再起
「東と西、更に南城門前に再びバリケードを設置しました」
「よし、そのまま怪我人を下げたら、被害を避けるのを最優先に行動しろ」
通信兵が小気味良い返事を返したあと、先程のミスラの指示を伝えていく。
とりあえず敵の侵攻を止められたと思っていいだろう。
敵が現れてから三時間ほど。
窓からは怪我をした兵士や、民間人達がそこら中に確認できる。
いかにこの城が広いといっても、流石に前庭や練兵場だけでは収容できないため城の一階を完全に開放している。
が、それでも足りていない。
未だに外で孤立してしまっている人間を収容すれば必ず足りなくなる。
無断で場内を開放した事についても、文官共が口やかましく言ってくるだろう。
まだまだ問題は山積みだ。
「──ミスラ様」
とん、と短い音と共にミスラの背後に男が現れた。
目以外を全て隠した丈長の黒装束。ここが蝋燭で照らされていなければ、さぞ夜の闇に紛れている事だろう。
「結果が出ました」
俗に言う隠密といった存在で、それ以外にも手広く仕事をやって貰っているが、基本的には汚れ仕事。
残念な事だが、組織が機能するためにはこういう存在も必要だ。
「それで?」
「は、やはり回収した死体の幾つかが、ここ最近の捜索願者と一致しました」
「…戻るか?」
「いえ、殺害された後で操られている様なので…」
「……そうか、苦労をかけた。引き続き魔術の解析を進めてくれ」
小さく頷いて、意識の隙間を縫うように黒装束は立ち消える。
現れてから消えて、その後にも、気配の残滓さえ残っていない。その仕組みも機構もよくは知らないが、信頼は限りない。
王女が主催して隠密を引っ張り出し、無理矢理酒を飲み交わしたのはこの国ぐらいだろう。
王女が誘拐された事で、怒りに目を凍らせた事もまだ記憶に新しい。
その努力の為にも一刻も早く、敵の正体をあげる。
このタイミングだ。誘拐とこの攻撃が無関係だと言う事は無いだろう。
敵はとりあえずは封じた。
ならば、今の所残る懸案はそう多くは無い。
「…正門側の通りはどうなってる?」
「はい、相変わらずまばらに死者が発生するだけで、他の三通りのように大規模な侵攻も確認されていません」
「…そうか。しかし万が一もある。最低限の人数を配置して待機させておいてくれ」
これは懸案だ。あくまで問題ではない。
しかし、この異例中の異例といえる状況の中で更に不自然な状況は残しておきたくは無い。それが無理なら他の三箇所と同じように、誰か一人手練を配備しておきたい。
「ガララド。そちらは大丈夫ですか?
『ああ、こっちは粗方終わったぞ。キィラルさんとムイリオさんも問題無いだろう』
しかし、他の門から動いてもらう訳にもいかず、他に任せられるような人間も心当たりが無いし、ハルユキの一行も直ぐに連絡は取れない。
「正門を任せられる人を探しています。誰か…」
『──ああそれなら、二人に頼んだ時に一緒に頼んでおいた。まあ、頼む必要も無かったと思うがな』
「正門にですか? しかし誰も…」
改めて正門の方を見ても何も無いし、誰もいない。
『ああ、丁度店に居たからだろうな』
「…ああ、と言うと、ラスク殿ですか」
『そう言う事だ。俺はあの人より頼もしい男を他に知らんよ』
◆ ◆ ◆
「あ゛ー…もう、鬱陶しいなぁッ!」
不愉快を隠しもしない叫び声を上げながら、ラィブラの背後から無骨な銀の杭が突進する。
「…ふむ」
それを見比べるように一つ一つ観察しながら、避け切れない物にのみ左手を翳して軌道をずらす。
結果、そこから一歩も動かないまま、ラスクはラィブラの攻撃を無に帰した。
それも小脇にシアを抱えたまま。
下ろしてくれとシア自身も何度か目で頼んでみたが全て黙殺されてしまっていた。
