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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
137/281

血の杭



「よろしいですか?」

「何じゃ、随分元気じゃの。先ほどの可愛らしい声はもう聞かせてくれんのか」

「……余裕ですね。あと七分しかない事をお忘れなく」

「ああ分かった分かった。もう直ぐ終わる。そこで黙って見ておれ」



 溜息交じりにそう呟くと、レイは再び作業に戻った。それに習うようにミスラも足元に視線を落とす。



「何ですかこれは……?」



 足元では魔方陣が幾重にも折り重なり、それぞれ違った速さでゆっくりと回っている。ミスラには描いてある記号の一つの意味さえ分からないが、それでもこの魔法が普通の儀式魔法とは似てはいても完全に異なった物である事は分かった。



「基本的に儂のは使っている燃料ものも、使用法やりかたも僅かに違う。年月と経験が無ければ理解は出来ん」



 その言葉を最後に今度こそレイの意識が完全に魔方陣に集中した。その集中力は遠目から見ても凄まじく、華奢な体がまるで岩のように不動な物にさえ見える。



「隊長、少しよろしいでしょうか?」



 黙って策の決行を見守ろうかとした所で、後ろから袖を引っ張る感触。振り返れば、アギ副官が神妙な面持ちでレイを見つめている。



「どうしました?」

「私もこういった魔法には少しばかり明るい方です。肉体労働は知っての通り苦手なので」

「……どうでしょうか。彼女は」

「言い方は悪いでしょうが、──化物ですね」

「本人は気にしないそうですよ?」



ふっと笑ってみせると、それに合わせるようにアギも口元を上げた。しかし、とりあえず合わせたと言う風で、その表情に余裕は無い。



「どうしました?」

「……進言しても?」

「いくらでも」



ならば失礼をして、とアギは口を開く。



「──余りに出来過ぎていると思いませんか?」

「……どういう事ですか?」

「あの女です。兵士、いやこの町の人間なら納得も出来ますが、ただの旅人だと言うならば、義理だけでここまでの儀式魔法を披露してくれるのは余りに話が旨過ぎる」

「……」

「それに一国を争うこの時に、一度この場を離れたのも意味深でしょう。何をやっていたのかはお聞きになりましたか?」

「いや、聞いていないな」



ミスラにはアギの言う事には確かに筋が通っているようにも思えたが、レイが嘘を付いている様にも見えなかった。

まだ話したがっているアギの話を聞こうかと、口を開いた所で、別の声が背中から聞こえた。



「おい隊長様よ。すまんが伝え忘れていた事があった。急事じゃ」

「……分かりました。今行きます」


 

 お気を付けて、と最後にそう忠告したアギに曖昧に頷くと、ミスラは部屋の中心に体を向ける。しかし、足元に視線を落として直ぐにミスラは困ったように顔を上げた。



 謁見室の床中に広がっているのは、豪奢なそれでいて精巧な前衛芸術のような魔方陣。触れただけでそのバランスを壊してしまいそうで、安易に踏み入れる事は出来ない。


 今陣を避けて部屋の端に立っているのも同じ理由だ。


 しかし逡巡している内に、陣の中心から『踏んでも構わん』と心の内を察したかのように声がして、恐る恐る足を忍ばせる。



「ああ、ただその四隅の光には触れるなよ。そこが例の楔との接点になっておるからの」



 目覚しいほどの変化は無かった。


 しかし、ミスラ自身の魔力に反応するのか足を運ぶ度に薄く足元が発光して、下からミスラを照らし上げ、その凛々しい顔つきに影を作っていく。


 下から浴びせる光は物を美しく見せると言うが、それはミスラの顔も例外ではなく、凛々しさにどこか妖しさを重ねさせていた。



 その光は余りに妖しく部屋中を淡い赤色に装飾し、その空気の妖艶さにミスラの喉が改めて鳴らされる。同時に背徳的なまでの何かが甘美に背中をぞわぞわとせり上がって、気が済むまでこの紋様を見つめていたとさえ思ってしまう。


