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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
107/281

宵の果物酒

「んぁ…」



 我ながら目覚め一番に妙な声が出てしまった。婦女子としてどうなのだろうと首を捻りながら目を擦る。


 天井はなにやら薄く線が入っているだけの白い石造り。傍らの机に置いてある花瓶にも見覚えがある。ずばり、ここは医務室だ。



 しかし、この前予選に負けて床に伏していた時には無かったものが、確かにある。



「勝っ、た…」



 医務室のベッドに寝転んだまま、勝利の実感を噛み締めるようにそう口にした。



「ギリギリだっただろうが」



 真っ白なシーツと境が見付からない程の白いカーテンが揺れる。


 その真ん中で揺ら揺らと灰色の影も一緒に揺れていた。



「ハル…?」

「他に誰が居るんだ?」

「…ハル」

「俺はここに居るだろう」

「…うん」



 続いて言葉を口にしようとするが、あー、とか、うー、とかしか出て来そうにない。


 真っ白なカーテンの向こうの影は、ユキネの言葉を待つでもなくただゆっくりと揺れている。それを見ていると自然と頬が緩んで、言葉が喉の奥に引っ込んだ。


 

 数秒か、数分か、ただそのまま時間が過ぎていく。



「──勝ったぞ、ハル」

「ああ」



 何を考えるまでもなく、自然に言葉が出ていた。


 その言葉に焦るでもなく遅れるでもなく返事が返ってくる。それだけの事が例えようもなく心が落ち着かせる。



「入って、来ないのか…?」



 いつまで経っても、カーテンの向こうに居座り続けるハルユキに少しだけ不安を感じて声をかけると、思ったよりもずっとか細い声が出た。



「入って良いのか?」



 良いも何も、と言おうとして、自分の体にはまだ頼りない包帯しか身に付けていない事に気付いた。



「ま、待って…!」

「はいよ」



 急いで周りを見渡せば、近くの籠に服と下着が畳んで置いてあって、急いでそれに手を伸ばす。



「い゛ッ…つ…!」



 手を伸ばした拍子に、アバラが痛みを思い出して乾いた音が頭の中に響いた。


 思わず声が出てしまったが、すぐに痛みは姿を暗ました。手を伸ばすとまた痛みそうなのでベッドの中で着替えるのは諦めて立ち上がる。


 下着を一つ手に取ったところで、カーテンから上半身を覗かせていたハルユキと目が合った。



「え……?」

「ああいや、あれだ。何かあったのかな、と」



 スッと頭が白一色に染まり、手に持っている下穿きをに目が行き、もう一度ハルユキと目を合わせてから、その一瞬後に。



 体中ごと真っ赤に染まり直した。



「大丈夫だ安心しろ。包帯で大事な所は全然見えてな痛いッ!!」

「かッか、かかかかかか……ばッ!!!」

「…カバ?」

「出て行け!!」



 一瞬の内に引き寄せた服で前を隠したユキネに、散々蹴られながらハルユキは頭を引っ込めた。



「あーいてぇ…。手加減無しか」

「ハルが悪い」

「そりゃそうだけどな…」

「ハルが悪い」

「はいはい」



 意固地になって同じ言葉を繰り返すユキネにハルユキは苦笑する。



「……いいぞ」



 カーテンの向こうからほんの少しだけ不機嫌な声が聞こえて来た。


 しかし、ハルユキにもそう時間が無かった。そろそろ、次の試合が始まる時間帯だ。



「次の試合だ。負担になると拙いからもう行くな」

「あ、私も…」

「無理すんな、しっかり寝とけ。どうせ明日の試合も出るんだろ?」



 噛み潰した筈の、少しだけ走った痛みに思わず漏れた声が聞こえていたのか、ハルユキがそう言った。



「……うん」



 ユキネがギシッと再びベッドに腰掛けた事を耳だけで確認して、ハルユキは出口に向かった。



「──、ああ」



 言い忘れていた事があったのか、扉の所で振り向く。

 


