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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
103/281

誰がために己がために

 

 階段を上がりきって、目の前に青空が広がった瞬間、第三試合の選手が揃った事を告げてきた。


 闘技場の上に視線を落とすと、確かに見覚えがある二人が向かい合って、何か言葉を交換していた。


 この歓声の中さすがに聞こえてはこないが、何やら仲良さげな雰囲気だ。何か通じ合うものでもあるのだろうか。まあ想像に難くはないが。



「シア? 来てたのか」



 周りを見渡すと、闘技場を挟んだ向こう側にシアが歩いているのを見つけた。


 歩く先にもう一人。決して派手ではないが、相変わらず目立つ和服を着たレイが、こちらに向かって手招きしている。


 どうやらこちらに気付いているらしい。


 周りに他の知り合いもいなかったので、のんびりと歩いて行った。



 歩く間に実況が聞こえてくる。レートとしては大凡おおよそ五分五分。


 ジェミニもガネットも背格好は同じほどである上に、余り名が知られてもいないから妥当といったところだろう。


 それでも、ハルユキの倍率よりは良い事に変わりはなかった。調べて見ればフェンやユキネよりも倍率が高いのだ。あの二人は容姿が目立つからしょうがないかもしれないが。



「おう小僧、出せ」

「…どこのチンピラだお前は」

「何でも手軽に涼をとる便利道具があるらしいじゃないか、それくれ」

「…ほらよ」



 適当に練成して、レイに放りながらその隣に腰掛けた。


 何か頬に視線を感じて、レイの向こうを覗いてみると、シアが申し訳なさそうにうな垂れていた。


 何事かと思ったが、レイとシアの手元に置かれている飲み物を見比べている所を見ると、成程、ハルユキの飲み物がない事を気にしているらしい。



 たまたま、ここに来る途中で買ったお茶を見せてやると、一瞬キョトンとした後、やわらかく微笑んだ。


 ハッとして、シアは直ぐに闘技場のジェミニに視線を戻してしまったが。



 その仕草を微笑ましく思いながら、ハルユキも視線を闘技場に落とす。


 先程までとは明らかに空気が変わっていた。戦いの前の雰囲気に。



「ん…?」



 いや、少し違う。


 戦いと言うよりは、何か確執があるような。



 不意に実況の声が終わった。



 もう直ぐ、銅鑼が鳴る。





   ◆






『ではこれより! 一回戦第三試合を開始する!』



 試合開始を宣言する実況の声に、ただでさえ騒がしい喧騒がさらにその大きさを増した。


 実際に試合が始まるのはまだ一分ほど先だが、入場してきた戦士達を見た観客達のボルテージはそんな事を毛ほども気にしない。


 東方ひがしがたは、いつもの剽軽な表情を顔に貼り付けたかのような顔でジェミニが相手の到着を待っている。


 対する西方にしかたから闘技場の中心まで歩み寄ってくるのは、長い金髪を腰の辺りで軽く纏めた長身の男。


 この太陽が照りつける中、長袖の神父の様な黒尽くめの服装に身を包んでいるが何処と無く得体の知れない物を感じさせられる。



「よろしくお願いします」

「あ、こりゃどうも」



 恭しく一礼するガネットに、ジェミニも無難に言葉を返した。



「そう言えば身内がお世話になっているようで…」



 先ほどハルユキが口にしていたことを思い出して、今度はジェミニから話題を振った。



「はて? 身内と言うと?」

「あれ? ハルユキとかフェンちゃ…」

「把握しました。今後ともよろしくお願いします」



 フェンの名前を出した途端に、これでもかと言うほどきっちりと、90度深々と御辞儀をかました。



「フェンちゃんかー。可愛いやろー。ワイの努力の結晶言うても過言じゃないな」



 これ見よがしにジェミニが胸を張ると、ガネットが明らかに目の色を変えた。



「なるほど。どうやってあれ程の純度を保ったのかと思っていましたが…、貴方でしたか」

「そうやでー? 手ぇ付けようとする危ない奴がそばにおってな。ホントに苦労したわ」

「いやいや、お察ししますよ。貴方のような人が傍居てくださった事を神に感謝したい」

「わかってくれるかー」

「ええ、それはもう。もし穢れでもしたら、目も当てられませんからね」

