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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
150/281

最強


 白い何かの直撃を顔で受け止め、ユキネはくぐもった悲鳴を上げた。

 何しろ立っているのは空中だと言う事もあって、ユキネはパニックになりながら顔に張り付いた白い何かを引き剥がした。


 銀色の鱗に白銀の毛。そして、極め付けに「ギィ」と切なげな声。


「ギィ、だったか……?」

〈はい。覚え易い、良い名前です〉

 

 

 鳴き声をそのまま名前にしたのはどうも手抜きを感じさせもするが、覚え易くそして同時に親しみ易いと言う事だ。

 ユキネは一度撫でた事があるくらいしか接点はなかったが、不思議なほど恐怖は感じない。

 恐怖は無いが、空中に立っているユキネにのしかかる格好なのでかなり重い。短い期間にも成長して、全長五メートルはあるのだ。



「ど、どうしたんだ……?」



 ギィ、ギィと袖を引っ張るギィの身体は良く見ると所々に傷が入っていて、鱗が剥がれている所もある。

 


〈付いて来い、と言っているのではないでしょうか?〉

「ど、何処に行けばいいんだ、ギィ?」



 よほど聡いのか、その言葉を聞いて弾かれたようにギィは顔を上げる。

 直ぐに袖を引っ張っていた離すと、翼を広げる。

 その場に停止する事は出来ないのか、一度下降してユキネの周りを一周した後、こちらに視線を向けてから飛び去っていった。



「……追おうと思う」

〈そうですね。他に手掛かりがある訳でもありません〉


 

 その言葉に一つうなずくと、城に向かって飛んでいくギィを追って空中を蹴りつけた。

 走ると言うよりは、連続で跳ぶ様な感覚でギィに接近する。速度を落としてくれていたのか、直ぐにその隣に並ぶ事が出来た。

 

 その横顔を見て、ユキネは目を見張る。

 それほど竜と言うものを見てきた訳ではないが、その横顔には確かに感情と言うものが存在しているかに見えたのだ。



〈ドラゴンは人間とそう変わらない知性を持っています。まあ、それは異常な事ではありますが……〉

(異常……?)

〈同じ程度の知性を持った、しかも全く別の生命体が然したる争いも無く共存を維持している事が、です〉

(それは、良い事じゃないのか……?)



 もちろん良い事です、とメサイアが言うと同時に、ギィが飛行高度を上げた。

 城の壁に沿うように上昇していくギィを追って、ユキネも壁と空を交互に蹴りながら高度を上げていく。


 飛び出たのは天井まで吹き抜けになっている中庭。一切の迷いも無くギィはその中に飛び込んで行った。



「どこだ……?」

〈あちらです。あの、通路の奥〉



 メサイアの言葉の直ぐ後に、メサイアが示した廊下の奥から例の鳴き声が聞こえた。



「ここは……」



 通路を進んで、豪華な赤い絨毯が敷かれた階段を上がった先。

 辿り着いて見上げたそこにあったのは、これまた真紅の大きな扉。その下でかりかりとギィが扉に爪を立てていた。



〈入ってみましょう、主〉

「……鍵が掛かってる」

〈壊しましょう、主〉

「えー……?」



 勝手に開けるのもどうかと思ったが、結局緊急事態だと言い訳をして、剣を構え斜めに一閃した。

 切った部分を軽く押すと、扉の下から一メートルほどに小さな穴が出来る。切羽詰った様子で飛び込んだギィの後を追う。


 そこにあったのは、最低限の体裁だけを保った質素な部屋だった。

 ただ広さだけは無駄にあり、部屋の中心には巨大な長卓が置かれている。



「ギィ、ここに何が……」



 ユキネは部屋の奥に行ってしまったギィに声をかけようとして、それを見つけた。


 机の上に無造作に置かれた一振りの剣。


 手に持ってみるとずしりと重く、柄を持って引き抜くと真紅に光るその刀身が露になった。



「これ、ノインの剣だ」

〈どうやら、彼女の私室のようですね〉

「みたいだな……」



 物珍しさから何となく部屋を見渡そうとして、そして、またカリカリと爪が何かを引っ掻く音が鼓膜を揺らした。


 メサイアの言葉を聞く前にそこに駆けつけると、案の定ギィが一心不乱に壁に爪を立てていた。



〈魔術的な仕掛けが施してあるようですね……。高度で古い物です〉

「……どうする?」



 実際に手を触れると、感触は普通の壁と変わらない。叩いてみても分厚い壁の音しかしない。

 

