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「コーネリア」
静かに名を呼ばれて振り返ると、婚約者のヘンリーが立っていた。
ヘンリーは伯爵家の嫡男で、コーネリアの姉バーバラがギルバートに振られた場合、バーバラの夫となる予定の人物だった。
「まぁ、ヘンリー様」
「元気そうだね」
「はい、ヘンリー様もお変わりなく」
婚約者というよりも、久しぶりに会った友人同士のような会話だが、お互いがこれを偽りの婚約だと分かっているので、特に婚約者らしい振る舞いというものを求めていない。
「お姉様でしたら、あちらに」
「あぁ、大丈夫だよ。さっき会って来たから。相変わらずギルバート殿のことしか見ていないようだった」
「そうですか」
「まったく、少しは君のことを気にかければいいのに。相変わらずのご家族だね」
「ヘンリー様」
「大丈夫だよ。誰も僕たちの会話なんて聞いていないよ」
ヘンリーとコーネリアは共犯のような間柄だ。
だからだろうか、二人だけの時には、ついつい本音が出る。
ヘンリーは態度も優しいし、もしコーネリアから、どうせ偽りの関係なのだから婚約者として交流するのは止めましょう、と言っていなければ、婚約者としてきちんとした態度で接してくれていたと思う。
「そういえば、探していた人は見つけられた?」
「……いいえ」
本音で語り合う仲のヘンリーには、コーネリアには探し人がいることを伝えてあった。
「もうずっと昔のことすぎて、私の記憶も美化されているんだと思います」
「美化か。そうだね、実際に会ったら、けっこう違っているのかもしれないね」
ずっと昔、さすがにまだ幼くて、家族内での姉妹格差のひどさに納得出来ずに、泣いてばかりいたことがあった。
どうして、お姉様はいいのに、私はダメなの?
お姉様は全て欲しい物を揃えてもらえるのに、私はほんの少しでも欲しいと言っただけでお母様から長い説教をされるの?
お父様もお兄様もそれを当たり前のように笑っているけれど、どうして止めてくれないの?
彼に出会ったのは、そんな風にまだ自分の心が揺らいでいた頃。
ひょっとしたら、家族が自分を見てくれるのではないかと期待する心を失っていなかった頃だった。
『あの家族に何を求めるの?君が求めるものをくれない人たちを、君は求めるの?君が求めたところで返してはくれないよ。都合の良い時だけ使われる人形でいたいの?君はもっと周りを見るべきだ』
幼い子供には、きつい言葉だったと思う。
でも、コーネリアは、その言葉ではっと気付いたのだ。
自分が求めているものをあの家族はくれない。
そう、あの家族に何か求めても無駄なのだ。
この家には、私の居場所はなくて、この人たちは私の求める家族じゃない。
だって、他の家の家族とはあまりに違い過ぎる。
幼い心でそう悟るまでに、それほど長い時間は要さなかった。
一度そう悟ってからは、コーネリアは家族に何か言うことはなくなった。
泣いても叫んでも何も通じない相手に、しゃべる必要を感じなくなった。
その代わり、コーネリアは何も言わずに彼らを観察することにしたのだ。
そのきっかけとなった言葉をくれたのは、コーネリアより少しだけ年上の男の子だった。
たまたまどこかの屋敷で会った彼は、家族を求めていたコーネリアに冷めた目でそう言うと、どこかに行ってしまった。
黒い髪の少年だったことは覚えているが、どこの誰かは全く分からない。
けれど、コーネリアはずっと彼に恋していた。
思い込みだろうが何だろうが、自分を救ってくれた人に恋をして何が悪いというのだ。
思い出はきっと美化していて、少年がどんな成長を遂げているのかも知らないけれど、記憶の中にいる彼に恋をし続けてきたのだ。
それはきっと、コーネリアが自分の心を守るために必要としていたことだったのだと思う。
「さすがに、そろそろ現実というものを見る時間だとは思っているんですが……」
「そうかな?いいんじゃないか、別に。コーネリアがそれで誰かに迷惑をかけているわけでもないし」
