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ふたりの恋  作者: ゆり
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清らかな愛ではないけれど

 ここ最近、雑念を振り払うかのようにチェロの基礎練習に精を出していた。チェロの低音は心を落ち着かせてくれた。ーーーーが、今日はなんだか音が変な気がする。


 「弦交換の時期じゃない?」と先輩からアドバイスをもらい、早速街に買いにきた。

目的のものを手に入れ、カフェで一休みする。道行くカップル達を眺め、幸せのお裾分けを頂いた気分になった。


ーー私も、鈴木くんていう見た目も中身もかっこいい人とデートしてた時期があったんだよなぁ。


 今となっては、あの時間は夢だったのかもしれない、なんて思ってしまうけれど。


 あれから、鈴木くんとは言葉を交わすこともなくなってしまった。

同じ授業では視界に入らないよう、私は前に座った。鈴木くんも同じようにしているようで、授業が終わればさっさと教室を出ていっているようだった。

それでも、たまには姿を見かけることはある。少し痩せた気がして、心配だった。


(………………)


 叶うことなら、そばにいって抱きしめたい。大丈夫?と声をかけたい。


(ーーーーーーーー)


 ふぅ、とため息をついて天を仰いだ。





「ねぇねぇ、おねーさん1人?」


 ぼーっとしていると、2人組の男性から声をかけられた。見た目から判断するに、同年代か少し上だろうか。相手を観察するのに気をとられ、返事をするのをすっかり忘れていた。


「何か言ってよー。俺たち怖い人じゃないから」


「ははは、そんなん言われたら余計怖いでしょ。ごめんねーほんと急に」


 もう一人の方も話しかけてきた。


「きれいな人いるな〜ってさっきから気になってたんだ。もし予定ないならさ、俺らと食事でもいかない?」


 おお。これはもしやナンパというやつではなかろうか。まさか私にもお声がかかる日が来るとは。

なんだか妙に感動してしまい、つい笑ってしまった。…………のが運のツキだった。


「おっ笑った。かーわいーー!!」


「ねぇねぇ、名前なんて言うの?」


「……えっと……」


「声もかーーわいーーーー!!惚れた!!俺君のこと好きになっちゃった!!」


「やめろって。ほら、困ってんじゃん」


 両サイドを固められ、どうにも逃げ場がない。膝の上でぎゅっと拳を握った。


(……このまま無言を貫いて、諦めてくれるのを待とう……)


 貝になることを決意したそのとき、右側にいたツッコミ役の男性から肩を引き寄せられた。


「こんなに震えて、かわいそうに。ごめんね。お詫びに食事、ご馳走させて?」


 そっと手を握られ、さすがに無言では誤魔化しきれないと観念した。


「……あの、


「待たせて悪かったな。誰、この人達?」


ーーーー突然垂れてきた救いの糸。


 ムッとして振り返った2人組が慌て始めるのにそう時間はかからなかった。


「な、なんだよ、彼氏いたのかよ」


「俺たち、ちょっとお話してただけなんでー。じゃねー」


 わかりにくいんだよ、指輪くらいしとけくそがっ


 そんな捨て台詞がきこえムカッとしたが、深追いはしないことにする。

ふぅ、と一息ついて救いの糸を垂らしてくれた神に向き直った。


「ありがとうございましたーーーー橘さん」


「いーえー。ピンチに役立てて、光栄です」


 語尾にハートマークでもつきそうなほど上機嫌で、笑った。







「お前のこと考えてたらさ、目の前にいるんだもん。まじでびびったわ」


 これで2回目だな、助けるの。どんだけ絡まれてんだよ。


 お礼のコーヒーを飲みながら、橘が楽しそうに言った。


「てか何してたの?ナンパ待ち?」


「そんなわけないですチェロの弦を買いにきてちょっと一休みしていただけです」


 おちょくるような言い方に腹が立ったので、つい早口になってしまう。

 もう、早く帰りたい。さっさと飲み終わってほしかった。


「あはは、そうなんだ。俺はさ、バッシュの紐買いにきたの。ネットで買おうと思ったんだけど、たまには店で見てみるのもいっかーって思って」


 橘の話なんて1ミリも興味はなかったので、右から左に聞き流す。

美形の皮をかぶった(けだもの)め。

あそこで「ねーあの人かっこよくない?」「きゃーほんとー」と盛り上がっている女性達に、こいつの正体を教えて差し上げたい。お姉様方、ちなみに私は彼女ではありませんのでどうぞ自由にこいつにお声がけください。


