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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
127/281

開戦


 さて、とヴァーゴは一寸先も見えない暗闇の、それでいて何処まででも続いてそうな此の世ならざる空間に腰掛けて一つ溜息を付いた。


 この一月をかけて計画した作戦。紆余曲折があって様々な変更が重なったものの、とりあえずは一番良い形で落ち着いたようだ。


 ここまでお膳立てをしてしまえば、これ以上の苦労は無いはずだ。と言ってもこれと言った苦労があった訳でもないのだが。


 一番手がかかったのが王女の捕獲だったが、魔法が使えない状況を狙い人質まで取ったのでそれでも大した手間ではない。まあ、散々痛め付けた後に、油断を疲れて手傷を負わされはしたのだが。


 体が二つになりそうだったが、"大した事は無い"のだ。冷たい体を掻き抱きながら、快感を思い出して自然と唇が吊り上がる。


 拷問が趣味だった覚えは無いのだが、それでもあの王女は──あの王女を痛め付けるのは、途轍もない快感が付き纏った。


 相応に弱って貰わないと意味がない為少しやりすぎてしまっただろうか。ラィブラの協力を得て■■を■■■■られる幻覚を見せた時には流石に気を失っていたが、それでも起きた時にまた軽口を叩いた時には素直に感心した。 


 あれから、ラィブラに預けてそのままだが、まあ殺すような事は無いだろう。ラィブラにはすぐにやってもらう事があるので、趣味に走りすぎる事もないだろう。



 す、と"視線の中の一つ"から町の様子を眺めてまた、背徳的な快感が背中を撫で回し体中を愛撫していった。


 

 いけないわ、と声に出して自省しつつも唇は更に吊り上がる。

 


