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公爵令嬢の悪役事情~婚約破棄を突き付けられたけど、残念ながら【監視役】ですので逆断罪して初恋を実らせます~

 


「……甘い……甘いですわ~~~~!!!!」


 きらびやかな卒業パーティーが開かれている会場で女の甲高い声が響いた。


 貴族子女の通う学園の卒業パーティーでは本来ならば今までの思い出話をしたり、卒業後の話をしたりして盛り上がるモノだろう。


 だがしかし今この場はそれとは似つかわしくない程しんっと静まり返っていた。


 会場中の注目は、今し方叫んだゆるく波打つ薄紫色の髪を持つ令嬢に注がれている。



 何故楽しいはずの卒業パーティーがこうなっているのか、それは少し前に(さかのぼ)らなくてはいけない。



 ◇



「エーデリュナ・ウィチアース! 貴様のような心根の醜いものとこれ以上婚約者でいることはできない! よって婚約破棄を言い渡す!!」



 光に照らされたパーティー会場でひと際目を引く男がそう叫んだ。

 赤と白と金の派手な配色のモーニングコートを着こなし亜麻色の髪を肩口で軽く結った男の名はカイゼン・ナキイラ。


 このティラゾーン学園のあるナキイラ王国の第一王子である。



 そしてカイゼンの指さす場所にいたのは彼の婚約者、エーデリュナ・ウィチアース。

 ナキイラ王国の二大公爵のうち魔術師全般を取り仕切るウィチアース公爵家の長女だ。


 薄紫のウェーブの掛かった長い髪に深紅(しんく)に染まり吊り上がった瞳。

 整った顔立ちであるけれど、どこか物語などに出てくる悪者のような雰囲気が出ている。



「あら殿下。一体どういうことでしょう?」


 エーデリュナは少しも動じていないように薄く笑みを浮かべたままカイゼンと向かい合っている。

 対するカイゼンの顔は険しく、その額には青筋が浮かんでいた。


「しらばっくれるかっ! この悪女め!! この俺が貴様の悪事を知らないとでも思ったか!?」


「ですからそれが何かをお聞きしているのです。悪事、などと抽象的なことを申し上げられてもなんのことか皆目見当がつきませんもの」



 エーデリュナはそう言いつつカイゼンの後ろへ目を向けた。

 そこには数名の高位貴族の令息と真っ赤なドレスに身を包んだ豊満なボディをもつ令嬢の姿があった。


(確かあの方は1年前にこの学園へ転入してきたリリアーヌ・バゼル男爵令嬢だったかしら)


 リリアーヌは多額の献金をして爵位を買い取り男爵の地位についた男が連れていた娘だ。

 元は平民で17歳までは酒場で働いていたと言われているが、その酒場というのがいわゆる娼館(しょうかん)のような役割も持っており、そこで現男爵に買われたのではないかと噂されている。



(……まあ確かに好色の男であれば飛びつきそうな程立派なものを持っていらっしゃるようですけど)


