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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
124/281

決着


──それにしても、物凄いものと剣を合わせていましたね。



 相変わらず気品を失わせない仕草で紅茶を口に運びながら、メサイアは呆れたように笑った。


 物凄いもの、とはまず間違い無くノインの事だろう。


 しかし、それがメサイアの口からも出てくる事は少し意外だった。



──まさか英霊と刃を交え得る機会を賜るとは。あの小さな王にも感謝せねばなりません。



 英霊。


 それはメサイアとはまた違うのか?



──ええ。私も私で中々特異ですが、それでも括りは精霊獣です。



 精霊獣。


 どうにも信じ難いが、本当に私の中には魔術の最高到達点が宿ってしまっているらしい。


 だからこそ特異だと言う事だろうが、少しずるをしている気がしないでもない。



──そこはお気になさらずに。所詮は私も主の力の一部です。自分の剣を振るうのに何の迷いが要りましょう。



 感謝してるよ、メサイア。


 お陰であの王女とも互角に戦う事ができた。


 本当に、強かったんだ。



──鬼才。稀有。そんな言葉では片付けられない存在でしょうからね。人間からあんなものが生まれるなど、例えるなら小鳥が古龍を産んだようなものです。



 人ならざる精霊にここまで言わせるノインが異質なのは分かった。


 そして同時に、それ程の力を持ちながら、狂気にも力にも囚われる事無く生きてきた彼女の人生を思った。



──悪い癖ですよ主。いえ、そこが主の良い所でもあるのですが。あまり他人の事情に首を突っ込むものではありません。



 そうだな。


 そろそろ嫌になるほど自覚してきたよ。


 まあでも、友達になるって言ってしまったから。



 しかし、別に同情する訳でも、何か行動を起こす訳でもない。助けられるなどと、これ程あの王女に似合わない言葉は他に無い。



──おや、もう行ってしまわれるのですか?



