ある日、構内のベンチにて 〜橘視点〜
好きだ。
何度想いを告げても聡子は戸惑ったような顔をし、ふるふると首を横にふった。俺はいつも、そんな聡子を抱きしめた。想いが伝わるように、と願いながら。
そして一緒に過ごす日は体を重ねた。聡子は相変わらずしぶしぶ応じていたけれど、そこに少し変化があった。俺を優しく抱きしめてくれるようになったのだ(おずおず、といったところに彼女の様々なためらいが表れているように思えた)。俺の境遇に同情しているのは明白だった。が、それでも構わないと思った。
最中に言葉を交わすことはなかったが、相手を思いやり、まるで一つに溶け合うような、濃密な、愛の時間を過ごした。はじめて、セックスというものをしている気がした。
ーーーーーーーーーー
(ーーでもなー。鈴木くんが好き、だもんなー)
構内の並木道を歩きながら、俺は思索に耽っていた。本日の、というより最近のテーマは「どうしたら聡子が俺の告白を受け入れてくれるのか」。
最初のことを考えるとここまでの関係になれたのはむしろ僥倖だ。そう思わないといけないのはわかっている。
(……身体も心も全部俺のものにしたいなんて、贅沢なんだろうな……)
風がふわりと頬をなでていく。時折りすれ違う知り合いたちと「おう」と挨拶を交わしながら歩き続けた。
ふと、並木道に沿って設置されているベンチをみやる。
お、あれは。
そこに腰掛けてスマホを触っている人物に、少し驚いたが思わずにやっとしてしまった。静かに隣に座る。その人物がちら、とこちらを見て、驚いたような表情をした。
「よぉ」
俺の挨拶も無視し、じとっとこちらを睨みつけるのは、
「鈴木のぼっちゃん。少し痩せたんじゃね?」
聡子の想い人ーーーー鈴木絢斗くんだった。
ゆるくパーマがかかった薄茶色の髪。理知的な瞳。座っていてもわかるバランスの取れた体躯。
全体的に見てなかなかの美男子だ。
その彼は、がるるる……とのどをならし今にも飛びかかってきそうな勢いで、俺を睨み続けている。
「……何見てんだよ」
前から俺には反抗的な態度だったけれど、聡子のことがあって以来完全に敵と認定されたようだ。体育会系が誇る上下関係はいずこへ。
けれどこんなことでひるむ俺ではない。
「……いや、聡子ってこういう感じが好きなんだなぁって思って」
「…………」
ぼっちゃんの目がますますじとっ…となる。目に見えて機嫌が悪くなって、ちょっと笑えてきた。
「でも俺の方がいい男じゃね?……あ。てかちょっと股触っていい?」
「あ?何言ってんだてめー」
伸ばした手を振り払われる。ちぇ。もののチェックをしようと思ったのに。
「なんなんだよ、さっきから」
「いやいや、聡子があんまり鈴木くん鈴木くん言うからさ。どんだけいい男なのか確かめたくって」
「………………!」
ぼっちゃんが衝撃を受けた顔をした。
うん。ヒントは出したぞ。頭の回転が早そうな君ならこの意味、わかるだろ?