 欲望に忠実な男であれば誰でも籠絡(ろうらく)できそうなその体は、今は無遠慮にカイゼンに押し付けられている。

 見ればそれに気をよくしているカイゼンの顔が目に入った。


 どうやらカイゼンも籠絡されたうちの一人のようだ、とエーデリュナは予想してあきれ果てる。



「貴様はこのリリアーヌに嫉妬し、度重なる嫌がらせを続けた! 今までは婚約者ということで我慢していたがもう限界だ!!」


 カイゼンはゆるんでいた顔を引き締めるとそう叫ぶ。


「だから俺は貴様とは縁を切って、このリリアーヌとの婚約を結び直す!!」


「カイゼン様ぁ! わたしぃ、嬉しいです!」


 そう言いながらカイゼンの胸に手を這わせるリリアーヌはどう見ても娼婦のそれ。

 そんなことにも気が付かないカイゼンはさらに気を良くしてリリアーヌの肩を抱く。


 ちらりと見えたリリアーヌの顔は勝ちを確信したのか愉悦(ゆえつ)の色を濃く表していた。



 エーデリュナの顔が僅かに歪む。

 けれどそれは悲しみや怒りからではなかった。



 エーデリュナは喜んでいたのだ。

 平静を装っていても口角はわずかに上がり、上気してくる頬の熱は抑えきれない。

 その衝動のままに口を開いた。



「おーほっほっほ!! あらあら殿下。何か勘違いをされていらっしゃるようですね?」


 左手を腰に添え、右手は口元を隠すように高笑いをするエーデリュナに会場はざわめいた。


「なにを言っている!? 勘違いだと!? ふざけるな! お前はリリアーヌに悪逆非道なことを……」


「先ほども申し上げましたが、具体例をお示しくださいな? 悪逆非道と申されましても、わたくしには身に覚えがありませんもの」


 エーデリュナは肩にかかった長い髪を手の甲で流し、にやりと笑う。


「いつまでその態度(たいど)が続くか見ものだな! いいだろうではこれを見よ!」



 そういってカイゼンが取り出したのはボロボロになったポーチ。

 使い古されたようにすり切れたものではなく、明らかに人の手によって切り刻まれたと分かるものだ。


「見覚えがあるだろう! これはお前がリリアーヌに嫉妬して切り刻んだリリアーヌの私物だからな!」


「わたくしが切り刻んだ? 嫌ですわ殿下。わたくしが下々のものに手を出すわけがないではないですか」


 にこりと一部の曇りもなく笑うエーデリュナに、カイゼンは爆発寸前まで怒りをあらわにする。


「貴様っ! この期に及んでまだリリアーヌを侮辱(ぶじょく)するかっ!」

「酷いですわ! エーデリュナ様、ご自分の罪をお認めになってください!」


 カイゼンの後ろではリリアーヌが目に涙を称え体を余計に密着させている。

 カイゼンは分かりやすく鼻の下を伸ばしてリリアーヌを見ていた。


 その後ろに控える高位貴族の子息達は思い思いに笑みを浮かべている。

 よく見ればその全員がウィチアース公爵家と敵対もしくは恨みを持っている家の者達であった。



(なるほど。カイゼン(お馬鹿さん)なら操りやすいからこのまま王になってほしい。けれどわたくしがいては傀儡(かいらい)にできないから排除しようって魂胆(こんたん)ね。分かりやすいったらないわ)


 エーデリュナは怒りを通り越して呆れてしまった。

 仮にも貴族の端くれなのだから表情の訓練くらいしておけばいいものの、どうやら彼らはその努力をしなくてもエーデリュナを引きずり降ろせると思っているらしい。



(随分となめられたものねぇ)


 正直もう全てを把握したエーデリュナとしては早々にこの茶番を終わらせたいところではあるが、厄介なのがカイゼン自身がこの茶番を本気にしているということだ。


 カイゼンはよく言えば純真、言い換えれば操りやすい人間なのだ。

 仮にも一国の王子がそんなことでは困る。



 だからこそエーデリュナが婚約者として選ばれたのだ。

 エーデリュナは昔から公爵家の長女としてしっかりとしており、二人の婚約は二人が10歳のころに国王、及び王妃の直々の願いで結ばれた。



(王命となれば断れないけれど本当に面倒な役目を押し付けられたわ)


 エーデリュナに期待された役割はカイゼンを(いさ)めつつ正しい道に導いていくこと。



 国王と王妃にはカイゼン以外に6年もの間子ができなかった。

 その6年のうちにわがまま放題育てられたカイゼンは勉強や武術をことごとく拒んでいたのだ。


 このままでは貴族社会で生きていくことなど到底不可能。

 それに焦った国王夫妻の目に留まったのがエーデリュナだったのだ。


 要は貴族たちに騙されないように腹芸を覚えさせ、王族らしい振る舞いができる様にすることを命じられたに過ぎない。



 だからこそエーデリュナは命令に従いカイゼンが何かをやらかす度にしりぬぐいをして諫言(かんげん)してきた。

 何度も繰り返される過ちにすっかり慣れてしまったエーデリュナは、今ではもう何が起きても動じない鋼のメンタルを持つようになったのだ。



「はあ、殿下。また乗せられておりますのね。いつまでたっても成長のない方ですこと」


 エーデリュナはこめかみを押さえて溜息を吐く。

 カイゼンの逆鱗に触れるには十分だった。


「貴様!! この俺まで愚弄(ぐろう)するつもりか!? いくら公爵令嬢とはいえ許してはおけんぞ!」


 後ろに控える令息たちの笑みが深まる。

 自分たちの計画が順調に進んでいると思っているのだろう。


 カイゼンがエーデリュナを嫌っているということは公然の事実であるのだし、王子相手にも不遜(ふそん)な態度をとるエーデリュナを影で悪役・悪女と呼んでいることも知っている。



 そんな不仲の婚約者相手であれば、その座から引きずり下ろすのは容易いとふんでいるのだ。



(でも、本当に順調かしら? 殿下のお馬鹿さん加減を甘く見過ぎているのではないかしら?)