 しかし、ほんの僅かに、触れた掌の裏側に何か動いているような、妙な感覚を覚える。



解除呪文ディスペルは難しいでしょう。かと言って正当な解錠法に当て嵌まりもしないでしょう〉



 しかし、とメサイアは続ける。



〈我が主の前では紙の城壁に等しいでしょう〉

「持ち上げすぎだよ、メサイア……」



 最早言われなくとも、やる事は判る。


 そして既に部屋の扉も叩き切っている。ノインにはうるさく言われるかもしれないがそれについては後で考えよう。



〈集中して。深く深く〉



 声に応じて目を閉じる。


 とは言っても、やる事はそう難しくは無い。ただ目の前に向かって何の捻りも無い魔力を流し込むだけ。



 右肩に付された"白"の文字が部屋の中を照らしだした。


 どこか自分の力を切り離したような感覚。


 失う、と言った感じではなく、まだ無駄になってしまった部分があったと、そちらの感覚に近い。


 恐らくこの力の能力を引き出しきってはいないのだろう。



 しかしそれでも、目の前の壁は悲鳴のように甲高い音を立てながら弾けとんだ。



「扉……!」



 弾けとんだのは、まるで壁紙のように薄く壁に張り付いていた何か。


 引き千切られ、飛散した壁紙は地面にたどり着く前に空気に溶けていく。そして、その後に現れたのは無骨な木の扉。


 懊悩する必要は無く、壁に翳していた右手でそのまま壁を押し開いた。



「ここは……?」



 例によって脱兎の如く駆け出したギィを傍目にとりあえず現れた通路の確認をする。


 地下牢のように冷たい空気。しかし窓すらないにもかかわらず湿った空気は感じられない。



 延々と続く通路の先は暗闇に溶けていて、全速力で走っていくギィの白銀の身体が既に米粒のようになっている。



「あ、待てギィ!」



 別れ道などがあれば目も当てられないので、ユキネも通路を走り出した。


 追い付いたのは、ギィが止まってから。


 幸い別れ道などは無く、数分もしない内にそこにたどり着く事が出来た。そこと言っても、ただの通路の途中だったが。



「……進まないのか?」



 足を止めたギィは、やっぱりただギィと鳴く。しかし当然それでは意思は伝わらない。



〈主……!〉

「……いい。判った、何となく」



 相変わらず闇に溶けた通路の先。その先に何か不吉な物を感じる。


 時間と手間と悪戯心と嗜虐心を大量に盛り込まれた何かだ。この通路の最終地点はここで合っている。



 感覚に任せて目の前の壁を押すと、その指がそのまま沈み込んだ。音も無く目の前の壁に切れ込みが入り、扉が慣性だけで開いていく。


 中は小さなくぼみの様になっていて、直ぐに行き止まりになっている。が、目を細めてみると僅かに光の線が切れ込みのように走っているのが見えた。



「……入ろう」



 今回だけは先に行かずその場に留まっているギィの頭を撫でて、先を促す。


 ギィが翼と尻尾を折りたたみながら身体を窪みの中にねじ込むと、直ぐに後ろの扉が閉まり、続けて前の壁が音も無くせり上がって行った。




 いや、はたして本当に無音だったのかは判らない。



 一目見る分には重々しく分厚い石の壁だったし、結構な速さで開いたのだ。無音と言う事はないだろう。


 しかし、少なくともユキネの意識の中にすらそんな物は存在し得なかった。



 ノインの部屋の隠し通路を抜け闘技場に現れたユキネの目に最初に飛び込んできたのは、巨大な惑星。


 余りに場違いな空気を振りまきながらそれは地表に向かっていた。


