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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
106/281

泣かぬなら、泣かせてしまえ

「足元が御留守じゃ、なッと」

「くッ…!」



 何気無く出された足をギリギリで跳んでかわす。



 しかし、空中に浮いたユキネに向かって狙い済ましていたのかのように、いや実際に狙い済ましていたのだろう。ギュッと独楽のように回転したレイから伸びる左足が、遠心力を伴ってユキネを打ちのめした。



 ギリギリで剣を体の間に捻じ込んだものの、空中では踏ん張りようも無く、蹴りの方向に従ってユキネの身体が吹き飛ぶ。


 悲鳴を上げながら地面をごろごろと転がって、やがてうつ伏せに停止した。



「ふむ、悪くは無い」

「…どこがだ」



 不貞腐れながらユキネが体を持ち上げた。勢いよく吹き飛びはしたものの、すでに鎧を纏っている。埃っぽい以外に実害は無い。



 もう攻撃は終わったのか、弛緩した声を出しながら首を鳴らすレイに近寄った。


 結局今日は一本も取れていない。


 そもそもレイは魔法さえ使っていないのだ。力量の差を改めて実感させられる。



「………レイは何でそんなに強いんだ。ハルとも互角に戦えてるし」



 いつものあの喧嘩。始まってしまえば誰も止められない。最も止めようとも思わないが。



「あんな化け物予備軍と一緒にするな。あやつは常に手を抜いておる」



 レイが不愉快そうに額に皺を寄せた。


 

