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ふたりの恋  作者: ゆり
17/26

告白

 チェロの心地よい低音に導かれながら目を覚ますと、そこはお墓だった。


「?」


 横を見ると、橘が驚いたように私を見ていた。車内にはサン=サーンスの白鳥が流れていた。


「……あの……」


「俺は起こしたんだぜ?でもお前起きねーから。しゃーなしで連れてきたんだよ」


 いつもより早口なのは、怒りのためだろうか。共に夜を過ごした後(もはや恒例になりつつあることに気づき愕然とした)私をマンションへ送ってくれていたのだが、心地よい揺れと音楽のおかげでつい深く眠ってしまったようだ。失態だった。


「それは、すみませんでした……」


 相手は橘ではあったが、予定を狂わせてしまったことを申し訳なく思い、謝罪した。


「…………いいよ。もう一緒に行くぞ」


 あてつけのようにため息をつかれ、イラっとした。悪いなという気持ちは一気に消え失せた。

橘が車を降りたので、追いかける。


 遠くには海と山が見える、静かな墓所だった。時折トンビが鳴く声が聞こえる。耳をすませば、風にのって波の音も聞こえた。

しばらく歩くと、きれいに清掃された墓所に着いた。


「………………母の」


 橘が、静かに言った。今度は私が驚く番だった。


「ちょっと水くんでくるわ」


 そう言ってバケツを持って水道場へ行ってしまった。手持ち無沙汰になり、墓石を眺める。

 横にある石には、ずいぶん若い年齢で亡くなったことが書いてあった。橘が8歳くらいのときだ。


「…………………………」


 なんだかいたたまれない気持ちが込み上げてきて、それを誤魔化すように掃除を始めた。

 私も母は仕事熱心な救命医であまり家にいる人ではなく、寂しいなと感じることはあったけれど。橘は、そんな寂しさとは全然違う孤独を感じていたのかもしれない。

 そう思うと、これから彼をただ嫌うことができなくなる気がして、自分の心境の変化に戸惑った。情状酌量のしすぎだろう、と自分をなじった。

 橘がバケツに水をくんで戻ってきた。


「あら、掃除してくれてんの。サンキュ」


「いえ」


 2人無言で清掃する。綺麗になった(といってもはじめとそんなに変わっていなかった)ところで線香をあげ、手を合わせた。


「……………………はは、俺みたいなのを産みやがって、って思ってた?」


 橘が言った。何のことを言っているのだろうか。


「いえ、安らかにお眠りください、と思っていました」


 私の言葉を聞いた橘がはっとした顔で、私のことを見つめてきた。常ならぬ様子にこちらが気を使ってしまう。


「………………あの?」


 あ。脳裏にある考えが閃いた。


「あ、すみません。宗派などがあまりよくわかっておらず……。失礼しました」


 お参りの言葉が違ったのかもしれない。墓石に頭を下げた。


「……いや、そうじゃなくて……」


 橘が珍しく言い淀んでいる。


「………………うん、母も喜んでると思う。お前連れてきてよかったわ」


「はぁ……」


「…………帰ろっか。せっかくだからちょっと観光して帰ろーぜ」


 ヒョロロロ……とトンビの鳴く声が響いた。


「え、あ、そういえばここはどこなんですか」


「△市。ずっと食ってみたかった蕎麦屋があんだよ。そこ行こーぜ。あとあそこのソフトクリームも食ってみてぇしああそれと…………」


 すっかり観光モードになってしまった橘に引っ張り回されるのを覚悟して、私は小さくため息をついた。彼の予定を狂わせたお詫びだと思うことにする。








「蕎麦屋はともかく、ソフトクリームは男1人だと買う勇気なくてさー」


 おいしいお蕎麦に舌鼓を打ったあと、行ってみたかったという景勝地に行き、これまた食べてみたかったというソフトクリームを味わいながら、橘が満足げに言った。


 △市から私達の住む◯×市へ戻る途中にある道の駅。そこの名物ソフトクリームをずっっっと食べてみたかったらしい。


「夢叶ったわー。ありがとな」


「……いえ。私も少しはお返しできてよかったです」


「あはは。気にしなくていいのに」


 いつも奢ってもらってばかりだったので、頼み込んで、代金を払わせてもらったのだった。現金オンリーのお店でよかった。この調子で後から車内でガソリン代も渡そうと目論んだ。


