君がかわいすぎるから
トントントン
自室のドアがノックされたのは、ベッドに寝転がって動画を見ながら「この女優、聡子に似てるなぁ」と思っていたときだった。
飛び起きて、動画を消す。身なりを確認して、返事をした。
「はーい、なにー?」
「母さん。開けてー」
勝手に入ってくればいいのに、と思いつつドアを開けた。
「なに?」
「年頃の息子の部屋にいきなり入らない母さんを褒めてちょうだい」
開口一番、にっこり微笑んで言う。そういうこと言われる方がちょっと気まずいんですけど。
「……あぁ……うん………」
曖昧に返事をした。そんな俺の様子を気にすることなく、母が言った。
「絢斗、明日◯◯百貨店までちょっとおつかい頼まれてくれないかしら」
「おつかい?」
「そう。ピアノ教室の発表会の記念品。もう品物は注文してあるからそれを受け取ってきてほしいの」
「はー?めんどくせー。そんなの持ってきてもらうか送ってもらえばいいじゃん」
「ハンカチたったの50枚を持ってきてもらうのも気が引けるし、送ってもらうのも手間でしょう。だから、ね?」
「……えーー……」
気が進まない俺に対し、母が魔法の呪文を唱えた。
「彼女ちゃんと、一緒に行けばいいんじゃないかしら?」
「……………………!」
「色々見るものがあって、楽しいと思うわよ?」
息子よ、お前の考えはわかっているとばかりに、母が勝ち誇った笑みを浮かべた。
「交渉成立ね。じゃ、お願いします。運転気をつけるのよ〜」
「……………………」
「そうそう、彼女ちゃんに何かプレゼントする気になったら、我が家の帳簿につけてていいわよ。お駄賃がわり」
「バチクソ高額なのつけとくわ」
俺の返答に満足げに笑い、母は部屋を出ていった。
「……………………」
考えてみれば。
聡子を学校帰りに送ったり、その流れで部屋でいちゃいちゃすることはあっても、2人でどこかに出かけたことはないような気がする。……ということは。
「……初デートだ……」
自分の顔が赤くなるのがわかった。付き合いたての中学生じゃあるまいし、と自分をなじってみても加速する心は抑えられなかった。
「とりあえず……電話してみよう」
はやる心を抑えて、俺はスマホを手にとった。
ルルル…ルルル…
呼び出し音が響く。もう寝てるかな、と諦めかけた8コール目で聡子が出てくれた。
「もしもし?鈴木くん?」
耳に心地よい、優しい声。
「聡子。ごめん、遅くに。寝てたんじゃない?」
「ううん、髪乾かしてて。ドライヤーの音で聞こえなかったの。どうしたの?」
聡子の、女性の私生活を垣間見てしまった気がして、少しどきっとした。
「あ、いや、あのさ、明日〇〇百貨店に行かない?ちょっとおつかい頼まれて」
「明日?うん、いいよ。荷物持ち要員がいるのね?」
聡子がくすくす笑う。
「はは、そういうわけじゃないんだけど。聡子と一緒に行きたいなぁって思って」
「そうなの?嬉しい。じゃあ明日ね。何時に待ち合わせにする?」
「うーん、11時頃に聡子のマンションに迎えにくる。店着く頃にはちょうど昼飯時だから、何かうまいもん食べようぜ」
「オッケー。楽しみにしてるね」
「じゃあ、そういうことで」
「はーい」
おやすみ、と言う声とちゅっという音が聞こえ、電話が切れた。ちゅっ、に体の芯が痺れた気がした。
(……いつか、俺のにもちゅってしてくれねぇかなぁ……)
あのかわいい唇でちゅってしてくれたら、俺一瞬で昇天だろーなー。
甘い妄想を追い出すように、頭をぶんぶんふった。とりあえず、明日朝イチで洗車しよう。そう心に決めて、俺はベッドに潜り込んだ。
(そういえば、何着ていこう………………)
己のクローゼットを頭に思い浮かべながら、夜な夜な「初デート 服装」で検索している自分がいた。兄達に見られたら「高校生かよ!」と笑われること間違いなしだった。
翌日。
(……ワックスまで塗ったらめっちゃ疲れた……)
