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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
117/281

指輪


「はいはい、ごめんよー」

「あっ…と」



 ユキネが後片付けを終え、ついでに湯を浴びて二階に戻ってくると、扉を開けた所で、ハルユキとすれ違った。


 お互い半歩ずつ体をずらして、ユキネは部屋の中に、ハルユキは外へ出て階段を下りていく。


 ユキネは、何となくそれを目で追ってから、部屋の中に入った。



「ハルはどこに行ったんだ?」

「さあの。さぞ楽しそうに部屋を改造して味噌汁の作り方を教えておったから、気晴らしにどこぞに散歩にでも行ったんじゃろ」



 ぐるっと部屋を見渡すと、部屋にはレイしかいなかった。


 部屋の中は驚くほど静かで、窓を開けているにもかかわらず外の喧騒は遠くにしか聞こえない。


 レイの言った通り、ハルユキがさぞ気を入れて改造した事がよく分かった。



「眠いのぅ…」



 窓の位置まで変わっていて、部屋の中によく風が通るようになっている。


 夜の風でよく冷えたベッドのシーツが眠気を誘発しながら、人間を誘っている。


 誘惑にも欲望に逆らう事無く、ぼふっと勢いよくベッドにダイブした。


 レイとユキネ、二人して弛緩した声を出しながら、とりあえず体温で温くなるまでそのまま力を抜く。


 今日はもうこのまま寝てしまってもいいか、と考えていると、向かいのベッドでレイが起き上がる気配に気付いた。



「──ふっふ、ほとんど一人で食べてもらえて良かったのう」



 レイが意地悪く笑うのを見て、ユキネは壁側に顔を背けた。


 初めて作った料理は、自分でも良くできていたと思う。


 でも、喜んで食べてもらえたからか、美味しいというよりは嬉しい気持ちが大きかった。



 口元がにやけてしまいそうで、より強くベッドに顔を押し付ける。



「それに、朝は仲良く一緒に寝ておったしのぅ」

「なっ…!」



 思わず、勢いよく顔を上げてレイの方に身を乗り出していた。



「全く、朝から何をやっていたんだかの」



 にやつくレイの顔ですぐに我に帰り、再びベッドに顔をうずめる。


 温くなったはずのベッドが最初よりも冷たく感じたのは、おそらくシーツが冷たくなった訳じゃない。



「指輪の礼にかこつけて。若いくせに抜け目が無い事じゃ」

「そんなんじゃ…!」



 顔だけレイに向けて、否定しようとして違和感が言葉を止めた。



「…指輪?」

「ん? その鎧の指輪じゃよ。…知らなかったのか?」

「知らなかったって、何を…?」



 小さく息をついて、頭の後ろを申し訳なさそうにかきながら、レイは溜息交じりのままこちらを向いた。



「小僧からは、何も聞いておらんのか?」

「これ、ハルが…?」



 ポケットから指輪を取り出して、手の平ごとそれをレイに向けた。


 それを一瞥した後、またレイが溜息を付いた。



「でも、これ凄く高い物だって…」

「全財産投げ出しとったからのぅ。…ああ、だから言わんかったのか」



 馬鹿め、と一言悪態をついて、レイはまたベットに倒れこんだ。



「そうか、礼も言っとらんのか。可哀想にのう…」



 わざとらしいほどにレイの声色と、雰囲気が変わった。


 ユキネの場所からレイの顔は見えてはいないが、あの頭の裏側で間違いなく笑いを堪えている。



「…からかうな、明日礼は言う」

「おろ。何じゃ、からかい甲斐の無い奴め」

「わ、私だって学習はする」



 言いながら、ユキネはレイに見えないように窓の外を覗いた。


 会話は無い。


 ユキネは座ったままそわそわと体を揺らし、レイは横たわったまま微動だにしない。



