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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
132/281

一手

 ただ進むだけしか知らなかった死体達が、不可解な動きをした事に気付いたのは、自分以外に何人居たのだろう。


 隣で双眼鏡を覗いていた奴等が、声を揃えてた所を思うと、少なくない人間がその変化に気付いたのかも知れない。


 とにかく、予兆はあった。そこで気付くべきだったのだ。



 十メートル前で一度痙攣したその死体が、唐突にその姿を消した。


 見失ってしまったと、何気なく左右を見渡していた自分が、今になって恨めしい。



 もっと危機感を持てと自分に強く言い聞かせるべきだったのだ。


 命を落とすその前に。



 しかし、想像しろというのも無理な話だったのかも知れない。


 今までは半病人のようにうろつくしか能がなかったやつ等が、いきなり何メートルも跳躍して後ろに回り込むなどと想像できる訳が無い。



 我らは歩兵ポーンで、戦うべきもやはり主に相手の歩兵ポーンだ。時に歩兵が勝負自体を決したり、重要な役割を果たしたりもするがそれは別の話。


 そう我等は歩兵なのだ。



 敵の歩兵と戦うのをその旨にする。



 だからこの違和感は。


 我等の心臓を事も無く握り潰すこいつ等は。


 きっと歩兵の振りをした騎馬兵ルークだったのだ。



 歩兵は敵陣のバックランクに到達した時にだけ、進化を許される。


 しかし、それとは明らかに一線を画している。


 追い詰めたつもりもないし、敵が全身を止めたわけでもない。やはりこいつらは、歩兵の皮を被った騎馬兵だったのだ。



 そうとでも考えないとやっていられるか。




  