これからは正々堂々愛を告げよう。自分にフェアプレーの精神があったことに驚いた。
「……聡子に、何した?」
ぼっちゃんが怒りを含んだ声音で俺に問うた。
「ぇえー?そこから聞いちゃうー?」
やっぱりこいつは頭の回転が早い。というより、己の胸の内にあった疑念に、先ほどの俺の言葉が確信を与えたのかもしれない。
「答えろよ。……ずっと、何かおかしいと思ってた……。聡子は何も言わなかったし……」
「!」
そりゃそーか。大好きな彼氏に、他の男とセックスしたことなんて言うわけない。
「……聡子が何も言ってねーなら、俺から言うことはねーよ
「無理矢理、してねーよな?」
俺が言い終わる前にぼっちゃんがかぶせ気味に言った。正解が出たことに驚いた。
しばらくにらみあう。
「そうだ、って言ったら?どうする?」
「!てめぇ!!」
ぼっちゃんが俺の胸ぐらを掴んだ。その瞳には、怒りの炎が燃え盛っていた。
「……確かに、最初はそんな始まりだったけどさ」
ぼっちゃんの腕を掴む。
「今はまじで聡子のことが好きだ。幸せにしてやりてぇって思ってる。お前よりも」
「……勝手なこと、言ってんじゃねーよ……!」
ぼっちゃんが、俺の胸ぐらをねじり上げた。ちょっと苦しい。俺も、怒りのスイッチが入った。
「勝手はどっちだよ。自分勝手に結論出して、聡子と話しようともしなかったんじゃねーのか」
「!」
ぼっちゃんの腕の力が緩んだ。
「俺は、ちょっとつついただけ。けどたったそれだけで崩れる絆だった、ってことじゃねーの?」
盗人猛々しくて悪ぃな。しかし、ここぞとばかりたたみかける。
「聡子の性格考えたら、好き好んで浮気なんてするわけねぇだろ。俺だったら、聡子が知らないキスマークつけてたことくらいで揺らいだりしねぇ。ずっと抱きしめてやる」
やばい。止まらない。
「けどてめぇはどうしたよ?泣いてる聡子を責めただけじゃねぇのか?1番話きいてほしい人がそんなだったら、そりゃ何も言えねーよな?それから話し合いをすることもなく、無視してたんじゃねーの?」
「ていうかさ、」
ぼっちゃんの腕を強く握り、耳元で囁いた。
「……相手が俺だったから、勝てない、って思ったんだろ」
がつっ
頬に痛みが走った。口の中に鉄の味が広がった。
「……うるせぇ……」
ぼっちゃんが、泣きそうに顔を歪めていた。
「ふざけんな……。俺だって……俺だって……」
周囲に人が集まり始めていた。その中から「絢斗!?」と一際背の高い人物が近づいてきた。吉田直樹だ。
「た、橘さん!?え、大丈夫っすか??」
切れた口を心配してくれる。優しい奴だ。
「だいじょーぶ、こんなん舐めときゃ治る」
「でも……!」
「いくつ修羅場くぐってきたと思ってんだよ。俺はいーから。そっち面倒みてやんな」
微笑んでみせる。ぼっちゃんは俺をにらみつけていた。
「絢斗も大丈夫か?ほら、行くぞ。あっちで話そーぜ」
面倒見のいい吉田が通りかかってくれてよかった。ぼっちゃんは吉田にうながされ、俺をにらみつけながら部室棟の方へ歩いていった。
ギャラリー達へ「や、お騒がせしました」とおどけてみせ、落としたテキストを拾った。ぱんぱん、と表紙をたたく。
「………………」
数枚の枯葉が、風に吹かれて空へ舞い上がっていった。
ーーーーーーーーーー
「どうしたんですか、その傷」
「んー?殴られた」
聡子と会える金曜日の夜。開口一番傷のことをきいてくれたのは、なんだか嬉しかった。
「はぁ……まぁ……お大事に」
「まだちょっと痛いから、今日あんまりキスできねーわ。ごめんな」
「ああ、お気になさらず。むしろ大歓迎です」
ーーもしこれがぼっちゃんだったら甲斐甲斐しく消毒なんかしたりするんだろうか。
ふと、そんな思いがかすめた。
(それもいいけど、こっちの塩対応も捨てがたいな……)
結局、聡子だったらなんでもいいみたいだ。そんな自分に少し呆れながら、後ろから抱きついた。
「どうして殴られたかはきいてくれねーの?」
「……十中八九、女性がらみの面倒ごとだと思うので」
「はは、正解。さすが、俺のことよくわかってる」
キスの代わりにぎゅっと抱きしめた。
「……あまり滅茶苦茶やってると、そのうち刺されますよ」
「ふふ、オッケー。気をつける。あ、材料買ってきてくれた?」
「メッセージで指示されたものは全部。失くす前にこれお返しします」
聡子がクレジットカードとレシートを差し出す。
「というか、学校でいきなりこんなもの渡さないでください。持っておくのも緊張するんです。そして、ほんとに、ほんとに目立ちたくないんです」
