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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
128/281

侵攻

「何だ…?」



 ここから見た限りでは、あの夜の闇すら遮断するような空以外に変化はない。


 しかし、風に乗って鼻に纏わり付く臭いと、遠くに聞こえる絶叫が何か途轍もない変化を想像させる。



「だァから、戦争だよ」

「戦争だと…?」



 この世界、いや、この時代においてはほとんど聞く機会が無かったその単語は、新鮮に感じられた。


 今の自分の顔はさぞ訝しげな顔をしているのか、男は機嫌良さそうに顎を浮かせて見下すようにハルユキを観察しながら笑みを深くする。



「…そんな事をして何になる?」



 この国の資源を求めるなら完全に裏から気付かれない様に搾り取るか、堂々と大儀をもって攻めなければ獲得する事は難しい。


 たとえ奇襲でこの国を占有した所で、周りの国に攻め込む理由を与えるだけだ。



 とすれば、また別の所に目的があるのだろう。例によって全く予想は付かない。



「これは上からの命令でな。そっちが何を考えてるなんてのは知らねェさ。大体元々の任務なんざ面影も残ってねぇしなぁ」



 どうでも良さそうに、首を鳴らしながら濁った目をハルユキから外して、恍惚に蕩けた目線を空中に泳がせる。


 漏れ出る溜息は、そのまま舌舐めずりしそうなほど食欲が充満していた。



「けど少なくとも俺は、効率良く腹を膨らませられるだろ──?」



 漏れ出る狂気が夜陰を濡らす。


 これから男が出る行動は想像するまでも無く、火を見るよりも明らかだった。



「──手前ェの御仲間は目ェ付けてたんでな。中々贅沢なフルコースになりそうだ…!」

「……………あ?」



 どうやってこの檻を抜け出そうか考えていた思考が根こそぎ吹き飛び、代わりにドス黒い塊か何かに頭蓋骨の中身を占拠されたかのような感覚が襲った。



「いいぜありゃあよォ! 特にあの金髪と黒髪の雌なんざァ上等だ! 肉質も魔力も申し分ねェ! ありゃア処女だろォ?! 犯しながら喰えんじゃねェかァ!」

「…五体満足で葬式出せると思うなよ、手前は……!」  



 怖い怖いと目の前で嘲る様に舌を出す男に、知れず拳がギシリと音を出した。


 しかし届かない。硬くも厚くもない壁が、今は果てしなく難攻の壁として立ち塞がっている。



「最初はなァ、俺がお前と試合するタイミングで事を起こす予定だったんだが、ちょっと前の試合でやりすぎた上に、捕まっちまいそうだったからな。

うちの参謀が、ここまでプランを練りやがった訳だ」

「……お前は足手纏いって訳だ」

「そうでもねェさ。こうならなかったらお前を閉じ込める事もしなかったし、結果として王女も閉じ込められて其方側の戦力は実質激減した」



 確かに実際にハルユキとこの男が戦って、引き付ける、または倒してしまうという元の作戦だったならこれ程絶望的な状況にはならなかっただろう。



「因みにこの建物の外壁と入り口にも結界が張ってあるから、助けは期待しない方がいいぜ?」



 男の言葉に僅かに残った冷静な部分が舌を打つ。



「何だか知らんが、入り口を通るとここには何も無かったって認識でそのまま出て行っちまうそうだ。良く出来てるだろ?」

「…ああ、頭撫でてやるからこれ解けや。脳味噌までかき混ぜてやるからよ」

「っは、間に合ってるよ。手前ェはそこで、俺がお仲間さんを食い散らかすとこでも妄想してマス掻いてろや」



 そのままゆっくりと背中を向けると、ふざけた様に後ろ手に手を振りながら悠々とその姿を夜の闇に隠していく。



「じゃあなァ、良い夜を──…」



 やがて、外の騒ぎも遠く、完全に孤立した静寂な空間に閉じ込められた。






  ◆




「くそッ! 何だこいつらは!」



 次から次へと押し寄せる死霊のような化物を切り伏せる。


 背後には民間人が数人。そして目の前には、未だ折り重なりながら津波のように押し寄せる死屍の群れ。