 ミスラはしかし、それをしっかりと意識内で確認すると、その陣を踏み躙りながら魔方陣の中心で佇んでいるレイに声をかけた。



「……何ですか?」

「そうだな、とりあえず──…、」



 レイの声と同時に、レイの視線が自分のそれと重なっていない事に気付く。


 その視線はミスラの肩を通り越し、魔性の紋様を越えて、その更に向こう。



「──伏せておけ」



──瞬間、先程の甘美なものとはまるで違う、鋭利で冷たい悪寒が背中を走り抜けた。



「────ッ!」



 急激な下降について来れなかった後ろ髪の先が、銀色の剣閃に切り裂かれて飛散した。


 膝を曲げたまま体を回旋させ、勢いそのままに鞘走りで加速したレイピアを振り抜くと、それを予期していたかのように飛びずさる人の影。



「貴様……ッ!」



 アギの言葉も相まって、最初は目の前の女の仕業だと思った。しかしそれでは『伏せろ』の言葉に説明が付かない事に一瞬遅れて気付く。ならばまさか、と驚きに体が固まりそうになる


 ──その前に。



「四十秒、時間を稼げ」



 ここが正念場だと言う事だけを伝えられた。緊張感が体に満ち、驚きを押し流す。応えてみせようと剣の柄に手を伸ばす。




 意識を集中すると、それに応える様に太腿の辺りで"迅"の文字が光を帯びるのを感じられた。


 ミスラの魔法はそう複雑なものではなく、捻りがあるものでもない。ただ思考速度と一動作だけの速さを追求したもの。


 お陰で細身のレイピアでも骨ごと貫く事すら容易になったが、そこは女の身。制御ができないのはおろか、最初は剣が手から離れてしまう事もしばしば。


 しかし、それを制御する技術と贅力を手にするだけの話だ。そう難しい事ではなかった。


 女らしい白くて細く柔らかい二の腕と引き換えに、ミスラが抜刀した状態でのレイピアの長さと腕、更に踏み込みの分まで含めて半径二メートルは──、今や"剣の結界"と言えるまでの精度を誇っている。