「…レイ?」



 無言のまま数分ほど時間が経った後、ぼそっとユキネがレイを呼んだ。



「レイ?」



 動かないレイに、もう一度今度は少し強めに名前を呼ぶ。


 しかし、レイに反応は無い。


 それを確認して、ユキネはもう一度窓の外を覗いた。



「ちょっと、剣を、振ってこようかな」



 ベッドを軋ませて立ち上がった。そのままゆっくりと扉へと向かう。



「明日から試合だしな。うん剣を振ってこよう」



 部屋の外に出た後、もう一度はっきりとそう言って、ゆっくりと扉を閉めた。


 バタン、と扉が音を立てた後、パタパタと歩いていると言うには忙しない足音が防音壁を通して、ほんの少しだけ部屋に届いた。



「風呂に入った後に体を動かしに行く馬鹿が何処にいる…」



 のそっと体を起こしたレイが、窓まで移動して縁に寄りかかった。


 外では人の波に紛れるようにユキネが小走りで誰かの背中を追っていた。



「……よし、追うか」



 ひっそりと、暇人もとい暇吸血鬼が好奇心を剥き出しにして屋根に飛び乗った。







 地面に足の裏を押し付けて、体を引き絞る。


 今此処に速さはいらない。腕が伸びきる刹那にだけ最高速を込めて撃つ。


 急加速と急停止についていけない空気が衝撃となって目の前の空気を破裂させる。


 ゆっくりゆっくり、万感を込めて拳を振るう。蹴りを放つ。


 最後、急加速と急停止を限り無く同時に。



──裏当て。



 散々苛め抜いた空気が震えだし、一層激しく爆散した。



「……ふぅ」



 体から力を抜き、適当な石の上に腰を下ろした。


 凝った肩と首を解す為に、コキコキと首を鳴らす。



 壁を防音にするのは、思ったよりも神経を使う作業だった。


 一時的に精製する訳ではないので、一から作り直さなければならない。


 ナノマシンの記憶域から良い物を抜粋して、それを真似た訳だが、流石に兄貴の造った代物だ。完全に再現できたかどうかは怪しい。


 まあそれでもこの時代にはあり得ないほどの物になったとは自負している。



 今日は風も程好く吹いていて過ごしやすい夜だが、動いたせいでほんの少し滲む汗が鬱陶しい。


 ナノマシンで分解できるんじゃないかと、ふと思いつき早速実行してみる。



「…うーん」



 確かに分解は出来たが、気分的にはすっきりしない。


 あとで風呂に入り直した方が良さそうだ。



「ん…?」



 視界の端にちらちらとこちらを覗く存在に気が付いた。



「何だユキネ。どうしたこんな所で」

「あ、いや…。…なんで、分かった?」



 壁の影から、ひょこっとユキネがその姿を現した。


 金色の髪も緋色の目も、夜の闇にはよく映える。目の端にチラつけば、何となく目で追ってしまうほどには。



「お前の事なら大抵分かるよ」



 こちらに近付いてくるユキネに声をかける。



「そ、そうか…」

「で? どうした?」

「あ、あれだ。ちょっと鍛錬に…」

「ああ、明日だもんな、試合。相手はノインか。あいつは強いぞ?」

「…うん、分かってる」



 しゅん、と短い音がして、ユキネの手の中に剣が現れた。



「──一手、構わないか?」

「いいぜ。俺ももう少し体を動かしたかった所だ」






「いやあ、つくづく魔法ってのは反則だよな、ホントに」

「そ、それをハルが言うのか…」



 息を荒げながら、何とかユキネが反論した。


 そのまま、ずるずると先程までハルユキが座っていた石に移動すると、倒れ込むようにそこに腰を下ろした。



「おいこら、俺の椅子とんな」

「ここは、前から私の特等席だ」

「…何じゃそりゃ」



 梃子でも動かないように石をつかむユキネをどかすのも、また一手間掛かりそうだったので、しょうがなくその横に腰を下ろした。


