表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
144/281

二人

 

 まるで悲鳴を上げているかのように、また町が揺れた。



 "それ"の進み方を一歩と表すのかどうかは疑問ではあるが、それが町の中心に近づく度に町は地面ごと揺らされ、泣き叫ぶ。


 町中から沸いて出る死霊はいなくなった。結果として敵を一纏めにする事に成功し、民間の被害に気を配る必要も少なくなり、こちら側も戦力を集中する事ができるようになった。



 しかし、"略奪者"が現れて三十分。


 一度たりとも、一瞬たりとも、その孤軍の進行を止める事は出来ていない。



「キィラル」

「ラスクか」

「へばってるな」

「何しろ歳でな。早く若ぇのに育って欲しいもんだ」



 言葉を交わしているのは、城に近い屋根の上。呆れ気味に化物を眺めながら、キィラルは疲れたように溜息を付いた。


 今はミスラが前線に出てきて指揮を取っているが、それでも圧倒的に火力が足りていない。



 単純に威力を足すには、儀式魔法でも行わなければならないだろう。何千の火花を飛ばしたところで、それだけではマッチの火程度にしかならない。



「老体を荒っぽく使いやがって、バチがあたるぞ」



 また街道に何列にも並んだ光が点って、一斉に"略奪者"に向かって飛んでいく。


 しかし、数多に伸びる骨の"腕"がそれを打ち落とし、何とかそれを潜り抜けた魔法が肉の壁に当たる。


 が、余りにも質量が違いすぎる。あれでは城壁に待ち針で挑むようなものだ。何年経ってもあの肉の壁を崩すことは出来ないだろう。とは言っても、キィラルもあれと比べれば竹槍のような物。さして違いがあるわけでもない。



 きっちり同じ数だけ人の頭大の雷の玉が、魔法の使い手に向かって飛んでいく。それを地面が盛り上がって壁となり弾き飛ばす。そしてまた魔法を返す。


 ジリ貧だ。恐らくこちらが攻撃しなければ迎撃も無いのだろうが、ただ町や城が踏み潰される光景を見ているわけにもいかない。



 化物の姿も既に姿形を変えており、体中に目や気孔。腕や足が無数に伸び、しかも未だ変則的な進化を続けている。



「あー…、逃げちまうかなぁ……」



 敵の尋常の無さは見るも明らかで、思わず感想が口から零れた。



「心にも無い事を言うじゃないか」

「お前、俺の無責任さ知ってるだろ?」

「ルウトが生まれるまではな」



 ラスクの言葉に、キィラルは仰け反る様に半分身を引いて苦い顔になると、一つ溜息を吐いた。化け物の方を見る目はどこか遠く、物寂しげに見える。



「……大人になっちまったなぁ。責任感だってよ。昔の俺だったら考えられん」

「良い事だろう」

「どうだろうな」



 再び肩を鳴らしながら、やれやれと重い腰を上げる。思い切り伸びをすると腰と背中がぽきぽきと音を出した。



「まあ、子供は可愛いし、煙草は旨いし、酒は美味い。それだけで大人になった甲斐はあるってもんだ」

「俺も身ぃ固めるかな……」

「五つ若いひとにしとけ。先人からのアドバイスだ」



 キィラルの奥さんは同い年。思い切り尻に敷かれている事を後悔しているようだが、本気で後悔している訳ではない事もラスクはよく知っている。



「こんな景色の中で死んだ奴は不憫だよな」



 対してキィラルは暢気にポケットに手を突っ込み、緊張には程遠い動作でゆっくりと煙草を取り出し口にくわえた。



「俺はこの町が好きだよ」

「そうか」

「いつもうるさくて騒がしくて、気取ったような外観で石の地面が続いてて、今の王女様が死ぬ気で支えて、仕事で駆けずり回って汗を地面に染み込ませまくったこの町が、割りと好きだ」



