表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
129/281

燻し銀

「……成程成程」



 祭りの盛り上がり時を狙ったせいか、思ったよりも民間人の移動はスムーズに終わっているらしい。


 大通りの様子からどうもこの町に人間が詰まっているようにも見えるが、実際には人口の過疎化が行われていただけで、住民自体が増えた訳ではない。


 もちろん旅人や商人を合わせれば、いつもの倍に近いほどの人間がいるが、それでも百万に届くかどうかと言ったところ。



 そのうち戦える人間は、百分の一以下。つまりは一万人。


 そして、目的はその更に約千分の一。



「喰い応えがあるのは、それぐらいだな…」



 この町の所々に建てられた物見櫓のような場所。既に下は動く死兵の海。



 だが、被害はそれ程でもない。


 最初のパニックからの兵士の個々人の対応が良かった。


 驚く事に、まだ被害人数は百人かそこらと言う所だろう。



「大したモンだ…」



 いやはや。


 全く。



「──うちの参謀は」



 王女と黒髪の隔離から、空から広がるこの結界の発動。そして死兵の行軍。


 被害数。経過時間における進行状況。



 ほとんど漏れる事無く、手の平の上。



 繰り広げられている戦場が、あの女にはチェスの盤にしか見えていないのだろう。


 自分ともう一人に、幾つかの絶対事項の他は好きに動いて良いと言ったのも、恐らくある程度予想して、どうにでも対応できるから。



 実際に自分の行動を予測するのは難しくない。


 やりたい事をやる為に、あの組織に名を連ねて、今まで我慢を続けていたのだから。



「さァて…?」



 その参謀から譲り受けた"御品書"に眼を落とす。


 既に一番厄介だった二人の名前には大きく×が付けられていて、残るのは先程にも言った十数名。


 闘技大会で土俵狭しと奮闘した名前から、軍人、ギルドの人間に、何故こんな男がと言うような人間まで事細かに記されている。



 もう一度言うが、実際に自分の行動を予測するのは難しくない。


 だからこそ、自分が何を期待されているかも、如何にして利用されるかも分かっている。


 

 別段、知能比べをしようという気は無いのだ。


 結局自分と言う駒には、自分以外を喰い尽くす以外に能は無い。



「全く、大したフルコースじゃねェか…!!」



 ゆっくりとその時間から味わうように"御品書"に目を通して、眼を止めたのは、先程黒髪に言った女の名前。


 運良く既にその姿は、ここから捉えている。



 馬鹿にしたように、男は手を合わせて、小さく感謝の念を口にして、空中に躍り出る。




 さてさて、詰みまではあと何手なのかと半ば呆れながら。






◆ ◆ ◆






 それは本当に劇的で一瞬の出来事だったのだと思う。



 水差しの水が暑さで傷むのを防ぐ為に、定期的に食堂の桶まで水を汲みに行った、恐らくあの時。


 外で一際大きな声がしたのには流石に気付いた。しかし、外で騒いで大声で歌いだす事もそう珍しくは無い事だったので、今のもそれに似たものだろうと高を括っていた。


 そして、容器とコップを洗って新たに水を容器に注ぎ部屋に戻って、窓際にそれを持って行った時、初めてその異変に気付いたのだ。



「────っ!」


 

