再会は怒りに染まり
「ん……」
目を覚ませばまた周りの景色が変わっていて、今度はいつもの軟禁部屋でもなければ牢獄でもない。それらとは少し趣を異ならせた無骨な壁が続いている。
「ダリウス様、王女が目を覚ましました」
「元、王女な」
「ダ、ダリ……ぐッ…!」
喋ろうとすると、口の中がひどく痛んだ。おそらく殴られたときの物だろう。あまりまともには喋られないようだ。
思い出そうとすると頭も痛い。確かダリウスにひどく痛めつけられて……それから、どうした?
そう、またみっともなく気絶したのだったな。
ここは、廊下だろう。結構深刻なダメージがまだ残っているのか。頭にもやがかかっているように、働いてくれない。
「で、ですが……」
「いいんだよ。どうせ明日には処刑だしな。あのフェンっていったか?あれはチビすぎてやる気起きなかったからよ。──お前、元とはいえ王女とヤれるチャンスなんて滅多にないぞ?」
ごくり、と私を抱えている兵士の方から唾を飲む音がした。
何を言ってるかは分からないが、私にとってはろくでもない話題だろう。
それより、わずかに聞こえた単語単語の中に、思い出したくない記憶を引き出させる単語があった。
──フェン、と。
死んでしまった。唯一無二の友達の名前。
意識も定かではないくせに、また涙はこみ上げてくる。今度こそ零れてしまう。歯を食いしばって目頭にこみ上げる熱い物にあらがい、そして呆気なく敗北した。
頬を、涙が伝う。
それを見たからか、全く関係ない事がきっかけなのか、兵士とダリウスは、嫌らしく、悪魔のように笑い合っている。
怖かった。どうしてこんなに悲しい時にこんな表情ができるんだろう。まるで人間ではないようだ。
怖かった。死ぬこともそうだが、こいつらの近くにいることが、こいつらに触れられることが怖くてたまらない。
怖かった。世界にわたしを想ってくれる人がもう一人もいないことが。
涙をきっかけにしたのか、弱い自分が次々に顔を出して強がっていた自分を飲み込んでいく。
もう、周りには誰もいない。居るのは悪魔のような表情をした本能と欲の化物ばかり。体が妙に震えてガチガチと歯が鳴り始める。
限界だった。
「助…………け……て……」
だから思わず零れたのは願いではなく、ただの逃避だった。
本当に小さい、抱きかかえられている兵士にも聞こえない声でつぶやいた。
のども痛めたのか、もうほとんど声も出ない。
誰かに届くはずもない。届いたとしても、助けてくれる人はいない。唯一の友達は死んでしまった。
でも、そんなただの弱音を、拾ってくれる人が、居てくれた。
「ユキ、ネ……?」
懐かしい、しかし聞き慣れたような声が届いた。声の主にダリウスが顔を向ける。
「なんだ? おま……」
ダリウスが言い終える前に、いきなり現れたその声の主がかき消えた。
視界がぶれたかと思うと目の前に夢の中にしか存在しないはずの懐かしい顔があった。
「ハルユ……キ……?」
絞り出した精一杯の声は、しっかりと、確かに、届いていた。
◆
「ハルユ……キ……?」
ユキネは信じられない物を見たかのように目を見開いて、それが限界だったのか瞳から光を無くしてそのまま気を失った。
土とほこりが付いてどろどろの服を着ているが、腰の辺りまで伸びた金髪や緋色の目は間違いなくユキネの物。
なぜ気絶したかは一目で分かった。ここ何年かで美しく成長したであろう顔は所々腫れ上がれ、金糸のようだった髪も汚れたくすんでいる。
無邪気な笑顔など、この顔からは想像できなかった。
「ふん、その女を助けに来たってことか。残念だったな。俺がここにいなければ助けられたかもしれないのに。……もう、死ね。」
そうつぶやくと同時に水ででできた剣が数本俺とユキネに向かって飛んでくる。
避けられる。受け流せる。受け止められる。
しかしそのどれも選択しなかったのは、間違いなく心がささくれ立っていたからだろう。
蹴りの一振りで吹き飛ばす。思ったよりかなり強く蹴ったために触れていない剣も吹き飛び、石造りの壁が震える。
「な、に……!?」
こいつの声聞いてると、更に心がささくれ立った。目の前が真っ赤に染まっていく。
久しぶりの感覚に気付かなかった。これは怒りだ。
──俺は怒っている。
それを自覚した途端、頭の中で何かがゴボリと沸騰したような音を立てて体中を燃やし始める。
「お前が……やったのか? これ。」
ユキネをゆっくりと廊下に下ろし、漏れだそうな殺気を押さえ込みながら、男に尋ねる。
「あ? ヤるのはこれからだよ……。殴るのにも飽きたしなぁ」
頭に血が上る。激昂する。それが妙に陳腐な言葉に思えた。
気付けば体中に溶岩が流れ始めたかのように力が行き渡り、時々筋肉が痙攣を繰り返す。
焦点は限界まで引き絞られ、目の前の男以外の景色は雪化粧でも施したかのように白く消えていく。
絶えられない。
──何を?