 空を見上げてもみても、町を見下ろしてみても、ただ眺めてみても、目を閉じてみても、キィラルが知っている町並みは何処にもない。



「だから、許さねぇよ俺は」



 灰色の空が、力無く横たわる死体が、町中に蔓延る異常が、町中に響く怨嗟の声が。町を端から崩していく。



「あれ、サルドなんだろ」

「……ああ」

「馬鹿な奴だ」

「ああ」

「殺す」

「ああ」



 ラスクは視線を侵略者──サルドに戻すと、目を細めた。


 町中からの敵意を一身に受けながら、サルドはそれに目もくれず歩を進める。ずるずると妄信的ともいえる愚直さでただひたすらに憎悪を抱えて。



「俺が大人だってんなら、あの時説教の一つでもしてやるべきだったんだろうなぁ……」

「考えても仕方ない事だ」



 どうしようもない奴だったが、あれも町の一部で、何より手間をかけてやるべき後輩だった。


 放棄したのは自分。家族を優先した。それにきっと、やり直しても同じ選択をするのだろう。



 すべてを救う為にサルドを殺す。痛みはある。しかし自分にも責任があるのなら、痛みは背負わなくてはならない。



「で? どう攻める?」

「いつも通りだ。俺が前でぶち殺し。お前は晩飯の献立考えながら後衛」

「あいよ」



 話している間に意思に応じてか魔力が体の端端まで満ちていき、口から吐いた空気にさえ魔力が帯び陽炎のように空気が歪む。



「さて」



 屋根から見下ろせば、丁度魔法で攻撃を続けていた戦士の列が近くまで下がってきている。当然接近して攻撃する訳もないのでそこからサルドまではおおよそ三十メートル。



「──"芳煙"」



 後ろで小さく呟いて自らの力の一部を引き起こす気配。何度も何度も背中で聞いた言葉だ、頼もしくてしょうがない。


 口元が思わず緩みそうになっているうちに、キィラルの体の回りとそしてサルドの近く、いや、ここら一帯にまで薄い煙が充満し始める。



 小さく口元で炎を出すと、一瞬で煙草が燃え尽きた。準備は終わっている。



 屋根を蹴り宙に身を投げる。


 そのまま落ちる事はない。炎が自らの体を押し上げ更に強い風が目的の場所まで悠々と体を運んでいく。そのお陰で屋根の上から下りた割にゆっくりと地面に下りた。



 既に、敵は目の前。立ちはだかるは肉の壁。




──■■■■■■■■■■!!!




 その咆哮に、比喩ではなく空気が震え地面が揺れる。しかし、その猛りはキィラルに向けられた物ではない。


 ここから見るならただの壁だ。余りに大きすぎてキィラルの姿など見えてはいないのだろう。



 喧嘩と一緒だ。相手にされないのならばまずはこちらの敵意を示さなければならない。喧嘩の時には思い切り胸倉を掴むか、若しくは横っ面を軽く叩いてやるか。



 だから、先ずは横っ面に軽く張り手を。





 ズン、と音を立てて化物から伸ばされていた無数の腕が焼失した。



 伸ばされた腕は骨の一つ一つを筋繊維のように絡ませた太い物から、鞭の様に細いものまで様々。しかし一つの例外も無くその腕は根元から焼き切られた。


 後に残ったのは、炎の壁。いや、それは塊と言った方が正しいのだろう。揺らめく炎が物凄い密度で押し固められ、既に石の地面を炭に変え始めている


 そして。続いて三つ続け様に炎の塊が地面を揺らしながら着地する。


 質量を持った炎の塊は、しかし炎としての柔軟性を持ったまま壁として屹立している。常人ならばそれを通り抜けることは敵わず、目の前の人外でさえも通り抜けるならただでは済まない。


 それが四つ。"侵略者"の背を越え鉄のような強かさを持って壁となり、そして檻を作った。



一対一タイマンだ」



 しかし、それでも侵略は止まらない。それはそのはず、"侵略者"から見れば目の前の矮小な存在など今まで攻撃してきたその他大勢と変わりは無い。



 耐えて、進んで、殺して、啜る。それだけだ。


 しかし。




「お前に言ってんだよ。サルド」




 ぴたり、と今まで止まるどころか速度を緩める事さえ知らなかった"侵略者"が嘘の様に前進を止めた。




──そして、一瞬の沈黙の後。



 体中の目が、一斉にキィラルへと焦点を合わせた。




 それを待っていたかのように、キィラルの口が挑戦的に吊り上がる。




──■■■■■■■■■■■!!!