 2人ともコーンまで食べ終わり、手を拭きたそうにしていたのでウェットティッシュを渡した。橘が私からコーンを包んでいた紙を受け取り、ティッシュと一緒にゴミ箱に捨てにいった。


「ありがとうございます」


 橘がにやにやしている。


「?」


「いや、俺たちなんか息ぴったりだなって思って」


「??」


「はは、なんでもねーよ。行こうぜ。あーー楽しかった」


 帰り道、ずっと手を握られていた。たまに手にキスされ、ハンカチでふいた。橘が笑いまたキスして、私がふく、ということを繰り返していたら、恋人同士のじゃれあいみたいに思えてはっとしてやめた。


 軽い夕飯まで済ませた後、私のマンションは通り過ぎて、橘のマンションにまた帰ってきてしまった。手洗いやうがい等を済ましソファに座っていると、同じく帰宅後のルーティンを済ませた橘がリビングに入ってきて、私を抱きしめた。

抱きかかえられ(なんでいつもこうなの?)、ベッドにそっとおろされる。また忍耐の時間が始まるのかと思うと気が沈んだが、ぽふっと倒れ込んだまま橘は何もしてこなかった。運転と観光で、さすがに疲れたのかもしれない。


「運転、お疲れさまでした」


「ああ、うん……」


「私が免許とったら、運転交代しますので」


「ははっ、別にいいよ。てかそんなこと考えてくれてんだ?」


 橘がにやっと笑う。


「あ、今のはただの社交辞令ですから」


「ははは」


 その日はずっと抱きしめられた。


「聡子」


 何度か、今まで見たことがないほど優しい目で見つめられ、聞いたことがないほど甘い声で名を呼ばれた。途中、橘が寝てしまい、帰るに帰れなくなった私は途方に暮れた。





ーーーーーーーーーー






「おはよ」


「……おはよう……ございます……」


 くもりの朝。今にも雨が降り出しそうだ。

 目を細めリビングを見ると、橘がコーヒーを飲みながらソファでくつろいでいた。音量をしぼったテレビでは、丁度天気予報のコーナーをやっていた。今日は一日中雨らしい。

 のろのろと起き上がり、洗面所で顔を洗って玄関へ向かった。ドアノブに手をかけたところで橘が慌てた様子でこちらへ向かってきた。


「ちょ、ストップ。ちゃんと送るから。鍵のこと気にして泊まってくれたんだろ?ありがとな」


「……いえ」


「コーヒーでも飲んでいけよ。どーせ今日も予定ねーんだろ?」


 笑いながら言う橘に苛立ちつつ、真実でもあったので、はい、と言わざるをえなかった。

 橘が優しく微笑み、額にキスしてきた。


「……よかった。まだ帰したくなかったから」


 ふっと笑って言われ、そっと抱きしめられた。


「もうすぐ試験始まるだろ?勉強相手になってやるよ」


「!それは……願ってもないお申し出……」


 忘れてた。こいつも医学科だったんだ。


「あと、まだエッチしてなかったしね。そっちから先にしていい?」


 ーーーーそうだった、こいつはこういう奴だった。


 少しでも境遇に同情した自分を後悔した。鍵なんてほったらかして、さっさと帰宅すればよかった。

いつものようにひょいと抱きかかえられた。ただし、今日はいつもの人さらいのような抱え方ではなく、いわゆるお姫様だっこというやつだった。


 ベッドに恭しく降ろされた。


「……あの……」


 いつもの性急なしつこいキスではなく、そっと優しいキスが降ってきた。その優しさに鈴木くんを思い出して、目がじわっとした。