 お互いが対峙して、十秒も経たない内に優勢側と劣勢側は定められた。


 それこそ、ラスクがシアの元に着く前に決まってしまうほど迅速に。



「──ああ゛ッ!!」



 既に仮面が剥がれ落ちて、醜い素顔を晒しているラィブラの顔面に、躊躇無く拳が突き刺さる。



「硬いな。まあ、ゾディアックに居るならお前も普通やないのは不思議やないか…」



 ラィブラは一度地面に強くバウンドして、地面を転がって家屋に突っ込んだ。



 死にはしないものの、起き上がったその口からは血が混じった涎が糸を引き、目を丸くして、驚愕を露にしている。



「ば、馬鹿か、お前はぁっ…!」



 戦慄きながら、瞠目するラィブラに息一つ乱れずにジェミニがゆっくりと歩み寄る。その腕に刺さった短剣を引き抜きながら。



「幻はもう飽きたわ。使おうとした瞬間ぶん殴るで」



 攻略。


 などといえるほど大それたものではない。



 ただ、相手の中で魔力の流れが変わった瞬間に全速で拳を叩き付けるだけ。


 姿を消した直前なら、空気の粗を追う事も出来る。


 全て、己の身を投げ出しその上、時間を早めた上での結果に過ぎないが、ラィブラは指して攻撃力が高い訳でもなく、またジェミニから言えば失血もそう怖くはない。


 己の身さえ省みらなければ、有効な手段となる。



「もう、お前とは戦う気すら無いわ」



 何かをする前に、視界に入る前に、気付かれる前に、更に言えば、目を覚ます前に。


 それが、最善。矜持も誇りも何も要らない。



「もう勝負は付いてる。あの部屋でも助けてもらい、さっきも要は逃げたんや、お前は」



 図星を付かれたのか、ここからでも分かるほど顕著にラィブラの表情が変わった。


 唇があれば震え、瞼があれば目を見開いていただろう。しかし、顔のパーツがほとんど削ぎ落とされたラィブラの顔からは、悲しいほどに異様さしか伝わらない。


 ラィブラが見ているのも既にジェミニではなく、



「……く……だすな…」



 ぼそり、と唇が無い口が小さく動いた。



「──僕を、誰だと思ってるッ…!」




──タイミング的にはそれはただの偶然だった。ただ、ラィブラの声と、"壁"の限界が重なっただけ。



 しかし結果として、その変化はラィブラに味方する事になった。


 みちり、と肉が軋むような音がジェミニの耳に異常の発端として届く。



「──ッ」



 気を取られた一瞬に、前方からナイフが飛来する。ラィブラの姿は既に揺らいでいる、が、狙いは眼と喉。流石にそれを受け止める訳にはいかない。


 続けて左右の視界の端にも何かがチラついた。



「は…?」



 命の亡者。


 しかし、今までのそれとはまるで違う。


 水を得た魚のように、民間人の限界を遥かに上回る速さで、横から臓物を抉り出そうと肉薄していた。


 しかし戸惑っている暇は無い。


 左右は駄目で前後もナイフの餌食。そして生憎手は二本しかなく、全てを受け止めるなどとは論外。



「く、おッ…!」



 嫌な浮遊感で身を寒くしながら、後ろへと倒れこむ。


 左右の脅威より一瞬早くナイフが前髪を切り裂いて通過していき、一瞬後にその場所を、骨が所々剥き出しになった手が左右から挟み込んだ。


 拳さえ握られていない腐った手同士がぶつかり、腐肉が飛び散る。



「何やねん…」



 寝転がったまま、左右の死体を蹴り飛ばし、その勢いのまま起き上がった。


 そして、目の前にはまた別の拳。



「──っふ!」



 カウンター気味に腕が交差し、死体の顎を打ち抜く。


 相当脆くなっていたのか、軽い抵抗を残して首がもぎ取れ、バランスを失った死者はそのままよろよろと数歩進んで地面に倒れこんだ。



 取りあえず目の前の脅威を取り払って、顔を上げる。




 そのタイミングに合わせるかのように、ぱん、と短い音が鼓膜を揺らした。



 それは、遂に風の壁が崩れて圧し掛かっていた死体が地面に崩れ落ちた音。その近くに既にラィブラはいない。



「…お、いおい」




──そして、雪崩れ込む。



 我慢に我慢を重ねた亡者共が、剥き出しの筋肉と骨で出来た腕を我先にとばかりに突き出してくる。


 その量と力に、地面が揺れ地響きが空気も揺らす。



 迷わず背中を向けて疾走した。既に周りの建物が倒壊していく音が重く連続している。捕まれば、飲み込まれて押し潰される事は容易に想像できた。


 視線の方向を変えてすぐに、力なく転がった十数体の亡者の中心で、明後日の方向を見上げているラスクを見つける。



「おっちゃん!」



 その声でこちらを見たラスクの顔色が、一瞬で変わった。


 後ろでどのような光景が繰り広げられているかは、想像にし難い。


 が、その異様さは、地震のように揺れる足元と、鼓膜を襲う幾重にも折り重なった怨嗟の声が物語っている。



 自然と二人とも屋根の上に飛び乗った。




「怪我は…?」

「いや怪我は無いが、連れ出そうとした所を横からやられた」


 

 辺りにシアの姿が無い。


 そこで、漸くラスクが憎々しげに屋根の上を睨んでいた意味が分かった。



「──ジェミニ」



 ジェミニが知っている、馬鹿にしたように浮ついた声ではない。


 重く沈んだ、訃報を告げるような声だった。



「ここは騒がしい。さっきの倉庫だ」



 既にその姿は消えている。


 残っているのはどこから出したのかあの道化の仮面だけ。



 またしても、幻惑に紛れて、ラィブラは姿をくらませた。





  ◆




「おッ……あ…げぁ…」



 木箱の上にゆっくりとシアを寝かせた後、ラィブラはそのまま膝から崩れ落ちた。


 閉じる事すら出来ない唇から、ボタボタと絶え間無く血が零れ、足元を汚していく。



 内臓がやられている。


 しかし、自分は普通の体ではなく、特に生命力に長けている。星座ゾディアック全員がそうだが、特に自分はそれが著しい。


 その分、寿命は極端に短いそうだが。



 それはまあ、今はどうでも良い。


 

