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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
122/281

幻想郷

──それは、幻想郷だった。



 舞台の中心にいる女を中心に、世界の色が塗り変わっていく。


 目にも留まらぬ速さで疾るのは金色の炎。飛び散るのは金箔のような煌びやかな炎の欠片。




 しかしそれはまるで稲穂のように。風に揺れるすすきのように。




 その優雅さは、思わず手を伸ばしたくなる甘い誘惑を放ちながら、ただその身を光らせる。


 

 しかし、それは炎。それは魔の結晶。


 それに触れると言う事は、たちまち炎に撒かれて形を失ってこの黄金の野と同化する事に他ならない。



 火に自ら飛び込むのは、光に眩んだ虫だけだ。

 

 それでも、その景色に手を伸ばさずにはいられない。



 それはさながら楽園ヴァルハラのように。

 それはまるで理想郷アヴァロンのように。



 戦士がそれを夢見るように。

 王がそれを欲するように。



 この金色の野は、甘く甘く人を誘惑して、魂を骨抜きにする。


 目を瞑って、身を委ねて、魂ごと焼かれる事が幸せなのではないかと。狂った思考が頭のどこかに生まれる。



 全ては灰燼を帰し、残るのは炎に還った魂と、消える事を知らない命の、輪廻の炎。




 そして。


 野に君臨するは、孤独な王が唯一人。





   ◆





 カラン、と力無い音が耳に届き、薄く開いた両眼には、自分の大剣クレイモアが横たわっているのが映っていた。


 ユキネの意識には、そこだけが白く塗れているだけで、他はぼやけた金色で埋め尽くされている光景にしか映っていない。


 

 遂にまともに食らった鎧越しに受けた一撃と、この炎。


 そして、余りに浮世離れした光景に、脳が別の誰かに奪われたかのように思考が働かない。



 その金色の中の一部が、脈動した。



「──ッ!!」



 酩酊していた意識が覚醒する。ほぼ同時に、傍に落ちていた剣を拾い上げ、瞬時に魔力を通す。


 そして、ろくに確認もしないまま、飛来してきた火の鳥を座ったまま断ち切った。



 綺麗に真ん中から分かれた火の鳥は、その接触面だけを消失させて、残りは元の黄金の野原に飛び込んで形を無くしていく。



 顔を上げると、その光景は依然として存在していた。


 