朝早くから洗車に精を出しすぎてしまった。流れる汗をぬぐう。朝日に照らされる愛車はぴかぴかで、とても誇らしかった。1日は始まったばかりなのに、早くもやり遂げた気持ちになってしまう。
「坊っちゃん。きれいに仕上げましたね」
「あ、松崎さん。おはよ」
運転手の松崎さんに挨拶する。松崎さんも「おはようございます」と挨拶を返してくれた。
「本日は学校はお休みでは?」
「うん、そうなんだけどさ。母ちゃんの荷物を〇〇百貨店まで取りに行かないといけなくて。で、ちょっと車もおめかししてた」
俺の返事に松崎さんがふふっと笑った。
「車も喜んでいますよ。坊っちゃんのような方にお乗りいただけてよかった」
運転手という職業柄、松崎さんは車を大事にする人が好きなようだった。上手な停まり方や洗車の仕方をきくと、大喜びで教えてくれたのが懐かしい。
さて。
(ぱーっと風呂入って、ちょっと休憩して出かけようかな)
早く聡子を乗せたいな。そんなことを考えながら道具の片付けに取りかかった。
そして11時。待ち合わせの時間。聡子のマンションに着いた。
入り口のところに綺麗な女の人が立っていて「聡子もこんな感じでおしゃれしてくれてたりして〜」と妄想していると。その女性が軽く手をあげ、俺の方に向かってきた。
え?え??え???
「鈴木くん。迎えにきてくれてありがとう」
ウインドウを開けて会話する。ふわっといい香りがした。柔らかな風にその女性の、聡子の髪がなびいた。
「ーーーーーーーーーー」
あまりの綺麗さに、俺は、言葉を失っていた。
(ガチで……好みだ……)
聡子が美人だということは知っていたけれど、こんなに美人だとは知らなかった。って何を言ってるんだ俺は。
お願いします、と礼儀正しく助手席に乗ってきた聡子に、胸の高鳴りが抑えられない。普段ジーンズ等を着ている彼女が、今日は淡い色のワンピースだった。いつもはポニーテールにしている髪も、今日は下ろされていてゆるく波打っていた。聡子の二の腕ってこんなに白かったんだ。爪も綺麗に塗られている。全てが、
(やばい……直視できねぇ……)
「鈴木くん?」
無言の俺を不審に思ったのか聡子が覗き込んできた。
(なんか今日顔もかわいいーーーーーーーー)
思わずハンドルに顔を突っ伏してしまった。そんな俺に聡子が慌てた様子で言った。
「どうしたの?あ、私なんか変かな?」
「……ううん……」
やっとの思いで声を絞り出した。
「……鈴木くんとデートだと思ってちょっと張り切りすぎたかも……。服だけでも着替えてくるね」
しゅんとして車を降りようとした聡子の腕をつかむ。
「いや!そのままで!!そのままでいて!!!!」
俺の必死な様子に聡子が目を丸くした。
「かわいい!!すっげーかわいい!!キスしたい!!していい!?」
聡子がぷっと吹き出した。
「鈴木くんも、すごくかっこいい。こんなにかっこいい人が私の彼氏なんて信じられない」
「えっ、そうかな?」
「うん。そうだよ」
にっこり微笑んだ彼女が、俺にちゅっとしてきた。
「あ、口紅ついちゃった」
「えっうそ」
ちょっと待ってね、とバッグから何やら取り出し、俺の口をぽんぽんとぬぐってくれた。
「とれたよ。ごめんね」
「いや、別に。てか、せっかくのお化粧がとれちゃったね。ごめん」
「いいのいいの!また塗ればいいんだし。……でも鈴木くんとキスできないのはいやだなぁ」
……なんという殺し文句。
口紅がつくのも構わず、気づけば俺は聡子にキスしていた。何度もついばむ。
「……かわいいすっげーかわいいもーこのまま部屋行きてー」
「あ、あの鈴木くん」
「ん?口紅ついたらまた落としてくれたらいいよ」
「あ、うん…」
ついばむだけのキスでは我慢できず、舌も入れた。車内にちゅっちゅっといやらしい音が響く。
(綺麗な聡子を見せびらかしたい半分、部屋で俺だけのものにしておきたい半分……悩ましい)
……結局出発できたのは、それから30分後だった。今日、荷物の受け取りまでいけるかな?と割と本気で心配になった。




