③
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「ねぇ、コーネリア。あなた、何か勘違いしていないかしら?」
「まぁ、お姉様。勘違いって何をですか?私は私の役割をきちんと果たしていますよ」
翌日、バーバラがさっそくコーネリアに噛みついてきた。これくらいはいつものことだ。
この屋敷の人間は誰も邪魔しないし、両親などはコーネリアが悪くなくても、さっさと謝れというだけだ。
「ヘンリー様のことよ」
「ヘンリー様は一応、私の婚約者ですから。ああいった場で会話をするのは当たり前のことです。それとも、お姉様はそんな基本的なことも忘れたのですか?」
「コーネリア!!」
バーバラがカッとなり、手を上げてコーネリアの頬を叩いた。
いつものように。暴力に訴えれば妹は黙ると思って。
パシッという音が響いたが、叩いてもまだバーバラは息を荒くしてコーネリアを見ていた。
叩かれたコーネリアは、何事もなかったかのように、ふっと笑った。
「ねぇ、お姉様、知っていますか?暴力的な女性というのは、普段から何となく立ち居振る舞いに出ているのですよ?」
「な、何を言ってるの!」
「少しでも見る目を持っている方でしたら、分かりますよ。ギルバート様はどうでしょうね?」
「え……?」
否定すればギルバートは人を見る目がないということになり、肯定すればギルバートはバーバラが妹を叩くような人物であることを理解していることになる。
コーネリアにそう言われて、バーバラはガタガタと震えだした。
そんなバーバラの様子に、コーネリアは、おや?と思った。
どうせ留学してしまえば二度と会うこともないと思って、ついつい普段は使わないような強い言葉で言ってしまったが、普段強気な発言ばかりしているのに、ちょっと脅かすと怯えるのはどういうことだろう?
これではまるで、コーネリアがバーバラをいじめているようではないか。
バーバラの精神が案外脆いことを知り、コーネリアはもしヘンリーの復讐がうまくいって誰も来ない屋敷に閉じ込められたら、この人は一年持たないのではないかと思った。
コーネリアは、物心ついた頃からずっと耐えてきた。
せめて同じくらいの年月は耐えて欲しいな、という思いと、あまり長いとヘンリー様に迷惑がかかるかな、という二つを同時に思った。
どちらにせよ、コーネリアは、この人がどうなろうとどうでも良いと思っていた。
姉だから、家族だから。
それで全てが許されるわけではない。
家族だろうが、それぞれが独立した一人の人間だ。
自分を守って何が悪い。
自分をいじめてきた人間を嫌って何が悪い。
そんな人たちを捨てる選択をすることに、もはや何の感情も湧かなかった。
「……お姉様、ヘンリー様ともそろそろ結婚の話をしなくてはいけない時期だと思いますが、このままでよろしいのですか?ギルバート様との婚約が整わなかった場合、お姉様はヘンリー様とご結婚なさる予定ですよね?ギルバート様のお心を聞いて、きちんとしたらいかがでしょうか?」
このままここで泣かれても困るのでコーネリアがそう言うと、バーバラははっとしたような表情をしてからコーネリアを睨み付けた。
「ええ、そうよ。ギルバート様に聞いてだめだったら、わたくしはヘンリー様と結婚するのよ!」
「でしたら、なるべく早くなさるべきだと思いますよ」
コーネリアにも時間的にそんなに猶予があるわけではないので、早めに決着を付けてもらいたい。
婚約破棄された傷心で、とか言って堂々と留学も出来るし。
ほんの少しだけだが、ヘンリーの復讐の手助けにもなるので、コーネリアはバーバラを焚き付けた。
もうすぐいなくなる身としては、あまりヘンリーの援護を出来ないので、せめてこれくらいはやってあげたい。
「では、お姉様。ヘンリー様に早めのお返事をお願いいたします」
コーネリアはそう言うと、部屋から出て行った。
バーバラに殴られた頬は多少痛むが、冷やせば大丈夫だろう。
「……ヘンリー様、後はお願いいたします」
友人としてヘンリーの幸せを願っている。ヘンリーがバーバラに対する復讐が楽しいというのなら、応援するだけだ。
止めるのが本当の友情だと言う人もいるだろうが、きっとコーネリアもヘンリーも、そういう部分はとっくの昔に壊れてしまったのだ。
コーネリアは幼少期からの体験で、ヘンリーは妹が壊れてしまったことで。
止めることなんてしない。
ヘンリーは、きっと上手くやるだろう。
だって、あれだけ外面が良いのだから。
「コーネリア、最終確認ですが、本当にいいのですね?」
「はい、先生。色々とお世話をおかけしますが、よろしくお願いします」
コーネリアに留学を勧めた女性教師は、本当に留学するのかどうかの最終確認をした。
