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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
109/281

お菓子

「あいつはもう…! どこに行ったんだか!」



 どかどかと地面を踏みつけながら、小さい影が町中を巡っていた。


 どうやら目的の誰かを探しているようで、辺りの店を覗き込んでは溜息を付くのを繰り返している。


 これと言って特徴のない子供だが、唯一この暑い中にきっちりと目の辺りまでフードを被っているのが印象深い。



 そして服の間から時折姿をチラつかせる黒光りする何かも、見る人間が見れば目を見張るものだろう。


 しかし、それが何か分かる人間は、この馬鹿でかい町でもいる筈がない。



 結局、そのまま少女は町の中心部まで足を運んだが、目的の姿を見つける事はできなかった。


 溜息交じりに額の汗を拭い取る。




わぁあぁぁあああ──…



 肩をビクつかせるほどの歓声が先程から続いている。


 目の前の闘技場では今まさに闘技大会が行われているらしいので、この喧騒も人口密度も頷ける。


 頷けは、するのだが。



「…こいつら全員撃ち殺してやろうかしら」



 物騒な発言が周りの人間にも届くが、その外見を確認すると苦笑して通り過ぎていく。無論少女も本気ではないので、気には留めない。そもそも人を殺した事などないのだ。



 何にしても人の数が多過ぎる。


 少女は、手近の椅子に座り込んで周りをもう一度見渡した。



「暑苦しい…」



 これでは、探している人間がすぐ傍に居たとしても見逃してしまう事もあるだろう。



 がっくりと少女は肩を落とすと、周りを見渡して、何かを見つけて視線を止めた。



 その先にあるのは小さな屋台。



 クン、と僅かに鼻を鳴らすだけで、お菓子を焼く時特有の香ばしくて甘い匂いが鼻の奥を痺れさせた。



 途端に少女は目を輝かせる。



 脇目も振らずに目にも留まらぬ速さで移動して、屋台に激突しそうになりながら口を開いた。



「ごめんおじちゃん! このパウンドケーキとアップルパイちょうだい! 3個ずつね! あと冷たい紅茶も! 砂糖は三杯!!」

「あいよー…、この暑い中元気だねぇ」

「何言ってんの! お菓子があるからに決まってるでしょ!」

「そりゃあ、光栄だ」



 この店の売りは作り立てだと、そこの看板に書いてある。


 期待して焼き上がりを待っていると、一体どうやったのか、一分も経たない内に注文された品が完成していた。



「速っ。どうやったの?」

「そりゃ企業秘密だ」



 それはそうだ、と一人納得しながらお菓子の入った紙袋と、紅茶の入った紙コップを受け取る。


 左手のほの温かさと左手の冷たさの不協が、期待を膨らませる。


 これは一刻も早く味わわなければ。



「これで美味しかったら完璧だけどね」

「美味かったら友達にでも紹介してくれよ。じゃあ、銅貨10枚だ」



 一旦、お菓子達を屋台に置いてから財布が入っているはずの懐に手を伸ばして……。


 サー…ッと顔から血の気が引いていった。


 念のために懐を探るが、当たり前のように手には何も引っかからない。



 そうだ。


 そもそも、あの馬鹿男に資金を奪われたから探していたのだ。


 お金があればわざわざこんな人が多い所まで来てはいない。と言うかなぜあいつは今日に限って出かけているんだ。いつも日中は寝てるくせに。



 現実逃避する少女の汗ばんだ頬に、温度の違う汗が走りぬけた。


 盗み見るようにこっそり視線を上げれば、柔和そうな初老の男が笑顔でお代を待っていてくれている。



 ど、どうする…?!



 優しそうなおじさんだ。お金が無いと言えば、怒りはしない、と思う。


 もしかしたら、つけてくれるかもしれない。


 でも、それではお菓子の美味しさは半減してしまうではないか…!