 エーデリュナは不敵に笑う。


 成績優秀、魔術も優れ実技にも強い。

 王家の信用もあつく重要な任務を与えられたエーデリュナですらこの年になるまでカイゼンの性格を矯正(きょうせい)できていない、その意味を考えればカイゼンに近寄ろうとは思わなかっただろうに、と。



「ではお聞きしますが、わたくしがどうやってリリアーヌ様の持ち物をダメにしたというのです? いつ、どのように、どうして、をまじえてご説明くださいな」


「だからっ! 貴様がリリアーヌに嫉妬して切り裂いたと言っている!」


「いつのことですの?」


「それは……えっと……いつだ? リリアーヌ」

「え!?」


 何故か途中で勢いを無くしリリアーヌに疑問を向けるカイゼン。

 リリアーヌは話題を振られると思っていなかったようで挙動不審(きょどうふしん)になった。



 後ろにいた一人の子息がカイゼンに耳打ちをしている。


「あ、ああ。そうだ。1月ほど前の放課後のことだ!」


「1月前というと最終テスト期間ですわね。放課後はわたくしご令嬢の皆さまと図書館で勉強会をしていましたが、どうやってリリアーヌ様の元にいって嫌がらせを行ったのでしょう?」


「どうって……」



 またしても子息の一人が耳打ちをする。


「ま、魔法でだ!」


「遠隔魔法ということですか?」


「そうだ!!」



 エーデリュナは溜息を吐いた。


「殿下。遠隔魔法は精密操作が出来ない代わりに広範囲に影響力を及ぼすものです。例えば結界のような。それを使用して嫌がらせをしたとしたらリリアーヌ様のものに限らず学園中のものがボロボロになりますわ」


 カイゼンの言い分に頭が痛くなる。

 どう考えても実現不可能なことばかり言っているのに、その自覚がないのだ。


「そんなこと分からないではないか! とにかく貴様がやったんだ!」



 その後も根拠のない言いがかりばかりを口にするカイゼンに、エーデリュナの堪忍袋(かんにんぶくろ)()が切れた。


「……甘い……甘いですわ~~~~!!!!」



 ◇


 そして現在に至る。


 エーデリュナは仁王立ちが如く足を広げ(ドレスで見えないが)両腕を組み上体を反らした。


「いいですか殿下! そんなものでは証拠とは呼べません! 人を断罪するつもりならもっと情報を精査なさいませ!! そうでなければあっという間に傀儡(くぐつ)にされて終わりだと口を酸っぱくして申し上げてきたはずです!!」


 ダスンと足を踏み鳴らす。



 どう考えても証拠に穴がありすぎるのだ。

 全体的にふわふわとした言い分では到底証拠とは呼べないだろう。


 しかられたカイゼンは真っ赤な顔で震えている。


「~~~っ!! 貴様のそう言うところがかわいくないんだよ!! 昔っから!! 本当に何なんだよいつもいつも!!」



 カイゼンは地団太(じだんだ)を踏んだ。

 誰が見てもまったくもって王族らしくない振る舞いである。


 会場の者達は軽く引いていた。



 その視線にも気が付かずにカイゼンは叫ぶ。


「王族の俺に対していつも不遜な態度で接しやがって!! だから悪役令嬢などと呼ばれるのだお前は!!」


「あら、悪役と言いたいのなら言わせておけばいいことですわ」


 公爵家の人間として、王族の婚約者として。

 利用されやすい王子を守り導くために憎まれ役を買って出ていたエーデリュナはいつの間にか自分にも他人にも、そしてカイゼンにも厳しく接する令嬢となった。



「けれどわたくしは公爵家の品位を損なうようなことは絶対にしなくてよ。むしろ身分をかさに着て下位の者達を(さげす)んでいるのは殿下の後ろに控える者達ではありませんか」


 ちらりと見遣ればびくりと震える高位貴族の子息達。

 彼らこそ何もしていないものをおとしめたり、身分を理由にやりたい放題したりしている張本人なのだ。


「現場で動くのは下位貴族や平民たち。彼らの協力無くして王国を維持できるわけがない。前にも申し上げたはずです。それなのに彼らを見下すような程度の知れたもの達に組するとは……第一王子が聞いて呆れますわ」


