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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
110/281

天才と化物と

 ざわざわと客席がざわめいている。


 試合が始まる前のざわめきとしておかしな所は無いが、無意識的に不安を感じているのか誰も彼もが忙しなく膝を揺らしたり、闘技場から目を逸らして視線を一箇所に留めないように努めている。


 ユキネとフェンも一番前の席に陣取り、その不安を身に感じていた。



「ユキネ…」

「…真剣なだけだ。大丈夫」



 まだ闘技は始まってもいない。それに会話こそ無いものの、ジェミニもハルユキもただ突っ立っているだけだ。


 それでもこの薄い結界の向こう。


 その中の空気がざわめいている。そのさまはまるで入り込んでいた異物に怯えるかのよう。



 二人が遠くにいるように見えて仕方が無いのは、そんなものを挟んでいるせいなのだろうか。


 シアとユキネの間に座っているレイは、足を組んでその上に肘を立てて顎を乗せている。


 どこかつまらなそうな格好を作ってはいるが、その目はただただ真直ぐに闘技場上を見つめている。



「ジェミニ、は、…」



 出した声が震えていることに気付いたのか、ユキネの声がそのまま尻すぼんで消えた。


 小声で耳元に囁いたのは、シアに聞こえないようにという心遣いからのものだった。


 しかし、レイはそんなユキネを目だけで一瞥すると、そのまま抑揚すらもつけずに淡々と口を開いた。



「殺す、……だとか言っておったのう」



 レイの向こうで小さい肩が揺れるのがユキネの目に映った。


 非難がましい視線をレイに向けるが、レイは気にも留めずに、それどころかもう一度口を開く。



「小僧を殺す気らしい」



 ゆっくりともう一度、わざわざ分かりやすいように言い直した。



 実際、ジェミニが戦うところもハルユキが戦うところも二人は見たことがある。


 そこから答えを導き出せば、ハルユキに勝てるわけは無い。


 しかし、もう一度闘技場を見て断言できるかといえば、否だ。



 ハルユキは割といつもと変わりは無い。しかし、ジェミニは違いすぎるほどに違っていた。


 いつものどこか抜けたような陽気な男ではない。


 冷たくて深い。


 そんな印象しか沸いてこない。


 その癖に顔だけはいつものように、壊れたように笑顔を保っている。



 殺伐とした空気とあまりにも馴れ馴れしく触れ合っていて、もしかすると今まで見てきた姿の方が違うのかもしれない。


 そう、思ってしまうほどに。



「でも、さっきまで普通に…!」

「腹の中で何を考えているかなど自分以外には分からんさ。

 ひょっとすれば、小僧が逃げられないこの状況を虎視眈々と探っていたのかも知れんだろう?」

「ッそんな事は、…!」



 有り得ないと言おうとして、しかしまたしても言葉の先は尻すぼんで消えていく。


 それでも何か言おうとしたのか数回空中で口を開け閉めしてから、ぐっと唇を噛んでユキネは荒々しく視線を闘技場の中心に戻した。



 ジェミニを擁護する言葉は、あまりの嘘臭さに喉を通って戻っていった。


 そんな奴じゃないなどと。そんな事を言えるはずがない。自分が今まで目にしていた陽気な人間以外に、何も知らないのだから。



「ないさ。そんな事は無い。だからこそ餓鬼は手に負えんのだ」



 それは、誰に対しての言葉だったのか。


 レイの視線は固定されたように、闘技場から動かないので定かではない。


 しかし、その声を届かせようとした訳ではない事は分かった。だから返す言葉なんて誰も持っていない。



 スッと驚くほどあっさりレイの視線がフェンとユキネの方に流れた。



「フェン、ユキネ。この試合どちらが勝つと思う?」



 一瞬だけ順番に二人と目を合わせたあと、レイは前に向きなおった。



「それは…」



 それは最初の結論に帰結する。そもそもあの二人は今の自分よりは高い位置にいる人間で、その事実も自覚している。


 ならば答えは出ない。当てずっぽうになるだけだ。



「さしずめ、化け物と優秀なだけの人間との戦いじゃ。そう考えれば結果はそう予想できんものではない」