 あまりの巨大さと非現実に、思考が止まり遠近感さえもつかめない。



〈──主!〉

「……え?」



 メサイアの声にユキネは我に返る。


 何か言われた訳でも、指で指し示されたわけでもないのに何かに導かれるようにユキネの視線が移動して、──それを見つけた。




 見慣れた背中。見慣れた黒髪。




「──ハル?」



 しかし、纏う空気はまるで人外のそれ。

 

 両腕で抱えたノインはぐったりとしたまま動こうとはせず、ハルユキはその場で膝を突いている。



 嫌な想像が頭に浮び、脳裏を冷やす。



〈主。違います、良く御覧に〉

「……動けないのか」



 目を凝らすと、薄く何かの壁が二人の周りを囲っている事に気付く。



「あれは、ハルユキでも壊せないのか……?」



 見た限りではそう頑丈そうな壁には見えない。



〈いえ。相性の問題でしょう。搦め手に捕まってしまったのかと。しかし主の力ならば救出は可能です〉

「……メサイア」




 絞り出した声は今までに無いほど険が混じっていて、しかしその事にあまり驚きも無い。




〈──はい、ぶっ壊して差し上げましょう〉




 ああ、と小さく頷くと同時にユキネは魔力を身体に巡らせる。


 身体の中に飽和しきった魔力は剣に流れ、そこも満たした後は空気に漏れ出して形を作っていく。



 ユキネの身体は重力には縛られない。空中さえも縛れない。



 だから一直線に。


 最短距離で走り抜ける。



 気付けば、ハルユキの姿は直ぐ目の前に。ただ、薄い肉色の壁が邪魔をしている。


 それを、逡巡すらなく切り裂いた。



「え……?」



 ユキネの声は驚きに染まる。


 既に目の前にハルユキの姿が無くなっていた。



 残されたのは喉から体内に流れ込みそうなほど濃厚な殺意。


 どろりとした感触さえ残しそうなその殺意は。悪意は。害意は。吐き気を催させる。



 仲間を、大切な人を解放するために振るった剣が。今はパンドラの箱を開けた鍵のように見えた。





 ◆ ◆ ◆




 浚われて来たレイの体と、既に振り下ろされ始めていたラストの拳の間に、ハルユキは体を捻じ込んでいた。


 左腕でレイを受け止め、右手で今まさに最高速に達したラストの拳を手首を捕まえて停止させる。途端に慣性が風となり、ハルユキの髪を派手に揺らし、地面の細かい砂利も吹き飛ばした。



 そこで初めて、ラストは目の前に異物が入り込んだ事を知る。



「────ッ!!」



 腕を振り解き、後ろに跳んだのは本能的な回避行動だった。

 しかし、そこでがくんと身体が傾き、視界が乱れる。無意識な回避が失敗に終わり、更にラストの意識は混乱していく。


 何の事はない。

 ただ振り解けなかっただけだ。


 本能的な行動だったが故に振り解かんと全力で力を込めた右手は、ハルユキの右手を振り解く事が出来なかった。


 いや、それどころか、空中にあらゆる角度から何十本もの杭で固定されたかのように一寸たりとも動かなかった。



 当然後ろに跳ぼうとした力も跳ね返り、前につんのめる様にラストはその場でふらつく。


 右手は離され、しかし反動でととっと数歩前に歩を進めさせられる。



「ハ──」



 じわり、とラストの頬に汗が滲む。その顔に浮かんだ笑みは、もう痙攣しているようにしか見えない。

 そこに滲んでいるのは愉悦よりも呆れの方がよっぽど色濃く、そして確かにささやかな恐怖があった。


 