「頑張ったな、ユキネ」



 少しだけ間が空いて、珍しく躊躇いがちに。



「──ありがと…」

「終わったらまた来るからな」

「…うん」



 続いて勢い良く布団を被る音を聞いてハルユキは苦笑しながら、部屋を出た。





◆ ◆ ◆




「はい、お互いおめでとう」



 早々に試合を決めて控え室に戻って、待っていたフェンに賛辞の言葉を送った。



「……心がこもってない」

「だってお前、もうちょっと苦戦でもすればドラマも生まれただろうけどな」

「…私のせいじゃない」



 声に不機嫌なものが混ざる前に、機嫌を取る事にした。



「晩飯奢りで勘弁してくれ」

「なら、いい」



 一回戦は見逃したので、フェンの試合を見るのは予選以来だったが、やはり格段に強くなっていた。


 齢十六でこれ程の人材もおそらく居ないだろう。今も時々ノインがフェンを持って帰ろうとしているのを見かけるので、相当の物だと思う。



「ハルユキ…」



 くいくいと服の裾を引っ張るフェンに目を向けると、フェンはじっと控え室の片隅を見つめていた。



「お…」

「ぬ…」



 その場所にハルユキを目を向けた瞬間、そいつと目が合った。



「……お前、強かったんだな」



 一言だけ何か言ってその前を通り過ぎようとした所で、アキラの方が先に口を開いた。



「そりゃ、ある程度はな。

 ああ、ユキネなら医務室に居るぞ」



 そう言うと、少しだけ驚いてハルユキの顔を見ると、少しだけ笑って手にテーピングを巻く作業に戻った。



「もうお前の娘さんには会わん」

「何…?」

「けどそんかし、俺が王様んなったら自由にやらせて貰うけど」



 一瞬堅実な奴だと思ってしまった過去の自分を殴りたい。何しろ王様になると来たのだ。イコール。優勝すると言う事。更にイコール



「……つまり、俺もノインも倒すと」

「当たり前じゃ」

「俺は予約だから他を当たってくれないか?」

「無理」



 ノインに始まり、ジェミニになんか良く分からないコジロウとかいう黒装束に、フェンで合計四人。これだけでも結構大変な事になるのは目に見えている。


 手にテーピングを巻き終えると、アキラはフンと楽しげに鼻を鳴らして跳ね上がるように立ち上がった。



「あと一人予約入れとけ。お前は俺の夢と愛の障害やからな。絶対ブッ飛ばす」

「若いなぁ…、お前」



 ドスッとハルユキの腹にアキラの拳が当たった。子供の割に、中々重い拳。


 確か歳は十四歳。


 こんな幼い頃から戦いに身を置かなければならない理由だってあるのだろう。その小さい背中に背負っているものが少なからず。



「まだ今の実力じゃあ勝てんかもしれんが、成長期の男を舐めんとけよ」



 パンパン、とテーピングの巻きを確かめるように拳と掌を打ち合わせると、挑戦的に笑いあげた。


 ハルユキが最後の試合だったので、今テーピングを巻いていると言う事は恐らく今から鍛錬でもするのだろう。



「お前俺を倒すならユキネも倒す必要があるだろ。どうすんだ」

「──倒す。一切傷付けないで勝つ。それで万事解決」

「馬鹿かお前」



 笑ってしまうほど単純明快。


 まあ、それでも最高を諦めないと言うのは嫌いじゃない。



「予約は入れといてやるよ」

「あと、……ユ、ユキネによろしく」

「どうでもいいけど、背ぇ小さいなぁお前。それで十五てお前…」

「何じゃコラァ!! 今成長期じゃ言うてるやろが!!」

「はいはい、ユキネに伝えとけば良いんだな」

「…もういい面倒くさい…! 俺の周りはこんなんばっかか…」



 アキラは頭を抱えるようにして溜息を付くと、出口に向かってさっさと消えて行った。


 あいつの周りの人間と言うと数人しか居ないが、もうご愁傷様としか言いようがない。



「いつの間に…?」

「ん?」



 ぐいっと先程よりも強めにフェンが裾を引っ張った。



「仲良い…」

「…いや、良くは無いけどな。俺も反省ぐらいするぞ?」

「え…?」

「何驚いてんだこの野郎…」



 身を引きながら驚くフェンに溜息を付く。と言うかこれはたぶん素だ。冗談を言う性格でも無いだろう。



「ユキネんとこ行って飯食いに行こうぜ。酒場の所で良いだろ? 多分レイ達も居るし」



 首肯したのを確認して財布の中身も確認する。払い過ぎている分を除いてもまだ余裕はありそうだった。



「魔法っていつも練習してたのか?」

「時々、夜にユキネと」

「成程ね」



 魔法がどういった鍛錬でどれほどの時間を必要とするかは知らないが、ユキネもフェンも確りとした基盤があっての勝利だと言う事らしい。


 ぽん、とフェンの頭の上に何となく手を置いた。



「おめでとさん」

「…? さっき聞いた」

「気持ちこもってたろ?」



 ポンポンと笑いながら頭を数回叩くと、フェンは首を傾げた。



「…ハルユキは、変」



 予想外の返答にハルユキも首を傾げるが、そこまで自分は変だとは思えない。



「俺、変か?」

「……個性的でたいへんよろしいと思う」

「褒めてないだろそれ…?」



 ぐりぐりと頭を撫で回して、ポンと頭を小突くように手を離した。


 なにやら不満そうな声を上げるフェンに歩幅を合わせて医務室に移動する。



 医務室は控え室を出て出口に向かってしばらく歩いた所に設置してあり、先程フェンにこっ酷くやられた選手はもう一つの控え室側の医務室に居るので中は多分ユキネだけだろう。