「穢れ?」

「ええ、金の味を覚え嘘の使い方に依存し他人に縋り付く。そんな奴隷のような汚らしい存在になってはいけないでしょう?」



 ピクッと、ジェミニの笑顔が一瞬だけ強張った。



「それは、どうやろなぁ」

「いえ、世間には余り知られてはいませんが、この世には奴隷や娼婦などとそんな汚れきった者が存在してしまうのです」

「……」

「そんな汚らわしい者のようにならないように守る義務があるのですよ。私には」

「……そうか」

「それにしても貴方とは話し甲斐がありそうだ。私は酒が飲めませんが…」



 にこやかに言葉を繋ぐガネットの言葉を何かが叩き割れるような音が遮った。



「はっはっは。──一緒にすんなよタコスケ」



 ガネットがその音の先に視線を落とすと、ジェミニの足元の床石が砕け散っている。



「…成程」



 お互い笑いながら、振り返って所定の位置まで移動する。


 そして再び振り返り。



「相容れんな」



 声が重なって、同時に開始を告げる銅鑼が鳴った。



「死ねやロリコン!!」

「消えろ真性が!!」



 いきなり殴り掛かるジェミニの拳にこれまた全力でガネットも拳を振り上げる。ただ合わせたわけではない。相手の小指側を拳で打ち抜く。


 所謂いわゆる、拳破壊。そのままガネットの拳がジェミニの拳を粉々にしようと接近していく。



 しかし。



 ジェミニの中指から外を狙って突き出された拳に、今度はジェミニが更に内側に拳をずらした。



 一瞬後。何かを削るような音と共に、腕が交錯する。



「チィッ…!」

「このガキッ…!」




 ガネットの拳は薄らとジェミニの腕を切り裂き、ジェミニの拳はガネットの首筋をこすっていた。


 間近で目が合い、悟る。両者共に再び拳を握りはするものの、受けるダメージを恐れて同時に後方に跳んだ。


 一瞬の攻防の中で負った傷をお互いが確認する。大した傷ではない。動いていても直ぐに血が止まるレベルだ。




 一瞬の攻防でこの試合のレベルの高さを思い知らされたのか、既に観客の割れんばかりの歓声が闘技場内に立ち込めている。


 しかし、そんなものには耳も貸さずに闘技場の二人は探るように視線を交錯させていた。



 不意にガネットが構えを解いた。


 ギリギリまで緊迫していた空気がほんの少しだけ緩む。




「…全くあの輝きが理解できないとは。全く理解できない」

「違うで? ワイはちっこいのもおっきいのも酸いモノも甘いモノも愛しとるんや」

「それは、何も愛していない、というのと同義ですよ」

「よう言われるわ」

「矯正が必要なようだ。来なさい」

「はいよっ!」



 ガネットが言い終わる前に、不愉快な表情の残像を残してジェミニが消えた。


 残像の続く先はガネットの背後。地脈の流れを利用した歩方は常人にはその初動すら確認できない。



 ガネットでさえも咄嗟の事に動きに反応できず、目で追うことすらできない。



 せいぜい、唇の端を吊り上げるほどしか。



「ッ…ぬぅあッ…!?」



 ガネットは身動き一つしない。


 しかし、代わりにガネットの周りの空気が放射状に壁のように広がった。


 その壁に、僅か1メートル程まで近付いていたジェミニの体は簡単に弾き飛ばされる。



「風、いや嵐か…?」



 数メートル程飛ばされながらも、ジェミニは冷静に着地した。


 空気を動かすのは、基本的に風の魔法。しかし、断定することは危険だ。


 異文字を数に入れれば魔法の数などそれこそ星の数ほど存在する。手段は違うが同じ効果を持つ魔法など幾らでもあるのだ。



 今のところ見当も付かない。


 そのことを考えると、出来れば先程の一撃で仕留めたかった。こちらの能力は既にばれているのだ。煌々と首筋に光る"流"の文字を見られていないと思うのは虫が良すぎる。



「それにしても…」



 先程の探りあいを終えて、見当も付かないのはまずい。一対一での戦いの場合、一方的に情報を知られると言うのは致命的だ。


 そもそも、隠していると言うのが驚きだった。


 この世界に、この時代に戦争は有り得ない。小さな国の内乱や紛争ですら殆ど起こらないのだ。だからこそ、人と人が戦う事は表の世界ではあまりない。


 あるとしても尋常な決闘か、喧嘩ぐらいだ。それでも純粋な力を競うもの。そもそも隠したりはしない。


 