「……あ」


「聡子。俺のことだけ考えとけよ?」


 私の心を見透かしたように、橘がふっと笑って言った。

ついばむようなキスから、だんだん激しいキスになってきた。橘の唇が私の首筋をはう。ふと窓の方を見ると雨が降りだしたようだった。


「…………っ…………」


「お前、ここ弱いよな。気持ちいい?」


 橘が笑いながらちゅっとする。下着に手が入ってきて、さぐられた。


「……ん、濡れてる。俺で感じてくれてるんだ」


 何を今さら、と思った。

ていうかあなたに感じてるんじゃなくて私の身体がそこがたまたまそういうポイントなのあなたがいいってわけじゃないの。

 頭の中で抗議する。その間もゆっくり服を脱がされていった。


「なぁ、俺のも脱がしてよ」


「…………………………」


 手を取られ、上着の裾を握らされる。しぶしぶーー本当に気が進まなかったーー脱がした。橘が嬉しそうに笑った。そして私の頬に手を添え、そっとキスしてきた。


「……きれいだ、聡子。俺だけのものにしてぇ」


 橘が入ってきた。


 いつもの乱暴な、ただただ射精を求めるような動きではなく、ゆっくり、私の反応を見ながら動いてくれているようだった。


「……痛くねぇか?」


「……え、今さらですか?」


 お互い呼吸が乱れている。なんだか、今日はすごく気持ちいい。快楽の波に流されてしまいそうで、必死に自分を律していた。頭の中で元素記号表をそらんじた。


「……さとこ、すっげ……気持ちいい……こんなの……」


「……はじめて、なんて、漫画みたいなこと……言わないでくださいよ?……んっ……」


 かくいう私も体験したことないような快楽の波に抗うのに必死だったーーーー怖い。

 

「……おまえのなか……あったかくて……ぬるぬるして……あっ……まじで……まじで……きもちい……」


 橘の動きが早くなる。それに呼応するかのように、私も昂ってきた。やばい。


「……さとこ……おまえのことが……」


 その先は聞きたくなくて、橘の唇を自分の唇でふさいだ。そのまま貪るようにキスしあった。


「…………っ…………」


「あぁん!」


 橘が私に欲望を吐き出したと同時に、私の頭も真っ白になった。膣がびくびくとして橘を締め付けるのが、自分でもわかった。

鈴木くん以外でこんな状態になってしまうなんて、屈辱だった。








 橘が私を腕枕しながら、ぼそっと語り出す。私は半分眠気まなこできいていた。


「……俺の親父さ、産婦人科医なのにすげぇ女好きでさ。浮気ばっかしてて」


 うんうん、その遺伝子は確実にあなたに受け継がれているね。


「あ、病院の名誉のために言っとくけど、患者には手ぇ出してないらしい。専ら病院のスタッフな」


 ……うん……どうして自分の城で……そんなことを……めんどくさくなるの……目に見えてるのでは……


 うとうとしながら考えていた。


「で、母は父の浮気見て見ぬふりしてたんだけどさ、ある日心が決壊したんだろうな、俺が学校から帰ってきたらリビングで首つってた」


 ーーーーーー!


 壮絶な話に思わずばっと半身を起こす。橘がふっと笑って私の髪をなでた。


「んな顔すんなよ。昔の話だ」


「ーーーーーー」


「でさ、俺まだ小1か2のガキだったからさ、どうしていいかわかんなくて。嘔吐したまでは覚えてんだけど、そっから記憶なくて。気づいたら葬式で母方の祖母から花で殴られてた」


