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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
138/281

暗幕の向こう


〈──悲劇惨禍"串刺しの刑"〉

 


 何の前兆も無しに、その呪詛は町中に重く響いた。


 特別大きい声だったわけでもなく、鋭い声だったわけでもない。しかし綺麗なアルト音域でありながらどこか重々しく妖しさを感じさせるその声は、町中の人間の意識を引くには十分だった。


 

 一瞬遅れて、町の中心に座する城が発光する。詳しく言うならば、その城の最上階。しかし、瞬く間に城中に光が浸透したのだから"城が"と言っても差し支えはないだろう。


 そしてまた一瞬後には、光は広がる。避難していた人間達の足元を潜り、城壁を鮮やかに装飾し、堀を抜け、大通りに至る。

  

 町を半ばほど染め上げた所でその光は増大し、細かな場所にまでその侵略を続けた。言わずもがなだが、その場所は楔が打ちつけられた場所である。


 楔の数は合わせて十二。城の外縁部に沿うように等間隔で八。死屍が蔓延る中を突き進み、打ち立てて貰った四。その全てが、城からの光を受け継いだ途端に術式として産声を上げる。


 

 驚く点は二つ。


 先ずはその赤い光全てが魔方陣だと言う事。細かな文字と意味有りげな紋様が所狭しと刻まれていて、ただ事ではない事を悟らせる。


 そしてもう一つ。


 それは、光が町中に蔓延するのに一秒と掛からなかった事だ。 

 


 それこそ一瞬で町が染め上げられたようなものだ。住人は余りの唐突さに驚きを表す事もできず、ただ虫を踏んでしまったかのように慌てて片足を上げるだけ。


 それは一見してみれば害にしかならなかった。


 外で未だ奮闘している兵士達にとっては、皆一様に隙を作ってしまった事になる。もちろん敵に隙を付くなどという細かな作業は有り得なかったが、タイミングが重なってしまった人間も居た。


 それで殺されてしまえば、兵士は死んでも死にきれないだろう。




 しかし、当然ながらそれは杞憂に終わる。




『──上から、相手の魔法を無効化する魔法を重ねる』



 レイのこの言葉は、魔方陣に対して効果を失くす魔方陣を重ねると言う意味ではない。


 例えば自動的に火が熾る魔法に、火に反応して水を発生させると言った具合に例を挙げれば分かりやすいだろう。

 つまりは、町中の敵を殲滅する魔法だった。


 敵の魔法の最終目標は死兵の召喚だ。ならば、その死兵を処理してしまえば、敵の魔法の術式などは関係がない。相手の魔法を読み解く手間がない分、素早く敵を無効化できる。




 そして、具体的にどうするのかと言われれば、──最初の呪詛の通りだ。



 四つの門の前で体を張っていた戦士達の目の前から。


 今にも襲われそうだった、民間人の視線の先から。


 役目を終えて城へ戻ろうと周りの敵を駆逐していた三人の周りから。


 気を失った男の子を背負って、身を隠しながら城へと向かう金髪の少女のすぐ側から。


 無作為に、無感動にただ敵を叩き伏せて回っていた青髪の人形の杖の先から。



 

 敵はその姿を消してしまった。


 

 屋根の上まで杭で刺し貫かれ、戦渦の風に晒されながら。





 ◆ ◆ ◆ 






「は、ぁ……」



 細くて狭い道とも言えない様な路地に体を捻じ込ませるように潜ませてユキネは息を殺す。


 置いてあった木箱の裏に姿を隠して、直ぐに、ずり、ずりと何かを引き摺るような音。見なくてもそれが何かは想像が付く。



 腐った臭いと、今にも崩れ落ちそうな足音は他にない。しかもその歩みは遅く、中々遠ざからない。


 しかし、誰かを見つけているならば高速で特攻するのだ。誰も口に出してそうは言わないだろうが、粘りつくような足音はむしろ福音。


──やがて、足音が遠ざかって消えた。


 それを確認してユキネは肩を落として同時に息を付いた。



〈主、大丈夫ですか?〉

「大丈夫だ。少し休んだらすぐに行く」



 震える膝を崩して床に座り込むと、ユキネは背負っていたものをゆっくりと横に下ろす。


 折角自由に動ける足を手に入れたというのに、ユキネは未だ休み休み進んで行くという消極的な手段を使っていた。


 ユキネの魔法は、自分に掛かる重力を極限まで軽くするもの、いや、落下の際に指して影響が無いのを考えると、無意識下で自由に調節しているのだろうが、どちらにしろ対象は自分だけ。


