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ふたりの恋  作者: ゆり
20/26

溢れる愛の中で

 そこは辺り一面、白い花が、咲いていた。








(おぉ……きれいだなぁ)

 

 花で埋め尽くされた純白の大地。


 そこを風が吹きぬけ、花びらがさぁっと舞い上がる。幻想的な光景にしばし見入った。


 足元に咲いている何輪かを摘み、花束にする。爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。


 ふと向こうを見やると、きれいな川が流れていた。


 そこへ、自然と足が向いた。


 夢の中を漂うように川のほうへぼんやりと歩いていると、後ろからぐいっと腕をひっぱられた。振り返ると、きれいな女の人が立っていた。どこかで会ったような気がするが、はっきりとはわからない。その女が、ぐいっ、ぐいっと俺の腕を引っ張った。川に行きたかった俺はなんだか無性に腹が立って、その腕を振りほどいた。




ーーーー途端、その女の平手打ちが俺にクリーンヒットした。




 痛みは感じなかったが、衝撃はあった。もう一発お見舞いされる。

よろめいた俺の手首を握り、その女が川とは逆方向へ歩き始めた。未練がましく川を見る俺に構わず、その女は俺の手を引いてずんずん進んでいく。そのとき、




 来るのは、まだ早いわ。




 川の方から、優しい囁きが聞こえた気がした。それをきいて、惜しいような、悲しいような、ほっとしたような、不思議な心持ちになった。


そして、歩を進めるごとに光の渦が、俺を包んでいった ーーーー













 ゆっくりと目を開ける。白い天井に電灯、そしてピッピッという電子音を認識した。

視線を横に動かすと、


「さ……とこ……?」


想い人によく似た女性が、少し驚いた表情で俺を見ていた。


「……意識は戻ったね。まだ少し混乱してるかな……?」


 口元にボールペンを当てながら、思案するように言った。


「…………………………?」


 困惑しながら上体を起こ……そうとして失敗する。点滴やらの管が邪魔をした。


「寝ときな。君、刺されたんだよ。ここは◯×市立病院の救命センター」


「…………………………!」


「気分はどう?」


 何か話そうと思ったが、喉がカラカラに乾いてうまく声が出せなかった。


「あ、話すのはまだしんどいか。ごめんごめん」


 横にいた看護師が水を飲ませてくれた。乾いた体に染み込んでいくようだった。うまかった。医師が再び口を開いた。


「話をするのは今じゃなくていいかな。お、今日は忙しいな」


 ピリリリリ、という音が聞こえ、ポケットから院内PHSを取り出し応対する。


「はい田中ー。うん、うん、オッケーすぐ行く」


 歯切れ良く返事をして電話を切り、看護師と何事か話し。


「それじゃ」


 そう言って、風のように去っていった。


 看護師も周辺機器を調整した後『何かあったらコールしてくださいね』と俺の手にナースコールを握らせ、ばたばたと向こうへ行った。

それを見送り、俺はぼーっと天井を眺めた。



「…………………………」



 ピッピッピッ……という規則正しい電子音が、やけに耳についた。









 




 天井を眺めているうちに、眠ってしまったらしい。再び目を開けると、どうやら日中の時間帯だった。行き交う職員たちの数が、先ほど目を覚ましたときより多くなっていた。


 目を覚ましている俺に気づいた看護師が「あ」という顔になる。


「橘さん、目、覚ましましたー!田中先生に連絡入れまーす!あ、先生?…………」


 やりとりをして、院内PHSを胸ポケットに入れた。


「気分はいかがですか?痛みます?」


 看護師が心配そうに尋ねてくる。


「あ、ちょっと痛いですけど、大丈夫です……」


 自分のがらがら声に驚いた。しかし看護師は特に気にする様子もなく


「よかったー!もうすぐ先生来ますからね」

 

