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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
133/281

楔、鎖、檻、



「さて、儂としては話し合いに来たつもりなのじゃが、そちらから何か言いたい事は?」

「…帰れ、構っている時間は無い」



 憎々しげに一瞥した後、ミスラは剣を鞘に戻した。



「ほう、この状況で助けを必要としないと。──知っているだろうが、正門の人間は皆逝ったぞ」



 紛れも無く殺気をもって、ミスラが肩越しにレイを見据えた。


 当然ミスラだけでなく、レイは部屋中から敵意の的にされるが、それでも涼しい顔でせせら笑う。



「まあ、今はまた兵がいるようじゃがの。元の人間と比べて特に秀でた人間達と言う訳でもない」



 レイは肩をすくめながら、部屋中に視線を巡らせる。


 投げ飛ばされた兵士は再び剣を握り、通信兵はレイに注意を残しながらも続々と述べられる報告を歯を食い縛りながら受け答えをしている。



「──全員、作業に戻れ。この女は敵ではない」



 決して味方でもないがな、と続けそうな表情に、レイもそれで正解だとばかりにその言葉を鼻で笑う。



「来い。ノイン様のよしみだ。話があるなら聞くだけ聞いてやる」



 部屋を出て行くわけでもなく、ミスラは大き目の机が置かれた部屋の中心にレイを誘う。



「一応、大まかに情報を照らし合わせたい。貴様は何を知っている?」

「…そうじゃな。主犯は少なくとも二人。昨日の男もそうなら恐らく三人が関わっていると見ているがな」

「三人…? どうして分かる?」



 自然と机を挟んで向かい合わせるような格好になり、新しく立てた蝋燭に火を付けながらミスラが怪訝そうな声を上げる。


 聞いているのか聞いていないのか、レイは近くにあった椅子を引き寄せると、頬杖を付いて考え深げに目を伏せた。



「この亡者を延々と産み出す魔法と、町を外縁部伝いに半球状に覆っている魔法。他にも様々な小細工が仕込まれておるようじゃが、分けるとするならこの二つ。二つの違う種類の魔法が蔓延しておる。よって、これでまず二人」

「……もう一人。昨日の男が何故ここで出てくる?」



 ミスラとて怪しいと思わなかった訳ではない。兵士には一応特徴は伝えていて、何人か間違えて連れて来られた人間もいたほどだ。


 しかし、断言は出来ない。その男とは別に、疑いがある人物も少なくは無い。



「…あくまで推測の域は出ておらん。それに、確実と言えるのはもう一人は必ずいるという事だけじゃよ。まあ十中八九無関係ではないだろうがの」



 そこまで言うと、伏せていた目をミスラに向けた。



「"小僧が消えた"。以前町の中を駆けずり回った時には嫌と言うほど擦れ違ったものじゃが、もう小一時間は見ておらん。

まあ、あやつの事だ。死んではおらんだろうが、何か小癪な策にやられた可能性が高い。それにしても片手間でやれる事ではない。…そうすると、だ。一つの仮説が思い浮かんだ」



 ピン、と人差し指を立てて見せる。



「あの男は賞金目的か何かだと思っておったが、もし誰かに接触する為の出場だったんじゃないかとな。

そうすると接触対象として考えられるのは、直前まで戦っていたアキラという小僧と、貴様らの王女。──そして、最後に小僧じゃな」



 準々決勝のアキラ、準決勝で当たるはずだったノインに、決勝でのハルユキ。


 接触目的が何かの話し合いか、合法的に排除するか、考えられるのは大体この二つに分類でき、ここから、推測を交えて更に絞り込める。



「アキラに勝った事、事も無げに非道を尽くした事を考えればアキラの線は薄い。王女の誘拐が可能だと考えればこれも薄い。まあ、反論材料だらけじゃから確信は無かったが、──ここで小僧が姿を消している」



