王族
「何ィ? 連れ去られたぁ?」
「うん」
「大丈夫ですよ。ああ見えてアキラはしっかりしていますから」
「……何でお前がここにいるんだよ」
「──そう、あれは確か30分前。何気無く辺りを見渡したそんな折。街中に宝石が輝いていましたとさ」
「……シア、窓開けてくれ」
無言でシアが開けた窓から、馬鹿を放り投げた。
「それで、その荷物は何だ?」
「……秘密」
「秘密ってお前…」
「ユキネが連れ去られた」
「それはもう聞いたよ」
何とも緊張感が無い。
まあ、何となく分かる。おそらくからかわれているのだろう。
「言っとくが、別に連れ戻しになんか行かないぞ」
「まあ同じ王族同士、積もる話でもあるのでしょう」
「お前いつの間に上がって…」
再び窓から投げ捨てようとしたが、ガネットの言葉のどこかに違和感を感じて手が止まった。
「──待て。王族? 何の事だ」
「おや、ムイリオ翁からあの少女が没落した王族の嫡子だと伺いましたが。まあ、あの爺が口を滑らせただけですが」
それは分かっている。
そしてそれは出来る限り表沙汰にしないように取り決めた事だ。
何しろ、ユキネの国では王族は全て死んで、変わりに国を民営しているはず。邪魔するのは良くないと全員一致で取り決めた事だ。
「貴方達は全員、復国の為の関係者、侍女、護衛、と。そのように考えているのですが」
「……さあな。あいつはそういうつもりは無いらしいぞ。俺達もその関係者じゃない。偶々一緒に旅してるだけだ」
「そうですか。…ふむ」
それだけ言うと考え込むように、顎に手を当てながら部屋の中を歩き回り始めた。
「ふむ、という事はつまり、ここが…」
ぴた、とある所で立ち止まると、意味有りげにそう呟いた。
「…どうした」
緊張というには緩い、しかし日常というにはあまりに居心地が悪い空気が周りに充満している。
スッと、ベッドの上から何かを取り上げた。
同時に、ニッと生理的な嫌悪を思わせる笑みが浮かび上がった。
「ん……?」
その手に摘まれているのは、30センチほどの青い髪。
その髪の持ち主は間違いなく、フェンの物だ。
「間違い無い…!」
もうこちらの事は目に入ってさえいない。
そしてその目は、どこまでも性犯罪者の目だった。
「わぁいっ」
「せぇいッ!!」
満面の笑みでベッドに頭からダイブした性犯罪者の顔面を蹴り付けた。
頭蓋が歪む感触が気持ち悪さを感じながら、ガネットがベッドに触れる事無く壁まで吹っ飛んだ事を確認する。
それにしても何て清々しく気持ち悪い奴だ。
「甘いわッ!! わいでさえまだ一回も成功してへんのやぞ!!」
「今回初めて喋る言葉がそれか、性犯罪者B」
「……シア」
フェンの言葉を聞く前に、シアがジェミニの腕を掴んで両腕で引き絞り始めた。
シアの力では雑巾ほどしか絞れないだろうが、全身が酷い筋肉痛のジェミニには効果覿面だったらしく、断末魔が鼓膜に響いた。
「──"氷戒"」
「あっはっは、ごめんなさい」
咄嗟に謝辞を示したガネットの体も既に、氷付けだ。
「違うんです。これは後学の為にですね。決して邪な感情など…」
キュン、と鋭い音と共に頭大の氷の塊が壁に激突して砕け散った。
「…頑丈な壁ですねぇ」
あくまでポーカーフェイスの仮面をへばり付かせてはいるものの、僅かに声が震えているのを隠しきれていない。
「暴れる奴が多いんでな。硬化加工、防音加工、通気加工どれも完璧だよ」
「それはそれは。………つまりは誰にも助けは届かないと」
ジェミニの断末魔の中、笑ってみせたガネットの笑顔に、何物も許容する仏じみた物すら感じた。
◆
「話が逸れたな」
「ええ。私は人間の道からも逸れそうになりましたよ。かけがえがない意味で」
「右に同じ」
「地面に這い蹲りながらそれだけ言えりゃ上等だよ」
女性陣はとりあえず溜飲は下りたのか、一番遠いベッドで二人並んで座っている。
「…まあ確かにたかが二三国を渡った先だ。誰か知り合いがいてもおかしくはないが、言い触らしちゃいないだろうな」
「ええ、ムイリオ翁にも貴方達以外には黙っているように言われていますので」
「…ユキネか、そう言えば王女だったんだよな、あいつ」
女性陣の方に目をやると、シアが困惑した顔でフェンから話を聞いている。 意外と聡い奴だ。納得に時間はかからないだろう。
「ユキネさんの国は大きい国だったのですか?」