「き、さまっ!!」


 カイゼンはエーデリュナの挑発に乗り拳を振り上げた。

 バシンという音が響く。




 けれど拳はエーデリュナには届かなかった。

 二人の間に滑るように潜り込んできた男によってカイゼンの拳は止められたのだ。


「そこまでだ」



 カイゼンの拳を受け止めたのは二大公爵の片割れマグリファス公爵家の長男、ロハン・マグリファス。

 艶めく黒髪に金色の瞳が炎のように揺らめいた。


 ロハンはエーデリュナを庇うように前に進み出る。



「女性に対して暴力を振るおうなど、誇り高きナキイラの王族がとるような行動ではないだろう」


 受け止めたままの拳を握る手がギリっと音を立てた。

 声色からも怒りが見えている。


「っ! お前までなんだ!? その悪女を庇い立てしようというのか!?」


 カイゼンはバッと手を振り払った。

 ロハンをぎろりと血走った目で睨むが力では敵わないことを分かっているようで、手を出すことはなかった。


 マグリファス公爵家は武力を司る公爵で、衝突すれば王家と言えども勝利の見込みは薄い。



「先ほどから黙って聞いていれば一方的にエーデリュナを非難(ひなん)するだけ。言い分も何も聞こうとしないのは決めつけてかかっているからだろう?」


 ロハンは溜息を吐いてカイゼンから目を離すとリリアーヌに焦点をあてる。


「お前はどうなんだ?」


「え?」


 突然話を振られたリリアーヌは瞬きを繰り返す。


「だからお前がエーデリュナにやられたという根拠を聞いている。決めつけているということは確信があってのことなのだろう? この際だ。やられたことを全て上げてみるといい」


「そんなの数えきれないわ! 持ち物もボロボロにされるし水をかけられるし転ばされるし!」


「どうやって? やられた後は?」


「はっ? 後?」


 ロハンは僅かに笑い口を開く。



「そう。やられた後のことだ。まさかそのまま放っておかれたわけでもあるまい?」


 試すような視線にさらされたリリアーヌはびくりと震えた。


「そ、そうね。やられた後は大体高笑いがどこかから聞こえてきたわ! 姿は見せずにわたしに嫌がらせをしてきたのよ!」



 ロハンはリリアーヌを一瞥(いちべつ)した後意味ありげな視線をエーデリュナに向ける。



「……だ、そうだが?」


 ふっと笑う声が聞こえた。

 会場中の視線がエーデリュナに向けられる。



「ふふ、これだからアマちゃんは困るのですわ。仮にも悪役と呼ばれているわたくしがその程度のことで済ますわけがございませんでしょう?」


 左手を胸に、右手を横に広げたまま笑みを深めるエーデリュナはまさしく悪役の名に恥じぬ面構(つらがま)えだ。



「相手を(おとし)めるだけの悪役など三流もいいところですわ! 後進の成長を促してこそ悪役の華! やるのならば徹底的に蹴落としてから這い上がるためのノウハウを叩き込みますわ!!」



 エーデリュナの思い描く悪役は世間一般の思い描く悪役からは少しずれていた。


 悪役とは恨まれ役を買って出てでも後進を育て上げるもの。


 つまり育て上げられない悪役は二流。

 自分の益だけの為に悪事に手を染める者などは三流以下でしかない。


 エーデリュナの中ではそもそもそう言った者は悪役には当てはまらないのだ。



「口では何とでも言えるだろう! 信じられるか!!」

「あら、殿下が信じずとも他の方を見れば分かるのでは?」


 エーデリュナは身分にかかわらず貴族社会を生き抜くために必要なスキルを分け与えていた。

 多くの末端貴族たちと交流を深め、後進を育て上げたのだ。


 カイゼンや高位貴族の子息達が歯牙(しが)にもかけない者達がこの学園を卒業できるだけのマナーを身に付けられたのはエーデリュナの指導によるところが大きい。


 そんな彼女の姿勢を知らないのはエーデリュナと対立して彼女を知ろうとしなかった者だけ。

 ここでいうのならカイゼンや高位貴族の子息達だけである。



「っ!」


 カイゼンはここで初めて自分に向けられる周囲からの視線に気が付いた。

 明らかな軽蔑(けいべつ)の視線。


 それを意識した瞬間、顔から血の色が消えていった。




「お前なら、物を壊すのならどうする?」


 ふいにロハンが口を開く。

 それに呼応するようにエーデリュナも口を開いた。


「王子妃の座を狙っている(やから)は五万といます。たかだか私物が壊されたからと騒いでいては妃は務まりませんわ! むしろ嫌がらせで動物の死骸(しがい)が届いてからが本番ですもの。ということで目の前で壊してからどういうことをされる可能性があるかを延々と説きますわ!」



