【第五章:死】 Das fünfte Kapitel: Der Tod
題名の通り、これで一応ヒルデガルトの生涯の終りとなります。
【第五章:死】 Das fünfte Kapitel: Der Tod
1
ルーペルツベルク女子修道院で、ヒルデガルトが何時もの様に、職務に励んでいた時だった。
実は彼女は数日前から、ある恐ろしい予感に襲われていたが、それを顔に出すと、若い修道女たちが不安がると思い、普段の態度を崩さず職務に精を出すも、この恐ろしい予感のせいで中々進捗しなかった。
其処へ、ある若い修道女が彼女の執務室に慌てて飛び込んできた。時に1173年の事である。
「如何しました。そんなに慌てて」
「エプティシン・ヒルデガルト様!先程ディジボーデンベルク修道院から連絡が来ました。フォルマール様が倒れられたそうです!」
「……!」
フォルマールとは、ヒルデガルトが幻視体験を告白した修道士で、後に彼女の著作の清書を初めとする秘書役であり、何よりヒルデガルトが心から許せる数少ない友人の一人である。
彼女にはもう二人の大切な人物が居たが、この両者はもう随分前に亡くなっている。
師のユッタと、もう一人の秘書のリヒャルディスだ。
ここでフォルマールまで亡くなるのでは、そう思うとヒルデガルトは居ても立っても居られず、ディジボーデンベルク修道院へと向かった。
ルーペルツベルク女子修道院とは、左程離れていない。 (凡そ30キロメートル以内)
フォルマールの生年は不明だが、1098年生まれのヒルデガルトより年上だろう。
恐らく八十過ぎの修道士だ。彼は清廉で規則正しい修道生活を送っている人物だが、年齢的な事を考えれば、何時天に召されても不思議では無い。
ヒルデガルトがディジボーデンベルク修道院に着くと、彼女は即座にフォルマールが安静にしている部屋へと通された。
ベッドに横たわる、生気を無くした、苦しい顔付きの老人が、声を振り絞る。
「ミットシュヴェスター・ヒルデガルト。来てくれたのですか。私の様な命の残り少ない者より、貴女の若い姉妹たちと共に居る事が大切ですぞ」
ある若い修道士がフォルマールのベットの脇に椅子を差し出し、ヒルデガルトは礼を言いながら座る。
「ミットブルーダー・フォルマール……」
幻視など無くても、彼の命が最早尽きるのは明白であった。ヒルデガルトはそれ以上の言葉が出ず、フォルマールの細く為った手を、それ以上にか細い自身の手で軽く握った。
フォルマールの苦悶の表情は、和らぎ穏やかに為る。
「初めて会った時から、貴女からはこの様に不思議な事を体験させられてばかりですな。何やら心身が落ち着いて来ました。このまま眼を閉じ、口を開くの止めますが、宜しいでしょうか?」
ヒルデガルトが軽く頷くと、フォルマールは静かに死への、聖なる神の身元へ帰天する準備を始めた様だ。彼の顔は満ち足りて涼やかである。
程無くして、フォルマールの死が確認された。
ディジボーデンベルク修道院内で、フォルマールの葬儀が執り行われた。ヒルデガルトも列席する。
元々男女併存修道院と云う事も有って、特に女人の禁制に関して、左程厳しくは無い。
ヒルデガルトはフォルマールへの感謝の言葉を粛々と語る。
「ミットブルーダー・フォルマールは聖ベネディクトゥスの規則を忠実に守った修道士です。そして、私は常に彼に励まされ、色々と助けて貰いました。私が著述する事が出来たのも、著述する事を止めなかったのも、彼が居たお陰です。彼は死ぬまで神に仕え、死ぬまで私を支えてくれました」
ヒルデガルトには、別の男性修道士の補佐役が付くが、彼女の著作は1174年辺りで止まっているので、業務としては、様々な人たちとの書簡の遣り取りの為の書記役が主だ。
主要な彼女の著作である、幻視体験を纏めた書は、以下の三作となる。
『道を知れ (Scivias, ,,Wisse die Wege'' ) 』 (1141年~1151年)
『生命の功徳の書 (Liber vitae meritorum, ,,Das Buch der Lebensverdienste'' ) 』 (1148年~1163年)
『神の御業の書 (Liber divinorum operum, ,,Das Buch vom Wirken Gottes'' ) 』 (1163年~1174年)
無論この三作だけで無く、他にも医学書を初めとする著作群、更には様々な人々との書簡の遣り取りにもフォルマールが関わっていたのだから、ヒルデガルトの感謝の言葉は、真摯で切実であった。
2
ここでヒルデガルトやフォルマールの普段の生活。つまり、簡易に当時のベネディクト会の修道院の修道士たちの一日の活動を記す。聖務日祷に因って、各作業毎に時間が区切られている。
先ず、滅多に行われないが、特に修道士たちの健康に問題がない限り、真夜中に就寝を中断して、朝課を行い歌い、再度就寝する。
暁に為ると、起床して賛歌で始まり一時課を行う。時課とはその一日を区切る、祈りの時間と思って頂ければ良い。