 まるで実った稲穂の野の様な黄金色の世界。



 胸ほどまであるそれは、全て彼女の炎で編まれていた。


 それはあるだけで闘技場内の空気を燃やし続け、敵の動きを封じている。ユキネも常に鎧から魔力を放出させていなければ既に火達磨になっているだろう。



 広がっている光景に、改めて息を呑んだ。


 戦いの最中だと言う事は承知している。しかしそれでも、更に恍惚に濡れた溜息が漏れる。




──黄金郷。理想郷。楽園。



 それを目指した戦士や王達も、この光景を一生を使って探し求めていたのだろうか。


 もう一度溜息が出て、納得する。



 これはそう、まるで毒のようだ。


 玉露のような神酒のような、甘い誘惑と匂いを放つ毒。


 そしてきっと、毒だと分かっていても人は喜んで呷るだろう。



 抗い難い。


 それ程に、この光景は魂を一色に染めていく。もしかすると、喜んで飛び込んでいく人間もいるのではないかと思うほどに。



 魂の終着点に似ているここは、酷く神々しい風景だった。





「──黄昏時"炎尾"」





 呆けた耳が捉えたのは、短い祝詞。



 そして、それに応える様に唸る獣の声。姿を確認する前に迷わずその方向に剣を向ける。


 その剣に弾き飛ばされて、金色の野にそれが降り立った。



 一匹の狐。



 しかしその体躯はユキネより大きく、尾は九本。その全ては他に漏れなく金色の炎で構成されている。



 ユキネの剣に尾を切り落された九尾の狐は、威嚇した表情のまま炎の塊に戻り、主の元に戻って行った。



「今度は狐か…」

「お気に召さなかったかしら?」



 声に反応して弾かれたように体ごとそちらを向く。



 金色の草が平伏す様に身を避けていて、そこに、この幻想郷の王が立っていた。


 髪を揺らすたびに金色の粒子が飛び、足を離した所から金色の草が茂っていく。


 頭上には不死鳥が旋回し、紅く光っていた剣が黄昏色に染まっていた。



 金色の世界の中に、際立つように紅い瞳がこちらを捉えた。


 まるで、龍に睨まれたかのような畏怖の念が体を襲う。



 こつん、と踵が壁に当たる。


 知らず、後ずさりしている事に気付いた。



「──チェック」



 再び、王手の声。


 ノインはこちらを見据えたまま動かない。こちらの動きを見ているのか、それとも窮鼠を警戒しているのか。



 確かに急ぐ必要は無い。


 こちらは、四方八方が炎の野に囲まれている。このままでは干乾びるか酸欠で気を失うかだ。


 一旦、呼吸を整えようと、周りに注意を配って、同時に思考も整える。


 その余りの高温に、目が乾きを覚え、軽く一度瞬きをした。



「隙一つ」



 それは、今のノインにはワザとらしい程の隙だった。


 ユキネが目を開けた時、目の前にはまたも金色の残滓だけが燻っている。




 殺気に当てられ、右を向けば、肩同士が触れるような距離に侵略を許していた。



 そして、金色の閃光が疾る。



 それは完全に偶然だった。必死に頭を庇おうとして、たまたま剣で防ぐ形になっただけ。


 攻城槍のような一撃が、ユキネの体を問答無用で持ち上げていく。



 片手で振っただけの一撃。それでも炎により加速された一振りは、ユキネを十メートル以上離れた結界に叩きつけるぐらいの力を持っていた。



「──"王鳥ガルーダ"」



 金色の野から更に生み出されたのは、神話にしか存在しないはずの鳥の王。


 それも、この野の上では兵の一つでしかなく、その体を燃やしながら吹き飛ばされたユキネを追随する。




 ノインの剣に宿る異様な衝撃は殺しきれるものではなく、成す術も無くユキネは結界に叩きつけられた。


 少なくない量の空気が肺から搾り出され、貴重な酸素が更に燃やされていく。



「え…?」



 痛みに歯を食い縛り、懸命に前を向けば、王鳥の剥き出しになった大顎が視界一杯に広がっていた。


 王朝は一切の速度を緩めないまま、その身をユキネごと結界に叩き付ける。




 一瞬で全身が炎に包まれる。そして、直ぐに肌が髪が焼かれていく感触が脳髄を襲う。



 しかし。



「──ぁあッ!」



 炎が体を包んだ瞬間、鎧と剣を媒介にしてありったけの魔力を放射したのは、即席にしてはいい考えだった。


 燃え盛る王鳥は結界に置き去りに、ユキネは地面に墜落する。



 しかし、何とか生還した地上もまた炎獄。



「…ゲホッ、ゴホッ…!」



 そして、あの膂力。


 恐らく、剣に纏わせた炎を付加し、それをブースターのように使って剣速と剣圧を上げているのだろう。



 振り下ろされれば足が地面を割るまで押し込められ、切り上げられれば体が容易く宙に浮き、切り払われれば地面と平行に吹き飛ばされる。



 この幻想郷を関係があるかは知らないが、もう剣だけで戦う土俵では無くなった。


 ただ、戦いに。全てを出し合う純然たる勝負に至った。



 それが、これ程の差を開くとは思っていなかった。


 ただ魔法を付加しただけの剣に、もうこのままでは成す術が無い。



「──チェック」



 三度、王手の声。


 孤独な王が、先程と同じ表情でそこに立っていた。





◆ ◆ ◆





「ち、ちょっと、死んじゃうわよ…!」



 未だ一方的な戦いが繰り広げられ続けている闘技場を見れば、誰だってそう言うだろう。


 それほど、舞台の上では悲惨な展開が続いていた。


 ユキネが先程から出来ていることと言えば、剣を盾にして闘技場の端から端まで吹き飛ばされ続けているだけ。


 いつか、防御が間に合わなくなったら。



 目を覆うような事態にならないとも言えない。



「ねえ、フェン! 止めなくて良いの!?」



 会場は熱気に撒かれて誰もが興奮の声を上げるだけ。


 何かに取り付かれたように歓声を上げる観客が、フェンには人間以外の別の生き物にしか見えていた。



「…駄目」

「っ何で! 死んじゃうのよ!?」



 エゼは優しくて強い子だ。


 この状況でも、周りがいかに高ぶっていても、自分を保って更にフェンを心配さえしてくれる。



「でも、ユキネも、…ハルユキも我慢してるから」



 自分の我侭を通せるほど私は強くないから、とフェンは続ける。


 エゼは、心配半分、戸惑い半分の視線をフェンに送るが、それとフェンの視線が交わることは無い。目を離さない事が自分の使命だといわんばかりにフェンは闘技場を凝視している。



「我慢って…」



 どうして、あんな所にいられようか。

 

 もしかすると、聞こえていないだけで助けを求めて駆けずり回っている可能性もあるのだ。


 