「……聡子?話聞いてる?」


「いえ全然」


 私のぶっきらぼうな物言いに最初はきょとんとしていた橘が、ぶはっと吹き出した。そのまま机に突っ伏して笑い続けている。

カップを見るとコーヒーは空になっていた。


「……助けていただきありがとうございました。それでは」


「や、待って待って」


 橘が笑いをこらえながら言う。


「あのさ、送りたいんだけど俺今から飲み会だからさ。だから、鍵渡すから先に俺んちに行って待っててくれない?」


「はい?」


 なぜそんな恋人みたいなことをしなければいけないのか。


「お前ぼーっとしてるから男から見たら引っ掛けやすそうなんだって。ちょっと言えばついてきそうな感じ」


「……!」


 橘からそう言われると、妙に説得力があった。


「だからタクシーで帰れ。んで、俺んちいて」


「……タクシーで帰るのなら、私の家に帰りますって」


「そこはほら、ご愛嬌?」


 橘がかわいらしく小首をかしげる。その様子に苛立ちを感じた。

今から飲み会だと言っていたが、いつぞやよっしーから動画を見せてもらったような乱痴気騒ぎの会なのだろう。

そこにいる女性の家に行けばいいものを、なぜ私にいろというのか。橘という人間が、本当にわからなかった。


「あちゃー動画見たの?吉田に撮るなって言えばよかったな〜」


 あはは、と悪びれもせず笑った。


「じゃあそういうことで、留守番お願いね。はい鍵」


 バッグから取り出し、私の目の前に置いた。


「私に拒否権は


「管弦楽サークルに迎えにいこうか?彼氏ですって言って」


 かぶせ気味に言われ、反論できない。目立つことが嫌いな私の性格は、早々に見抜かれているようだった。脅迫だろこんなの、と思いながら乱暴に鍵を自分のバッグに入れた。









 タクシーに揺られ、橘のマンションに向かう。

すっかり日も落ちて薄暗くなった中、エントランスのあたたかなぬくもりがきれいだった。


 鍵の使い方に苦労したものの、無事(?)中に入り橘の部屋へ向かう。豪華なマンションに2割引のお弁当が入った買い物袋が不釣り合いだと感じた。


 かちゃ


「……………………」


 部屋の中はすっきりと片付いている。「男性の部屋は散らかっている」というのはもはや過去のステレオタイプになりつつあるのかもしれない。

明かりをつけてカーテンを閉めようとしたが、夜になる直前の、1日の名残を惜しむような夕焼けの残像が目に入り、しばし見とれた。街の灯りがとても美しかった。


『あるものなんでも飲んだり食ったりしていいから』


 そうは言われても人の家の冷蔵庫を開ける気にはなれず、買ってきたお弁当とお茶をテーブルに並べる。

家主のいない部屋で食事をするのは、どうにも奇妙な感じがした。


(あ、手洗いとうがい忘れてた)


 洗面所へ向かい、バシャバシャと手を洗う。


(あ、このハンドソープ、SNSで話題のやつだ……)


 こんな高いの使いやがって、と心の中で悪態をつく。嫌がらせで通常量の2倍プッシュした。

ふと目を移すと、女性もののスキンケアとメイクアップ一式も目に入ってきた。


(……これ、クレ・◯・ポーだ……。あ、こっちはジ◯スチュアート。わー、きれいー)


 橘は一体何人の女性を連れ込んでいるのだろうか。系統の違うブランドを眺めながら、思った。……自分も、その1人なのだと思うと気分が沈んだ。

こうしてわざわざ置いているのは、そういった女性たちが他の女性を牽制しているのかもしれないと思った。

新品の下着とルームウェアも用意してあったが、触らないでおいた。










「ただいま〜」


 0時少し前、橘がほろ酔いで帰ってきた。


「お、いたいた。おいで〜」


 まるで猫にするように私に両手を広げ、そしてぎゅっとしてきた。すりすりされる。


「テレビみてたんだ〜」


「はぁ。勝手にやってました」


「いいよいいよ〜。信用してる〜」


上機嫌で橘がソファに倒れ込む。


「さとこーみずもってきてー」


 少し呂律が回らなくなっている様子を見て、焦る。嘔吐なんてされたら片付けが面倒だった。

というか、鈴木くんならいざ知らず、こいつの世話なんてまっぴらごめんだった。


「はいどうぞ。ってあぁ……こぼれてる……」


 口から伝う水をタオルでふいてやる。それにはお構いなしで橘はごくごくと飲み続けていた。途中、やはり飲みにくかったのか、ソファにきちんと座り直した。


「っあーーーー水うめーーーー。ありがと」


「おかわりありますからね」


 空になったペットボトルを受け取ろうとすると、腕を取られ、橘に抱き寄せられた。


「さとこーただいまー」


「………………」


 上機嫌で私の胸にすりすりしている。


 こめかみがびきびきしたが、酔っ払いに怒っても消耗するだけなので、そのままにしておいた。

しばらくそうしていた橘が、とろんとした目で私を見上げて言った。

 

「ね、しゃぶって?」


 ……やっぱり、これが目的だったか。飲んだ後高まった性欲を沈めるための道具。無料の風俗。

女なら誰でもいい、ワンナイト上等のイメージだったが、こいつなりに考えるものがあるのかもしれない。


「つっこまれるのと、どっちがいい?」


「ーーーーーーーー」


 しぶしぶ、口に含んだ。


「……んっ……あ……上手……」


 甘い吐息が聞こえ無性に苛立った。そのまま淡々とことを進めていると頭をつかまれ、逃げ場がなくなる。


「……っあー……出るっ……飲めよっ……」


 苦いものを口で受け止めた。

絶対飲みたくなかったので、急いでティッシュを探した。それに吐き出す。

口の中が気持ち悪かったので、洗面所へゆすぎにいった。

鏡にうつった自分は、少し泣きそうな顔をしていた。


ーーどうしてそんな顔をしているの?わかっていたことじゃない。まさか、恋人同士みたいに優しく、甘い時間を過ごしたいと思ってたわけじゃないでしょう。


 わかっていたことだけれど。


 こんな風に露骨に性処理の道具扱いされるのは……悲しかった。


 リビングへ戻る。


 橘がソファで眠っていた。


「……風邪引きますよ」


「うーん……」


 ベッドはすぐそこに見えているので、歩くよう促す。私の肩を借りて、のろのろと移動した。

倒れ込むようにベッドに入る。下着一枚だけれど、上は着ているので着替えはいいだろうと判断する。


「……キスしろよ」


 橘が言った。


 放っておこうと思ったが、髪を引っ張られねだられた。痛い。


「〜〜〜〜〜〜」 


 舌打ちして、そっと口付けした。


「……もっと……」


 捕まえられ、何度かついばむようなキスを交わす。


「さとこ……」


 呟くように私の名を呼び。

 

 橘は眠りへと落ちていった。

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