 それでも、断言しないレイに不安を覚えた。視線は闘技場に投げ出したまま、淡々とレイは一人言葉をつなげていく。



「お前らは良い才能を持っている。種類も成り立ちも違うが大事に育てればそれは高次元で完成するじゃろう」

「……?」

「だからよく見ておけ。天賦の才を持つ者が必死になれば、どうなるのか。

 身を削り時間を積めば、何処まで行けるのか」



 意味を問おうとする前に、波のように広がる歓声を先導して、開戦の音が鼓膜を襲撃した。


 半自動的に、視線も意識も一箇所に縫い付けられる。




◆ ◆ ◆




「──本気でやってくれよ、頼むから」

「…本気? そんなもんお前が俺に出させるもんだろうが。人任せにすんじゃねぇよ」

「……」

「だからこその"殺す気"なんだろ?」



 かちりかちりかちりと。


 ジェミニを、いやジェミニが刻一刻と何かを変えていく。いやずれていくと言った方が正しいのだろうか。


 今度はより具体的に。一秒前までのジェミにより、現在目の前にいる男の方が明らかに危険度が上。


 いまだ、銅鑼は鳴らない。故にジェミニを止める事はできない。


 それでもようやく、御者が銅鑼の前で撥をゆっくりと振り上げた。


 最後に、小さく速くジェミニの口が回る。


 声はもう音としてしか聞き取れない。ただ、唇の動きを追う事でそれが言葉だと理解する事ができた。


 『行くぞ』、と。


 事ここに至り、ようやく何が違うのか気付いた。殺気がどうの、空気がどうのと言ったものではなく、もっと決定的なもの。



 明らかに、時間の軸がずれている。



 目の前に居るジェミニがまるで遠くに感じるのも、それが最たる理由だろう。


 観客が期待に拳を作っているのが見えた。残念ながら、ハルユキが期待していた展開になりそうには無かったが。


 撥と銅鑼が触れ合うその直前。



 堪え切れなかったのか、誰よりもその粗暴な開戦の合図を待ち望んでいた男が、──跳ねた。


 視界から目標物を失ったのは一億と何年ぶりだろうか。



 銅鑼が鳴ってからという油断があったとしても、驚かされた。


 その姿を探して、視線を散らす。



 先程までジェミニが立っていた場所から床石が粉々になって砂利道が続いている。


 耳には喧しい破砕音が鳴り続け、未だ両眼は敵影を捕らえてはいない。



 ハルユキが動いたのは。



 頬に、切り裂かれた空気の欠片が触れた、その時。



 空気ごと首を刈り取ろうと、鎌のような鋭い右足が頭上を通過した。


 屈んだ勢いのまま体を捻り、相手の姿を確認。そのまま浴びせ蹴りを叩き込む。



 しかし、踵から振り下ろした右足は空を切って、呆けたように地面へ着地しただけ。



「速ぇ…」



 思わず零れた声は本音で間違いは無い。


 右足が地に着いた時には相手は闘技場の壁に張り付くように着地していた。災難にも着地された壁は、大きく罅割れて破片を散らす。



 そして、壁の破片が地に着く前にまたしても敵影は消える。


 しかし床が砕ける音を辿って今度はその姿を視界に入れる。



 またしかし、それも直ぐ目の前。



 反射的に拳を握る。


 それに対して、相手はさらに時間をずらし、想定していたよりもほんの一瞬速く懐に飛び込んできた。



 結果、腰の横に引き絞っていた拳を発射前に押さえつけられた。



 間を置かずに右腕に異変。


 青く血管が浮かび上がり、不自然に脈動し始めた。



「がッ…!?」



 ボコボコと拳から腕へと以上が上ってきて、それより少し早く激痛が神経を通って脳髄に伝わった。


 激痛が頭の中で危機感と焦りに変換されていく。



「ちッ…!!」



 舌打ちと共に止められていた腕に力を込める。激痛と共に少なくない血が飛び散った。



 しかし、構わない。



 更に筋肉を凝縮し、踏み足を思い切り床石に叩きつける。


 床石を踏み抜き破片が宙に浮く。ほぼ同時に、腕の近くで驚きに息を呑んだ気配が伝わってきた。


 絡め取られていた感触が消えた。恐らく察知して手を離したのだろう。



 しかし、構わない。



 歯を強く擦り合わせ、体を引き絞る。



 拳が振られるのは、ほんの一瞬。


 音は無い。壁となるはずの空気も断ち切られ道を譲る。


 そして、一瞬後にその代償とでもばかりに、轟音と空気の渦が拳の先に巻き起こった。



「────ッ!?」