 トントンと、人差し指で机を叩きながら、レイは最後にミスラの目を覗き込んだ。



「小僧が並々ならぬ力を持っていて、更にここの王女と密接な関係がある事は少し町で聞いて試合を見ていれば嫌でも分かる。

そして、昨晩の接触で、計画していたこの騒動に邪魔だった小僧が、少々手こずる程度どころか、とんでもない鬼札だと分かった連中は王女を誘拐し、先手を打った」



 とん、と心なしか強めに机を叩いて指が止まった。


 的外れ、という訳ではない。事実としてここまでその通りに進んでいるとして、矛盾はそう見当たらない。



 しかし。



「…それは、仮説というより妄想だな」

「まあ、前提が推測だからの」



 ただ、言った通り的外れではない。


 有力な説の一つであり、可能性も低くは無い。



 そして、今までのこの展開が全て相手の手の平の上だとすれば、それは最悪の状況だといえる。


 戦術的には、最善を狙うより、最悪を避ける事が先決。




 ならば推測だと割り切って切り捨てるどころか、更に相手の考えを読む事が必要になる。




「違うわ、間抜け」

「……貴様は、人の神経を逆撫でするのが余程好きだと見える」



 剣に手をかけたミスラに、レイはわざとらしいほど蔑み切った視線を変わらず向け続ける。



「あちらの一手に一手を返していても、ジリ貧じゃろうが。今は言うなれば、相手が好きに駒を並べたチェス盤を、いきなり目の前に出されて勝負を迫られているようなものだ。まともにやって勝てるものか」



 ならばどうする、と聞きながら、あの意地が悪そうな口からどんな言葉が出てくるかは想像できる。


 その質問を待っていたかのように、レイはニッと口の端を吊り上げた。



「──チェス盤ごと引っくり返すのも、もはや定石セオリーかもしれんがな?」



 地図はあるか、と近くの兵士に声をかけると、10秒もしないうちに机の上に地図が広がった。



「こことここ、それに、こことここ。この場所にくさびを打つ」



 指されたのは、町の東西南北の中腹部。特別何がある場所ではない。


 ミスラが眉を潜めているのに気付いたのか、レイが続けて補足を付け足した。



「先程も言ったがこの町に掛けられている魔法は主に二つ。相当な時間と手間をかけているようだが、儂なら解くのは難しくはなかった」

「"なかった"…?」

「ああ、一度は解いた。だが、この全く別の二つが互いを補修し合うように仕組まれていて、瞬きする間に復活した。恐らく能力だけ使わせて、術式を組んだのは一人なのじゃろうな」