 目の前の男は全身黒尽くめ。


 鎧等ならまだしも、普通は服などだったら浸透して光が浮かび上がる。しかし何かが発光した形跡など見られなかった。


 大体、普通は隠せないのだ。服越しなどではどういう文字かを読み取れるほどではないが、そもそもイメージを伝えるもの。見ていれば何を意味しているかぐらいは頭に浮かんでくる。恐らく特殊で珍しい生地でできているはずだ。



 つまり、そういうこと。


 明らかに意図的に隠している。


 つまり、そういう戦いに慣れている。


 "暗殺"や"駆除"や"後始末"。そう言った余り目立つことを許されない汚れた仕事に。



「徹底しとるなぁ…」



 並ではない。


 ハルユキが言っていた事は、どうやら言い過ぎではなかったようだ。



「"流"ですか。中々手強そうな能力だ」



 何の躊躇いも警戒も無くガネットがジェミニに向かって歩を進める。当然のように隙は無い。



「さて、じゃあ、攻守逆転ですね」



 依然、構えは無い。ジリッと再び突撃する機会を探る。吹き飛ばされはしたものの殺傷能力があるわけではない。ゆっくりとガネットを観察する。


 視線の先で、再びガネットが嬉々として破顔していた。



 突然。ジェミニの足元が爆ぜた。



「なッ…!?」



 床石が高く舞い上がり、土の塊が氾濫し、爆発の余波に乗った石の破片がジェミニに殺到する。


 咄嗟に反応して空気の流れを弄って破片を逸らすが、衝撃の余波がまたしてもジェミニを吹き飛ばし、同時に脇腹に小さくない痛みが走る。


 だからと言って、痛がっているわけにもいかない。


 出来るだけ、ガネットを観察しながら着地した。脇腹に手を当てると、当てた手の半分程に血が付着している。



「いっ…つ…!」

「まだ私の攻撃ですよ?」



 ガネットの笑みに連動するように、またしてもジェミニの足元が爆ぜる。


 先程のよりも規模が大きい。しかし攻撃が続くことを予期していたのか、ジェミニはその場から滑らかに離脱した。


 止まる事は、…出来ないようだ。ジェミニのスピードに慣れたのか、移動した跡、時には移動する先で地面が爆ぜる。



「お、い、そろそろ交代やろ!」

「いえいえ、まだまだ」



 余裕綽々でジェミニを追い立てるガネットに、ジェミニは憎々しげに舌打ちすると、突如一層強く地面を踏み抜いた。


 続いて、二回三回と足で地面を叩いて行く。


 ガネットが怪訝な顔を浮かべたと同時に、ジェミニが踏み抜いた場所が"捲れた"。



「攻守交替、やな…!」

「…ふむ、地殻変動の力を流用したわけですか、なるほど」



 一旦地面が爆ぜる音が止んで、スッとガネットが飛来する土の塊に手を翳した。そして岩の表面にガネットの指の先が触れた瞬間。


 パァンっ、と乾いた音がして。


 土の塊が一瞬で粉々になった。



「……最初のパンチ避けといてよかった」



 既に闘技場の上は土やら岩やら床石やらで散乱している。避けていなければ自分の腕もそうなっていたかもしれない。



「…隠れましたか」



 そして、その散らばった石床の一つにジェミニは身を隠した。



「随分、鈍った…」



 鈍い痛みを訴えかけてくる脇腹を押さえながら一旦思考を冷ます。




 全く厄介だ。



 鈍った体も、相手が予想以上に強いと言うのもあるが、まずこの殺してはならないと言うのが難しい。


 今までそういった事ばかりやって来たせいか、戦いの幅が狭まってしまってしょうがない。


 予想以上に失血もある。体の下には少しだけ血溜りが出来ているほどだ。


 早めに倒すことに越した事は無いのだが、あれ程の手練に能力も分からずに正面から行くのは流石に無謀。


 

