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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
116/281

取引


 カチャン、と皿にフォークを投げ出した後、オヤジさんは背凭れに体重を預けた。


 言うまでも無く、その顔は不機嫌に歪んでいる。



「…成程な。一杯食わされた訳だ」

「食っちまったな。文字通り。ああ安心してくださいね? そっちのは俺は口出しただけで、作ったのは彼女らです」



 してやったりと口の端を上げる息子に、鋭い目線が向けられた。



「確かに料理は美味い。俺が作ったよりも数段な。しかし、ここをお前に継がせるかどうかとはまた別の問題だろう?」

「……分からず屋が」



 ふん、と鼻で息をつく。


 据えた目で息子を見る目には、先程までの穏やかな空気を感じさせない。



「分からず屋? 勘違いするな、俺はお前にここを継がせる為に今まで育ててきたんじゃない。寧ろ継がせない為に育ててきたんだ。それすら分かってないのはお前だろう」

「分かってるさ。だから俺は家を出たんだ」

「嘘を付くな。お前は夢があるからとそれだけ言って…」



 はあ、と溜息交じりに、肩を竦めてかぶりを振る。


 どこと無く、何かを必至で取り繕うような必死さが感じられた。



「そうだよ。で、今もまだ夢に向かってる最中だ」



 その言葉には一層の力が込められていた。多分他にも気持ちとか色々と。


 その証拠に、今まで据えただけだったオヤジさんの目に真剣な雰囲気が光った。



「自分で切り盛りできるようになって、美味い飯が食べられる宿屋を継ぐ事が俺の──」

「駄目だと言っているだろう。リオル」



 ズシン、と息子の言葉を鉈の様な重々しい言葉で断ち切った。


 理由も無い。


 義理も無い。


 ただ駄目だ、と。あまりな理不尽な言葉だったが、先程の息子の言葉と同等の力や重さがあった。


 いや、多分歳の分と親心の分だけ、親父が勝ったのだろう。


 息子が気後れするのが分かった。



(こりゃ決まったか…?)