 だからこの膝の震えは、余計な荷物を抱え込んだ事による当然の弊害。



 最も、ユキネ自身は荷物とも害だとも思ってはいないが。



「アキラ、起きないと置いていくぞ」



 ユキネが冗談交じりに言った声にも、何も言葉は返ってこない。



 夜も大分更けているからか、冷えた石畳が体温を奪っていく。膝の震えはだんだんと納まる時間を多く求めるようになってきて、ついでにまだ少し血の跡が残る腕も震え始めていた。


 いや、腕の震えに限って言えば、原因は疲れでも寒さでもないだろう。


 渇いた赤黒い血は渇いて剥がれ、しかし代わりに人を斬った感触が浮き彫りになってきたかのよう。



〈主。アレは人ではありません。気になさらず〉



 一切の淀みも無く言い切るメサイサの口調は、気遣いからきているのだろう。


 人間の死には慣れている──とまではいかなくても知ってはいる。人ではない事も分かっている。しかし、獣を狩るのとは感触から何からまるで違っていた。


 冷たく震える手が寂しい。嵌ったいや嵌めてもらった指輪を指でなぞって眺める。銀の感触が不思議と少し温かい。



「人だよ。あれは、やっぱり」

〈主……しかし…〉

「でも、斬るよ私は。あれはもう救えない」

〈……ならば、私の手も御一緒に汚したと思います〉



 献身を通り越して過保護だともいえるメサイアに苦笑しながら、ユキネは手を握っては開くを繰り返す。


 感覚が戻ってくるのをじわじわと実感していると──。






──直後、それが来た。



 赤く、妖艶な魔法の世界。





〈──"悲劇惨禍・串刺しの刑"〉




 どん、と地面が大きく一度揺れた。


 それこそ身体が浮きそうなほど大きく、町中に──いや町中から広く伝わる一揺れで、その規模の大きさは、街が持ち上がったと言われれば信じてしまいそうなほど。



 そして、直ぐに音が消えている事に気付いた。先程の灰色の閃光の後よりも更に顕著に、いやそれどころか完全に"消えて、無くなっている"。


 聞こえるのは怨嗟の声でも足を引き摺る音でもなく、ただ風が町を通りぬける音だけ。



〈…………主。行きましょう〉

「いや、でも……」

〈大丈夫です。もう襲われる心配も、手を汚す必要も無いようです〉



 メサイアの視線は何を見ているのだろうか、木箱を越えて大通りを見ているのだろうが、半ば呆れたような感心するような声だけでは状況を掴みきれない。


 体を起こし、何とかアキラを背負うと、来た時と同じように体を挟み込むようにずりずりと外に出る。



「こ、れ……!」




 そして、戦場だったはずの景色はまた別のものに姿を変えていた。




〈レイ殿ですね。血の臭いに覚えがあります〉

「……そう、だな。こんな事をできるのは……」



 

 もしかすると、戦場よりも凄惨な光景だった。一言で言うなら、処刑場。いや死体の晒し場だろうか。



 杭だった。ある程度近づいて敵を貫いているそれが何かようやく分かる。恐らく血でできているのであろう紅く普通の男の二の腕ほどの太さの杭。


 それが、そこらじゅうに存在していた死体の群れを一つ残らず貫いて、戦場の湿った風に晒している。



 どれも的確に脳髄を破壊しており、死体達は風に揺れるだけで身動きすらしない。




 ズン、と目の前でまた杭が何かを穿って屋根の高さに晒した。貫かれた死体は一度だけ大きく痙攣した後、その他大勢と同じようにただの肉塊に戻る。



 速すぎて断言はできないが、恐らく影から湧き出た瞬間に半自動的に串刺しにしたのだ。


 後ろを振り向くと、町の端までその杭が森のように乱立して重なっている光景がユキネの目に入った。通路がまっすぐ、更に外の方が敵が多いせいで、本当に杭の森と化していて、その向こうの景色を塞いでいる。




〈ほぼ決着ですね。主の周りには優秀な人間で溢れていますよ、本当に〉

「……やっぱりそうなのか」

〈喜ばしい事です〉



 ユキネは改めて脅威が去った城への道に向き直った。


 恐る恐る杭と杭の間を潜りながら、城へと歩を進めていく。



 広域索敵殲滅魔法。それも持続的で新たな発生も許さない超高度、──いや最早別次元の魔法だ。



 そもそも儀式魔法は、時間をかけ、時には他の人間の手を借りて、自分の"字"の力の発展と強化を狙ったものだ。"土"で固定化、"風"や"水"で治療・封印などその程度の物。