「おー、ハルユキ。飯食いに行くでー」

「死ね犯罪者!!」



 にこやかな顔のジェミニが医務室に入った二人を出迎えた。


 顔の前の剣を震える腕から目を逸らしたかっただけにも見えたが。



「何やってんだお前ら…」

「いや、着替えを手伝ってやろうと思って。ほら、下着だけでええから」

「……あれよりは変じゃないよな、俺」

「あれは、…よろしくない」



 あれよりはマシな位置に居るらしい。内心安心しながらも、溜息は止まらなかった。



「何やハルユキ! ユキネちゃんの包帯巻いたのお前やろが。どうしても巻きたい言うから譲ってやったのに、このむっつりめ!」

「……え?」



 ぐりん、と二組の目がこちらに向いた。



「…いやな? フェンもまだ居なかったし、男の兵士しか居なかったし、早くやらないとこの馬鹿がやろうとするからしょうがなく」

「み、見たのか…?」

「あー……」

「は、はっきり言え!」



 顔を真っ赤にして叫ぶユキネの目に多分もうジェミニは入っていないだろう。


 わざわざ嘘をつくのも嫌だったし、仕方なかった事なのでそのまま言う事にした。



「…まあ、余す所なく」

「っ──い、いやぁあああッ!!」



 本気で殺す気かと聞きたくなるほどの剣の一振りから身をかわしながら、とりあえず残る二人を説得して仲間に引き入れようとして後ろを向く。



 しかし、直ぐに視線を戻した。


 この状況で、床で沈黙するジェミニとその横に転がっている氷の塊というのは余りにショッキングな光景だった。



 あれ、フェン何処行った? と気配を探ろうとした時に、丁度服の裾を引っ張る感触が体を襲った。


 "襲った"だ。間違いない。先程の様に可愛らしいものではなく、決して逃がさないと言う意志が篭っていたから間違い無い。



「ああ、あ、余す所無く…? 上も下も、な、中も?」

「…いや、中ってどこだよ」

「そ、そうだ! おおお、お前も見せろ! それで解決だっ」

「落ち着け。それは傷口を広げているだけだ」

「……」

「無言でベルト外すな!」



 いつの間にか、ベルトをかちゃかちゃやり始めたフェンを振り切って出口へとにじり寄る。



「……そういうのは部屋に帰ってからやってくれるかしら?」



 久しぶりに聞くような常識染みた声に振り向くと、呆れた様に医務室の壁によりかかるノインを見つけた。



「……私は別に側室付きでも構わないけど?」

「……何言ってんだお前」

「それを脱がせばいいのね、分かったわ」

「何しに来たんだお前は!」

「ああ、いけない。やる事があるんだったわ」



 それからノインは部屋を見渡すと、ある所で視線を止めて、目を細めた。


 そこに向かって歩を進める。



「知ってるかもしれないけれど、二回戦。私は勝ったわ」



 その声はハルユキの耳にももちろん届いたが、多分今日に限り声の行く先はハルユキではない。



「聞きたいのは一つだけだけど、ちゃんと答えて」



 声の先にいるのは、今日も激闘を潜り抜けてきた一人。準々決勝。ノインが勝ち抜いた時点でこの二人の戦いは決定している。



