①
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(ギルバート様……?)
華やかな夜会の片隅で、コーネリアは一人ぽつんと立って周囲を観察していた。
コーネリアの家族は、いつもコーネリアを忘れていた。
父は嫡男の兄と共に挨拶や仕事の話で忙しく、母は気の合う姉とともに他の女性たちと一緒におしゃべりに興じている。先ほど、主催者の大公閣下には挨拶だけはしたので、もうコーネリアが帰っても誰も気にはしないだろう。
父母にとってコーネリアは、手がかからない娘で、いてもいなくても同じ存在。いや、一つだけコーネリアには存在意義がある。
姉の身代わりだ。
華やかで美しい姉が狙っているのは、大公閣下の嫡男のギルバート公子。
学園でクラスが同じらしく、姉は家で自分こそ彼に相応しいと常に言っており、母もそれに賛同している。父や兄も大公家と縁が持てるのならと言って応援している。
だが、万が一、ギルバートが姉を選ばなかった場合、姉の婚約者がいなくなる可能性がある。
姉の年代の多くの人間には、すでに婚約者がいるのだ。残っているのは、訳ありか身分が低い者になってしまう。
姉は父母に、ギルバート様に選ばれるつもりではいるが、保険として自分に釣り合う人間をコーネリアの婚約者にしてほしいと頼み込んだ。
そうすれば万が一の場合でも、婚約者をコーネリアから姉に変更するだけで済む。そのままコーネリアが嫁いでも、その家と縁が出来るので大丈夫だと言って父母を説得した。
父母はその提案を承諾し、コーネリアは後から決定事項を伝えられただけだった。
コーネリアの目から見て、ギルバートが姉を選ぶとはとても思えなかった。
ギルバートは基本的に誰に対しても礼儀正しく笑顔でいる人だが、目が全く笑っていない。
冷たい目で、周りをずっと観察している。
コーネリアがそれに気が付いたのは、自分も全く同じ目をして周りを観察していたからだ。
だからコーネリアは彼に興味を持った。
自分は父母と兄姉の様子を観察して動かないと、もっと面倒事に巻き込まれると思って見ているのだが、大公家の嫡男のくせになぜそんな目で周りを見ているのだろう。
ちょっとした好奇心から、コーネリアはそっとギルバートも観察対象に入れた。
なるべく気配を殺して、静かに観察する。何となく周りを見ているふりをして、ギルバートの観察に励んだ。
結果、分かったのは、ギルバートが誰に対しても同じ目をして見ているということだった。
友人だという青年にも、幼馴染だという女性にも。
そして、従兄弟だという王子たちに対しても。
当然ながら、ギルバートは婚約者狙いの令嬢たちも同じ目で見ていた。
けれど、ギルバートが上手いのは、その目の隠し方だ。
ギルバートは、誰かの意識が自分に向いている間はそんな目をしない。自分から意識が外れた時など、ほんの少しの隙間のような時に観察者の目になっている。
そんなギルバートを観察していたある日、ふと彼と目が合った。
さすがに見過ぎたかと思い、すぐに目を逸らして周囲を万遍なく眺めているふりをしたが、それ以来たまにギルバートと目が合うようになってしまった。
今もそうだ。
壁と同化して観察しているコーネリアに周囲はこれっぽっちも注意を向けていないのに、ギルバートだけが的確にコーネリアの居場所を見つける。何度場所を変えても目が合うので、意識して探されているとしか思えない。
だからといって、何か抗議されるとかそういうのはなくて、だた見つめられて目が合う。
たったそれだけのことだが、コーネリアにとっては大変迷惑なことだった。
これでもし、誰かがギルバートの視線の先にいるコーネリアを見つけて話しかけられたら困ってしまう。
なるべく目立たず、姉を優先すること。
それが、コーネリアが己の人生の中で学んできた生きる術だった。
「コーネリア嬢」
人目を忍んで逃げ出した先のテラスで声をかけてきたのは、ギルバートだった。
今まで一度もしゃべったことなどなかったが、こうして声をかけられた以上、応えないわけにはいかない。
「はい。なんでございましょうか?」
礼をして慎重に言葉を選ぶ。
対応一つ間違えると、後でひどいことになるかもしれないので、コーネリアは警戒した。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。いつも気になっていたんだ。俺と同じ様な目で周囲を見ている君がね」
なんなら今もその目で見られている。ギルバートは、コーネリアを観察にきたのだ。
「不愉快なお気持ちにさせてしまっていたのなら、大変申し訳ございませんでした。ですが、私はただ見ていることが好きなだけで、他意はございません」
「そう。君のご家族が何かやらかさないかと観察しているのかと思っていたよ」
「確かにそういった気持ちはございます。ですが、公子様、私は本当に見ていることが好きなのです」
それは本当のことなので、真剣に伝えた。
「そう。それで、君から見て俺はどんな人間に見えた?」
「……正直に申しますと、もう少しうまく他の方を観察なさるとよいと思います。公子様は、私と違って目立つ方です。おそらく、ご自分に注意が向いていない時を狙って周りの方をご覧になっているのでしょうが、公子様を密かに見ている者は多いのですよ」
「……なるほど。言われてみれば確かに。君もそうだな」
「私は人を観察するのが好きです。それでどうこうする気はけっしてありませんが、中にはよからぬことを企む方もいるかもしれません。公子様の噂でしたらすぐに広まると思います」
