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「昨日、バーバラが来たよ」
「はい。何でもギルバート様がどこかに長期で行かれるとかで、婚約者は必要ないとおっしゃったそうです」
「ふふ、おかげで早く結婚したいバーバラは、僕で妥協するそうだよ」
「まぁ、妥協だなんてひどいですわね」
コーネリアは訪れたヘンリーの屋敷で、最後になるであろう二人きりのお茶会を楽しんでいた。
ギルバートがいつ帰ってくるか分からない状態になったことで、バーバラはヘンリーと結婚することにした。それは、昨日、直接本人から聞かされた。父も母も、コーネリアよりバーバラの方がヘンリーには相応しいから、と言って祝福していた。
バーバラは結婚後もちょくちょく実家に戻ってくる気でいるようで、母ともそんな会話をしていたが、ヘンリーと結婚したらすぐに領地に引っ越す予定なので、もう会うことはないだろう。
バーバラと同じくらい自分勝手なあの母が、いくら娘の為とはいえ、馬車で十日以上もかかる何もない場所に行くわけがない。あの人たちは、都会でしか生きられないのだ。
「……母はいつも私に、大人しく両親に従い、夫に従っていればいいの。逆らうなんて以ての外よ、と言っていましたので、姉もヘンリー様に従っていればいいと思います。何か言われた場合は、この言葉をぶつけてあげてください」
「あぁ、そうだね。コーネリアはその言葉に従っていて僕に逆らわなかったが、姉である君は出来ないのかな、妹以下だね、とか煽ってあげよう」
想像しただけで楽しくて仕方がないのか、ヘンリーが楽しそうに笑っていた。
笑っている内容はともかく、こうしてヘンリーが楽しそうにしている姿を見るだけで自分も幸せな気分になれるのだから、この気持ちはけっこう深かったのだと思う。
正直、建前上とはいえ姉の夫になることは複雑な思いしかない。けれど、コーネリアは何よりもヘンリーの気持ちを優先したかった。
他の誰が否定しようとも、コーネリアだけはヘンリーを応援しようと決めていた。
それが、何も持たないコーネリアがヘンリーに出来る唯一のことだと思っていた。
そんな気持ちをヘンリーに悟られることなく無事に別れることが出来そうだったので、コーネリアは内心でほっとしていた。
「ですが、ギルバート様はどちらに行かれるのでしょうか?」
「何でも、海を隔てたフレストール王国だそうだよ」
「でしたら、私とは会うことがないでしょうね」
「そうだね、君の行き先はバルバ帝国だし」
コーネリアが行くのは同じ大陸にあるバルバ帝国だ。この大陸最強の帝国に行けることは、コーネリアにとって誇りでもある。それこそ、この国に二度と戻ってこなくても後悔はしない。
「コーネリア、向こうに行って本当に辛くなった時や、助けがいる時は遠慮なく連絡してくれ。さすがに彼の帝国相手ではあまり役に立たないが、金銭的な援助とかならしてあげられるから」
「いいえ、ヘンリー様。私は向こうでどれだけ一人でやれるのか、試してみたいのです。この国にいる間は、何だかんだ言っても、きちんと貴族の娘として生きていました」
精神的な虐待はあったが、両親は最低限、貴族の娘としての体裁は繕ってくれていた。家族を捨てるということは、その全ても捨てることなのだ。
「衣食住は保証されていますので、その中で自分がどれだけ出来るのか、がんばってみたいと思います」
微笑んだコーネリアに、ヘンリーは、そうか、と呟いた。
「……君ならきっと出来るさ」
「はい。ヘンリー様だけでも、私は出来るのだと信じていてください」
「あぁ、信じてる」
そう言って微笑んでくれたヘンリーにコーネリアは、この人を好きになってよかった、と心の奥底から思った。
「ヘンリー様、色々とありがとうございました」
自分の心の全てを、コーネリアはこのありきたりで短い言葉に込めたのだった。
早朝の学園の前に、バルバ帝国からの迎えの馬車が止まっていた。
当然、この時間にここに来るよう指示されたコーネリア以外は誰もいない。
たかが学生一人の為に大層な馬車を用意してくれたものだとコーネリアが感心していたら、馭者の男性が、皇帝陛下が遠い国から来る留学生の為に用意してくれた特別な馬車なのだと教えてくれた。
この国からだと長旅になるので、途中で野宿も出来るように色々な物資も詰め込まれているそうだ。
護衛もしっかり付いているので、お嬢さんは安心して乗っていてください、そう言われた。
コーネリアが乗り込んだらすぐに出発すると思っていたら、もう一人、帝国に行く人がいるので先に馬車に乗って待っているようにと指示された。