 焼き千切られた腕が地面に捨てられ、また新たな腕が一瞬で形成されキィラルへと迫りそしてまた形ある炎によって灰燼となる。



「もう、終わりにしようぜ」



 唯一開いた天井から大量の空気が雪崩れ込み、その空気は長年の相棒の魔力により薄く白んでいる。



 それを吸い込みながら、キィラルの炎が増大していく。一階の高さを越え、屋根を越え、そしてサルドと背を並ばせるほどの、



 炎の魔人が立ち上がった。




   ◆




「キィラルさん……!」



立ち上がった炎の壁に目を奪われて固まったのも一瞬、その向こうで誰が身体を張っているかを俺は悟った。



「ガララド。これは……」

「ミスラ。兵を下がらせよう。少し離れた所に防衛線を張った方が良いだろう」

「……そう、ですね」



 炎の壁を改めて見つめて事情を悟ったのか、申し訳なさと悲しさが入り混じったような声を残して兵の方に駆けて行った。


 兵に大声で後退を命じる姿を見届けてから、改めてガララドも炎の壁に視線を戻す。


 ミスラは悲観的な声を残して行った。中にキィラルさんがいて、命を賭して足止めを買って出たとか、おそらくそういう事を考えているのだろう。



 しかし違う。あの人はそんな人じゃない。


 ラスクさんに始まり、ムイリオさんや昔のブレイズロアの人間、と言うよりギルドで活動してた頃のキィラルさんを知っている人間なら皆そうだし、きっとサルドも、そして当然俺もそう思う。


 皆腹を抱えて笑いながら、あいつがそんなタマかと。



「あんな化物に負けるかよ」



 加えて、今日は後ろにラスクさんがいる。


 ラスクさんが居るところでキィラルさんは負けないし、逆もまたそう。





 キィラル=リグズにラスク=リン。悪名高い二つの名前。


 この名前を聞けばチンピラは震え上がり、子供は泣きやみ、商店街の親父どもは笑い、母ちゃん達は溜息を付き、酒屋は儲かり、酒場は盛り上がる。



 いきなり飛竜を討伐してきたり、チーム同士の喧嘩もしょっちゅうだった。そのとき俺は十ぐらいだっただろうか。


 その時代の子供は、親父からはあれぐらい強くなれと言われ、お袋に暴力的な人間は駄目だと、それぞれ右耳と左耳で正反対の事を言われながら育った人間ばかりだ。




「あの二人はこの町のヒーローだぞ」




 別に特別美形でもないし、正義漢という訳でもない。しかし、きっと世界一の格好付けだ。


 自己犠牲なんて不完全な格好良さなんて求める人間じゃない。



負かす(こえる)のは俺なんだよ」



 やっぱりまだ無理だけど、とその言葉を最後に俺は黙ったまま、追いかけた背中の大きさを炎の中に見つけていた。





◆ ◆ ◆





 何の前触れも無しに、闘技場から見える北東の空が明るさを取り戻した。

 このタイミングで花火も篝火も有る訳は無く、それならば間違い無くあれも戦火の一部だろう。



「おォおォ、あっちも派手にやってんなァ」

「……」

「そう、つれなくすんなよ。お前ほど俺を痛め付けた奴もいないんだぜ?」

「病み付きなのか? なら死ぬまで付き合ってやるからここ出せよ」



 当然そんな言葉で状況を打破する事はできず、タウロスはその表情を愉悦に緩ませたまま。


 ぎり、と小さく歯を噛み締める音が小さく鼓膜を揺らした。


 俺が発した音ではない。

 滲み出るほどの歯痒さを漏らしてしまったのは、故郷を地図から消すと宣言された若き王。先ほどはその言葉を一笑に付して平然とした顔をしていたが、胸中には焦りと怒りが渦巻いているのが嫌に成程良く分かった。


