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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
143/281

悪寒

 阿鼻叫喚。


 その言葉がこれ程顕著に表された光景は中々無いだろうと、呆然とした頭の裏側でユキネはそう思った。



「そこの君! 避難民か!?」

「あ、ああ、怪我人を……!」

「ここは駄目だ! 少し迂回すれば下りれる階段があるからそっちに回ってくれ。そこならここまで多くは無いはずだ!」



何が、と疑問に思う必要も無い。視線を落とせば答えが蠢く波のように形を成して広がっていた。ユキネが居るのはどうやら南の城門の上。後ろを向けば歩いてきた戦場が、前を向けば城の裏庭がある。



「凄いな……」



 その裏庭の地面を覆い隠しているのが、人の波だ。


 皆が皆、背中を焦がされているような焦り様を顔に浮かべて門に迫っている。そして、それとすれ違うように北に走っていく兵士も居る。



「やっぱり北で何かあったのか……?」

〈そうですね。きっと先程の閃光と地震が原因。──いえ、その閃光と地震"の"原因が問題でしょう〉

「分かるのか……?」

〈歪な魔力をそれはもうふつふつと〉



 変わりゆく状況をメサイアと分析し合いながら、足早で城壁を走って眼下の人の層が薄くなっている方向に向かって移動する。


 それにしても凄い数だった。パニックでなければゆっくりと非難した方が良いのかも知れないが、こうなってしまっては避難時に軽くない怪我人が出てしまう。


 更にどうせ町からは出られないし、この人数だ。誘導するにも兵士の数は足りず、守るのならば一箇所に集まってもらう方が都合が良いだろう。



 結果的に、安全なのはこの城の中だけだと言えるのかもしれない。



「あれか」



 暫くも歩かない所に先程の兵士が言っていた細い階段が見えた。


 ほとんど全員が門に殺到しているせいか、側に民間人の姿は無いがそれでも数人の兵士が武器を持って物々しい雰囲気を纏っている。



 足音に気付いたのか一番手前の兵士がこちらを見て声を出した。



「怪我人か?」

「ああ、何処に連れて行けば良い?」

「怪我人は全員中庭だ。城に入れば直ぐに分かる」

「ありがとう」



 一瞬だけ垣間見えた警戒も言葉を交わしてユキネの姿を確認すると、階段への入り口に道を空けた。もしかすると一度すれ違った事があるのかもしれない。ユキネの外見は男ならば中々忘れられないものだ。



「……急ごう」



 下にずれ落ち始めていたアキラの体を一度背負い直して、城の恐らく裏口と思われる扉に向かって足を踏み出す。



「ん……」

「……アキラ?」


 

 もぞ、と背中で動く気配を感じて、肩越しにアキラの顔を覗き込むと瞼が小さく痙攣して、そしてゆっくりと瞼が開いた。



「アキラ! 良かった中々目を覚まさないから……」

「ぅあ……? うん、あ、え? うおぁっ! ユキネ!?」



 寝惚けた目がユキネの顔を見て一瞬で覚醒する。



「あ、暴れるな……!」

「わ、悪い。いや、色々……」



 女に背負われているのが情けなかったのか、それとも間近でユキネの顔を見たのが拙かったのか、覚醒していきなり慌て始めたアキラにユキネは一喝する。状況を少なからず察したのかアキラも大人しくなった。



「あ、歩けるから、下ろしてくれ……」

「嘘を付くな」



 先程暴れた時も、ほとんど体に力を感じなかった。あれがどんな魔法かは知らないが、体を変形させる魔法だ。負担が少ないはずがない。


 更に反論しようとアキラは口を開くが、自分の体の状態を自覚したのか悔しげに口を閉じた。



「俺は、どうなってたんだ……?」

「……覚えてないのか?」

「ああ、どこからがじゃなくて、何か、途切れ途切れだ……」



 アキラは、出来るだけユキネから体を離しながら頭に手を当てて記憶を探るが、それでも記憶は戻ってはこないようだ。教えていいか少し迷った後、ユキネは探り探りに口を開く。



「金色の狼の事は……?」

「……」


 