 前途多難だ。溜め息をつきながら下を向いた。



──そして偶然、それを見つけた。




   ◆





「おや、もう隠れんぼは終わりですか」



 岩の陰から姿を現したジェミニを見つけて、ガネットが言った。


 その言葉は変わらず軽い口調ではあったが、目は一層細まってジェミニを見据え、体には何時でも攻撃できるように魔力が充実している。


 ひょっとしたらもう隠れている場所もすでに分かっていたのかもしれない。



「行くでロリコン。そろそろ終いや」

「ええ、終わってますとも」



 表情を変えないガネットの口から言葉が出た瞬間、ジェミニに向かって土が盛り上がりながら突進した。


 しかも四方八方から。先程の攻撃と方法は一緒だろうが、規模がまるで桁違いな事は見て取れる。



「──"共に振るえよ"」



 ガネットの口元が再びつり上がり、勝利を確信してジェミニの顔を見据える。



 そして見た。


 ガネットの笑う顔を見て、同じように唇の端を吊り上げるジェミニを。



 直後、異変が襲う。


 ジェミニの元で集約するはずだった地面のうねりが、唐突に萎んで消えた。



「なにッ…!?」



 初めて、ガネットの顔から余裕の色が消える。


 ほぼ同時に、ダンッ! と力強く地面を蹴る音が耳に届いた。



 危機感からか今度は体ごと、後ろを振り向く。視線の先には案の定ジェミニの姿。



「っ…同じ事!」



 最初と同じように空気を震わせ、波動を打ち出す。


 が、しかしそこで気付く。


 空気の流れがおかしい。



 反射的に顔の前で両腕を交差させる。


 両腕が顔を隠した次の瞬間。




 勢いを乗せたジェミニの蹴りが、ガネットを吹き飛ばした。



「…ッぁ!」



 言葉にならない声を漏らしながら、顔を苦痛に歪ませ一度地面に強くバウンドしながらも、ガネットは座ったままながらも体勢を立て直す。


 顔をあげたガネットの顔には、冷たい汗が浮かび、左手は途中から力を失って不自然に折れ曲がっていた。



「普通は分散する力を一箇所に集めたわけですか…。成程すごい威力だ…」

「降参するか? ワイはそれでも構わんぞ?」



 痛みのせいで荒くなっていく呼吸を唾液ごと飲み込んで頭の中を冷した。


 ゴクリ、と喉が鳴る。


 歩み寄ってくるジェミニの周りには、まるで身を挺して護っているかのように空気が渦巻いている。



 膝を地面に突いたまま、ガネットは空を仰いだ。




   ◆





「"波"だな」

「波…?」



 所々でもうもうと砂塵を上げる闘技場を眺めながら、ハルユキが呟いた。


 それを聞いたレイが少し考えた後、不思議そうに首を傾げる。


 二人で今まで考えを巡らせていたが、ハルユキの方が早く結論を出した事に少し不満なのか質問を返してきた。



「最初の防御は?」

「空気の波で押し流したんじゃねぇの?」

「…爆発は?」

「"共振"って現象があってな。多分爆心地に何重にも波を集中させたんだろ。色んな方向からな」

「色んな方向?」

「波ってのは反射するんだよ」



 闘技場は見ての通り壁に囲まれている。


 壁に反射させて共振を起こす。不可能ではない、しかし無論簡単ではない。それ程戦い慣れているのだろう、でなければそんな芸当はとても出来ない。



「強いな…」



 アキラの戦いは見たことすらないが、直感で分かる。多分、アキラよりも数段強い。さすがにあの年でこのレベルまで熟練させることは困難だ。


 手札の豊富さも、徹底ぶりも、そして何においても、それらに因を成す勝利への執着も。



「あやつは気付いておるのか?」

「多分な。じゃなきゃあんな事はしないだろ」



 それを聞いてまた、レイは悔しそうにうなり声を出した。


 それを傍目に闘技場の上に視線を戻す。先程の攻撃が致命的だったのかほとんど勝負は決している。