「──それで結局、貴女は私の邪魔をするの?」



 ノインが最後にそうユキネに問い掛けた。凄む訳でもなく、楽しんでいる訳でもない。ただ確認しているだけ。



「──する」



 その声に挑むようにユキネが返答した。


 その応答にどのような意味があったかは定かではないが、決して何でもない答えではなかったのは察する事ができる。



「じゃあ、好敵手ライバルね」



 少しだけ間を空けて、ユキネが頷いた。



「おー、カッコええなあ」



 いつの間にか復活して後ろに立っていたジェミニがハルユキにだけ聞こえるような声で呟いた。



「──次、手ェ抜くんやないで、ライバル?」

「抜く必要が無かったらな。あとライバルは止めろ。寒過ぎるわ」

「余裕やなぁ。腹立たしい」



 ニコニコと肩を叩く顔と荒々しい言葉が不似合いだが、それはそれでこの男らしい。変人に変わりは無いが。


 アキラの奴も大概だが、自分のところも大変だと言ってやりたかった。



「じゃあ、爺が泣いてるといけないから城に戻るわ」

「ああ、じゃあな」



 良い具合に張り詰めていた空気がほんの少し弛緩した。


 ジェミニは変わらず笑っていたし、ユキネは緊張で少し顔を強張らせている。



 ふと目の端に写ったフェンの顔が今にも微笑みそうで見入ってしまったが、結局笑顔を見れる事はなかった。


 まあ、それでもこれでいつも通りだし、気にするほどでもない。




 それに、退屈しないのは、やはり嫌いじゃない。








◆ ◆ ◆





 ぎっとベッドを軋ませながらフェンは座り込んだ。


 まだ誰も部屋にはおらず、もう後は寝るだけ。


 ベッドに入ってシーツを被り目を瞑ってしまえば、自動的に今日が終わって明日が来る。



 一生の上で三万回以上繰り返すこの日常が、怖くて仕方が無かった。


 悪夢を見る事が怖い訳ではない。今日を惜しんでいる訳でもない。


 ただ、次に目を覚ませば自分が自分で無くなっている。


 いや正しく言えばそうではない。


 そう、まるで夢から醒めるように何かが暴かれてしまうんじゃないかと、そう思う。



 夢現。


 普段感じる訳ではない。ただ寝る前に今日を思い出して、それがとてもあやふやなものに感じてしまうのだ。



 朝見上げた太陽も、それに寄り添うように漂う大きな雲も、踏みしめた足元も、仲間の顔も、自分の力も、全て嘘だったかのように。



 馬鹿な事を言っている。


 こんな事を話したらあの人は笑ってしまうだろう。



 きっと笑う。


 笑った後に思い切り頭を撫でて来るだろう。



 力が強いから首が痛いし、髪を直すのが大変だけど。どれも嫌いじゃない。


 いや、他の人にやられると嫌だから、嫌いなのかもしれない。



 だからきっと。


 多分、皮が分厚くてごつごつしてて、体温高めの、あの手が好きなのだ、と気付いたのは最近の事。



 これも多分笑われてしまうかもしれないけど。



 それでも。


 