ガネットが嫌に丁寧な口調で問いかけてきた。妙な性癖を除けば面倒見がよく、物腰丁寧な男だ。それ柄だけに非常に残念だと言わざるをえない。
「いや? 首都以外にこれといった町も見つけられなかったし、かなりの小国だろ多分」
「この辺りは小さな国が集まってますからね。国名を聞いても?」
「……あれ、そういや知らないな。確か王家の名前がメ、メ……」
「おや、流石に機密ということですか」
降参ですよ、と意味でも込めたのか笑いながら両手を上げた。ただ本当に忘れていただけだが、そう言い触らして良い事でもないだろし、それにこちらもまだ聞きたいことが残っているので、開きかけた記憶の蓋を元に戻す。
「ならこれが本題だが…」
「ええ、アキラも元王族です。まあ、ここからずっと離れた土地の、ですが」
「そうか…」
前にムイリオが言っていたのがこの事なのだろう。
没落した王家が辿る道などそう多くは無く、その中の一つは割と近しい人間として体験もしている。
「行かないのですか?」
「何しに?」
連れ戻す意味もないし、必要もない。
あの二人でしか話せないことも山ほどあるだろう。
「俺は反省できる男なんだよ」
まあ、それでもユキネに手を出すような事があれば殴り飛ばす事に違いは無いのだが。
◆ ◆ ◆
──俺と一緒に国を復興しよう。
人の少ない裏通りに面した喫茶店の、そのさらに端の席。
机を挟んだ向こう側で、アキラが半分身を乗り出しながら、そう言った。
いきなり持ち出されたものだから、全く意味は分からなかった。
しかし、一度聞いただけの言葉が、まだ耳に張り付いて離れない。
耳元で言われ続けているのではないかと言うほどに近く、小さくなることもない。
そして、アキラが私と同じ没落した王族である事と闘技大会に参加した経緯を説明される中でやっと形になった。
「──流石にびっくりした。昨日ムイリオがその事を言った時には、全く信じられなかった」
アキラは、いつもの適当な髪ではなく服装もラフな物ではなかった。
よく聞いてみれば、話し方もほんの少し雰囲気から変わっている気がする。
どことなく格式高いものを感じさせる雰囲気が、皮肉にもアキラが言っている事は真実だと肯定していた。
「言っちゃ何だけどさ、あの、あれだよ。…う、う運命的なものを感じた、り、…感じなかったり…」
「──アキラ」
興奮気味に話すアキラを呼び止めた。
多分、自分とアキラの待遇は似ているようで、まるで違うから。
「…私は、そんな事はしないよ、アキラ」
返答は、しっかり口に出来ていたと思う。
「え…?」
唖然としたアキラの声もよく耳に届いた。
「そんな、こと…! お前の知人も親も殺されたんだろ!」
「いや、私の両親はどちらも床で最期を迎えたよ。それでも犠牲になった人は大勢いたが」
「なら…!」
「違うんだ、アキラ」
え、とまたしても唖然とした顔。
「ムイリオさんから聞いてないか? もう、必要がなくなったんだ。誰も不当に苦しんでいる世界ではなくなった。また引っ掻き回しても誰も得はしない」
「そんな、事は…!」
俯くアキラにかける言葉が無い。
状況が違うのだ。恐らく、引っ掻き回さなければならない。例えそれが復讐から根付いたものだとしても。
「…いや、そうか。ならしょうがないかもな」
「怒らないのか?」
「…俺が復讐でこんな事言ってると思ってたか?」
違うとはいえない。
はっきり表面化してはいなかったが、内心そう思っていたのかも知れない。
「復讐が少しもも無いとは言わない。でも、そうだな、夢だよ。どちらかと言うと」
「夢…」
「そうさ。復讐なんていったら、親父に拳骨貰っちまう」
そう言って、アキラが見上げた窓の先。父親をその遠い所に見ているのが分かってしまう。
もう手が届く場所には居ないのだと。
「ごめんな。話はそんだけだ。ユキネの保護者に見つかったらまた面倒になるから、もう行く」
「…気にするな、私はこれを飲んだら帰るよ」
アキラが出て行って、五分ほど経って自分も店を出た。
ここから宿まではそう遠くは無い。寄り道する心算も沸かずに真直ぐに宿の方に足を向けた。
この街に入ってきた方向へ視線を向ける。
自分の国どころか、地平線も、街の終わりさえも見えない。
国を放り出して、ずいぶん遠くに来たものだ。
言われれば確かにある。
