それぞれの思い
入院後数日すると、俺が市立病院に入院していると知った友人知人達が、ぞくぞくと見舞いに来てくれた。
「なんだか病棟が華やかだな」
様子を見にきた聡子ママが、面白そうに言った。
「師長が化粧してるとこなんて久しぶりに見たわ」
「はは、お騒がせしてすみません」
頭をかきながらぺこっとすると、聡子ママと看護師がけらけらと笑った。
「いーのいーの。活気があっていいわ。……ふふ、若い連中はもう遊びにいく約束を取り付けたそうだぞ」
内緒話をするように小さい声で言うママ。なんだか海外ドラマのようだ。
「お手柔らかに、お願いしますね」
『今度遊びに行くんだー!』と浮かれていた友人たちを思い出す。……彼らの幸せに一役買えたのならよかった。
「うん、傷も治ってきててよかった。よく頑張ったな」
「!ほっとしました。あともう少し、お世話になります」
そう言って頭を下げると、聡子ママと看護師がまた笑った。
「礼儀正しいな、君は」
「将来の研修先かもしれないので。印象よくしておきたいんです」
「ははっ、本音がきけて安心した。あ、本音ついでに。……聡子の彼氏って、やっぱ君だろ?」
ママがウインクして言った。
「甲斐甲斐しく世話を焼いて。ふふ、我が娘ながら一途過ぎて心配になるわ」
「…………………………」
そうなのだ。聡子は本当に……よく世話をしてくれた。
毎日顔を出して足りないものはないか確認し(なんだか不憫だから、らしい)、洗濯物をたたんでくれたり(放り投げてるのが目につくらしい)、お見舞い品の受け取りリストを作ってくれたり(聡子パパが開業する際、受け取ったお祝いの処理の関係で税理士が苦労していたらしい。『せめてリストを作っていてほしかった…!』とのつぶやきが忘れられないそうだ)。
勉強相手になってくれたのも嬉しかった。(これも余談だが、たまに遊びにくる同窓の医師や看護師たちが『なつかしー!』と言ってレジュメを眺めていた)
これで本人曰く「付き合ってない」というのだから驚きだ。
ーーーーでも。
「…………多分ですけど、田中先生に、お母さんに会いにきてる面もあると思います」
「!」
聡子ママが驚いた顔をした。
「あ、私もそう思います」
看護師も同意してくれた。
「聡子ちゃん、いっつも誰か探してるみたいにきょろきょろしてますもん。で、先生見つけたら嬉しそうな顔して。ふふ、かわいいですね」
「…………………………」
聡子ママが考え込む。一旦何かをいいかけて、口を閉じた。
「…………仕事ばっかでさ。母親らしいことは何もしてねーの。だから、それはあり得ないと思うわ」
あーなんだよなんだよ、みんなしてさー!
聡子ママが顔を背けて席を立った。そのまま扉の方へ向かう。
「じゃあまた。あともう少し、頑張れよ」
こちらを見ずに言った。看護師がにこっと笑った。
扉が締まる前、「先生、ハンカチどうぞ」「誰にも言うなよ」そんな会話がきこえてきたのはきっと気のせいだろう。
ーーーーー
そして夕方。
いつもの通り、聡子が来てくれた。俺はさぁいちゃいちゃしようと犬のように尻尾をふっていたのだけれど、お邪魔虫がくっついていることに気付き、落胆した。
「……おぅ、吉田。顔は見ただろ。早く帰れ」
「何言ってんすかー!久しぶりだから、ゆっくりお話しましょーよ!!傷は大丈夫っすかー!?」
満面の笑みを浮かべて病棟中に響き渡るような声で話すのは吉田直樹。彼が現れると周りの空気がぱあっと明るくなるから不思議だ。そして手には果物カゴを持っていた。
……お礼する人が、また1人増えたな。
この入院を通して、自分の友人知人達が意外に常識人だということを知った。
「ま、せっかく来てくれたんだから座れよ」
「あざっす!はいこれ、お見舞いです!」
ぽん、と果物カゴを渡される。
「あぁ、サンキュ。聡子、出してやって」
流れ作業のように聡子に渡すと、吉田が驚いた顔をした。あ、いくら吉田相手といえど、今の態度は少し失礼だったかもしれない。
けれど、俺が何か言う前に吉田が口を開いた。
「いいっすよ!あとでゆっくり食べてください。俺果物よりチョコとかコーヒー欲しいっす」
「はは、見舞いに来て食い物要求してきたのはお前が初めてだよ」
聡子がごそごそと棚を見て「どっちもないです」と言った。そうだった。退院も近そうだったので、在庫を減らしていってるのだった。
「じゃあ悪いけど下の売店で買ってきてよ。俺ブラックな」
「あーはいはい。よっしーも?」
「あ、うん」
「お前も好きなの買ってこいよ」
「ありがとうございます。じゃあ1番高いの買ってきますね」
そう言ってとことこ売店に向かった聡子を見送り、吉田に向き直った。
彼はすごく驚いた顔で目をぱちぱちさせていた。
「?どうした?」
「いや……すみません……えと、俺が思ってたより……その……仲良かったんでびっくりして……」
「あ?俺と聡子は仲良しだよ。どうした」
「なんか……夫婦みたいでした。橘さんって、結構亭主関白なんですね」
「え?そう?」
吉田はそのまま黙り込む。沈黙がつらかったので、テレビをつけた。テレビでは小さい頃やっていたドラマの再放送をやっていた。2人して、なんとなしにそれを眺めた。
吉田の手が胸ポケットを探るような動きをしたのに気付く。ーーわかるぜ。
「吉田、すまねぇな。ここは禁煙だ」
「ーーあ、そうっすよね。すみません、わかってるんですけどつい癖で」