「……え?なぜです?」


「俺がいたせいで離婚できなかった的なこと言ってたな。ま、祖母としては手塩にかけて育てた娘が亡くなって、怒りをぶつけるのが俺しかいなかったんじゃねぇの」


「……失礼ですが、そのときお父様は……」


「あぁ、最初の焼香だけやって、いづらかったのか病院からの呼び出しって名目で戻ってったよ。んなわけねぇのにな。喪主は急遽祖父がつとめたんじゃなかったかな」


「……………………」


 壮絶な話に、かける言葉もなかった。


「それからも親父の女グセは治らなくて、大変さ。腹違いのきょうだいが確認してるだけで2人はいる」


「そ、それは……もめそうですね……色々」


「……そうだな。まぁ、再婚しないことが親父なりの弔いなのかなって思ってる」


「…………………………」


 そんな風に思えるまで、ずいぶん時間がかかったことだろう。2歳しか離れていないのにずいぶん大人びた印象を持つのは、こういった環境で育ったからなのか、と想像した。


「……母親のことも、最初は悲しいだけだったけど。責めることもたまにはあったかな」


「?」


「面倒ごとが起きたときとか。なんでいてくれねぇんだよって思ったり」


 心情を吐露し苦労を分かち合う人がおらず、眉間にしわを寄せた苦しそうな表情の少年が、唐突に、鮮明に、浮かんだ。


「…………なんで、俺がいるだけじゃだめだったんだよって思ったりとかね」


 何か慰めの言葉をかけたかった。けれど、頭に浮かんだどんな言葉も陳腐なものに思えた。

橘の手を握ってみた。少し驚いたようだったが、微笑んで手にキスしてきた。


「ーーーーだから俺さ、鈴木のぼっちゃんが羨ましかった」


「?」


 突然鈴木くんが出てきて困惑する。


「あいつの親の仲の良さは有名なんだよ。会ったことねぇか。あと年が離れてる兄ちゃん達いるだろ。弟大好きの」


「……………………」


 お会いしたことはないが、どうやらクセ強めのご家庭らしい。そして納得した。鈴木くんの穏やかさは、そういう愛のある家庭で育まれたものなのだと。

 あの陽だまりのような優しさが懐かしくなり、私は目を伏せた。


 橘が私を抱き寄せた。


「……なんでこんな話したかっつーとさ」


 橘が言葉を飲み込んだ。なんだろう。いつもはきはき(ときには辛辣に)ものをいう人なので、こんな風にためらうのは珍しい。


「お前と、真面目に付き合いたくて」


「…………………………はい?」


 何を、言っているんだろう。


「あの、最初のこと、覚えてます?」


 あなたは不同意性交の加害者で、私は被害者ですよ。


「うん。悪かった。謝る」


「…………はいぃい??」


 あっさり頭を下げられ、拍子抜けする。


「悪かった。本当に」


「……………………」


 過去の話を聞いてしまった今では、橘に少なからず同情してしまい、以前のように心から憎むことができなくなっていた。

 許しを乞うようにじっと私を見つめる目に耐えられず、横を向いた。

ーーーーそうだ、今の話が真実だとは限らない。相手はあの橘だ。不同意性交のあと口止め料として300万円の小切手を渡してくるような男。


「そんな簡単に許さないです。あと、私は鈴木くんが好きです」


 橘が傷ついた顔をした。


「…………………………そっか」


 そっと私を抱きしめた。


「許してもらえるまで、何度でも謝る。必要だったら追加の金品で慰謝する。とにかく、お前と……」


 橘の口を手で塞いだ。


「もう、何も言わないでください」


 きつく見据えた。橘の目が叱られたこどものようにしゅんとなった。私の腕をよけた。


「聡子、好きだ」


「やめて」


「好きだ」


「……やめてってば」


 抱きしめられた腕をふりほどくこともできず、ただただ困惑した。湧き上がってくるこの気持ちはなんだろう?そうだ、きっとストックホルムシンドロームだ。それに違いない。無理矢理自分を納得させた。

 先ほど降り出した雨は少しずつ強くなり、すぐには止みそうになさそうだ。窓から見える一面の白い世界に、2人で閉じ込められたような錯覚に陥った。

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