 珍しくハルユキに負けを認めたことに気付いて、少しだけ驚く。


 否定するにしても、逆だと思っていた。あんな小僧如きと一緒にするなとか、そういった言葉を想像していたのだ。



「…なんじゃその顔は」

「いや、少し意外で」

「……あれはもう別物じゃからな。そもそもジャンル違いじゃ。言ってみれば、皆は剣で戦っているのに一人だけ神罰で戦っているようなものじゃよ」

「そ、そんなにか…」



 確かに今日の一回戦も一瞬で終わらせていた。ユキネに至ってはまた何とか勝ち抜けたといった具合なのに。


 そのハルユキより強くなるとか言ってしまった自分に頭を抱えたくなってきた。



「そもそも何で御主はそんなに下手糞な魔法を使う。ぎこちないにも程があるじゃろ」

「…しょうがないだろ。使えるようになったのは最近なんだから」

「その程度の錬度では余り役にもたたんだろうしの」

「いや、結構重宝しているんだが」



 実際魔法を跳ね返すと言うのは強力な魔法だと思う。しかしまだまだ錬度が足りない。だから問題があるとすれば。



「それも攻撃には不向きな能力じゃろう」



 そもそも発展の仕様も無い能力だ。


 今の所分かっているのは『破』の方は剣を生成する能力で、『白』の方は魔法を跳ね返すということだけ。



「二文字あるのじゃろう。そっちはどうなっとるんじゃ」

「よく分からないんだよ、こっちは」



 左手に刻まれた『破』の文字をしげしげと眺めて見る。しかし当然、何か答えやヒントが返ってくる訳もない。



「そもそもその『白』というのも抽象的で解り辛いの」



 そこでいきなりレイが言葉を切った。見れば額に手を当て言葉を捜しているようだ。



「…それに?」



 待ちきれずにユキネがそう助け舟を出すと、レイはじれったそうに頭を掻きだした。



「そもそも、魔法を跳ね返す事が『白』の能力なのか?」

「どういう…?」

「考えても見ろ。跳ね返すのは良いとして、四つの属性まで使えるのも普通ではないのだぞ?」

「じゃあ、そっちが…?」

「…いや、そちらはおそらく『破』の方の能力じゃろう」

「…な、なら、おかしくないだろ?」



 レイの言いいたい事がいまいち理解できずに首を捻ると、レイがジトッとした目でこちらを見つめた。



「な、何だよ…?」

「じゃあ、聞くが…。もし『白』だけだったらどのような魔法になっていたのだ?」

「あ……」



 言われて気付く。


 跳ね返すのに必要なのは属性を合わせる事。


 火なら火を。水には水を。風なら風を巻き込み。土は土を飲み込む。中々強力な効果だと自負しているが、そのせいか使い勝手はあまり良くない。



 というのも、異文字には効かないし、更に複数の属性が一度に襲い掛かって来た時は対応が追いつかないのだ。


 もし4つの属性が『破』の能力だとしたならばだが、そうした場合魔法を跳ね返すと言うのは『白』の断片的な効果でしかなかったという事にならないだろうか。



「と、いう事は…!」



 思わず上ずった声が出た。


 正直、今までの努力が無駄になりそうで悔しかったが、自分の可能性が広がったのは決して悪い事ではない。



「まあ、詳細は全く解からんがの」



 そう言ってレイは忌々しげに腕を組みなおした。


 そこで、ユキネが全く話を聞いていない事に気づいたのか、思い切り中指に力を溜めてから、パチンと額を弾いた。


 あいたっとあどけない声と共に涙目でレイを睨み付けるユキネに、レイが言葉を続ける。



「……"魔法に於いて一番重要なのは努力でも魔力でもなく"?」



 それはとある昔の魔法使いが遺したと言われる言葉。


 恐らく魔法を学ぶ上で誰しもが教えられる事だろう。当然ユキネも知っている。


 額を押さえながらその下の句を繋げた。



「………"己への探究心であると飽くなき想像力"」

「そうだ、出来るだけ有効に使え。剣等とは違って魔法は発想だけで上達する」

「…うん」



 レイの言う通り魔法は瞬く間に上達する。


 言ってみれば拳銃の引き金の引き方を教えるようなものだ。慣れさえすれば大した時間も掛からずに、それなりの攻撃力を得る事ができる。



 ただ、あくまである程度。戦い方の幅が広がるだけだ。魔法の上達と強さと言うのはそこまで綿密に結びついてはいない。



 最終的に勝負を、そして強さを分かつのは、それまでに込められた意思と凝縮された時間なのだ。



「先ずは己を知れと、実に的確な言葉じゃの」



 嫌味を零すレイを無視して、剣の柄を握りなおす。



 集中する。



 イメージは空。世界の中心に自分を。


 音が鳴るほど剣を強く握り締めると、魔力を魔力のまま剣の中に流れ込んでいくのが分かった。


 ズッと何かを軽く引きずったような音が頭の中に響き、魔力が剣から漏れ出していき、同時に魔力に中てられた空気が風となって踊りだす。



 ここから火、水、風、土の中の一つ選択し、イメージを練りこむ。



「──待て」



 色々言われたので、何か新しいやり方を模索しているとレイから静止の声が掛かった。



「そのまま動くな…」

「う、うん」



 準備が出来た途端、レイがユキネに血の塊のような紅色の魔力を投げつけてきた。


