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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
126/281

招待状

 


バタバタと落ち着き無く階段を上ってくる音で、ハルユキはその日の朝を迎えた。


 間髪いれずに、けたたましく扉を叩く音が部屋中に響く。



「なんだ…?」



 見れば、その音で漏れなく部屋の住人全員が身を起こして、何事かと扉を見つめている。



 既に立ち上がっていたハルユキが扉を開けると、ハルユキの脇を通り抜けて何かが部屋に飛び込んできた。



 軽量を重視したハープレートを胸に宛がえた姿は、見覚えがある近衛騎士に間違いは無い。


 しかし、部屋を見渡すその表情は今までに見たことが無く、緊迫した空気が眠気を覚ましていくのを実感していた。



「ノイン様は!? ノイン様はどこだ!」



 一転して掴みかかって来たミスラの必死な顔。発している言葉。



 当然返す言葉は無い。それどころか、何も状況が分かっていないのだ。



 しかし、与えられた少ない情報から頭が勝手に導き出した答えが、思考を凍らせる。


 同時に、表情が強張っていくのが自分でも良く分かった。



 そこで助け舟を出すように、篭手をはめた手が後ろから伸びてきて、ミスラの腕をゆっくりと押さえて、その手の男は一歩前に出る。



「ミスラ、やはりここにはいない。他に行け。俺は事情を説明する」



 ミスラとは対比的に落ち着き払った声に、ミスラは泣きそうな顔のまま頷くと、物凄い勢いで部屋を飛び出して行く。



「悪いな、あいつは…」

「弁解はいい」



 声が僅かに逸っているのに気が付いて、そこで一旦言葉を切った。



「状況を、聞かせてくれ」



 言葉を無理矢理遮って割り込んだハルユキに、しかしガララドは何も言わずに事の核心だけを短く口にする。



「──ノインが、消えた」



 半ば予想していたガララドの言葉は、驚くほど深くハルユキの心を揺らした。




◆ 




 大通りから大きく外れて、どこかジメジメした雰囲気がある裏通りをユキネとフェンは早足で進んでいた。


 ユキネはまだ全快ではないので、飛び出して行こうとするのを何とか留めて一緒に行く事を約束させて今に至っている。



「…大丈夫?」

「だ、大丈夫。それより急がないと…」



 もう息が上がっているが、それでも足を止める気配は見られなかった。


 それはフェンも同じ。二人が抱えている気持ち、と言うより懸案は足をどうしても急かさずにいられない。


 ノインの事はもちろんだが、ハルユキの事も。



「ここ、じゃないか…?」

「多分、…そう」



 緑色の剥げかけた塗装が特徴の二階建ての空き家。


 この辺りは祭りで格差になっている事もあってかかなり人通りは少ない。3時間に一人通れば多い方だと言う事らしく、現にこの通りに入ってからは一人の人間とも擦れ違っていない。