いつものカフェで。『聡子、ちょっとお使い頼まれてよ。買ってきて欲しいのはあとからメッセージで送るから。はいこれ』と頼んだことを言っているようだ。
「ああ、大丈夫でしょ。バスケ部のマネージャーって思われてんじゃね?」
「……そ、そうでしょうか……」
「うん、たぶんね、たぶん」
「だといいんですけど……!」
うぅぅと顔をしかめている聡子の髪をなでる。
「ほら、手洗いうがいしてこい。今日も俺特製の夕飯作ってやるから」
「…………」
無言でのろのろと洗面所へ向かう聡子の後ろ姿を見ながら、好きだぜ、と呟いた。
「?」
聡子がぶるっと身震いしたのが見えた。
「本当に、何も手伝わなくていいんですか?」
「いいって。俺は俺のやりたいようにするから。むしろちょろちょろされると邪魔なの」
むぅ、と考えこんでいる聡子の頭をなでる。家で晩飯を作るきっかけは自分の一言ーー『もうあまりお金を使わないでください』『そう?じゃ俺が作ってやるよ』ーーだったので、気を使っているようだ。
「そこで見学しとけ」
「……はい。あ、お皿くらいは用意できますので、指示してください」
そう言ってカウンターの横に立ち、俺の手元をのぞきこんできた。
「……手際がいいですね」
「ああ、小さい頃からやってたからな」
「!あ、すみません……」
この間の話を思い出したらしい。そんなに気を使わなくていいのに。ーーーーやー、前彼女から一服盛られたことあってさ〜。それ以来自分で作るようにしてんだ〜ーーーーということは、言わないようにする。
この間は肉じゃがを作ったので、今日は洋風でオムライスにしよう。スープとサラダの準備を終え、メインに取り掛かる。鍋からお皿にひっくり返したところで、ギャラリーから拍手を頂いた。
「ほら、名前書け」
ケチャップを渡すと下手くそな字で「ゆうすけ」「さとこ」と本当に名前を書いていた。
こいつの、こういう無自覚なところが面白い。そして、なんだかとてもーーーー嬉しい。理由はよくわからない。作為的なものを感じないからだろうか。
夕飯は「おいしいです」以外とくに会話もなく、もくもくと食べた。ケチャップが傷に染みた。
食事が終わると聡子が「せめてものお礼です」と皿を洗ってくれた。俺は後ろからハグしながら聡子のぬくもりを感じていた。
「………………手」
ごすっと肘打ちされる。ごめんて。つい胸を揉んでしまった。めげずにまたくっついた。ちゃんと手は腰に回している。
「…………聡子」
「なんですか?」
洗剤を水で流しながら、聡子がこたえる。
「お湯使っていいぞ」
「手が荒れるから嫌です」
俺の気遣いは一瞬で不要のものとされた。がくっ。
猫のように聡子にすりすりしていると、洗い物が終わったようだ。
「おっしゃ。風呂入ろーぜ」
「お一人でどうぞ。私その間にやっておきたいことがあるので」
「どーせ今日の授業の復習だろ?風呂場でやればいいじゃねーか。俺に聞かせろよ。人に話すっていい復習になるぞ」
「……!それ、司書の丸山さんも言ってました…!」
「ほらみろー。じゃあ行くぞ」
聡子の腕をつかんで浴室に行こうとすると、「ちょちょちょっと待ってください!」と抵抗された。
「この期に及んで、なに?」
「あの、ノートをぱっと見てきていいですか?」
確かに。いきなりは無理だよな。
「はは、いいぜ。思い出してこい」
リビングへ戻り、自分のカバンからノートを取り出し何やらぶつぶつ言い始めた聡子を横目に見ながら、タオルや寝巻きの用意をする。丁度良いタイミングで『お風呂が沸きました』と、アナウンスが流れた。
今日も髪を洗いあって。背中を流しあって。
そして2人仲良く湯船につかりながら、聡子の講義をきこう。楽しみだ。
「……?そこ、本当にそうだった?」
「…………!お風呂上がって確認します……!」
「はは、まだまだだな」
「……あなたってその見た目で成績優秀だから腹立ちますね……」
「俺もちゃんと勉強してんだよ……っておい」
頭からお湯をざばーーーーっとかけられた。いつも仏頂面の聡子が、ほんの少し、笑った気がした。
ーーーー曖昧な気持ちを抱えつつも、ずっとこんな幸せな時間が続くのだと、あの時の俺は本気でそう思っていた。
思えば、俺の人生がそんなに良きものなはずはなかった。
どうしてそれを忘れていたのだろう。
ガキの頃から知っていたのに。
ガキの頃から、期待なんてしないよう気をつけていたのに。