 驚いて声を上げそうになりながらも、反射的にその魔法に剣を向ける。



「え…」

「ほう」



 パンと何かかが弾けた様な音がして、剣に纏わり付いていた魔力が空気に溶けた。



 しかし二人の目にそんな物は映っておらず、レイは面白そうに、ユキネは困惑半分で、紅の魔力と白の魔力が触れ合った中空を彷徨っていた。



「成程。一端ぐらいは見えたんじゃないか? 前の技の"劣化版"と言ったところか」

「で、でも、これ…!」

「騒ぐな。大体5秒も維持出来とらんじゃろうが。明日に使うのは無理だ。一端忘れろ」

「そう、だな…」



 試合はもう明日。レイの言った通りさすがに間に合いはしない。



 今日はハルユキもジェミニもフェンもユキネも勝ち残った。


 ハルユキは派手に、フェンも簡潔に、ジェミニは意外と苦戦しながらも華々しく。


 それに比べるとユキネは何とかといった感じだ。


 改めてうちのチームのメンバー達の力量の高さを実感する。レイだってもし出場していれば他の三人に違わないほどの結果を残すだろう。



 少しだけ悔しくなって、でも今は体の芯が熱くなるだけに留まった。



「……もう一回、付き合ってくれ」

「良い心掛けじゃ。後悔するなよ」



 そして、もう一度だけ感触を確かめたくなって剣を握った。




   ◆




 目を開けると、抜けるような青空が眼前に広がっていた。


 その蒼さに心奪われたのも一瞬。直ぐに試合の途中だということを思い出した。



 もしかしたら負けてしまったのか、と顔を上げるが、ほんの少し顔を上げた所で相変わらず宙に居座る剣軍共が目に入り試合がまだ終わっていない事を教えてくれている。


 皮肉な事に、その切っ先から漏れる敵意と戦意が、安心を与えてくれていた。



「ま、だ、まだ…!」



 歓声も途切れておらず、どうやら気絶していたのは一瞬の事だったようだ。



 しかし、その一瞬でさえ、勝負を決するには十分過ぎる時間だったはずだ。


 この期に及んでまだ舐められている事実に歯噛みしながらも、その悔恨も一緒くたに思い切り剣を握り締めた。



「ああ、勘違いせんでくれよ? 別に侮りから止めを刺さなかったわけではない。安心してくれ、貴女は儂の明確な敵役じゃ」

「なら、どうして…?」

「少しそなたと話がしたくての。言葉を探していたら忘れてしまっていた。歳じゃの、歳」



 忘れていた。それも何だか舐められている気がしないでもないが、先ずは勝つ事だ。


 たとえ舐められていたとしても、今は勝てれば他はどうでも良い。



「ところで、これはまた別の技なのかの?」



 そう言って首を傾げるムイリオの手には、一本の何の特徴も無い剣が握られている。


 ただし、その刀身の半ばから叩き折れてしまっているが。


 ポタポタと、その境界から水が滴っている。そんなになってもまだ剣の外見を保っている事に改めて相手の技量の高さに喉を鳴らす。



「そうか。また別の技か…!」



 一瞬で手に持った剣が気化したかと思うと、またムイリオから戦意と敵意が迸り、嬉々として唇が吊り上がる。


 と。



「…いかんの。この歳になってもこの癖は抜けん」




 その口元を隠すように、ムイリオが鉄の義手を顔に押し付けた。


 まるで痛みが引くまで手当てするようにそのまま動きは無く、やっと手を離した時には、狂気すら滲ませていた表情はどこかに消えていた。



「好戦的なのは血筋での。ノインもそうじゃし、──あれの父親もそうじゃった」



 代わりに顔に浮かんだのは、自嘲するような老いた笑み。余りの落胆に剣を握る力が緩みそうになるのを何とか堪える。



「と言っても、あれにそれほどの才は無くての。それでも努力だけは怠らん男だった。

 何度も何度も魔法も剣も学も付きっ切りで教え込んだ。時には詰め込みすぎかと思いはしたが、あれも自分から望んでいた。

 国を背負う責任を感じていたのかも知れん」



 疲れたように笑いながらも、その中には僅かだが息子を自慢する父親の表情かおが見え隠れしている。



「運の良いことに努力が実を結んでの。王位を明け渡した時には誇らしささえ感じたよ。

 順風満帆だったのだ。この大会で去年ノインに負けたように、息子に打ち負かされたときも、もちろん悔しかったが、それ以上に──」



 それ以上の言葉は言わなかったのかそれとも聞こえなかっただけなのか。


 しかし、その先を想像するのは難くない。


 

 余りに寂しげな口調が、今にも泣き出しそうな表情が、心情を読み取るのに言葉を必要としなかった。



「結婚してノインが生まれて、あやつがおかしくなったのはそれから数年後じゃ」



 そこから先の話は知っている。


 堕ちた王は果たして、娘の才能に嫉妬したのか、王としての責務に加えての親としての責任に耐えられなかったのか、それとも自分の力しか信じられなくなったのか。



 それが分かる日は、きっともう来ない。



「流石に苦言を申そうとして、有無を言わさずに手足を千切られた時は流石に泣き叫んだ」



 どのような気持ちだったのだろう。


 大事に育んできた息子が、誇らしささえ感じていた息子の力が、自分に襲い掛かって来た時。


 