 そんな隙だらけと言う言葉だけではとても足りないほど無防備なラストの横っ面に、ハルユキの拳が減り込んだ。




 肌は裂け、奥歯は折れ、顎が外れ、頚椎が嫌な音をたてる。


 ラストの身体だけでは受け止め切れなった力は、当然ラストの身体を浮かせ、その拳の軌道の延長線上に弾き飛ばした。

 





 す、とハルユキの足許に影が差す。

 


 空を見上げれば、満面の星空があった。


 とは言っても、空はまだマーブル模様の灰色の空が広がっている。


 その星々は空の隣ではなく空の下に。煌めく事も無く、ただこちらに殺意を向けている。



 一、十とそこまで数えた所で数えるのをやめた。


 その星の数は夏の空にふさわしく数え切れないほどに存在したし、そして今にも落ちてきそうだったから。



 そして剛毅果断に星々は牙を剥き、空を翔る流星群となった。




 オフィウクスは両手を繰り、先程よりも速く多く星を集わせる。


 しかし、あとほんの刹那で直撃しようと言うところで、オフィウクスの視界が黒く染まった。



 それは、手。


 瞬きをしたわけでもないのに、いつの間にかオフィウクスの鼻先までハルユキの手の平が迫っていた。



 余りに唐突過ぎて、オフィウクスが感じるのは恐怖などではなく、ただ時間が引き延ばされた感覚。

 


 しかし、引き伸ばされたのは感覚だけで身体は動かない。


 オフィウクスには、指の間から覗く、魔法の星が一つ一つ丁寧に砕かれ形を無くしている光景を眺めることしか出来なかった。


 

 そして無意識からの時間の引き延ばしが、地面に頭を叩きつけられた事で元に戻った。


 ずん、と闘技場が一度大きく揺れる。


 また一つ闘技場内に出来た小さくないクレーターを作り上げ、その中心でハルユキはさっさとオフィウクスから手を離した。




「──"箒星ランス"」




 か細い祝詞の声。


 拳大の石がオフィウクスの目の前の空間から現れ、ハルユキに突進する。



「……くはっ」



 呆れが多大に混じった笑い声は、オフィウクスの物。その源は右手で流れ星を捕まえた目の前の怪物に。



「化物め」



 ハルユキの隕石を握ったその手が、そのまま硬く握られる。



 そして、未だ微笑を保ったままのオフィウクスに振り下ろされる。




 結果、更に深く地面は抉られ、闘技場は再び大きく揺れ、そしてオフィウクスの頭蓋は砕かれた。





 血に濡れた拳を地面から眼球だけを動かして、残りを確認する。


 居るのはここからかなり離れた客席の半ば。


 そこには、身を凍らせている女が二人。表情を強張らせている子供が一人。



「──貴、様……」



 そして、こちらに変わらず殺意を向ける白髪の女が一人。その肩には未だ意識を取り戻さないジェミニが乗っている。

 

 女がこちらに攻撃でもするつもりか、両足を曲げ三十メートルほどの距離を詰めようとする。

 


 ハルユキはその勇み足を刈った。


 女の視線は未だ三十メートル先を見つめたまま。


 余りに鈍間な凡人に思うところは無い。


 足の位置と頭の位置が入れ替わった女が投げ出したジェミニを捕まえ、がら空きの胴に回し蹴りを叩き込む。



「がっ……!?」



 伝わるのは鉄の感触。


 構わずに足を振り切ると、何のことはなく女の身体は吹き飛び、瓦礫の中に突っ込んで沈黙した。




「やあ、化物」

 



 直ぐ後ろから聞こえた声に振り向き様に裏拳を叩きつける。


 しかし、手応えは嘘のように無く、確かに拳が通過した後に年端もいかない子供の姿を認めた。



「化物だね。形容する言葉ではなく、君はまさしく化物だ」



 ぞろり、とその後ろにも大量の同じ姿があった。


 どれもこれも同じ姿同じ顔同じ表情同じ声色で存在している。



「……」



 ハルユキは子供の額に掌の中に作りだした銃口を向けた。同時に足にも手にも腹にも肩にも膝にも耳にも目にも。


 目の前の一人にではない。いや、そもそも特定の誰かに狙いを定めたわけでもない。


 