 いつか一緒に笑える日が来るなら、明日を迎え続けるのもそう嫌うものではないかもしれない。



 最近はそう思うようにもなっていた。



 ガチャっと階段に近い方の入り口から音がした。被りかけたシーツをどかして顔を向けると、丁度こちらを見ていたハルユキと目が合った。



「ユキネ達は?」

「さあ、お前と一緒じゃなかったのか?」

「そういえば、レイと何か言ってたかも…」



 ゴトン、とハルユキが机の上に酒瓶を置いて椅子を引いたところでフェンがベッドに入っているのを見てバツが悪そうな顔で苦笑した。



「ああ、悪い。もう寝るところだったか?」

「眠りたい訳じゃない、から」



 それを聞いてからよしと頷くと、コトンともう一つ、今度は小さめの瓶を取り出してまた机の上に置いた。



「アシュル…何たらとかいう奴から餞別だ。地元で秘蔵の果物酒だとさ。知り合いか?」



 眠気もまだその影すら見せていなかったので、名前を頭の中で検索しながらベッドを抜け出て、ハルユキが座っている机の、一番ベッドから近い椅子に座った。



「アシュル・マリサ。……予選で当たった人」

「あと、他にもお前の対戦相手の奴等も何人か絡んできたけど、毎回話でもしてんのか?」

「…試合の前に名前を教えてもらった、だけ」



 何となくだが、予選の時に名前を教えあってから、未だ試合前に名乗りを行っていた。フェンの外見が外見だけに苦笑しながらだったが、それでも試合が終わった後光栄だったといわれるのが嬉しかった。