 その絶望の深さだけは、想像に難い。




  ◆





「殺そうと思った。それが責務じゃった。間違いだとも思っておらん。しかし、儂に出来たのは助けに来た者と共に城を逃げ出す事だけだった」



 あの悔恨はこの鋼の義手がよく覚えている。



 期を見たのだ。決して間違いではない。


 国を持つ人間と戦争して勝てるわけもなく、個の力も手足がない今では戦いようさえなかったのだ。


 賢明な判断だった。迷いもせずに背を向けた事を覚えている。



「しかし、それが考えうる限り最悪の結果を招いた」



 身内殺し。


 ムイリオがやろうとした事と変わらない。ただ血に汚れる手がすり替わっただけ。


 小さくて、愛も満足に知らない子供の手に。



「儂が実際に城に戻ったのは二週間も経っていない時期じゃった。しかし、その時には既に国ごと再生が始まっていたよ」



 無力感に襲われた。罪悪感に苛まれた。



 あの苦痛はまだこの鋼の義手がよく覚えている。



「だから儂はの、誰よりも何よりも。意地でもあのノインを幸せに導かねばならぬ」



 他の誰でもなく私が、他の誰でもなくノインを。



「だから、あの男を婿になどしたくはなかった」



 最初に会ったときに感じたのは、強さではなく深さ。底知れなさと言い換えてもいい。例の剣を見据えている様は、雑踏の中に深淵でも紛れているのではないかとさえ思った。



 声を掛けて剣から目を離せばその気配は消えてしまい、魔力のかけらさえ感じなかった故か見逃してしまったが、あの一回戦の試合。


 激しく後悔した。


 計りきれなかっただけなのだ。矮小な定規で大海の広さを測ることが敵わぬように。



「──あの男は、"怪物"だ」



 力が怖いわけでない。あれ程の狂気と城一つ滅ぼせるほどの力が共存している事が信じられない。


 そんな存在を一体怪物以外の何だと言うのか。



「ノインは強い。力に振り回されてもいない。しかしあの怪物のような力を求めてしまったら、またあやつの二の舞になってしまうかも知れぬ」


 