 ジェミニはあれで攻撃力が格段に強い。一撃受けただけでああなるのも不思議ではない。能力がばれているなら逆転の可能性も薄い。



 そもそも波というのは、外部からの影響を受けやすい。


 地面を伝導させようとしても、材質や密度が変われば振動数が乱れるだろうし、それが空気だったとしても風一つで乱されてしまう。


 元々正面から敵と戦うのに向いた能力ではないだろうし、こういった一対一の戦いに慣れている動きでもなかった。



「訳ありか…?」



 そんな男が何故こんな所にいるのか。いくら考えようがハルユキにも、そしてジェミニにも、そんな事は分かるはずがない。



 チラッと、レイの向こう側に座っているシアに目をやった。微動だにせずにジェミニの方を見つめている。その目から何かを読み取ることは出来ない。


 しかし、それでもほんの少しだけ、固く握った両手が不安そうに揺れていた。




   ◆ 




 ガネットは確かに以前"そういう人間"だった。その世界の中では名もある程度は知られていたらしい。


 何の疑問も抱かずに命を摘み取り自分の命を繋ぐ。



 そして、何でも無い様なシトシトと雨の降った、とある一日。


 何時もの様に事務的に有力者がたびたび足を運ぶという孤児院を襲撃した。


 打ち合わせ通り、直ぐに応援が来た。


 しかし、その応援の刃が自分の脇腹を貫いたのには驚いた。言われた通りに目に見える命は悉く殺害したというのに。


 考えられる理由はただ単に用済みになったから、そんな事しか思いつかなかった。



 直ぐに逃げた。脇目もふらずに。



 ここで死んだら、今まで殺した人間に申し訳無いと、極めて利己的な言い訳を振り翳していた事を、よく覚えている。


 逃げて逃げて逃げて、そしてやがて。糸が切れたように力尽きた。


 汚らしい泥の中に体ごと倒れこみ、雨で冷えていく体を自覚しながら、



 曇天の空を只管に、仰いでいた。震える体で祈っていた。他の誰かはどうでもいいから自分を助けてくれと。怖かったのだ。仕方なかったのだ。



 そしてそんな、どうしようもない人間にさえ、手は差し伸べられた。



 小さい小さい、脆過ぎるほど柔らかい手が。



 そこで一旦気絶して気が付いたら、ベッドに寝ていた。



 そこは、小さな孤児院だった。






 少しだけ意識が混濁していたことを自覚して、笑った。



「やっぱり、諦める訳にも、いきませんねぇ…」



 言葉を発して、意識を取り戻した。


 途端に、背中と左腕から絶え間なく痛みが襲ってくる。


 自分の能力が敵にばれてしまったのはガネットにも察しがついていた。


 それでも並みの戦士如きに負けるはずもないし、そこまで攻略が簡単な能力でもない。


 しかし、この場面でも不気味に笑顔で歩み寄ってくる男には、ガネットを倒すに足る実力と経験と能力が備わっている。


 膝に力を入れる。全快とはいかないまでもまだ力は十分に入る。



「なら、ブッ飛ばすわ」



 それに対して、ギッと骨が軋む音が鳴るまでジェミニは拳を握り締めた。



「一つ、いいですか?」

「なんや」



 理由としては、一つが時間稼ぎ。大して回復しないだろうが、もう少し震える足を黙らせる必要があった。


 そしてもう一つは単純に、疑問。


 笑うジェミニに向かって言葉を投げかけた。



「何故、そのように怒っているのですか?」



 ジェミニの前進が止まる。


 そして少しも考えずに、答えを返した。



「ワイは今ここで、怒らなければならんからや」

「怒らなければならない…、ですか」



 ああ、やはり。


 ストン、と胸に落ちるように納得した。



「自分の事穢れてる言うて、泣くようながおるんや。

 その娘には穢れてるモンなんか一つも無いて言うてあげたいから。

 ワイは、お前を許さへんのや。人間を穢れてるなんて言ったお前を」



 そんな事、微塵も思っていないくせに。


 自分が何処までも穢れている事を知っているくせに。

 