 お金を持ってもう一度来るとしても、出来立ての美味しさは失われてしまう。



「ああっ、ジレンマ…!」



 良く意味も分からない言葉を使って状況の変化を誘うが、そんなに現実は甘くなく、だんだんおじさんの顔に怪訝さが増していくだけ。



「……紅茶とスコーンを二つ」



 そんな時、すっと人影が隣に滑り込んできてぼそぼそと注文を口にする声が聞こえた。


 はいよ、と一旦おじさんが屋台の奥に消える。



 それを確認して一息ついてから、暫しの猶予をくれた救世主に視線を移した。


 そこに居たのは、小さくてどこか希薄な雰囲気を漂わせた女の子。


 怪我をしているのか左手を白布で吊っていて、小さい体に少し痛々しい。


 でも一瞬後にはそれを忘れる程に可愛らしい顔を持っていて、綺麗で細い、青みがかった髪が風に揺れていた。



 いけない。と、我に帰ってどこかに小銭でも入っていないかと体中の探索を再開する。あまり望みはなかったが。


 何しろここは一分で品物が出来上がってしまうのだ。



 早くもおじさんがお茶とスコーンを仕上げて、女の子の前にゆっくりと置いた。



 ますます焦りを大きくしながら、体をまさぐりまくるが最早埃一つも出てこない。


 そして、諦めかけようとした時、隣から自分と似たような焦燥の気配を感じた。



 まさか、間抜けにも財布を忘れでもしたんだろうか、と軽く自虐しながら視線をやると、当然だが体をまさぐってはいなかった。


 どうも、左手を怪我しているせいか上手く台の上に腕を持っていけないのか、少し手こずっているらしい。



 もうお金は9割諦めていたので、そのお茶を取って、お茶を持つ分ぐらいは大丈夫そうな左手に握らせてやった。


 きょとん、とした顔の後に少女はおずおずと頭を下げて、ありがとう、とこれまた可愛らしい声で呟いた。



 何となく良い人認定。そして多分自分の同士ハラショーだ。…スタイル的な意味で。


 ピコン、と我ながら見っとも無い思い付きが頭に浮かんだ。



 しかし背に腹は変えられないので、苦笑しながら口を…。



「お金、無い…?」



 開こうとしたところであちらが察してくれた。


 やっぱり良い人だ。



 申し訳ないが、その良心にあやからせて貰おう。


 ついでにそのスコーンも一口貰えれば、もっと幸せだ。



◆ ◆ ◆




「いやあ、ホントに助かったわ。こんな美味しい物を食べれないところだった…!」



 サクサクとアップルパイと交換したスコーンを口に運びながら、感謝の言葉を口にした。


 本当に美味しい。もう一度今座っているベンチから先程の屋台に視線を移せば、短くない列が出来ている。


 考えてみればこんな人通りの多いところに店を出しているのだ。美味しくない訳がない。


 それを聞いて青い髪の女の子はじっと考えた後、こくんと小さく頷いて、椅子の脇に置いてあったパイに手を伸ばした。



「ごめんね、後でお金は絶対返すから。その宿まで行けば居るんでしょ?」

「大体、は」



 そこから会話は少なくなり、サクサクと乾いた音だけが喧騒に反抗していた。


 しかし沈黙さえもこのお菓子の魅力の前には、幸せの時間を彩る香辛料でしかないのだ。


 ああ、お菓子とはかくも偉大である。



「あ、名前聞いても良い? 私はエゼ。貴女は?」

「フェン。フェン・ラーヴェル」

「よろしくね、フェン」



 サクン、と残ったスコーンを口に運んで、冷たい紅茶に手を伸ばした。一口だけ口に含んで少しだけ香りを鼻に通して嚥下する。


 飲みすぎてはいけない。お菓子はまだあるのだ。



「こんな美味しい物があったとはねー。もったいない事しちゃったわ。まぁまだ町に来て二週間ぐらいなんだけど」

「私も、今日は、…ご褒美」

「ご褒美?」



 何となく吊られている左腕に視線を移した。


 怪我の仕方なんて無数にあるが、多分この女の子は、目の前の闘技場に選手として立っていた事を推察する事ができた。 ローブで隠れてはいるが、腕にも小さい擦り傷があったし、ローブも裾のところがほつれてしまっている。