「まぁ、そうなんですが……。ヘンリー様の方の準備はいかがですか?」
「領地の屋敷が完成したよ」
ふふふ、と暗い顔で笑うヘンリーをコーネリアは少し羨ましく思った。思いを遂げられる彼を。
領地の屋敷は、彼の妻の為に建てられたものだ。
そう、いずれ彼の妻となるバーバラを監禁する為の屋敷。
愛しいから監禁するのではない。
ヘンリーの目的は、復讐だ。
ヘンリーには大切な妹がいる。
彼女は、今、領地にある屋敷から出ることが出来なくなってしまった。
学園で落とした彼女のハンカチをたまたまギルバートが拾ってくれた、たったそれだけの理由でバーバラを始めとした女生徒から執拗にいじめを受け、精神が弱ってしまったのだ。
王都から領地に帰り、外に出るのが怖いと言って屋敷の中から出ることが出来なくなってしまった。
ヘンリーは妹をいじめた主犯格がバーバラであることを知り、言葉巧みにバーバラに近付いた。
誤算だったのは、バーバラではなくて妹のコーネリアの婚約者になったことだった。
だが、コーネリアは初対面の時に、姉に恋してるふりをしているのはなぜか、なぜ姉を憎んでいるのか、と聞いてきた。
ヘンリーは驚いたが、観察していれば分かると言われたので、素直に妹のことを教えた。
コーネリアも今回の婚約には裏はあることを教え、ヘンリーの復讐の為に力を貸すと約束した。
その時から、コーネリアとヘンリーは共犯者になったのだ。
「妹さんとは会わないような場所ですか?」
「もちろんだよ。周りもしっかり囲ったからね。妹の君には悪いけど、バーバラは表に出ない方がいい。どこかに嫁いだとしても、そこの屋敷で誰かをいじめるだけさ。僕の妹や、君のような犠牲者はもう出したくない」
バーバラとコーネリアに格差をつけることで優越感に浸っている家族。ヘンリーはそのことを知っていた。
「それで、君はどうするか決めた?」
「はい。せっかくのお誘いがあるので、留学しようと思っています」
「そう。学園からの推薦で行くから、向こうでの衣食住は保証されていると言っていたけど、少しは僕にも費用を出させてくれ。家族のことはともかく、君と僕は友人だろう?」
ふっと笑ったヘンリーをコーネリアはまじまじと見た。
「……私、ヘンリー様に恋をしていたら幸せになれた気がします」
「そうだね。普通に出会って普通に婚約して、普通に結婚してたらそれなりに幸せになれただろうね」
だが、ヘンリーはバーバラに復讐したいし、コーネリアは初恋の人が忘れられない。
とても仲の良い友人止まりにしかならない。
「そういえば、コーネリア。さっきギルバート殿と会ってた?」
「あら、いやだ。見られてしまいましたか?」
途端に嫌そうな顔になったコーネリアにヘンリーは笑った。
「大丈夫だよ。僕はたまたま見かけただけで、他は誰も見ていないよ」
「あぁ、よかったです。誰かに見られていたら、とっても面倒くさいので」
「だろうね。あの方がさっさと婚約者を決めてくれれば、僕もバーバラを閉じ込めて心がすっきりするのに」
「本音が漏れすぎですわ、ヘンリー様。表向きはお姉様のことがお好きなのでしょう?」
「それも苦痛でしょうがない。バーバラもギルバート殿に一途だと言うのならばそういう態度を常に取っていればいいのに、僕と会う度に、妹を押しつけてごめんなさいね。もう少し待っていて、みたいなことを言うんだ。ホント、嫌だよ」
コーネリアの前では偽ることなくバーバラに対して嫌悪感全開のヘンリーに、コーネリアは楽しそうに笑った。
「でも、君と僕は共犯者兼友人だからね。どこに行っても、困ったことがあればいつでも頼ってくれていいよ」
「まぁ、頼もしい友人ですわ」
「本音で語り合える貴重な友人だからね」
貴重な友人としてにこやかにしゃべっていたのだが、遠くから見ていた者たちからすれば、その姿はとても仲の良い婚約者同士に見えた。
バーバラは、自分より劣る妹が、自分を好きなはずの男性と話しているのが気にくわなかった。
ギリッと扇を握り、母に向けて何事かを囁いていた。