 この敵兵を生み出す魔法も高度ではあったものの、ただ魔法の影響範囲を広げただけに過ぎないはずだ。


 血という特殊な媒体がそれを可能にしているのか。そもそも、そうだ原因があるとすれば、あれは"人間ではない"これに尽きる。



 字を持たず、八百年の時を生きる。余りに人間と酷似しているので忘れそうになるが、そもそもレイは吸血鬼。童話の中にしかいないと思われていた、そんな存在らしいのだ。



 ならば一方的なこの状況にも、納得"は"出来る。







──しかし、余りの呆気無さに終着に不安が残るのもまた事実。




 何なのだろう。もうこれでほとんど戦況は決定したはずだ。しかし、心のどこかにシコリが残って不安を助長させるのだ。



 不安げなユキネの視線はほぼ無意識に、打ち上げられた白い太陽に向けられていた。






◆ ◆ ◆





「罠、と言う事は、私がいる事は分かっていたという事かしら?」



 失敗したわ、とうっかり鞄を落としたような緊張とは縁の無い声でその女はそう言った。


 爪先から頭の先まで黒尽くめで、ロングスカートと手袋、そしてヴェールのせいで一切肌は見えてはおらず、まるで喪に服しているかのように見える。



「そちらの隊長さんには上手く騙せていたと思ったんだけど、どうしてか聞いても?」



 女はまるでチェスの感想戦でもするかのように、気さくに口を動かす。しかし、そこら中に血でできた杭が突き出し、壁にも血が散っている。


 朗らかな空気にはなりえず、その女の雰囲気は強調されて浮き出て異様さを振り撒いていく。



「──何。くたびれた女は据えた異臭がするのでな。知らぬ振りは出来ん」

「……へえ、貴女も結構老いているようにお見受けするけど?」

「おお、それは失礼。言い方が拙かったか、ならば言い直そう。──お前は臭い。鼻が腐って落ちそうだ」

「……嫌な女」



 女が出現してから更にその濃度を増した、その臭い。


 甘く、気だるく、脳髄から痺れさせて腰砕けにしそうな淫靡な腐臭。もしも妖しいその臭いに付いていけば、冥府の入り口を知らぬ間に潜ってしまうだろう。



「……間に合わなかったわね、もう少しだったけれど」



 相も変わらず血の杭に腰掛けたまま組んだ両足に肘を立てて緊張感など欠片も見せず、ただこんこんと憎々しげに血の杭を拳で叩きながら、女はレイから視線を横に外した。



「あの趣味の悪い魔方陣も貴様の仕業か?」

「御名答」



 応答とも呼べない確認作業のような会話を二人はつらつらと続ける。



「……魔方陣だと? この町に敷いていたのとは別にですか?」

「そうよ、隊長さん。それはそうとこの町の兵士は優秀ね。計画が想定よりもかなり遅れちゃったわ」



 ぱちぱちと感心したように口の端を上げて手を叩きながら、女は腰掛けていた杭の塔から体重を後ろに移した。


 当然背凭れなどという気のきいた物は無く、そのまま女の体は地面に向かう。



 しかし、聞こえる筈の着地音はしない。



 その姿は、いつの間にか杭の向こうの王座の影の中。浮かび上がるようにその姿を現すと、足を組んでそのまま豪奢な椅子に腰を下ろした。


 反射的にミスラが、再び剣の柄を握る。

 