 あの喪失感もこの鋼の義手がよく覚えている。



 それだけは、二度と繰り返す事は許されない。


 最初は知り合いの娘かもしれない女子の様子を見るためだけの出場だった。しかしそれを見て完全に目的はすり替わった。


 昨日の夜ユキネを訪ねたのも、正直に言えば八割は男の事を探るためだった。



「ハルは」



 しかし。


 家に帰る頃にはそんな思いは限り無く薄らいでしまっていたが。



 余りに。


 余りに、目の前の子供が理想通りに育っていてくれたから。



 感謝の念を感じるのが筋だとも思った。



「ハルはそんな人じゃないよ」



 そして目の前で怪物と言い切った男を信じている人間もいて確信に至る。


 何の事はない。


 計りきれないなどと、それさえも歪んだ定規で計った結果でしかない。




「まあ、そう思っていたのは昨日までじゃがの」

「へ…?」




 そんな物差しも色眼鏡も放り出してみればただの不器用な好漢にしか見えないのだ。


 感謝が本懐だ。誤解を誤るのが筋だ。



 しかし。



「儂は年寄りじゃからの」



 気に入ってしまった。


 目を皿にしてユキネを心配している姿と、あの馬鹿のような声援には笑ってしまいそうになる。


 その人間臭さが嫌に気に入ってしまった。


 加えて孫が惚れているのなら、もう反対もしようが無い。



「筋よりも意地を通す。それだけ言いたかった」



 多分、それが一番あの娘が幸せになれるだろうから、意地でも何が何でも。


 欲しいモノは自分の力で。



 これもまた、血筋なのだ。




   ◆





「筋よりも意地を通す。それだけ言いたかった」



 そう言ったムイリオは楽しそうで、やっと贖罪を終えられると安堵しているように見えた。



 きっと、泣いてさえいないのだ。王は悪役として葬られたから。


 だれも悲しまない結末が必要だったのだから。



 それはきっと、あの王女も。



 あの夜。


 ハルユキと再開した夜。そして旅に出た初めの夜。


 二つの夜を泣き明かしても、ユキネの心に悲哀と悔恨はこびり付いている。



 それでも、救われたのだ。


 逆にあれだけ泣き明かしても足りないほどの、重さなのだ。


 救われないまま、背負い続けて生き続けてきた二人の辛さの片鱗ぐらいは理解できる。



 泣けなかったのだろう。泣く事など許さなかったし、許されなかったのだろう。


 父を、息子を亡くしてしまったのに、その位牌を持つ事さえ許されなかったのだろう。




 もしかすると、いやきっと間違いなくただのお節介だろうけど。



「──泣かす」



 ムイリオノインも。


 私はハルユキから貰った分を返していかなければならないから。



「二人まとめて、」



 やっぱりあの王女は嫌いで仕方ないけど。



「泣かしてやる──」



 でないと、またハルユキが救ってしまうから。


 そうやって、持って行かれたら堪ったものじゃないじゃないか。



「泣かす…?」



 言葉だけ取れば、いや内容を取ってみても唯の独り善がりの我侭だ。


 しかし、ムイリオは怒りもせずに面白そうに笑い出した。



「本当に、ウィーネそっくりに育ったのぅ」

「母様、知ってるのか…?」

「ああ、この試合が終わったら話でもしてやろう」




 柔らかく笑いながら、ムイリオがゆっくりと手を挙げた。


 待ってましたとばかりに、武具共がムイリオの周りに殺到する。



「先程の力を使われると、この剣群も無力だからの」



 蠢くそれらに優雅に指揮を振っていく。


 指揮を受けた武具達は形を溶かしながら結合していく。



「質より量ではない。量より質ではない。儂は年寄りじゃからの。我侭に総取りじゃ」



 積み重なって、折り重なって、剣で車輪が出来て、槌で盾が出来て、刃で壁が作られ、鋼で玉座が彩られていく。


 その間僅か5秒足らず。


 ズン、と重々しい音を立てて着地しながら、見上げるような移動要塞が生誕した。




「──さて、そろそろ本当に最後じゃの」



 ゆっくりとムイリオが玉座に腰掛け、優雅に肘を立てる。


 その姿には、まさに。万軍を従える王を彷彿させた。



 しかし、今更怯える事はしない。


 呆然とした声が漏れそうになるのを歯を噛み締めて贅力に変える。



 あれは上位文字。


『白』で跳ね返せないのは実証済み。



 なら、挑戦するしかない。


 逃げる事はしない。避ける事はできない。諦める事ももちろんしない。



 ただ。



「受けて、立つ──!」

「上等──!!」



 全力で、魔力を剣に流し込む。


 白いまま。純然たる白のまま魔力を増幅させる。




 しかし。


 空気の動きが、土埃が、太陽の日差しが、そこら中から立ち上っている水蒸気が。


 白に混ざって変質させようと紛れ込む。



「くッ…ぁッ…!」



 ある程度まで増幅した白い魔力がそこから魔力を受け付けない。いや正しくは練りこんだ端から自然の四色に溶けていく。


 まだ、足らない。あの城壁を打ち砕くにはまだ足らない。


 しかし、いくら集中しようと、いくら魔力を練り込もうと、これ以上が、無い。



「くそ……ぉッ!!」



 やはり見えてしまった自分の限界。


 でも、望んだ場所にはまだ届いていない。



「あ…」



 直感で分かる。


 直ぐに、剣の魔力が霧散する。


 限界を超えたのだ。



 あとはただ堕ちていくだけ。






 ──違う。



 まだ私は出来る。


 後一歩ぐらい、踏み出せるはずだ。



「──ぁ、ぁああああああッ!!」