 全く、私は乙女ヴァーゴなのに。



 夕日に染まる町は、まるで膨れ上がった血管が脈動しているように見えて、それを引き裂く事を夢想した。




  ◆ ◆ ◆





 街が黄金色に染まっていた。



 窓から見える分だけでも数え切れない人間が笑って、話して、手を繋いでいる。


 小さな女の子同士や、兄妹らしき二人や、親子や、中には老夫婦もいた。


 夕焼けの太陽が、あちこちに反射してきらきらと輝き、より華やかに町を装飾している。


 そして何よりこの色がよく似合う少女を、シアは思い出していた。


 いや、この町の人間なら誰もが知っているだろう。金色の炎の中で、火花と一緒に楽しげに踊る赤毛の王女を。


 この町並みも、平穏も、笑顔も、ひょっとしたらこの茜色の景色すらも、彼女の力の賜物だ。




 面識はほんの少し。


 初めて見た時は綺麗な人だと思った。少しだけ一緒に居て優しい人だと思った。そしてこの街を見て、大きな人だと思った。


 昨日の試合を見て、この人は強過ぎるんだと思った。それこそ危さを感じてしまうほどに。



 だから、その彼女が誰かに屈服されて弱い立場に追い遣られている事が、いまいち実感できていないと言うのが本音だった。



 もう一度街に目を落とす。


 この時間のこの景色は、気付けば眺めるようになっていて、今ではもう習慣になっている。


 いつもは隣に同じくらいの女の子が居たり、格好良い女性が居たりするが、今は一人。皆は町の中を今も駆け回っているだろう。



「────」



 小さく口を開けて、小さく発音してみる。


 でも、僅かに息が出てきただけで、目の前の空気さえも震えなかった。


 声が出ない。体力も無い。いざと言う時に戦える力も無い。


 実に理想的な足手纏い。


 ここで、連絡係をやっていた方が間違い無く役に立つ。悔しいが、それは多分、間違い無かった。



 そう思って溜息を付いていた矢先、不意にばたん、と扉が開いた。



「シア、何か手掛かりは見つかったかの?」



 入って来たのは、艶やかな黒髪をひとつに結い上げた和服美人。


 この緊急事態にも凛とした姿勢は崩れておらず、足取りに疲れも見られない。



『いいえ、レイさんの他にはハルユキさん以外皆一度帰ってこられましたが、特には何も見つからなかったようです』



 紙に書いた文字を眺めて、少し辟易する。


 出来るだけ簡潔に書こうとして、それには成功したが何とも事務的に見える。


 知人が窮地だというのに、その文字に映る自分があまりに無感情で少しだけ嫌になるのだ。


 それを今は億尾にも出さず書いた紙を、水差しから水注いだコップと一緒に手渡した。



「……ふむ」



 水を飲みながら机の上に広げられた地図に、彼女は小さく丸をつけた。


 既にその地図は小さな丸で埋まっていて、いかに総力を使って探しているのかが分かる。



「妙じゃの…」



 しかし、見つからない。


 足取りも見えなければ、尻尾も捕まえられず、それどころか影を捉える事すら出来ていない。



「こうなると、やはりあちら側からの接触を待っていた方が良いのだろうが……、シアよ」



 一気に水を飲み干し、名前を呼び、こちらに視線を向けた。



「儂は少し戻らぬ。少々妙な物を見つけたのでな。まあそれが今回の件に関係があるかは分からんが、それどころか思い過ごしである可能性もあるのじゃがな。

 それでも出来れば今夜は外には出るな。良いな?」



 いきなりの事で理解は追いついていなかったが、勢いに押されて思わず頷いていた。


 よし、と納得したように頷くと、彼女はそのままこちらに歩み寄り、窓際の縁に足を掛けて屋根に飛び乗った。



「帰って来たら小娘二人にもそう言っておいてくれ。男子共は、…まあ大丈夫かの」



 屋根の上から最後にそう声がした後、一際大きく屋根を蹴った音が部屋の中にまで響いた。


 半分呆気にとられながら窓の外を確認するが、既に視界の中に入れることすら出来ない。



「……?」



 はずみで視界に入った街並みに、何か違和感を感じた。


 改めて見れば大して変わってはいない。しかし、違和感は変わらず感じている。



 先程言われた意味深な言葉に自分が引き摺られているのか、それとも少しだけ街の夕闇が濃さを増したからなのか。


 空気が、妖しさを孕んでいると言えばいいのだろうか。



 城の方を見上げてみる。



 昨日は燦々と街を照らしてくれていた太陽は、もうどこにも無い。




◆ ◆ ◆