「今、君とこうしておしゃべりしていることもかな?」
「見られれば後で公子様狙いの方々から嫌みの一つ、二つは言われるでしょうね」
「俺なんて狙ってどうするんだろうね?俺は案外つまらない人間なんだが……」
「皆様が欲しいのは、大公妃という地位であって、そこに公子様の性格は考慮されないのでは?」
ズバッと言い切ったコーネリアに、ギルバートは目を見開いて驚いた。
「あ、もちろん、公子様の見目が麗しいということも含まれてはおりますよ、たぶん……?」
「おい、俺の外見の方がなぜ疑問形なんだ?」
もう少し、こう、言い方というものがあるだろう。さすがのギルバートでも、少し傷つく。
「だって皆様の会話を聞いていると、さすが次期大公閣下、素敵!という言葉が多くてですね、次期大公閣下というご身分が素敵なのか、外見が素敵なのかよく分からないんですよね」
「……なるほど」
ギルバートとしてもそう言われすぎていて気が付かなかったが、確かに、大公という身分なのか外見のことを言っているのか分からない。
「性格については、言われていないな」
「はい。ですから、公子様がつまらない性格でも、別にかまわないのでは?」
「すごいな、コーネリア嬢。俺にそこまで言った人物は初めてだよ」
「そうでしたか。それは申し訳ございません。観察好きな女の戯れとでも思って聞き流していただけると有難いです」
観察している分には面白い素材だが、あまり関わり合いになると間違いなく姉がうるさい。
「では逆に聞こう。俺と気が合いそうな女性は誰だ?」
「へ?公子様と気が合いそうな女性ですか?」
突然尋ねられたので、ちょっと変な声が出た。
というか、この公子と気が合いそうな女性っているのだろうか?
「……んー、外見、身分、全て無視してよろしいですか?」
「あぁ、かまわん」
「えーっと、では公子様のご趣味は?」
「人間観察」
「えぇぇ……難しい……。じゃあ、身体を動かすことはお好きですか?」
「それなりに。だが、別に何もなければ家にいることも好きだ」
「読書は?」
「もちろん、する。家には俺が買い求めた本で溢れた図書室もある」
「う、うらやましい……じゃなくて、どういった系統の本を読まれますか?」
「基本、何でも。この間は「罪の恋」という恋愛小説を読んだが、それはそれで面白かった。ただ、もう少し、連続殺人の動機にひねりがほしかった」
「あぁ、あれは確かにそうですね。一応、恋愛メインなので恋故に、というヤツでしょう」
「君も読んだのか?」
「はい。ああいう考え方に陥る方もいるのだと思うと、大変参考になりました」
恋に溺れると他の人はどう考えるのだろうと思い、色々な恋愛小説を読んだ。一途な人もいれば、その想いゆえに破滅に向かう人もいる。
誰かが体験したことばかりではないだろうが、どの人の想いにも共感してしまう。
コーネリア自身に重ねてしまう。
「ふーん。……ねぇ、俺たち気が合うね?」
「いいえ。今の公子様はただ単に、私に合わせているだけですよ?」
「……は?」
ギルバートとしては、心の底から言ったつもりだったのだが、コーネリアの方はすぐに拒否をした。
「けっこう本気で言ってるんだけど?」
「……物珍しいだけでは?私など、本来は公子様の目に触れるような存在ではありません」
小さく口元で笑いながら自嘲気味に言うコーネリアに、ギルバートの方が怒りがわいてきた。
どうして、ここまで他人のことを観察して理解しているのに、自分のことをこんなに卑下するんだ?
コーネリアは、確かにギルバートと気が合いそうだというのに。
「そうかな?コーネリア嬢は、可愛らしいし、ついつい目がいってしまうけど」
そう言うと、コーネリアは目を大きく開いて驚いた顔をしていた。
「……ありがとうございます、公子様。そんな風に言われたのは初めてです。よく考えたら、こうして誰かと長々と会話をするのも久しぶりのことでした……。私の一生の思い出です」
今までと違い、ふわり微笑んだコーネリアに見とれたギルバートが再び声を掛けようとした時、遠くの方から近付いてくる声がした。幾人もの楽しそうな声が聞こえてきたので、コーネリアは誰かに見つかる前にその場を離れるべく、ギルバートに一礼した。
「コーネリア嬢」
「ありがとうございました。公子様。あ、ついでに私、一応、婚約者いるので」
最後の最後までギルバートの名前を呼ぶこともなく、コーネリアは見事なくらいの早業でいなくなってしまった。
「あはは、何だか面白い存在だなぁ、彼女は。……うん、決めた。あの子を連れて行こう」
以前から王国へ来ないかと誘われていたので父母と話し合い、ギルバートは行くと決めていた。
その際、誘ってくれた外交官曰く『女王陛下は人材を広く募っているんだ。面白そうな人なら連れて来てもいいよ。ほら、貴族の家だとよくあるでしょう?なぜか家族から放置されてる人。出自しっかりしてて教育もされてるのに放置されてるなら、うちの国で働いてもらいたいんだよ』そう言って笑っていた。
コーネリアは、まさにそれだ。
婚約者がいると言っていたが、噂で聞いたところによれば、ギルバートに選ばれなかった時のための保険らしい。彼女の姉を選ぶつもりもないので、その婚約者は自動的に姉に回るはずだ。
そうなればコーネリアは、いよいよいらない存在になる。
「……いらないのなら、俺がもらっていってもいいよね」
ギルバートは、楽しそうにそう呟いたのだった。