 無言で席を立つと、メサイアが少し物足りなさそうな声で紅茶のカップを置いた。


 すまない、と笑って、ついでにもう一度礼を言う。



──いえ、まだ主と共に駆けた戦場の余韻が残っています。私にはこれで十分ですよ。



 いつの間にか椅子も机も紅茶の残り香すらも消え失せて、メサイアがゆっくりと跪いた。



──ああ、最後に。うかうかしてるとあの御仁を寝取られてしまいますよ。


 「…う、うるさい! お前には関係ないだろう!」



 顔を上げたメサイアの口元はまた楽しげに綻んでいた。



──それでは、また。



 掌を返したかのようにまた恭しく頭を垂れた。


 幾度と無くそういうのは止めてくれと頼んではみたが、これだけは従ってくれない。これも騎士として譲れない矜持なのかも知れない。



 ああ、また。と、若干不満を残しながらも、再開の約束を交わして目を瞑った。





◆ ◆ ◆





 チョキン、チョキン、と迷いの無い音がする度に、金色の髪が一房地面に落ちていく。



「うーん、やっぱりこれが限界かしら」



 出来るだけ長く切り揃えても、肩甲骨にかかる程度。


 それを、目を細めて見比べながら、ノインは改めて呆れたように溜息を付いた。



「大体あんな厳つい剣で一気にやるからこうなるのよ。私が炎を使うのは分かってるんだから、あらかじめ纏めとけば良かったでしょう?」

「全くじゃの。そもそも焼かれるような温い動きをしておるからそうなるのじゃが」

「……もうそれは死ぬほど聞いたよ」



 三つ隣のベッドを覗けば、フェンが小さな体を更に小さく丸めて、僅かに寝息をたてている。


 気絶したユキネの火傷や、両者の細かい傷を治療していてくれたらしく、ユキネが起きた時には待ち疲れたのか既に隣で寝ていたのだ。



「最後の方は悪くなかったのに、最後の最後でへこたれおって…」

「それも聞いた…」

「うるさい。負け犬は黙って主の言う事を聞け」

「……人でなしめ」



 レイとユキネが言い争っている間に、ノインはユキネの髪に軽く櫛をいれて髪を落とした後、そのままベッドにへたり込んだ。



「まだふらふらするわ…」

「だから髪なんていいって言ったのに…」

「…あなたはよく平気ね」

「……いや、もう眩暈でほとんど前見えない」

「寝とれ、アホめ」



 ぽーん、と軽快にユキネが寝ているノインを越えてベッドに不時着した。



「容赦ないわね…」

「ふん、どうせ敗者は明日から暇じゃろうて」

「……もう一回やれば勝てる」

「──へぇ? 聞き捨てならないわね」



 ベッドの上で視線が交差し部屋に魔力が満ちる──、傾向も無いうちに二人は呻き声と共にベッドに沈んだ。


 一人レイが鼻で笑っていると、ガチャっと扉が開いた。



「何やってんだお前らは…。ほら起きろ、ご希望の品だ」

「……お主、その頭の洒落た生き物はどうした」

「…気にするな。通りがかったドラゴンがじゃれ付いているだけだ」

「そいつ、城では誰にも噛み付かないんだけどなぁ…」

「あらギィ。ガララドも。いらっしゃい」



 頭をガジガジと齧っていた龍がその声を聞いて弾かれたように顔を上げた。


 そのまま、どうやったのかと言うほど椅子やら机やらを上手に避けながら、主に擦り寄って頬を寄せ、愛しげに声を出す。



「ほら、飲みもんだ。零すなよ」

「ああ、ありがとう…」

「助かるわ」



 それを憎々しげに見ながら、ハルユキはハルユキユでキネのベッドに近寄ってコップを手渡した。



「ミスラはちゃんと城に行ってくれた?」

「ああ。しぶしぶだけどな」

「まあ、明日からは私も政務に戻るから、今日までは頑張ってもらわないとね」



 ちびちびとコップを口に運んで飲んでいたユキネが、困惑したような顔を上げた。



「明日…? まだ試合があるだろう?」



 ああ、と思い出したかのようにノインが声を出して、コップを置き、ゆっくりとベッドに背中を預ける。



「私はここで、準々決勝をもって棄権するわ。だからまあ、事実上今年は準決勝が無くなったわけね」



 え、とユキネの顔が固まった。


 もしコップを持っていれば、多分落としていただろう程にはその顔には動揺が見えた。



「ど、どうして…?」

「ちょっと魔力を使いすぎてね。それどころか最後の辺りの魔法は魔力を借りてたから。その反動で当分は魔力が回復しないの」

「…そう、なのか」



 どうしようもない事を悟ったのか、ユキネも食い下がる事はせず視線を手元に戻した。



「馬鹿ね。何で貴女が落ち込むのよ」

「…べ、別に落ち込んでるわけじゃない」

「いいわよ別にそれは。私がこの大会に出た理由なんて…。…えーと、ハル。ちょっとこっち来て」

「ん? ここにいるだろ?」

「ほら、これ見てこれ」



 ちょいちょいとハルユキからは影になっている所を指して、ノインが手招きする。


 不思議に思ったハルユキが上からそれを覗こうとして、その顔をノインに挟み込むように両手で掴まれた。



「好きよ。ハル」