「そんな事が、可能なのか…?」

「難しいな。しかし、不可能ではない」



 そこまで言うと、地図を覗き込みながらレイは腰を上げた。



「術者を探すか、二重になった魔法を一度に破壊するか、この二つでないとこの魔法を解除するのは難しい」

「しかし、それは…」

「…あちらさんもかなり長い時間かけた魔法だ。一度に全て、と言うのはかなり厳しいの」



 だから、と先程印をつけた四箇所を再び指で示した。



「──上から、相手の魔法を無効化する魔法を重ねる」

「無効化する…?」

「そう、駒を相手取るより、相手が幅を利かせている陣地の機構を破壊する。それに必要なのが先程言った"楔"じゃ」



 一瞬で、レイの手の中に先程とは少し形を異ならせた真紅の剣が精製される。



「そして、先程東西と南の顔見知りに、それぞれこれを渡してきた」



 ミスラは先程のキィラルとの通信を思い出した。先程無理矢理渡されたと言っていたのは間違い無くあの剣の事だろう。


 そして、他の二人も恐らく渡されているはずだ。





「後は、お前の一声だ」



 カランと、机の上にペンを放り出して倒れ込むように椅子に座ると、肘を付いてこちらを見上げる。



「…隊長。まさか信じるおつもりですか?」

「──アギ副長。私は職務に戻れと言ったはずだが」

「は、しかし…この様な得体の知れない輩の妄言に…」



 二人いる副長の一人。


 ギルドに行ってもらったもう一人とはまるで違う種類の人間だが、主に情報処理を取り締まってもらうには保守的な人間の方が好ましく、そして信頼もしている。


 その声も聞こえているだろうに、目の前の黒髪の女は、まるで子供をからかうようにこちらを薄ら笑ったまま見据えている。



「……一つ、聞きたい」

「言ってみろ」




「…貴様は人助けなどする人格には見えない。何を企んでいる?」

「は、酷い謂われ様じゃの。…まあ確かに、この国の為に動きたいなど言うつもりはないし、言いたいとも思っていない」

「なら何故…」



 少し考えたような仕草を見せて。



「──気に食わんのさ」



 しかし、数秒と掛からずにレイはそう言った。



「気に、食わない……?」

「小僧さえいなければ後はどうにでもなると、そういう風に、儂を軽く値踏みした輩がいる。高々数十年生きただけの小童が、だ。そうなれば、少々灸を据えてやらんといかんだろう?」




 ハ、とレイは自嘲するように鼻で笑って、そう最後を締めた。それに返すように、ミスラも失笑していた。




「……他には何か用意するものはあるか?」

「隊長…!?」



 大丈夫だとでも言いたげに驚愕する副長の肩に手を置くと、ほんの少しだけ笑みを深くしたレイの顔に向き直る。



「この上は?」

「最上階だからな。謁見室になっている」

「広いか?」

「古龍も飼えるだろうさ」

「…よし、そこを借りる。儂にも準備があるのでな。あとはあの三人が留守の間それぞれの門を守る人間を。──そして、あと一人、楔係が要る」


 