続いてミサ聖祭が行なわれ朝食。三時課の後に午前の各労働をして、六時課の後に昼食と自由時間。九時課の後に午後の各労働をして、晩課と夕食。最後に就寝前の終課で終わり、修道院は沈黙に入る。
基本的に、朝課から終課と七つの時課を行い、その都度祈るのだ。 (※1)
周知の様に緯度の高いヨーロッパでは、季節による日照時間が極端である。夏場は日中の時間が一日の大半を占め、冬場は日中の時間が八時間も無い。凡そ午前四時頃に起床して、午後八時頃に就寝が基本だが、時期により一時間程前後する。
労働は修道院内外の農園や果樹園での作業、修道院内の香草や草花の栽培が主だが、知的労働に従事する者たちも居る。
大抵の修道院には写字室 (Scriptorium) が在り、写本作業に従事する修道士も居た。
ヨーロッパで活版印刷が現れるのは、未だ先の時代。紙はイスラム世界では、あの有名なアッバース朝と唐王朝とのタラス河畔の戦い (751年) で、敗北した唐側の捕虜に製紙職人が居た為、程無く製紙工場がサマルカンド (現在のウズベキスタン共和国の第二の都市) を初めに造られ、既に普及していたが、十二世紀のヨーロッパではイベリア半島のイスラム勢力圏で伝わり始まったばかりだ。
写字室で羊皮紙にがちょうの羽根ペンを使い、書物の写本を行う。ある意味これもかなりの重労働である。
ヒルデガルトの著作も各地の修道院で、この様に写本され、関係者たちに読まれ、そして当の図書室に保存されていた、と思われる。
少し時を戻し、ヒルデガルトが最後の説教旅行に赴いた時期。初めに彼女は所属管区の司教座であるマインツに赴いた事を思い出して欲しい。
如何もマインツでは説教では無く、当司教座の司祭たちとの話し合いをした様である。
この経緯や時期は不明だが、ルーペルツベルク女子修道院の敷地内で、とある貴族を埋葬したのだが、この貴族は生前に教会と対立して、破門されていた人物だった。
処が、この貴族は亡くなる一年程前に教会と和解し、その話を知っていたヒルデガルトも、彼の埋葬を了承したのだが、肝心のマインツ司教座の関係者たちは、この貴族の和解を把握していなかったらしい。
マインツの高位聖職者たちは、ルーペルツベルク女子修道院に「破門した者を埋葬した。即座にその者を墓地より取り除く様に」、と命じ、それに対してヒルデガルトは、この人物について「彼が亡くなる前に、既に彼の破門は解かれています。墓地より取り除く事は出来ません」、との遣り取りが、実は長らく交わされていたのだ。
この頃のマインツ大司教はクリスティアン (Christian、在任:1165年~1183年) だったが、彼はローマを初めイタリアに滞在する事が多く、ヒルデガルトが彼に直接の説明を行うのは困難だった。
3
遂には、頑迷さからか、誤解がずっと続いたのか、マインツ大司教に全ての決定を仰ぐ前の一時的な措置なのか、マインツの司祭たちは、ルーペルツベルク女子修道院に以下の禁止制裁を科した。
ミサ聖祭 (聖体拝領) を行う事を禁止し、聖務日祷に因って区切られた時課で、歌う事や楽器を奏でる事をすらも禁止したのだ。
これはヒルデガルトにとって、大変心を痛めつけた措置である。作曲家でもある彼女は信仰の柱として、音楽を重要視していた。
各時課では、音楽が無く、只呟くだけ。ヒルデガルトはマインツの高位聖職者たちに、改めて誤解を解く内容と、更に信仰に対する音楽の大切さについての痛烈な手紙を送った。
「……神を賛美する賛歌に沈黙を科す人々は、天に於いて天使的な賛美に加わる喜びを持たない者たちでしょう」
また賛歌で使用する楽器に対しては、彼女はこの様な表現を用いている。
「聖性のフルート、賛美のキタラ (※2) 、諸徳の女王である謙虚のオルガン」
この表現から、彼女にとって楽器を演奏する事。それ自体が神の賛美に用いる物との考えが、現わされている。
ここでケルン大司教と為った、フィリップがヒルデガルトを援ける。彼は二人の人物を探し出していた。一人は騎士階級に属する者で、もう一人は司祭である。フィリップは彼らと共にマインツへと赴いた。
この騎士も一時期破門されていたのだが、例の埋葬された貴族と同じ時期に、教会から破門を解除されていたのだ。彼はその一連の流れを説明する。
そして、両者の放免を行った人物が、もう一人フィリップが連れた来たこの司祭で、彼も両者の破門は解かれている、と明言した。
こうして、ルーペルツベルク女子修道院は、禁止制裁が解除される方向へと進むのだが、遠いローマに滞在しているマインツ大司教クリスティアンから、当の禁止制裁を追認する書状が、ほぼ同時期に入れ違いの様に届き、今度はクリスティアンを説得しなければ、禁止制裁は解かれない状態と為ってしまった。
時期にして、1178年の事である。
改めて、ケルン大司教フィリップの手助けを受けて、例の破門に関する証言の内容が、マインツ大司教クリスティアンに届く。漸くクリスティアンは事情が分かり、ヒルデガルトと彼女の修道女たちへの誤解に対する謝罪の手紙を書く。