 鈍い音が、観客席にまで響いた。



 一斉にその音の源に視線が集中する。



 結界が軋む音が嫌に通って響く。それを見つけて、焦点を合わせた時、結界の上で何かが炎上していた。


 何か、などと言いはぐらかしたが、実際には分かっている。この状況では、当て嵌まるのは一つしかない。



 "それ"が炎に巻かれ、金切り声を上げる。しかしその声は、興奮の坩堝に飲み込まれ掻き消されて素通りされる。



「ふ、フェン…!」



 振り返った先で、フェンは依然として毅然とそこに座っている。



 そう、想像していた。


 日の光に照らされて、より鮮明に眺められるその姿は、毅然とはとても言えなかった。


 唇は固く結ばれ、杖を持った手の先が白く変色している。今にも腰を上げて、舞台に向けて杖を向けてもおかしくはない。



「大丈夫」



 それでも、目だけは。ただ無感情に、いや押し殺して、只管に闘技場を見据えている。



「ハルユキが、居るから」



 ハルユキは試合に釘付けで気付いてはいないだろうが、フェンは既に見つけている。



 闘技場を挟んだ対岸の客席から、十数メートル移動した列の下から3段目。レイと並んで座っている。



 フェンの目ではその様子の機微まで測る事は出来ないが、少なくとも闘技場に押し入ろうとする気配は無い。


 我慢を続けている。



 自分が入り込む余地が無いのを弁えている。


 もし状況が変わるとすれば、それはユキネが助けを求めた時か、ユキネの命が危険に晒された時。



 なら、フェンが事を起こす必要は無い。いや、起こすと言う事は出来ない。



 ユキネが助けを求めた時。


 たとえユキネが、フェンの手を伸ばせば届きそうな距離にいたとしても。



 ハルユキはフェンより早くユキネを助けてしまうだろうから。



 それ程に、あの二人は強く結ばれている。




 そして。


 何より、二人は似ている。


 ノインとハルユキよりも、ノインとユキネよりも。



 あの二人は似通った所が大きい。だからこそ、分かり合うものがあるのだろう。




「似ている、…かしら?」



 それを聞いたエゼの声と表情が疑問符で満ちる。


 それはまあ、外見的な事ではもちろん無いのでよく知らなければ分からないだろうし、当の二人は自分にそんな所は無いと言い張るだろう。



 だから多分、分かっているのは自分とレイとジェミニとシアと、あと多分、ノインもそうだと思う。



「……あの二人の、どこが似てるの?」



 エゼが、痺れを切らしたように眉根に皺を寄せた。

 

 多くは無い。しかし、個性ともいえる強い特徴が余りに似ていると思うのだ。


 あくまで何となく。言葉にしても合ってるかどうかはしっくりは来ない。強いて言うなら、とフェンは念を押して



「──負けず嫌いな所と、子供みたいな所」



 それだけ言って、ふぅ、といつもの様に息をついた。



◆ ◆ ◆



 苦痛と苦悶に、景色が揺れる。



 舞台は幻想で編まれた穂波の世界。


 一色に染まったその世界は、遠目から見れば楽園のような光景。実際、戦いよりもこの幻想的な風景に目を奪われている人間も少なくは無いだろう。


 しかし。


 見るは易し。在るは難し。


 ここに立ち入った者にとっては、これは炎獄だ。まるで人間が存在していられる場所ではない



 酸素は奪われ、足場も視界も全てが炎で埋まっていた。


 景色が揺れる。


 世界が湾曲し、明滅する。



 それが闘技場中の熱によるものなのか、それとも脳に酸素が足りてないのか、それとももう意識が薄いのかそれすらも分からない。



「──投了には、頃合かしらね」

「………ぁ」



 その声は、揺れる頭には酷く甘美なものだった。


 降参して、担架で運ばれて、柔らかいベッドで寝る。



 回復力には自信がある。一日泥のように眠り、少しだけ胃の中を膨らませてから、午後からは残る二試合を観戦に行けばいい。


 レイは多分試合内容のことで小言を言ってくるだろう。フェンとシアは心配してくれるはずだ。ジェミニはセクハラしてくるかもしれない。


 そしてハルユキは多分『疲れたか』と聞いてくる。



 なら投了などと、迷う必要すら無い。




 空を見上げる。


 太陽の横から覗く夜空が涼しそうだ。



 そこから冷えた酸素を吸い込みたくて、深く深く呼吸をする。




 生憎、火傷しそうな空気しか入っては来なかった。


 それでも、少しだけ頭は澄んで、腹は決まった。



「…今、実は少し楽しいんだ」



 吐きそうになる苦しさと、溶けそうになる熱さに比べればほんの一握りだが、確かにそれは、試合が始まってから付きまとっていた。



 初めて剣を振って、父上に褒められた時。あの小さな宿の中庭で、初めて自分の魔法を見つけた時。


 あの時の、まるで雲の上にいるかのような高揚感と、一握りの幸福感が。



「今多分、成長できてるから。…楽しいんだ。それでな…」



 自分の視界が広がって、世界までが広がったような感覚。



「…楽しい事を自分で止められるほど、私は大人じゃないみたいだ」



 そして、今もそれは続いている。


 前を向く。


 

 馬鹿のような口上にノインも呆れているだろう。

 


 自嘲するように笑いながら、焦げ始めて今にも火がつきそうな髪を首の辺りから掴み取り、刃を当てる。



「何を…!」



 そして、逡巡する前にそのまま腕に力を入れた。パラパラと、決して短くはない金色の髪が炎に食われてその形を無くした。



「貴女……」



 頭を振って残った髪も振り落とす。余裕を忘れているノインの表情が痛快だった。


 丁度良いのだ。すぐへこたれそうになる自分にはいい覚悟の形になる。

 


「──安心しろ。お前もしっかり泣かしてやる」



 私はまだ、疲れてなんかいない──。




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