 ふと。



──四枝これは余計なようですね──



 スッと体の横に手が添えられた気がした。




 驚いて剣を見れば、そこに手などもちろん存在しておらず、ただ、純白の魔力が巨大な剣の形を模してそこに在った。



 安定している。目を瞑っても手を離しても魔力は霧散しない事が何処かで静かに確信する。



「全軍、──突撃」



 明確な戦意を持って、ムイリオが手を振った。


 集中するのにどれ位の時間を要したのか定かではないが、まだ十分に間に合う。



 突撃兵代わりの剣に向かって、純白を振るう。


 所詮は以前の複合技の劣化版。跳ね返す事は出来はしない。




 しかし十メートルはあろうかという剣を振り払えば、その軌道にあった魔力は跡形も残らない。




 質は下がった。しかし有効範囲が"魔法"から"魔力"に変わった。ただそれだけの事。



 されど、意味はある。





 突撃兵を突破したのも束の間、剣雨が降り注ぐ。根こそぎ切り払う。


 進む。


 城砦の半ばから、巨大弓バリスタが二メートルはあるかという程の矢を弾き飛ばす。受け止めて消し去る。


 また一歩。


 剣の雨は止む事は無い。それなのに、次々と兵器は増大していく。


 大砲、投石器、更に今度は左右から破城槌が接近する。



「──ッ!!!」



 声にならない咆哮と共に、白い剣が脈動し、更に大きさを増した。


 それこそ、城壁すらも切り崩せるほどに。



 纏わり付く兇器共を一掃して、剣を振りかぶる。


 既に、城壁は目の前。



「ああああああああああッ!!!」






 頭の上に振りかぶった剣が、何の抵抗もなく地面まで一直線に振り下ろされた。



 もしやこの距離で外したのかと思うほどの抵抗の無さに顔を上げれば、しかしそこに要塞は影すらも存在していなかった。



 止めていた呼吸を吐き出した。



 その一瞬、殺気が首筋に掠る。


 反射的に、要塞があった方向に飛び込んだ。




 一瞬後、ユキネの胴体があった場所に、思い出すだけで吐き気を催すような鋼鉄の掌底が、その空間の空気を吹き飛ばした。



 倒れこんだユキネにムイリオが接近する。


 起き上がる時間は無い。苦し紛れにムイリオに剣先を向けると、怒涛のようなスピードで近付いて来ていたムイリオが、ピタッと静止した。



 数瞬の膠着の後。




「──詰みじゃ」




 ムイリオが子供のように破顔した。




 瞬間、地面が三度みたび持ち上がる。



 いや今度は水面が、ではない。間違いなく床石が空中に向かって持ち上がった。



 まるで絨毯を真ん中から持ち上げたかのように、奇々的に。



 目の前のムイリオが、床石に波紋を立てて沈んだのを見なければ、それが投影で作った物だとは気付かなかっただろう。



「なッ…!」



 その床石が、数メートルほど持ち上がったところで、一瞬で跡形も無く気化した。


 グン、と重力に引っ張られてユキネの体が落下を始める。



 下に落ちたところで大したダメージは無い。しかし本当の床石の上にムイリオがまたしてもあの掌底を作って待ち構えている。




 絶体絶命。しかし。



 諦めは微塵すらも。



 無意識的に、空中で体勢を整え"空を蹴った"。


 加速する。



 驚きの声と共に、ムイリオの右手が空を切る音が聞こえる。



 着地して地面を転がる。



「───あァッ!!」

「───ぬゥッ!!」



 決死。



 故に回る思考はもう存在しない。



 お互いに接近して、すれ違い様に剣を叩き込み、同時にムイリオの鉄拳も迫る。



 結果。




 決着は必然だった。






  ◆







 ドサッと、後ろで相手が倒れる音が聞こえた。


 カランと音を立てて剣が転がる。




 その音を、ムイリオは背中で受け止めた。




 強かった。




 あれ程小さい子供がよくもここまで強くなった。



 ほんの少し運の天秤の傾きが違っていたら、勝敗も変わっていただろう。








「──私の、勝ちだ」




 冷たい地面の感触を頬で感じながら、ムイリオはその声を聞いた。


 立ち上がったユキネの顔を見るために起き上がろうとするが、魔力も贅力も使い果たしてすっからかんだ。


 何とか力を振り絞り、寝返りを打つと、太陽の光が目に入って眩しかった。



『勝者、ユキネ選手…』



 呆然とした実況者の声に勢いが無い。


 まさかムイリオが負けるとは想像していなかったのだろう。正直ムイリオ自身も負けるとは思っていなかった。



「全く、爺扱いが酷過ぎやせんかの」

「お互い様だ…」



 ペタンと、ユキネもその場に座り込んだ。


 鎧もいつの間にか何処かに消え、アバラが相当痛むのか顔を顰めたまま、動かない。



 小さく息をつく。ここまで精根尽き果てたのは久しぶりだった。



「だ、大丈夫か…?」

「…大丈夫じゃよ。あと50年は生きて見せる」



 何も言わない自分が今度は心配になったらしい。


 そういう所は父親似か。



「ムイリオ公。お待たせ致しました」



 いつの間にか担架が到着していた。先にユキネを乗せようかととも思ったが、こういうのは年寄りの特権だ。



「先に失礼する。楽しい戦いをありがとう、ユキネ殿」

「あ、いや、こちらこそ。ありがとうございました」



 起き上がってお辞儀をしようとするユキネを手で制した。そしてふと思い出す。



「──まだまだ、お主如きに泣かされはせんよ」

「む……」



 若い者をからかうのも、年寄りの特権で、義務だ


 笑って、柔らかい布の上に体重を預けた。


 