 それ程過疎化が進んでいるこの辺りに、見慣れない人間がよく出入りしていると言う噂がある。


 しかし噂は噂。



 実際これも酒場で仕入れた適当な情報の一つで、今も同じような情報源を幾つか回って時間を無駄にした後だ。


 それでも必死に希望をかけて、扉に手を伸ばした。



 鍵は掛かっていないらしく、軽く押すと音も無くゆっくりと扉が開いていく。



体を半分だけ入れて中を覗くが、人の気配は無い。


薄暗いが、窓から僅かに差し込む光で、部屋全体を見渡すには問題は無かった。



「…まるっきり外れ、と言う訳じゃないみたいだな」



人はいない、更に家具という家具も見当たらない。しかし、ほんの少しだが生活感が残っている。


埃が溜まっていなかったり、流しに料理した跡が見られた。



「フェン」



小声でフェンを呼ぶユキネの前には、階段が続いていて、ユキネが様子を見てくるとゆっくりと階段を上がっていく。


そこでそれを見つけた。



「…ユキネ」



階段を上っていたユキネを呼び止める。


机の上にあったのは、紙の束。



「…ここは、多分違う」



『世界征服のすすめ』と、見るからに個性溢れる小説の束だった。


階段を下りてきたユキネに事情を説明しようと顔を上げると、物音に気付いたのか、丁度階段の上からこちらに向けられた銃口が目に入った。



そして、その銃口の向こうには、小さい影が一つ。



「あれ? フェン何でここに居るの?」



そこには、フェンにはこの数日ですっかり見知った顔があった。



「…エゼ」

「……知り合いなのか?」

「友達」

「あ、昨日の試合の人よね! 突然だけど世界征服に興味無いかしら!」

「え? いや、それは無いが…」



 それは残念、と溜息を付くと改めてまじまじと二人を眺めだした。



「で? どうしたのこんな所まで。ああ、私の事はエゼって呼んで」

「………エゼ。確かここは空き家のはずだったと思うんだが…」



にこやかだったエゼの顔が固まった。



「えー、あー、うん。それはね、あれなのよ…」

「いや、別に責めたい訳じゃないんだ。この辺りで赤い髪の少女とか、怪しい奴は見なかったか?」



ホッとしたのか、顔の緊張を解いて、それから腕を組んでゆっくりとユキネの言葉を反芻している様子が良く分かる。


それでも心当たりは無かったのか険しい顔のままエゼは顔を上げた。



「……怪しい奴って言うのは知らないわね。それとその赤い髪の少女って王女様のことでしょ?」

「…そう」

「なら昨日の試合がかなり印象的だったから見れば忘れないわ。──ひょっとしたら誘拐でもされたの?」



 探るような視線がエゼが二人に向けた。二人は少しだけ逡巡した後、顔を見合わせる。


 エゼを信用していないという訳ではないが、国を丸ごとひっくり返す可能性もある問題だ。そう簡単に話してもいいものだろうか。



「ああいいわよ、ただの好奇心だったから無理に言わなくて。私の連れも昨日からいないから一緒に探しましょ」

「…いいの?」

「丁度これから出るところだったのよ。それにこの辺りにはそれなりに顔もきくし」

「ああ、助かるよ」

「それより急ぎましょ。良くない状況だってのは間違い無いんでしょ?」



 それを聞いて、深刻な顔で深々とユキネは首を縦に振った。



「ああ、速くノインを助けないと」



 そうしないと、とユキネは続ける。


 あの場にいた人間なら、数日はあの瞬間を忘れないだろう。それ程見る機会が無いものだった。


 フェンだけは、恐らく二回目。


 数年振りにユキネと再会した、あの城の廊下で。


 

 殺す為だけに、自分を変えていくような、あの表情。


 ユキネはそれ以上言うつもりは無いらしく、そのまま玄関へと向かった。



 その代わりに、フェンは呟く。自分に、言い聞かせるように。


 ハルユキが、誰かを殺してしまう前に、と。





◆ ◆ ◆





今日の催しはすべて中止。兵士の半分をノインの捜索にあてると言う事だ。


ノインがいない事自体はそう珍しい事ではないらしい。確かに夜この部屋に遊びに来ることはそう珍しい事ではなかった。


いつもと違う点は三点。


彼女がいつも帯剣しているはずの剣が無造作に床に放ってあった事と見張っていた筈の衛兵の行方が知れない事。それと、床に飛び散った少なく無い血痕。


その三つは明らかに一つの答えを導いていた。


ここに来たのは、一縷の望みに賭けた事と協力を仰ぎに来たと言う事だろう。



「どこに居るんだあの馬鹿は…」



そこらのチンピラに話を聞いてみてはいるが、全くと言っていいほど情報が無い。


一旦裏路地から屋根に飛び上がり空を見上げると、もう太陽は頂点を通り過ぎて西の空に傾き始めている。



視線を巡らせれば大通りの彼方此方に兵士の姿が見える。


恐らく、まだ状況は変わってはいないのだろう。




そうすると、想定していたよりは状況が悪いという線がますます濃厚になる。


身代金狙いではない。要求すらないという事は、政治が絡んだ問題でも無いと言う事だろう。


とすれば、私怨か、愉快犯か。


せめて誘拐までの手口。もしくは脱出の方法だけでも分かればそこから推理を組み立てることも出来る。



そこで厄介なのが魔法だ。


不確定なその要素が加わる事で、方法も動機も目的さえもほぼ無限と言ってもいい程に可能性が増える。



結果虱潰しに探すしか方法は無い。


やはり魔法による探知も進んでいるようだが、それはハルユキに関係がある訳でもない。



地道に、足を動かすしかないのだ。



「この熱い時に…」



滲んできた汗を拭って悪態をつく。


誘拐などと何を似合わない事をやられているんだあの王女は、と。



「心配かけやがって…」



 少なくはない血痕。


 告げられたその言葉に、ギシッと脳が軋み、一色の感情に染まっていく。



 それを留めているのは、まだ彼女が大事には至っていない確率が高い事。


 連れ去ったという事は大きく分けて、何かに利用するか、王女自身に目的があり時間を掛けなければならない可能性の二つに分けられるはずだ。


 ノインは頭は良い。ならば自分から死を早めることはしないだろう。


 

 しかしこれもまた、不確定要素が加わっていない限られた推測にしか過ぎない。


 