 なった、とも、出会ったとも言ってはいないのにアキラの顔色がさっと変わる。心当たりがある、と言う事はつまり自分がああなる事を知っている可能性が高い。



「そうか……。結局、なっちまったか……」

「……あれは、何だったんだ?」



 聞きながら半開きだった扉に体を滑り込ませる。同時に横殴りに聞こえていた喧騒が小さくなり、逆に扉の先の通路の奥から聞こえてくる音が近くなる。



「……俺の国は、小さな村みたいなもんでさ。山奥にあって他と隔絶的な国だったんだ」



 聞いてしまってから踏み込み過ぎてしまったかと感じたが、信頼して話してくれているのだ、無碍には出来ない。



「それは別に皆が排他的な考え持っているからとかじゃなくてさ。何て言うか、こう、言い難いんだが……恐怖の対象でな」

「ああ……」



 琥珀色の毛並み。古龍をも凌ぐような巨躯。金色の目。


 成程、俄かには信じがたい話かも知れないが、実際にあの姿を見た者ならば何らかの神性やそれに因をなす恐怖を感じ取るのも不思議ではない。



「実際に国の軍事はかなり極端な少数精鋭でさ。成人した"コノエ"なら飛竜よりもずっと強いんだ」



 ふと、疑問が過ぎる。


 それならば何故アキラの国は滅んでしまったのか。小さな村といっても国、そしてこれといって敵も居ないのならば、成人した男もかなりの数がいたはずだ。


 アキラの話では、"コノエ"の名を持つ人間が30人。そして普通の人間が約500人。



「十になると男女問わずに儀式が行われるんだ。それは戦える"コノエ"を全員揃えて妖弧に変化した子供を抑え付けて耐性を付ける為の物なんだけど……」

「狐……?」



 ユキネの疑問が分かっていたのか、アキラは躊躇わずに続けた。



「──俺は、その中でも少し特殊でさ。それが儀式まで分からなかったんだ」



 曰く。


 その儀式は一年に一度のかなり大掛かりなもので、長の息子であるアキラの儀式は一番最後に行われていたらしい。


 そして、事が起こった。



 本来なら大人一人が跨がれるほどの大きさの一尾の妖弧を抑えるだけの儀式であるはずだった。しかし、現れたのは小山の様な琥珀色の魔狼。



 呆気に取られた人間を一人。また一人。


 目を奪われた人間をまた一人。また一人。その歯牙に掛けていった。



 最後に、実の父である六尾の大狐に止められるまでの時間はほんの三十分ほどで、しかし被害にあった人間は三十では済まなかった。


 奇跡的に死人までは出なかった。しかし、小山のような体躯におびえだした普通の人間が居た。



 今まで畏怖の対象だった一族でさえ抑え切れない化物が生まれた。


 その事実は誇大されて国中を巡り、やがて恐怖に追われた国民達が政治体制の改めを企て、──そして、今回はその企みの中心が義ではなく欲だった。



 要約すればそういう事らしい。



「だから、やっぱり復讐なんて的違いだと思ってる。でも、今でも親父達は化物扱いされてるのは、やっぱり許せん。俺のせいだってのも分かってる。でもこのまま国を食い潰されるのも親父達が化け物のまま扱われるのも耐えられない」



 後は以前も聞いた通り、親族は殺され、しかし岩戸に幽閉されていたアキラは難を逃れ、国は荒れ、今この状況に至っている。



 通路を抜けると、そのまま中庭に出た。途中に幾つも扉や別れ道があったが、そうやら音を頼りに道を進んできたのは正しかったらしい。


 そこら中に逃げる気力の無い人達が蹲ったり仰向けに寝転んで中空をボーっと眺めている。



「……すまん、今は関係ないな。また、負けちまったし。国を取り返すのはまだ先の話だ」

「負けてないさ。あの男を撃退したのはお前だ」

「そうなのか?」



 欠落した記憶の中に男の逃げ帰った背中も含まれていたらしく、アキラは本心からの驚きを見せた。


 もっとも男が逃げ帰ったのがアキラの影響だと断定は出来ないが、負けてはいない以上撃退というのが一番真を得ている。



「ま、なら今日はこれで満足しとくよ」

「そうしてくれ」



 とりあえず兵に言って毛布を用意してもらうと、その上にアキラを座らせた。



「状況を全て把握している訳じゃないが、ここにいるのが一番安全だと思う。だから……」

「動けないって」



 壁に背を預けてフラフラと振る手も小刻みに震えている。放り出すといえば聞こえは悪いが、まだ自分はやる事がある。



「じゃあ行く」

「無理すんなよ」




  ◆




〈主。出来ればレイ殿かジェミニ殿、もしくはフェン殿と合流しましょう〉

「……確かにな。もしかしたらハルユキの事も知ってるかもしれないし」

〈フェン殿はここに居るのでしたね。動けない分言伝か何かを受け取っている可能性もあります。先ずは彼女を……〉



 人の波を避けながらとりあえず北で何があったのか確認する意味も含めてフェンを探していると、メサイアの言葉を遮って後ろから名前を呼ぶ声に振り向いた。



「ユキネ!」

「エゼ。無事だったか、良かった」



 足を止めて、後ろから人の波を掻き分けながら近づいてくるエゼと合流した。


 フードから除く頬は朱色に染まり、うっすらと汗も浮かんでいる。気味の悪い空の影響か、この町の気温は下がっている。なら、余程慌てていたのか、それとも今までフェンを探して走り回っていたのか。