 皮肉にも、その時は思わず声が出たんじゃないかと言う程に驚愕していた。



 血が、舞っている。



 それも、生きた人間のそれではない。


 生きている人間は、もう既に少し待ちの中心へ行った所のギルドに逃げ込んでいるか、または──。



 命を失っても尚、獣のような何かに蹂躙され続ける肉塊となってしまっている。



 舞っている血は、獣が只管に砕く肉から飛び散っているだけだ。まるで、生きている者が憎くて堪らないとでも言うように。


 獣、ではない。無意識に目を背けたかったのかどうかは分からないが、それは明らかに獣と言うよりも適した言葉がある。



 人間。それも、その腐った死体だ。


 だからこそ、生きとし生けるものを妬み、憎み、羨んでいるかのように感じるのだから。




 鼓動と呼吸が加速度的に乱れていく。



 がしゃん、と思い出したように、シアの手から滑り落ちた水差しの瓶が破砕音を響かせた。


 その音で我に帰るが、それでもうろたえながら一歩後ずさるのが精一杯で、膝を付かないように足に力を入れるのが精一杯。



「っ…………?」



 しかし、そこでおかしな所に気が付いた。


 おかしいのはこの惨状になるまで、シアが無事でいられた事。


 辺りの建物は壁を壊されたり、何かを叩き付けられたり、しまいには柱を壊されて半壊しているところさえある。



 それなのに、この建物には被害どころか一切の干渉が無い。


 だから、普通なら目を凝らさなければ分からない"それ"に気付けたのは、一度見た事があったからと、その疑問が根底として存在したからだ。



 薄くフィルターのようにこの宿を囲っている壁は、入り口の方だけは一mほど間隔が余るように存在していて、化物はその境界で堰き止められている。


 ほんのりと赤いその結界は、以前闘技場中を一瞬で覆ったある女性の結界と全く同じものだった。



 あの人の勘の良さと能力の高さには本当に舌を巻いてしまう。



「───…ぇっ」



 しかし、胸を撫で降ろす暇を、戦争と言う状況は与えてはくれなかった。



(今……!)



 聞こえたのは小さな泣き声。聞き間違いでなければ、恐らく子供。


 方向は、左。町の中心に向かう方角。



 距離までは分からないが、押し殺した声が聞こえてきた程だ。決してそう遠くは無い。



 ならば、逡巡も許さない。


 一心不乱に扉を押し開き、階段を駆け下りていった。





──どこか、役に立てる事に浮かれていたのだと思う。




 だからだろう。


 扉を開けた瞬間に、決意に満ちた足が一瞬で止められる事になったのは。





「kjpリk:ojオgじゃpえwkqlれmjgkijkfrmjkl、うl,wkaれ;lめwk──…」





 外に出た瞬間、いや、やはり扉を開けた瞬間だと言った方がいいだろう。

 

 視界一杯に広がっていた非日常に、一歩も足を進める事はできなかった。



 口の端からは、血のあぶくが絶え間なく漏れ出し、それに構う事も無く、意味の分からない声を上げながら結界に爪を立てている。




 意味も分からない言葉から伝わるのは怨嗟。


 血液で破裂しそうな目が訴えかけるのは狂気。


 苦しみもがく様に引っ掻き続ける腕は、救いを求めているようにも感じられる。



 脳漿を垂れ流し、臓器を引き摺りてそこら中に血にまみれた道を作り出し、それを間近で確認した途端、反射的に胃から逆流する物を抑えるように手で口を押さえていた。



 死体は見慣れている。


 あまり健康的な人生を歩んできた訳ではない。子供の死体と寄り添う様に眠った事もある。


 この非日常は、嫌でもその"日常"を記憶から掘り出してしまう。



 だから、そこから再び足を踏み出せたのは殆ど無意識のなせる物だった。


 見ていると確かに嫌な記憶を思い出させられるというのに。しかし不思議と、昔を思い出してもそう怯えていない自分にも気付いていた。


 足を止めたのは、驚きと戸惑いと、そして多分、安っぽい同情だった。



 戸惑い半分の中で歯を食い縛り、今度は自分の意思で足を進める。


 結界のお陰でこちら側の様子は感知できないらしく、動いても死屍の意識はこちらに向かない。


 最初は足を引き摺るように、直ぐに早歩きに移り、最終的には家の淵を走って先程の泣き声の元に走りだしていた。





──見つけた。



 視線を散らして直ぐに見つけられたのは本当に運が良かった。


 今いる結界の端から数えて十数メートル。


 隣の家の中、その崩れ掛けた入り口に挟まって身を縮めるように、5,6歳ぐらいの男の子が肩を震わせている。



 声は届かない。それどころか出すらしない。ならば、この腕を届かせるしかない。



 結界の終端で目を瞑って息を整える。


 最後に一度深く深呼吸をして、眼を開け辺りに死屍がいない事を確認して。

 