 今思えば、ただ自分の存在を誇示したかっただけかも知れないけど。



「……美味しい…」

「……美味い」



 でも。


 これ程美味しいものが飲めるならやはりやって良かったと思う。



「本当に美味いなこれ。……って飲みすぎんなよ」



 二杯目を注いでいると、若干体を引かせながらハルユキが釘を刺してきた。


 確かにあまり飲んだ事はないが、それでも酔った記憶は無い。飲んだ記憶も無い。一度も無い。だから大丈夫。



「待て待て待て待て!! そこまでだ止めとけ、明日も試合だろ!」

「むー……」



 三杯目を注ごうとしたところで横から酒瓶を引っ手繰られた。



「ハルユキは、明日……?」

「ん? あ、ああジェミニと試合だ」

「…嫌?」

「嫌じゃないよ。多分あいつも嫌じゃないだろな」

「……そう」



 コップの底に残ったお酒を喉に運ぶと、ゆっくりとコップを置いた。



「お前は嫌か?」

「………少し」



 酔いが回ってきたのか、急に瞼が重くなる。



「でも、それ、以上、に……」



 戦ってみたかった。


 ジェミニと、ユキネと、ハルユキと。


 きちんと名乗って戦って、最後に光栄だと言われて終わる事ができたら多分。


 今までよりもずっと強く自分を感じる事ができるだろうから。



 机の上に寝てしまう前に立ち上がろうとするが、足元が覚束無い。ふらっとよろめいた所をハルユキに捕まえられた。



「なら、準決で会おうな」



 どこまで口に出来たかは定かではないが、不思議と欲しい返事が返ってきた。安心して瞼が閉じていく。



 抱き抱えられているので、近くにハルユキの顔があるのは分かるが、もうかろうじて意識があるだけで瞼は閉じてしまって確認は出来ない。


 代わりにハルユキの服を強く掴んで肯定を示した。



 もうお酒は飲み過ぎないようにしようと、こっそり誓いながら、その誓いと共に意識が塗りつぶされていった。





  ◆




 晴れ。



 まばらに分厚い雲が浮いてはいるが、日当たり良好。


 湿度温度共に以上は無い。



 そして視線を下ろすと、少し大き過ぎる位の闘技場が広がっていた。


 黒いローブは暑すぎたので敬遠していたが、これはハルユキ特製の素材使用で驚くほど軽くて風通しが良いので、このままでも夏を満喫できそうだった。


 それでも茹だる様な暑さは消える訳ではなく、闘技場の床石からも揺ら揺らと陽炎が踊っている。



 そして。



 その陽炎に紛れるように黒衣の男がこちらに接近していた。




「暫し遅れた。勘弁なされよ」



 フェンと変わらぬ、いやほぼ間違いなくフェンより暑苦しい黒衣を纏った長身の男。



「やはり、噂に違わず女子の相手か。手加減は出来ぬが宜しいのだな?」

「大丈夫」



 静かに一言で返事を送る。


 それにしても二人揃って暑苦しい格好だった。


 あまり日が当たらない客席でも手で団扇で各々が風を送っているというのに、鉄板のような床石の上でのこの格好は見ている方も辟易するかもしれない。



「私は、フェン・ラーヴェル。貴方は?」



 銅鑼が鳴るまでの時間にそう口にした。


 呆気に取られる気配が伝わってくるが、直ぐにきっと引き締まった。



「これは失礼した。偽名で済まないが某はコジロウと名乗っている」

「…偽名?」

「不満だろうか?」

「……本名は?」

「悪いが、言わない」



 実際大した事ではないのだ。この男もフェンの人生にそう深く関わっていく人間ではない。



 でも、だからこそ聞きたいのだ。


 人の人生に関わって、自分の人生に色を付けて欲しいのだ。二度と嘘だなどと思えないように。



『──試合、開始だ!』



 しかし銅鑼が鳴る。


 男も口を閉ざし、もう言葉を交わす余裕は無くなる。



 男が一歩踏み出した。


 問答は諦めて、向かい撃つ様に地面に氷を走らせる。



 棘のように地面から突き出す氷の槍は並みの敵なら十人いても薙ぎ倒すだろう。


 しかし、男もここまで勝ち残ってきた実力者。



 躊躇いも一瞬。


 大きな体を限界まで小さくして、氷の槍の間を潜り抜けてくる。



 速い。


 目で追える速さだがそれが逆に魔法を使用していない事を悟らせてくれ、身体能力の高さを際立たせる。



「──"火砕竜アグナコトル"」



 氷から入るのはそれが一番得意な魔法だからだが、それは相手の誤解を誘う。


 範囲の狭い物理攻撃から、範囲が広い特殊攻撃に。



 氷を待っている相手にその真逆の魔法を使えば、多少なりとも意表はつける。


 卑怯だとは思わない。




 何しろフェンは身体能力が低すぎるのだ。普通の町娘と変わらないほどではあるが、それでも戦いにおいては最低ともいえるレベルだ。