 深く息をつくと、ほんの少しだけ自分も息が荒れていることが分かった。


 理由としては、先程まで一人で体を動かしていた事が殆どだが、無論それだけではない。



「ああ、そう言えば飯美味かったよ。ありがとうな」

「あ、ああ、うん、ありがとう」

「また作ってくれな」

「し、しょうがないな。ハルがそこまで言うなら作ってやる」

「はいはい」

「フェンにも、ちゃんと言うんだぞ」

「分かってるよ」



 明日の試合。


 ユキネの成長にも目を見張るものがあるが、やはり勝つのは難しいだろう。


 ここ数日の異様な成長は、今まで積み重ねた分が表に出てきただけだ。これ以上の成長は難しい。



 正直あのムイリオに勝てるとは思っていなかった。


 まあ、既に予想を外されているので、この予想にも全く意味はないのだが。



「は、ハル…」

「うん…?」

「こ、これ、ハルが買ってくれたって本当か…?」



 申し訳無さそうに差し出された手の中には、蒼い宝石がはまった指輪が光っていた。


 見覚えは、ある。


 と言うか、確かに自分が買ったものだ。



「何だ、持ってたのか。いつも付けてなかったから失くしたのかと思ってたよ」

「いや、嵌めてなかったのは、何か恥ずかしくて…」

「恥ずかしいって…。贈った人間の前で酷い事言うなあ、お前…」

「あ、ち、違うぞ? 付けるのが恥ずかしいって訳じゃなくて…。ほら、凄く綺麗だから釣り合ってないし…。もっと強くて綺麗な人が付けた方が…」



 表情に影を落として、ユキネは自分の手に視線を落とした。


 その顔にはほんの少し劣等感が滲んでいて、強くて綺麗な人と言うのが誰を指して言っているのかも何となく分かった。


 ハルユキもユキネの手に目を落とす。


 ここ数日の、いやそれだけではない恐らく何年も剣を振ってきたせいで手の平はこの年頃の女にしては硬く、今日の料理のせいで切り傷も残っている。



 美しいかと言われれば、普通はそう言わないだろう。


 しかし、自分が普通じゃないのは自他共に認めている。



 指輪を手に取り、そのままユキネの手を引き寄せた。



「は、ハル…?」



 うろたえるユキネを傍目に、先に取っておいた指輪をユキネの人差し指に嵌める。



「大丈夫だろ。指輪も綺麗だけどな、お前も負けてねぇよ」

「なっ…! ななな、え、あ…うぁ…」



 褒められ慣れていないのか、ユキネの顔が一瞬で真っ赤に染まる。


 下手をすれば頭から煙が出るんじゃないかと言うほどに、耳から首の根元まで真っ赤っかだ。



「ば、馬鹿者め…」



 石ごとずりずりと距離をとって、その顔のまま小さくそれだけ搾り出した。



「…私は、お前が思っているような人間じゃない」

「別に買い被っちゃいないさ。その指輪が似合っているのは本当だし、お前がそんなに器用じゃないのもよく知ってる」



 ユキネの視線がまたハルユキに戻ってくる。


 顔からはもう赤みは引いていた。



「別に特別強い奴だとも思ってないし、今またクヨクヨしているのも知ってる」



 ユキネは喜びも落胆したりもせずに、ただほんの少し悔しげに唇を噛んでいる。



「アキラに何か言われたのか?」

「…別にな、悩んでるとかそんな大層なものではないんだ」



 ユキネはあの日に選択した事を、後悔などしていない。


 もう一度同じ状況になったのなら、同じ選択肢を選ぶのは間違い無い。



「ただ、今日あの二人を見て、少し、な」

「…ああ、あの頑固親子か」



 改めてハルユキから見れば、確かに悩んでいる訳ではないのは分かった。


 少し嫌なものに引き摺られていて、陰が落ちているだけ。



「──ハルは、夢があるか?」



 唐突にユキネが顔を上げた。


 ユキネが石に座っているせいか視線の高さはほぼ同じ。