「闘技大会に出てたんだよね」

「そう」

「ご褒美って事は勝ったんだ。凄いわねー」



 性格上あまり真面目な口調が得意ではないが、感心しているのは嘘ではない。


 この小さい体で、屈強な男達と戦って勝ったというのは信じられない事でさえあるのだ。


 しかし、良い人は信じるのが信条だ。それに嘘を付けるような性格にも見えない。



 パウンドケーキが根こそぎ口の中の水分を持って行ってしまったので、右手に持ちっぱなしだった紅茶をもう一度口に運ぶ。



「あ、ぬる…」



 ずっと手に持っていたのがいけなかったのか、すっかり外気の温度に屈してしまっていた。


 あまり、温い紅茶は好きではないので、今飲むかどうか迷ったが熱くも冷たくもしようがないので、とりあえず口に運ぼうとコップを持ち上げる。



 すると、ふいに横でフェンが軽く指を振った。



 杖は見かけられないが、その指の根元に付いた指輪が光っているのでそれが魔装具なのだろう。


 何をするつもりかと思い、手を止めてその指の動きを目で追っていると、ポチャポチャッと手の中で音が連続した。



「わっ、スゴ…!」



 音の正体は、紅茶の中に氷が落ちた音。



 しかも紅茶を凍らせて氷を作っているようなので、味にもむらは出ない。


 さてはいつもやっているな。と内心で羨みながらそれを口に運んだ。


 流石に最初の頃より冷たくはないが、熱せられた体を冷やしてくれるぐらいには冷たい。



「ありがと。…成程ね。こんな事ができるなら確かにこの馬鹿でかい大会でもそりゃ勝てるわ」



 肯定を待ったが、今度はあの可愛らしい首肯は見られなかった。



「どしたの…?」



 コロコロと音を鳴らしながらフェンはコップを回している。


 その音で、フェンのコップの中も同じように氷が良い仕事をしている事が分かった。



「──今日は、勝てなかった」



 え、と思わず聞き返していた。



「今日は、負けた」



 聞こえなかった訳ではないのだが、フェンは律儀にもう一度教えてくれた。


 その声の中に悔しさがあるかどうかは、──よく分からない。



「でも、頑張ったから、ご褒美」

「……よし、なら私からもご褒美を上げよう」



 静かにパウンドケーキをフェンのほうに押しやる。すると、フェンは不思議そうに首を傾げた。



「でも、それはまだ、私が貴女に奢った物じゃ…?」

「………い、痛いところを的確に攻めるわね」



 差し出したケーキがいきなり己の恥に成り代わったが今更引く訳にもいかず、誤魔化すように残ったお菓子に手を伸ばした。


 一緒にフェンもパウンドケーキを口に運んでいる。



 ぱくぱくとお互いに無言で食を進める。


 ちらりと隣を盗み見ると、フェンは特にこれといった感情も見せず往来の人々をボーっと観察している。



「フェン」



 短く少女を呼ぶ声が聞こえた。


 フェンに吊られるように視線を上げると、無愛想な男が突っ立っていた。



「ハルユキ。試合は?」

「お前らが派手に闘技場ぶっ壊したから2時間遅れ。闘技場の自己修復が追いつかんらしい。更に昼休憩だから4時間ぐらいあるらしい」

「…そう」



 そのまま表情を崩さないフェンをしばらく観察するように見た後、口を開いた。



「怪我は? 大丈夫か?」

「…大、丈夫」



 今、多分嘘を付いた。


 嘘を付くような性格ではないと思っていたが、嘘というのは限り無く人間臭いものだ。


 この二人の関係が見て取れるようで、逆に何となく微笑ましい。



「──んん?」



 フェンと男の顔を見渡していると、ガリッと何かが記憶に引っかかった。



「んんんん…?」



 引っかかっているのは男の方。


 まじまじと顔を見ていると、視線に気付いたのか男もこちらに顔を向ける。


 カチン、と音を立てて記憶が検索結果をはじき出した。



「あああーっ!! 怪盗詐欺エテ公!!」