 馬鹿みたいに、自分を削って、怒っているのだ。


 感情的に怒る方法が分からないから、理性的に論理的に静かに怒る。


 全ては、ここで怒る自分でありたいから。



「…分かりませんね。どうしてそんな事をするのか」



 先程胸に落ちた物とは別の疑問。


 穢れているモノなど嫌いだ。


 それは恐らく、ガネットを始めとするただの自己嫌悪であったかもしれないが。


 いやきっとそうなのだ。


 だからこそ、見ていたくないのだ。穢れるモノを。


 だから、許せないのだ。得難い純粋を、失っていく様が。


 穢れてしまっているモノに目をかけている暇なんて、無い。


 自分と同じ程に穢れているくせに、それがどうしようもなく苦痛なはずなのに。


 どうしてそんなに自分を殺そうとするのか。



「理解できない」

「なら、教えちゃるわぃ」



 一瞬で殺気が相対し。


 瞬間。


 ジェミニが突っ込んだ。風を切り、床石を踏み砕いて。


 ガネットは極限状態。ある程度回復はしたものの、それ程の動きは期待できない。


 しかし、それ故に尖り切った感覚で、ジェミニを捉え、その豪速に完璧に合わせて波動の壁を形成する。


 またしかし、ジェミニを中心に吹き荒ぶ風に周波数を乱されてたちまちに霧散してしまう。



「愚策ッ!」



 しかしもう一枚。今度は風も計算に入れた上で改めて壁が形成される。


 振動数が乱れると言っても、分かっているならば計算できる。


 既に衝突地点の地面は、波と空気の乱れによって床石は砕けて吹き飛び、その下のむき出しの地面も風化されていっている。


 同時にガネットがジェミニに接近した。



「とったッ!」



 少ない時間で形成した波は極めて小さいもので、ジェミニにダメージを与える所か、大して吹き飛ばせもしないだろう。せいぜい一瞬動きを止めれるぐらい。


 だから一撃。


 先程飛来した岩のように、直接体内に波動を打ち込む。



「──大声は苦手なんやけど、なァッ!!!」



 しかし。


 ほぼ完成していた勝利が、巨大な雄叫びに破壊された。


 あまりに大きな声の奔流。ただ自分を鼓舞する物ではない。それにしては余りに不自然すぎる程の大きさだった。



 音。


 確かにこの地上で波として認識されるものの一つ。


 普段ならそんなものに影響は与えられない。



 しかし、ジェミニに今迫っているのはあまりに弱々しい波動が一つだけ。


 ほんの少しだけ乱れた波が全体に広がり、雄叫びと混ざり合って、虚しく霧散した。




 しかし、既に右腕は攻撃態勢に入っている。あちらもまた右拳を握っている。


 覚悟を決めて、奥歯に力を入れる。


 今度の狙いは拳ではない。時間が経てば経つほどあちらが有利。ならば早々に決着を──。




 瞬間。




 明らかに不自然にジェミニの姿が消えた。


 自分の右腕が力無く空を切ってから、ふところに茶髪の男がもぐりこんでいることに気付いた。




 まるで時がずれた様に、いつの間にか。




「簡単や」




 全力で右腕を振りぬいた反動で発生した背中と左手の痛みが、体の動きを縛る。



「お前は、全く持って」



 十分に力を貯めたジェミニの右拳がガネットの腹部を直撃する。


 下から振り上げられた拳の方向性に従い、ガネットの体が真上に持ち上げられていく。



 この辺りで既にガネットの意識は薄らいでいた。


 しかし。



「愛が足らんわい」



 そんな馬鹿げた博愛主義フェミニズム気取りの言葉は耳に残っていた。





   ◆





『……失礼。しばし言葉を失っていた』



 決着を告げる銅鑼の音で思い出したかのように、拡大された声が響いた。



『レベルの高い攻防だった! それこそ言葉を忘れるほどに! ほら拍手でも送ってやれ野郎共!!』