 魔法の幻など判りはしないし、正攻法で破れるとも思わない。



 しかし、負ける気も全くしない。



 十、百、千と。そこまで銃口を増やすのにかかった時間が一秒と少し。



「なんだい……、それは……?」



 この時代の人間にはこの黒筒の先に定められたという意味が判らない。


 当然、それを教えてやる事も無く、ナノマシンの擬似神経がトリガーを引いた。



 千丁のマシンガン。それぞれ96発ずつ装弾された弾丸。合計96000発の弾丸が闘技場を舐め上げる。



 程なくして、千丁のマシンガンが一斉に静かになる。痛いほどの沈黙に人の気配は感じられない。


 しかし、ハルユキはある一点に足を運ぶ。


 

 一瞬。その場にたどり着くまでにハルユキの手には黒い塊が握られている。



 握っているのは捻れ曲がった銃口。


 その先に続くのはひたすらに銃。折れ曲がって押し固められて、適当に丈夫で大きければ何でも良いという理由で作られた即席の武器。



 それを、ノイン達がいる方向に向けて振り下ろした。



 切っ先はノイン達がいる1メートルほど手前で地面に叩きつけられ、そして振り下ろした銃の固まりは容易く形を無くす。


 銃だった物が細かく分解しながら空気に溶けていく中に、子供が抉れた地面で倒れ伏している姿があった。



「しくじった、ね……」



 その姿はノイン達の直ぐ近く。


 再び人質にしようとしたのか、それともその辺りだけ弾丸が無い事に目ざとく気付いたのか。


 そのどちらにしても。子供は集中力を乱し、立ち上がることも出来ないでいる。



 そんな子供の首を握り、締め上げながら空中にぶら下げた。



「幻、かもしれないよ……?」



 力無い声が聞こえた。


 しかし、どちらにしても手にしたこれを逃す理由は無かった。


 よって、首を圧し折る。



「……く……ぉ、ぁ……」



 ほんの僅かに力を込めると、赤色だった子供の顔に青色が差し込み何とも奇妙な顔色になる。


 更に力を入れる。


 びくん、と子供の身体全体が痙攣する。



「ば、け……物め……!」



 搾り出された声は的外れな怒りに滲んでいる。


 そう的外れ。全く的外れなのだ。


 仮にとは言え仲間を知人を害された。ハルユキ自身も手酷い傷を負った。


 これは怒りによる感情。何処が化物だ。むしろ何処までも人間らしい感情だ。そしてそれに基づいた行動だ。



(おかしいだろう。だってお前は化物だ、間違っても人間じゃない)



 自嘲の声なのか、それともあの妄想の産物の声なのか、どちらにしてもその声は遠い。切り離されたかのように頭を素通りする。



(化物が人間の振りしているのは、おかしく、可笑しく、愚かで、滑稽だ)