 再び伝わる驚愕の気配は、その持ち主と共に吹き飛ばされる。


 しかし、敵も然る者。体が宙に浮いたほんの一瞬。



 ──ただ、時間を引き延ばしているジェミニにとって、体を自由に出来ないこの一瞬は果てしなく長く感じたことだろう。



 しかし、こちらも拳を振り切ったせいで体が硬直している。


 それでも、ジェミニの体が地面に突く一瞬前にこちらの体に自由が戻る。



 拳は駄目だ、まだ強く握れない。


 蹴りは駄目だ、その前に着地してしまうだろう。



 結果、残ったのは自分の胴体からだ。工夫も何も無く、自分の体をただ思い切り叩きつけた。



 またしても音は置き去りに、風を巻き込み地面をバウンドしながら滑るようにジェミニは吹き飛んでいく。


 しかし、壁に叩きつけられる事は無く、まるで巨大な生き物が地面に爪を立てるように床石を捲りながら手足で勢いを殺していき、壁の間際で完全に停止した。



 当然土煙の向こうで何かが動く気配があり、ガラガラと床石の破片を退ける音がする。



「ただの当身だ。大して効かないか?」



 あの当身。渾身の力を込めたつもりだったが、まるで等身大の紙に体当たりしたかのような感触だった。


 どうやって衝撃を逃がしたか知らないが、手応えからすると、派手に吹き飛ばされた割にダメージは少ないはずだ。


 勢いよく右手を振り払う。腕にこびり付いていた血が地面に振り落ち、生々しい音を立てる。


 肘までの血管が捲り上がり、所々が爆ぜるように千切れている。恐らく血を逆流させたのだろう。独活を掴まれたままだったならば、いずれ心臓に達していたはずだ。



 しかし、腕から零れ落ちる血は既に無く、すでに拳を握れるほどには回復している。



「なあお前、俺を殺す気なんだろ?」



 土煙の向こうに最大限早口に問いを投げかけてみる。時間がずれているのなら恐らく届かないだろうが、それでも言葉を続けた。



「俺を殺したいならこれじゃあ温い。

 ──首を刎ねろ。心臓を握り潰して、脳髄を引き摺り出せ。それでも死ぬかどうかは保障できないけどな」



 安い挑発。こんなものじゃ誰かの敵意を燃やす事なんて出来はしない。


 しかし、既に燃えているものを煽る事位はできる。



「じゃあ本気でやろうか。実は俺も、お前の本音が知りたくて仕方が無かった」

「────」



 何を言ったかは分からない。口元もよくは見えないから唇の動きも分からない。


 しかし、殺意が衰えていないのは僥倖だ。



 さて、どこまで着いて来てくれるのか。



「全力には全力で、だ」



 煙の切れ間から歪んだ口元が覗いている。



 ドッと地面を踏み抜く音と共に、砂塵の中から人影が飛び出した。


 ほぼ同時にこちらも思い切り地を蹴る。




 並居る観客の目から、二人の姿が消えた。




◆ ◆ ◆




『な、何なんだよ、こいつらッ…!?』



 引き攣ったかのような声が魔力で拡声させられて、闘技場に広がった。


 それを間違いなく聞いているはずの観客達も、声を失い、口を呆けたように開け放ち、ほとんどが立ち上がったままで固まっていた。



「お主ら、まだ見えとるか?」



 所々で空気が振るえ、轟音が連続している。


 恐らくそれは、二人の攻撃が交差しているだけの音。



 しかしそれによって作られた光景は、もはや人間が作り出しているものとは思えなかった。


 地面の床石は捲れて端に強制的に寄せられ、もう荒野だといっても過言ではない。



 頑丈で分厚く高い石壁も、二人が勢いも構わず着地するものだから所々がクレーターの様に抉れて凹んでいる。


 結界内には緊張が満ちて、二人がぶつかる度に決壊しそうな嫌な音を立て続けていた。



「怏々、結界を垂直に走り回りよって馬鹿共が」

「大丈夫なのか、これ…?」



 もう二人の影も追えはしない。それは即ち両者共に加速を繰り返しているという事。


 まるで、どちらが背が高いか背伸びしあう子供のように。



 とはいえ巨人同士の背比べだ。結界が崩壊してしまえば、観客達は一たまりも無い。


 ──しかしそれでも、観客達はきつく縛られたかのように誰一人動かなかった。



 それは恐怖に縛られているのか。


 それは何かに魅入っているのか。


 それは何かに魅入られているのか。


 果てさて、この場を立ち去るものは一人もいない。