「…ああ、思い出した。君はあれだ。あの食道楽の"メニュー"に書かれてた奴だ、ラスクだったっけ?」
憎々しげに、顔を上げるラィブラの視線の先には相変わら涼しい顔を保ったまま。
ラィブラの言葉に何か返すわけでもなく、杭が突き刺さったはずの地面を見て、眉根を寄せている。
「…先程からのこれは、つまり幻か?」
「そうさ。でもそれで死んだら脳が勝手に死ぬから気を付けてね」
「それは大したものだ」
そこで、フッと咥えていた煙草をシアを抱えている方向とは逆に吐き出した。
「やぁっと、本気を出していただけるのかな? ん?」
「先程から言っている。俺はもう全身全霊だ。故にお前に攻撃している暇は無い」
そう、それは見れば明らかだった。
シアはもちろん、張本人のラスクも当然知っている。しかし、それを背にしていたラィブラだけが未だにそれに気付いていなかった。
ラスクの言葉に困惑していたラィブラが、更にシアの視線にも気が付き、凄い勢いで振り向く。
シアは、後ろを向きそれも仮面で隠れているラィブラの顔が、驚愕で固まるのが手に取るように分かった。
肉の壁。
うねうねと蠢くそれは、下から上まできっちりと地面と垂直に伸びている。
今見たところで十メートルはあるだろうか。前へと進めない分、積み重なっているのだ。
何十メートルもあるこの大通りを、その場所から一ミリたりも進入を許さんとばかりに風が静かに通せん坊をしていた。
それを見たラィブラが、堪らないとばかりに仮面に右手を押し付け、悲壮ぶって空仰ぐ。
「…ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、はいはいはいはいはいはいはいはいはいはい。なるほど、アハハハハそういう事ね中々愉快な事じゃないかふふふふふふっふ」
仮面の表情がグルグルと変わり、その代わりに隙間から一貫して笑い声が漏れ続けて。
それが唐突に止む。
「──嘗めるのも、大概ニね」
雰囲気が変わった。
冷気のような空気が足元から這い上がってくる。
それが、殺意を飽和せんほどに孕んだ魔力だと言う事に遅れてシアは気付いた。
足から伝って心臓に這い上がるように、体温を下げていく。
不意に、ラスクがシアを放り投げた。
放り出されたシアは重力を思い出す前に結界の中まで運ばれて、結界に入った瞬間体を支えていた風が消えて地面に落ちて音を立てる。
その余裕の無さラスクが感じている危機感の大きさを感じさせた。
「…大した物だよ。お世辞抜きにな」
「なら、それ相応の力を見せろよ。別にあんなトロいのお前には関係ないだろ?」
その言葉に、今度は驚いた顔でワザとらしく目を丸くすると、芝居がかった調子でフッと鼻で笑って見せた。
「──馬鹿な事を言う。何故自分の住んでいる町より、貴様や俺なんぞを優先せねばならんのだ」
「なら──」
何の予備動作も無しに道中から剣が突き出す。
何本、何十と言う数ではない。大通りの地面が見えないほどに埋め尽くされた剣の数は万にも手が届くだろう。
そして今度はその剣が一斉に震えだす。
ゴボッと音を立ててラスクが立っている場所を中心に地面が折れ曲がる。
幻。
それは知っているならば、理解する事は誰でも出来る。
現にシアもラスクもその事は嫌と言うほど知っていた。
ただ、これは本当に幻なのか、と。
剣同士が擦れる音も、小さな砂塵が頬を叩く感触も、剣に染み付いた臭いまでもが、その思いを増幅させる。
もしかしたらと言う思いは、頭の片隅に存在して小さくなる事はあっても絶対に消えはしない。
そして、ラィブラの幻惑は、それを掬い上げて増幅させる。
「死ネ」
有り得ない幻惑が、顎のようにラスクを飲み込んだ。
「──言っただろう」