 あ、とユキネが悟って声を出した時には既に遅く、ノインは本当に軽く、一瞬触れ合う程度に唇を合わせた。



「お、お前は…また…!」

「いいじゃない。私もご褒美あげたでしょ」



 ひらひらと、ハルユキを追い返すノインの顔は顔色一つ変わってはいなかったが、ハルユキは面白いほどにうろたえていた。



「まあ、これで私はまたハルを逃した訳だけど…」



 口元を押さえてなんやかんやと説教するハルユキを傍目に、ノインはゆっくりとユキネの方を向く。


 固まるユキネを見つけて小さく笑うと、そっと耳を寄せた。



「男の子だからね。少なくとも今夜は私の事で頭が一杯よ」



 ビクッとユキネが肩を揺らして、ハルユキを見て、続いてノインを見て、もう一度ハルユキを見た。


 その顔は少しだけ紅く染まっていて、緊張した時のように喉を鳴らす。



「あら?」



 くい、と控えめにユキネがハルユキの服の裾を引いた。



「ん…?」



 顔を向けたハルユキの顔がまた挟み込まれる。



「ゆ、ユキネ…?」



 もう一度喉を鳴らしたユキネの顔は、ノインとは対照的に耳までまっ赤に染まり、目は泣きそうなほど潤んでいる。


 それから数秒の時間が流れ、すっとおもむろに顔が寄せられて──。





 スッと同じ分だけハルユキの顔が引かれた。



「…な、何で避けるんだ!」

「……いや、そりゃ避けるだろ」

「の、ノインは良くて私じゃ駄目、なのか…?」

「どっちも良くないわ! っていうかなあ、俺を使ってまで張り合うな! そんな事ばっかやってるとなぁ…!」



 ガジ、と普段では聞かないような鈍い音が聞こえた。

 

 その方向に目をやれば、ハルユキの頭に再び齧りついているのも普段見れるような生き物ではない。

 

 自分も遊んでもらえると思ったのか、尻尾をぶんぶんと振りながら、嬉しそうにギィはハルユキの頭を齧っていた。



「…こうなるだろ」

「お、儂も儂も」



 続いて、ドサクサに紛れるようにレイも長い犬歯をハルユキの首に躊躇いも無く突き刺した。


 独特の酩酊感と共に、脳に入っていく血液が毟り取られる。



「……おい、何やってんだ?」

「んあ? お主が儂の分の飲み物と菓子を忘れたからじゃろうが」

「…………それはな、このギィが食べちまったんだよ。俺のせいじゃない」



 ギィ!? とその名前の通りギィは驚いた声を上げると、そのままブンブンと首を横に振る。



「…口元に残りが付いてるぞ」

「っは。馬鹿め。ちゃんと拭いたわ」

「馬鹿は貴様じゃ、鳥頭が!」

「大体なんでお前の分まで俺が奢らにゃならんのだ! お前は何もして無いだろうが!」

「………」

「無視!?」

「羨ましいのか可哀想なのかよく分からん奴だな…」



 ガジガジ、チューチューと妙な音が続く中、不意にハルユキの額に青筋が浮かび上がった。



「……よぉし分かった。そんなに遊んで欲しいなら、この志貴野春雪、全身全霊で遊んでやろう!」



 病室ではお静かに、と半分諦めたような淡白な声は誰の耳にも届いていなかった。





  ◆





「ああ、もう次の試合始まってるな。って事で行くわ」



 ガララドがミスラの手伝いに消え、ジェミニとシアも寝惚け眼のフェンを連れて一足先に帰ったので、続いてハルユキもつられるように席を立った。



「じゃあお前ら寝とけよ。レイ、寝かせとけよ」

「さっさと行け。過保護馬鹿」

「そうね、決勝の相手になるんだから見ておいて損は無いでしょ」

「ま、別に誰でも一緒だけどな」

「感じ悪いな、それ…」



 疲れたように背中を丸めて、ハルユキは扉へ向かう。


 扉に手をかける前に、もう一度ちゃんと寝ておくように念を押すと、手を伸ばして、しかし、その手が扉に触れる事は無かった。



「──退いて下さい!!」



 荒々しく扉を跳ね飛ばして、医務室に飛び込んできたのは担架と兵が二人。


 ここは医務室だ。それ自体は別に珍しいことではない。



 だから、一人の死者も出した事がないほど優秀な衛生兵の、極限まで緊迫した表情と。廊下の奥から続く、少なくない量の血の道だけが、日常を逸脱して異彩を放っていた。



「おいおい…」



 医務室の真ん中に設置してある、手術台のような場所に流れるような作業で移されたその体は子供のように小さい。


 運んできた片方の兵士が急いで治療を始め、もう一人はその人間に何かを言われて部屋を飛び出した。



「何だ…?」



 疲れのせいか早くも寝ようとしていたユキネが寝惚け眼を擦りながら、顔を出す。



「え…?」



 その表情が驚愕に固まった。


 それもその筈、何しろ目の前の台の上で血溜まりに浸っているのは、知っている顔。


 こんな大会に出るには余りに小さすぎる体にも、見覚えがありすぎる。



「──アキラッ!」



 ボサボサの金髪にこびり付いた血が乾き切る前に、止め処なく溢れる血がそれを潤して血の堰を壊していく。


 千切れかかった足に力は無く、半開きの目は虚ろに中空を見つめている。


 