「ははっ。俺もついやるわ。喫煙者にはつれーよな」
そう言って笑い合った。隅に追いやられている者同士が持つ連帯感か、ふっと雰囲気が和んだ。
「ーーこの間は、ありがとな。鈴木のぼっちゃんは大丈夫だったか?」
「…………………………!」
吉田がびくっと肩を揺らした。
「…………………………」
「…………大丈夫じゃなかった?」
何も言わないということは、そうなのだろう。
「……あの後、絢斗すっげー泣いたんす。……で、メンタル持ち直してきたかな?ってときに橘さん刺されて……。ベンチのところでの小競り合いが原因で警察が絢斗が犯人じゃないかって疑って。……任意で事情聞かれてました」
まさかこんな刑事ドラマみたいなこと言うなんて、と吉田が少し笑った。
「……マジか」
「マジっす」
思っていたよりもぼっちゃんの状況は悪いようだった。わざとではないとはいえ、申し訳ない気持ちが込み上げてきた。容疑者確保の知らせは受けていた。勿論ぼっちゃんではない。
「……絢斗からききました。橘さんとさっちゃんのこと」
吉田が静かに言う。
「…………………………」
「あ、いや、泣きながら途切れ途切れに言ってたことを繋ぎ合わせて、多分こーだろーなーって感じなんすけど」
「…………………………うん」
吉田があたふたと手をバタバタさせた。本来こういう人間関係のもつれは苦手な奴なのだろう。首を突っ込んでいいものか、口を出していいものか、病室までやってきてまだためらっているようだ。
意を決したように言った。
「実は、俺今日見舞いついでに橘さんに説教しようと思ってたんす。何してんだって」
「…………………………おう」
「……橘さんの性格上、絶対絢斗とさっちゃんで遊んでるだけだろうなって思ってたから」
「………………白状すると、最初はそうだったぜ?」
聡子かわいいなって気持ちは少しはあったけれど。99%は『あんなに仲いい2人にちょっかい出したらどうなるのかな?』という悪戯心。
今となっては後悔している。あんなこと、しなければよかった。
「けど聡子と接してる内に……なんつーか、好きになっちまって。平手打ちされたり、塩対応もいいとこなんだけどな」
それなのに母の墓に手を合わせて弔意を示してくれたこと。あのときの嬉しさのような、救われたような気持ちは、忘れない。
「……今まで、女の子の言うことって表面的なもののような気がして、なんとなく信用してなかったんだけどさ」
ーーきっと、相手もそう思っていたことだろう。
「なんか、聡子は『あ、こいつ本音で俺に接してる』って感じでさ。嬉しかった。で、気付いたら聡子にぞっこん…………ってわり、なんの話だった?」
吉田を置いてけぼりに、自分語りをしてしまった。俺としたことが、うかつだった。吉田は真面目な顔でうなづいていた。
「……橘さんが、さっちゃんのこと大好きってのはわかりました」
「まぁ、色々言ったけど要約するとそうだな」
「…………そうっすか…………」
そう言って吉田は黙り込んでしまった。俺は手持ち無沙汰になり、猛烈にタバコを吸いたくなった。窓からはオレンジ色に染まり始めた空が見えた。こんな空を見ながらくゆらせるタバコはさぞうまいだろうと思った。
吉田が口を開いた。
「……俺、見守ることにします!」
「うん?」
「さっちゃんから手を引いてくださいって頼もうと思ってたんす。けど、橘さんの気持ちきいて、なんか……すごく野暮なことしてる気になってきて……」
へへ、と頬を掻く姿はまるで少年のようだ。
「…………吉田……お前……」
「はい?」
「ははっ、説得すんの下手だなーー、はははっ」
なんだか笑いが後から後から込み上げてくる。
「俺が嘘ついてたらどうすんだよ?」
からかうようにきいてみた。すると吉田は、
「あ、それはないと確信してます」
と、自信たっぷりに言った。
「なんで?」
「さっちゃんのこと話してるときの橘さん、幸せそうでしたから」
今度は吉田が俺をからかうようににやっとした。
「俺、人ののろけを聞かされる星回りなんすかねー」
「はは、どうなんだろうな」
「まぁ、さっちゃんの気持ちもあるだろうし。部外者は静観しときます!」
そう言ってびしっと敬礼した。
『さっちゃんの気持ち』
その言葉がなんだか耳に残った。
それからとりとめのないことを話しているうちに、聡子が戻ってきた。
「お待たせーしましたー」
「おせーよ」
笑いながら言うとムッとしたように
「エレベーターがなかなか来なかったんです」
と、言った。その表情がかわいくて思わず抱き寄せそうになったが、吉田の手前、我慢した。え?もしかして今日キスも何もなし??
「はいどうぞ」
各自コーヒーとチョコレートが配られた。飲み食いしながら、3人でこれまたとりとめのないことを話した。
「院内回ってるとさー。先輩方働いてる姿目に入ってくるじゃん?俺もこんなにきびきび動けるかなーとか心配になるよなー」
「あなたもそんな気持ちになることがあるんですね……」
「橘さんならだーいじょーぶっしょ!てか最初はみんな、せめて邪魔にならないよう立ってるだけですって!」
窓から見える夕焼けはいよいよ赤くなってきた。遠くにはカラスが飛んでいくのが見える。
夕暮れの病室。コーヒーの香り。なんでもないことを話して、笑い合う時間。
キスもハグもできなさそうだけど、たまにはこういう日もいいか、と思った。