「ようやく──」



 だから、そんなレオの余りに的外れな意見に、ハルユキの顔は笑顔の形に歪む。



「年相応の声が聞けたな、糞餓鬼──?」



 本当の子供のそれと変わらないレオの首を、更に強く握り締める。


 さて頭に巡るのは三つの選択肢。右に折るか左に折るか、それともこのまま握りつぶすか。



 不意に、どっと背中に何かを押し付けられたかのような感触を覚えた。


 視線を向けると脇腹の辺りに決して小さくはない刃が突き立っている。巨大な黒曜石から切り出したかのような無骨で巨大な黒光りの巨剣。


 切っ先をハルユキの体に食い込ませて、しかし一瞬で凝縮した筋肉に絡めとられ、刃は薄皮を貫いたところで止まっている。



「……化物」



 揃いも揃って口にするのは全て同じ。


 その剣にはあまり似つかわしくない小柄な娘が、剣の柄から手を離した。がらんがらんと大げさな音を立てて剣が地面に転がる。



「……どうして?」

「どうして、だと──?」



 スコーピオのその疑問は、なぜこんな生物が居るのかという疑問でしかなかったが、ハルユキには別の疑問に聞こえていた。



 ボロボロになったノインの姿が脳裏にフラッシュバックする。


 倒れ付したジェミニの姿を思い出す。


 空ろなレイの瞳が頭から離れない。



 ギチリギチリギチリギチリと、神経が思考がどろりとした感情に飲まれ、自分の無力さごと苛んでいく。




「判れ。怒ってるんだよ、俺は」




 殺してやる。


 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる。



 その小さな身体に向けて、レオの身体を投げつける。


 玩具のように錐揉みしながらレオはスコーピオの腕の中に収まり、その瞬間。レオの身体の上からスコーピオを蹴り付けた。



 肋骨、胸骨、鎖骨。


 蹴った場所から近い順に砕かれていく骨の感触が心地良い。名残惜しくもその感触だけを残して、蹴られた人間は視界から消えていた。


 

 だが、死んではいない。


 揃いも揃って普通の人間の身体でない事は、手応えからもこれまでの状況からも想像に易い。



 左腕に抱えていたレイとジェミニを地面に、練成して置きっぱなしだったゴムマットの上に寝かせて、辺りを軽く見渡す。



 飛んで行った二人を追うか、それとも他に生きている奴がいないか探すかで懊悩していると、視線が一つ頬に当たった。


 視線の元を追うと、金髪の男が立ち上がろうとしている。



 不思議な事にその身体に傷は無い。


 その他の大勢もそれはそれは普通ではない体だったが、あれはどうやらそれとも違うようだ。



 そもそも殴った感触が肉のそれではない。


 恐らく、実態ではないか、身代わりか、意思と動きが伝わる木偶人形か。


 魔法という要素を加えては想像に歯止めが利かないが、おおよそこんなところだろう。と、ハルユキは考えを纏める。





 ──ハッははハはははハハハは八ははァッ!!




 何処か狂って所々裏返った笑い声が空気を震わせた。


 オフィウクスから視線を外し、声のする方に視線を向ける。その先には予想通りラストの狂った笑顔があった。


 同時に、視線を外したオフィウクスから何かが膨れ上がって頬を撫でる。



 所謂、魔力と言うものなのか、それとも殺意が濃度を増しただけなのか。


 どちらでもいい、とハルユキはその考えを廃棄する。



 考えるべくは、向かってくる二人の殺害方法。


 しかし、どうすればこの感情が晴れるのか。


 ノインの顔を、ジェミニの姿を、レイの瞳を思い出す度に怒りは飽和していく。


 奴ら全員が死骸を晒したところで気は晴れそうに無い。絶望に歪んだ顔を見せてくれても到底足りない。


 足を削ぐか、手を捥ぐか、目を抉るか、耳を千切るか。


 人間としての尊厳を全て奪った所で、気が済む想像は出来なかった。





 思考の時間を待ってはくれず、まるで殴ってくれとばかりに鈍間なラストが迫ってくる。



 定まった思考は一つ。




 ──とりあえず、玩ぶかと。

 



 一回二回三回と、拳の硬さを確かめるように握っては開くを繰り返す。


 四回目。ギチリと拳に殺意が満ちる。



 今までで最も硬く。最も強く。振るえば最も速く。そして最も広く大きく破壊をもたらすだろう。




 ラストの脚は神速。力は豪快、羅刹の如く。



 その速さよりほんの少し。その膂力からもう少し。ハルユキは強く、そして速く体を調節して動かした。


 拳が、腕が、交差する。


 