父と母が守って、先祖が作ってきた国を無くす訳にはいかないという気持ちが。
国を盗られる十二歳までは、その為だけに剣の腕を磨き、街の様子を気に掛け、政治の為の勉強をしてきた。
国を守る事の意味も、辛い事も、遣り甲斐も、父上がしっかりと優しく教えてくれた。
その事が嘘だった事はなかったし、今に至ってもその中に間違いがあるとは思っていない。
国とは人だ。人とは国だ。王とは従える者でも束ねる者でもなく、ただ支える物だ。
国とは王ありきではなく。
王とは国ありきではない。
国があって、人がいて、その間に王が立ってただ支える物になる。
アキラの国は違う。
大臣達が揃って寝首をかかれ、王族は処刑され、残った摂政とその一味共が国と人を手玉にとって蜜を啜っているらしい。
正義感を振りかざす訳ではないが、それは正さなければならない。
国と人が苦しんでいる。だからこそ王がいる。そう言い換えても良い。
考えながら歩いているうちに既に扉の前。
「──おう、お帰りユキネ」
もう、救われてしまったのだ。
国も、人も、ついでに。
自意識過剰かも知れないが、私を助けるためだけに。
国が、若しくは人が救われなかったら、私が笑えないと思ってくれたから。
自分の我が侭で、国と人と、そして私とフェンを救ってくれた。
あのまま必要でもないのに王として居座るのも、旅に出て世界を回るのも、どちらもただの我が侭。
どちらか選ばなければならないのなら、今でも私は同じ選択肢を選ぶ。
皆が笑えている事の方が、歴史などより大切だ。
半年前に出した結論を、もう一度頭の中でなぞると、不思議と気持ちが軽くなった。
もし、自分の故郷が窮地に陥ったら、もし自分の同郷の人間が辛くなったら。
その時はこの身を捧げて建て直す。
それだけは心に誓って。
こういう自己満足も、悪くは無い。
「ただいま、ハル」
不意に。
ちくりと針の様な痛みが胸を刺した。
初めてのような、慣れているような矛盾した感覚だった。
原因は何となく、心で分かって重く圧し掛かっている。
私は幸せを世界に返すと誓ったはずなのに、そのために強くなると心に決めたのに、その為に旅をしているはずなのに。
私は多分、もっと自分勝手な理由でここにいるから。
それが何かなんて今は知りたくない。
◆ ◆ ◆
「うん、まぁまぁだね」
「そ、そうか。よかった…」
都合三回目になるスープとソテーがようやく及第点を貰えた事に、ホッと胸を撫で下ろした。
「ちょっと味が濃いが、好みの範囲だろうて」
「…ユキネ、手」
「ああ、ありがとう」
細心の注意を払ったつもりだったが、結局人差し指をはじめとした手の端々に傷をこさえてしまっていた。
それはフェンも同じで、傷だらけの手を私の方にさし伸ばしている。一緒に治療してくれるつもりなのだろう。
明らかにフェンより傷が多いのが少し悔しかったが、大人しく手を差し出した。
「お、待て待て。それは残しておいた方が良い」
「え…?」
「男心ってやつだよ。私も婆さんのそれにやられたもんだ」
「…?」
「まあ、分からんでも良いさ。いやむしろ分からんほうが良い」
よく分からないが、このままでも別に支障は無いのでそのままにしておく事にした。
少しだけ手を庇いながらエプロンを脱ぐと、それを椅子にかけて、その隣に腰を下ろした。
いつもの走り回った時とは違う疲れが体を襲う。これがいわゆる家事疲れなのだろうか。
「さて、残り食べて晩飯の仕込みしたら一旦休憩だ」
「はい。ありがとうございました」
「そんなに畏まった話し方はよしておくれや。息子に教えてるみたいでこっちも楽しかったんだ」
ソテーを三等分に切り分けながら、おじさんが照れたように笑った。
どこか懐かしげに厨房を眺める姿はどこか遠い。
「息子さんはどこに?」
「ん? ああ、普通に働いてるさ。この街の料理店でな」
「この店は継がない?」
「そりゃあなぁ」
「じゃあ、この宿は…」
答えの代わりに、おじさんは肩を竦めてみせた。
「夢があるって子供が言うんだ。黙って見ててやるのが親の本望ってやつだろ」
「…それじゃあ、おじさんが」
「いやいや、俺もこんな店なんて継がしたくはないんだ。今時こんな店を続けた所できついだけだ。
何しろ立地が悪いんでな。大通りに面してちゃうるさくて寝れんだろう。 祭りの時期以外は、客なんて二人分の食い扶持を稼ぐ位しか来ないんだ」