「──ッし」



 今では四方向から一度に突かれた槍も難なくいなしてのける。そして、何千何万と繰り返した動作に力みも無駄も失態もありはしない。


 落ち着き払った呼気と同時に。


 後ずさった敵の、上肢の肩関節に肘関節、更に下肢の股関節と膝関節を、一息に穿ってみせた。



 地面に転がったのは、自分の部下だった男。その目に正気は無く、焦点も合っていない。


 扉の所に立っていた副官の存在を確認するが、既に姿は無い。逃げたとは考え辛く、ならば敵に殺されたか、若しくは目の前の彼と同じように元から敵の手の内か。


 見張りと護衛、更にミスラとレイを除いてこの部屋には八人居たはず。ならば──、



「──総員、動くなッ!」



 これでまだ尚向かってくる者がいれば、敵の手に落ちたと考えて容赦なく斬り伏せるしかないだろう。


 この魔方陣は、数百人の人間が身を削って時間を稼ぎ、その時間を使い単身で死地に向かった人間達が作り上げたものだ。何よりも優先しなければならない。



 幸いミスラには殺さずに無力化する術には自信があった。


 関節を破壊する事になるが、魔法での医療体系はその大雑把故に病には疎い代わりに、怪我に関しては後遺症が残ることは無いほどに長けている。



 ミスラの背後では、それに興味すら示していないかのようにレイが部屋中の魔方陣をっている。


 そして、更にその後ろに黒い人型の影。



 気付いているだろうに、相変わらず和服の女は微動だにしない。



──四十秒。その間だけ自分を守れと言ったからだ。



 少なくない信頼が背中を押す。一瞬で肺に空気を補充しながら、一歩でレイの傍を走りぬけ、黒い影に相対する。──しかし、予想とは違う事が一つ。


 その影が自分の部下だった事にではない。無論操られて正気を失っている事にでもない。



 数が合わない。



 多い訳ではない。逆に、一人しかいないのだ。


 いや確かに操られていない部下達が命令に従って、その場に待機している可能性も考えられはする。しかし、返事は一切返ってこなかったのだ。


 断定する訳ではないが、最低でも既に意識は無い。意識がないだけならいい。しかし同じ状況下だった人間が操られている時点でそれは希望的な観測でしかない。



 操る数に限界がある? ──いや、町中の死体を操っているのだ、それは考え辛い。


 何か条件がある? ──いや、先と今の二人と比べて体格、性別、更に異文字もいない。



 "迅"の効果で、刹那の間に思考が二転三転を繰り返す。



 そして幾度と無く思考を巡らせた先で、まずい、とミスラはそう結論付けた。



 飛び掛ってきた敵を一瞬で無力化して、振り向く。


 視線の先には先程レイが言った四隅の光に、それぞれ操られた男達が殺到している。



 思考をする前に、ミスラは飛び出した。向かう先は視線の先にあった四つのうちの一つ。余りに使いすぎると体が軋むがそうも言っていられない。


 剣を手にその光ににじり寄る元部下二人を一瞬で無力化して、軋む腕と手に残る嫌な感触にに唇を噛む。



 完全に機動力すら無くなったのを確認して──いや、察してと言った方が近いだろう。何しろ倒れる瞬間しか見ていない。


 急げ、急げと速さで足りなかった事は余り無い自分が、珍しく気持ちを急かし続ける。




 かかっているのだ。人任せな策とは言えど、少なくない兵の命と血が。



 半ばそれを強要した自分が、最後に詰めを誤るなどあってはならない。





 加速した思考と体を保ったまま、残った三つの隅の一つに振り向いて、




──深々とその場所に剣を突き立てる光景に全てが止まった。




ざく、ざく、と嫌に冷静な床を突き刺す音が連続して耳に届く。



「あ……」



余りのあっけなさに、視線が定まらず宙を泳ぐ。


そして、止まった先では女が愉快気に笑っている。仲間では決して無い。






 ──味方、ではあったが。


 ゴッと、重苦しい音を立てて魔方陣が一気に光を部屋中に満たす。


 そしてその光が収まった後、先程剣を付きたてた兵士が、地面に赤い何かで縛り付けられ、小刻みに震えていた。



「…………おい」



 思考を早めるまでも無く、簡単にこの展開が誰の絵によるものか分かった。



「若輩者をからかうのは、年長者の特権じゃろう?」



 嘘。


 飄々とこの女、嘘を言っていた。



 敵を騙すからには味方から、とは古来から言い伝えられているので兵法──いや、これは兵法などという大した物ではないだろう。


 戯れに撒かれた嘘に、ひょっとしたら引っ掛かってくれないかという程度の考えで振り撒かれた備えに、ものの見事に引っ掛かっただけ。




 しかし、敵はもしかしたらそれをも見越していたのかもしれない。



 一瞬後、安堵の隙を付いたかのようにレイの足元が暗く陰る。下からの光のせいで限り無く薄く、しかし、確かに。


 天井から落ちてくるのは正気を失った、アギの姿。



 レイは相変わらずミスラの方を向いて、口元を歪めている。


 息せき切ってミスラは走り出す。しかし当然間に合うはずも無く、レイの頭上に構えられた剣先が光る。



「上だっ!!」



 苦し紛れに声を張る。しかし、レイの視線も表情も変化はない。



 しかし。





──四十秒だ。



 避けるかわりに、ミスラの声に返事をする代わりに、レイの口が小さくそう動いた。






「──"悲劇惨禍・串刺しの刑"」




 以前レイが言っていた通り、呪文に応じて世界(チェス盤)が、引っくり返ったかのように妖艶な光で包まれた。


 頭上まで一メートルを切ったと言うところで、剣先が停止する。



 当然副官だった男の体は宙に浮いたまま。支えているのは足でも神でもなく、ただ削りだされたような無骨な杭。太い氷柱を更に削って研磨したかのような、殺して晒す事にのみ特化したとある伯爵の象徴。



 そして、終わらない。


 目にも留まらない速度で赤い魔方陣が広がった。この部屋に、ではない。視認こそ出来はしないが恐らく町中の隅から隅まで。


 そして今見ている光景と同じようなものが町中で展開されているのだろう。


──先程縛り付けられた男達が体の真ん中を貫かれて痙攣して、動かなくなり空中に晒されていた。


 その光景は言ってしまえば凄惨そのもので、人の死を何とも思っていない悪意のある光景だった。神の奇跡ではないのだ、そう綺麗ではない。ミスラは安心し、しかし気は緩まないように唇を噛み締める。



 そして、まだ終わらない。


 ずん、と床が揺れる。


 驚きに音源に目をやれば、レイが立っている場所から、そしてその飛び出た杭の半ばからも、枝分かれするように次々と杭が飛び出してアギの体を天井まで押し上げていく。




──いや、違う。


 押し上げられているのは、杭が狙っているのは、アギの体ではない。それは既に杭の中に完全に埋もれてしまっている。



 押し上げられているのは、その影から引きずり出された、一回り小さい人の影。



そこまでミスラが感知した所で、杭の動きが止まった。出来上がった光景はこれまた日常からかけ離れ、杭が歪なバランスの塔を作り上げているかのよう。




「──乱暴ね。女性は優しく扱うのがマナーではなくて?」




そして、疲れたように杭の一つに腰掛けてそうのたまう女が一人。



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