「水を被せるのなら?」


「水と言わずワインや汚水を被せられた時の対処法を実演して差し上げますわ! その後の対応もね!!」



「転ばせるのなら?」


「防御魔法と受け身のとり方を先にお教えしてから実演でできるまで追い込みますわ! マスターするまで繰り返させるので逃がさなくてよ!! おーほっほっほ!!」


 エーデリュナの持つスキルは全て王子妃教育の時に現王妃に言われて身に着けたものだった。

 それはつまり、現王妃もそれだけのことをされた経験があるということに他ならない。


 王家の婚約者たるもの、狙われるのは当たり前なのだからそれに備えるのが当然という思考回路が脈々と受け継がれてきたのだ。


 泣こうが喚こうがマスターするまで訓練は続く。

 ナキイラ王国の妃教育はわりと常識外れなのだ。



「それに我が家のモットーは”やるのならば徹底的に”。つまるところリリアーヌ様がおっしゃったような中途半端な悪役まがいのことでは満足いたしませんの。もしこれを聞いてもなおわたくしがやったとおっしゃるのなら、今すぐ実演に移して差し上げてもよろしくてよ? そうね、リリアーヌ様が殿下と婚約を結ぶとおっしゃるのなら遅かれ早かれ経験することになりますし、これを機にやってみませんこと?」


 楽しそうにウキウキと己がスキルを伝授する方法をあれこれと考えている。


 エーデリュナは例にもれずスパルタだった。



 当然それを聞いたリリアーヌは顔面から血の気をなくした。


「じょ、冗談じゃないわ! わたしはちやほやされると思って話に乗っただけよ!! そんなことされるなんて聞いてない!!」


「あらあら? 一国の主及びそれに連なる者達を補佐するのが妃の役目でしてよ? その妃がちやほやされるだけだなんてそんなことあるわけがないでしょう。内部の軋轢(あつれき)や税制の管理、他国との貿易や防衛維持費などの捻出(ねんしゅつ)、その他もろもろ。やらなくてはいけないことは山ほどありますわ。もちろんそれに関するトラブルも、ね」


 エーデリュナはリリアーヌを見据えて蠱惑的(こわくてき)にほほえんだ。



「あなたにその覚悟がありまして?」


 腕を組み顎に手を当てて小首を傾げるエーデリュナ。

 その様子は獲物を追い詰める肉食獣のように爛々(らんらん)と輝いており、リリアーヌは足の力が抜けたように座り込んでしまった。




「……まあこれはリリアーヌ様だけに言っているわけではございません。カイゼン殿下。あなたにも言えることですのよ」


 エーデリュナはすっと視線をカイゼンへと移し目を細める。


「ですが、どうやらもうダメなようですわね。あなたにもその覚悟は見受けられない。……知っていますか殿下。わたくしはあなたの監視役でしたのよ?」


「監視役だと……?」


 クスリと笑うエーデリュナの眼はすごく楽し気に細められている。

 頬は上気し、艶のある表情だ。


「ええ。王族に相応しい身の振り方になるかどうかを見てほしいとお願いされておりましたの。もしも18歳……つまり学園を卒業する年になってもまだその片鱗が見えなければ、王位継承にふさわしくないと見て第二王子を王太子にするとおっしゃっていましたわ」


「な……!?」


 驚愕に目を見開くカイゼン。

 王子の後ろに控えていた高位貴族の子息達も土気色の顔をしている。


(ああ、いい気味ね)


 エーデリュナはそれを見てご満悦(まんえつ)だ。



「お察しの通りこれをおっしゃったのは国王陛下その人。わたくしは今起こったことをそのまま陛下にお伝えいたします。”カイゼン第一王子殿下は民を導いていけるだけの素養は見受けられなかった”とね。まあ最も、既に陛下には伝達がいっている頃でしょうけど」



 カイゼンは知らぬことだが、カイゼンとエーデリュナには国王陛下から命令が下された諜報(ちょうほう)隊員が常についていた。

 カイゼンがこの騒動を起こしたとき既に彼についていた諜報部員がいなくなっていたのは、報告に向かったからだろう。



 エーデリュナは見事なカーテシーを一つ打つ。


「ということで、婚約破棄、つつしんでお受けいたしますわ! ようやく役目から解放されて嬉しいです! 殿下、リリアーヌ様。どんな罰をお受けになるかは分かりませんが、末永くお幸せに」