 みちり、とラストの鼻先に拳が減り込んだ。



 首から上だけがハルユキの拳に押し止められ、勢いに乗ったラストの体が宙に浮き、ハルユキの拳を支点にぐるんと回転する。


 あれほど硬く握られていた拳はラストの意思から離れたことで、静かに解かれ中途半端な手の形に。



 そこから再び闘技場の外まで吹き飛ばされるのに、刹那の時間も必要としなかった。



 ただ、どん、と。


 ラストが吹き飛ぶ直前、鈍い衝撃がハルユキの脇腹を叩いた。



 ダメージは無い。吹き飛ぶ直前にラストの蹴りが当たっただけ。苦し紛れの一撃で、当然技は無く、そして力も込められていなかった。



 すっと、ハルユキの足許に影が差す。



 見上げれば夜に昇った太陽を覆い尽くすように、巨大な星が迫ってきていた。


 びりびりとハルユキの身体が拘束されている感覚は、二つの星の重力に引っ張られているからなのか。



 足を肩幅に開き、自身をカタパルトと化す。


 撃ち出すのは手の中に集めた空気の球。一瞬で集束し凝縮した空気は白く発熱し、小さな太陽に。




 空気を巻き込みながら巨星に突き進み、接触、穿孔の後、巨星もろとも爆散した。


 一瞬、もう一つ太陽が増えたのかと言うほど炎の塊が視界一杯に広がり、その中にある何もかもを燃やし尽くしていく。


 ぱらぱらと落ちてくるのはグズグズになった星の成り果て。


 魔力が元だからか、それも地面に付く前に空気に溶けてしまっていた。



「──"星神の唄(アストライオス)"」



 一際大きいグズグズの破片の後ろ。


 そこで、オフィウクスの巨大な魔力が渦を巻き、その身に練りこまれた。


 そして、優雅な金髪を揺らし、相変わらず微笑を保ったまま、オフィウクスはハルユキに拳を向けた。



 荒々しく、確かにハルユキをも害する威力を持ったその拳。

 


 それを、敢えて拳で迎え撃つ。


 拳と拳がぶつかり、発生した衝撃で周辺から破片や砂の一切が吹き飛んでいく。



 しかし、均衡は一瞬。


 グロテスクな音を立てて、オフィウクスの拳が拉げた。


 力と硬さを失ったオフィウクスの拳は跳ね飛ばされ、そのままハルユキの拳が胸に吸い込まれた。



 オフィウクスの肋骨、胸骨は間違いなく砕かれ、そして胸は拳の形に陥没する。



 口から嗚咽を漏らしながら、オフィウクスはたたらを踏む。


 それでも頑なに微笑保ったままの横顔に、情け容赦ない回し蹴りが叩き込まれた。



 オフィウクスの決して小さくはない体が、蹴鞠のように吹き飛んでいく。


 振り下ろされた右足の蹴りにより、オフィウクスは地面にバウンドしながら勢いが削られ、闘技場の壁を破壊した所で動きを止めた。



 血で濡れた拳を解くと、僅かに痛みを感じた。


 ラストに蹴られた脇腹が、僅かに熱を持っている。




 瞬間。


 正面から、白い何かが吹き上がった。


 それはさながら間欠泉のように天高く迸っている。混じる狂気は酔ってしまいそうなほど。




 それに呼応するように。


 オフィウクスが突っ込んだ壁の向こう。闘技場の傍らでも濃厚な気配が膨れ上がる。


 ラストほどあからさまではないが、確かに魔力が変容し、世界ごと塗り替えてしまおうかと言うほど。




 ほんの僅かに感謝が沸き起こった。


 今自分は怒っている。

 こんな感情を、日常の中に持ち込みたくは無い。


 だからこそ、その怒りの対象が、塵芥でない事にほんの一握り、いや、一撮み。──否、一粒の感謝を。


 指先一つで死んでしまうような存在では、きっと自分は残った激情で狂ってしまう。



 そのことは確かに喜ばしく、ハルユキの表情を綻ばせる。



 しかし、それでも感情を全て発散できる気はとてもしない。


 一体、この拳を何度血に濡らせば、この感情は晴れてくれるのか。


 しかし、諦める気は無い。耐える事には慣れている。



(使うかァ──?)