 と言ってにこっとし、俺も思わず笑顔になった。明るい看護師だ。


 しばらく待っていると、きりっとした女性医師が颯爽とやってきた。当直お疲れ様です、の看護師の声におう、と片手を上げて応えていた。

その場面はまるで、記者団からおはようございますと挨拶されそれに応える総理大臣のようだった。


「おはよう。傷は痛むかい」


 凛とした声。


「ちょっと痛いですけど、大丈夫です……」


「うん、よかった。大事な臓器は無事だったからね。あと少しズレてたら危なかったけど。ほんと、運がよかったな」


 医師がにこっと笑った。その笑顔に、俺の好きな奴が重なる。名札には「田中」の文字。まさかーーーー


「順調に行けば退院は3〜4週間後くらいかな。調子はよさそうだから、早速今日から歩行訓練な」


「あ、あの……」


「うん?」


 医師の目線が俺をとらえる。ああ、そっくりだ。100%の確信を持って、尋ねた。


「聡子……さんのお母さん……ですよね?」


 医師が、笑みを深めた。


「ふふ、そうだよ。娘が世話になってるね」


「あ、いえ、こちらこそ……」


 ばれちまったらしょうがない、というように、聡子ママが口の端を上げて笑った。


「受け入れで向かったらさ、あの子がわんわん泣いてるんだもの。もーびっくりよ」


「!」


 聡子が救急車を呼んで一緒に乗ってくれたのだろう。それを知って、なんだか目頭が熱くなった。


「『助けてあげて』ってね。あんなに取り乱して、あの子は実習大丈夫かね」


 困ったように、苦笑いをした。


「……まさか医学部を選ぶなんて思ってなくてね。ちゃんとやってるかい、あの子は」


 聡子ママがパイプ椅子に腰かけた。


「ははっ、俺学年が違うので何とも言えないです。ただ、勉強してる姿はよく見ます」


「っかーー我が娘ながら真面目だねーー。もうちょっと、肩の力を抜けばいいんだけど」


 やれやれ、といった感じでカルテをはさんだバインダーで肩をトントンとした。先ほどから思っていたが、言動や仕草がずいぶん男前なお母さんだ。


「ま、想像通りで安心したことは安心した」


「よかったです」


「ああ、あとあの子ちょっとぼーっとしてるから変な男に引っかからないか心配だよ。そこらへん、何か聞いてないかい。彼氏できたってとこまではきいたんだけど。夫から」


 それをきいて吹き出しそうになった。悪い意味で。


「……もしかして、君だったりする?橘くん」


 そんな俺の様子をめざとくとらえ、聡子ママがいたずらっぽく笑いながらきいてきた。どう、お答えしたものか。


「そうだといいんですけどね。俺みたいなのは好みじゃないみたいです」


「あはは、そうか。もしかしたらって思ったけど、なかなかそんな偶然はないよな」


「もし俺だったら、どうしてました?」


 俺の問いに聡子ママは一瞬きょとんとした後あっはっはと大声で笑った。魔女が宅急便をする国民的人気アニメに出てくるパン屋のおかみさんのような、豪快な笑い方だった。


「そうだね、ひとまずそのネームプレートに歓迎札さげようかな」


「ありがとうございます」


「ああ、でも救命センターなんて早く出た方がいい。挨拶なら自宅に来な。ちなみに、ショートケーキが好物だ。夫も。私も」


 またまたいたずらっぽく笑う。ジョークが好きな明るい人だ。

会話が一段落したところで、それまで黙って話をきいていた看護師が「先生」と言った。


「ごめんごめん、しゃべりすぎた。……うん、状態も安定してるから、一般病棟にうつれるな。で、歩行訓練開始。頑張れよ」


「げ」


「げ、じゃないよ。癒着防止だ。わかるだろ」


「…………はい」


 激痛の訓練を思い、心の中で涙した。あれ、痛そうだよなー。まさか自分もすることになるなんてー。


 じゃあ今日はこの辺で、と白衣を翻した聡子ママが、そうそう、と振り返った。


「君が眠っている間にね、お父さんがいらしたそうだよ」


「…………………………!」


 思ってもいなかった人物に、一瞬呼吸が止まった。


「かなり慌てたご様子でね、対応した職員が大変だったって」


「そ、それは申し訳ありませんでした」


「あ、いやいや、謝れってわけじゃなくてね」


 聡子ママが頭をかく。


「ずーっと待っててくれたらしいんだけど、昨日君が一回目覚めたろ?ごめん、我々の落ち度でそのときに会わせてやれなくって」


 きっと救急車の受け入れがあったのだろう。


「……今朝方まで待ってらしたのだけど、朝の診察の時間だって言って戻ってしまわれてね」


お父さん産科医なんだね、と聡子ママが言った。


「…………………………」


 にわかには信じられない話だった。

 あの、親父が。

 あの、家族の情が薄い親父が。


「『愚息をよろしくお願いします』ってんで、ナースステーションにお菓子やら花やらが届いたらしい」


 「…………………………」


 「でさ、うちはこういうのは受け取らない方針なので、橘君の方からも一言いってもらえないかな?お気持ちはありがたいんだけどね」


 高い部屋使ってもらえるだけで万万歳さ~と呑気に言いながら、聡子ママは戻っていった。




「…………………………」




 まったく、外面のいい親父だ。いい歳して徹夜みたいなことをして、今日の診察に影響はないのだろうか。状態はわかっただろうから、さっさと帰ればよかったものを。


 ベッドに横になり、天井を眺めた。視界が歪んでいることは認めたくなかった。


 うっかり瞬きをしてしまい、涙が一筋流れた。


 腕を目のところにあて、電気がまぶしいようなポーズをとった。誰にもばれたくなかった。

思えば、涙を流したのは母の葬式以来だった。

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