 いきなりの修羅場に付いていけなかったが、どうやら収束しつつあるらしい。


 視線が落ちた息子に父親の方も目を逸らして、料理に目を戻した。


 それでも、食事はするらしい。


 まあつまり、もう話すことは無いという事だろう。



「ま、待って下さい…!」



 しかし最後の最後、意外な所から声が上がった。


 えらく丁寧な言葉遣いに、目をやれば見慣れたはずの金髪の少女が、必死に食い下がろうとしていた。



「…なんだい、お嬢さん。早くしないと飯が冷めちまうよ」

「少しだけ、いいですか?」



 そう言った後、ユキネの喉が唾を飲み込んでコクッと動いた。


 嫌な緊張感はまだ続いている。その中心に踏み込んだことでユキネにもその緊張感がより重く圧し掛かったのだろう。


 殺陣とかの緊張感には慣れたものだがハルユキ自身もこんな緊張感は苦手だ。



「息子さんが、いえ、息子さんに。この宿を継いで欲しくないんですか…?」



 この質問に、また場の空気が重くなる。それは既に終わった問答だ。



「……さっきからそう言っているだろう? 私はこんな宿で息子の将来を潰したくは無いんだ」

「そう、ですか…」



 ぐっと、唇を噛み締めて俯いた。考えて言った発言ではなく、思いのままの言葉だったのだろう。成す術も無く視線が下がる。



「──じゃあ」



 しかし、もう一度。


 下がっていく視線を無理矢理押し上げ、今度は力強くオヤジさんを見据えた。




「嬉しくは、なかったのですか…?」




 その言葉に、父親の目が見開かれるのと、息子が弾かれたように顔を上げたのが、丁度同時だった。


 自分の顔が息子に見られている事に、遅れながらも気付いた父親は、苦い表情で顔を背ける。



「…嬉しくなど、ない」



 しかし、既に息子の目に何かが宿っている。



「親父、聞いてくれ…!」

「………黙れ、俺が駄目だと…!」



 父親がついに感情をむき出しにしようとして大口を開いた。



「いい加減にしなさい」



 その前に、凛とした声が自然と父親の声を遮った。



「お、お前…、外に行ってたんじゃ…」

「お父さん」



 父親の言葉を横切って、母親が続ける。


 遮られた方の父親は、それを怒るどころか、逆に自然と背筋を伸ばした。



「あなた、リオルが出て行った晩に言ったでしょう? 二人で身を費やそうって。

 息子の夢があなたが思っていたよりも大きかった。それだけの事でしょう」

「し、しかしな…」

「くどい」



 父親の言葉を有無も言わさずに再び叩き落した。



「──『夢があるって子供が言うんだ。黙って見ててやるのが親の本望ってやつだ』そう言っていたのはお父さんですよ。

 リオルが出て行ってからは聞きもしないのにそればっかり言って。本当はどう思っていたか、伊達に長年連れ添ってはいませんよ?」

「お、お前…! こんな所で…!」

「嘘を付いてまで張る意地は、誰も望んでいません」



 ね、と最後に繋げて、それが止めだった。


 一度息子に視線を移して、麗かに微笑む夫人をもう一度見て、観念したように椅子に倒れこむように座り込んだ。



「…ふざけた仕事したらすぐに追い出すぞ」

「──ああ、それでいい」

「ここはもう建物も古いし、大通りに面しているせいで客足もほとんど無い。それでも、いいんだな」

「なんとかするさ」



 淀み無く返ってきた息子の言葉を深く噛み締めるように、目を瞑って天井を仰ぐと、そのまま本当に小さく口を開いた。



「…なら、やってみろ」

「──ああ」



 ようやく一件落着したのか、部屋の中の空気がだいぶ弛緩した。


 皆の表情も同じように緩む中。ただ一人緋色の瞳をした少女だけが、寂しげな表情を見せていた。







「全く状況に付いていけんのだが…」

「何かがうまくいったのは何となく分かるんやけどな…」

「て言うか、私は完全に部外者なんですが…」



 父親と息子が途切れ途切れに言葉を交わしている中とりあえず一件落着した事を察したのか、成年組3人がこそこそと情報を共有し始めた。



「すみませんねぇ…。見っとも無いケンカでお食事の邪魔をしてしまって」



 先程より20年ほど歳を取ったかのように、ゆったりとした声を出しながら女将さんが後ろにたたずんでいた。



「それはいいんだけどな。お陰で退屈もしなかったし」

「……って、料理全部なくなっとるぞ」

「あの雰囲気の中で手を止めなかったのか、お前は…」

「私の天使が作った手料理、が…ぁ! 貴ッ様ァ…!! よくもよくもよくもォ…ッ!!!」



 殺気をダダ漏れにして幽鬼のように立ち上がったガネットに、とりあえずもう一度ナイフを投げ付けて沈黙させる。



「戦争時にちんたらしてたお前らが悪い。て言うか金があるなら買いに行け。と言うかそこの馬鹿はさっさと帰れ」



 さっさと手を合わせてお礼の言葉を述べる。


 その腕を、ちょいちょいと何かが引っ張った。


 無言でこんな可愛げのある動作をする人間は、俺の知っている限りではそんなに多くは無い。



「防音を、壁…」



 言葉足らずに何かを訴えかけるフェンの頭を、分かっているという意思表示で軽く撫でる。



「でも、タダじゃあなぁ…」

「最低だなお前は。ああ最低だ」



 話を聞いていたのか、横からユキネが中傷してきた。フェンからも非難の視線が送られてくる。どうやら成長したと思ったが、やはりまだまだ子供らしい。



「バカ野郎。大人ってのはな、タダのものは中々受け取ってもらえないんだよ」

「…?」

「信頼関係が無いから利害関係で関係を作る、って言って分かるか?」

「…何となく」

「だからこっちも替わりに何かを要求しなきゃならない」

「…うん」



 よし、とフェンの頭を軽く叩いて手を離す。


 要求は何にするかは実はもう決まっている。



「なあ、息子さん」



 未だ父親と討論を続けている、息子の背中に声をかける。


 パッと呼んでない親父も一緒に、似た様な顔でこちらを向いた。


 それに少し笑いそうになりながら、取引を持ちかけた。



「味噌汁って知ってるか?」



 日本人なら、朝には和食が恋しくなるのはしょうがないだろう。



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