「……開口一番ですまんが殴って良いか?」

「駄目。我慢」



 しらばっくれる男に対して、流れるような動作で両手を腰に運ぶ。



「え…?」

「なに…!?」



 そして、黒光りする銃口を男の額に向けて突きつけた。



 パンッと乾いた音が闘技場前に響く。





  ◆ 




 驚いた。


 このハルユキとかいう男、弾丸を避けるどころか掴み取った。


 しかも一旦避けた後、後ろに人が居る事に気付いてから後ろ手に掴み取った。



「お前、何でそんな物を持ってる」



 冷えた声だ。しかしそれに怯えるつもりはない。寧ろ怒りが膨れ上がるばかりだ。



「あんたがくれたんでしょうが!!」

「俺が…?」



 ピクリ、と眉を揺らして額に皺を寄せた。記憶を探っているのだろう、そのまま視線が斜め下に落ちていく。



「お前、ユキネの城に居た泥棒女か…!」



 はっと顔を上げると、同時に痛い所を突いて来やがった。



「うっ…、それは確かに否定できないけど、私は豊かな人間から少しだけ頂くだけで…」

「お前その銃消えなかったのか?」

「聞けよぉ!!」



 まぁまぁ、と言わんばかりにフェンが間に入った。


 とにかく一旦落ち着こうと深く息を吐いて、吸う。



「……かたっぽは消えたけど。もうかたっぽは消える前に保存したの」

「保存? 魔法か?」

「企業秘密」

「泥棒家業は経営とは言わんぞ」



 殴って良いかしら、とフェンに首を向けると首を小さく横に振った。


 鼻骨を粉砕してやりたいところだが、恩人の言葉に背く訳にも行くまい。


 しかし、この男には魔道具(銃)一つ分の詐欺の分もまとめてやり返さないといけない。



 そして、良い事を思いついた。



「あなた、いえ、あなた達、ね。私の仲間になりなさ…」

「すまん。余りに話が突拍子過ぎてホームシックだ。じゃあな」

「待てやぁ!!」



 もう殴る。というか殴っている、現在進行形で。一発も当たらないけど。




「やるわね! でもだからこそ頂くわ。──世界征服の駒として!!」




 暑い中動いたせいか汗だくになりながら、銃口を向けた。



 自分の中では殺し文句に決めポーズのたたみかけだったのだが、二人とも目線があらぬ所に向いていた。




「聞かなかったことにすんな!!」

「…あ、ああすまん。ツッコミが遅れた。テイク2を頼む。その壮大なボケに宇宙的なツッコミを返してやる」

「ボケたんじゃない!! 本気だこのエテ公!!」



 まあまあとまたフェンが間に入って、場が収まった。



「ほら、拳銃ならやるよ、弾はまたゴム弾だけどな」

「……え? いいの? 返さないわよ?」

「また消えるからな。保存ってのをやっとけ」



 中々に話だけは分かる男のようだ。しかもこの生産力。ますます配下に欲しいところだが、強そうな奴を連れ帰ったらあいつが襲い掛かりそうだ。


 どうせ言う事なんか聞かないし、それは本気で洒落にならない。



「ま、この拳銃…? で良いのよね? これで我慢してあげるわ」



 ごそごそとそれを手早く懐にしまうと、さっさと背を向けた。


 返せと言われないうちに、宿に帰って名前を書かなければ。



「じゃ、デート頑張ってねフェン。また会いに行くわ」



 それに、さっさと邪魔者は消えるべきだろう。


 馬に蹴られて死にたくはないのだ。



 それにしても全く、元々言う事なんか聞く奴ではないけれど。


 そもそも利害関係が一致したから一緒にいるだけだからしょうがないともいえるが、それでも資金の独り占めは許さない。



 全く、あの馬鹿はどこをふら付いているのやら。





◆ ◆ ◆






「デート…?」

「いや、飯食いに行くだけだけどな。ああ、でもジェミニは敵と飯は食わんもんや、だとさ。シアも連れてっちまった」

「…ユキネはレイと特訓だって、町の方に…」



 ふぅ、と長台詞の後お決まりの溜息をついた。