 そう言い残し会場を後にするエーデリュナ。


 後に残ったのは今代最大とも言えるべきニュースにざわめく生徒たちと、力なく項垂れるカイゼン達だけだった。



 ◇



 エーデリュナは学園の敷地内にある温室にいた。

 もちろんこの時間に温室にいる生徒などいるはずもなく、彼女は一人ぼうっとした表情でたたずんでいる。


「……」


 温室には寒い時期でもいろいろな花が咲き誇り、甘い香りで満たされている。

 エーデリュナはふと目についた花に近寄り触れようとした。



「それには素手では触らない方がいいぜ」


 聞き馴染みのある男の声がした。


「……知っているわ。というかそう教えたのはわたくしじゃないの、ロハン」


 花から離れ振り返れば、やはりそこにいたのはロハンだった。



 エーデリュナが触ろうとしていた花は魔法植物で、触れた者の感情により様々な効果が現れるものであった。

 喜びならば花吹雪が吹き荒れ、悲しみであれば土砂降りの雨雲を作り出すとされ、よく占いなどにも用いられる花。


 普段であれば触れてもさほど問題にならないのだが、激情を宿した人間が触れると嵐を呼ぶとされている。



「ちょっとした出来心よ。今のわたくしが触れたらどうなるのか知りたくなってね」


 会場ではあれだけ大見得(おおみえ)を切ったが、その実8年もの間積んできた努力が全て無駄になってしまったエーデリュナの内心は大いに荒れていた。


 あの場で感情のままに叫ばなかったのはひとえに公爵家の令嬢としての誇りがそれを許さなかったからに他ならない。


 そのことを感じ取っている様で、ロハンはどこかこちらを気遣うような目線を送ってくる。



「よかったのかあれで」


 やはり彼も先ほどの事件を気にしているようだ。


「よくはないわよ。でもあの場でできることなんてたかが知れているでしょう? それに家にはもう連絡しておいたし後はお父様と国王様の話し合いに任せるしかないじゃない。全く、わたくしたちの苦労も知らないで……。あのお馬鹿さんには困ったものね」