しばらくして外が騒がしくなったのでようやく相手が来たのかと思っていたら、扉が開いてその人が乗って来た。
「……え……?」
「やぁ、コーネリア嬢」
乗り込んできたのは、ギルバートだった。だが、その姿がおかしい。だって、彼は金髪だったはずだ。なのに、今の彼は黒い髪になっていた。
「……ギルバート、様?ですか?」
「そうだよ、そんな変な声を出さないでくれ」
「いや、だって、その髪……」
「驚いた?でも昔からけっこう黒髪にはしてるんだよ」
「昔からですか?」
「そう。親父に対するちょっとした嫌がらせの一環だな」
髪を黒く染めただけで印象がすごく変わった。それに、話し方もいつと違う。ちょっと乱暴な口調になっていて、これが素のギルバートだと思われる。
コーネリアが上手く状況を把握出来ないでいる間に、馬車はゆっくりと出発した。
これで、コーネリアもギルバートももう後戻りは出来ない。
「あの……」
「そうだ、同じ帝国に行く仲間なんだ。これからはギルバートと呼び捨てにしてくれてかまわない。お前のこともコーネリアと呼ばせてもらう。何なら、ギルと呼んでくれてもいいかな」
「そ、それは、ちょっと……ではせめて、ギルバートと呼ばせていただきます」
断ろうとしたら、笑顔で圧力をかけられたので、仕方なく呼び捨てにすることにした。
それにしてもあの丁寧な口調はどこにいったのだろう。
「ギルバート、嫌がらせとは?」
「ん?あぁ、うちの親父は俺より弟の方がお気に入りでね。ただ、弟の髪が明るい茶色で、それだけが残念だって常に言ってるんだよ。親父も俺も金色の髪なんだ。で、たまにわざと俺が金髪を黒に染めると、弟の明るい茶色が良く見えるらしくて、親父がますます弟を可愛がるんだ。弟可愛いが絶頂になったあたりで金髪に戻して並んでやると、とたんに親父が難しい顔になるから、それがざまぁとか思えるんだよな」
初めて聞く大公家の内情に、コーネリアは目を丸くして驚いた。
「失礼ですが親子関係は……?」
「そんなのとっくの昔に破綻してるよ。親父の興味は、出来は悪いがお気に入りの弟にしか向いてないからな」
まじまじと見つめたその顔は、昔、コーネリアにきつい言葉を浴びせたあの黒髪の少年に重なって見えた。
……うそ、まさか……あの時の方って……。
金髪のギルバートは、最初から候補者から外していた。けれど、よく見ればあの少年の面影が残っているようにも思える。口の悪さがますます重なる気がしてきた。
「コーネリア、お前が姉から自分を守る為に観察していたように、俺もずっと自分を守る為に周囲を観察してきた。誰が親父の手の者で、俺を陥れようとしているのか。誰が弟と通じていて、俺の失態を望んでいるのか。同じだよ、俺もお前も。家族の面倒事から逃れる為に、周りをよく見ていることしか出来なかった」
そうだ。いくら大公家の嫡男とはいえ、そうそう勝手に動くことは出来ない。避けられる面倒事は、避けるに限る。
「ヘンリーもな、あのくそ真面目なやつにしては、面白い復讐方法を考えたもんだ」
「ご存じだったんですか!?」
「言っただろう?見てきたって。あいつがバーバラと結婚する前提でお前と婚約したと聞いた時は、何を企んでいるんだか、と思っていたが、あの妹大好き男らしい手の込んだ復讐だな」
「あの、ヘンリー様のことをそんな風には言わないでほしいのですが……」
さすがにそんな風に言われて、コーネリアはギルバートに対して怒りが湧いてきた。
「ふん、事実だろう?あいつは妹可愛さに目が曇って、自分に向けられていた気持ちにこれっぽっちも気が付いていなかった。それに気が付いていれば、今頃は心が通い合った婚約者と幸せに浸れただろうにな。あいつは、その機会を永遠に失った」
「ギルバート様!」
ここまで言われて、ギルバートが何を言いたいのか分からないほど鈍くはない。
気が付かれていたのだ。コーネリアのヘンリーに対する気持ちに。
学園の教師と同じように、ギルバートにも気が付かれていた。
「けっこう綺麗に隠していたと思うぞ。だが、俺みたいなやつには気が付かれていたかもな」
「……先生にも気が付かれていました……」
「あの人も、観察ばっかりしているからな。だが、あの人は見ているだけで何も変えようとしない人だから、俺も放っておいたんだ」
……この人は、コーネリアと違って、観察した結果、自分に害が及びそうな可能性があれば、迷いなく対処する人だ。コーネリアみたいに、見て見ぬ振りをしてただ逃げ出すだけではない。
先ほど、自分とコーネリアは同じだと言っていたが、全く違う。
……そんな人がどうしてこの馬車に乗っているのだろう。