 防御力も機動力も人並み以下で、大した事はない。


 しかし、馬鹿みたいな力とその数は決して侮れる物ではない。組み付かれればユキネでも振り解くのには時間が掛かるだろう。



「──させるかっ!」



 次々と人としての可動限界を超えて伸ばされる手を次々と打ち落とす。その度に嫌な感触が手に伝って不快に顔を顰めながらも剣を持つ手は止めない。


 この化物の元が何かは一目見た時に気付きざるを得なかったが、もう人間ではなく、戻る事は絶対に敵わない。


 嫌でもそう思わされる外見の歪さが、幸か不幸か剣から迷いを取り払う役目を果たしていた。



「…ユキネ」



 聞こえた声に、一際大きく剣を振りぬきその勢いを殺さないまま、後ろに跳び距離を取る。



「────」



 小さく紡がれた祝詞に応えて、神秘の一端がその姿を現す。


 火と土が混ぜ込まれて、煮えたぎる溶岩となった魔力が、濁流のように死体の波にぶつかった。


 唸りをあげながら大通りの中心を飲み込んでいく溶岩は、石のレンガで出来た地面も同じように溶解させ、一時的に焼けた浅い堀を完成させる。



「逃げるぞ!」



 痛覚が無いのか死屍共は構わず足を進めるが、足が地面に張り付いたり足の筋肉が削ぎ落ちたりして、少ないながらも足止めとして機能していた。



「…何なのこいつら」



 両手に銃を握ったエゼが、フェンとユキネに並走し、気味悪そうに視線を泳がせた。


 前を行く民間人は兵士達と合流して既に安全圏に逃げ込んでいる。



「分かれよう」



 フェンも丁度そう思っていたのか、ユキネの提案に即座に首を縦に振った。



「エゼは?」

「黙ってる訳ないでしょ。いずれ私の物になるものを踏み躙られちゃ敵わないし。連れを探しながら適当に遊撃するわ」

「私は、シアの所に行こうと思う。ジェミニが行ってるかもしれないが安心は出来ない」

「私、は…」



 フェンも何か言おうとした所で、がくんとフェンの膝が落ちた。



「フェン!?」



 崩れ落ちたその体を地面に叩きつけられる前に抱えあげた。


 直ぐに死屍共との距離を確認するが、走ってきたせいかまだ大分距離はある。少しなら話す余裕もあった。



「…大、丈夫」



 そう言って直ぐにフェンは体を起こす。


 しかし夜の闇に紛れて良く分からなかったが、言葉とは裏腹にフェンの顔は青く血の気が失せていて、杖を持つ手が小さく震えている。


 貧血がちでも、そう疲れてもいなかったフェンの急変にユキネは内心慌てふためくが、今はそんな事をしている余裕も無い事が無理矢理ユキネに決断を迫った。



「……エゼ。フェンを城まで連れて行ってくれるか?」

「…ええ、任せて」

「私は…」

「黙りな。そんなフラフラで死なれちゃ私が後味悪いでしょうが。悪いと思うならさっさと体調戻して私がピンチの時に颯爽と登場しなさい」



 まだ何か言いたそうだったフェンを無視して、エゼはユキネに目配せすると、そのまま方を担いで半ば無理矢理城の方に走って行った。



 どん、と一際大きな音がして、地面が揺れる。


 音は遠く、ぱらぱらと埃が舞うだけで、こちらまではさして影響は無い。


 それに、そんな音もこれで何度目かになるためか驚きは余り無かった。



 まるで深い曇天のように太陽も月も星も、その全ての光を遮断した空と、何かが焼ける臭いに、高く立ち上る黒煙、遠くに聞こえる断末魔。


 それを見ていると、怖いというより、絶望して膝を付いてしまいそうになる。




 "それ"を知る人間、それこそ体験した人間などもう居ない。


 しかし、ここ数百年以上あり得なかったそれが、今のこの状況を最も的確に指している事を、言葉とその意味しか知らないユキネですらも理解できた。



 今、この町は戦争に飲み込まれていると。





◆ ◆ ◆





 渾身の蹴りが空を切る。


 いや、空を切るというのはあまり正しくは無い。


 相手の体を蹴ったはずだったが、その感触だけがどこかに忘れてきたかのように存在しないだけだ。