「なに、短期決戦のつもりだろう。直に終わる」



 レイのその言葉を肯定するかのように、二人のうちの一人が、"確認できる"世界にまで戻ってきた。


 狂ったように笑いながら。口の端から血を滴らせながら。癖のかかった茶髪を、夥しい量の汗で頬に張り付かせながら。



 そして──。




 怪物も顔を出す。





 同じように笑いながら、ジェミニの交差された腕の上から腕力に任せて拳が振り下ろされた。


 人と人が接触しただけとは思えない音が響く。



 聞くに堪えない、嫌悪感に満ちた、吐き気を催すような音。



「ジェミニ!」



 勢いを殺しきれず、踏ん張れる地面も無く、なされるがままにジェミニは荒地と化した地面に叩きつけられた。



「……終わりじゃな」



 またしても、常識外の音が響く。




◆ ◆ ◆




 最初の最初は、本当にただお前に興味があっただけだった。



 百の戦力を一人でねじ伏せる力に。


 城を拳一つで吹き飛ばす脅威に。


 それは多分怖い物見たさと言い換えてもよかったと思う。



 久しい感情に飛びついただけかも知れない。


 いつの間にやら紛れ込んでいた国で出会ったことに、何かを感じたの知れない。


 もしかしたら、他にも何か知らないものを感じられると思ったのかも知れない。



 今まであまり自分を普通の人間だと思った事はなかったからだろうか。もちろん生物学的には人間だが、生まれも育ちも普通ではないのだ。


 今でもふとした拍子に、薬と黴の臭いを纏った白衣の男達や、妙なパイプやでかいビーカーが乱立している部屋が目に浮かぶ。



 それとそれに紛れるように。


 生真面目で無愛想な顔で作られたかのような金髪の髪の少年や、心配性な同い年で麗らかな表情が得意の蒼い髪の少女もまた脳裏に蘇える。


 そして。研究者の一人で変に訛った言葉を使う、自分達三人に名前をくれた陽気な男の姿も。



 脳裏に何かが爪を立て追想を邪魔するが、思い返せばあの時の暮らしだけは嫌いではなかったのだろう。


 戻ってくる訳でもなく、時間が戻ったとしても結果を変える事も出来ないが。



 それでも。


 実験に乗じて、無愛想な同類と腕比べをするのも。


 大抵がボロ負けして、肩を預けながら部屋に帰った事も。


 その後に、無理しすぎた事に同年齢の女の子に後頭部を叩かれるのも。


 その癖、心配そうな目でこちらを見上げてくるのも。



 あの小さな部屋で、夜遅くにこっそりと食べ物を持って忍び込んでくる男を待っているのも。


 ほんの少しだけ、外の話や自分の名前の由来を聞く時間も。



 例えようも無いほど、喜びを共有できていたと思う。


 それは多分、かなり美化した上に、良い部分だけを残した好都合な記憶。


 実際にそんな時間はほんの一握りだった。



 他の汚い記憶で汚れないようにしまい込んだ記憶。


 大事に大事に。深くに深く。



 でも、この頃は毎日があまりに騒々しくて賑やかで、楽しすぎるから。


 笑い方を思い出しくて、喜び方を思い出したくて。自分の名前の由来を自慢げに話したくて。



 深くに埋めた記憶を掘り返せば、確かにあるのに。


 しかし、掘り返せども掘り返せども、思い出など押し退けて出て来るのは嫌悪感と脳裏を引っ掻く音。



 笑い方など。喜び方など。時間の楽しみ方など。薄らいで消えてしまったのか。



 確かに、あったはずなのに。



 それでも諦めたくない。この頃は毎日があまりに騒々しくて賑やかで、楽しすぎるから。



 だから、ハルユキ。


 殺し合おう。



 全力で戦う事も、動けなくなるまで競い合うのも自分には懐かしいものだから。


 意味なんて分からなくて良い。俺の事を思いやることもしなくて良い。


 我侭かも知れないが、自分をぶつけさせてくれ。



 でも汚いものが体にこびり付いてしまっているから


 全力で戦うには殺意を持ってしまう自分を許してくれ。



 まっさらにしてくれ。


 圧倒的な力で。


 化け物のような力で。


 あの時一番楽しかった時間を俺に思い出させてくれ。



 そうすれば。



 あっさりと見つかりそうな気がするんだ。




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