「……デート?」

「…ただの昼飯だけどな」



 トトッとハルユキの斜め前に足取り軽めに出てきた。何となく目をやった小さな背中が、以前より少しだけ大きく見える。


 いつも無表情のせいか、小さな背中の方が感情が豊かに表れているような気がした。



「全く、負けちまいやがって。あと十秒倒れるのを我慢してりゃ勝ちだったのに」

「む……」

「根性が足りないんだ、根性が」



 何となく頭に手を置いて、軽く撫でる。


 惜しい勝負だった。


 あとたった一欠けら。体力か魔力が残っていれば気を失う事などなかったのだ。



 規格外の刀が暴れまわった部分は、衝撃波で粉々。


 雷がそれを更に焼き尽くして塵芥。


 闘技場内に二人も人間が存在しているのが信じられないほどの状況だった。


 それでも、片方は立っていたのだ。身を焦がしながら刀を杖にしながらも。



 地力で負けた。


 体力で負けた。


 生れながらの差で負けた。



 この敗北は、フェンに影を落とすのだろうか。



「まぁでも、どっちにしても次が俺なら意味無いけどなー」

「…仇討ち、頼んだ」

「はいよ」



 納得したのか他に意味があったのかは分からないがコクン、と小さく頷いてフェンは歩幅を縮めた。


 同時にハルユキも歩幅を広くしていたので、追い越してしまいそうになる。



 と。


 抱き止める様に、おずおずと腕にフェンの腕が回された。


 驚いて目をやれば、耳をほんのり赤く染めている。



「い、いやな? だから恥ずかしいならするなって…」

「で、…デート、だから」

「昼飯食うだけだって…」



 身長差がありすぎてよたよたと危なっかしかったからか、フェンが自然に腕を離した。



「………変態」

「何で!?」

「いやらしい顔、してた。…体目当て」

「…今は荒唐無稽なボケが流行ってんのか?」



 その小さな体に、それもこんな時間帯に性欲を催しては駄目だろう。大人として。



 その後、嫌がらせか靴の踵を続けて踏まれる事4回。


 こちらと同じように、身長差がある二人がこちらに小走りで近寄ってくるのが見えた。



「おお、おったおった。ハルユキー、お金あんま無いからやっぱり昼一緒させてくれー」

「敵に塩は送らん。飢えてろ。シアは許す」

「次、手ぇ抜いちゃるから」

「荒唐無稽だよ」



 よし、飯の前に残る二人も拉致って行くとしよう。


 特訓なんてどうせレイが何か企んでいるだけだ。一分で捕まえて見せよう。


 そして、この妙に絡んでくる関西弁をどう料理するか話し合おう。



「ハルユキ、ユキネ達も…」

「捕まえに行くか」



 思わぬ一時の休憩だ。


 ゆっくりしなければ罰が当たってしまう。





◆ ◆ ◆





「ぐ…ぉッ…!」



 傷と火傷だらけの体に、きつく包帯を巻いていく。


 尋常ではない痛みが脳髄を伝っていくが、正体がばれてしまった以上、些事とはいえ他国の力を借りすぎるはよろしくない。


 何とか薬草と自己治癒で傷を回復させた方が良い。


 幸いと言うか何と言うか、戦いよりもそっちの方が得意なのだ。



「十二直、"みつ"」



 細かに魔法を重ねがけしながら、腰の辺りで最後の包帯を結び終えた。


 ふう、と心からの一息を付き、服も着ないまま宿のベッドに上半身を倒れこませた。


 思い出したかのように体中の乳酸が、血液に乗って全身に巡っていく。


 どくんどくん、とまるで手先にも心臓があるかのように血管の太い部分が脈動した。



 久しぶりに、充実した一時だった。


 最初に相手を確認した時には溜息でも付きそうになる心持ちだったが、今は心地良い疲労感が気分を高揚させてくれる。



 余り褒められた内容ではなかった。


 こちらは力任せにひたすら攻撃しただけであったし、最後の勝ち名乗りの瞬間には自分も満身創痍だった。実際には一度完全に意識も飛ばされた。