「だ、だから何も知らないって! 俺等も王女には世話になってんだからさぁ!」

「…あ、そう」



 掴んでいた胸倉を離すと、チンピラの様な男は咳き込みながら地面に倒れこんだ。


 同じような背格好の男達が周りにも数人転がっている。


 しばらく裏路地を歩いていると屯していたこの男達に絡まれて、ついでに何か知っている事は無いかと聞く事にして、今に至っている訳だ。



 男から数歩離れて、今来た道と更に裏通りの奥の方を見比べてみる。


 どう考えても更に裏通りの奥の方に調べた方がいいだろう。が、もうあと30分もすれば日が暮れるはず。


 ならば、一旦様子を見に宿に帰るのも一つの手だ。



「…この先は?」

「そ、倉庫街だよ。やたらと兵士が居たから、あそこには誰もいないと思うけど…」

「ふぅん…」



 確かにあからさまに怪しい場所だ。


 だがもう城の人間の調べは入っているだろう。ならば、今となっては最も犯人と遠い場所だと考えてもいいのかも知れない。



「いつまでも、チンピラなんかやってるんやないで?」



 一言残して、壁を蹴って屋根に飛び乗る。


 予想通り太陽は半分以上沈んでいて、夜を迎えるのにそう時間はかからなそうだ。



「少し、見てくか」



 あの大きい屋根が連なっている場所が倉庫街なら、そう遠くは無い。


 トントントン、と三回跳ねる内に、倉庫の全容が視界に入る位置まで移動する。



 倉庫までは小さい水路を挟んでいるので、流石に一飛びでは向こう側には行けないようだ。



 迷うまでも無く飛び降りて、倉庫街に足を向ける。



 橋を越え川の淵を歩きながらザッと倉庫を見渡してみるが、怪しいところは見当たらないし、遠くには確かに兵士の姿も見える。


 やはり無駄足だったかと、身を翻して。








「──見ぃ~つけたぁ」






 首筋のすぐ傍。耳元で囁くような声が、鼓膜を揺らした。


 寒気が背中からうなじまでを走り抜け、半強制的に緊張感が張り詰める。前に跳んで距離をとりながら、体を捻って背後に目を向けた。



「取りあえず諦めていた所にそっちから来てくれるんだから、灯台下暗しって奴かな」



 道化が踊っている。


 ナイフを何本も弄びながら、楽しそうに。



「さあ、殺しに来たよ?」



 そして、挨拶を交わすように死を告げた。



「──気が合うなぁ。丁度俺もそう思ったところや」



 ピタッと、ピエロが舞踏を止めてこちらに視線を定めた。


 その仮面の向こうにはさぞ殺意に濡れた表情が隠されていることが透けて見えるようだった



 この前よりも濃厚に、おそらく自分だけを狙って練り上げて、研ぎ澄ました殺意がひしひしとここにまで伝わってくる。



「しかし、お前もアホな事したなぁ」



 殺意を堪えきれずに踏み出した道化の足と、ジェミニの口が図った様に同時に動いた。


 どちらもそれに気付いて動きを止め、沈黙が流れる。



「殺されてしまうぞ? 王女誘拐なんかしたら」

「へぇ、僕等が誘拐した事は知ってるんだ?」

「まあ、このタイミングで出て来られたらなぁ」

「それで? あの黒髪が僕らの脅威になると?」



 僕ら、と黒髪、という言葉が引っ掛かって眉を潜めた。


 同時に不可解な言葉が出てきた事に戸惑っていたのが相手にも伝わったのか、仮面の向こうで愉快気に笑ったのが伝わる。



「そうだよ? 僕"ら"だ。ちなみにあの黒髪が人外だってのも知ってるよ? ──そして、そいつはもう今頃終わってる」

「……はっ、お前等じゃ到底無理や」

「まあ、そんな事は今はどうでもいいんだ。水掛け論をするつもりも無い」



 やれやれとおどけた様に肩を竦めて見せると、また表情を変える。仮面は笑ったまま、覗く目は真剣にこちらを観察していた。



「──君。元々僕達側だったんだってね」



 こいつには仲間がいた。それにそれらしい事も自分で仄めかした。ならば知っていたとしてもなんら不思議ではない。


 しかし、その言葉で血が沸騰するような熱い何かが体中に廻っていった。



「なら、分かるだろう? 僕たちの目的が何か?」

「…知らんわ。ワイが居たのは随分前やぞ」

「そう? なら、教えてあげるよ」



 大仰に、暗く沈んだ夜空を捕まえようとでも言うように空を仰ぐ。


 仮面の下では、何かに見せられたような狂気に濁った目で、恍惚とした表情を浮かべていた。



「何…?!」



 気が付けば、足元に紫色の儀式魔法に用いられる魔方陣が広がっていた。


 尋常なサイズではない。

  