 もしかすれば、得体の知れないタイムリミットが近付いているかもしれないのだ。



 今この瞬間にも。



 刻一刻と。




 何かを磨り潰すような音がした。


 それが自分が歯軋りをした音だと遅れて気付く。



 その焦りを振り切るように屋根の上から町中を見渡す。もう何度目かも分からないこの行為。今更何が見つかる訳でもない。



「────っ!」



 しかし、何も捉える筈が無かったその目が、視界の端に何かを見つけた。


 通り過ぎてからそれに気付き、もう一度視線を戻す。



 確かあの辺り。



 あの角の辺りで、"赤い何か"が翻らなかったかと。


 距離にして400m強。


 見間違いと言えなくもない、しかし、考えた時には既にそこに向かって飛んでいた。



 文字通り一跳びでそこに着く。


 そしてまた、横を向いた瞬間それが翻る。



 今度は近い。見間違いようも無い。



 赤い髪だった。



 長髪の赤毛が、間違い無く右の角に消えて行った。



 再び一跳び。


 今度は左の角にそれが消える。



 遊ばれているのか、それとも幻でも見ているのか一向に届く予感がしない。



 それでもその予感さえも嘲笑うように、左に角を曲がった先。




 その先の袋小路で、"それ"は小首を傾げて壁を見上げていた。




 後ろ姿ながら分かる地位が高そうな厳かな衣装。そして赤い髪。背格好。どれも、嫌な位に記憶の中に覚えがあった。



 しかし、名前を呼ぼうとして気付く。



 その、臭いに。



 思考を邪魔するように、"それ"が言葉を発した。





『親愛なる鬼の仔様へ』





 吐き気がするような濃い血の臭いが、更に濃度を増す。その元が、あの髪から来ている事に気付くのにそう時間は掛からなかった。





『今夜、日が沈んだ頃。決勝の舞台を演じましょう』





 そして、振り向いた。



 笑っている。


 顔に縫い付けられたかのように付けられた道化の仮面が、血に濡れながら笑っている。





『我等だけの舞台を──』





 帽子を取るように仮面を取り外してそれ"は演説を続ける。サーカスの演目を自慢げに発表するように、弾んだ声で言葉を繋げていく。



 仮面の下のその顔は、やはりハルユキが知っている顔ではない。


 見たことも無い顔。しかし、それに安堵する事はありえなかった。



 その道化は、確かに見たことが無い顔。


 しかし、それ以上に。



 見たことの無い貌をしていた。



 最初に感じたのは、仮面。地面に落ちたそれとは別。


 もっと醜悪に、もっと狂気に満ちた歪な仮面。意匠



 瞼は放物線を描いたまま縫い付けられ、唇はその逆に。鼻と耳は綺麗に削ぎ取られて存在しない。


 そして、その顔中が髪から滴る血で染められている。


 これ以上無いほどの笑顔で固められ、血化粧を施されたその顔は。


 やはり、仮面に見えた。



『乞う、ご期待──』




 見れば、顔は女の物ですらない。


 子供。男の十歳ほどの小さい頭蓋。首の根元にわざとらしい程の切れ目がある。



『──くふっ』



 噴き出したような音。


 口が裂けるまで吊り上げられていると思っていた唇が、更に深みを増す。


 仮面を持っていない方の手が優しく唇に触れ、次の瞬間には一転して同じ場所に同じ物を、しかし叩き付けるように押し付けた。


 ガリガりガがリガりがリと、掻き毟る音が続き、開くことを封じられた瞼からは涙が零れ落ちる。



 不意に。


 指が、縫い付けられた糸をかいくぐって、口の中に進入した。


 引っ掻き音が止み、ブチブチと糸を無理矢理引き千切られる音に変わり、ベチャッと、投げ捨てられた糸に付いた腐った肉片が生々しい音が立てる。



 唇が半分千切り取られたその口が、頬の半ばまで裂けたその口が限界まで大きく開け広げられる。



「あッキャはああひゃひゃあひゃっひヒひヒヒひヒヒヒひゃひゃひゃあひゃはァッ──!」



 そして、笑う。


 笑う。


 目の端から大粒の涙を零しながら。


 笑い続ける。



 そしてそれは、笑いながら、ゆっくりと地面に沈んだ。



 体を痙攣させながら、体の下に血溜まりが広がっていく。それでも腹を捩りながら笑うことは止めない。


 手にしていた仮面がカラカラと軽い音を立てながら、ハルユキの爪先に当たる。



 どれくらい時間が経ったのか、ハルユキが静かに見下ろす下で、萎んでいく笑い声が最後は泣き声のようにか細く消えたいった後。



『──それでは』



 手を体の前に添えて深々とお辞儀をしようとしたのか、肩と腰だけがぎこちなく動く。


 唇は動いていないのに聞こえるその澄ました声が、どうしようもなく不快でたまらない。



『貴方様が知っている顔が"私"のように為りませぬよう』



 最後にこれ以上無いほど愉快気に唇を吊り上げて。"それ"はそのまま動かなくなった。



 同時に。


 仮面を踏み砕く音が、そこら中に響いた。




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