 胃からせり上がって来ていた血反吐を傍らに吐き出すと、膝を押さえながら立ち上がって、隣の少女に目を落とす。



「…っシアッ!」



 怒鳴り付ける。


 無理矢理気絶させたのは自分だ。起きるはずもないのはわかっている。当然、横たわる少女は反応すらしない。



「──主人の言う事を…!」



 心中は荒れきって収まらない。


 その勢いのまま拳を振り上げて、しかし、またしても膝から崩れ落ちた。


 再び、今度は喀血する。どうやら、気管の方もかなり損傷しているらしい。



「……シ、アぁ…っ」



 憎々しげに名前を呼ぶ。


 どれだけ名前を呼んでも、少女は反応を見せない。



「…おい…!」



 遠くに見えた。


 以前は、言われなくても擦り寄ってくるほどだったのに。


 酷くイラつく。


 馬乗りになって、胸倉を掴む。引きつけも押し付けもしない。


 ただ、少女の首に触れた人差し指の第二関節から、温かさが伝わってきて、自分の手の冷たさを改めて教えてくれた。



「笑えよ、シア…!」



 絞り出したその声は、泣き声にすら聞こえた。





◆ ◆ ◆





「あらあら、あんな事が出来たのあの子は…」



 人を亡くし、死体として徘徊し、遂には獣のように跳ね回る手駒達を見て、女は感心したような声を上げた。


 "略奪者サクリファイス"とはまったく別の能力。


 この精霊獣を使う際に少しだけ自我を残しておくのだが、それがこういった方向に働くとは思わなかった。



 元々雷を操っていた男だ。恐らく電気信号を使って操っているのだろう。


 そのせいで頭をやられたら再び動かないようになっているようだが、既に兵士一人の戦闘力を優に上回ってしまっている。


 それに、もう"略奪者"としての能力も、僅かずつだが発揮されている。ならば、破壊されてしまってもさして問題は無い。



「ラィブラは思ったより持ちそうに無いわね…」



 オフィウィクスの話だと、ラィブラは居るだけで良いと言う事らしいが、本当に可能なのかは定かではない。


 しかし、やれと言われたらやるしかない。


 ラィブラは生きてさえいれば良い。ならば、放っておいても問題は無いはずだ。



「後は、連絡待ちかしらね…」



 目の前に置かれた、上等な連絡魔石を指で弄ぶ。


 これが光り次第、この戦争は終結に向かうことになっている。



 そして、まるで一連の流れを見ていたかのようなタイミングで、魔石が女の手の先で明滅した。



『──やあ、こっちはもう直ぐだけど、そっちはどうだい?』

「ええ、今からだというのなら、十五分で」

『頼もしいね。じゃあ、首領殿にもそう言っておこうかな』

「褒賞は弾んでよ?」



 yesもnoも無く、小さい笑い声を最後に連絡は途絶える。


 気に入らない態度だが、心配する必要も無いだろう。



 その辺りはしっかり守る組織だったはずだし、それにこの町は好きにして良い事になっている。


──町中から人間がいなくなった後のお楽しみだ。



 蠢く程に人間が密集した城の方を覗く。



「さて、じゃあお掃除しましょうか」



 薄ら寒い笑みを保ったまま、その場に黒い波紋を残して女は影に潜った。




◆ ◆ ◆




『て、敵が活性化!! も、物凄い勢いでバリケードを破壊していきます!』

「何だと…!?」



 民の避難の進行具合を目で追っていたミスラに、通信を受け取った兵士の悲痛な声が届いた。


 弾かれたように顔を上げると、兵士から魔石を受け取りそのまま口を近付け話しかける。精一杯落ち着くように自分に言い聞かせていたのだろうが、焦りは隠しきれていなかった。