「ええ、でもごめんなさい、フェンが何処にもいないの」

「フェンが……?」



 そう言えば、ハルユキはもちろんの事、フェンにもそしてレイにやジェミニ、シアにさえも会えていない。


 小さく、体が震えた。



 改めて寒さを思い出したからではない。何か薄ら寒い予感が脳裏を掠めたからだ。


 嫌だ、と否定すると嘘のようにその感覚は消えていく。あまりにあっさりとした引き際は肌寒さだけを残していった。



「……エゼ。北で何があったんだ?」



 しかし、やる事は増える一方。寒さになんて構ってはいられない。


 自分はもう強い。だから大丈夫。言い聞かせるように頭の中でその言葉を繰り返す事を忘れない。


 たとえ傲慢だと笑われようが、この状況では自分は弱者だと悲観する強者などよりも、強者だと勘違いした弱者の方が余程多くを救えるはずだ。


 もっとも、独りになっただけの事で思い込まなければ動けないのなら、強いなどとはいえないかもしれないが。



「北って言うと、さっきの爆発ね。私も良く知らないけど多分城の上の方に行けば直接見れると思うわ。入るのは難しそうだけど……ってユキネ!?」

「悪い! なら直接見てみる! エゼは避難しておいてくれ!」

「って言うかそれ、どうやってのよ……。まあいいか、頑張って。私ももう少しフェンを探してみるから、ついでに私の連れも」



 一度跳躍して、空中に足を置いたユキネにエゼは頬を引き攣らせながら見送りの言葉を返した。それに対してユキネも苦笑いを見せると更に中空に向かって足を次々と踏み出していく。



〈お慣れになってきましたね。感覚を掴みましたか?〉

「……不思議な感覚だ。覚えたって言うより思い出したって感じがする」

〈その感覚です〉



 メサイアの言葉に首肯で返すと、城壁の高さを越える一歩を踏み出した。そして、勢いのまま数歩踏み出して、目に入った光景にほぼ強制的に足が止められる。




「何だあれは……!?」



 城壁の向こうには兵士達と冒険者達が総勢で"それ"を相手取っており、"それ"はまだ遥か遠くに居るというのにここまで異様と破壊の気配を感じさせ、目を奪われるとはこういう事だったのかと感心してしまうほど、視線は"それ"に釘付けにされる。


 それはそうだ。あんな汚らわしさだけを詰め込んだような代物、悪趣味な小説の中にさえそうそう登場しない。



 喉と目が急に乾きを思い出して、息苦しさが倍増する。


 腕は無い。足は無い。顔は無い。個は無い。自由は無い。命は無い。──しかし。


 腐臭が有る。苦悶が有る。破壊が有る。憎悪が有る。狂喜が有る。狂気が有る。



 その大きさは幅云十メートルはあるはずの大通りの両端を越えて、乱暴に家屋を踏みつけにし、上縁は灰色の空に今にも触れてしまいそうなほど高い。

 しかし雄大さは感じられず、感じるのはただただ嫌悪と吐き気。



 町の中に踏ん反り返っていたのは、それはそれは巨大な亡者の塊。





──■■■■■■■■■■■■■!!!!!




 この位置からでも耳を塞ぎたくなるような絶叫が響き渡る。悲鳴と歓喜と共存し得ない二つの感情が折り重なった不協和音。


 なるほど、恐怖の対象としては十分に過ぎる。



〈主……〉

「あれは、何なんだ……?」



 漏れた声は霞んでいて、メサイアに届いたのか分からないがメサイアがいつも通り毅然に口を開く気配がする。



〈──違います、主。後ろです〉

「え……?」



 予想外の言葉に驚く前に後ろを振り向く。目の前にあったのは当然城の壁と窓。


 ──の、はずだった。



「穴……?」



 ガラス張りの大きな窓がそこには有る筈なのだろう。几帳面に並んでいる窓を途中から切り取ったかのように大きな穴が開いている。



〈主、行きましょう〉

「中に、何か……?」

〈レイ殿の魔力を微弱ながら感じます〉

「レイが!? ……分かった行こう!」



 少しだけ、仲間の顔を見ておきたかったと思った事は否定できない。顔を見せて、先程過ぎった悪寒を否定して欲しかった。



 部屋の中の暗がりと静けさに僅かに恐怖が過ぎるが、そこは剣の感触を強く確かめて頭の隅に押し込める。ここから見えているのは太陽の光が照らしている部分だけ。部屋の奥の壁と意匠が施された柱が一つ。


 躊躇っていても仕方が無い。いつの間にか逡巡していた自分に気付いて、一際強く臆病な自分を締め出すと一息に部屋の中に飛び込んだ。



 入ってしまえば、部屋の中にも灯りが幾つか点いていて、むしろ緩やかな空気が流れている。何故恐怖を覚えたか今ではもう分からないほどだ。



 しかし、中にレイは居ない。


 あったのは誰も居ない影が差した王座に、所々が切り裂かれたカーテンや赤い絨毯。それに。




「あら、可愛いお嬢さん。持って帰っていいかしら?」




 見知らぬ、一人の女の子。




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