ラィブラがその生死を確認する前に、平然としたラスクの声が響いた。会話の間に何事も無かったかのような声色にラィブラの目が見開かれる。
その姿は、剣の顎を一歩だけ超えた所。つまりは、ラィブラの目前。
「俺は既に本気だ」
言いながら、肘の先まで捲くられていた服の袖を上腕まで更に捲り上げる。
そこには、凛然と輝く『嵐』の文字。
「──加護付加"芳……」
フッと、ほんの僅かに鼻を擽るのは、温かい煙草の臭い、珈琲の香りに花の華やかさ。
ラスクの能力の一部。鼻から空気を思い切り取り込みたいと思えるほどの誘惑。実際に自分がそれをしようとしている事に背筋が凍る。
しかし、身構えるラィブラに対して、ラスクは唐突に動きを止めていた。
「…ああ、止めだ」
捲り上げた袖を、疲れたように戻すと懐の煙草に手を伸ばした。
それ所か、煙草に火を付けながら背中を向ける。
「……その背中にナイフを突き立てても良いってことかい?」
「その時は避けるさ。逃げるのは得意だ」
「へぇ、相手を捩じ伏せるほうが得意に見えたけど?」
「……正直、俺が本気で戦ってもお前に勝てるかは分からん。間違い無く無傷では無理だろう? 俺は傷を負う訳にはいかんのさ」
「…………はァ?」
吐いた煙が、戯れに起こされた風で渦を巻く。
それが、もう既にラスクから戦意が無い事を悟らせた。
意味は分からないが、そんな事を考えるのも面倒になり、途端に白けてしまったラィブラは手にナイフを滑り込まる。
しかし、振りかぶった手は耳に届いた異音に自然と止まる事になった。
だん、だん、だん、と。
その音は次第に大きく間隔は短くなっていく。
「──俺はこれでも料理人でな。この腕は、戦争よりも、戦争の後に馬鹿共の腹を満たしてやるのが仕事なのさ」
音の方向に顔を上げた時には、渦巻く紫煙を切り裂いて、何かが視界に割り込んできていた。
「渋いな、おっちゃん」
「ありがとよ」
その何かに顔面を蹴り飛ばされながら、憎くて堪らないあの声が鼓膜を揺らした。
音を立てて仮面が割れる。砕ける破片の向こうにその姿を確かに捉える。
ラィブラの玩具を奪い、気取った表情で物を言い、自尊心を粉々に砕き切り、この俺を見下し、今また踏み躙るように足蹴にした男──!
「…おっちゃん、シアちゃん頼むで」
沸き上がる。
殺意が、魔力が、そして削られた唇から狂喜の笑い声が。
「─────ッジェミニイィいィいィィッぃイいイぃッ!!!!」
ラィブラの怨嗟の声が激昂となって響き渡る。
ジェミニも全神経を集中させて、拳を握る。
──だから当然。
その直ぐ後ろで、異変が起こっている事など知る由も無い。
びくん、と密かに町中の腐肉が痙攣した。
◆
それは、他の大勢と変わらぬ場所に、変わらぬ大きさで進んでいた。
ズルズルズルズルズルズルズル。何を求めるでもなく彷徨い続ける。
そして変わらず進み続けて、"足を止める"。
それが、一番初めに他と違いを画したのだ。
──何だこれは、と。
何故このような所で、馬鹿のように折り重なって屯している。
腐りかけた目と赤い宝石の両眼で空を見上げると、何か視認し難い何かが同胞の行く道を塞いでいるらしい事が分かった。
同胞──?
自分で浮かべた思いに首を傾げる。どうにもその言葉はしっくり来ない。
もっと近い。もっと密接に繋がっている。
そうなる事が定められていた様に、そこで腐った頭が自分が出来る事を思い出す。
肉の壁に、慈しみを以ってゆっくりと手を添える。
慈しみは当然。これは俺の体の一部。その証拠に右手の先は既に一体化している。
添えた右手から腐り落ちかけた神経を通って雷が走り、接触が続いている分の肉体が痙攣する。
もう少し強めに雷を送ると、周囲の死体も同時に鼓動する。
──最後にもう一度雷を通すと、町中で自分の鼓動が聞こえた。