ここで頷いてしまえば、もう後には引けない。
もし急に行かないという状況になると、それはコーネリアだけの問題ではなくて留学先との問題にもなるので、下手をすれば国家間の問題にもなりかねないのだ。
成績優秀で家族との確執があり、生涯、生まれた国に戻れない可能性があることを承諾する人間。
それが相手国から出された留学生の条件だった。
学園の教師としては、この学園にそんな生徒はいない、と大声で言いたいところだったが、たった一人存在した該当者が目の前の少女だ。
あちらは男女どちらでも構わないとのことだったので、恐る恐る成績表などの資料を送ってみたところ、見事に合格した。
普通の留学ならコーネリアの両親にも確認を取らなくてはならないのだが、あちらが欲したのは、全てを捨ててでも来る人間だった。
そして、コーネリアがそれに該当する人間であることを、教師は知っていた。
「この国に戻ってこられる可能性は低いですよ?」
「はい」
「……あなたの事情は承知しています。せめて、婚約者の方の承諾は取りましたか?」
「はい。ヘンリー様は私を応援してくださるそうです」
「……私は、バーバラもヘンリーも……それにヘンリーの妹のことも見てきました。色々あったのは確かです。ですがあなたたちは、上手くいくと思っていたのですが……」
「先生、ヘンリー様と私の間にあるのは友情です。それより他の感情はありません」
……他の感情は、全て封印した。
コーネリアのどこか寂しそうな思いを含んだ表情を見た教師は、こちらも複雑そうな顔をした。
「私は、教師としてヘンリーのことを知っていますし、あなた方のこともずっと見てきました。正直、あなたたちの婚約に関して思うところはありますが……コーネリア、あなたはヘンリーのことを……」
「先生、それ以上はおっしゃらないでください。先生は、ヘンリー様のこともお姉様のことも教師として見てこられたと思いますが……先生も私も、ただ見てきただけなんです……」
「それは……!」
生徒たちを観察し、学園を円滑に動かしていくのが仕事の一つではある。だから、なるべく問題が起きないように見てきたつもりだ。……問題が起きた場合でも、それが表に出ることなく収まるのなら、見て見ぬふりをしてきた。
ヘンリーの妹の時も、早々に彼女がいなくなったことで表、つまり権力者の親が出て来ずに済んだので、有耶無耶のままで終わらせた。
「私たちがヘンリー様に何か言うことなんて、出来ないんですよ。私もお姉様のことをただ見ていただけでした。自分に被害が及ばないのならそのままにしていました。ヘンリー様の妹君が苦しんでいた時に、私は自分に関わりのない他人事として見ていましたし、先生は学園内が平穏になったことで、それをなかったことにしました……」
その通りだ。教師という立場ならば、バーバラを止めるべきだったのだ。建前上だろうが、学園は生徒の平等を謳い、学園内に限っては教師の権限も強いはずなのだ。
だから、いじめがあった時は、理由を問いただして止めることも出来た。
でも、出来なかった。
ただ毎日、生徒を観察して、問題があった場合は、表沙汰にならないようなら見なかったことにする。
それしかやって来なかった。
「先生も私も、ヘンリー様が何をしようが、止められません」
コーネリアは、寂しそうな顔をした。
……最初は、本当に婚約者ではなく、友人になったつもりだった。
ヘンリーとは、共通の敵を持つ者同士という間柄だったのだ。
でも、コーネリアのことを理解して優しく接してくれたのは、ヘンリーだけだった。
初恋の相手を探している。彼に恋してる。それって悪いことじゃないですよね?ヘンリー様は、理解して応援してくれますよね?
コーネリアはそう言って、彼に友情以上の興味がないことを示し続けた。
……示し続けないと、コーネリアの気持ちが彼に向いていくのを、自分で止められなかった。
だって、ヘンリーだけだったのだ。本当のコーネリアと向き合ってくれたのは。コーネリアの、家族が大嫌いだという気持ちを理解してくれたのは。
幼い頃、家族とのことを気付かせてくれた初恋の彼も大切だったが、今、傍にいてくれるヘンリーに恋心を抱くには十分な優しさだった。
自分の恋心に気が付いた時、それは全て封印すると決めた。
ヘンリーの復讐に手を貸すと決めた以上、自分たちが結ばれることはない。
それに、ヘンリーは本当にコーネリアに友情しか持っていないのだ。
それくらい、ずっと見ていたからコーネリアには分かっていた。
「……先生、私はもういなくなりますが、先生はずっと見ていてください。ヘンリー様とお姉様のことを。今まで通り、手を出すこともなく、ただただ観察していてください」
「……コーネリア…………」
青ざめた顔になった教師に向かって、コーネリアはそっと微笑んだ。