 あの閃光と轟音。あの中で気を失わないわけがないのだ。ただ無意識的に、その場で最も信頼できる物に身を預けていただけ。



 未だにこちらを品定めするかのようなあの雷を思い出すと未だに身震いが起こる。


 もし、避雷針代わりに刀を突き立てなければ、いや、もう一握りの体力さえあの小さな体に存在していたなら結果は逆だった。





 名前は…。


 フェン・ラーヴェル。


 間違い無い。二度も聞かせてもらったのだ。間違いようが無い。




 そして、次は"いよいよ"だ。



 一瞬で結界を飛び越えて、ラーヴェルの様子を伺いに来た所を見ると、どうも親密な関係であるらしい。



 無事を確認した次の瞬間に、こちらに向けられた冷たい視線を思い出す。




 ブルッと、体が冷え込んだ。


 雷の時の数倍の悪寒が体を走り抜けていく。


 まさか、災害よりも危険度が上なはずはない。しかし、人災と言うのならば考えられない事は無いやもしれない。




 先の戦いによる可能性や成長からの未知ではない。


 仄暗い谷の底を覗き込んだかのような、得体の知れない怪異。



 同じ未知でもこれ程に恐怖の密度が違う。




 明日だ。


 まだ次の試合が始まってすらいないが、必ずあの男は上がってくる。


 その時まで高揚も恐怖も戦意もしまっておこう。



 全ては明日。どうか明日までは──。



 しかし、願ってしまったのがいけなかったのか。それとも最初から定められていた事なのか。



 一つに纏めた荷の中から、細々と光が漏れ出した。



 明日に期待を寄せる一人の戦士はまだそれに気付いてはいない。





◆ ◆ ◆




「ユキネ! 気を付けろ上からじゃ!」

「分かってる!」



 肩を並べて警戒していた二人が、同時にそれぞれ左右に跳んだ。


 一瞬後に、先程まで立っていた場所が砂塵と共に抉られる。


 敵の姿も砂塵に紛れ、先程までは息を呑むほどの存在感が土ぼこりに隠れていく。



「化け物め…! 二人がかりでこれか!」



 砂塵の向こうからレイの悪態をつく声が聞こえる。


 姿こそ見えないが相手が相手だ。全力で警戒しているだろう。



「小僧がそちらに行っ……」



 それからレイの声は聞こえない。


 不穏な臭い。



 余りに不自然に声が途切れ、レイがどんな目にあっているのか想像が巡っていく。


 ぐるぐると思考が廻る。



 だから言ったのに。決闘なんて吹っ掛けるからこうなるんだ。




 多分、レイはもう駄目だ。


 捕まって敵の手の内。これは動かないだろう。



 二人係でも防戦一方だったのだ、一対一では敵いようもない。ならば無謀でも砂塵の中に足を踏み入れる他無い。



 まさに足を踏み出そうとしたところで、砂塵の中から何かを担いだ人影が見えた。


 勢いは、…止める必要がない。そもそもこれ以降に好機など来ない。



 覚悟を決めて、剣に力をこめる。この場合に関してだけ剣に必殺は必要としない。


 ただ脇を絞めて、真直ぐに、速く、相手に傷一つ付けさえすれば良い。



 しかし、砂塵に食い込んだ剣が、その瞬間に手の中で暴れだした。


 まるで生きて、もがいているかのように剣が暴れる。一秒と持たずに剣が上空に弾け飛んだ。


 呆気に取られて、空に上っていく剣を目で追ってハッとする。



 視線を前に戻した時には、ほとんど晴れた砂塵の中から、ロープで拘束されたレイを担いだハルユキがこちらを見ていた。しかも御丁寧にロープと体の間に布まで咬ませてある。



 次の瞬間に、剣がザクッと申し訳無さそうな音を立てて、明後日な場所に着地した。



 ああ、巻き技か、と一人暢気に納得し。いや待て、何で腕で剣に巻き技を仕掛けられるのだと吃驚し。


 そしてまた次の瞬間には、剣を追うように空中に放り投げられていた。




 自分の悲鳴が、嫌味なほどによく聞こえた。







◆ ◆ ◆