 目の前のラィブラを中心に、消え入りながら何処までも広がっている。


 そして、ラィブラの両手にも、同じような魔方陣が一つずつ浮かんでいた。



「──さあ、戦争だ」



大げさではなく。


広げられたその手はそのまま空を掴み、カーテンを巻き取るように町中の夜空を剥ぎ取った。






◆ ◆ ◆





 日が沈んでいくのを、観客席でコップを片手に眺めていた。


 ハルユキ以外には闘技場にも客席にも人影は無い。



 東の空は既に夜が侵食していて、西の空は相対的に茜色と金色に染まっている。


 しかし、太陽はもう完全に沈んでいて、今の時間は俗に言う逢魔ヶ時、あるいはマジックアワーと呼ばれる時分になる。


 茜色の世界は以って数十分。


 じりじりと、夕闇から夜の空気に変わりつつある。




 軽く足に力を入れると、驚くほど簡単に体が浮いた。


 もう舞台の周りを覆っていた結界はもう存在せず、一跳びで闘技場の中心まで到達する。




 スッと、何の前触れも無く夜がやって来る。


 西の空には宵の明星が輝いて、夜の到来を知らせていた。




「──ようこそォ、我等が舞台へ」



 最初に聞こえたのは、声と、何かを引き摺るような音だった。


 ズルズルと引き摺るような音が後ろから聞こえてくる。


 後ろを向くと、汚らしい顎が糸を引いていた。ガチンガチャンとけたたましく歯を鳴らしながら、こちらを威嚇する。



 しかし、その顎はただ視界の端に映っていただけ。


 焦点を合わせたのは、無造作に何かを持っていた男の右手にのみ。


 夜の闇を抉る様にじわじわと輪郭を現したのは、小さい頭に華奢な体。


 赤い髪が指に絡ませる様に持たれ、男が身動ぎする度にカクカクと首が揺れ、力無く項垂れた腕も足も地面に擦られて傷を増やし、服は殆どが引き裂かれ、辛うじて体に引っ掛かっている。


 上腕と首には自らで引っ掻いたかのような傷、それは自信に満ち溢れた表情が特異だった顔にも及んでいて、あの誇り高そうだった様子は彼女からは微塵も感じられない。


 どこか、どこかで信じていたのだと思う。


 あの女の事だから、どうせ心配掛けるだけ掛けて実は後で飄々とした顔で登場するに違いない、と。

 

 しかし、そう思っている間にも、きっとノインは助けを求めていたのだ。



 


 だから、とりあえず、顔面を潰そう。



 男のあの高慢に吊り上った唇を剥いで舌は引き抜き目はくり貫くのが良い。髪が食い込んだあの指の部分は先から跡を辿って順々に切り落とそう。二度と表情を浮かべられない顔になった男が苦痛に顔の筋肉を痙攣させているところを想像すると思わずにやけてしまいそうだ。



 男は先程から何か口上を述べているが、記憶に残る前に取るに足らない事だと勝手に意識が排除していく。








──気付いた時には、男は壁まで吹き飛び、左手は血で濡れていた。


 左手には、血の他にも澱粉質の粥状の液体や、白い脳漿がこびり付いている。腕を振りそれを地面に弾き飛ばし、それでも取れない分はナノマシンで完全に消失させた。



 それでも手に残って消えない感触に少しだけ嫌悪感を覚える。


 男を蹴り飛ばす時に千切っておいた男の左腕から、ノインの髪をほどく。持ちっぱなしだったコップを置き、倒れ込んで来たその体を抱きとめると、まだ体温が感じられた。



 きちんと息もしている。


 しかし、寒さからか、それとも余程酷い目にあったのか小刻みに体が震えている。

 


 作ろう、と意識する前に、手の中に毛布が現れた。



「……ん」



 毛布を体に巻いてやると、勝手に手が動いて毛布を抱き寄せた。


 ふてぶてしい態度に、苦笑する。



「──ひはッ」



 聞こえるはずの無い声が聞こえた。


 殺した訳ではない。だが、喉を潰して舌を捻りきられ眼球が無くなった人間が、直ぐに声を出せる訳が無い。


 しかし、この世界は魔法という神秘の上に存在している。失念していたつもりは無いが、それでも思慮が足らなかったのかも知れない。



 忘れていた警戒と怒りを思い出し声とほぼ同時に顔を上げれば、しかし既にそれは完成していた。


 薄く光る、金色の壁。いや、囲いだ。上下と四方に薄く脆そうな壁だ。その向こうでは男が勝ち誇った顔を浮かべている。

 


