのだ」

「同じ事だろうがァッ!」

「──違うわ、戯けが」



 至近距離で競り合っていた二人の間の空気が明らかに変わる。

 ジェミニはもう一つの拳を振り上げ、しかし、その時にはオフィウクスの傍らから飛び出した彗星がジェミニの腹を打っていた。



「飛べ」



 その言葉に真摯に従うように、ジェミニの体は接近の時と変わらないほどのスピードで王座の正反対──、出入り口の巨大な扉と、天井との境目まで吹き飛んだ。

 幾らかジェミニ自身が威力を殺したからか、その衝撃は着弾部分に罅を入れるだけで事なきを得る。


 しかし、ジェミニはそのまま十メートルほどを地面に落下して鈍い音を立てた。



「思い出せ。彼女は笑って死んだだろう。あの時がアクアの生涯の終着だった」

「違うッ!」

「それに、だ。──彼女がもう生涯を終えたと思ったからこそ、お前も代わりを見つけたんだろう?」



 頭に過ぎる。

 声高に否定できる事ではない。いやきっと、確かにそうなのだろう。

 地べたに腹を付いたまま、否定しようと口を開けて、しかしそのまま歯軋りに変わった事が、ジェミニの心情を如実に物語っていた。



「お前が代わりを求めた事を責めはしない。しかし、そのお前がアクアの事で知った風な口を利く事が全く理解できない」

「がっ……!!」



 言葉と同時に、ジェミニの背にもう一つ彗星が落とされる。

 それでもジェミニは体を起こそうとするが、直ぐに目から焦点が無くなり瞼が閉じた。



「手酷いね。手は出さないものだと思ってたけど」



 すい、と音もなく開いた扉の向こうから姿を現したのはレオ。小さな歩幅でジェミニに近付き、その背中を覗き込むとそう言った。



「余りに直情的だったからな。会話が出来るとは思えなかった。そうでもなければこう簡単に倒せんよ」

「ま、そうだね。僕の印象ではもっとしなやかに強い男だったし。で、どうする?」

「そうだな。魔法を封じる事は出来るか」

「ん~? 僕達は結構複雑な位置に魔装具埋め込んでるし、それも一つじゃないから難しいかな。一定時間薬で眠らせることは簡単だけど」

「ではそれで構わない。残念だが今は時間と魔力が僅かでも惜しい」

「……鬼さんこちらってね。何なら逆に呼んでみるかい?」

「私は遠慮しておこう。少し眠りたい。この体は魔力伝導も反応速度も悪くないが、如何せん睡魔に弱い」

「君、一日の半分は寝てるもんね……」



 オフィウクスは羽織った軍服を翻して王座に座り直すと、頬杖と背凭れに体重を預ける。

 視線を先程まで居た場所に戻すと、ジェミニもレオも姿は無くただ割れた床だけがあった。


 水を打ったように静まり返った玉座を耳で確認して、窓の外の景色に視線を移す。ここから見える景色は空の青だけ。この陰った室内が対照的で心地良かった。


 睡魔に任せてゆっくりと目を閉じる。

 瞼に浮かぶのは、胎動する自分の体。

 感慨深げに思い起こすのは、誰一人欠けていなかった日々。取り巻く世界。



「ああ、憎い、憎い」



 静かに呪詛を吐くその口は、それでも緩やかな微笑に歪んでいる。





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