決まっている。
あの男がまだ人間のような姿形をしている事が。
不細工な笑顔を晒している事が。
当たり前のように息をしている事が。
絶えられない。
──ならば、殺してしまおう。
警告も、罵倒も合図もなく、一瞬で距離を詰めて拳を固める。
右拳がそいつの腹を打ち抜いた。
「お……!」
汚い声をあげる前に顎をかち上げて顎と歯を破壊する。
しかし、結局汚らしい声が歯の間から零れた。
顎を、胸をを、内蔵を、次々と打ち抜く。一瞬でそいつはユキネよりもひどい、目も当てられない身体になっていく。
「げぁっ……! っはっぁ……!!」
残りは一つ、命を、討ち抜くために拳を振り上げる。
俺は正気のまま、冷静にこいつを殺すことができる。それはやっぱり悲しくて、こんな奴を殺すことにも、俺の身体のどこかで何かが、痛みを訴えていた。
しかし、止めるつもりは、ない。
「ユキネッ!!」
そこで、フェンがどこからか現れて、ユキネに駆け寄り悲痛の声を上げた。
男を片手で吊り上げたまま、怒りを無理矢理下火に抑え込んでフェンに声をかける。
「…………フェン、こいつが王女で間違いないな?」
「う、うん………」
俺の口からは誰の声か分からないほどの殺気に濡れた声が出ている。昔を思い出しまた身体のどこかが痛む。
「そいつ連れて先に戻れ。俺はやることがある。」
ユキネから俺へと移した瞳が俺の目を見た瞬間、揺れ動いた。恐怖か、畏怖か、困惑か。なんの色かは分からないが、その瞳はなにかの感情に染まっていた。
不意にフェンが俺の服の裾を掴み軽く引っ張った。
「何してんだ。早く……」
「殺しては駄目」
「退け。こいつは殺す」
つまらない正義感は要らなかった。
こいつがこの先の人生で一つでも幸せがあるのかと思うと、それを摘み取ってやらなければ気が済まない。
「駄目!!」
フェンの初めて聞く怒声に、眉を顰めた。
正義感ではない。そんな物とは無縁の感情がフェンの目に込められていてそれは寧ろ言葉以上に強く晴之に伝えてきていた。
俺に対する恐怖が一握りに、そして心配がほか全部。
ユキネと、そして、俺も。指先一つで殺せるような娘が、俺はいつでも殺す立場でしかないのに。
──そこで居心地の悪さを感じてしまったのが、いけなかった。
「……判ったよ」
せめてもの気晴らしに、思い切り顔を引いて男の顔面に額を叩き付ける。
潰れた蛙のような声を上げて、男が廊下をバウンドしながら転がっていった。
「これでチャラだ」
頬をひっぱたいて、漏れだしそうな狂気を飲み込む。
当初の目的。やる事やって皆でさっさと帰る。それが一番重要だ。
下火になった怒りが燃料を注がれる前に、フェンとユキネを抱き上げて、そのまま外に飛び出した。
「どうだ? ユキネは?」
「わからない・・・・・・けど、すぐに治療した方が良い。」
「お前の魔法で治療できるか?」
「1時間くらい時間がかかるけど・・・・・・今なら、傷跡も残さない。」
悔しそうに顔をゆがめてそう言った。怒っているのは俺だけじゃない、ってことか。全く一億年も生きてきてこんなガキンチョに後れを取るとは全くもって情けない。
屋根づたいに跳んで前庭に到着した。少し先では、兵士達が未だ武器達と戦っている。
「よし、なら頼む。ここでできるか?」
「場所は、関係ないけど、……ここで?」
「まあ言いたいことはわかるが、治療は急いだ方が良いんだろ? それにあのスットコドッコイに何もしないまま帰るのは気に障る。ああ、殺しゃしないよ。ただこいつに謝らせるくらいはしないとな。」
そう言ってる間にも、兵器達と戦っているところからも、正面の門からも兵が集まってきている。
「だから、俺はそのバカ娘が治って目を覚ますまで、時間稼ぎをしなきゃいかんわけだ。」
「・・・・・・でも、この数じゃ。」
ぱっと見ただけで50人ほどは集まってきている。先程の副長が指示をとばしたのだろう。手練れがいるから人数をあつめろと。
魔導師っぽい奴も大勢いるし、フェンが治療に集中するなら、俺が守らなければならないだろう。
簡単にはいかないかもしれない。でも、
「まあ、任せろ。」
「・・・・・・・・・・・・任せる。」
やってやろうじゃないか。