「両者確保ー」



 5分もしないうちにハルユキはフェン達三人がいる食事処に戻っていた。


 両肩にそれぞれまだ目を回したままのユキネと、羞恥で顔を真っ赤にしたレイをロープでぐるぐる巻きにして。



 これで街中を歩いてきたのなら、さぞ好奇の目に晒された事だろう。



「…むごい」

「いやいや、俺も普通に連れて来ようとしたんだけどな。この負け犬Aが喧嘩ふっかけて来て、勝ったら罰ゲームって事になったから、これで」

「……ユキネは?」

「寝てるだけだ。試合前だしなこっちは」

「……でもその絵は下手したら捕まるで?」

「まあ、この町は良い意味で馬鹿なやつばっかだから大丈夫だろ」



 レイの恨み言がハルユキの耳元に小さく呟かれ続けているが、気にもせずに隣の席にレイを置くと改めて食卓についた。


 すると、その隣に居たシアが苦笑いしながらロープを解こうと近寄った。



「ああシア。それ中々解けないし、どうせすぐ消えるからほっといていいぞ」



 レイも恨み言を重ねながらハルユキを睨み付けていたので、不吉な物を感じたのか二三度振り返りながらも席に戻った。



「大丈夫やて。何か御丁寧に布まで咬ませてあるし」



 不安そうにこちらを見上げたシアにジェミニが苦笑しながら返した。


 机を挟んだ向こうでは、目を回したユキネをフェンとハルユキが起こそうと試行錯誤している。


 瞼が揺れているのですぐに起きるだろう。試合を控えているのになんとも暢気なものだ。



 そこで、シアがまだ瞳の中に不安を残していることに気付いた。


 ああ、と何となくその理由に察しがつく。優しいこの子の事だ。次の試合の事を心配してくれているのだろう。


 二回戦は楽に勝ったものの、一回戦では大丈夫だと念を押した割に結構傷を負った。


 次の相手のハルユキが強いと言う事ぐらいはシアも知っている。それに今はそれに加えてフェンが痛々しく左腕を吊っている。


 嫌な考えを連想してしまう事もあるだろう。



「大丈夫やて。たかが試合や」



 そう言ってはみるが、中々表情は変わらない。



「そう大丈夫だ。何なら儂が乱入して後ろからザックリ行く」

「また、恥かかされるで? レイちゃん」



 いつの間にかロープから抜け出して、顔一杯に逆襲の念を広げているレイがヒソヒソと顔を寄せて来ていた。



「いいか。殺す気で行け。いや殺せ。ぶつ切りにしてしまえ」

「そりゃそうや。そうせんと瞬殺やろ」



 え、とシアの口の形がそう言いたげに形を変えた。


 殺すと言う単語が仲間内で使われる事に疑問を覚えたのだろう。まあ言いたい事は分かるが事と場合による。



「そう動揺するな。言葉の綾じゃ」



 毒を抜かれたかのようにレイがそう言って、苦笑した。


 一旦きょとんとして、何だ、とばかりにシアもくすくすと笑い出す。




 白けるのを感じた。


 ああ、駄目だ。このタイミングでこの熱を失いたくは無い。


 ハルユキでしか、あの規格外でしかこの熱は感じ得ないのに。



「俺は──」



 言葉を切ってそこでシアに視線を移す。目を見開いて顔には僅かに驚愕を浮かべている。


 笑顔を壊すのは本望ではないけれど、ここを譲ればあの時無理矢理に馬車に乗り込んだ意味が無いのだ。



「シアちゃんは来ん方が良いかもな」



 やんわりとした拒絶。粗暴に追い払ったのではなく、柔らかい掌でゆっくり押し退けただけ。


 それでもほんの少しだけ、距離の広がりを感じる。


 ほんの少し寂しいのかもしれない。



 重なる。重なる。重なる。揺れる瞳が。綺麗な髪が。


 久しぶりに、頭の裏をガリガリと何かが引っ掻いていく。



 しかし、さあ。


 さあ、もう直ぐ。



 もう、直ぐで。待ちに待った至福の時。



 目の前に喉笛があれば噛み切り、手の中に心臓があれば握り潰してみせよう。






◆ ◆ ◆