 戦場に、足を踏み入れた。




 瞬間。


 黒煙と、肉の腐った臭いが鼻をついた。


 脳を侵食しているんじゃないかと言う程の濃厚な悪臭と、体を縛り上げたかのような緊張感が、神経を研ぎ澄まし、同時に膝を震えさせる。


 一瞬で世界が変わった事を痛感させられ、恐怖を身を以って実感した。



 あの死体が感知しているのは、姿なのか臭いなのか音なのか体温かはたまた魔力を感知しているのか。


 分からない、が自然と影に隠れるように忍び足で進んでいた。




 一歩一歩、最低限の空気だけをかき分けながら進んでいく。


 走れば、往復で十秒もかからない距離。しかし、足はそれ以上速くは進んでくれない。



 走ろうとした瞬間、周りを徘徊している化物の目が一斉に集中する光景を想像してしまい、それが重りとしてシアの足を縛っている。



 堪えきれずに深く大きく荒れていく呼吸だけが鼓膜を揺らして、辺りは不自然なほどに静かだ。


 何かが怨嗟を呟く音と、くちゃぐちゃと何かをすり潰す音は変わらず聞こえていたが、それを意識すると足が止まると無意識が命令して意識から飛ばしたのかもしれない。



 そして、気が付けば、目的の家の入り口の脇まで到達していた。



 男の子まではあと数m。未だ、俯いて肩を震わせている。



 そう、顔を上げるまでは思っていた。



(………え?)



 顔を上げた先では、男の子が必死な顔でこちらに何かを伝えていた。


 次の瞬間、その身振り手振りの意味を理解するのを待ってはくれず、目の前に"それ"が現れる。



 所々頭皮が捲れ剥き出しになった頭蓋。何処を見ているのかも分からない、血に濡れた眼球。


 一番会いたくなかったその存在が、当たり前のように入り口を潜って目の前に現れたのだ。



「──ッ!?」



 声が出なかった事をこれ程喜ばしく思ったのは初めてだったかも知れない。


 声を我慢したと言うよりは、いきなり目の前に現れた化物に反応すら出来なかったといった感じで、シアはただその巨体を見上げていた。


 

 のそり、とゆっくり体を引き摺るようにそれは一歩踏み出す。


 体は一切動いてはくれなかったが、視線だけはその化物の動向を追う。


 結局、死角に入っていたのかそれとも夜の闇に上手く紛れられていたのか、死屍はそのままシアの目の前を横切って、大通りの群れの方に消えていった。



 堰を切ったように、荒い呼吸が、心臓も慌しく鼓動を始める。




 しかし、一息付いている場合ではない。



 同じく呆然とこちらを見ていた少年に一気に近付き、その手を握った。



 もうゆっくりと亀のように進んでいる余裕は無い。その前にストレスで頭を遣られてしまう。



 走る。


 それを決断した瞬間に、どういう訳か本当に辺りの視線が集中する。



 しかし、もうやる事は変わらない。宿までこの手を離さずに直走るのみ。



 縺れそうになる足を必死に動かす。横に並んだ男の子も必死の形相で子供とは思えない程の速さで付いてきてくれている。


 恐らく結界まではあと数歩。


 

 間に合った、と安堵しながら男の子に笑顔を見せようとした瞬間。


 