こうして禁令は完全に解かれた。翌1179年三月の事である。
この何とも疲労させる長い紛争が終わると、ヒルデガルトはまたも病床に伏す様に為る。アイビンゲン女子修道院で療養生活に入るが、彼女の病状は快癒せず、日々弱って行くだけだった。
ヒルデガルトらしい言葉を通して、彼女の最期の日々を記す。以下は、三番目の幻視体験を纏めた『神の御業の書』からの一節である。
「……魂は身体を通して、身体は魂を通して働き、魂とは身体の緑素 (活力) です。人は魂と身体と理性によって活動出来るのです」
ヒルデガルトの活動の終わりが近付きつつあった。
4
ヒルデガルトの死は1179年九月十七日である。無論確証は無いが、彼女の生まれた日は、1098年の五月一日から九月十七日の間とされている。
これは彼女の最初の著作で、1141年の四十二歳七カ月の頃から書き始めた、 ,,Scivias'' の時期から逆算すると、単に生まれた日がその間と推定されるだけだ。
なので、極めて低い可能性として挙げるが、生まれた日である八十一歳に為る日で死去したのかも知れない。
生まれつき病弱ながら、この時代にこの様な高齢まで生きていたのは、彼女が自身に施していた健康的な食事療法からなのだろうか?
「ヒルデガルト医学 (die Hildegard-Medizin) 」なる物が後年に、そして現在に至るまで、人々の興味と研究の対象とされているのは、少なくとも彼女と云う実例が有ったからだろう。
彼女の最期は彼女の修道女たちに囲まれて天に召された。彼女は自身の死の数日前に周囲の修道女たちに、自身の死が程無く来る頃を予告していた。
ヒルデガルトの幻視は、生まれて母親の乳を飲んでいた頃から、その死の直前まで消え失せる事が無かったのだ。
彼女は生涯に亘って、霊的な無限の世界から、人間や動物、果実や薬草、大地や川の水、宝石からその辺の草木の現実の世界まで、全てを等しく独特のヴィジョンで見ていて、感じた事を述べ、著述をしていた何とも不思議な思想家であった。
修道女たちはヒルデガルトの死を語る。
「院長様は様々な難儀に遭っても、主の為に敬虔に行動していました。一方で現世を好まず、キリストと共に居る事も望んでいました。至高の神は遂にその願いを聞き入れられ、院長様は病気の苦しみから解放され、天配の元へ (天上のキリストの花嫁として) 向かわれました」
葬儀はそのままアイビンゲン女子修道院で行われ、修道女たちは大きな悲しみを抱き、皆涙が止まらず、愛する院長の教えと助けに感謝をし、慰めの元であった院長との別れを行った。
ヒルデガルトの遺体は、ルーペルツベルク女子修道院に埋葬された。
ヒルデガルトの死から、数日後の日曜日。夜が訪れると、以下の様な不思議な出来事がアイビンゲン女子修道院の周辺地域で発生した。
宛ら、ヒルデガルトが普段体験していた幻視の様な内容である。
「二つの虹が天に輝き、双方の虹は共に頂点で交わると、その下に丸い明るい光が出現して、夜の闇を完全に追い払いました」
「そして、その光の中から赤々とした十字架が出現して、初めこの十字架は小さかったのですが、徐々に光の中で大きく為り、十字架の周りにも様々な色の丸い光が出現し、その光の中にも小さい十字架が輝いていました」
「最初の大きな十字架は、聖なる乙女が天に旅立った場所である、アイビンゲン女子修道院に対して強く照らすと、徐々にこの十字架の光は弱く為り、周囲の虹も、また小さな様々な光も次第に消え失せ、元の夕闇に戻りました」
「あの大きな十字架の光は、至高の神が天上のお住まいから、愛する院長様に注がれたお示しだと思われます」
この様に現象を体験した修道女たちは述べている。
これ等の話を纏めたのは、ヒルデガルトの伝記である「生涯」を書いていた、フォルマールの後を継いだ書記役たちである。
こうしてヒルデガルトの人物像とその生涯を、極めて簡単ながら書き終えた。
次回は彼女の死後、現代に至るまでの主にドイツ史を簡単に著しながら、彼女の影響と評価について纏めて、この物語の終幕とする。
【第五章:死】 Das fünfte Kapitel: Der Tod 了
※1:現在では朝課と一時課は行われず、ミサ聖祭の前に夜課という読書などが行なわれているそうです。
※2:古代ギリシア由来の弦楽器。
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フォルマールさんも結構長生きでしたね。
やっぱり規則正しい生活って大事なんですね。
そういえば、去年の秋の歴史でも、私はある信仰深い、規則正しい生活をして、長生きをしたおじいさんを出しました。
できたら、そちらもご一読よろしくお願いします!(ちゃっかり宣伝)
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