 その声に賛同するように、賞賛の声と火花が爆ぜるような激しい拍手の雨がジェミニに降り注いだ。



『ぶっちゃけ、俺消化試合だなとか思ってたわ! だけど恐れ入った! 全く今年の参加者達はどうなってんだ!』



 最後の攻防を黙って見ていた事を取り戻そうとでも言うのか、その激しい口振りはやむ素振りが見られない。



「…負けましたか」



 ジェミニが黙って闘技場を去ろうとした時、後ろでガネットが目を覚ました。



「ワイの勝ちやな」

「…ええ、参りました」



 ケホケホと喉を押さえるジェミニを目だけを動かして見上げる。


 体中が痛みを上げ、あまり体を動かすことも出来ない。結構なダメージがあるようだ。視界の端に担架を担いで兵士達が走ってきているのがガネットの視界に入った。



「どうやって気付いたんですか? 上手く隠していたつもりだったのですが」



 それは当然己の能力のこと。ガネットの能力は知られるだけで大幅に戦力がダウンする。


 それ故にばれない様に最大限に気を使っているのだ。どうして感づかれたのか不思議でしょうがなかった。



「長年の経験、とかやったらええんやけどな。ま、ただの偶然や」



 ドン、とジェミニがその場の地面を踏み抜いた。


 ジェミニの傍に溜まっていた血溜りが、静かに波立つ。



「ああ、成程」



 波を使って場所を特定しようとしたのが裏目に出ていたらしい。


 しかしまあ、上手く行き過ぎていた部分の方が多かった。神を恨むのは筋違いというものだろう。


 疑問が晴れて。


 頭に浮かんだのは馬鹿丸出しの。



「愛、ですか」



 その言葉を自分で言って、軽く噴出しそうになった。


 陳腐な言葉。


 自分には言い訳ぐらいにしか使えない、かびが生えた二文字ふたもじ



「そうや。愛があれば大抵の事は許される」

「何ですって…?」



 なんとも信じてはいけない雰囲気が漂っているが。


 目の前の男は本気のようだ。



「変態なんですねぇ、貴方」

「おや? 凄い勢いで棚に上げた音が聞こえたぞ?」



 まぁそれが本当でも嘘でも。


 私には、関係が無い事だ。



「好きや好きや言うてたら案外好きになれるものはあるで。お前も自分の人生楽しく使えや」

「元から、好きでやっている事です」

「そうかぃ」



 最後にそう言い残してジェミニは控え室に消えた。


 ガネットは、空を仰いだまま大人しく担架の到着を待つ。あの時とはまるで違う空の色に吸い込まれそうになる。


 そしてほんの少しだけ後悔が滲み出てきた。




 本当は、数年前に見かけた、小さい頃から国の下敷きになっていた小さな女の子を助けたかった。

 

 そして、孤児院でも作って贖罪でもしてみようと。ただそれだけの事だった。そうすれば少しは自分も救われるだろうから。


 ただの自己嫌悪の延長線上。そんなものに愛はいらない。


 しかし、愛が何かを許してくれるというのなら、それも良いかもしれない、と珍しく影響されていた思いを、笑って忘れて打ち消した。



 助けなど必要ないのかもしれないとは思ってはいたのだ。


 数年振りに見たその顔が幸せで染まっていて。更にそれを自覚してまでいたから。


 あの青い髪の少女もそう。


 押し殺された様な表情の中に、少しだけ人間臭さが混じっていた。



 共通点になっている男がいた。


 その男が来ただけで人間臭さを取り戻し、その男の話になると顔を綻ばせていたから一目瞭然だ。



「妬ましいですねぇ…」



 名前は出てこないが、確かその男と当たるのは三回戦だったはず。ぜひ、先程のフェミニストに頑張って欲しいものだ。

 


 ズキズキと訴えかけてくる痛みが億劫だった。


 だから笑ったまま瞼を閉じて、気絶に繋がると知っていても、のんびり眠気に身を任せる事にした。





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