 それに気付いた。



 家と家の狭間、そこから身を乗り出すように腐った腕が男の子に向かって伸びてきている事に。



 咄嗟だった。


 咄嗟に、男の子を思い切り宿の方に投げた。



 投げたと言っても、そんなに大袈裟なものではなく、少しだけ前を走っていたことと遠心力を利用して前に押し出しただけ。


 瞬間的に加速した男の子は地面を転がりながらも、何とか狂気の腕から逃れる事に成功していた。



 だから、誤算はその化物の目の前に自分が尻餅を付いてしまっていた事。




 異臭を放つ腕が、間をいれずに今度はこちらに伸ばされる。


 あ、と驚くほど簡単に終わりを悟り、しかし──。




 横からの白い斬撃にその死屍は腕ごと吹き飛ばされた。



「シア、無事か!」



 短く切ってしまった金糸の髪が、突っ込んできた慣性に揺れる。


 尻餅を付いてしまった自分に向けて、手が差し伸べられた。驚くほど安心してしまい、何も考えずにその手に向かって手を伸ばす。



 余りに心臓に悪い事が連続していて。





──だから。



 既に自分がいる場所が結界の中で。


 差し伸べられたその手を握るには、結界の外に手を出さなければいけないことに気付かなかったのだ。





「──お帰り、シア」





 現実に置いてけぼりにされた感覚の中で。


 ドクン、と。


 心臓だけが目の前の道化の仮面に反応していた。


 握ったのは少女の手ではなく、見ていたのは金糸の髪では無かったのだ。



「いや、危なかったよ。タッチの差でシアが逃げちゃう所だった。全く誰だい、こんな厄介な物を作ったのは?」



 コンコンと、結界をノックしている所を見ると、どうやらこの男でさえもこの結界を破るには骨がいるらしい。


 この男が誰かを認めたくないように、思考が妙な所を行ったり来たりを繰り返している。



 しかし。



 その笑顔しか知らないような仮面。


 年齢を特定できない声色。


 黒く塗り潰したかのような装束。



 もう、思考の九分九厘は断定している。最後の一片だけが目の前の存在を必死に否定していた。



「──…なぁ、御主人様には笑顔だろ?」



 ストン、と。


 その言葉と、仮面の向こうの眼に、その最後の自分も呆気なく屈服させられた。



 周りの景色が急に色褪せて、意識が明滅し始める。


 恐らく、抵抗する気を奪うために掛けられた魔法の一部。



 男が何も言わないと言わずに機嫌を直しているところを見ると、恐らく自分は笑っているのだろう。



「言っとくけど、ジェミニは来ないよ。相当足止めに使ったからね。同じ失敗はしないさ」



 グイッと間近に引っ張られて、無理矢理顔を上げさせられる。


 それが本当だ、と自信有りげに広げられた腕が語っていた。



「全く、手間を掛けさせないでよ? ほら、手を引かれなくてもちゃんと分かるだろ?」



 犬を呼ぶように、鳴らされる手に向かって歩を進める。


 周りの死屍共は、何事も無いように横を素通りして行って邪魔する気配は無い。



 だから。



「い…や……」



 今足を止められたのも何でかは、全く分からなかったのだ。それこそ、先程足を進められた時と同様に。



 は? と不機嫌に聞き返された声が鼓膜を揺らして、何となく気付く。



 少しぐらい恐いからと言って、少しぐらい辛いからと言って、こんな所で尻込みしていては、笑われてしまう。


 もう私は、この恐怖に打ち克てるものを知っている。



「いや、です…!」

「っ…、もういいよ。躾け直しだ」



 こちらに黒い腕が伸ばされるのが分かった。しかし、視界はグルグルと回っていて動く事は出来ない。





 しかし、何時まで経ってもその闇へと引きずり込む腕はやって来なかった。



 ふと、何かが困惑したシアの頬を撫でる。


 異臭、ではない。腐臭に慣れ過ぎていて、清潔な空気に嗅覚が過敏に反応しただけ。





「何だい、あんた──?」





 気付けば、道化は遠く飛びずさっていて、肩にはごつごつした手が乗っていた。





「──知り合いの連れが、如何にもと言った風体の輩にちょっかいを出されていたんでな。見て見ぬ振りは出来んさ」

「僕は誰だって言ってるんだよ!」




 トントン、と肩を指で叩かれると、あっさりと掛けられていた魔法が解け、酩酊した意識が覚醒した。


 その肩に回された腕を辿ると、何ともいぶし銀な男の人がゆっくりとタバコを燻らせている。



 見覚えはもちろんある。



 子供から金は取らん、といつも美味しいご飯を振舞ってくれていた、妙に似合う質素な黒のエプロン姿。




「なに、只のしがない酒場の店主だ」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