 ハルユキは、その言葉の裏側の感情さえ読み取れるほどによく見えていた。



「世界を見て回る、ってこれはもう言ったけどな…」

「そ、そうか。一度聞いていたな。すまない忘れてくれ」



 言葉とは裏腹に、ユキネの顔に納得した様子は微塵も感じられない。


 もう吐き出すものなど無かったが、何とか搾り出して、溜息混じりに言葉にする。



「まあ、もっと漠然に言うなら、そうだな…」



 珍しく言いよどむハルユキに、よく声を聞き取ろうとユキネが顔を寄せる。



「………幸せになる事」

「え…?」



 数秒、二人の間に気まずい沈黙が訪れた。



「…………ぷっ」

「…だから言いたくなかったんだよ。人間30越えたら大抵なあ…」

「あ、ああ、違うんだ。ただちょっと意外だったから…」

「……人間なら大抵そうだろ。野心を持つのも、美味い物を食べたいのも、誰かと結婚して子供作るのも」

「ああ。良い夢だと思うよ。私は」



 想像してみる。


 肖像画でしか見たことが無い母上や、霞がかってきた父上、それに城の人達が、皆して笑っている顔が驚くほど容易く浮かんできた。


 ユキネが知っている大人は、皆笑っている。それは幸せを、知っていたからなのだろうか。



「…今のまま、旅をしてて本当に良いのかな?」

「いいんだよ」

「……他人事だと思って…」

「じゃあ、ここで立ち止まるのか? それとも戻るのか?」

「そ、それは…」



 ここに一人で留まる。それは在り得ない。ここは良い町だが私の居場所はない。


 仮に戻ったとしても、そこにも居場所があるわけでもない。


 居場所があるのは、もう多分、皆の傍だけ。


 でも、それはユキネの居心地の問題でしかなく、ユキネの目的とは全く関係が無い。


 彼女が、隣に居たいだけなのだから。



「大丈夫だよ、お前なら大丈夫だ」

「……だから。お前は私の事を勘違いしてるんだ」



 むっとしてユキネがハルユキを軽く睨んだ。


 その視線もあざ笑うかのように、ハッとハルユキは鼻で笑う。



「ちゃんと知ってるさ。お前はクヨクヨする事もあるし、思い詰めもするし、時には弱かったりする」

「………それはさっき聞いた」



 ますます不機嫌に額に皺を寄せるユキネの頭を、宥める様に軽く撫でる。



「──でもそれ以上に、お前が頑張る事を止めない奴だってのもよく知ってる」



 例えばがむしゃらに剣を振っていたり。


 例えば故郷を追われても笑っていたり。


 例えば肋骨が折れても勝利を諦めなかったり。


 例えば慣れない料理で手を傷だらけにしたり。



「頑張れ。お前が頑張ってるのは知ってる。けどそれでも言う。もっと頑張れ。まだまだ頑張れ」

「凄い事言うな、ハルは…」

「もし、たまに疲れたら俺に言え。その時は俺が代わりに頑張ってやる」

「…うん。頼りにしてる」



 そう言って微笑むユキネに、ハルユキも柔らかく笑っていた。





 ◆ 




「…この儂が出て行けんとは」



 何とも壊しがたい雰囲気に、屋根の上から二人を見下ろしていたレイが溜息を付いた。



「なんちゅう桃色空間…。……帰ろ帰ろ」



 確りと風下逆光を意識しているので、流石に感知はできないだろうと、レイはそのまま立ち上がってさっさと去ろうと体の向きを変えた。



「ん…?」



 視界の端、二人がいる空き地の入り口にある壁の影で、何かが翻った。


 闇に溶けるような淡い青の髪。


 そうどこにでもありふれた髪色ではない。少なくともレイが知っている限りは持ち主は一人だけだ。



「ふむ……」



 別に慌てる風でもなく、むしろ何処か確信したかのような確りとした足取りで、その小さな影はそのまま消えていった。




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