 嫌な声。


 しかし、今はそれを肯定したい気持ちが確かにあった。



 以前、ラストを相手にした時に角が生えてきた場所がジワリと熱を持ち始める。



 一回二回三回と、拳の硬さを確かめるように握っては開くを繰り返す。


 四回目。ギチリと拳に殺意が満ちる。



 今までよりも更に硬く。最も強く。振るえば最も速く。そして最も広く大きく破壊をもたらすだろう。





 血が滴り、殺意に押し固められたその拳。






 ──そんな拳を。



 誰かが後ろから握った。




「ハル……!」




 その名前の呼び方に、心当たりはそう多くない。


 頭のどこかで、錆びた歯車がぎこちなく回っている時のような音が鳴る。



 それは、急激に感情にブレーキをかける音で、しかし加速した物がそう簡単に止まるはずは無く、握られた手を力尽くで振り切る。



 柔らかい手の感触が消えた後、直ぐにまた同じ感触が拳を包み込んだ。



 今度は両手。


 絶対に離さないという強い意志が鬱陶しいほどに伝わってきていた。




「──ユキネ」




 ハルユキを結界から解き放った剣を放り出し、頑なにハルユキの拳を捕まえて離さないユキネと視線を合わせた。






  ◆ ◆ ◆





 目の前のハルユキの手を握ってしまったのは、半ば反射的だった。


 冷たい手。硬い拳。その冷たさと、あまりの硬さに驚き、そして少し悲しくなる。



 でも、自分の体温が少しずつ広がっていく。




「ハル……!」



 止めろ、と口にしなかったのは、少なからずユキネの中にも同じ感情があったからか。


 傍らのノインの体はぐったりと力を無くしている。

 レイはただ虚空を見つめている。

 ジェミニは微動だにしない。



 怒りが無いわけがない。今すぐにでもこれをやった人間達を剣の錆びにしてやりたいという激情がある。


 しかしそれでも、まだ皆生きている。



 意識すらない三人より、今は目の前のハルユキの方が危うく見えて仕方が無かった。



 ハルユキの拳を握っていた手が、乱暴に振り解かれた。


 その背中を見て、途端に恐怖に襲われる。


 またその背中が遠ざかってしまう気がした。ハルユキがまた人間から離れてしまうようなそんな気が。



 だから、今度は両手で握り込んだ。


 剣を放り出して、絶対に離さないと言う意思を込めて。



「──ユキネ」



 頭上から声がして、目を開けて目を硬く瞑っていた事に気付いて、顔を上げて俯いていた事に気付いた。


 顔を上げれば、いつも通りのハルユキの顔。


 もしかしたらハルユキに似ているだけの何かではないかという思いは消え去る。



 しかし同時に、やり場の無い何かを覚えた。

 怒りだったのか、同情だったのか、哀しみだったのか。


 複雑に混ざりすぎて正確には判らないが、思わず泣きそうになった事と、それがハルユキの表情に起因している事だけは明らかだった。



 危い。

 こんな場違いで規格外な力も。

 こんな状況で、あんな無為な目をしているくせに、今にも笑い出しそうに見える表情も。


 何もかにもが危うくて、今にも何かを壊してしまいそうで。




 その目の中に狂気を見た。


 狂って、狂って、狂い直して、狂い狂って、それでも足りなくて、狂って狂って狂って狂って、たまたま今の人格に行き着いたのか。

 それとも、それらの狂気を跳ね除けて飲み込んで、叩き伏せて、強く強く己の人格を保っているのか。


 恐らくそのどちらか。

 しかし、そのどちらにしても今のハルユキは危うく、哀れで、悲しい。



 消えてしまいそうだ。

 目の前に見える黒髪の人間はこれほど強く、確かに存在しているのに。

 ハルユキを探そうとすると、途端に灰色に気配が霞み、背景に同化して消え入ってしまいそうなのだ。


 何がきっかけで、何に為ってしまうか判らない。




 だから、強くハルユキの拳を握りこんだ。




 強く強く痛いぐらいに握りこむ。


 ユキネの体温がゆっくりとハルユキに移り、拳は解け、手が繋がった。




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