 ニヤニヤと笑いながらこちらを見る目は余裕で緩んでいて、焦りも手伝い逆にこちらが逆上してしまいそうになる。



「…………タウロス、だったか? お前」



 苛立ちを発散させるべく、少し思考を巡らせた後思わせぶりに口を開く。



「ああ? 何だ、自己紹介でもやり直すのか?」

「いや、少し聞いてみたくてな、いいか?」

「どォぞ。御気の済むままに」



 仰々しく一礼して見せる様に青筋を浮かばせそうになりながら、小さな抵抗を開始する。



「お前さ、何で今笑ってられるんだ?」

「なんだと……?」



 この檻から三歩。それから先は近寄ろうとすらしない。唯一近づいてきたのは先程結界の上に乗ったあの馬鹿みたいに無邪気な少女だけ。まるで猛獣にでもなった気分だ。



「ああいい。一応聞いては見たがお前みたいな奴はな、そりゃあたくさん居るんだ」

「……はァ?」

「俺も戦争は経験しててな。戦争の中でも同じでな、大体自分がやってる事に対して色んな反応を見せるんだが、これが大体が三つに分けられる」



 三つ。と分かりやすいように三本指を立てて、タウロスに見せ付ける。


 何か言う事があるかと少し待ってみるが、少し険しい顔になっただけで何も言う気は無いらしく、ノインからも送られてくる怪訝な視線には手振りで黙っているように伝えて言葉を続ける。



「まず、受け流すのが下手でそのまま悩んじまう奴、そして仕方の無い事終わった事だと割り切る奴。それと最後に」



 一つ、二つと指を折っていって残った一本を、こちらを睨みつけている男に向けた。



「自分は狂っているから、とそんな馬鹿みたいな割り切り方をする奴だ」



 びしり、とタウロスの額に青筋が浮かび上がる。



「考え無しの馬鹿を気取って。自分の欲望にしか興味が無い狂人を騙って? 獰猛な肉食獣だと虚勢を張って。まあ、お前にどんな悲しい悲しい理由があるかは知らんけどな」



 タウロスの姿が近づく。挑発だと分かっているだろうに、小さな拳を握り上げてたった三歩の距離を詰めていく。



「俺にこっ酷くやられただろ? プライドも傷付いただろう。憤ったりもしただろ。それなのにお前は檻の向こうでしか強がれない」



 既にハルユキの口を閉じさせようと、殺意に満ちた視線をこちらに送るが、それでもこちらに歩み寄る速さは酷く鈍間だ。



「俺から見ても、お前は草食動物にしか見えないぜ? 牛野郎タウロス

「──黙ってろ」 



 怒りに任せた拳が壁を襲う。本気ではないだろう、何しろこいつは草食動物。自分から死にに行く事など決してしない。



「嫌がらせには嫌がらせだよ」



 しかし万が一にでも壁は壊させない。それは俺の望む結果と違う。瓦割りの要領で壁にはダメージを与えず、添えた手の平で全ての衝撃を受け止める。


 使うのは随分と久しぶりだが、壁を一枚隔てた上で相手を討つ技も存在する。



 我が身を今だけ鉄のバネに。踏み込めない分の力を回転で、ついでに先程受けた衝撃も僅かに上乗せして撃ち返す。体中の力を零から百に、百から零に。



──"裏当て"



 一瞬で全身の筋肉が伸縮し、その力を壁の向こうの手の平に叩き込んだ。




「……ノイン」



 腕に引っ張られて吹き飛ぶ男など見届けるはずもなく後ろを向くと、キョトンとしたノインの顔を見つける。俺が顔の近くに広げた手のひらを持っていくと、意味を察したのか強張っていた顔を少しだけ緩ませた。