 ジェミニの足を横断させたその道化の体は直ぐに揺らいで消えた。


 同時にその影から数本のナイフが飛来する。



「…埒があかへんなぁ」



 このパターンももう何度目か、飛んで来たナイフを掴み取り後ろに放り投げる。帰って来る筈の音が無いという事はあのナイフも幻術だったのだろう。


 飽き半分、挑発半分で零した文句にも相手は何も言わない。


 上体をぶらぶらさせてどこか落ち着かない様子だが、仮面の奥からの視線だけは一瞬もぶれる事は無くこちらを見据えている。



 殺す殺す殺す…と耳元で囁かれ続けていると錯覚するほどの濃厚な殺意は保ったまま。


 しかし、その割には静かな攻防が続いている。



 この前はほぼ一方的に勝負を決められたが、今度はそうはいかないらしい。


 ジェミニは小さく舌打ちをして、思考を切り替える。



 前回は相手が油断していた上に、大雑把な攻撃をしてきたためそれに乗じるなり利用するなりして攻撃できたが、今回は嫌に慎重だ。


 加えて、相手の能力の厄介な部分が、ジェミニの攻撃の手も鈍らせている。


 相手の字こそ知らないが、おそらく幻覚を見せる能力で間違い無いだろう。


 幻でも認識すればある程度は傷つくとは言っても攻撃力は高が知れている。


 故に、厄介なのは、回避能力の高さだ。


 ここに置ける回避とはもちろん攻撃を避ける能力、という事でももちろんあるが、それ以上に、いつでもこの場から逃走できるという点の方が大きい。


 何しろ幻との見分けは全く付かない。


 一撃で完全に気絶させるか息の根を止めなければ、ギリギリまで追い詰めても苦もせずに逃げられてしまう。


 今見ている姿も幻で、既に逃走している事さえもありえなくは無いのだ。



「ああ、確かに。ここじゃあお互いただ時間を潰すだけだね」

「…?」



 肩透かしを食らうほどにいきなり殺意が消え、ラィブラも体の緊張を解いた。



「実を言うとさ、君を倒しても精根尽き果ててちゃあんまり意味が無いんだよ。僕にもまだやる事があるんでね」



 す、と音も無くピエロの仮面だけを残して、ラィブラの体が空中に溶けた。



「──だから、先ずは他の事から済ませる事にした」



 ギギ、と不自然に仮面の笑みが深みを増した。



 現実ではありえないその現象に、目の前には幻しかない事を悟る。


 気の緩みからか、一度だけ瞬きをすると、既に幻の仮面も飽和しそうな殺気も消えていた。




 完全に敵がいなくなったと判断して辺りの様子を探る。



「何や、これは…」



 一言で言うなら、酷い。


 空の異変は目の前で見ていたから、まあそれは良い。


 しかし、そこかしこから立ち上る黒煙や悲鳴。それに肉が焦げるこの臭い。



「ホンマに大国オウズガル相手に戦争する気か…?」



 正気の沙汰ではない。



 その辺りにある小さな国ならば出来ない事も無いだろう。


 しかし、この国は違う。この国は、土地こそそう多くは無いが、この大陸でも三本の指に入るほどの経済大国だ。


 その分軍事にも金はあり、ザッと見た上での感想だが錬度はかなり高いはず。


 高々数人で陥落出来るのかは疑わしい。



「まだ、何かあるんか…?」



 切り札。増援。考えるだけならきりが無い。


 先程ラィブラが言っていた何か。それが関係があるのか。それとも他の人間が裏で動いているのか。


 確かにあの男はまず私利私欲で動くような人間だ。ジェミニへの私怨を放り出して組織に献身する等考え難い。



 調査した方がいい。


 だが、一旦宿に戻って──。



「──ッ!!」



 宿で待っている筈の少女の顔を頭に浮かべて、思考が凍りついた。



「あの野郎…っ!」



 捻じ切れんばかりに宿の方を向く。


 ラィブラの私怨なら、この町にもう一人分だけ存在している。



 その事にどうしてすぐ頭が回らなかったのか、自分を叱咤しながら倉庫街を走り抜けた──。



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