「……その雌臭い腰を上げろ。王座ごと斬ってしまうにはいかない」

「あら、怖い。やめて、もう争う気なんかないのよ」

「ならばもう終わりだ。歩兵ポーンはもう全て取った。残念ながらお前はここで首を跳ねて道に晒す。少しでも民の溜飲が下りるようにな」



 物騒な物言いに中てられて、それでも、くすくすくすくすと女は笑う。



「面白い言い方ね。まあ私も思ったけれど確かにチェスで例えると分かりやすいわ。それに歩兵が全て動けないのにも反論は無いわ」



 女は言われた通りに椅子から腰を上げると、ヒールを鳴らして部屋の中心に再び近づいて、帽子の唾を上げて血でできた杭の塔を見上げる。



「あれは数はあっても質に欠けるから、国を落とせるとは思っていないわ。大体それなら私一人で国を落とせることになるじゃない。無理よそんなの。買い被り過ぎ」



 その余裕は何だ、と聞きたい気持ちを抑えて、ミスラは注意深く女を観察する。


 はったりか、いや、それにしては逃げようとする意思さえ無い。この場で二人とも殺せるのならばはったりなど使う意味も無い。ならば、と密かに思考を加速させていく。



「余裕なんてあるわけ無いでしょうが」



 女の声に、図らずもミスラは肩を揺らされた。理由としては、まるで心中を読まれたのではと言う事もあったが、それよりも女の声が一変していたからだ。



「貴方達のお仲間のあの"化物"を逃がしてしまえば、最初から私達はそれでゲームオーバー。余裕なんて最初から無いのよね」

「偉く高く買っておるの」

「人は見る目はあるのよ、私」



 もっともあれが人間かかどうかは別にして、と苦笑しながら女は続ける。



「加えて手駒を一気に失った。いや、盤から弾き出された。そうね、折角優位に進めていたのにチェス盤を引っくり返された気分だわ」



 ミスラは女の言葉に、少し気分を浮かばせてレイの方を見やった。事はレイの思った方に進んだ。レイも意地悪く笑っている。



 ──と、そう思っていた。



 しかし、レイの顔は警戒を示していて、その目は薄く細められ女に向けられている。


 不穏な物を感じ取ったミスラが、声をかけようとした、その瞬間。



 でもね、と女が言葉を繋げた。


 その声は既に余裕が戻っているかのようにも感じられる。




「──歩兵ポーンが行うのは、他の駒が戦い易いように戦場を整える事。まだ整い切っているとは言わないけれど、その分強い駒がまだ幾つかあるわ」



 くすくすくすくすと、女の笑い声が耳に障って、自然と視線が集まった。



「……?」



 とうとう声を漏らして笑い出した女が、じゃあヒントをあげると馬鹿にしたように女は暫し考えた後わざとらしく手を叩いた。



暗幕カーテンのせいで黒髪さんの方は知らないでしょうけど、隊長さんは聞いいるんじゃなくて? あ・れ」



 すい、と女の細い指が振られた。


 指し示した先は、暗幕で光を遮られた窓の更に先。

 


 何があるのかミスラは一瞬思案顔を見せ、回っていた思考が記憶を掘り返し、先程連絡があった事項に止まる。



 その瞬間、目に見えてミスラの表情が強張った。




「馬鹿な、あれは我等の吉兆のはずだ…!」




それに行き着いたとき、驚きは言葉になり口調と一緒に表情までもが一変した。




「そう、たくさんこの町で死んだから。ご立腹なのよ、"彼"」



 何も無い空間で女は手を横に振った。暗闇の中で何かが蠢く気配がした後、切り裂かれたかのように上縁部だけを残して、一部の暗幕が床に落ちる。


 地面の魔方陣の光を消し潰すように、強い光がレイの足元まで届いた。




「……明るい? 例の太陽か?」




 戦火の中、いつもより明るいのはそう不思議ではないが、それにしても明るすぎる。

 

 謁見室から闘技場を覗き込めるように作られているので、ここではあまりに近過ぎて太陽自体を視認する事は出来ないが、これ程の明るさを用意できる光源は他に無い。




「あれは太陽じゃなく、精霊獣。この町のいや、……この国の、守護神だ」

「……おい、まさか」

「歩兵が活躍するのは、序盤だけ。もうこの戦争ゲームは中盤に入るわ。それでも余裕は無いのだけれど」




 そもそも章が変わるのなら役者も変わるのが必然でしょう? と女は続ける。大仰に手振りを混ぜて話すその態度に、とても余裕がない様子は見受けられないが、演技だと信じたい。そう考えないとやっていられない。


 何しろ女は、今まさに決定的な言葉をぶつけてやろうと、目の前で明らかに心を躍らせているのだ。








「──間に合わなかったのは、私じゃなくて、あなた達よ?」








 そして、まだ女はその整った口から不吉を吐き出す。わざと、心を折るように言葉を選びながら。



雑兵わたしたちが盤を荒らすのはここまで。後は後続に取り返してもらうしかないわね。あいつ等に貸しを作るのは嫌なのだけれど」



 さぞ愉快そうに女は笑う。



「ゲームの幕を引くには、キングとクイーンが必要だわ」



 それに合わせるように、女の影が不器用な動きで僅かに揺れた。





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