「ざまぁみろだ」

「私も苛ついていたの。褒めて使わす」



 そう言って、とてもハイタッチとは言えないほど強く俺の手の平を引っ叩いた。



「このクソ餓鬼がァあァああアア!!」

「……懲りねぇな」



 分かりやすく拳を握ったあの格好から被弾地点を予想するのは容易い。

 また、壁に手の平を添えようとして、──しかし拳と手のひらの間に何かが割り込んできた。それは突進していたタウロスの腕をいとも簡単に掴み上げる。 



「控えろ、タウロス」

「ちっ……」



 手の正体は白髪の女。


 目の前の空気が爆発した事に驚きで口を閉ざしていたタウロスが、助けられた事実に気付いて苦い顔に戻り、舌打ちをしながら掴まれた腕を振りほどいた。


 


「そう苛めないでやってくれ。誰も今の状況にゆとりがあるとは思っていない」



 相変わらず階段に座ったままの男から苦笑交じりの言葉が飛ぶ。その妙な落ち着き振りが鼻に付くが、見栄を張るような人間にも見えないので言っている事にも嘘は無いだろう。



「そんな事はどうでもいい。ただの挑発だよ。あわよくばここを出して、お前等を縊り殺させてくれないかとな」



 敵意と悪意をふんだんに盛り込んだ視線を向けるが、しかし今度もまた横から割り込んできた人間に邪魔をされる。


 割り込んできたのはやはり、金髪の男と同じような軍服を着た白髪の女。



「殺しますか? この男」

「閉じ込めてばかりはつまらないとは私も思うが、腹心殿から絶対に好奇心を出すなと釘を刺されていてな」



 ハルユキの殺気に応じるように、ギシリと空気が軋む。恐らく殺気が魔力として漏れ出して、空気を侵しているのだろう。


 その機微などは全く感じる事は出来ないが、どれだけ人から離れた力かは冷えていく空気が教えてくれる。


 町を消す、と普段の生活で使うなら正気を疑われるような言葉も、頭の中で想像される惨状の中でならそれも酷く鮮明な現実感を帯びていた。



「タウロス、アリエス、スコーピオに、……オフィウクスだったか?」



 今まで頭の片隅に引っ掛かっていた疑問を口に出す。


 突っ立ったままで、何の工夫も無くただ口にしただけだが、いつもとは違う空気が口調に滲んでいたのか自然と闘技場内視線がハルユキに集まる。



「お前等とジェミニとの関係は?」



 短く告げられた質問に、各自がそれぞれの理由で驚きを表した。ノインはこのタイミングで顔見知りの名前が出て来た事に。


 そして周りの敵達は一様に、謎掛けの答えを出題する前に言い当てられた様な感心を驚きに混ぜ込んだ顔でだ。



「……いや驚いた。それはこちらから言って驚かせるつもりだったのだが、ジェミニから聞いていたのか?」

「違う。そんな分かり易い名前してればいやでも気付くだろう」

「…………何だと?」



 その言葉に、同じ種類の表情をしていた敵の中で、その中心である金髪の男だけが更に表情を変えた。


 常に浮かべていた微笑は消え、言葉の意味を疑う──いや、有りもしない言葉の真意を探しているかのように目が細められる。



 そしてどういう結論に達したのか、男は耐え切れないかのように吹き出してそのまま小さく笑い出した。今までのどこか人間離れしたような表情とは違い、まるで昔を懐かしむかのように朗らかに。



 それは、身内の人間にも中々見られないものだったのか、一部を除いた敵の人間すらも、男の様子に凍ったように顔を強張らせて驚いた表情を見せていた。



「……いや失礼。まさか星座そんなものを知っていたとは思わなくてね。知っていたならばさぞ滑稽に映っただろうな。こんな幼稚な名前を付けて回って」



 耐え切れないとばかりに、拳を口に当てて口の中で小さく笑いながら、それでも漏れ出した感情は隠しきれない。いや、感情的になっている自分を面白がっているようにも見える。