 そして一番残虐に印象にこびり付いたのは、右腕の肘の先に血溜まりしか存在しない事。



 右手が、噛み千切られたかのように無くなっていた。


 


 それでも、ユキネの声に反応してアキラは目をそちらに向ける。



「…ぅ……っあ」

「喋らないで!」



 衛生兵が叫ぶと同時に、アキラの口からコプッと音を立てて血が吹き出た。


 スッと、何かが抜け落ちたかのように目から力が抜ける。



「アキラッ!」



 アキラの血を見てを見て小さく舌打ちした衛生兵が、更に声を荒げる。


 先程部屋を出て行った兵士が更に二人連れて来た衛生兵達も加わり、総がかりで回復の風魔法を当て続けるが、塞いだ端からまた血が吹き出ている。



「回復魔法が効かないのか?」

「傷口が多すぎて手が足りないんです!」

「……おい、そこの。その辺にまだフェンという少女がいるから急いで連れてきてくれ。治療が出来る」



 出来る事が無くなった兵士にそう言うと、少し迷った素振りを見せてから、頷いて部屋を出て行った。

 

 それを見届けると、ハルユキもアキラに近寄った。

 

 四人の治療員達が取り掛かっていない箇所にナノマシンを潜り込ませる。神経に抗えないナノマシンで何処まで出来るかは分からないが、止血ぐらいならどうにかなるかもしれない。