 その言葉を聞いて、アギと言う副長がミスラの後ろから机の横に周り込んで机を両手で叩き、威圧するようにレイを睨みつける。



「そんな人員が割けるものか! 今でさえ時間稼ぎしかできていないと言うのに…!」

「──心配すんなよ、アギ副長。人ならまだまだいる」



 ガシッと、アギという副長の肩に、野太い古傷だらけの肩が回された。


 レイの時とはまた違った意味が篭った視線が、部屋中からその男に集中する。



「アデノフ副長…!」

「連絡は取れなくなったが、何とか任務達成したよ。ほれ、隊長殿」



 ぽんとミスラに投げ渡したのは城の物と比べるとやや質が落ちる小さめの魔石。



『はいどうも。責任者がさっさと避難してしまったので、偶々居合わせただけなのに責任者にされてしまった一受付嬢のウェスリアと申します』

「ギルドの…!」

『はい。城に避難していた人員と合わせて都合四千名。微力ながら助力させていただきたく馳せ参じました』



 ぐっと、手の平全体で包み込むようにミスラは魔石を握り締めた。これで全ての戦力を集めきった。ここから先は何かを取り零すのは許されないと、自分に言い聞かせて。



「──助かった。命令系統はどうでも良い。千人ずつ四方向に散って、各個敵を遊撃してくれ」



 続け様に、腰にぶら下げていた魔石を幾つか手に取り、全て一度に引っ掴んだ。



「キィラル殿。ムイリオ様。ガララド。聞こえるか。魔石を持っていない人がいたら、近くの人間が渡してやってくれ」



 おう、と酒枯れした声が、ああ、と精悍な声が、少し遅れて、やっとか、と落ち着き払った声が手の中から耳に届く。



「三人とも、言いたい事は大体察しが付くと思います。黒髪の女性に渡された剣を、これから指示する場所に打ち込んで貰いたい」

『…しかし、俺達がここを離れて大丈夫か?』

「ああ、援軍は送った。到着次第出発してくれ」



 それを最後に、通信を切る。しかし、まだやる事は残っている。



「アデノフ殿。ご苦労様でした」



 疲れたように苦笑するアデノフは、体中が血に塗れていて、所々に浅くは無い傷が見られる。



「四人死んだ。称えられては笑ってしまう」

「……とにかく治療を。貴方にはまだ働いてもらいます」

「お優しい事で…。だが、もう一人楔役が要るんだろう? 休んでいる暇は無い」



 外に向かって引き返そうとした所で、男の体が崩れ落ちる。何とか壁に腕を引っ掛けて、体を起こした。



「とにかく治療を。誰か彼を医務室まで」



 黙って近くの兵士がアデノフの肩を担ぎ、そのまま扉の奥に消えて行った。



「どうするおつもりですか…?」



 アデノフが消えて直ぐに、もう一人の副長が口を開いた。ミスラもその質問が来る事は分かっていたのか、表情一つ変えはせず、口を開く。



「私が行く。指揮系統は貴方に……」

「──いや、その必要は無い」



 ミスラの声を遮ったのは、いつの間にか窓際まで移動して地上を見下ろしていたレイの声。



「丁度良いのを見つけた」



 手に持っていた四本目の楔を消すと、割れた窓の縁でこちらを振り返った。



「儂は謁見室とやらに居るからの。用があれば来い。それとこれも貰っていく」



 その手には、魔石が幾つか。


 そして、それだけ言って窓の縁に足を掛けた。



「…待て、まだ聞きたいことがある」

「一つと言ったのは貴様だったはずじゃがの…」



 それでも、レイは溜息交じりに足を下げてこちらを向く。


 どうやら答える意思はあると判断して、ミスラも静かに問いかけた。



「あの男──、ハルユキ殿が、もし自由に動けたとして、そうしたらどうなっていた?」



 疑問。


 他全てより優先させてまで封じる必要があった人間などと本当にいるのか。



「…さあの。皆で夕餉ゆうげでもつついていたんじゃないか?」

「ッ……!」



 瞠目するミスラに向けてそれだけ言うと、レイは窓から中空に飛び込んだ。





◆ ◆ ◆






 ビクン、と体が跳ねる。


 それも体が、という訳ではなく、もっと不自然に、二の腕や、ふくらはぎ、時には爪の先まで。


 その度に何かが激痛と共にフラッシュバックし、記憶に留める前に消えていく。




 やめて、と呟いても止まらない。

 ごめん、と謝っても許されない。

 許して、と媚びても叶わない。



 また、また、また。


 その度に頭の奥と瞼の裏が、焼き付くかのように熱を持って脈動する。



 ズグンズグン、とまるで別の生き物が蠢いているかのようだ。自分よりももっと心があって人間的な何かが。



 原因は、探そうとするのも億劫になる程に明らかだった。


 この町のが無理矢理表情を変えられた瞬間、もっと言えば"あれ"を見た瞬間。



──お前もか、とそう言われた気がした。



 それから、それから体の中の何かが息を吹き返したかのように感じる。


 刻一刻と早く、大きく、間隔もどんどん短くなる。



 今では、心臓の鼓動をも追い越そうとしているかのように、次々と頭の中に何かが現れては消えていく。


 そしてほんの少しずつだけ、何かが頭の端に残るようにもなってきた。




 何だろうか。




 何かが横たわっているのを、自分も地面に転がって見つめている。





「──、あ」



 フッと、何の前兆も無しに意識が浮かび上がった。


 そこで初めて自分が意識を無くしていた事にも気付く。



 そして、驚いた事に、自分は立っている。意識を失ったまま、むせ返るような人混みの中を歩いていた。



 呆気に取られて周りを見渡す。


 

 人。人。人。



 知っている場所ではなく、周りに知っている人間もいない。



 他人事のようにそれを何となく眺めていると、くしゃっと手の中で何かが音を立てた。



 広げてみると、そこには皺くちゃに拉げたメモが一枚。



 半分ぼやけた頭でそれを広げると、所々が丸まった女の子らしい文字で『お城でゆっくり休んでいる事。 エゼ』と小さく書かれている。




「っ……」




 頭に鈍痛が走り、また何かが頭に蘇える。



 それで思い出したかのように、また痛みが一定間隔で頭の中心を襲い始める。


 忌々しげに額に手を押し付けると、氷のように冷たい手の感覚が、ほんの少しだけ痛みを和らげた。


 しかし直ぐに手は温くなって心地良さを失い、再び痛みがぶり返す。



 堪らず顔を上げれば、目の前の景色が、水彩画の上に水をぶちまけたかのように滲んで歪んでいた。


 足はフラフラと前に進み続ける。



 もしかすると、意識が無かった頃より足取りは危なかっただろう。


 どこにも繋がっていない鎖が絡まっているような感覚が足から纏わり付いて離れない。


 しかし、立ち止まってしまうともう進めなくなりそうで、それ所かその場に蹲ってしまいそうで、必死に足を進めていた。



(外、は、どうなって………?)