 エーデリュナはクスリと笑いながらもどこか落胆したように肩を落とした。



 幼いころから婚約者となり近くにいたにも関わらずカイゼンの言動を改めさせられなかった不甲斐(ふがい)なさと侮られた悔しさと悲しみ。

 それらがない交ぜになりエーデリュナの胸を(むしば)んでいるのだ。


「まあでも少しせいせいしたわ。もうこれで彼に指摘し続ける必要もないでしょう」


 自嘲(じちょう)気味に笑うエーデリュナに、ロハンはポリポリと頭を掻き溜息を一つ打った。



「強情は相変わらずみたいだな」


 そうつぶやくとロハンはつかつかとエーデリュナに歩み寄りその腕を引いた。


「っ!?」


 とっさのことに反応できずロハンの胸にすっぽりと包まれるエーデリュナ。

 慌てて体を離そうとするも腕が頭に周り身動きが取れない。


「ちょ、ちょっとなんですの!? 離しなさいよ!」


 ぽかぽかと胸を叩くががっしりとしたロハンが堪える様子はない。

 ロハンはしばらく抱きすくめた後、エーデリュナの頭を優しく撫でる。


「今は誰も見ていない。どーせ人前でも公爵家でも泣きたくないんだろ。だったら今のうちに泣いとけよ」

「っ……!」


 ぶっきらぼうではあったがその一言がエーデリュナの凝り固まった心を優しく解いていく。

 気が付けばエーデリュナの目には涙がにじんできていた。



 二人は公爵家同士幼いころから親交があった、いわゆる幼馴染(おさななじみ)だ。

 そうして王からカイゼンの面倒を見る様に言われた仲間でもある。


 お互いにカイゼンには手を焼き、戦友とも呼べる仲であった。


 だからこそ巧妙(こうみょう)に隠されたエーデリュナの本音をすぐに見抜いたのだ。



「……悪はこの程度じゃ泣かないわ。これは……汗よ。走ったんだもの、汗くらいかくわ」


「へいへい。分かってますよ。いくらでもどーぞ。オレはいつも通りなんも見てねーんで」


 懲りずにおちゃらけた様子でしゃべるロハンに返事をしようとしても、次々と溢れる涙で言葉にならない。


 幼いころからロハンはこうしてエーデリュナが泣きたいときに必ず現れて誰にも見られないように隠してくれる。


 妃教育の厳しさに打ちひしがれた時も、カイゼンに嫌味を言われたときも、敵対貴族の策で誘拐(ゆうかい)されかけた時だって、いつも傍にいてくれたのはロハンだった。



 エーデリュナもロハンにだけは弱いところをさらけ出せる。

 彼女がこの年までくじけずに王子の婚約者でいられたのはロハンのこうしたサポートがあってのことだった。


「わ、わたくし……頑張ったのよ? 王族の期待に応えなきゃって……8年も」


「知ってる」


「どんな嫌がらせを受けても負けないように妃教育も全てこなしたし……」


「ああ」


 「第一王子の婚約者」という席を狙う輩や敵対している貴族たちから心無い言葉をかけられたり、恨みを買っておとしいれられそうになったりしたことだってある。



 それらを全く気にしていないわけではない。

 それこそ初めのうちは何度眠れぬ夜を過ごしたことか。


「それでも支え続けたのに……その結果がこれなの?」


「……」


 ぎゅうっとロハンの服を掴むエーデリュナは悔しくて悔しくてぽろぽろと涙を落とした。



「うう……ひっく……」


「……今までよく頑張ったな。オレは知ってる。お前がどれだけ努力してきたのか」


 ロハンはただ静かに頭を撫で続ける。

 エーデリュナを抱きしめる腕に力が籠った。



 ◇


 ロハンの胸を借りて泣いていたエーデリュナはしばらくするとようやく落ち着いた。


「ありがとうロハン。おかげですっきりしましたわ」


 長年溜めに溜めこんでいた鬱憤(うっぷん)を全て出し切ったようにすっきりとした顔である。


「それはなにより。これ、使えな」


 ロハンに差し出された冷たいハンカチを受け取り目を冷やす。

 結構泣いたので充血して腫れてしまったのだ。


「いつも迷惑をかけるわね」


「いいさ。その役目はオレのものだろ?」


「ふふ、そうね」


 ロハンは優しく微笑みかける。

 それがエーデリュナにとってはありがたい。



 ハンカチを目の上に乗せるとひんやりとして気持ちがよい。

 熱を持った目元がじんわりと落ち着いていく。


「しっかし、お前のあの啖呵(たんか)には正直オレもスカッとしたよ」


 目元を覆っているので顔をみることはできないが、ロハンの声は楽しそうに弾んでいた。

 やはり彼も日頃の鬱憤がたまっていたのだろう。


「流石エーデリュナ。泣き寝入りなんて心配いらなかったな」


「あら、それは当たり前よ。だってやられっぱなしなんてわたくし、気が済みませんもの。泣き寝入りしてあげる程おしとやかでもございませんわ」


「ははっ! 違いない!」


「あなたね。そこは『そんなことないよ』くらいのフォローはするべきでしょう?」


 二人は軽口を叩き合うとお互い笑い声を上げた。

 ざあっと穏やかな風が吹く。




「なあ……オレじゃダメか?」

「え?」


 唐突に告げられた言葉の意味が分からない。

 何のことかとハンカチを外すと真剣に見つめてくるロハンの姿が映った。


「今までは支えるべき相手がお前の婚約者だったから気持ちを打ち明けるつもりはなかったが、婚約破棄をした今もう気持ちを抑えなくていいと思うんだ」


「ちょ、ちょっとなんの話ですの?」



 あまりに真剣な瞳に射すくめられたエーデリュナはわたわたと慌てる。

 理解が追いついていないのだ。


「オレは昔からお前……エーデリュナのことが好きだった」


「ちょっと待ってくださいませ!? い、今ですの!?」


 エーデリュナはさらに慌てる。

 顔は泣きはらした後で酷いものだし、目の充血だってまだ引いていない。


 こんな状態で愛の告白を受けると思っていなかったのだ。



(……って愛の告白!!?)