 一杯一杯だったのは自覚していたが、気を抜いた瞬間抗いがたい程の眠気に襲われた。



 闘技場を出るまで何とか堪えていたが、抵抗するものも抵抗する理由も無いのに気付いて、目を瞑った。






◆ ◆ ◆






「む…」


 目を覚ますと、柔らかいベッドの感触が体を包んでいた。



「おはよう、じい

「ノイン…? ここは……?」


 

 医務室ではない。それにもう窓から見える空も暗い。


 見覚えがある眺め。ノインの言葉を聞く前に答えは分かってしまった。



「城よ」

「……馬鹿モンが…」



 体を起こそうとするが、義手も義足も消えていて、新しく構成するにも魔力はまだ回復しきっていない。


 仕方なく羽毛の枕に頭を預けた。



「負けちゃったわねー…。死んだかと思ったわ」

「ふん、ちっとは悲しがれ、爺不幸者が」

「じゃあ、死なないと信じていたってところでどうかしら。結構美談になりそうだけど」

「糞食らえじゃな」

「同感だわ」



 フッと、ムイリオが笑ったのを見て視界の端から同じように笑う気配が伝わってきた。


 笑い方まで似ておるの、と一人ごちる。

 

 しかし、まあ今となってはその血筋もここにいる二人だけ。そう思えば、割と愛しい物だ。



「爺…?」

「ほれ、お前はもう戻れ。試合もあるのだろう?」

「もう終わったわ。軽く勝ったけど」

「憎たらしく育ちおって…」



 それから会話が切れてしまったからか、ノインが椅子を引く音が嫌に大きく部屋に響いた。


 その音が名残惜しく感じたのは歳のせいだと信じたい。



「じゃ、ギィのご飯用意しなくちゃならないから、もう行くわ」

「あの竜か。お前からしか餌を食わんのか?」

「私と、あとハルからも食べてたわね」

「ハル…。あやつか」

「そう。そいつ」



 じゃ、と短く言葉を切ってノインが扉に手を掛けた。



「ノイン」



 気が付けば。


 孫の背に声を掛けていた。



「すまなかった」



 相変わらず視線は天井を向いたままだったが、ノインがほんの少し驚いた気配は何となく伝わってきた。



「……一体何に謝っているのかは分からないけれど、それなら私も一言良いかしら?」



 返事はしない。どっちにしろこの娘は言うなといっても言ってしまう。



「爺様」



 懐かしい、呼び方だった。


 本当に懐かしい。



 爺と呼びたがるノインを、あやつが爺様と呼ぶように叱っていた事を思い出させる。



「ありがとう」



 視線は天井に向いていたので見ては居ないが、そう言って、ノインはきっと笑っていたと思う。



「訳が、分からんわ」



 パタン、と力無く扉が閉じて、部屋の中から今度こそ音が消えた。




 それがきっかけだった訳ではない。先程の試合が原因だった訳でもない。



 それは恐らく、少しずつ注がれる水がいつかは器から溢れてしまうように。ただ、今ここがその淵だっただけだと思う。



「──あの、馬鹿息子が…ぁっ」



 零れた。乾いた眼から、皺だらけの頬を伝って。


 ガタ、と静かに椅子を引く音が、一人きりだと思っていた室内に響いた。



「もう少し、ここに居るわ」



 眼を覆っていた左手を退けると、その先に孫娘が座っていた。



「すまないノイン、じゃあ、すまないよなぁ…」

「辛いのは、爺の方」



 それ以上、ノインは何も答えない。


 しかし、ただ赦して貰いたいが為の欺瞞かもしれない。無様に泣き漏らす行為だ。


 それでも確かに。


 ほんの一握りでも確かに。




 救われた気がした。





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