「ちッ…!」



 やはり、体に入って数秒でナノマシンが溶け出した。しかしほんの少し傷口は塞がっている。止血ぐらいなら出来ない事もないようだ。



「…く…」



 ナノマシンを流し込んで今度は一瞬で止血を済ませる。物凄い負荷が脳に襲い掛かったが、軽い眩暈以外に異変は無い。


 目覚しいほどの成果は無いが、やらないよりはマシだろう。


 頭痛を堪えながら、次の傷口に取り掛かろうとした所で、反射的に入り口に目が向かった。




 ゴンゴンと、緊迫した空気の中には余りに暢気なノックの音が響いた。


 何か特別な事も無かった筈なのに、部屋の空気が下がったような感覚に襲われる。



「お取り込み中で済まねェが……」



 その先に目を向ければ、開いた医務室の扉をに寄りかかる男が一人。



 口に三日月形の笑みを携え、右手には"右腕"を持っていた。



「──残りモンだ」



 もうその食い散らかされたようにぼろぼろの右手はもう何も掴む事はできないのは一目で明らかだった。



 だから、衛生兵たちは息を呑みながらも、治療に専念することを選択する。


 もう助からない右腕よりも、千切れかかっている他の四肢を優先するのは当然の事とも言えた。



 故に。


 その男に向いているのは、静かなハルユキとノインの視線と、思考が真っ白に染まっているユキネの目の三組だけ。



「──ァあ?」



 衛生兵が無視したのが気に入らなかったのか、それともいくつかの視線のどれかが気に触ったのか、男の口から不機嫌な声が漏れ出た。



 途端、医務室中に殺気が満ちる。



 嫌な匂いがハルユキの鼻を擽った。


 大分嗅ぎ慣れた腐臭。いや、人の死臭と言った方が正しいだろうか。


 戦場か、殺人現場ぐらいしかありようがない臭いが、部屋に充満していっている。



 その発生源は、確認するまでもなく、目の前の一人の闖入者。




 三日月が、更に深みを増す。



 そして、おもむろに、その大顎が、思い切り開かれた。


 上顎と下顎の間に汚らしい糸が引く。


 その先の臓腑に繋がる真っ暗な入り口に、何かが蠢いているように見えた。



 そして大顎の目前に、今にも噛み砕かれそうなそこに。


 アキラの、右腕があった。



「──お前ぇええ!!!」



 速い。


 ハルユキの目にはそれでも止まって見える程ではあったが、それでも大口を開けている男が、その勢いに乗った拳を避け切れないほどには。



 ユキネの拳がその男を跳ね飛ばし、地面に倒れこんだ男の胸倉を掴み上げる。


 ユキネが怒る事は理解できる。しかし、恐らくそれは見当違いだ。



 恐らく、あんな状態のアキラへの侮辱が許せなかったのだろう。


 だが、恐らくそれは違う。


 侮辱したかった訳ではない。もちろん侮辱したくなかった訳でもなかっただろうが、理由はもっと単純。


 

 ただ、"小腹が空いただけ"。



「あー…、あれだ、どけ」



 匂いと気配、雰囲気、表情。


 そのどれと比べても歪なほど不自然な優しい言葉が、途切れ途切れに男の口から並べられた。


 その言葉を男の体が拒絶しているように、ぴくぴくとその頬が痙攣する。



 それは、決して俺から退くなと。そのままここにいろと言っているようにも見えた。




 それに対して、ユキネが退く気配は無い。それどころか激情に任せ再び拳が振りあがるばかり。


 そして、三日月形の口から、またそれが漏れ出した。



 食欲。


 分かり易いほど、また滲み出るほどの欲望の塊がそこにあった。



 本当にただ腕を届けに来たのだろう。理由は分からない。ただ、やり過ぎた事を自省しての行為ではない事は明らかだ。


 そうでなければ、必要でなかったからと言ってその腕に食欲を催す訳がない。



「──ア、もう無理」



 そして、目の前のユキネに向かって再び顎が開かれる。



「イたダキまぁス」



 不吉な物を感じて身を引こうとするユキネの体が、掴まれた男の手によって引き止められる。


 ユキネに牙を剥くその顔は、例えようも無いほど醜く愉悦に染まっていた。





──しかし。ハルユキが居る傍でユキネに牙が届く事などある訳も無く。



「ァあッ!?」



 額を押さえつけられて、後頭部を地面に叩きつけられた男の顎は虚しく一度空を噛み砕いただけだった。



「死ぬか離すか選べ。三秒以内だ」



 冷淡に告げる声に色は無い表情は無い慈悲は無い。


 寧ろさっさと殺してしまおうと早めに数えられた三秒間の間に、男は本能的に手を離していた。



「黒髪、黒目……?」



 ピクッと男の細い眉毛が揺れた。


 そこで、押さえ付けている男の横に小さい魔法使いが現れる。



「ハルユキ」

「いきなりだが頼めるか」



 フェンは医務室を見渡して直ぐアキラに目を止めると状況を把握したのか、こくんと相変わらず無言で頷くとアキラに近寄り、やはり無言で杖を翳した。


 フッと、空気の繭のようなものがアキラを包んで、それだけでアキラの苦悶の表情が緩む。



「え……?」

「すげぇ、空間ごと…!」



 一緒に包み込まれた兵達が呆然と周りを見上げる。


 見る間に傷が塞がっていく。これ程酷い怪我の治療を見たのはユキネ以来だが、その時よりも別人の様に腕が上がっていた。


 しかし、それを褒めるのも親心を出すのも今は後。



「……右手は?」

「ま、間に合いますか…?」

「急いで」



 近寄って来た衛生兵にアキラの右腕を渡す。


 右手は男の額を締め付けたまま、衛生兵は右腕をアキラの右肘に宛がった。



「黒髪、黒目──!」



 男の死臭が爆発的に濃さを増して、魔力が迸った。



「ハル!」



 ハルユキの背後の空間が稲妻状に裂ける。


 鋭利に尖った切れ目は牙のように、その奥は赤い舌が物干しそうに糸を引き、その更に奥には漆黒が広がっている。



 牛でさえも丸呑みにしそうなその顎が、ハルユキに深々と牙を突き立てた。



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