『えー、なんか諸事情によりビッグフッドのコジロウ選手が棄権するらしい。よってこの試合に勝った方はもう決勝進出だ』



 は? と闘技場の上でジェミニと声を揃えた。



『えーと…? 何でも、とにかくただならぬ事態らしい。まあ、ビッグフットの重鎮だから色々あるんだろう。賭けてた奴は諦めろ』



 闘技場のあちこちから絶望に満ちた悲鳴が上がっている。


 先程何とか賭けてた選手が勝ちあがって、今日酒を飲む算段でもつけていたはずだ。


 それは確かに悲嘆ものだろう。



「ああ…仇討ちは無理になったな」



 全く、流れを読まないにも程がある。


 もしこんな筋書きを書いた奴がいるなら、そいつは絶望的に根性が捻くれているのだろう。



「何とも馬鹿な展開やなぁ」

「残念だったか?」



 そう聞くとジェミニは、糸目の真ん中に皺を寄せて考えるていを作った。


 相変わらず素振りが演技臭い。



「ワイの最終目的が三回戦ココやから、別にどうでもええのが実際の所」

「あっそ」

「興味無いんかい…」



 ぶつくさ言い出したジェミニを置いといて、伸脚して関節を解していく。



「でもまあ正直、お前がこんな試合に出るとは思ってなかった」

「…そうか?」

「あんまりこんな大会に意地を張る性格にも見えないしなぁ」



 最後に首を鳴らして、準備運動を終える。


 先程まで一緒に食卓を囲っていたぐらいだし、不自然なほどに緊張感は無い。



「──それは勘違いや。ハルユキ」



 しかし、そう思っていたのもまた、俺だけだけだったのかもしれない。



「ワイは最初、お前らに無理矢理付いて来たやろ?」



 周りの空気が静けさを含んで重くなっていく。


 未だに喧しい外の世界が、どこか遠くに去っていく。



「それは別に、フェンちゃんやユキネちゃんにつられた訳でも、もちろんただの暇つぶしでもないで? ワイが付いてきたのはただ」



 そこで一旦言葉を切って、こちらを向いた。ほんの少しだけ見える赤色の瞳が、これ以上無いくらいに冷たかった。



「──お前に、興味あったからや」



 ニッと、これ見よがしに笑って見せた。



「思い切りいけるのは久しぶりやから、──死んでも文句言いなや」



 低い声の割に顔は笑ったまま。


 まるで、喜怒哀楽の仮面を付け違った道化のように思えた。



 以前から思っていたが、こいつは俺に対しての態度に、何か他と違うものを感じていた。


 別に差別ともいえないもので、区別と言った方がしっくり来るものだ。


 今まで何となく考えてきたが、これといった答えは未だ無い。



「それは、殺す気で来るってことか──?」



 言葉にこめられた意味は分かる。


 この何でもない試合に何を賭けているのかは知らないが、向けられている殺気はまぎれもない。



「もう一つ。勘違いしてそうやから言っとくで?」



 俺の問いにジェミニは答えない。それどころか、代わりに意味ありげな言葉を返してくる。



「さっき最終目的や言うたけど、それはこの大会の事やないで?」



 じわじわと、その空気を気配を雰囲気を変えていたジェミニが、その変化の加速度を増した。


 這うような速さから、人を抜き車を抜き銃弾に匹敵するような速さまで。


 空気が殺気に、気配が威圧に、雰囲気が狂気にそれだけで傷を与えうるものに成り果てていく。



「今まで、一緒に旅してきた。その目的が、この状況」



 悟る。いや、悟らされる。



 いや、実感させられると言った方が正しいのだろう。


 ジェミニが今、何を考えているかを。



 目的は無い。積み重なった怨嗟の念がある訳でもない。


 有り得ないほど、伺える表情が希薄で虚ろ。



 ただ、そうしないと引き出せないものがあるから。





 こいつは。



 俺を殺す気だ。






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