 


「まあ習慣──、いや名残のような物だ。ジェミニも自分の名前は大切にしていただろう?」



 実に興味深いな、と聞こえるように呟くと、男は先ほどまでよりも少しだけ感情を滲ませた微笑を顔に浮かべた。



「どうかな、私達と一緒に来る気は無いか?」

「ない、死ね」



 その答えに、男が小さく自嘲する声と、俺の後ろから聞こえたくすくすと笑う幼い声が重なった。



「こっ酷い振られ方をしたね。と言うか何でも手に入れようとするのはやめてくれる? あんなの身内に入れたら共食いおこるよ」

「来ていたか。貴殿の懸案は片付いたのか?」

「粗方ね。メインがまだなんだけど。その前にちょっと僕も彼の顔を見ておきたくて」



 闘技場の入り口からやれやれと子供らしくなし草で肩を竦める子供は見覚えがある。桜の森でふざけた逃げ方をやってみせた子供。



「久しぶり、って言っても一年も経ってはいないけど。覚えてるかな?」

「……生憎まだ痴呆は始まってないんでな」



 兄貴、九十九に続いていつか殴ると決めていた人間の一人だ。忘れるはずも無い。


 こうして改めて見てみれば、こいつも普通の人間ではないのが直ぐに分かった。そもそも絶対に見た目相応の歳ではない。それだけで旧時代の常識を持ち越している自分には大事だ。



(数えて……四人か)



 小さく舌打ちをして状況の悪化に心中で悪態をつく。


 暫くすればあのスコーピオという女も帰ってくるはずだ。五人がかりだから倒せないと言う事は無いが、助けに来た人間が近づけなくなる可能性は非常に高い。



「さて、彼に顔も見せたし僕もさっさと自分の懸案を片付けてくるけど、君もまだ帰らないの?」

「ああ、もう少し待たせてくれ」



 男の言葉を聞いて子供は空を見上げた。視線の先には太陽とその中に黒い塊が未だ肥大を続けている。ここから見ればその黒い塊は人の頭大にしか見えないが、恐らく実際の大きさは既に人の体の大きさなど優に超えている。



(嫌な感じだ……)



 じとりと背中が薄く汗をかいている事に気付いて小さく舌打ちをする。


 この汗は嫌な雲行きから、と言う事もあるが、理由の大半を占めているのはそちらではない。



 どうやら、ハルユキは閉じ込められると言う事が少し精神障害トラウマになってしまっているらしい。


 この結界の中だけ空気が重く呼吸がし辛く感じ、拳を握りなおすたびに汗の湿りを手の平に感じる。懐かしい心因的ストレスが蛇口で流し込まれるかのような勢いで増えて行くのも感じる。


 

 壊したい。目の前の壁を粉々に、いや、粉末にまで磨り潰して外の空気を思い切り肺に入れたい。


 

 繰り返して言うが問題があるわけじゃない。


 永遠にこんな所に閉じ込められるはずは無く、空気も有り、一億年を耐え切った経験は伊達ではない。



「……ノイン。大丈夫か」

「? ええ、大丈夫」



 不思議そうに首を傾げたノインを見て苦笑する。訳が分からないのか少し不機嫌な顔でそっぽを向いたノインには申し訳ないが、後で説明すれば分かってくれるだろう。


 もし、此処に独りだったら(ノインが居なかったら)、怒り狂って暴れだしていたかもしれないと。



「うん、まあ、もう少しみたいだしね」

「……いや、もう待つのは終わりのようだ」



 空を見上げて言った子供の言葉に呟いた男に、ふと違和感を覚えた。会話というならば繋がっているものの、どこか意味が食い違っているような、そんな感覚。


 視線を上げ男に目を凝らして、その思いが確信に至る。男の視線は上には微塵も興味が無いように床に向いていて、"待っている"のは間違ってもあんな得体の知れない黒い何かではない。


 