 彼から告げられた言葉の意味を理解すると途端に顔が熱くなる。


「わたくし今しがた婚約破棄を言い渡されたばかりですのよ!?」


「だからこそだ。ずっと好きだった相手に婚約者がいなくなったんだ。チャンスを逃すべきじゃないだろ?」


 ロハンはにやりといたずらに笑う。

 エーデリュナはその顔に思わずときめきを覚えた。

 心臓が痛いほど音を立てる。


 エーデリュナとしてもロハンのことが嫌いなわけではない。

 むしろ気ごころが知れた相手として一緒に居ると楽しいし、こちらのことも気にかけてくれていたのも知っている。


「で、でもだからって婚約破棄をされたばかりのわたくしにそんなことをいうなんてずるいじゃありませんの!」


「じゃあ嫌か?」


 ロハンは笑みを消してじっとエーデリュナの顔を見つめる。

 その瞳に嘘が混じっていないことは明らかで、エーデリュナは言葉に詰まった。


「い、嫌とはいってないじゃない!」



 口からは強気な言葉しか出てこないが、心臓が爆発してしまいそうなほど大きな音を立てていた。


 カイゼンとの婚約が決まってから自分の気持ちに蓋をしていたが、エーデリュナにとってもロハンは初恋の相手だったのだ。

 同じ年、同じ家格に生まれた二人は意識をせざるを得ない相手だった。


 けれども婚約後は戦友として、同じ目標を持つ仲間としてやっていこうと思っていた。

 それにロハンも自分が仕える相手となり得る王子の婚約者なんか興味がないだろうとも思っていた。


 だからこそ淡い思い出として胸に秘めているつもりだったのに……。



(それなのにいきなりこの男は!!)



 深く深く押しとどめていた気持ちに、ふいに燃料を投下された気分だ。


「嫌じゃないんだな……。ならこれからは遠慮しなくていいってことだな?」


「!!」


 ロハンが近寄ってくる。

 グイグイと迫ってこられるとどうしてよいか分からなくなる。


「まままま待って!! わた、わたくし心の準備というものがっ!!」


「待たない。もう十分待った」


「うっ……」



 ロハンがエーデリュナの腕を掴む。


「オレの気持ちを疑うというのなら自分で確かめてみろ」


 そう言ってエーデリュナの手を自分の胸の上に置く。


 ドクドクと響く振動はエーデリュナのものと同じくらい早く大きい。


「っ!!」


 それを知ってしまうともう言い逃れができない。



(好き、なの? ……ロハンはわたくしのことが……わたくしも……)



 しっかりと閉めたはずの心の蓋はいつの間にか開いていた。

 彼に、開けられてしまった。


 恥ずかしくて見られなかった彼の顔を見上げれば、自分と同じくらい赤い顔の彼が目に入る。


(ああ、もう逃げられない)



「オレはお前がずっと好きだった。だからこのチャンスを逃したくない」


 ロハンはエーデリュナの腕を掴んでいた手とは逆の手を頬に添える。

 もう一度真摯な言葉を受けエーデリュナはふるふると震えてしまう。


 今すぐとはいかないだろう。

 家同士のごたごたもある。

 貴族の政治的狙いも。


 それは分かっている。

 だが諦めたくない、そう雄弁(ゆうべん)に物語るロハンの眼差しから逃れられない。


 気が付けばエーデリュナは口を開いていた。


「……王様やお妃様に許可を取らなくては」


「それはもう済んでいる」


 公爵家同士が結びつくと王族すらも手が出せないほど強力な勢力となる。

 それを王家が黙って見ている訳がない。


 ロハンは既にそのための許可を取ってきていた。

 そのためにカイゼンのサポートをしていたぐらいなのだから。



「ロハンのご両親は何と?」


「お前なら喜んで迎え入れるそうだ」


「……わたくしの両親はきっと手強いですわよ?」


「ああ。覚悟の上だ」


 王家との問題だけではない。


 ウィチアース公爵家とマグリファス公爵の現当主は仲が悪く、常にいがみ合っている。

 そんな当主の子供がくっつくことに対して、当然反対が起こるだろう。


 乗り越えるべきこともたくさんある。



 だが、それでもというのなら。



「そうですか。……それならわたくしが拒む理由はありませんわ」


 柔らかく、昔のように微笑むエーデリュナ。

 その笑みはロハンが惚れた時の笑みそのもの。


「っ!! それなら」


「……ええ。わたくしも昔からお慕いしていました」


 エーデリュナの目から熱い雫が一つ落ちた。

 けれどもそれは悲しみではない。


 確かな喜びからくるものだった。



「っ! エーデリュナ!!」


「きゃあ!」



 ロハンは嬉しくなってエーデリュナをぎゅうっと抱きしめる。


「ずっと……ずっとこうしたかった。ようやくお前に触れられる」


「……ええわたくしも」


 ロハンの胸におずおずと頬を寄せるエーデリュナに愛おしさがこみ上げて、さらに強くけれども優しく抱きしめる。



 仄明るく照らされた温室は二人を温かく包み込んだのだった。



 ◇



 卒業パーティーから半年後、両公爵家主催のパーティーが開かれた。


 ナキイラ王国で一番大規模なパーティーと言われたその会場では、ロハンに恭しくエスコートされつつも幸せそうに微笑むエーデリュナの姿が目撃された。



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