「ひでェなあ、オイ。今ので三十人分ぐらい逝っちまったよ」



 拉げたはずの顔面が白煙を上げながら見る見ると元の形に戻っている。


 ゴキゴキと"左手"で支えながら首を鳴らしながら、その隣にある口元は勝ち誇ったように吊り上っていた。



「…ああ、やっぱ手前ェは駄目だ。肉は硬ェし魔力もからっきし。ッたくよォどんな構造してんだ、化け物が」



 吐き捨てるように言いながら、近づいて来る男に再び拳を握る。


 それを待っていたように、男が愉快気に口を開く。



「その結界、手前ェなら殴っただけで壊れるから気を付けろよ?」



 不可解な言葉に、拳を固めたまま眉根を寄せる。


 その言葉の意味を考える前に、男はさっさと答えを言い放った。



「それが壊れたら、"それ"も壊れるぜ?」



 一度目のそれは、薄く金色に光る結界を。



「────…!」



 そして、二回目の"それ"は、俺の腕の中で小さく息を荒げる少女を指していた。



「ああ、始まったか」



 空を見上げて呟いた男に、釣られるようにその視線を追う。



「何だ、これは…?」



 黒、白、灰色。


 彩度とは懸け離れた無機質な色が墨流しの様に斑に混ざり合っている。



 いつの間にか星空は消え、絵具を溶いた水をばら撒いたかのように穢されていた。



 その空に向かって吼える様に、男は声を張り上げる。




「──さァ、戦争を始めようかァ」





◆ ◆ ◆





 自分の中から沸き立つ物を感じる。



 黒く濁った海のようなモノから這い出てくるそれは、人の形をしていた。


 突き上げるように私を強く揺すってくる。早く出せ早く出せと子宮を蹴り付ける赤子のように。



 自分の口から漏れ出る荒い息が、欲情に濡れている。


 それ以外には何も存在しない。


 汚らしい屍の海と、海岸でのた打ち回る自分が居るだけ。



 そして、遠くに浮かぶ空の様相が変わった。


 黒と白と灰色が混じりあったマーブルゾーン。囲いは出来た。


 

 今より、この町は戦場だ。



 ならば、それ相応に相応しい役者を用意しよう。



 さあ、出番だ。





──"親愛なる屍共ディア・リビングデッド"




「戦争を、始めましょう──」




  ◆





 忽然と。



 町の雑踏に紛れて、それが立っていた。


 いやそれは果たして立っていると言っていいのか、もしかすると、ただあったと言った方がいいのかも知れない。



 息が止まる。喉が枯れる。あまりに歪な在り方に吐き気を催す。


 それの横を誰かが追い抜いていった。まっすぐにすれ違う人間もいた。



 傍らの不吉に一瞥も寄越さないまま。


 まるで、それが愛おしい日常の一部だとでも言うように。



 空気を穢しながら、今立っている所まで何かが伝わる。頬に当たるその腐った空気は、まるで獣の舌に毒見でもされたかのような錯覚を起こす。


 むき出しの筋繊維に白骨。


 漏れでる腐臭が肺腑を侵していく。


 脈動。いや、それは恐らく蠢いていると言った方が良いのだろう。



 所々で痙攣を繰り返すその限り無く人間に近い存在は、その視線だけはピクリともせずに此方を見据えている。


 声は出ない。ただ目を見張る。


 何故あのような怪奇が我が物顔で日常を謳歌している。



 その疑問は一瞬。


 答えを得る間も無く、状況は移り変わる。




 瞬きをした訳ですらないのに、空が様子を変えていた。



 ボタン、と。



 "それ"の口の端から、涎とも、血とも、腑汁とも付かない物が滴り落ちる。


 その音は、まるで平穏という壁に罅を入れたように深く、深刻に響いていった。



 そして。


 

 ──日常の隙間から、怪異が、狂乱が、顔を出す。




 悲鳴が響き渡った。


 水を得た魚のように、仄暗い怪物の眼球だけがグルグルと廻る。


 ピタ、と静かにその動きが止まり、その先には呆気に取られて氷菓子を地面に落としてしまった小さな子供が呆然と突っ立ている。



 再び悲鳴。絶叫。


 血が舞う。



 間を空けずに、今度の異変は更に身近。


 私の体を貫通して、腕のような何かが胸から突き出た。



 呆気にとられて後ろを向けば、もう一人、いや、その後ろには更に怪異が群れを成している。




 ああ、今日はお母さんとお祭りを回るはずだったのに、と未練を残して。


 私は死んだ。




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