 ならば何か。まさかあれとは違う企みをまだ隠し持っているのか。



 そして、気付く。



 闘技場に向かって疾走してくる、覚えがある気配に。




「──来た……」




 気付いたのは、その気配に覚えがあるのはハルユキだけではないらしく、一瞬遅れて男が微笑を携えたまま、慌てる様子もなく口を開く。



「レオ。数少ない友人が来た。結界を開けてやってくれ」

「……いや、もう破られた。来るよ」



 その言葉の直ぐ後。


 この場に殺気に満ちた存在がもう一つ、いつの間にか闘技場の入り口に佇んでいる事に気付いた。



 ハルユキには嫌というほど見覚えがある顔。しかしこれまでに垣間見せた事もないその表情は恐らく隣の男の方がよく知っている顔なのだろう。



 二人の──、金髪の男とジェミニの視線が交わった。


 結局の所、ジェミにとの関係は聞けなかったが、しかしジェミニの表情が全てを補って余りある程色濃く表している。



 ここからでも分かるほどに奥歯は固く噛み締められ、笑い皺ができるほどいつも笑っていた目は見開かれて、その奥では一つの感情に染まった瞳が男を見据えている。


 憎悪を溜めて溜めて、余りに憎すぎて表情を無くしてしまったかのような顔。その顔が憎しみの捌け口をようやく見つけて、爆発する。




 それは流星のように疾く、矢のように鋭く。




「──ッレオォオオオオオオッ!!!!」

「今はオフィウクスだ。ジェミニ」




 どれだけ魔力を込めているのか、周りの空気を歪めるほど魔力を放出しながら突き進む。恐らく自転の勢いを体にその勢いを拳に乗せれば岩を砕き鉄を穿つだろう。


 しかし、男は余裕の顔を崩さないまま微動だにしなかった。



 その代わり、男を庇うように躍り出るのは白髪の女。突然の闖入者にも一切動じる事は無く、自分の才能の一端を呪詛に乗せて形にする。


 魔力に当てられて、女の眉間から左頬に浮かび上がったのは、血と冷たさを連想させる"鉄"の文字。



「──"鋼鉄の愚女(アイアン・メイデン)"」



 一瞬でしわがれていた白髪が、光沢と強かさを持つ銀色を手に入れた。その密度と重さで石畳に罅が走る。



「──ッ!!」




 響く轟音が石床に広がる罅が唸る空気が、ジェミニの攻撃の凄まじさを語る。しかし、女は女でその流星のような一撃を耐え切ってみせる。


 しかし勢いは殺しきれず、足元の地面を削りながら押し切られ、壁に叩きつけられそうになったところで後ろから伸びた手に支えられた。手の主は先ほどから階段に座っている金髪の男。




「ありがとう、アリエス。下がってくれ」

「いえ、この男は危険です。私が」



 言いながらも、女の口の端からは赤い筋が顎まで伝っている。その原因である男はいつもは笑っている糸目を開いて、茶色の瞳で二人を見据えている。



 その様子はいつもとは一線を画していて、漏れる吐息にも殺意が飽和していそうだ。


 しかし、女の鉄の体を傷つける事は敵わず、弾かれたジェミニの右拳から血の糸が引いて地面に赤い線を描く。



「────」



 いや。


 弾かれたのではない、引いたのだ。接近は一瞬。右拳を引いて代わりに左の掌が女の腹に当てられる。続いて体を引き絞りながら左足を地面に叩きつけ、石畳を叩き割る。


 見覚えがあるかと聞かれれば、余りに知っているその動き。



──"裏当て"



 ただの見様見真似。力も速さもまだ拙い。しかし、決死の一撃が軽いはずも無く、女の口から赤い液体が吹き出しその場に膝から崩れ落ちる。



 ジェミニの視線は、崩れ落ちた女の身体を悠々と跨ぎ再び金髪の男の視線と重なる。



「レオ」



 夜の闇にはそぐわない太陽の下。



「ずっと、お前を殺したかった」



 笑顔も妙な口調も剥がれ落ちた男が、自らの殺意を曝け出した。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