 攻撃を喰らったら終わり。捕まったら終わり。躓いたら終わり。


 獣に勝てないから人間が武器を使うように。


 工夫を凝らすのは劣っている者にとって義務なのだ。



 羨ましい程の身体能力を持った男に、火と土が混ざり合った魔法が竜の形、と言うにはあまりに大雑把な外見のそれが顎を開く。



 しかし意外にも男は驚愕の気配を見せず、その事に逆にこちらが驚かされる事になった。



 避けれない所を見ると溶岩は予想していなかったようだが、恐らく氷以外の魔法を使う事はばれているのだろう。


 一回戦は多すぎるから見ていないとして、二回戦は確りと見られていたようだ。




 ユキネの医務室に行ってこの男の試合を見れなかった事が悔やまれるが、多分もう一度やり直したとしても行ってしまうだろうし、それは言っても仕方が無い。



 焦りながらも、とりあえず竜と男の接触地点から距離をとる。



 一、二メートルほど下がった所で、丁度竜が崩れながら男に覆いかぶさった。




 しかし、それで終わる訳も無く。



 一瞬後に竜の喉だった場所が盛り上がるように隆起しだして、男が飛び出してきた。



 ほとんど燃え果てた黒衣の中で覆面だけがその端に炎をチラつかせるだけで済んでいる。



 残りの黒衣は恐らく溶岩の下で形を無くしているだろう。あの高温の中で動けたと言う事はあの黒衣も普通の物ではないのは間違い無い。



 黒衣の下にはきっちりと黒い甲冑と手甲を着込んでいて、その腰には直刀がぶら下がっている。



 その上であの動きを出来るのだから、不公平にも程がある。




「あれはお気に入りだったのだがな」




 普通の女子供並の後進に、超人の前進が追いつくのにそう時間がかかるわけも無く、始まって十数秒で男はフェンに手が届く位置まで接近してしまっていた。




「悪いが、容赦はしないと言った」




 手甲が拳の形に変わり思い切り後ろに引き絞られる。


 この距離ならば、避ける事も防ぐ事もできない。



 そして、当然のように。


 身じろぎすら出来ないフェンの小さい体に拳が吸い込まれた。




 観客は呆気に取られている。




 一瞬の決着に。



 否。



 男がまるで見当違いの方向に拳を突き出した事に、だ。



「何……!?」



 すっと男の体が前に流れそうになって何とか踏みとどまる。



 そして、目の前から陽炎のように揺らいで消えたフェンを探そうとする前に、男の目の前を氷の刃が掠めた。



「蜃気、楼…!?」


 

 そして直ぐ横には、今までは視界になかった小さな姿。

 

 ひらりと、男の黒頭巾が形を崩し地面に落ちる。



 その下には歴戦の戦士の顔。目の下の頬から唇を横切って大仰な獣傷が走っている。



「容赦はしてないけど、油断は、してた」

「痛いところを付くな…」



 一拍置いて、フェンは氷の刃を首から離した。



「…意趣返しのつもりか? しかしそれは油断どころか慢心だぞ」



 男の言葉に剣が混ざる。


 しかし、もちろんそんなつもりは無い。返答にはならないかもしれないが、自分なりの言葉を口にする。



「──私は、フェン・ラーヴェル。貴方は?」



 その言葉を再び聞いて男はピクッと肩を揺らした。

 

 そして、呆れたように口を開けた後、直ぐに傷が走る唇を捻じ曲げるように愉快げな笑みを見せた。



「参ったな。悪かった小さなつわもの様よ。……しかし私にもまだ滾る物があるらしい」



 愉快そうに今度は大口を開けて笑うと、引っかかっていた覆面の一部を、完全に剥ぎ取って顔の全容を明らかにした。



 そして胸に拳を置き、高らかに声を上げた。



「──某の名はムサシ。ムサシ・グラルド。ビッグフットに所属している」



 ムサシ・グラルド。


 その名を胸に刻み付ける。しかし、良く分からない単語が一つ。



巨大な足(ビッグフット)…?」

「知らないか? 割と自分では有名なつもりだったのだが…」



 聞いたことが無い訳ではない。この世界では有名な名前だったはずだがどうにも出てこないだけだ。



『ビッグフットォ!!?』



 闘技場の声が拾えるようになっているのか、代わりに実況席から驚きの声が上がった。



『黒い鎧に直刀…! そうだ、あの男、ビッグフットの"二人目ツヴァイ"だ…!!』



 闘技場が驚愕の声で震撼した。



 そう、たしかかなり昔、町に住んでいた頃に聞き及んだ事がある。


 僅か数名のチームから徐々に人数を増やして行き、最終的に商業、貿易にも手を出して、最終的に軍事国として独立した異例の集団チーム



偉大な一歩(ビックフット)。──某の誇りだ」




 世界一有名で世界一巨大なチームの名前。




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