 体力が無くなった訳ではない。


 魔力が枯れている訳でもない。


 むしろ、魔力は後から後から溢れてくるようだ。



 先程から、二の腕に刻まれた魔法の文字が熱い。頭を襲ってくる刺すような熱さではなく、そこだけ人肌に触れられているような穏やかな熱。


 まるで、そこだけしか自分の体が残っていないような気がした。



 偶然か、何かを感じ取っているのか、その足は正門へと向かっている。



 そして、とん、と目の前に何かが降って来た。



「──フェン、少し頼みたい事がある」


 

 闇夜を照らす光を反射させて、黒髪が光っている。



「レイ」



 知っている顔だった。





◆ ◆ ◆






「ギィはあれで大丈夫だったのか?」


 

 服を直し、毛布を与えて隣に座らせ直したノインに、10分程前に飛び立った仔龍について聞いてみる。



「さぁ。どっちにしろ一回出たら入れないんでしょ?」

「ああ、何か幻覚の結界張ってあるらしいぜ。魔法ってのは何でもありだな」



 ハルユキ達の言葉を聞いた後、不安げに飛び去って行ったギィを思い返す。


 どうやら、ノインの臭いを辿ってこの場所まで来いたらしい。


 入れていたという事はハルユキとそう変わらない時間に来ていた筈だが、それはつまりずっとノインはここに居たという事なのか。

 

 それとも龍には効かないタイプの結界なのか。



「…と言っても、確かに変な所はあったわね」

「そうだな…。お前は気絶してたから覚えてないだろうし…」



 そこで、ノインが不可解な表情を浮かべているのを見て言葉を止めた。



「…ああ、多分貴方が考えてる事じゃないわよ。それは仮説の中のどれかでしょうけど…」

「エスパーかお前は…」

「何よ、えすぱーって」

「……気にするな、それで? 変な事って何なんだ?」



 面倒臭くなったのが口調で伝わったのか、目を細めてこちらを睨むノインから何となく視線をずらして、話し出すのを待つ。


 ノインが呆れたように溜息を付いたのを追求を諦めたのだと判断して視線を戻すと、示し合わせたようにノインも口を開いた。



「──あの子、妙に怯えてなかった?」

「あー…、確かに不安げには見えたが、この雰囲気のせいじゃないか?」



 図太い二人が話しているからか緊張感は伝わらないが、町中を覆った結界のせいか空気はひどく湿り、その割に底冷えしたそれが足元に溜まっていて、まるで深海の底に居るような気分にさせられる。



「…そうじゃないわ。ほら、最初会った時のような顔」

「そうだったか…?」



 記憶力に自信は無いが、まあ主人であるノインがそう言うならそうなのだろう。


 ハルユキの表情からこの問答に意味が無いと判断したのか、これ見よがしにノインは溜息を吐くと、話を切り替えた。



「と言うか、呼ぶのはレイで本当に良かったの?」

「…まあ、俺の中ではあいつしか居ないんだよ。この手の魔法は」



 コンコン、と結界は叩いてみせる。


 ユキネの妙な魔法に頼ってもいいかもしれないが、この結界ごとノインを殺してしまう可能性も無くは無い。


 まあ、実際の所本当に壊してノインに影響があるのかは分かる事ではないが。


 どちらにしろ、レイを呼べば全く進展無しと言う事は無いだろう。



「──死ぬ気で休めよ。もたもたしてると俺が全員殺すぞ」

「魔力は、命の危機だったお陰で多少はマシだけど…、全開時の一割も無いのよね」



 何かに飢えているように拳が軋む。


 少し口を噤んだだけで、溜まりに溜まった感情が溢れ出そうになる。

 

 が、このような状況は、不本意ながら慣れてしまっている。こういった気持ちは一億年ほどの経験値がある。



 こういう時は、ただ待てばいい。


 

 不思議と、あの時天井から降って来た馬鹿の事を思い出していた。




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