「どうした…!?」

『て、敵が…! いきなり素早く、飛び跳ねて…ッ!』

「しっかりしろ! 報告は要点を捉えて短く…!」

『ぁ…………』



 ぶつん、と音がして魔石から光が消えた。


 その事象が指し示す事実を誰もが悟り、本部室に重く沈黙が広がる。


 知らず、ミスラは拳を握り締めた。指と指の間から、何かが滑り落ちた感触がしたのだ。



「……………正門前から、連絡が途絶えました」



 その沈黙をまず破ったのは、通信兵の義務だった。


 言わない訳にはいかない事だとは皆分かっているが、最悪の想像を肯定されたようで、更に沈黙が重く深まる。


 しかし一瞬後、そのような沈黙は許さないとばかりに、どん、と壁を強かに打ち付ける音が響いた。



「次から次へと…!」



 ギリッと歯が軋む音すらも本部室に深く響いていく。


 こちらの一手を嘲笑いながら覆す一手に、一度は獲得した安堵が底から覆された。



「…正門を閉じる。他の門とも連絡を取ってくれ。場合によっては戦力を集結させて、他は全て閉じる」

「では、孤立した集団への救助は…?」

「…後回しだ。集めていた人員は正門に向かわせて兵が避難する時間を稼いでくれ」



 その言葉を想定していたのか、通信兵は素早く短い返事を返すと、脇にあった魔石を手にとった。


 本部の士気が明らかに下がったのが分かる。現場ではないこの場所でこれなのだ。現場での絶望感は想像にし難い。




『──おい! ガララドの嫁さんよぉ!!』



 一列に並べられていた魔石の一つから、とても兵士の物とは思えない酒焼けしたような声が聞こえた。



「キィラル殿…? どうやって…?」

『兵士から魔石借りてな。それよりこりゃどうすりゃ良いんだ!』

「…すみません。こちらも現状は把握し切れておらず、出来れば状況をお教えいただければ…」

『そっちじゃねぇよ! このヤンチャな死体共はこっちで何とかする! 俺が言ってんのはさっき無理矢理渡された…』



 それ以降のキィラルの言葉は、ミスラの耳に直接届いた言葉によって聞き取れなかった。


 隊長! と叫んだ兵士は窓の外のあらぬ方向を指している。




 その先には、何かの黒い影。


 人の形をした、何か。



「────ッ伏せろォッ!!」



 一瞬で背筋に冷たい物が走り抜け、直感が告げるままに声を張り上げた。


 窓は遠い。しかしここには非戦闘員も多く、替えが効く人間でもない。


 しかし、やはりそこは非戦闘員。反応できない人間がほとんどだった。仕方無しに一番近くに居た通信兵だけでも無理矢理地面に引き倒してその上に覆いかぶさった。



 一瞬遅れて、正面のガラスを吹き飛ばし、それが部屋に着地する。



 入り込んできた風に部屋中の明かりが吹き消された。



 しかし、外からの明かりのお陰で、その姿は隠し切れる訳ではない。そして、姿さえ見えていれば切り伏せるのに不都合は無い。



 反応は早かった。早過ぎだと言っても良い。


 部屋に居合わせた戦士が、示し合わせたように一斉に剣を引き抜き、刃をその喉元に奔らせる。



「──やれ。手厚い歓迎じゃの」



 しかし涼しい声と同時に、戦士達は、壁に、床に、果ては天井にまで叩き伏せられる。



「──っシ!」



 一瞬遅れて、ミスラの剣もその喉元を狙う。速さでは他を寄せ付けない我が剣で、それも気を抜いた瞬間を狙ったつもりだった。


 が、細身のレイピアは、敵の喉の横で難なく受け止められて軽い音を立てる。



 己が剣と交わっているのは、血を塗り固めたような紅色の剣。



「──お主とは初対面の時もそうじゃったが、剣越しに顔を合わせる事が多いのは、どういう訳じゃ」

「貴様…!」



 間近で確認してようやく気付く。


 黒い長髪を後ろで一つに結い上げ、動き難そうな服を身に付けた、妙に年寄り染みた口調の女。



「剣を下げてもらえるかの──?」



 ミスラの背後には馬鹿にしたように、紅色の剣が何本か浮いていた。




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