「でも……」
「おいおい、何でお前さんが俺より真剣に悩んでんだよ」
「あ、いや…」
踏み込みすぎていることに気付いて、咄嗟に体ごと一歩下がる。
その行為の裏に、先程の出来事が関係しているのが自分でも分かった。
手の傷の多さも、それが原因の一つになっているのかもしれない。
「ごめんなさい。私が言う事じゃなかった…」
「…優しい子だねぇ、うちの嫁に欲しいくらいだ」
その言葉にまた、言いようのないもどかしさを覚えた。
優しさなんて欠片もないのだ。
ただ、ぶら下げられた免罪符に手が伸びてしまっただけ。
いくら理屈を捏ねても、気持ちを納得させても、罪悪感は消えてなりはしない。
「…ユキネ?」
「あ、いや、なんでもない」
見えないように、傷だらけの両手を強く握って胸に押し付けた。
包帯を少し巻いただけの傷が痛んだが、すぐへこたれそうになる気持ちに喝を入れる事は出来た。
「…じゃあ、洗い物はしておきます」
「ちゃんと食べるんだぞ。残しちゃあ食材が可哀相だ」
無論そのつもりだ。
夢中で作っているうちにもう時間は正午を回っている。食べるなといわれても手が伸びるかもしれない。
表情を見て安心したのか、喉の奥で笑いながらおじさんは食堂から出て行った。
「じゃあ、食べるか」、とフェンに持ちかけようとしたところで、ひょいっと本当に横から手が伸びてきて、鶏肉を一切れかっさらっていった。
「食べないなら貰って良いか?」
「…食べながら言うな、レイ」
もしゃもしゃとこれ見よがしに、鶏肉を咀嚼するレイは留まる事を知らずに二切れ目に手を伸ばす。
さすがに咎めたい所だったが、それよりも感想の方が気になってレイの表情を伺う事を優先した。
「お主らが作ったにしては中々じゃの」
「お、美味しいか…?」
「ふむ、儂としては口に入れた瞬間爆発するほどの失敗作か、見た目炭屑の癖に味だけは美味しいだとか、そういうのを期待しておったんじゃが…」
若干つまらなそうな表情が気になるが、それでもフォークを持ったレイの手は止まっていない。
自信過剰ではなく、ちゃんと料理になっていると考えても良いだろう。
「…何で、私達が作った事を知ってるの」
「あ、そういえば…」
今は丁度昼飯時だし、食堂に入って来た時にはおじさんとすれ違ったはずだ。
それなら普通は昼飯を都合してもらったと考えるのが妥当だろう。
「そんなもの、そこのエプロンと、指輪を外した傷だらけの手。それを足掛かりに考えればすぐに分かる」
「…よく見てるな」
ソテーを半分ほど食べ終えたところで、レイの手が止まった。
「で? 何でいきなり料理なんぞ始めたんじゃ? 特にユキネはまだ試合があるじゃろう」
「…頼んだのに今日は休めって言ったのはレイじゃないか」
「んあ? そうだったか?」
「歳か?」
「よし、じゃあ明日はきっちり死ぼってやろう」
「字が違う!」
「馬鹿者。それぐらいやらんと、"アレ"には勝てんぞ。まあ一日二日でどうにかなるとも思えんが」
最後に一切れ口に放り込んだところで、ご馳走様、と意外と礼儀正しく手を合わせた。
「…まあ、料理の理由なんてたかが知れてるがの」
「え? 何か言ったか?」
「そうじゃ。あの指輪、失くしたりなぞするなよ。かなり高価な物じゃったからな」
「そ、そうなのか?」
それだけ言ってさっさとレイは食堂から出て行った。
反射的にポケットに手を入れて、中を探ってみる。
感触は二つ。取り出して、ギルドの認証指輪と青い宝石が嵌った白金の指輪が手の中にある事を確認して安堵の息をついた。
宝石の輝きは相変わらず厳かで慎ましく、指に嵌めようとしただけで気後れしてしまいそうだ。
…防具として使用する時以外本当に嵌めていないのは情けないから秘密だが。
「それは…?」
「ん? ああ、予選前にレイが用意してくれたんだ。凄いぞ、鎧になるんだ」
頭の端で意思を伝えるだけで現れた鎧が、シャンっと風鈴のような涼しい音を立てた。
「…驚いた」
「……ホントか?」
無表情のまま数秒固まっただけで、とても驚いているようには見えない。
「ほんと」
数ミリ単位で頷いただけだが、数ミリというのはフェンにしてはかなりのものだ。
「食べないと、冷める」
「じゃ、今度こそ食べるか」
だいぶ食い荒らされた料理の前に腰を下ろした。
自分で作り出したとは思えない豊潤な香りが鼻をくすぐった。