そもそも、この方は学園をとっくに卒業しているはずだ。
それにフレストール王国に行く予定ではなかったのだろうか。
「ギルバート、疑問なのですが、あなたはフレストール王国に行く予定だと聞いていました。なぜ、この馬車に?」
「そんなの、コーネリアと一緒にバルバ帝国に行く為に決まっているだろう」
「一緒にって、あの、条件とか聞いてますか?」
二度とこの国に戻ってこない覚悟がいるはずなのだが、次期大公閣下ともあろう方がいいのだろうか。
「だから言っただろう?親父のお気に入りは弟だって。俺がいなくなれば、親父は喜んで弟を後継者にするだろうさ。その結果がどうなろうとしったこっちゃないんでね。ここに残っていたら、あの家族のお守りで俺の一生が終わりそうなんだよ。それくらいなら、どこか別の場所で生きていく覚悟はある」
「フレストール王国のことは?」
「あっちからも誘いの話をもらっていたんだが……お前を一緒に連れていくつもりだった」
「はぁ?何を勝手に!」
「お前だってバルバだろうがフレストールだろうが、どっちでもよかっただろう?」
「それはそうですが……」
何だろう。そうなんだけど、この人に言われるとちょっとムカつく。
「そのことで学園の教師に話をしようと思ったら、お前はバルバ帝国に行くことになっているって聞いたんだ。俺も一緒に行くから、同じ馬車に乗れるように手配してもらったんだよ」
「先生から何も聞いてない……」
「当然、秘密裏に準備した」
なかなか怖い行為な気がする。これは、もしや付きまといというものでは……?
「でも、ギルバートは学生じゃないじゃないですか」
「即戦力として、向こうの文官用の試験には受かった。あぁ、それと一応成人している身なんでね、向こうでのお前の保護者にもなっておいた。俺は向こうに何人か知り合いがいるから、一緒にいれば何かと便利だぞ」
「ちょ!行動が早すぎませんか?」
ギルバートと夜会で話をしてから、まだそんなに日数は経っていない。なのに、コーネリアが知らないところで、変な話がどんどん決定していっている。あと、どんな手を使ったのか色々と聞きたい。
「気にするな、コーネリア。……ずっと観察していて、初めて気になる女性が出来たんだ。同じ場所にいれば口説けるが、相手が二度と帰ってこないつもりなら、同じ場所に行くしかないだろう?」
「はい?え?私の気持ちを知っていて言ってるんですよね?」
「ヘンリーとは終わった。コーネリアも次に進む。そこに俺という存在を刻み込むなら、目の前にいるのが一番良い方法だろう?」
……こんな人だとは思わなかった。コーネリアが観察していた擬態ギルバートはどこに行ってしまったのだろう。そもそも擬態と思っている辺り、コーネリアはこれが素のギルバートだと認めてしまっている。
「いくらヘンリー様とのことが終わったとはいえ、早すぎる気がします……」
「いいだろう、別に。俺は何も返さない人間じゃないぞ」
『何も返さない人間じゃない』、その言葉にコーネリアはギルバートを見た。
これは、昔の言葉に対する答えなのだろうか。
あの時、あの少年は、『君が求めたところで返してはくれない』、そう言っていた。
ギルバートは、返してくれると言っている。
コーネリアが求めたのなら、ギルバートは同じように返してくれるのだろうか。
「……ギルバート、もし、もしもですよ。私があなたに愛情を求めたのなら、あなたは同じように返してくれますか?」
真剣な顔で聞いたコーネリアに、ギルバートはふっと笑った。
「もっと返してやる。言っておくがコーネリア、俺が生まれて初めて興味を持ち、心の底からほしいと思ったのがお前だ。お前が思う以上に返してやる」
「……ギルバート、あなたは……」
このほんの僅かな時間で、ものすごい糸に絡め取られた気がする。
逃げようともがいても、逃げられる気がしない。
にやりと笑ったギルバートに抱き寄せられながら、コーネリアはほんの少しだけ、愛情に飢えていた心が満たされていっている気がした。
観察者として見てきたギルバートとは全く違うギルバートの姿に、自分もまだまだ未熟者ね、と思いつつも、これから先、どんなギルバートが見られるのだろうかとほんの少しだけ楽しみにしている自分が存在している。
それは、今までコーネリアが持ったことのない感情だった。
けれど、それが嫌ではない。
「……自分では気が付かなかったのですが、ひょっとすると私は、重い心の持ち主かも知れませんよ」
「言っただろう?それ以上に返してやるって。そうなると俺は、もっと重い心の持ち主だな」
その言葉に、コーネリアはギルバートをぎゅっと抱きしめ返したのだった。